( 249224 )  2025/01/14 15:48:04  
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四国でも億ションが売られ、需要があることが報じられた記事には肯定的なトーンがあり、記事の中で億ションに付加価値があると述べられていた。

しかし、その億ションが高松城跡に建設されることで景観が損なわれる可能性が指摘されている。

日本の少子化が進む中、将来的に高層ビルを建て続けることは負の遺産となる可能性が高く、地域の景観や利益を損なう恐れがあるとして批判が向けられている。

(要約)

( 249226 )  2025/01/14 15:48:05  
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これから人口が激減していこうという局面で…(写真はイメージ) 

 

 1月4日付朝日新聞夕刊に「億ション 大都市だけじゃない 不動産高騰 地方にも余波 四国や九州、東北でも増加」という記事が載った。販売価格が1億円を超えるマンション「億ション」は、首都圏や京阪神などにかぎられていたが、たとえば、人口減少が続く四国でも億ションが売り出され、しかもよく売れており、いまや億ションは他県にも広がっている、という内容だった。 

 

 驚いたのは、報じられた内容もさることながら、記事のトーンについてだった。その記事は専門家の、「地元の富裕層らを中心に、需要に応じた供給でさえあれば、たとえ億ションでも根付く可能性は十分にある」というコメントで締めくくられていた。つまり、記者は地方に億ションが増える現状を肯定的にとらえていることが明らかで、そのことに驚き呆れたのである。 

 

 呆れた理由は、記事で紹介されたマンションと、その紹介のされ方を説明しなければ伝わらないだろう。そのために、記事の一部を以下に引用する。 

 

《「美景を望み、未来を臨む、タワー邸宅。」/JR高松駅から歩いて約3分の中央通り沿いではいま、こんなキャッチコピーがついた20階建ての分譲マンション「ザ・レジデンス高松 パークフロントタワー」が建設中だ。/開発・販売を手がけるセントラル総合開発(東京)によると、バルコニーからは瀬戸内海の多島美が一望でき、眼下には日本の歴史公園100選に選ばれた史跡高松城跡・玉藻公演が広がる。/億ション住戸は、総戸数54戸のうち20階と19階の4戸。いずれも3LDK120平方メートル超で、価格は1億2900万円から。2月下旬の竣工(しゅんこう)を前に3戸は成約済みという》 

 

 続いて、同社四国支店の担当者の《正面は公園で、将来的にも眺望が塞がれにくい点を評価いただいている》というコメントが載る。 

 

 要は、風光明媚な眺めを独占できるタワーマンションなので「億ション」でも売れる、という話だが、記事には購入者が獲得する「眺望」への批判的なまなざしはない。地方でも「付加価値」がある「億ション」にはビジネスチャンスがある、という肯定的なトーンに終始している。ごく一部の人が眺望を独占することが、その他の公共性以上に優先されていることに対し、検討し考察する姿勢は、残念ながら微塵も見えない。 

 

 

《バルコニーからは瀬戸内海の多島美が一望でき、眼下には日本の歴史公園100選に選ばれた史跡高松城跡・玉藻公演が広がる》というが、それは裏を返せば、周囲より高いこのマンションの住人がこうした景観を独占する代償として、ほかの場所からの眺望が奪われるということである。また、「史跡高松城跡」を見下ろせるとはどういうことか。 

 

 高松城は、かつては城の北面が瀬戸内海に接し、海水が石垣を洗う海城だった。本丸、二の丸、三の丸などはよく保存され、城のすぐ前の海は埋められてしまっているが、いまも水堀には海水が引き込まれ、コイの代わりにタイやボラが泳いでいる。2棟の三重櫓(ともに国の重要文化財)などが残るほか、明治時代に取り壊された天守は古写真なども多く残るので、現在、復元計画が進められている。 

 

 ところが、その高松城のすぐ脇に、城内のどこにいても視界に入ってしまうタワマンが建つのである。物件のホームページにも、《上層階からは、この公園(註・高松城址である玉藻公園)のほぼ全景を見渡し》云々と書かれている。しかし、ごくかぎられた人にとっての特別な眺望は、高松城跡という歴史的なエリアを訪れたすべての人から、タワマンがなければ味わえたはずの景観を奪うことによって得られる。 

 

 むろん、施主が法を犯しているわけではない。だが、高松市は、高松城周辺が重要な歴史的エリアであることを百も承知のはずだ。市は天守の復元にも前向きだというのに、なぜその周囲の建築物の高さを規制するなどして、歴史的な景観を守ろうとしないのか。高松城の景観は一部マンションの住人のものではなく、高松市民はもとより日本人、さらには高松を訪れた外国人もふくめ、広く共有されるもののはずである。 

 

 しかし、高松市が不甲斐ないなら、なぜ反権力を標榜してきたはずの朝日新聞は、市の姿勢に疑問を呈さないのか。 

 

 高松城跡ほどの歴史遺産があったら、ヨーロッパであればその近くに高層ビルが建つことなどありえない。たとえばイタリアは、文化財保護法と自然美保護法が施行された1939年から、歴史や伝統および自然美の観点から景観が保護されてきたが、1985年にガラッソ法が成立してからは、規制がかなり徹底している。 

 

 各州には景観上重要な地域内に、建築等を一時的に禁止できる区域を定める権限があり、州は風景計画の策定も義務づけられている。とりわけ歴史的市街地は保存対象とされ、多くの自治体が文化的な側面からだけでなく、都市計画の側面からも、建築工事のほか看板や照明にいたるまで厳重に規制している。それが不動産の私権制限につながるとして、裁判で争われたこともあるが、景観保全を目的に私権が制限されるのは当然だ、という判例ばかりだという。 

 

 かぎられた土地から最大の収益を上げたければ、高層ビルを建てるのが手っ取り早い。しかし、私企業が一時的に利潤を得るために、歴史的に維持されてきた環境が簡単に変えられ、視界に障害物が入るのを余儀なくされていいのか――。いまの日本では、この高松のような事例が環境や景観の破壊だと認識されること自体が少ないが、仮に欧米でこうした場所にタワマンを建てたいと思っても、まず無理だということは知っておいていいと思う。 

 

 歴史的な景観が維持されれば、その都市の魅力は高まって観光客が増え、インバウンドの効果も期待でき、結果的にその都市の豊かさにつながるだろう。だが、「地方創生」が叫ばれるいま、発想の切り替えができない地方は、最終的に衰退するしかないだろう。そう言い切るのは、予想をはるかに超える速度で少子化が進んでいるからでもある。 

 

 

 そもそも高層ビルとは、人口が増加する局面で、かぎられた土地を有効に活用するために生み出されたはずだ。ところが、いまの日本は人口増とまったく逆の方向に進んでいる。統計をとりはじめた1899年以降、出生数がはじめて100万人の大台を割ったのは2016年だったが、そこからさらに急降下して、2024年の出生数は68万7000人程度。8年で3割も減ってしまった。 

 

 国立社会保障・人口問題研究所が2017年に予測した「日本の将来推計人口」では、出生数が2033年に80万人を割り、46年に70万人を割ると「悲観的に」予測をしていた。だが、70万人割れは22年も早く訪れたのである。 

 

 これから人口が激減していこうという局面でタワーマンションを建て続ければ、将来、まちがいなく負の遺産になる。私たちの子々孫々の頭を悩ませ、足を引っ張る存在になる。神戸市の久元喜造市長は、市の中心部に20階建て以上のマンションを新築できないようにした際、「人口が減るのがわかっていながら住宅を建て続けることは、将来の廃棄物をつくることに等しい。タワマンはその典型」と語っていたが、正論である。 

 

 一部の住人が特別な眺望を得るために、多くの人の利益を犠牲にして建設されたタワマンが、将来、廃棄物として歴史的景観をさらに汚すばかりか、就労人口が減少して市の税収も減っていくなか、処理するのも困難な廃棄物になる――。各自治体は今後、そこまで予測して都市計画を立てなければ、結局、住民を守ることができなくなる。 

 

 高松は一例にすぎない。億ションは全国で増え、多くはタワマンである。地方創生をめざす石破茂総理には、ぜひそこまで見据えて、地方を誘導してほしいと願う。 

 

香原斗志(かはら・とし) 

音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 

 

デイリー新潮編集部 

 

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