( 251463 ) 2025/01/18 17:34:16 2 00 「かつては東京の田舎と呼ばれた」「良くも悪くも発展から取り残された感じ」…。品川区なのにほぼ無名の街「中延」の実態と、住民たちが語る魅力東洋経済オンライン 1/18(土) 7:41 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/114fef0aac9865096cc1fd9dc695c6820544d084 |
( 251466 ) 2025/01/18 17:34:16 0 00 今回は品川区・中延を紹介。写真は「なかのぶスキップロード」の入り口(筆者撮影)
建築会社や不動産会社などが毎年発表する「住みたい街ランキング」。トップテンの顔ぶれを眺めると、常連の吉祥寺や恵比寿、新宿、目黒、最近だと北千住や大宮なんかも人気だ。しかし、どれも「まぁそうだろうな」と思えるような街ばかり。 この連載では、住みたい街ランキングにはなかなか登場しないけれど、住み心地は抜群と思われる街をターゲットに定め、そこを実際に歩き、住む人の声と、各種データを集めてリポート。そして、定番の「住みたい街」にはない、「住むと、ちょっといい街」の魅力を掘り起こしていく。
2025年のひとつめは、東急大井町線、都営浅草線の「中延駅(東京都品川区中延)」。地元の人たちに街の魅力を聞くと、決まって最初に口にするのが「交通の便の良さ」である。
■アーケード商店街「なかのぶスキップロード」が駅を結ぶ
都営地下鉄、中延駅のA3出入り口から街に出ると、左手すぐに横浜に直行できる国道・第二京浜が見える。右手にほんの少し歩くと、東急大井町線の「中延駅」だ。
【画像16枚】かつては“東京の田舎”と呼ばれることもあった街・中延。再開発も進みつつあるが、懐かしい風景と人情が今も色濃く残る
2つの駅の間には、地元に密着した店が並ぶ。東急大井町線の中延駅から、500mほど北上すれば東急池上線の「荏原中延駅」だ。
街の人たちが語るとおり、交通の便はすこぶる良さそうである。
東急大井町線で、中延の隣は「戸越公園駅」と「荏原町駅」だ。
1日の平均乗降人員を見ると戸越公園は1万2977人で、荏原町は1万4734人。そして中延は2万487人と突出している(どれも2023年度)。地下鉄への乗り換え需要もあることから、この数字なのであろう。
上に挙げた駅たちは中延を支点に、半径600mほどの円の中にすっぽり収まる。この界隈は、少し大きな通りには商店が並ぶが、ひとつ道を入ると、住宅地が広がる。
また、東急大井町線の中延から、東急池上線の荏原中延までは、アーケード商店街の「なかのぶスキップロード」がつなぐ。日常の買い物はこちらでなんでも揃うから便利だ。
「目ぇつぶって歩いていても、あ、そろそろあの惣菜屋さんだな、ということは焼肉屋も近いなとかって分かるんだ。それぞれの店がそれぞれにいい匂いの料理を作ってるからねぇ。
もちろん、ホントに目ぇつぶって歩いてたらアブネェからそんなこたぁしないよ。でもね、そのくらい、地元の人たちにとっては日常使いの商店街なんだよ」
杖をついたオジサンが、なかのぶスキップロードの魅力をそんなふうに語ってくれた。
■創業61年の喫茶店が語る住み心地
同商店街を、中延駅の方向に戻る。地下鉄浅草線の中延駅近くにある昭和テイストたっぷりの喫茶店「ニュープリンス(東京都品川区中延4-6-1)」で話を聞くことができた。
昭和39年にオープンしたこちらのお店。オーナーは長く西山郷子さん(74)が担ってきたが、最近は息子の直也さんに代替わりしたとのこと。
外資系の企業に勤めていた直也さんは、去年脱サラし店を継ぐことを決心した。現在は「まだまだ修業中(本人談)」なのだそう。イチから自家焙煎の技術を学び、近く本格的に提供を始めるのだという。
■かつては「東京の田舎」と呼ばれていた
オープン当初からレイアウトは基本的に変えていないという店内。伺った日は、美空ひばりのジャズアルバムがかかっていた。壁一面の食器棚は、建具屋による造り付けで、「東日本大震災の揺れでも、びくともしなかった」(郷子さん)と、年季の入った柱を撫でながら教えてくれた。
「私が小さい頃はね、近所の古い人たちの話を聞くと、ここらへんは東京の田舎だって言われていたんですって、昔の地名はエバラ村だったって、そんな感じが今でも残っているんですよね。人情が厚いっていうのかしらね。そういう街なんです」(郷子さん)
そんな郷子さんは、幼稚園から高校まで、別の街にある私立の学校に通った。だからだろう、少し客観的な目で街のことを語ってくれる。
「ここは、五反田、大井町、自由が丘、そうした街に取り囲まれているでしょう。あちらはどんどん発展してね。良くも悪くも中延は取り残された感じがあるんですよ。
でも、そのおかげで今でも古い味わいが残っていてね、昔ここらへんに住んでいた人が懐かしがって訪ねてくることもあります。新旧が混在した素敵な街ですよ」(郷子さん)
■地元密着の店が多く揃っている
一方、息子の直也さんは商売人の目線で街を語る。
「母が言うように、新旧が入り交じった街で、うちのように地元密着のお店も多い。そういう商売人も住みやすい街なんですよ。
これも地元密着型なんですけど『文化堂』っていうスーパーマーケットがあって、全国的にはさほど知名度がないかもしれないけど、中延では知名度100%のお店です。
ここが便利なのは、でっかいマヨネーズとか、業務用の調味料なんかをけっこう豊富に扱ってくれていることなんです。私たちみたいな商売人が多い街なので、そのニーズに合わせてくれてるんでしょうね」(直也さん)
■2025年の巳年は中延が熱い
さて、今回中延を選んだひとつの理由が今年の干支にある。実は、中延駅から徒歩5分の場所に「蛇窪神社(東京都品川区二葉4-4-12)」があるのだ。
名前のとおり、ヘビを祀った神社である。名前のとおり、と思わず書いてはしまったが、そもそもの由緒は別のところにあるようだ。荏原の一帯がかつて「蛇窪」という地名だったのである。
地名に蛇の文字が使われていた理由は定かではないが、どうやら近くを流れる河が蛇のようにウネウネと蛇行していたことから、この名が使われるようになったようだ。
神社の由緒は、鎌倉時代にまで遡る。文永8年(1272年)北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去った。時千代は家臣の多くを蛇窪付近に居住させた。その後、家臣たちが蛇窪の地に神社を建立した。これが現在の蛇窪神社であるとのことだ。
蛇窪神社の境内には白蛇の像がそこかしこに置かれている。蛇窪神社と白蛇の関係も、鎌倉時代に縁がある。当時、天祖神社の社殿の左横に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいた。これが神社と白蛇の出会いだ。
時を経て、洗い場がなくなり、白蛇は現在の戸越公園の池に移り住むようになった。 あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願した。森谷氏はこの話を宮司に伝えて、白蛇をもとに戻すよう願い出た。
宮司は辨財天社を建立することに決め、現在の駐車場に池を掘り、池の中央に小島を設け、その中の石窟に石祠を造って白蛇を祀った。(※同神社HPを筆者が要約)
門前に店を構える「遠藤米穀店(東京都品川区二葉4-4-7)」の遠藤彰さんは次のように語る。
「ここは昔、荏原郡上蛇窪村っていう地名だったんですよ。現在の東急大井町線戸越公園駅も蛇窪駅だった。うちはこの地で100年前から店をやっています。私で3代目です。2025年は巳年なので、お客さんもかなり増えていますね。
蛇窪神社は御朱印の人気ランキングでも、上位の常連なんです。街もこの人気にあやかって、御当地街灯なんかも作って盛り上げていますよ」(遠藤さん)
■街のことは地元の不動産屋さんに聞け
商店街、全国でも有名な神社、気の良い商店主の皆さん。中延という街は、歩いていて飽きない。気がついたら、日が暮れていた。
帰宅するサラリーマンや、夕食の食材を買い求める人たちの姿が目立ってきた。どこの街も同じだが、夕暮れのあわいの中に、昼間とは違った風景が見えてくる。
■駅周辺では再開発が進む
いくつかの不動産屋さんに断られ、今日はもう諦めようかなと思い始めていたときに、見つけたのが、地元で40年の歴史がある「中延不動産(東京都品川区中延2-5-13)」だ。
ご主人の谷中裕一さんに話を聞くことができた。
「この近辺にはかつて同潤会アパートが立ち並んでいた一角もあります。荏原中延駅の周りも、少し前までは木造の長屋が並んでいました」(谷中さん)
同潤会アパートとは、1923年(大正12年)に発生した関東大震災の復興のために建てられた集合住宅群だ。建築から長く経過し、建て替えが進んでいる。
「この界隈でいうと、中延2丁目、中延3丁目、東中延1丁目、東中延2丁目は品川区の木造密集地域に指定されていて、再開発が進んでいます。駅周りには新しいマンションも増えてきているんですよね。
かつての風景とは様変わりし始めています。この地域は交通の便の良さもあって、もともと人気の高い場所なんですけど、最近はさらに人気が出てきています。
30㎡前後のワンルームだと12万〜13万円くらいから、ファミリーでも住める40㎡前後で2DKくらいになると15万〜16万円くらいからのご紹介ですね」(谷中さん)
東京のど真ん中で、新旧の街並みが混在する中延。交通の便が抜群で、古くから店、商店街も元気となれば、住むにはかなりいい街だ。白蛇を祀る「蛇窪神社」があるおかげで、12年に1度の巳年である今年は、観光客も増えるだろうと思われる。話のネタにちょっと行ってみるのもいいだろう。
【大きな画像でもう一回見る】かつては“東京の田舎”と呼ばれることもあった街・中延。再開発も進みつつあるが、懐かしい風景と人情が今も色濃く残る
末並 俊司 :ライター
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( 251465 ) 2025/01/18 17:34:16 1 00 これらのコメントから、中延や荏原中延周辺は古き良き下町の雰囲気が残っており、昭和の香りやノスタルジアを感じることができる街という印象が窺えます。
特に中延周辺の飲食店の減少や商業施設の増加による街の変化への懸念、また昔ながらの雰囲気や地元の庶民派な店が持つ魅力を守りたいという声が多く見られました。
(まとめ) | ( 251467 ) 2025/01/18 17:34:16 0 00 =+=+=+=+=
20年ほど前に営業でよく歩いて、転職した現在も年に2回くらいふらっと立ち寄ってます。 以前に比べたらチェーン店やシャッターも増えましたが、昔ながらのお店や少し古いアーケードは変わりませんね。 最近は若い方が新規出店してがんばってる姿も見みられて、新陳代謝も進みつつあるように感じます。 何より地域の人の日常に溶け込んでいる欠かせない商店街だと思います。
▲380 ▼17
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地元です。都会の中の下町という感じでとても住みやすいですが、数年前から新築マンションの価格が高騰して億ションも当たり前になってきました。 子供のお友達も引っ越ししてきた家庭はお金持ちばかりですが、みんな親しみやすい家庭ばかりで仲良くしてもらっています。 以前中延駅前に少しお高めスーパーが出来ましたがすぐに潰れてしまいました。 庶民派のお店が生き残っているイメージです。
▲252 ▼10
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蛇窪と呼ばれるのは、大雨になると立会川が氾濫して場所によっては床下、床上浸水するから。暗渠にあるなってるけど今も区役所行くと防災マップに危険区域載ってます。
あの辺りの良さは街の規模がコンパクトで駅間が近く、商店街を歩いていると次の駅まで行けちゃうとこ。
住宅地と商業地域が混じってるので住宅や商店や町工場があり、ちょうど良く下町感があります。
まだ昭和感のノスタルジーが残ってるから歩いてても心地良いですよ。
▲93 ▼5
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産まれてから30歳くらいまで中延に住んでました。今は引越ししたけど、小、中の友人がまだ住んでいるので昔話を良くします。 やはり交通の便の良さ、商店街が歩き、自転車圏内に何個もあるところ。 大井町線、都営浅草線、少し歩くと横須賀線もあるし、バスの利便性もよし。 渋谷新宿方面、東京方面、横浜方面と30分くらいで出られるので車いらずでした。 中延スキップロード、自転車圏内に戸越銀座商店街、武蔵小山商店街など有名商店街が多数あり。 スキップロード入り口にあるイゴタの鳥の唐揚げが美味しかったなあ〜 友達のお母さんが働いていたり、近くの銭湯は中学生の友達の家だった。
▲153 ▼4
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生まれながらの昭和の都民はこんな感じが 東京だよなーと思うものです。
まだ人口が密集していて年金世代も 多くいるため栄えているのだと思います。 ただこの栄えている時に後継する者を 順次決めていかないと風情のある店は 無くなり、いつの間にかチェーン店だったり 空き店舗になったり、中国人経営者に 変わってみたりなどすると魅力ない 商店街になってしまう可能性があります。
昭和の味を残した商店街は、ぜひ 末長く存続して欲しいですね。
▲219 ▼7
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通勤経路なのでよく自車で通りがかり、お惣菜を買って帰ったりしています。 古い商店街や古い住宅が残っていることがこの魅力を醸成しているんだと思います。 再開発と言って高層のマンションを立てたり、 三井や東急が得意とする「金太郎飴的量産型おしゃれ」な再開発をしてしまうと、街の魅力が無くなってしまうと思います。 地元の個性を守ることが結果的に自分たちの利益を守ることになることを忘れずに、業者が持ってくるうまい再開発話に乗らず、頑張って欲しいと思います。
▲93 ▼4
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一言で東京23区と言ってもエリアによって違いがある。私は生まれてから60年近く東京で住んで働いてきたけど、家も職場も西武線沿線中心、(一時期は浅草駅近く、今は井の頭線沿線)だったので荏原近辺はイメージがわかない。 別にどっちが良い悪いではなく、本当に道が空いてると1時間あればかなりの範囲を移動できるくらいの小さなエリアなのに町それぞれの趣きがあるなあと感じる。
▲52 ▼7
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大晦日の夕方、蛇窪神社に行きました。 もの凄い行列で規制がかかり行列すらできず、鳥居前で合掌して諦めた帰り、中延のアーケード街に行って、年越蕎麦を頂きました。 やはり待ちましたが、女将さんやご主人も感じよく、町内の方も沢山お蕎麦やお酒を楽しんでいらして、雰囲気がとても良かったです。 近くの豆菓子専門店で、おせんべいや豆菓子を買いました。 とても美味しかったです。 昔からの個人商店が並び、布団屋さん、八百屋さん、床屋さん、お餅屋さん等、懐かしい風景でした。 蛇窪神社が落ち着いたら、また蛇窪神社参拝にチャレンジして、中延の町を歩きたいと思います。
▲87 ▼4
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アーケードが付いてるだけ、まだマシよね。
近くの旗の台や荏原町の商店街には、アーケードは付いてません。少し離れた戸越銀座も、アーケードは無いので雨の日の買い物は大変だと思います。
中延駅は、アーケード付きの商店街がある事で、天候に左右される事無く、住民が日常的に使えているのだと思います。
都営浅草線との事で、羽田空港から一本で来られて利便性が高いため、昭和レトロな観光地として高いポテンシャルはあると思います。
品川区ではありませんが、同じ浅草線の終点の大田区の西馬込も、良くも悪くも田舎の雰囲気があり、中延よりも更に何もない街です。文化堂というスーパーが駅前にあるのは中延と同じですが、駅から少し歩くと何もありません。旗の台同様に坂道が多いため、再開発も難しいのだと思います。
▲116 ▼48
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昨年大晦日から 巳年なこともあってかなりの人が訪れているのでは 中延 住み易そうな街ですよね 五反田からすぐですし
蛇窪神社 三が日は 朝から6時間半並んでようやく手を合わせられた とか 15時に行ったら もう列に並べません14時半で打ち切りました って言われた とか色々見聞きしましたが 他の神社と比べてそんなに人が『捌けない』理由って何かあるんでしょうか なにか特別な参拝手順でもあるのかしら、、
▲34 ▼8
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商店街のある町は生活しやすい。徒歩でも自転車でもぶらつきながら、お店を把握できますからね。駅に行く道すがらとか生活動線に混在してるってのが無駄がなくていいと思う。 これが再開発でショッピングモールやビルを建てられるとストレスたまるんです。 いちいち駐輪場を探したり、広い店内を目的の店まで無駄に歩かされたりする。 外歩いてても同じで、デカーい敷地の前を延々歩いてる感じが退屈なんです。 道も大きくなれば信号待ちが多くなり、自由に横断もできなくなる。生活しづらいってこうゆうこともあるんだなって思います。
▲52 ▼4
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実家が武蔵小山で、この周辺は四方八方に商店街がある。西小山、旗の台、荏原中延、戸越銀座、そして中延。子供の頃は自転車で遊び回ってた。中でも中延は、たしかに地味な印象。大人になって久しぶりに足を運ぶと「こんな寂しかったっけ?」という印象を受けた。このあたりでは武蔵小山と戸越銀座が都市開発されて発展しているので、中延などは余計に取り残された感がある。でも落ち着いた良い街。
▲8 ▼0
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生まれてから中延に50年住んでます。この街の魅力は、駅、学校、大学病院、税務署、警察署等、全てが徒歩圏内で車を必要としない点と思います。狭くて、一方通行だらけなので、車を中心に生活を考える方にはお勧めしません。最近では、防災のため木造住宅の建て替えや道路拡張工事が進んでますが、いつまでも歩行者に優しい街であって欲しいです。
▲11 ▼0
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池上線の大崎広小路が最寄りなのですぐそばだけど、荏原中延は降りたことない。 池上線は昔から電車とホームが離れておらず、子供連れでも安心。 全体的にのんびりしていて、きれいな駅が多いし、遅延とかもほとんどない。 すごく住みやすい路線だと思うけど、マンション買うにも借りるにもなかなか高い。
▲13 ▼3
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品川区はその名のイメージと違い、京浜東北線より陸側は狭い路地などが昔のまま残る街並みで、情緒がある住むには良い雰囲気ですよね。 特に大井町線や目黒線沿線は大きな商店街が多いですが、中延も小さめではあるものの、良い感じでした。
▲81 ▼3
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西日本にいると東京の土地勘に疎いが、荏原製作所や、焼肉のタレで有名なエバラ食品工業等、ご当地名をつけた名の知れた会社の名前で聞いたことある。 戸越銀座も名前を聞くが、地図を見ると観光とかではまず行かない場所だが、交通の便は非常に良さそう。 東京って開発されまくってるイメージがあるが、そうでもないんだなと。
地元商店街に活気があるのは良いですね。
▲14 ▼2
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商店街で言うと 武蔵小山と戸越銀座の二大巨頭がありますからね 個人的には、大田区と品川区の境目の地域ですが結構好きです。 武蔵小山のパルムは気づいたら、個人店がかなり少なくなってしまい寂しく思うこの頃 やっぱり個人店が多い少しのんびりした街並みが好きです 都会都会していないですし、大井町線や池上線沿線は結構オススメです。
▲28 ▼1
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40年以上前、この近くの戸越銀座駅近くで、新聞奨学生として、新聞配達をしながら勉学に励んでいた。 その当時の新聞販売店は、卒業から数年後に閉店し駐車場になったが、あれから40年近く経った現在、グーグルマップの航空写真で見ると、まだ駐車場のまま。 乗用車が4台しか停められない空間で、建物を建てるには狭いのは確かだが、場所的に40年も変わらず駐車場のまま、というのは驚き。
▲24 ▼3
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地元が近所です。蛇窪はむかし蛇が多かったからと思っていました。 (45年前に近所の婆さんに騙された。) ほんとに。品川に家が有ると言うとみんな品川駅の風景を思うらしく (高輪口は港区)高級住宅街!と言われますがまったくもってもう都会の煌びやかさは皆無です。交通の便は最高なのになぜ昔ながらの街なのか不思議。
▲12 ▼1
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東京を散歩しているとこの記事で言う田舎の方が見ていても歩いていても楽しいんだよね。 再開発されたところはどこも同じような景観、人で変化が乏しく楽しいと言う印象はない。建物と店舗の配置も複雑な場合が多く楽しいよりも処理しないといけないことがあって疲れる印象の方が強い。
▲14 ▼2
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大井町近辺も、かつては木造住宅密集地域で、昭和60年代まで駅舎すら木造で東口には改札がなく、駅のすぐ横にも関わらず開発が全くされず寂しい雰囲気ただよう場所でした。 それが、駅舎立て替えときゅりあん建設、りんかい線開業で大きく姿を変え、今では品川区内でも屈指の、ハイソで発展した街になりました。
中延が発展から取り残されているように見えるようになったのは平成からです。
▲3 ▼4
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北千住が綺麗で住みやすい街になったのは嬉しいけど、オジとしては寂しさもあります。
猥雑で、怪しくて、チンピラや客引き、不良外国人がたむろしてて、地元民の大半は品性も学歴も金もないけど、妙な優しさと暖かさがあって、路地裏に美味いもつ煮込みを出すおかしな居酒屋があったりしたあの北千住が懐かしいと思うのは、それだけ自分も歳を取ったのでしょう。
▲1 ▼2
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昔、地元の方に「なかのべ」と呼んだら意地になって「なかのぶ」ですと叱られた思い出があります。戸越銀座もすぐだし、今話題の蛇窪神社もありますし。歴史もある良い街だと思います。
▲36 ▼6
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東京人は二つに分かれる。何代も東京に住むほんとの東京出身者と地方から移住した者。後者はハングリー精神がありランキング上位になる様な街の発展を担ってきた。前者はその逆なのでそれに便乗しつつあまり街を変化させることはできない。住みやすくレトロな街は前者が多く住む街が多い。
▲23 ▼4
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目黒の人も品川の商店街は大好き!目黒区内は庶民的な商店街もほぼ消滅。サンモールえばらには好きな焼き鳥屋ありますし、帰りは武蔵小山のお決まりのみやこやでモツ焼きをごっそり買ったり、鳥勇でつまみ喰いして帰るのが幸せ!渋谷に行くと疲れちゃうしね。気楽に自転車で武蔵小山パルムに行ったり、戸越銀座まで歩いたりします。
▲5 ▼0
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馬込に住んでたから中延、戸越あたりはよく行ってたけど1人暮らしをするにはものすごく良いところ ただファミリー向けかというとどうかな そもそも家賃もかなり高くなってるし あんまり家族で入るような大きなお店もないから ファミリーなら大森とかのほうがいいような(大井町もいいけど多分もっと高い) 雰囲気いいし便利ではあるけどね
▲11 ▼1
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戸越銀座も近いしいい場所ですね 私は横浜在住ですが外回りで品川区はもうカーナビいらないくらい走り回りました
難を言えば道路が狭すぎるくらいでしょうか
それ以外は商店街もあり、ほのぼのした場所ですし、五反田や目黒駅も少し足伸ばせばいけますし、住みたいくらいですね
▲6 ▼1
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実家が南馬込だったので、中延や戸越はたまに買い物へ出かけたり好きな街でした。 商店街を歩くと地元のお惣菜屋さんとかリーズナブルでおいしかった! 都営浅草線中延駅近くの焼き鳥屋さんまだやってるのかなぁ。 幼馴染と時々行ってたけど、またいつか行きたいな。
▲20 ▼1
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ランキングに出てこない無名な街だけど住みやすいというと京王線住民の自分が思いつくのは仙川ですね 知り合いの不動産屋さんが仙川で家探したけどいい物件がなかったので千歳烏山にしたと言ってたのが典型的なんですが、無名ながら町の規模もちょうどよく活気があり若い夫婦などが多く上品です 伊勢丹系スーパー、星野珈琲、猿田彦珈琲、スタバとその手の店もそろってます。まぁそれは女子大が一つ、女性多めの音楽大が一つそれに女子高があるのがその理由でしょうが、そのせいで街はいつも若い女性が沢山います
客観的証明としては、京王線が駅に貼る広告費の駅別のランクを出しているのですが、その金額をみると仙川は新宿や渋谷の次位の高額な価格設定になっていて京王線自身が判断する街の価値を表していると言えます
しかも吉祥寺や下北沢などと違い知る人ぞ知る的な無名駅 住み心地いいですよ…住んでないけど笑
▲4 ▼4
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昔からよく知っている街で、品川区から大田区にかけての第二京浜沿いのこの辺り一帯は良くも悪くも下町。密集地のため大型スーパーを建てるスペースがないこともあり、いまでも商店街が残ってますね。多くの人で賑わった昔の面影はありませんが。
▲9 ▼3
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子供の頃だから、かれこれ60年以上前。 荏原中延や戸越銀座辺りに叔母が住ん出いました。 確か…井戸水を汲んでいた記憶があります。 昔の二間続きの平屋の長屋的な貸間の一軒家でした… まだ木造のゴミ箱や木の電柱でしたからね…
今、借りようとしたら高いのでしょうね。 考えてみたら、とても便の良い地域でしたよ! 商店街にアーケードが設けてあり、衣料品が安く 蕎麦やお茶屋のほうじ茶の良い匂い… 和菓子やさんで大福買ってと、子供の頃の思い出はこの地域にはとてもたくさん有ります。 今度散歩がてら、どれだけ変わったのか?歩いてみようかな…
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東京の田舎と言っている人はきっと本来の東京を知らないのでは無いかな? 東京の昔なからの良さを残している地域は良い意味での「東京の田舎」だと思います メディア等で良く紹介されている地域はどこも似通った建物等があり全国チェーン店が多く有り 綺麗で利用しやすいのだが、何か個性も無く物足りなさを感じてしまうし 地方から来た方々には魅力的に感じるのでしょうけど 明治時代からずーっと東京で暮らしている者からしてみれば 面白味や風情を感じる事は無いですね しかしそんな事を私が言っても世の中の流れを変える事など出来ないから これから東京はどんどん無機質な街になって行くんでしょうね
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以前住んでいました 駅3つあってどこに行くにも便利ですが、すぐ乗り換えなのでそれを許容できれば、ですかね 急げばタクシーで品川もすぐなので、新幹線出張のときは便利でした
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中延や荏原中延付近は、良くも悪くも昔ながらの私鉄の駅という感じで、周辺の道も狭く車も多くて雑然としていて、鉄道も池上線や浅草線というちょっと二軍感の否めない路線なのに、新築マンションは高騰し続けていて、地縁があるとかじゃないとちょっと住みづらいなと思っています。
▲4 ▼0
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近所には中延スキップロードだけでなく武蔵小山パルム商店街と戸越銀座の商店街があって便利です。住み心地が良く、このあたりは一度住んだら外に引っ越す人が少ないのも特徴です。
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戸越や旗の台に比べると中延や荏原町は少しマイナーではあるけど、割と賑やかな商店街もあって、戸越、旗の台にも徒歩圏なのでこの一帯はとても住みやすそうに思います。浅草線で都心にも出やすいし。
▲74 ▼4
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荏原中延は楽しいですよ 意外に池上線、大井町線の街は楽しい 京急ならば梅屋敷や雑色も楽しいですよ 休みの日にネット調べて昔ながらの商店街行くのお勧め、昼歩くとほっこりします 老夫婦がやる定食屋や弁当屋寄って夕飯買いましょう 楽しいですよ
▲41 ▼4
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通勤で乗り換え駅です。高校生の時代から変わらない駅周辺、数年前はツタヤが撤退しユニクロができました。都心でもあるように三井住友支店は撤退したぐらいかなぁ!あとはいい銭湯があります。取り残されてとは思わない。
▲8 ▼0
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昔、模型屋を訪ねてきた時に東急のホームから、50年代かと思うようなマーケットが見えた。中央の電柱から放射線状に電線が伸びていて滝田ゆうの漫画のような風景だった。
▲3 ▼0
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知人の実家があります。 この記事見ると田舎のような感じしますが言って品川区ですからね…。交通の便もいいし家を建てるとなると小さな家で7、8千万はするんですよ。それなりにお金がないと住めない所ですよ。
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2ヶ月ほど、会社の研修で中延駅最寄りのウィークリーマンションに泊まりました。 生活するのには何も困りません。 比較的物価も安く、店もそれなりに遅くまでやってました。(20年前のことなので今は知らない) が、生活した記憶しかありません。
研修期間の限られた時間なので、東京都内様々な所に遊びに行ったというのもあるかもしれませんが。
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品川区といっても、今の品川区は旧品川区と旧荏原区が戦後合併してできた区。中延は荏原中延駅があるとおり荏原区で遡れば荏原郡荏原町。品川も区になる前は荏原郡品川町。それがそれぞれ区になって、戦後合併すると品川区になってしまった。大田区や港区のような新しい区名にならなかった。これは品川による一方的併合だと憤慨した人もいたらしいね。
▲5 ▼0
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でも大都会の中のこういう街は無目的にブラつくのが好きです。 東京に住んでいた時は武蔵小山駅が好きでした。既に大都会でしたけど。 駅前に立ち食い焼き鳥があったり、裏通りには個人経営のこじんまりとした洋食屋がある横丁みたいなのがあったり。 確認はしてないけど、再開発で焼き鳥屋なども無くなったと聞いて寂しく感じます。 まあ、下北沢もそうですけど災害対策や建物老朽化などで町が新しくなっていくのはしょうがないんですね。特に日本は地震大国なので。
▲12 ▼0
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2000年にアメリカ駐在から帰任、同時に結婚して新婚生活を始めた街です。久しぶりの日本生活を満喫しました。現在はアメリカに移住しましたが、今でも好きな街です。懐かしいなぁ。
▲2 ▼0
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都内に所々 表は大きな国道に面して真新しいビルや店舗があるのに 細い路地に入った途端昭和の町のイメージが 残っている(取り残されているが正確かも)という感じの場所が あるよね
▲3 ▼1
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子供時代住んでました 実家があるので今でも定期的に帰りますが、良いところですよ 買い物も飯も飲みも全部あるし、戸越銀座も武蔵小山近いですし 私もいつかは戻る予定です
▲2 ▼0
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都営浅草線という路線が、新橋,日本橋,浅草といった、誰もが用があるわけではない街しか通っていないからね。 都営地下鉄の中でも一番マイナーな路線だと思う。 それだけに穴場的な住宅街が残っているのでしょう。
▲16 ▼59
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幼き日の故郷 スキップロードの縁日‥祖母に買ってもらったソースせんべいオレンジジャム‥ 商店街内に小さな個人経営の電気屋が街頭テレビのようにレーザーディスクで流してた当時のヒット映画‥記憶→ネバーエンディングストーリーや死霊のはらわたまで(笑) 忠やという今は短時間開店の小さな焼鳥屋‥昭和(80年代半ば前後)はもっと大きく所々に分福茶魔の狸の置物があり‥日夜サラリーマンの方々が賑やかに呑んでて外に大きなベンチがあり加藤茶似の可愛いおじさんが当時小学生だった自身に可愛く絡んできたり‥小さな個人経営の洗剤系製造工場から漂ってきた石鹸系のいい香り‥ 今はなき祖父が開業してた産婦人科医院。。。
中延と聞いていつになく回想してしまい 目をつぶれば当時の古き良き温かみのある昭和の風景が。。。。
長くなり失礼
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豊町に存在した手作り駄菓子屋ふじやを知っている方いらっしゃいますか?からこぶ、えび、たこ、水飴、もやし、黒酢。100円でクジ引いて点数で食べるあのお店です。お爺さんとお婆さんとお店で一緒に写真撮って今でも店内の様子を思い出せます。
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東中延生まれで23くらいまで住んでました まだ駅も地下化する前 確かにとかいなかで城南の下町 懐かしいです 今は無き駅前の柳軒という中華のタンメン、もやしソバが美味しくてね また食べたいな
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中延はいいぞー ・・って書いて手が止まっちゃたよー 俺が住んでた隣の馬込より住みやすそうな街だったけどな、なんでだろうな・・・坂が少なかったんだよ。 でもスキップロード中延駅側入り口のコロッケは安くて美味かった。今もあのお肉屋さん、あるのかな? あと、デビッド氏のラーメン屋と駅前ガード下にうどん屋さんもあった。 ユニクロの路面店があるのが不思議。
(西馬込の文化堂は建物建て替えで休業中)
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商店街が有名な街に住んだことあるけど、それより西友みたいな総合スーパー一つある方が良い 値段が最安であるより、まとめて買える方が楽 惣菜屋焼き鳥屋個性があってたまには利用したけど、現金払いの怠さには勝てなかった
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九州から上京した際、適当に中延のアパートに決めて住んだがめちゃくちゃ住みやすかった。商店街でなんでも揃うし五反田、自由が丘、大井町まですぐだし。また住みたい
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こういう所も残していかないと清潔で綺麗なオフィス街とか非常に居心地が悪いので開発しないで欲しいとは思う IR的にもオフィス街に旅行客は関心がないと思うよ
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中延商店街を無名って言うかな? 自分は大田区住まいだけど ラジオの中継やら食べ歩き番組で 紹介されるずっと前から 惣菜も豊富に売ってる商店街で 知られていたけどね。
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東京以外の人 地方出身の人 東京だったら山手線より東側の人かな には知られてないかもしれないけど 無名というほど知られてない街だとは思えませんがね 東京の田舎なんて呼ばれていたの 戦前の話ではないのですかね
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(荏原)中延といえば「中華そば多賀野」。昔はよく食べた。近くには「アルプス(ハンバーガー)」、「DJ(喫茶)」、スキップロード内には「さがみや(おかき)」「石黒(ケーキ)」「リヨン(ベーカリー)」など飲食には事欠かさない。リヨン対面の精肉店の揚げ物がまた充実。
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戦前の荏原区役所(跡地は荏原文化センター)は中延・荏原中延が最寄り駅だったし、その名残か荏原警察署・消防署もその近くにある。だから無名の街というのはどうかなと。
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昔から田舎扱いはされてないと思いますよ。 城東地区の下町出身だけど、田舎を通り越して独特って言われ続けて来たから、素敵な街と思って見てますよ。
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池上線の乗り放題や都営地下鉄の乗り放題のきっぷもあるからそういうものを使ってこの界隈を回ってみるといいかも。
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中延から徒歩5分の二葉に不動産持ってましたがリーマンショック後著しく値上がりし売却しました。立会川の暗渠も近いところでしたが治水も悪くなく良いところでした。大田区と境目ですね。
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中延駅から 徒歩20分圏内に 旗の台、戸越公園 西大井から横須賀線で横浜方面にも東京都心にも行けるし 昭和大病院あるし 第二京浜(国道1号線)と環七もある
品川、大田区は交通の便かなりいいのでおススメの居住地
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品川のイメージが今の品川駅前みたいな感じかもしれないけど、実は品川駅は港区にあり、品川区ではないというオチ。。 品川区役所も品川郵便局も大井町にあるし。。
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洗足池の◯人事件など衝撃的な事があったからね。それと不便、なのに物価が昭和時代から高い地域。自由ヶ丘のようなものだが、魅力的な店が集まってない。実は客商売って、ある程度集中、密集してないと効果的ではない。売り上げなども半減してしまう。人間、人混み嫌いと言うけど、人がいないと安心出来ないのだ。中延などは昔から人が歩いてたり自転車や車も少ない。混んでるのは一部道路の車だけ。それと道路が狭い。
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東京だから品川区だから? 都会でも田舎でもないし 大きくまとめ過ぎ
地方都市のが 都内よりよっぽど都会、現に沢山ある 東京だろうが他だろうが要は場所による
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アーケード内の照明がとにかく暗いし、シャッター店舗も多く、販売価格も特に安くはない 日常の買物するにはあまり適さないというか、選択肢に入らない
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この雑多な感じこそか都会であって、そしてそこを安心してあるけるのが東京なんだけどね。 それからするとを雑多を排除してる今の新しい東京のとある町々は…ありゃでかい田舎だよ。
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これこそ東京ですよ。 タワーマンションに立ち並ぶ街は、ただの新興住宅街といっしょです。 地元民にとって、2国、渡った側は、中延ではないですね。
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品川区は大きな商店街がいくつもあって買い物に便利な所ですね。 住居ばかりの世田谷区とは対照的です。
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荏原中延駅周辺は再開発のせいで飲食店がどんどんなくなってマンションだらけで殺風景になっていってます。地元民としては街を壊したいんだろうなって金儲け主義の区長に嫌悪感しかありません。
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品川は山手線沿線以外は下町。 地盤が低く、水害も多かった。 港区だが品川駅のおかげで多少お高いイメージが付いてしまっただけ。
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地元のお店が多く活気がある商店街がある街は良い所だよ。別に家電量販店やシネコンや百貨店が無くたって問題ない。
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京浜国道側なら都営地下鉄もあるから通勤に便利。 ただ東銀座・宝町・日本橋が都心中心部がらビミョーに外れているのが残念。
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昔ながらの良さを強調する一方で駅前再開発に期待とか、正直よくわからん街だ。くれぐれも大地震対策の防災怠りなく。
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1月3日にたまたま近くまで来ていたので蛇窪神社に行ってみたら、なんと5時間待ちでした~! 参拝断念しましたが、巳年の今年中には再訪したいです。
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同じ様な街が多いなかで、こういう古き良き商店街って、今では凄い貴重だと思う。
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焼肉のタレでお馴染みのエバラ食品の社名は、創業者が以前に事業を行っていた地名(東京都荏原区、現在の品川区)に由来。
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中延と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは中延学園高校。昔は女子高で、志穂美悦子、高樹澪、渡辺満里奈、松本ちえこなど卒業生に芸能人も多かった。
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庶民的でホッとできる良い場所だよね。昭和大学病院も近いし持病をかかえる年配の方も安心なんじゃなかろうか
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中延~戸越辺りは色々な意味でコスパの良い街。春先に近郊への通勤通学の為に引っ越しを検討中の方々にはお勧め。
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中延駅周辺はあまり変わりませんが、荏原中延駅・荏原町駅周辺の変化はおそろしいほど加速してます。
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品川区って都会のイメージですがこういう風情のある街もまだ残ってるんですね。
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東京なんてどこも人ばっかりなんだから注目されない街があってもいいでしょう。無理に取り上げたら人増えて地元の人も迷惑でしょう。
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東京の田舎ったって車のナンバーは人気の高い品川ナンバーエリア 地価だって決して安くはない
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上京したころ初めて住んでいたのが東急大井町線沿いでした。中延や戸越といった下町は懐かしい思い出
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風景だけなら、地方にいくらでもある景色なので、結局は「都心に近い」のが一番の魅力なんでしょう。
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練馬区の西の方で生まれ育った俺に言わせりゃ、東京(23区)の田舎はうちの辺りであって、中延なんて都内で都会って認識だけどな。
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億ションとかでこの辺は再開発が進んですけど、こういう言い方悪いですけど、開発から遅れているところもいいですよね、、
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東急大井町線と都営浅草線が有るから、そこそこ便利な町じゃないかね? 都民じゃないけど。
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まだ下町だった頃の大崎に住んでいた。中延も買い物にいった。東京住むなら中延。品川に近いから車も必要ないし家賃も安い。帰りたいな東京
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