( 251871 ) 2025/01/19 15:45:34 0 00 photo by istock
ある一人の看護師「千里さん」が奮闘する日々を追いかけ、ナースのリアルと本音に迫った『看護師の正体』(中公新書ラクレ)が売れている。
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“白衣の天使”たちのセクハラと恋愛事情とは?
医師にイライラするのは、どんなときなのか?
千葉大医学部から転身してクリニックを開業した外科医の松永正訓氏は、なぜ本書を書いたのか。医療現場の実態と執筆の内幕を聞いた。
――まず最初に。本書を読んでオペ室看護師(オペ室ナース)という言葉を初めて知りました。医療関係者なら誰でも知っているかもしれませんが、オペ室看護師が手術の成否やクオリティにこれほど重要な役割を果たしているとは驚きました。改めて、オペ室看護師の役割と重要性を教えてください。
松永「オペ室看護師の役割は2つです。1つは『外回り』といって、直接、手術には参加しませんが、手術が円滑に回っていくように舞台を整えます。表面には出てきませんが、外回りがいないと手術が成り立ちません。
もう1つは、『器械出し』です。何十個という(手術)器械をテキパキと外科医に手渡して行きます。器械出しナースの技量で手術時間も変わってきます。『看護師の正体』でも、新人だった「千里さん」がどんどん技量を上げていきます。腕の立つ器械出しナースは、手術において外科医と同じくらい重要な役割を果たします。
オペ室ナースは完全に外科チームの一員です。一般の人からはあまり知られていない存在かもしれませんが、ぼくは華やかな仕事だと思います」
――松永医師は自分自身、大学病院で難易度の高い手術を手がけてきましたが、どのような看護師が理想的とお考えですか?
手術中の松永医師
松永「たとえば『胃切除』を例にあげましょう。胃を切除して、胃が無くなった部分を小腸で補うことを再建と言いますが、『切除』と『再建』の手術は実は難しくありません。次に何をやるかという手順があらかじめ決まっているからです。
一人前のナースであれば、この手順がすべて頭に入っているはずです。手順を覚えていれば、外科医が次に『〇〇を渡して』と言わなくても、流れるように器械が出てくるはずです。
しかし、理想のナースは、手順のない手術で器械を出せる人です。たとえば、胃がんの『リンパ節郭清』とか、腸閉塞の『癒着剥離』には決まった順序がありません。こういう状況に対応できるのが理想のナースです。本にも書きましたが、この領域に到達するのはなかなか容易ではないと思います」
――想定外の状況が起きて、パニックになっている医師を看護師がリードするようなケースが本書に描かれています。それ以外にも看護師が外科医を助ける場面はありますか?
松永「ありますね。外科医って一人前になるためには10年はかかるんです。若いうちは、手術中に手順が分からなくなってしまったり、癒着が剥がれなくて立ち往生してしまうことがあるんです。
もちろん、そういうときのために先輩の外科医が指導してくれるのですが、ベテランの器械出しナースが助けてくれることもあります。言われなくても必要な器械をさっと若い外科医の手の中に入れてくれるのですね。ぼくも助けてもらってことがあります。
また、こういうこともありました。小児がんの手術のとき、ぼくの上司のベテラン教授が腫瘍を剥離するときに太い血管に傷をつけて大出血になってしまったんです。止血するために教授は『あれをよこせー!』と怒鳴りました。
あれって何?って感じですよね。周りで手術を見ていた医局員たちが『ペアンだ!『ブルドッグ鉗子だ!『針と糸だ!』と次々に叫びました。
そのとき、器械出しをしていたナースが、教授お気に入りの超優秀な人だったんです。名前をKさんとしておきましょう。教授は医局員たちに『Kに任せろー!!』とさらに怒鳴ったんです。
するとKさんは静かな声で、外回りの看護師に『〇〇と〇〇を持ってきてね』って頼んだんです。教授をその器械を使ってきっちり出血を止めました。つまりKさんしか正解を知らなかったんです。
アメリカの外科医は、優秀だとほかの病院から引き抜かれるそうです。そのとき必ず腕利きの器械出しナースを一緒に連れていくそうです。教授は言っていました。『オレは、絶対Kを連れていく』と」
――松永医師は前著『開業医の正体』で医師の収入や暮らしぶりを明らかにしていますが、本書では看護師の経済状態も赤裸々に書いています。実際、看護師の年収は仕事の過酷さと見合っていますか?
松永「難しい質問ですね。看護師さんは夜勤があって、本当に過酷な仕事だと思います。実際、夜勤はつらいと嘆く看護師さんがいます。しかし本書の『千里さん』は、夜勤で一息つけると言っていたのでちょっと驚きました。ぼくにはできませんね。
ナースの給与は極端に低いとは思いません。病院勤務ならば、45歳で平均年収がおよそ550万円という資料もあるようです。ぼくの友人で、夫婦で看護師という方が何人かいます。共働きで、年収が1000万円を超えますよね。
一方で、クリニック勤務ならば、夜勤がなく、入院患者もいないため、年収は380万〜400万円くらいです。週休2.5日くらいですから、そう悪くはないと思います。
しかし病院勤務の場合は、入院患者に高度なケアをしていますし、夜勤もこなすことも考えれば、もう少し医者に近い報酬でもいいように思えます。
ただ、大学病院の医師ってすごく収入が少なくて、特に『医員』と呼ばれる非常勤医師は、看護師さんより低収入だと思います。雇う側はとにかく人を大事にしてほしいですね。医療界から人材が流失すれば、この世界は成り立ちません」
――また、本書では看護師の恋愛事情やセクハラ被害も描かれています。読み方によってはネガティブにとらえられるかもしれないエピソードを書いた狙いをお聞かせください。
松永「あ、ネガティブでした? セクハラに関しては、『千里さん』の若い頃の話なので、当時はまだ『セクハラ』という言葉も一般的ではなかったと思います。その時代の医療の風景を描こうと思って書きました。今だと一発レッドだと思います。
恋愛事情については、みなさんからよく聞かれるんですよね。職場恋愛とか職場結婚って多いのですかって。ぼくは19年間、千葉大小児外科に籍を置きましたが、不思議なことに、大学病院って医師と看護師の恋愛・結婚は少ないんです。
でも、ぼくが出向した3年間の公立病院では職場恋愛・結婚をたくさん見てきました。なぜなんでしょう? 大学病院って、医師と看護師があんまり結ばれないみたいです。大学病院って異常に忙しいので、個人的に仲良くなる機会がないのかもしれません」
――病院ならではの「怪談」も興味深く読みました。やっぱり幽霊(というか超常現象)は出るときは出ますか?
松永「出ません(笑)。病院って基本的にとても明るい場所なんです。怖い場所ってないですよね。ただし、千葉大医学部には、病院から歩いて15分のところに研究棟があるんですが、これは戦後すぐに建てられた煉瓦造りの旧病院を転用したものなんです。異常に天井が高くて。夜遅くに用事があって、旧病院の中に入るのは本当に怖かったです。暗いし。
地下1階には、何十年も前の病理標本とかがあるんです。大きなガラス瓶に入ったホルマリン漬けの脚とか。大切な標本というのは分かっていますが、正直怖かったです。エレベータも怖かったですね。中がすごく広いんです。ご遺体を運ぶために大きいサイズになっているんです。
そしてなぜか、エレベーターの床に太い鎖が2本備え付けられていて。何なんでしょうか、あの鎖。いろいろ想像してしまうと、深夜のエレベータは恐怖でした」
――本書のなかで、看護師からみた「良い医師、ダメな医師」が書かれていて興味深く読みました。いまの時代、情報が豊富になって(ある程度)患者が医師や病院を選べる時代になりました。一方、看護師は選ぶことができないですね。良い看護師を選ぶ(担当してもらう)ためには、どうすればいいでしょう。何か手立てはありますか?
松永「いろいろな人がいますよね。でも、看護師さんって、どの人も基本とても真摯だと思います。ぼくは、『ちょっとどうか』という医者は見たことはありますが、ナースでそういう人はほとんど見た経験がありません。『ナイチンゲールの誓い』を胸に刻んでずっと覚えているのかもしれませんね。ですから、あまり当たり外れはないように思います。
ただ、人間には相性がありますので、そこが外れてしまうと、がっかりすることもあるかもしれません。『看護師の正体』を書いて痛感したのは、看護師さんって本当に真剣に患者のことを考えているなということです。だから、ケアに関しては思い切り看護師さんに頼っていいのではないでしょうか。遠慮しないで。
最近、千葉大病院の看護師が、いいかげんな看護をやっていたことを X(旧ツイッター)に書き込んでいて大問題になりましたね。その職員は自宅待機になっていると、千葉大病院のホームページに書かれています。
真相はまだ明らかではありませんが、ぼくは残念としか言いようがありません。そういう道徳観のない看護師をこれまでの医者人生で一度も見たことがありません。その書き込みが作り話でないならば、その人は例外中の例外です。何か病院に対して恨みでもあったのでは…と思ってしまいます」
――ナースエイド(看護助手)や特定看護師(かなり医師に近い仕事をする看護師)など、医療現場も日々進化していることを知りました。医療界にとって、今後の最大の課題は何でしょう。
写真:現代ビジネス
松永「『医師の働き方改革』がどんな結果をもたらすかでしょうね。昔、ある有名な外科医が言った言葉があります。『365日しっかり患者さんを診る。そのことに矛盾を感じなくなれば、きっとよい医療ができる』という言葉です。
この言葉が正しいとすれば、これからは365日、医者は診ませんから、よい医療にならないという理屈になります。そこをどう補うのか。これは大きな課題だと思いますね。医療の分業もどんどん進んでいます。
ぼくは自分のことをよい医者というつもりはありませんが、365日患者さんを診たし、手術だけじゃなくて、広く小児医療をやりました。ぼくみたいなタイプの医者はこれから生まれないはずです。こじんまりとまとまった医者が増えるのでしょうね。
そして時間になったら、『あとは交代』って帰宅するのが当たり前になっていくはずです。ぼくも実際、働きすぎて体を壊したので、この流れはやむを得ないことはよく分かります」
――最後の質問です。松永医師の奥さまが元ナースであることは、自伝的作品の『どんじり医』で明かされています。本書に対して奥さまはどのような感想をお持ちでしょうか。
松永「この本のラストメッセージは、看護師は患者さんにそばにいて、患者さんの話を聞いて、患者さんに尽くすことがすべてということです。ぼくも妻もまったく同じ意見だそうです。看護師も医師も、患者を見てナンボです。見なければ存在理由がありません。
このさき、AI などのテクノロジーが医療界にどんどん入ってきても、患者を見るという基本は変わらないし、AI に取って代わられることはないと思っています。AI に寄り添ってもらってうれしい…そんな患者さんはいないでしょう」
【つづきを読む】『これはエグい…外科医が驚いた!大学病院と地方の病院の「患者の違い」と、「忘れられない看護師」の正体』
週刊現代(講談社・月曜・金曜発売)
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