( 251994 )  2025/01/19 17:56:59  
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2024年に九州フィナンシャルグループが発表したTSMCの進出による経済効果が大きな注目を集めています。

熊本県ではこの経済効果を活用して、熊本空港アクセス鉄道の実現など様々な交通インフラ整備が計画されていますが、その中でも注目を集めているのが八代市と天草諸島を結ぶ架橋「八代・天草シーライン」の整備です。

この架橋は南北格差を解消し、地域の経済活性化や観光振興につながることが期待されています。

(要約)

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八代・天草シーラインのイメージ(画像:八代市) 

 

 2024年9月、九州フィナンシャルグループが発表したTSMCの進出による経済効果は、10年間で11兆2000億円規模に達するとされている。熊本県では、この経済効果を活用して熊本空港アクセス鉄道の実現をはじめ、さまざまな交通インフラ整備が計画されている。そのなかでも注目を集めているのが、熊本県八代市と上天草市を結ぶ架橋「八代・天草シーライン」の整備だ。『読売新聞』は2025年1月14日付の電子版で、このニュースを大きく取り上げた。 

 

 八代・天草シーライン構想は、1980年代に打ち出されたものだが、本格化したのは2021年からだ。『読売新聞』によれば、2024年12月にはこの構想を推進するための大会も開催され、この架橋がTSMCの経済効果が及びにくい県南部の振興の起爆剤になるとして期待が高まっている。一方で、SNSでは 

 

「誰が使うのか」 

「絶対に赤字になる」 

 

といった懐疑的な意見も多い。実際、この構想を聞いて 

 

「TSMCの経済効果による税収の無駄遣い」 

 

と感じる人も多いのではないだろうか。なぜなら、熊本県には市内の渋滞緩和や熊本市電の安全性向上といった、優先すべき交通問題が数多く存在しているからだ。 

 

 費用は800億円。なぜ熊本県はこんな架橋構想を推進しようとしているのか。その理由は、県が抱える 

 

「南北格差」 

 

を解消するためだ。2024年4月、県内経済界有志による「人口戦略会議」が発表した調査では、消滅の可能性がある自治体として県内18市町村が挙げられた。これらの自治体は主に 

 

・県南部 

・山間地 

・天草地域 

 

に集中しており、これまでも指摘されてきた「南北格差」の現実を裏付ける結果となった。 

 

 一方で、「自立持続可能性自治体」に位置づけられた7自治体(合志市、大津町、菊陽町、南阿蘇村、御船町、嘉島町、益城町)は、ほとんどが熊本都市圏周辺に集中していることがわかっている。このことから、TSMCによる経済効果を活用して、さらなる南北格差の拡大を防ぎ、恩恵を県全体に広げることが県政の急務となっている。 

 

 この課題の解決策のひとつとして期待されているのが、前述の八代・天草シーライン構想だ。しかし、八代市と天草諸島を橋で結ぶことが、どのように地域間格差の解消に繋がるのだろうか。その答えを探るため、まずは架橋構想の内容を見てみよう。 

 

 八代市の資料によると、この架橋は 

 

・八代市「八代港外港地区」 

・上天草市「阿村地区」 

 

を結ぶ計画で、八代海を横断する約8.8kmの橋梁が建設される予定だ。この橋が完成すれば、現在は三角半島(宇城市)を経由している天草諸島と本土の交通状況が大幅に改善する。例えば、八代市から上天草市の合津までの移動時間は、現在の90分が30分に短縮される。さらに、天草市の本渡までの移動時間も、120分から60分に短縮される見込みだ。この時間短縮によって地域間のアクセスが向上し、天草地域への経済的な恩恵が期待されている。 

 

 しかし、ここでひとつ疑問が湧く。八代海を挟んで向かい合う八代市と天草諸島の間に、そもそも移動需要がどれほどあるのだろうか。 

 

 

天草諸島(画像:写真AC) 

 

 天草諸島は、かつて島内の道路整備が遅れていたため、本土の都市と島の港を結ぶ多くの航路が存在していた。 

 

 しかし、1966(昭和41)年に天草五橋が完成し、本土と橋でつながるようになると状況が一変する。この橋は需要が非常に大きく、1975年には早くも償還を終えて無料化された。その結果、各地を結んでいた航路は次第に縮小し、八代港と合津(上天草市)を結ぶ航路も2013(平成25)年に廃止された。 

 

 一方で、天草諸島の富岡港(苓北町)と長崎市を結ぶ航路は、事業者が撤退したものの、長崎大学病院への通院に必要だという地域の強い要望があり、地元企業の出資で設立された新会社によって存続している。これに対して、八代~天草間の移動にはそのような需要を支える動きが見られない。こうした背景を考えると、架橋に否定的な意見が出るのも無理はないだろう。 

 

 しかし、この計画には、単なる交通利便性の向上以上の意義がある。その意図を理解するために、まずは八代市という都市の価値に目を向けてみよう。 

 

 八代市は、人口約11万7000人を有する熊本県内第3の都市だ。全国的な知名度は高くないが、1922(大正11)年に十條製紙(現・日本製紙)が進出したのを皮切りに、現在では五大企業、 

 

・興人フィルム&ケミカルズ八代工場 

・日本製紙八代工場 

・メルシャン八代工場 

・YKK AP九州製造所 

・ヤマハ熊本プロダクツ 

 

が立地する工業都市として発展している。また、冬春トマトとイグサの生産量が日本トップクラスという、農業でも重要な役割を果たしている都市だ。 

 

 そのほか、新八代駅を含む八代市のポテンシャルは次のとおりだ。 

 

●交通の要衝としての価値 

・九州新幹線、九州自動車道、南九州西回り自動車道といった主要交通網が交わる地点。 

・アジアの主要都市への近さ(釜山まで約300km、上海まで約900km)。 

・九州で新幹線と国際港湾の両方を持つ数少ない都市のひとつ。 

 

●物流拠点としての価値 

・総取扱貨物量が420万トン(2021年速報値)に達する熊本県内最大の貿易港。 

・中九州エリアの物流の中心地。 

・原木輸出において、取扱量と取扱額の両面で全国トップクラスを誇る。 

 

●産業基盤としての価値 

・日本製紙、YKK AP、熊本くみあい飼料、ヤマハ熊本プロダクツなど、地元を支える「五大企業」が立地。 

・飼料関連、アルミ建具関連、石油関連、製紙関連、船外機製造、セメント関連など、多様な製造業が集積している。 

・中九州エリアの飼料生産の拠点でもある。 

 

 さらに注目すべき点として、熊本県では九州自動車道八代インターチェンジの北東に、新たな県営工業団地の整備を計画している。この計画は、TSMCの第3工場誘致を見据えたもので、八代市内でも誘致の実現に大きな期待が寄せられている。 

 

 

八代・天草シーラインのウェブサイト(画像:八代・天草シーライン建設促進民間協力期成会) 

 

 では、天草の状況はどうだろう。人口規模では消滅可能性自治体とされるものの、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」やイルカウォッチングといった観光資源のポテンシャルは高い。天草全体の観光客数は、コロナ前の2018年には529万4850人を記録していたが、2023年には357万3893人に減少している。 

 

 天草市が実施する観光動向調査の第13回調査結果(2023年)によると、「あなたは、天草を親しい友人やご家族に、どの程度お勧めしたいと思いますか?」という問いに対し、「とても勧めたい」と回答した人の割合は、 

 

・県外客:36.6% → 45.2% 

・県内客:46.9% → 49.5% 

 

へと増加している。しかし、高い満足を得るのは現状、半数程度にとどまっている。この結果は、天草の観光資源が十分に活用されていないことを示唆している。 

 

 その要因のひとつが、アクセスの問題だろう。現在、天草への主要ルートは熊本市経由の天草五橋に限られており、観光客の行動範囲や滞在時間に制約を課している。八代・天草シーラインの整備は、この制約を解消するだけでなく、観光客の行動パターンを大きく変える可能性を持つ。 

 

 現在、八代市でも、八代港にクルーズ船の寄港を促進する「くまモンポート八代」が整備され、熊本県南部の観光客誘致が意欲的に進められている。架橋が実現すれば、新たな観光ルートの整備にも期待できるだろう。 

 

 観光客誘致が架橋の主な目的ではない。架橋により、広域経済圏の新たな形成も視野に入る。八代市が天草諸島、 

 

・天草市:約7万人 

・上天草市:約2万人 

・苓北町:約6000人 

 

の人口を経済圏に統合できるのだ。これは単なる数値の合算にとどまらない。八代市が持つ産業基盤と、天草諸島の人材が補完的に作用し合うことで、新たな経済的協力関係が生まれる。 

 

 架橋により通勤圏が拡大し、八代市と天草諸島間の人材流動が活発化することで、地域全体の経済活性化が期待される。「消滅可能性」という課題を抱える天草諸島に新たな可能性をもたらすことができるのだ。 

 

 この架橋構想は、地方創生の新たなモデルとして注目されている。TSMCの経済効果を県北だけでなく、県南地域の再生にも生かすことで、過疎化に直面する日本の地方都市の未来像が示されているのである。 

 

碓井益男(地方専門ライター) 

 

 

 
 

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