( 252123 )  2025/01/20 03:45:07  
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日銀辞めてホームレスにーーフードデリバリーをして生きる日々 他人と働くことへの葛藤 #ザ・ノンフィクション #ydocs

フジテレビドキュメンタリー 1/19(日) 14:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/5be46d58c38072cd0a59fdbdcfa75f8c0a8348c2

 

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新型コロナウイルスのパンデミックにより、フードデリバリーサービスが定着した街の風景が取り上げられています。

記事では、フードデリバリーの仕事を通じて生計を立てている配達員の高山さんの実体験が描かれています。

高山さんは日本銀行で働いていたエリートコースのキャリアを持っていたが、うつ病と失業で苦しむ過程や家族の不幸と向き合った過去が描かれています。

フードデリバリーの仕事を通じて生活を立て直し、再び社会復帰を果たす高山さんの姿が描かれています。

(要約)

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(c)フジテレビジョン 

 

コロナ禍で、街の新たな風景として定着したフードデリバリー。 

 

スマホと自転車さえあれば、自分のペースで稼ぐことができる新たな職は、自由な働き方を望む人だけでなく、失業者や収入が減った人など、様々な事情を抱える人たちの雇用の受け皿となった。 

 

都内のカプセルホテルに生活の拠点を置き、家族の不幸や自身のうつ病に苦しみながら、今日を生き延びるために2022年3月から配達員として働いていた高山さん(仮名・当時30歳)もまた、そんな一人だ。 

 

ところが自由に働ける反面、収入の不安定さを抱えるフードデリバリー。 

 

一体、いつまでこの仕事で生きていけるのだろうか。 

 

様々な不安と向き合いながらも、再起をかけて自転車を漕ぎ続けた男の行方を追った。 

 

配達中にかつての職場・日本銀行前を通る高山さん 

 

2022年6月。初夏の暑さの中、高山さんのスマホに通知が入る。 

 

注文はアイスクリーム。届け先は、店から3.7km離れたマンションだった。 

 

デリバリーバッグは保温保冷機能があるものの、気温は30度近く、配達は時間との勝負だ。高山さんは慎重かつ迅速に自転車を走らせた。 

 

無事に届け終えると、報酬は972円。1回の配達にしては割高な額だ。 

 

配達員は原則、企業と業務委託契約を結んだ個人事業主。その収入は出来高によって決まるため、配達員たちは効率的に配達をこなす工夫が必要とされる。 

 

高山さんも4社のアプリを使い分け、より報酬の高い注文を受けていた。 

 

「稼ぐコツさえ掴めば、自由に働けるし最高ですよ」 

 

注文が殺到する時間帯だけ働き、疲れたら宿で休むというというのが高山さん流の働き方。 

 

ひと月の稼ぎは25万円ほどだった。 

 

都内を縦横無尽に走り回る高山さんの姿は、一見すると元気に自由な人生を謳歌しているような印象を受ける。しかし2年前まで彼は、配達員をする今とは、程遠い人生を歩んでいた。 

 

神奈川県で生まれ育ち、幼い頃から成績優秀。地元の進学校を卒業すると、早稲田大学政治経済学部へと進んだ。 

 

就職先は、日本銀行。いわゆる“エリートコース”のど真ん中を歩んでいた。 

 

ところが職場では、周囲からのプレッシャーに苦しむ。「仕事がうまくいかないのは自分のせい」と自身を責め続け、憂鬱な日々が続く。 

 

すると、通勤中に体の震えが止まらなくなった。症状がひどい日は家から出られなくなり、自分が壊れてしまったことを痛感した。 

 

精神科を受診すると、医師からうつ病と診断。 

 

「ここにいてはいけない」と、職場を去る決断をした。2020年3月、社会人になってまだ5年目のことだった。 

 

 

カプセルホテル暮らしの高山さん 

 

その頃、実家で大工をしていた父親から電話で相談を受けた。 

 

「体調を崩して、仕事がなくなっちゃったよ。どうしよう」 

 

初めて聞く、父親の弱音。 

 

しかし退職したばかりの高山さんは余裕がなく、「自分もうまくいってないけど、お互い頑張ろうよ」とだけ返した。 

 

すると5日後、今度は母親から電話があった。 

 

「お父さん、死んじゃった」 

 

父親は自ら命を絶ってしまったのだ。 

 

実家が凄惨な状況だったのは、高山さん自身も知っていた。8年間引きこもっている兄と、振り込め詐欺で1000万円を騙し取られた母親。そんな家族を一人で支えていたのが父だった。 

 

しかし父自身も収入を失い、頼れたのが高山さんだけだったのだ。 

 

「あの時、何て言葉を返せたら良かったんだろう」と、父からの電話を何度も振り返る日々。 

 

「実家に戻って家族を支えられたら…」と少しは考えたが、うつ病で退職したばかりの高山さんにそんな気力を持つだけの余裕はなかった。 

 

そんな自分に対して、「自分は職場の人たちだけでなく、家族さえとも向き合えない」という自責の念が再び襲いかかると、ますます何も手につかなくなった。 

 

アパートに引きこもる生活は2年間続いた。 

 

貯金が底をつきそうになり、「なんとか稼げる手段はないのか」と始めたのがFXだった。多少儲けがでることもあったが、すぐに負けが続くようになった。それでも投資を続け、気づいた時には借金を抱えていた。 

 

その額は、カードのキャッシング47万円と、消費者金融から47万円、合わせて94万円だった。 

 

アパートの契約更新もできなくなり、高山さんはホームレスになってしまった。 

 

借金返済のため台風の中でも配達に出る 

 

実家に戻る決心もつかず、1泊1500円のカプセルホテルに転がり込んだ。 

 

再就職を試みるも、コロナ禍で見つからない。それでも、今日を生き延びるためのお金を稼がなければならなかった。 

 

そんな中、街でふと目にしたのが自転車で走り回る配達員だった。「これならできるかも」と希望を見出した高山さんは、すぐさま中古ショップで自転車を購入した。 

 

無我夢中で配達をこなしていくと、初月の収入は25万円。 

 

自分のペースで、人とのコミュニケーションも最低限で仕事が完結する働き方は、高山さんにピッタリだった。 

 

ところが、配達を続けて4カ月。仕事に慣れてきた一方で、高山さんの中では“ある感情”が大きくなっていた。 

 

SNSを見ると、充実した日々の様子を投稿する同級生や、日銀の同僚たち。 

 

「彼らはフードデリバリーを頼む側の人間で、片や自分は彼らのために食事を届ける側の人間。明らかに立場が違う」と、引け目を感じ始めていたのだ。 

 

さらに、その引け目を助長したのが、業界が抱える不安定さだ。 

 

配達員には最低限の補償が制度化されているものの、体調不良やケガによって働けなくなった途端に収入が途絶えてしまう。 

 

自分もいつまでできるだろうか。高山さんは、先行きの見えない恐怖にさいなまれていた。 

 

2022年8月、転機が訪れる。毎月の支出を整理している中で、日銀時代に積み立てていた個人年金保険を見つけたのだ。 

 

「解約の返戻金で、借金返済ができるかもしれない」 

 

藁(わら)にもすがる思いで解約手続きをすると、支払われた金額は118万円。借金を全額返済できる額を見て、高山さんは安堵した。 

 

しかし、これまで借金返済のため夢中で配達していたことで、忘れることができていた感情が高山さんを襲った。 

 

周囲の期待を裏切り続けてしまった自分への不信感。働いてわずか4年で打ち砕かれた、エリートとしてのプライド。 

 

暗い過去と縁がある場所を通る度に、心の傷がうずいた。 

 

父の死に対する後悔も同様だった。実家は電車でわずか2時間の距離。あの日の電話を思い返す日々が続いた。 

 

強まる喪失感や後悔に整理をつけたい。 

 

そのためには、そんな暗い感情から距離を置くことが必要だった。 

 

高山さんは、負の感情が散らばる東京から離れることを決心。 

 

2022年9月、自転車で日本一周を目指す旅を始めた。 

 

まずは関西へ向かうことにした。道中の生活費は、各地で配達をすることで工面する計画だった。 

 

旅の初日、静岡駅を目指した。地方でもデリバリーで稼げるのか、という不安を抱えながらの出発。午後8時、静岡駅に到着し同時にアプリを確認すると、すぐに注文が入った。 

 

立て続けに3件の配達をこなし、地方でもフードデリバリーで生活ができると一安心。 

 

その後は浜松、豊橋、名古屋、と主要都市を目的地としながら旅を続けた。 

 

 

しかし、旅を始めて半年後、高山さんの姿は神奈川にあった。聞けば、大阪で日本一周の旅を断念し、引き返してきたというのだ。 

 

その背景には、地方都市のフードデリバリーの実情があった。配達依頼が常に入る東京に対し、地方では、ランチやディナー時間を過ぎると、注文がぱったり止まってしまうのだ。 

 

一日の生活費3000円の中で、日の稼ぎは2000円前後。大都市の名古屋で、ようやく4000円を超えるほどだった。 

 

それでも西に行けば稼げるはずと信じ、2022年12月、大阪に到着した。一度、旅費を貯めなおすため、高山さんは拠点を西成の簡易宿泊所に決めた。 

 

しかし数日間過ごすと、「何のために旅に出て、なぜここにいるんだろう」と、頭の中でこの旅への疑念と後悔が渦巻いた。暗い感情を振り払おうと配達に繰り出すが、一度生まれた後悔は止まらなかった。 

 

「こんな苦しいことはやめて、楽になりたい…」 

 

高山さんは宿から出られなくなってしまった。 

 

気持ちが落ち着いたのは、2カ月後。自転車を折りたたんで新幹線で帰路に就いた。 

 

3カ月かけて進んだ道のりは、たった2時間であっけなく後戻りとなった。 

 

都心を配達中の高山さん 

 

行くあてのない高山さんを受け入れてくれたのは、実家の家族だった。母と兄、祖父母の4人と過ごすことになった。 

 

当面の生活費は祖父母の年金と、高山さんの手元に残ったわずかな貯金で賄なった。 

 

「避けていた実家に舞い戻ってしまった。何一つやり遂げられない自分に、生きる価値はあるのだろうか」 

 

「神童」と呼ばれた、かつての自分の部屋で過ごしていると、後悔と不甲斐なさばかりが心に影を落とした。 

 

部屋にこもりっ切りの日々は、2年間も続いた。当然、貯金も底をついた。 

 

窮地に陥った高山さんは、遂に転職サイトを開く。半ば諦めながらも、手当たり次第に400社へエントリー。すると、4社から書類通過の通知が届いた。 

 

「こんな自分を受け入れてくれる場所があるかもしれない」 

 

そう思えた時、面接に対して勇気が湧いた。2カ月後、日銀でのキャリアと配達員一本で生活したパワフルさを買われ、都内にある金融関係の企業に採用が決まった。 

 

「最初は何もできなくてもいいから、一緒に少しずつ頑張っていこう」 

 

採用担当者がかけてくれた言葉が、高山さんを長く苦しめていた、人と働くことへの恐怖を少しだけ和らげてくれた。 

 

再出発は2025年1月。 

 

スーツに袖を通すのは、実に5年ぶりのことだった。2時間電車に揺られ、都内のオフィスを目指した。 

 

「フードデリバリーという仕事があったから、今、前を見ることができているんだと思います」 

 

コロナ禍の不況をしのぐために、多くの人が始めたフードデリバリー。 

 

高山さんにとっては、うつ病や失業、そして家族の不幸という一度に背負うには重すぎる問題と向き合う猶予を与えてくれた、大切な仕事だったのかもしれない。 

 

(取材・記事/真壁優仁) 

 

※この記事はフジテレビ「ザ・ノンフィクション」とYahoo!ニュース ドキュメンタリーの共同連携企画です。 

 

 

 

ザ・ノンフィクション 

 

 

( 252125 )  2025/01/20 03:45:07  
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このコメント群は、挫折や苦難に立ち向かう姿勢や生きる強さ、人間関係の重要性などについて述べられています。

複数のコメントでは、この記事の主人公の経験を通じて、人生には思わぬ困難が待っていることや、その困難を乗り越えるためには自己研鑽やサポートの重要性が指摘されています。

また、個人の経歴や条件によって成功や幸福が定義されるわけではなく、自分自身を大切にしながら前に進むことの重要性が強調されています。

精神的な健康や適応障害についても言及があり、自分自身の苦しみや悩みに向き合うことの大切さが強調されています。

 

 

(まとめ)

( 252127 )  2025/01/20 03:45:07  
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=+=+=+=+= 

 

人生そこそこ長く生きてきた者として感じるのは、エリートからどん底になり、うつになり引きこもり、父親が自殺し、母親が多額の借金をし、兄も引きこもり、人生の不幸が一気に押し寄せているが、何とか生きてきた、生き延びてきたという主人公。 

おそらくこの人はうつを克服し、知らず知らずに強くなっている。 

人生はどんな人でも順風満帆には行かない。必ずつまずいて、悩み苦しみ精神的にも追い詰められる。そのどん詰まりの状況をどう乗り越えられるか。主人公を採用した会社は乗り越えてきた彼の強さに期待して採用したのだろう。もちろん地頭の良さもあるだろう。 

だから人生が上手くいっている人は必ず窮地がやってくることを覚悟しておいた方がいい。 

人生は良いことと悪いことの繰り返しであり、その悪い状況をどう切り抜けるか、乗り越えるのかがその後の人生を左右する。 

どん底を経験した人は強いし、優しいし、生きる意味を知っている。 

 

▲6478 ▼337 

 

=+=+=+=+= 

 

人生いつ予期しない出来事が起きるか分からないという教訓を示してくれる典型的な事例ですね。  

ただ、この方は早稲田大学出身で日銀に勤めていたことがあるという経歴からポテンシャルを見出されての採用をされたのだと思いますし、そう考えると日々の自己研鑽は大切だなと改めて感じました。  

私も過去に独学で宅建とFP2級を取得し、それが今の仕事に活きていますが、この方を見習ってこれからも自己研鑽を日々積み重ねて更なる高みを目指して頑張っていこうと思います。 

 

▲415 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

ポテンシャルがあることを理解して、それを引き出す職場環境を従業員に提供することも会社としての使命だという方針が無ければ、採用されなかったやろうな。人事担当者の個人的な思いなのか、会社としての方針なのかはわからんが、就職してからの10年は自己評価が低くなりがち。技術を習得するには年月を要するので失敗することは当たり前。周囲はもちろんやが、多くの若者も失敗することで成長する、10年後に一人前になっていればオーケーという思いで、失敗は気にせず、前向きに頑張ってほしい。 

 

▲257 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

この方、思い当たるところがあり、Xでほぼ同じ経歴・内容で投稿している方がいらっしゃって、ある日、アカウント凍結されてしまいました。 

おそらくこのドキュメントの経歴内容とほぼ一致するので、その方ではないかと推察しました。 

当時、自分はすごく心配して応援のメッセージを送っていたりしたのですが、もし同じ方であれば、今、こうやって新しい一歩を踏み出せてよかったですね。 

 

▲1913 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

元日銀職員なFXよりも普通に株券を買った方が良いのは解っているのにね。 

株に関しては、その会社が何をしていてどういった業績を上げているのかも解っているのだから一目瞭然だよ。 

日銀職員って全員がまともだと思っていたけどね 

 

▲3 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

私も心を病みました。それまで、仕事で苦しい事や厳しい事も何度もあったけど、何とか乗り越えてきたはずだったのに、とうとう乗り越えられない日が来ました。病になる前はわからなかった事が、病で休職した事によって、いろいろ見えてきました。今はこの方の気持ちがよくわかりますが、前の自分だったら、この記事を読んでも今ほどは理解できなかったな、と強く思います。 

 

そんな病気なんて自分はならないだろうなんて思っていたはずなのに、その日はやってきましたし、客観的に見てどんな人でも可能性はあるな、と強く感じます。 

 

誰しも人生を生きているとそんな日がいつかやってくると思います、その時は、すぐにそこから立ち退く事が大事なのと、逆に日頃から誠実にいる事でそうした時には周りの人が大なり小なりサポートや手を差し伸べてくれるはずです(日頃横柄な人に困った時だけ助けようとは相手も思わない)。 

 

▲1335 ▼48 

 

=+=+=+=+= 

 

娘が適応障害と診断され休職中です。 

有名大学を卒業し就職最難関と言われる企業に入って一年目です。 

真面目でとても繊細な性格なので神経をすり減らすことになるのはある程度覚悟はしていました。 

責任感に加え好奇心と向上心が人一倍強く気が付かないうちに頑張りすぎてしまうのだと思います。 

それは長所であると同時に弱点にもなる部分で、今後どう折り合いをつけていくかが課題だと思っています。 

今の仕事はやり甲斐もある一方プレッシャーもすごいのでいずれは心から好きで楽しめることを仕事にしてくれるといいなと思っています。 

心を壊してまで頑張らなければいけない仕事はないと本人もわかっているようなので、今はとにかくしっかり休んで体と心の健康を取り戻してほしいです。 

 

▲1127 ▼69 

 

=+=+=+=+= 

 

ご自分にあった仕事でなければ、それが仮にエリート職であっても辛い事には変わりないです。だから、辞めて配達員に転職された事は正解だと思います。そして、ご家族も大変な思いをなさって、まるで日本社会が抱える問題の縮図のようなご家族だと感じましたが、お兄さんが引きこもりから解消して働く事が出来るようになると良いです。鬱や配達員など色々、経験された事はこれからのお仕事でも役に立つと思います。どうぞ、新しい職場でもご無理なさらずに、自分のペースでお仕事をなされば、元エリートで才能はあるでしょうから、上手く行くと思います。これからのご活躍をお祈り致します。 

 

▲613 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

人生いつ予期しない出来事が起きるか分からないという教訓を示してくれる典型的な事例ですね。 

ただ、この方は早稲田大学出身で日銀に勤めていたことがあるという経歴からポテンシャルを見出されての採用をされたのだと思いますし、そう考えると日々の自己研鑽は大切だなと改めて感じました。 

私も過去に独学で宅建とFP2級を取得し、それが今の仕事に活きていますが、この方を見習ってこれからも自己研鑽を日々積み重ねて更なる高みを目指して頑張っていこうと思います。 

 

▲408 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

人生、人の上に立ったり、地位や名声があったり、使い切れないほどの金があったり、みんな振り返るような配偶者を持ったり、家が買えるような車を走らせたり、宝石まみれの時計を持ったりすることより大事なことはたくさんあります。その中のひとつふたつ持てれば人生大成功。 

 

▲625 ▼54 

 

 

=+=+=+=+= 

 

うつ病はマイナスなイメージですが、この方は前向きに生きている印象を受けました。 

仕事には向き不向きがありますし、高給でも不向きな仕事で身体を壊していたら意味がありません。 

一定期間の辛抱も大切ですが、自分の決めた期限で解決できず、不向きな仕事で身体を壊しそうになったらすぐさま気持ちを切り替えて、新しい職を探すのは有りだと思います。うつ病になってからでは遅すぎます。 

気力があるうちに動かなければいけないと思いました。 

 

▲337 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

学生時代に勉強して一流大学に入学されたこと、職場でのプレッシャーから退職されたこと、デリバリーの仕事もきちんと計画をたてやり遂げ皮肉にならずお客さんに感謝すること、お父様のことで自分を責めること、どん底にいながらもちゃんと再就職の応募をしたこと、誠実な話し方、すべてこの方が真面目で人のせいにしたりせず、責任感の強い真に頭の良い立派な方だからだと思いました。 

 

▲158 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

アラフィフの私の実家近くにも「神童」と呼ばれ、田舎町から東大に進学・卒業した歳上の方がいました。その方の卒業後については知らなかったものの四十代になって心を病んで田舎に戻り、そのまま引きこもりになったあとに自死したと聞きました。端からみると順風満帆に見えるようであっても、心は満たされているとは限らず、幸せとはなんなのかと考えさせられる出来事でした。この方もここからまたどうなるかわからない部分もありますが、是非とも幸せになっていただきたいと思ます。 

 

▲226 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

主婦で配達員をたまにやってます。物価高で生活費を増やす為に隙間時間自由に動ける好きな仕事ですが配達員というだけで見下し態度を急変させる店員などもいて誇りを持ってやっていても傷ついたりします。主人公さんも色々と悔しい思いしたと思います、これから幸せになってほしいと願っています。 

 

▲284 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

自分もフードデリバリーをやったことがありますが真夏にアイスクリームの注文が入った時店からお客様の家まで900mくらいだったので手持ちで自転車で運んだのですが3分程で到着してお客様に手渡しして難なく配達完了ボタンを押して数分後運営から連絡がありアイスが溶けていたとクレームが来ておりました 

それ以降近場でもしっかり保冷剤などを入れ完璧にやるようになりました 

一応3年やり9000配達ほどやり評価は99%ほどです 

 

▲561 ▼103 

 

=+=+=+=+= 

 

本当に、大変な時間を過ごされたのだなと思います。 

人は、誰しもが今ある社会にフィット出来るものではないと思っています。 

そして、それは周りの人間関係というファクターが加わることで、不確定さは更に増していったりするのでしょう。 

しかしながら、過ぎ去った日々に心を砕いても変わることは何もありませんから、これまでのことは、これからの人生にとって必要なことだった思い直して一歩でも、半歩でも前に進んでいって欲しいと思います。 

 

▲153 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

自分自身もうつ病を抱えながら警備員の仕事をフルタイムでしている。今の現場は、いわゆる孫請けみたいな現場なので、下請けの社員からの叱責を受けたりすることもあって、非常にストレスが溜まりやすい現場で、自分自身も最初の頃は円形脱毛症になった。この人はずっとエリートで生きてきたのが、社会人になって挫折を味わうわけだが、長い人生で挫折のない人生はないと思う。その挫折を歯を食いしばって乗り越えるか、挫折したまま終わるのかでその人の価値が出てくるかと思う。この人は、自分自身の力で挫折を乗り越えたのだから、この先きっといいことがあるかと思う。陰ながら応援したい。 

 

▲106 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

40半ばまで全力で働いてきました 

年齢的に管理職になり更に高い目標を 

持って仕事に臨もうとしていました 

その矢先、急に身体がだるくなったり 

思うように仕事ができず今までできた 

ことができなくなりました。家族から 

笑顔がないことや口数が減ったといわれ 

妻のすすめで心療内科を受診しました。 

医師からうつ病を発症していると告げられショックを受けました。しかし、妻はそうだと思ったと私に一言。今は冷静に自分のうつ病を受け止めています。振り返ればいつも無理をしていた自分がいました。人生は一度きりなので楽しくないもので終わらないようにしたいです 

 

▲115 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

うつ病の中も誰の助けも借りずに自力でホームレスから再就職まで這い上がった、この方は本当に強い人だと思います。こんなエリートも順風満帆にはいかない、これが人生なんだろうなと思うと自分の悩みなんか小さなものだなと感じます。困難にぶち当たっても、突き進んでいくことが大切なんですよね。 

 

▲189 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

何もかも持っている人はいないです。順風満帆の学生生活を送っても就職1年目で休職することになったり、誰もが振り返るほどの美人でも配偶者に恵まれずシングルになったり、羨むほどのお金や地位を持っていても中居さんのようなこともある。子どもが欲しいのに持てなかった、子どもが難病に、父親が借金、兄弟が犯罪、祖父が認知症、災害や事件事故…本当に何もない家庭や人などいないでしょう。生きていれば何かしらはあるのです。だからといって日々怯えて何もしないのではなく、できうる備えはしてやりたいことに挑戦し続ける。そして、側にいてくれる人を大切にする。後悔のない生き方をしたいですね。 

 

▲103 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

私も同じような境遇で現在配達員をしています。父親の病気を苦に母親が自ら命を断ちました。介護と育児のタイミングが重なり精神的に耐えられなくなり仕事を辞めました。周りからは色々言われる仕事ですが複雑な過去や環境を抱えて働いている方も多い印象です。不安定な稼ぎでも自分のペースで他人と極力関わらず働ける環境は自分にとってはありがたいですね。 

 

▲94 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

私も妻を病気で亡くし4歳の子供と二人で生きていく事になり、自信のなさからか心を病んだことがあります。子供が体調を崩して休む度に上司からなぜ休むのか毎回同僚の前で詳しく説明させられた。当然残業も難しく、いつまでこんな働き方をしていくんだと責められた。でもこの方のように退職する勇気もなかったので、何を言われても仕方が無い、公務員だから最悪クビにはならないだろうと開き直り今まで10年頑張ってきた。 

この間は精神病薬は欠かせなかったが最近になって少しずつ減薬でき、子供も思いやりにある優しい子に育ってくれた。心の病気とは上手く付き合っていけるといいですよね。この方も無理しないで少しずつ社会復帰できるといいな。 

 

▲118 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

自分はプライム企業のコンサルとして働いていましたが、長時間労働とクライアントや社内からの過剰な期待値に対するプレッシャーから精神的に病んでしまいました。周りからは高給取りと羨ましがられましたが、休み無く仕事をしていて誰のために生きているのか疑問に感じるようになり、タクシードライバーに転職しました。年収は下がりましたがライフワークバランスのとれた生活をおくれ自分らしく生きられることに充実感を得ています。今の環境が苦しく悩んでいる人は自分を守るために逃げてもいいということを伝えたいです。 

 

▲90 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

うつ病や適応障害には、打合せで誰かが喋っている内容が全く理解出来なくなったり、集中力がなくなったり、以前と比べて能力がガクッと落ちたな、と感じることがあります。手遅れになる前に、心療内科を予約して、診断書もらって休んでください。苦しいと感じながら会社に行く時間は短ければ短いほど良いです。通勤中に涙が溢れてくるとか、身体が動かなくなるとかは、手遅れに近いことです。休むまでに時間がかかると治るのにも時間がかかります。どうか自分の気持ち、心を大事にして下さい。 

 

▲54 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人生いろいろあるが、時代はどんどん変わっていくから、一見不遇に見える状況でも塞翁が馬で後に良い縁があってうまくいくことがある。友達はだいぶ昔にリストラされてその後の起業もうまくいかずに10年くらいギリギリの生活を送ってたけど、IT関連で流行がきて急に収入が増えて、たぶん今は働いていた時に想定される生涯賃金の何倍かの資産を持ってると思う。 

 

▲67 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

高山さんは、また壁にぶつかっても、今度は一人で解決しようとは思わず、周りの人を頼って欲しいと思う。社会は個人の能力よりも人間関係でできていて、誰かが誰かのドアを開いてあげることでお互いの人生が進んでいくものだと思うから。そして、高山さん本人に余裕ができたら、今度は誰かのドアを開く役割を果たして欲しい。 

 

▲60 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

強く、人間性に魅力のある人だと思います。根がとてもやさしいんでしょうね。 

 

優秀な学業を修め大企業へ就職し人がうらやむような見た目になることだけが成功ではないです。むしろそんなコース・場所でうまくいくような人は普通の人間ではない。彼は自分のことを見捨ててはいないのでゆっくり次の人生を確実に歩んでいくと思います。幸せになってもらいたい人です。 

 

▲45 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私も似たような身ですが、女なので結婚へ逃げました。 

しかし、SNSで輝かしい活躍をする周囲を見て働いてもいない自分に自責の念が募り、育児やいろんなことに行き詰まり結局うつ病になってしまいました。 

寝たきりで家事もろくにできず、子どもの相手もできない。もちろん仕事のない自分になんの価値もないと、辛くて死にたくなりましたがそれでも家族の支えがあって今なんとか命をつないでいます。 

生きているだけで十分尊いも思えるようになれば、きっとここから抜け出せるのでしょうか。 

波のある体調に一喜一憂しつつ、また今日の日を過ごしています。 

 

▲265 ▼35 

 

=+=+=+=+= 

 

読んでいて働き始めた息子を思い、胸が苦しくなりました。早稲田、日銀に入る優秀さとデリバリーで頑張る胆力がある方なので、働きやすい職場に巡り会えたらきっと活躍されると思います。 

お父様や実家の状況はあなたのせいではないと思います。身体に気をつけて頑張ってください。 

 

▲146 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

自分はエリートでも何でも無く建築士として建築業界で働いてきましたが10年位前に、うつ病となり職を失いました。人との会話含めて、ある程度までは日常生活が出来るようになりましたが未だに仕事が出来ず。一人しかいない兄からは援助をうけている訳でも無いのに、働かずして親の金や遺産で生きて行くつもりか!等と言われています。優しい友人達や人生の先輩方、元部下等が色々と気にかけてくれているので何とか生きてられてます。国や行政として何かサポートして欲しいのが本音です。ちなみに行政がやっている、うつ病の相談窓口など全く通じないし、窓口がいくつかあり訳が分からないし、0570の有料番号まであるひどい対応です。 

 

▲48 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

もがき苦しみながらも前に進もうとした気力が功を奏した。もちろん、この人の経歴も関係ある部分ではあるが、抜け出せない人と決定的に違うところがある。それは、生きることを止めなかったこと。 

休みながらも動く身体を動かし続けたこと。 

身体を休める場所があったこと。だと思う。 

人が労働するには必要でどれも大切な条件。 

それにしても他人と比べるのは、羨むことで気持ちが滅入るならやらない方が良い。 

他人の状態より自分の状態の方が大事。 

 

▲22 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

誰からの支援や応援もなく、一人もがいてもがいてよくぞ立ち直ったと思います。 

部屋から出られなくなるなんて、振り返って語れば一行で終わってしまいますが、なった者にしかわからない想像以上の苦しみだったでしょう。 

どん底を味わうと人を見る目も養われて、その人がどういう人かが分かる。これからは自分の負になることを避け、ゆったりと大らかに生きていって欲しいです。 

 

▲65 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

振り込め詐欺さえなければ少しは違ってたのでしょうね。振り込め詐欺が許せない。ご本人はじっくりゆっくり体と心を整えてから、今後を考えれば良いと思います。エリートからの脱落という考えも持たな方いいと思います。私も仕事で日銀の方とお話しすることがありますが、ちょっと異常な世界だと思います。もっと普通の穏やかな職場はいくらでもあります。元々才能のある方だと思いますので、焦る必要は全くないと思います。専門家ではないので鬱の方にどういう言葉をかけるべきか判りませんが、まずは収入に関わらず、ありのままの心の思うままに日々を過ごされるのが良いかと思います。 

 

▲22 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

プレッシャーやストレスの無い仕事はほとんど存在しないのでしょうが、やはり仕事を好きになれるかなれないかで大きな差があると思う。 

 今は建築系の個人事業主ですが、12年会社勤めして修行して、人脈を広げて独立しました。 

 独立してから7.8年は無理し過ぎて精神的にかなりやられました。その代わりにめちゃくちゃ儲かったので徐々に仕事を選ぶ様になり精神的にも余裕ができました。 

 結婚と同じでどんな仕事に就くかは縁だと思う。皆様が良い縁に恵まれますように。 

 

▲44 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

辛い経験をされながら再起される生命力は感じました 

元々頭脳派で考える事が出来る方のようなので突破口を見つける能力もあったのかと思います 

どん底で這い上がりたくても考える力も手段も能力も若さもない人々が多数でこの方は特殊な例かもしれません 

社会復帰されたのも学歴とその後の独特な経験値で個人的には同調出来るところまでには至らない何かを感じました 

 

▲18 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

神奈川出身で早稲田の政経出て、誰もが知るマスコミに就職ししばらく働いた後、自ら退職しホームレスやフリーターを繰り返し、私の職場に就職してきた人を思い出した。穏やかで親切ですごく立派な人だったから親しくさせてもらっていたが、結局なぜか2年で離職してしまった。しばらく連絡取り合っていたが、音信不通になった。高学歴を掴める能力と組織のなかで長くうまく立ち回れる能力は必ずしも比例しない。意外とそんな人、身近にたくさんいます。 

 

▲110 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

精神的な病は、なったことがある当事者にしか分からない苦しみで、周りから理解されにくいことを自覚してしまうからこそさらに苦しみが襲ってくる。人に説明しようとしても、言い訳しているようで、そのうち説明することも嫌になり、1人でその苦しみと戦うことになる。 

 

人生、本当に幸福を感じる時もあればそうでないこともあり、その繰り返し。一日の中でもそれを繰り返すし、1年のなかでもそれを繰り返す。それを悟って毎日を生きていくと、5年、10年と生きられる。自分を大切に思ってくれている、助けようとしてくれる人はきっといる。明日も頑張りすぎずに過ごそう、苦しんでいる人達。 

 

▲30 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も似たように精神をやられて職場をやめて一人暮らしなのに1年くらい引きこもって貯蓄がなくなった経験があるけど、そのあとは疎遠になって5年も顔を出してない実家に逃げ込んだ。この方はそんな状況のなか父を失って更に一人で頑張ってて凄いと思う。私自身お先真っ暗だがこうやって頑張ってる人を見ると自分も頑張って生きていこうという気持ちになる。 

 

▲86 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

少し分かる気もします。読んでいて辛い気持ちが蘇って来ました。自分もそこそこの大学を出てそれなりのところに勤めましたが、いろいろと合わない事もあり休職を挟みつつ、20年ほど勤めています。あの時こうしていれば、と言った思いもあります。そこそこの学歴が自信の妨げになっていると思いますし、停滞した時には迷わず休む事、自分の頼りにできるスキルや趣味、人間関係を持つ事だと思います。なかなか順風満帆にはいきませんが、余裕を持てるよう余裕のある時に備えておくのが良いと思います。 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人の生き方はいろんな方法がありますが、必ずこれでないといけないことはないですね。学生時代から好きなスポーツの延長でプロになったり、一流大学に行き有名企業や政界を目指したり、はたまた、芸能界で人気者に成りたかったりなど目標は人それぞれですが、どんな仕事に就いても、 

初めから調子良くいくこともなければ、いきなり上位にいくこともない。結局は、好きなことでも、嫌なことでも地道にやらなければいけないときもあります。どんなことをしても我慢しなければいけないことはいっぱいありますね。でも、ストレスいっぱいよりは、自分のやりたいことを探す時間だけは確保してほしいですね。みんな何不自由無く生きられることってそんなにないですね。 

 

▲18 ▼4 

 

 

=+=+=+=+= 

 

時代や周りの環境で自分がダメになることはあると思うが、それは仕方がないことである。 

他人を傷つけるのが良くないように、自分で自分を責めて傷つけるのも良くない。 

職場での周囲からのプレッシャーがどの程度だったか分からないが、もしそれが法律に触れるようなことであれば、きちんと自分がキレることも大事であろう。 

キレて喧嘩すれば良いのです。 

キレる勇気というのも学校教育としては必要なことではないかなと最近思っている。 

 

▲23 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

何が幸せかって難しいですよね。 

お金持ちにはお金持ちなりの悩みがあるし、貧乏人には貧乏人なりの悩みがある。 

どちらも生きてると色んなトラブルが発生しますよね。 

そのトラブルに対してそのトラブルの壁を乗り越えるのか、逃げるのかによってその後の人生が変わってくるように感じます。 

 

逃げなければ、きっと良いことが待ち構えてるように思います。 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

失われた30年間。 

こうなる人が増えているのは身に染みて実感していました。 

自分も荷物を処分し、ホームレスの経験があります。 

 

この方と同様に、実家があったから帰って来れた。 

今も唇に当時、体を壊した際に出来た唇切れが残ります。 

 

生活保護受けられば良いですが、 

帰る場所がある人は、それは出来ません。 

この狭間の方々達は、どこも頼れず亡くなる方だったと思います。 

 

後の生きで、友人の夜逃げも手伝った。 

弱い方が手を差し伸べられる場所もこう言う御時世では大事かと。 

 

今、自分はドライバー職で稼いでいます。 

保険も入り、やっと人並みの生活が出来るようになりました。 

将来、1人身で先々不安でしかありませんが、 

生きられる所まで生きるしか無いと思います。 

 

本当に疲れたら痛みも分からずあの世に行くくらいのダメージ背負いだと。 

ぬいぐるみと出会って、一緒に寝ている時が一番の幸せです。 

 

▲30 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

大変な境遇で同情を禁じえないが、自分にはハッピーエンドの美談には思えない。 

この世の中、まだまだ困難は待ち構えているでしょうね。 

今の日本、一度、人生が転がり落ちはじめたら這い上がるのは至難の業。 

それを証拠に日本の半数以上が世界的に見れば貧困層。 

それでも歯を食いしばって生きていくしかない。 

願わくば努力が報われる社会になる事を。 

 

▲49 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この方が出ていた番組ザ・ノンフィクション、観ました。 

その時は確かこれから日本一周するという所で終わっていたと思う。 

彼の経歴や精神的な挫折が自分の子どもと似ていたから人ごととは思えなくてよく覚えている。 

今年無事就職されたのですね。 

よかった。 

これからも自分を守りながら自分のペースで働き続けていってください。 

やはり家族がいる帰れる場所があるってその人の助けになる。 

その家族にも問題があったりいびつであっても、一緒に助け合う気持ちがあれば。 

 

▲19 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私も鬱の寸前のようです。 

理由は同じく仕事がうまく進まないことです。 

どこまで耐えられるか、どこまで耐えるべきか、人生って難しいんです! 

社会人はストレスと伴うし、人生も決して簡単では無いんです。 

私は倒れないところまで頑張れるだけ頑張りたいです。無理だったら、タイミング見つけて諦める予定です。世の中の全てのうまく行ってない人、辛い思いをしている人とともに頑張りたいです。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

いわゆるエリート呼ばれる方は一度、挫折を味わうと中々、立ち慣れないと聞いた事があります。プライドが高くて仕事をせず引きこもる人もいるそうです。ただコロナ禍の時にフードデリバリーサービスの仕事をする事で初めて世間の厳しさや人とのふれ合いを実感し、働く事の意味に気が付いたんでしょうね。私も何度も挫折したけど、人間追い詰められたら火事場の力が出てくるもんです。 

 

▲15 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

人生って、辛いこと重なるけど、まじめに生きている人が誰かが見ている。転職時に掛けられたことば、「最初は何もできなくてもいいから、一緒に少しずつ頑張っていこう」が証明している。採用した人事担当者も、まさにトライアウトで発掘した宝の山って感じの人材でしょ。頭いいのに、対人で病んだだけであって、それを排除すれば、この方は無限の可能性がある。 

 

▲14 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

向き不向きで考えるしかない事のが多いと感じる。頼れる人が居るのであればそこに行くといいよ。一人で居ては人間は落ち込むようになっている。誰でもいい、家族や仲間の所で全部話して棚卸しして新しい自分になるしかない。他人と比べても何も生まれない。過去の自分と見比べるくらいに留めておいた方がいい。人は必ず日々、成長してる。今日、ことわざ一つ覚えるだけでも成長だからね。生きるってそういう事だから。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私もエリートコースからの転落、うつ病、入退院繰り返したので気持ちが少し分かります…。どうか焦らないでゆっくり生きて欲しいです。新しい仕事でも失敗することあっても自分を許してあげて欲しい。嫌になったら辞めてもいい。こんなに頑張って生きてきた方をゆるく優しく見守る1人で私はありたいです。 

 

▲18 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

社会に出ると、一見人並みの人生を生きているようでも、落とし穴はあちこちに口を開けていると思う時がある。こんな自分がよく道を踏み外さずに生きてきたなあ。とも。常に大波、小波が襲ってくるのが人生、それを20代、30代に経験されたのが、今後に活きる時がくると思う。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

工場から本社に転勤して、どうして10人に1人が鬱になり、年間に15%もの人が退職するのか分かりました。鬱にならないタイプの方が出世しますが、はっきり言って無責任な方がメンタルが強く、人を裏切ったり同僚が困っていても平然としている。ドラマよりよっぽどガチでユーモア抜きな世界がそこにあり、ドラマで笑えなくなってしまいました。 

 

工場の仕事は汚れるけれど、早く戻りたい。 

責任感があり人と協力するのが性に合う人は、本社勤めは避けた方が幸せだと思いました。 

 

▲51 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

エリートの職と言われると高給取りで羨望の眼差しで見られがちだが、 

反面強烈な責任を課されたり、それ故、労働基準無視の残業をせざるを得ない状況だったりする可能性も否めない。 

 

確かに、その環境に適応し自らの能力を向上させていく事に歓びを感じる人もいるが、そうでない人も少なからずいる。 

 

昭和の時代は24時間働けますか?といったCMが流行って、 

一生懸命働くことがスタンダードのような印象があったが 

今の時代基準が変わってきているような気がする。 

 

ただ日銀や霞が関省庁は、部署にもよると思うが 

変わらず激務なんだろうな。 

 

▲27 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

仕事でのうつ病の原因は会社にあると言っても過言ではありません。日本の会社や日本人はうつ病は心の病気で本人に対ストレス性が乏しいと考える方が多いですが、間違いでうつ病は脳の病気です。病原体は会社にあるストレス源です。うつ病の治療にはまずストレス源からの離脱です。それは会社が行うもので、退職してしますと会社は対応できなくなります。また両親の事がストレス源の場合は、両親から離脱も重要です。両親の問題は両親が解決すべき事。子供の問題が親では解決出来ない事と同様です。 

 

▲19 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

人ごととは思えず、この放送を興味深く観てました。放送だと旅に出る所で終わってたけど、その後色々とあったのか。 

2時間かけての通勤。そして、負の感情が散らばる東京にまた出向いていること。引きこもりからの再出発にしては、厳しそうに感じてしまうけど、職場の人間関係に恵まれればいいなと思う。 

 

▲24 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の事でさえ手いっぱいなのに、家族に恵まれないと更に辛いよな。 

そりゃ病気にもなる。 

けど彼は自分から逃げず生きて頑張ってる。 

まだまだ若いし、今のデリバリーで頑張って自分の生活ペース掴んで、また余裕が出来たら原点に戻れば良い。 

最近ちょっと良い事無くて落ちてたけど、ちょっと元気出る記事だった。 

自分はまだ恵まれてるのに感謝しなきゃだ。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

正直感動しました、凄いと思う。私もメンタルやんで同じ会社の職場を変えて何とか鬱と向き合って最近結局退職はしましたが、違う会社で働いてます。無職期間もありましたが、力を感じました、無理せずダメならダメでまた、考えればいいという姿勢で生きましょう。やなことも必ずあるので現実はしんどいことだらけですが、小さな自分を小さなことから許す褒めるだけでもいいので生きていきましょ! 

 

▲71 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

人生ってホント分からないもんです。 

そういう私もなんとかやってたけど、異動で配属になった上司からパワハラまがい受け、そこから下り坂に。休職復職したけどメンタルそのもののダメージが戻らず、むしろ酷くなり辞めることになりました。既に50歳。それまで生活から人生計画は一気に人生狂いました。 

今はなんとか再就職果たしましたが、年収は数百万下がり、いわゆる平均年収微妙ラインです。家庭あるし家のローンもある。年齢的に致し方ないですが、まさかこうなるとは思ってもませんでした。 

唯一の幸運は資格と経験買われて拾って貰えたのかな、と。 

正社員で再就職出来ただけでも有難く思うべきだが、物価高騰や出費で毎日が不安で堪らない。 

まだまだ起死回生を図りたいが、明るい兆しなく閉塞感が残る。 

まさかの坂、あるかもしれないから考えておいたほうが良いですよ。不況で会社突然潰れるかもしれないし。 

 

▲24 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

人それぞれ色々な人生があるかと、フェイクはよくないですが、実話は色々と考えさせらます 

私も1つ実話を話します、それは2015年の1月のとある日2014年に血液がんの多発性骨髄腫が見つかり20年以上してきた車営業職から半年の病気療養から本社勤務になってまだ2ヶ月の頃にがんの影響でめまいがひどく課長に休みを伝えて休んだ次の日の朝の新車部の朝礼で取締役部長の第一声がみんなの前ではってでも出てこいと言われた事です、目の前がブルーになりその日は何だか1日が長かったです、ただ別の部の課長のパワハラだよなとかけてくれた言葉で救われました。そもそも完治しないがんと更には腎臓が両方一変に駄目になるベースジョーンズ淡白とゆう聞いただけでもうつになりそうななかトヨタディーラーの役員のパワハラには人として最低の言葉にあぜんとしました、今もフェイドバックしてます。もっと詳しく聞きたいときは取材してください。 

 

▲12 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

彼は一生懸命生きてます。 

力の抜き方も彼なりに模索できたのでしょう。 

 

僕も同じなので、安心しました。 

寄り道してもいいじゃないか。 

もっと社会が日本が雇用に対して寛容に障碍者にも寛容になってほしいものです。 

僕は寛容になります。半径5mの職場しか変革できないけど。そういう意識で、毎日ぼちぼちでも懸命に生きているのだと思います。この矛盾が皆の心に大事なことかな? 

 

今日も生き抜きましょう。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう方多いです。傷つきやすい社会なんだと思います。個人に責任を求めず、自分を責めずに、あるままでいいと思って私もやってきます。そんなに自分を責められる力があるって逆にいうととても誠実ということ、素晴らしいことでもあります。一歩一歩過ごしていきます。 

 

▲13 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

実家の1000千円の詐欺とおやじの死など辛かったと思うけど、もし、実家をついで土建屋になっていたらどうだったかと考えさせられてしまう。 

頭が良ければ、銀行などより家を継いだ方が良かったのではとも感じてしまう。 

FXで借金してカプセルホテルや、デリバリーも長続きするとは思わない。 

日本一周も挫折してしまった。 

当然、何カ月の費用の資金が合って成立なので、放浪の旅で稼ぎながらなんて大変な話。 

本当なら、新天地で住めば都で地方都市に落ち着いたかもしれない。 

今回、都会で再就職したけど今後の生きざまをお伝えしてもらいたいな。 

気になります。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日銀とか優秀な社員の方は大変ですよね。結構に閉鎖的な環境のようで。リタイア前によく通った居酒屋に日銀の方がよく来られてあれこれとよくボヤいていました。 

中小の自分にはよく理解できませんでしたが。どんな仕事をするにしても自分が納得してやりがいを持つことが大切かと思います。 

 

▲51 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

うつ病で退職したという話は珍しくもないのですが、傷病手当金という制度があり最長1年半給与の2/3の給付を受けられます。 

メンタルクリニックの待合室にその案内のポスターが貼ってあり、私自身も休んだ時に医師や勤務先から傷病手当金の説明がありました。 

なぜ給付を受けなかったのか気になります。 

 

▲32 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

私は就職氷河期で、フリーター、非正規雇用を渡り歩き、ある日大手企業幹部の父が解雇され、私も非正規雇用を契約打ち切り。私も父も無職になり、どん底でした。父はプライドを父は捨て、人々に頭を下げて仕事をもらい個人事業主に。私は血のにじむ努力で資格を取り、奇跡も重なり、安定して高所得が得らかつ社会的評価も高い仕事につきました。父は現在20名を雇用する株式会社の社長です。人生長く生きていると、何があるかわかりません。20年前の自分では想像もできない未来(現在)になりました。 

 

▲20 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

素直に凄いと思った。 

短い期間の間に、これ程悪い事が押し寄せてきて折れたと思ったらまた復活する強靭さ。 

彼ならこの先色々な人の杖となり立派な人生を送っていけると思う。いや強くそう願う。 

 

▲16 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

すごく良い番組。フジテレビの制作だが、こんな良い番組を作るスタッフもいるわけだ。人生を人並み以上にうまく生きる人も多いが、生きづらさを抱えながら試行錯誤を繰り返す人も多い。効率性重視の世の中だが、不器用な人間が生きていける世の中であってほしい。 

 

▲237 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

歳は離れていますが、私も適応障害から鬱になり解雇されました。適応障害の時一度休職して復職、何とか凌いできましたが悪化して再度休職、その時に解雇されました。歳は59、定年間近でした。傷病手当も終わり求職活動していますが手に職があるわけでもなくスキルといえば経理に詳しいだけ。書類で落とされ面接にすら届きません。体調も落ち着いて仕事を始めたいのに仕事が見つからない。これからどうしようかと考えてしまう毎日です。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

若い時の苦労は金を払ってでもすべきだと昔から言われていますが正にその通り。 

理由は簡単、歳を取ってからじゃとてもできないからだ。 

若い時の苦労は未来への投資です。 

20歳で独立し32歳で2億の借金を背負い全財産を失った後、非正規を常に2、3社掛け持ちしながら同時進行で新たに起業し投資投機もしながら子供二人医学部を卒業させ、今は妻と旅行三昧の日々を送っています。 

人からその間の苦労は自叙伝として本が一冊書けるとまで言われた事があります。 

何も考えない人、考えても行動しない人、考えてから行動する人、考えながら行動する人、 

最後の考えながら行動する人は出世できると思います。 

 

▲14 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も正社員で働いてたところ鬱になり退職してバイトもしたけどやめてまた鬱生活になり畑とかしたりして過ごしていますがようやく働いてみようかなと思い初めてます。まだまだ先の長いことだと思いますが気楽に過ごしていきたい。 

 

▲14 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

50歳の氷河期世代ですが、最近判明して驚いたのが、自分がPTSDを患っていた事です。若い頃は団塊世代やバブル世代からの過酷なパワハラモラハラ、低賃金長時間労働の超ブラック待遇を乗り越えて今に至りますが、確かに当時の事を思い出すと、動悸や発汗、一旦思い出すと気分が塞ぎ不眠になったりとかがあります。我慢や耐えるのが当たり前で育った世代のためか、それらは全て気の所為や更年期のせいであり、どうしても自分の甘えと判断してしまいがちで、今まで考えた事も有りませんでした。同世代の方々、こういった時代でも有りますから、無理せず、今一度自分の状況や考えを見直してみるのも必要かも知れませんよ。気付かずに病んでいるのは、どうやら身体だけでは無さそうです。 

 

▲30 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

食事、運動、睡眠 

今すぐは無理でしょう。 

朝陽にあたるそれだけでも変化はやがて起こるでしょう。 

やがて朝陽が出たら庭に出る。できるかもしれません。 

やがて朝散歩できるようになるかもしれません。 

食事 最初は作れないかもしれません。 

ご飯を炊く。味噌汁を作る。糠漬けを作る。 

できるようになるかもしれません。 

睡眠 日中動けるようになったら少し寝つきが良くなるかもしれません。 

抹茶をいただく。テアニンがいいかもしれません。 

コーヒーは午後は控える。できるようになるかもしれません。 

焦らず ゆっくり 変化を確認する喜びが訪れるかもしれません。 

生きてる喜び 出てくるかもしれません。 

私は陰ながら身も守ることしかできません。 

生きてること存在してること それは 冒険家は口を揃えてそれは 

奇跡だとおっしゃいます。 

 

▲47 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

この方も色々あって苦労したのですね。 

最終的に再起出来たのは良かった。 

ただこの方の場合、元の経歴も立派で年齢もまだ圏内だったため再起出来たのかなと… 

 

あらためて(家庭を持ち)仕事をして生活する事は当たり前のようではあるが、凄い事だなと実感する。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

頭が良くてエリートコースに導かれてしまったが、本当は親父を尊敬し、そういう職業を理想としていたのかもしれない。 

自営業の親なんかは土日休みなく働いて、苦労して、でも自立しているように見えて、何となくサラリーマンよりかっこ良く見える部分がある。 

一方あんまり金は無くて、物凄い節約していたりする。 

サラリーマンのように決まってお金を貰える訳じゃないから。 

その分サラリーマンはある意味不自由な生活を送らざるを得ない。 

そういう所で辛くなってしまう部分があるのかもね。 

親が高学歴でないような場合、あまり学歴とか偏差値とかを尊敬しない。 

何となく親をかばうような心理があるのかもしれない。 

自分の考えからずれた場所は、どんなに条件良くてもいずれ限界がくる。 

その時は自分に原因があると自分を責めてうつになったりするけど、何十年後、実は自分の人生のお導きだったんじゃないかと感じる事がある。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

人生色々ありますよね。自分は頑張っているのに思う様に行かない事は、多々あります。優秀な学校を出ても上手く行かない事もあります。何が良いのか、悪いのか、良く解りませんが、ただ一つ言える事は、理解する事は難しいけど、世渡り上手な人は能力が無くても普通にやって行ける、という事です。 

 

▲24 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

うつ病で日銀を辞め、その後しばらくはますます窮地に陥ったように見受けられますが、そこで更にうつ病が悪化したり何らかの依存症に囚われたりしたような様子があまり無いところにこの方の特別な強さを感じます。似たような境遇だったらどんどん下に堕ちて行ってしまう人も少なからずいるのではないでしょうか。 

 

「最初は何もできなくてもいいから、一緒に少しずつ頑張っていこう」とは、またずいぶん懐の深い会社があったのですね。物語などと違ってこれから先、書き手や読み手の都合に合うような予定調和的な展開は必ずしもないものだと思いますので、陰ながら健闘をお祈りしたいと思いました。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

採用担当者が偉い。 

こういう人がいる会社はうらやましいです。 

 

よく言われるように亻(人べん)に憂いが優しいですから、この方も自分の経験に照らし合わせて他の人に理解を持って優しく接することが出来るでしょうからこの方自身の運命もうまく回っていきそうですね。 

 

私も強迫神経症の薬を飲んでいますが、ストレスで脳の中が疲れ果てると回復まで時間が掛かるのかもしれません、 

御多幸を心よりお祈りしています。 

 

この記事を書かれた方も立派な方ですね。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この方の経験には及ばないが、自分も似たような経験をした。 

地元の進学校から国立大学へ進学、金融機関で10年以上勤務して、精神障害に陥り退職することに。 

まさか自分がこんなことになるなんて、何度考えたことか。今まで頑張ってきたことは何だったのか、何度枕を濡らしたことか。 

ただ、これで人生終わりとだけは考えたくなかった。 

退職後は精神科に通いつつ、自分のストレスと上手に向き合うために、苦しんでいる部下がいたら早く気がつくことができるように、メンタルヘルス・マネジメントの資格も取得した。 

ハローワークに足繁く通い、選考試験では自分の過去を正直に面接官に伝えた。 

結果的に無事に再就職することができた。 

どこの大学を出たか、どこで働いているか、が重視されがちだが、「何をしてきたか」が大切だと思う。 

この方のように自分と向き合いながら、しっかりと毎日を噛み締めながら生きていきたい。 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私は女性ですが、教職10年目で膠原病になり治らないと知り退職。その後他の遺伝性の病気も発覚し、結婚や就職もせずに日陰の道を歩いてきました。若い頃取得した通訳案内業や難しい資格も体力に欠けるため、宝の持ち腐れ。安い賃金の在宅業務で情けないとは思うが、離婚した病身の兄や母をみとり、野良猫らに餌をやり続け、自分も役にたてたのではないかと思うようにしている。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

こういった方こそ電気工事士のような職人を目指すといいのでは無いかと思います。最初は修行が必要ですが、技術を習得すれば、重宝されるので、無職になる心配もありませんし、一人前になっていれば独立も出来ます。電気工事は需要も高いので暇になることも無いかと思います。まぁ、電気工事士以外にも需要の高い特殊な仕事はたくさんありますよ。若いうちに決断するのが一番だと思います。 

 

▲207 ▼172 

 

 

=+=+=+=+= 

 

人生はマラソン。 

最初の100mを全力疾走して途中で力尽きてリタイアしたり、歩いてゴールしたりするよりは、自分の体力に合わせたペースで最後まで走り続ける方が結果的には良い記録を残せる気がする。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう元々元気だった人を見ると羨ましく思う。自分もうつ病で療養中だけど起立性調節障害だから皆のように普通な体調になることはない。それで普通に働いてストレスで体調崩したわけなので、治ったところでしんどいだけ。普通に元気になれる人を見ると羨ましく思う。家庭環境は最悪だったみたいだけど、それでも生きてれば何だって出来るから今は充実してるのだろうし、充実させられるのが羨ましい。無い物ねだりかもしれない。自分は身体が弱いぶん、家庭環境には恵まれてる。人生は皆平等なんだなと感じる。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

最初がエリート過ぎたんだわ。借金の金額も大した事ないしうまく行くと思っていけばうまく行くパターンだな。90万くらいで悩めて踏みとどまっで早稲田大学でてるならいくらでもなんとでもなるよ。そんなレベルではない人はいくらでもいる。色々見てきたけど、まだ成功していると言える側だし巻き返せる。自転車で回ったのが色々実経済見えてプラスになる時が必ずくる。求人とか見てもそんな感じで人口なり人口密度、会社のパターン歴史大学の数とか考えたらこの話は大体本当だと思う。体力系の仕事につければ生活自体はできるよ。大手の会社の工場系に行けばこのくらいの性根があれば十分やっていける。最初がハードル高過ぎたし日銀だからプレッシャーがあって当然。銀行は今はキツイ。オンラインとかでスピードがスマホ以前とは2010年くらい前とか違うし。不正とかも今凄いからな。 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

記事を読んでも私からすると然程、壮絶とは思えない。不幸比べをするのは野暮だからしないものの、彼と私の大きな違いは最終的に頼る身寄りがあったか否か。 

 

ただ、人間は意外と強いもので、それがなければないなりに生きていく。人間はどういう状況になっても生きる意志を捨てなければ、生きていける。特にこの国は福祉が世界一充実しているから、生きていける。 

 

私は最も苦しいかった時、まだ自分はどん底にいないと自分へ言い聞かせ、どん底にいないのだから這い上がれると信じた。そして這い上がれた。 

 

人間は、自分が信じる方向へ必ず進む。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃、勉強勉強で必死にやっても上には上が居て、成績良くても更に上の学校を求められゴールの無い褒められない時代を超え皆に羨ましがられる会社に入ったら長時間労働当たり前、良い大学出たならやれて当たり前、パワハラ当たり前でずっと我慢して就職すれば報われると思ってたどり着いたのが、今度は先の見えないパワハラ企業となると心崩壊するよね。 

自分は高卒で大企業の作業者に就職したけど、途中うつ病になりかけた時はありましたが、責任あるポジション降りて、作業者として毎日出世とは無縁の仕事してます。 

肉体はキツイけど、精神的に楽な方が人生幸せです。 

 

▲17 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日銀で優秀な方ですので、ショックが大きいとおもいますが、まだ若いので就職できました。成功例ですね。 

中国からきた留学生で博士でも中華料理店で働いて 最後自分の店を開く方も多いです。自殺よりもっとお金を稼ぐ方法を考えるべきです。 

知り合いの中華屋さん 現金でマンションを購入いたしましたが、口では言えないけど 博士より技術者のほうが稼ぎがいいです。 

 

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最近鬱で退職しました。この記事を読んで人生の苦難を乗り越え、再スタートを成し遂げたお姿に勇気と希望を貰いました。現在不眠で調子が良くないですが、いずれ社会復帰を目指そうと言う気持ちが芽生えました。ありがとうございます。 

 

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金融関係へ再就職新たな出発。別にウーバーじゃなくてもよかったんじゃないか。フードデリバリーの大変さは共感できるが正直そこまで続けられるものなのか。静岡までデリバリーできるのもこの方ならではの体力気力持ち前のフットワークあってこそ。普通はできないし続けられんでしょ。 

 

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うつ状態(休職可能な状態)には過去に3度なっていて。 

 

私も55歳。今、4回目のうつ機を迎えている。1~3回目も含め、原因は全て、上司の無茶ぶり。やってもやっても終わらない仕事を押し付けられて病んでいく。 

 

ただし、今回はこれまでとはちょっと違ってて。 

元々、58歳での早期退職も念頭に入れていて、病気休暇→休職をフル活用すれば、58歳に達するのである意味「逃げ切れる」ことになる。 

 

家族にも「次休んだら、二度と会社には戻らない。3年も休めば、会社の人間とそれ以降付き合うこともないだろうし、携帯から何から全ての連絡を絶つ。」と言って、了解も得られている。 

その3年の補償収入は、元気で働くより3分の1くらいに落ちてしまいますが、再就職して働くのと変わらないくらい。 

人を大切にしない組織は潰れれば良いのに、と思うおっさんの独り言でした。 

 

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人生、何事もタイミング。これ程マイナスな出来事が重なるのか…と思うぐらいのタイミングの悪さですね。自分もブラック企業に勤めてしまったが為に再就職への恐怖心があり、40手前にして未だに個人事業を2つとアルバイトをして生計を立てています。甘えかもしれませんが逆に自由な生き方を知り、年収も400万そこそこあります。至って平凡ですが何も不自由ありません。ただ一つ、世間体的に恋愛対象、結婚相手の候補になることがなく、結婚への意欲がなくなりました。 

死にたいと考える時もありますが、生きてればなんとかなると言い聞かせてだらだらと生きています。 

 

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