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ヤマザキマリ氏は、漫画家であり随筆家。

イタリアに渡って美術学院で学び、漫画『テルマエ・ロマエ』でマンガ大賞や手塚治虫文化賞を受賞。

原作者の権利や契約について問題提起し、出版業界の慣行について考察。

漫画家の取り分や著作権の問題などを取材・インタビューで語っている。

(要約)

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ヤマザキマリ氏。漫画家、随筆家。1967年、東京都出身。84年に渡伊し、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。比較文学研究者の夫と共に、イタリア、エジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなど各国に住み、世界中を旅行。24年、『プリニウス』(とり・みき氏と共著)で、第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。(写真=山崎 デルス) 

 

(前回から読む→関連記事「ヤマザキマリ氏、書店が消えていく世界に物申す」) 

 

●「テルマエ・ロマエ」原作料問題と「べらぼう」 

 

――過去の話題を蒸し返して恐縮ですが、2010年に『テルマエ・ロマエ』の映画が大ヒットした時に、原作者に支払われる原作料は100万円ぽっきりですよ、という話をヤマザキさんがテレビでされて、大変な反響を呼びました。 

 

ヤマザキマリさん(以下、ヤマザキ):反響というか炎上ですね(笑)。 

 

――ヤマザキさんの発言は、社会における創造の価値、それを担う人への敬意と対価を、きちんと考えよう、という大きな問題提起でした。 

 

ヤマザキ:発言はしましたけれど、四方八方から「どうしてあんなことを言ったんだ」と矢が飛んできて、私自身も傷を負いました。でも、あの騒ぎによって原作者の権利を意識する流れが少なからず出てくるきっかけになったのなら、それに越したことはないと思っています。とはいえ、いまだに原作者に不利な慣行は続いていますけどね。 

 

 メディアでは「物言う漫画家ヤマザキマリ」などと言われたりしましたが、ああいう発言をしたことが影響して、いろいろなテレビ番組やこのようなネットのインタビュー、トークイベントに呼ばれるようになりました。最近だと、次回の大河ドラマ(※)が蔦屋重三郎だということで、番宣系の歴史番組なんかに呼ばれて、江戸時代と現在の出版事情の比較などをしゃべらされる。でも、それによって、日本における出版業界での「……」だったことが見えてきました。(※NHK大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」) 

 

――「……」の部分は、出版界でおおっぴらに語られてこなかったことですね。どういうことでしょうか。 

 

ヤマザキ:江戸時代のいわゆる黄表紙みたいな娯楽本といった戯作の作者たちは、みんな本業を持っていたわけですよ。例えば大田南畝なんかは、本業が幕臣だった人です。要するに、創作で家計をまかなったり、アシスタントを食べさせたり、なんていう逼迫した環境ではなかった。そして、それが現在の“契約書は後まわし”みたいな慣例構造につながっているのかなあ、などと考えてしまいましたね。 

 

――なるほど。 

 

ヤマザキ:戯作者たちは本業で生活はできていますから、出版社が自分の創作で金稼ぎをしても、こちらの著作権はどうなるんですか、なんて世知辛い論争は当然、発生しない。好きなことをやって、お小遣いももらえたら得だよね、みたいな感覚だったのではなかっただろうかと思います。そして版元も「あんたたちの趣味を世に出してあげているんですよ」みたいなノリだったのかも、と。 

 

――いや、今に通じるところがありますね。 

 

 

ヤマザキ:ありますからね。とはいえですよ、作家の中にはそれでいいや、という人だけではなく、不満を感じていた人もいると思います。中には本職である商売の宣伝まで描きこんでいた作家もいますから、そこまでおおらかだったとも思えませんけどね。 

 

――でも、そもそもは、食べていける本業があったから、文章や絵を創作できる人がいる、という地点からスタートしたビジネス、ということですね。 

 

ヤマザキ:私は漫画を生業(なりわい)として生きていますが、漫画作品を生む、というのは並大抵な気合では太刀打ちできないほど、力が必要な作業なんです。プロットを描いてから清書にいたるまでの労働時間を割ったら、おそらく学生のアルバイト時給くらいじゃないでしょうか。 

 

 そうやってエネルギーを駆使して作品を描き、その作品がヒットしたとしても、「しょせんは漫画家」という意識が出版業界に漂っていることを今でも感じます。私はイタリアの美術大学で油彩、美術史、古代西洋史などを学んできましたが、海外でも日本でも場合によっては、漫画家だと名乗ると、お絵描き一辺倒で生きていけてるラッキーな人、と急に目線を変えられてしまう場合があります。私の場合、母が昭和一ケタの人で漫画が焚書扱いされていた時代を知っている人だから、私が漫画家になったことをなかなか受け入れてもらえなかった。「漫画なんて下劣」と思っていた人は彼女の世代では少なくありません。 

 

――一方で「ヤマザキ先生」みたいに、妙に上に置かれたりもしていますよね。 

 

ヤマザキ:漫画作品のヒットによって、出版社はビルが建つくらいのお金をもうける場合もありますから、漫画家は「先生」と呼ばれていますが、どこかで「とはいえ、出版社ナシには生きていけない連中」ととらえられているな、と、その気配を感じることは多々あります。その意識構造の原点が、江戸時代の戯作にあったんですよ。 

 

●昭和の慣行が令和に残る 

 

――24年11月から通称フリーランス新法が施行されて、創作物のやり取りには契約書が必要だよ、ということになりましたが。 

 

ヤマザキ:いやいや、現場ではいまだになあなあですよ。実際、漫画家や作家が出版社に、「これ、最初に契約書ください」と言えているかと言ったら、言えていませんから。 

 

――ヤマザキさんですら、そうですか? 

 

ヤマザキ:私は今、マネジメント会社に所属していますから、そこは会社にやってもらっています(笑)。ただ、今は確かに従来の慣行ではだめだ、という風は吹いてきているかもしれません。とはいえ、基本的には旧態依然としていますね。それは本が売れる、売れない以前の問題で、あの「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」といった手塚アニメ作品の脚本も手がけられたベストセラー作家の豊田有恒さんですら、契約書の話なんてしたことがないと、生前、対談をさせていただいた際におっしゃっていて、それが衝撃でした。 

 

――確かにベストセラー作家から末端のライターまで、昭和時代の慣行が業界のスタンダードとして今も続いています。 

 

ヤマザキ:昭和時代の契約で言うと、手塚治虫さんという巨大な存在が敷いたレールというものがあるかと思うのです。手塚さんは天才ですから、どんどんアイデアが浮かんできて、次から次へと作品を描いていった。契約書なんて後でいい、いい、とやっているうちに、「契約書は後でいい」という暗黙のフォーマットが出来上がってしまったんじゃないだろうか、ということを漫画家の仲間と話し合ったことがあります。 

 

――そういう歴史があったんですね。 

 

 

ヤマザキ:そんなことをきっかけに、私は原作者の権利とそれを使う者との契約が日本では他国に比べてどうもないがしろにされているのではないかと、表に向けて発言をしました。 

 

 そもそも私は17歳という年齢でイタリアに暮らし始めた時から頻繁に家庭や仕事でのトラブルをめぐって弁護士の世話になり、揉め事はその筋のプロに任せるのは当たり前だと思って生きてきました。「テルマエ・ロマエ」のヒットは、ちょうどアメリカのシカゴに暮らしていた時でしたが、この国でも原作と二次創作の関係性はかなり厳重に扱われています。ですので、原作を使っていいですよと、出版社が映画製作サイドに作品を渡したっきりで、後は当の原作者である自分に何も権利がない……という状況を欧米の友人に話すと、誰もが「それはおかしいだろ」と憤慨するわけです。 

 

 イタリア人の夫からは「自分が原作の映画が大ヒットしているのに、その利益の外に置かれているのは、君が事前にきちんと契約しなかったからだ」と詰め寄られ、家庭不和になりましたからね。 

 

――欧米でのIP(知的財産)の概念からすると、信じられないことですよね。 

 

ヤマザキ:もちろん手塚治虫さんの時代は、これでよかったんでしょう。戦後の復興期で、社会のシステムがまだまだ整備されてない中で、後から後から作品を生み出して、連載もガンガン回していたから、契約なんてものは後付けだって、別にたいしたことじゃなかったんだと思います。そして、その曖昧さが経済発展につながっていた部分もあるようにも思います。 

 

 ただ、時代は刻々と変化していますし、社会も、創作に携わる人々の意識も変化していくなかで、その曖昧な関係性が新陳代謝されることなく、そのまま利用され続けているように思えます。すでに出版された単行本の契約書が、だいぶ後になって送られてきたりすると、江戸時代と同じく「よかったね、あんたたちの大好きなお絵描きを、世の人々に読んでもらえてさ」というノリでとらえられているような気配を察してしまうんです。 

 

●絵画、音楽での作者の取り分は? 

 

――日本の書籍流通の慣行では、1冊の本が売れた時の取次と書店の利益は、それぞれ8%と22%ぐらいになっています。その他の部分で、出版社と著者の利益が出ている構造です。 

 

ヤマザキ:例えば自分の本が700円だとしたら、印税としてその10%が作者である私の取り分になる、と。今の今まで、私もそれが当たり前だと思っていましたが、よく分からないですね。そんな詳細の説明は必要ないということなんでしょうけどね。 

 

――ヒットが出たら、作者よりも出版社の方が断然もうかるようになっています。 

 

ヤマザキ:まあ印刷して、宣伝して売ってくれるわけですから、そう考えれば当然だろう、と私でも思いますけれど……(笑)。例えば絵で言うと、私が描いた油彩を画廊で売ってもらった時の取り分は30%でした。絵の値段も、その配分を踏まえた上で決めたので、作者が損をするような感覚はありませんでした。 

 

――ヤマザキさんは音楽業界の方々とも親交がありますが、音楽業界はどうなっているかご存じですか? 

 

ヤマザキ:音楽業界に詳しい私のマネジャーに聞いてみました。例えばCDは基本的に25%が店舗、75%がメーカーだということでした。じゃあ、作者は? と思ったら、作者はその75%の中で分配するとのことで、そのパーセンテージは関わり方によって細かく変わっていくそうです。例えば歌唱だけだったら〇%とか、作詞も作曲もしていれば〇%とか。その配分を基本にして、仕入れ枚数などによって、店舗との間で細かく交渉がされていくそうです。 

 

 

――音楽業界も作り手と売り手の関係はシビアだと思いますが、音楽業界には一つ、JASRAC(日本音楽著作権協会)という著作権管理を行う団体があり、音楽の使用料を厳しく徴収していますよね。 

 

ヤマザキ:そうそう、音楽は二次使用をしたら、その使用料がちゃんと著作権者に分配されるようになっていますよね。でも、本の場合は漫画も含めて、古本屋で売られても、図書館で貸し出しされても、著者には何も分配されません。 

 

――出版社にも使用料は入らないですしね。 

 

ヤマザキ:ということは、自分の作品がいろいろな人に読まれてはいるものの、著作権的な補償は何もない。労力と知力の限りを尽くして生み出したものなのに、音楽と出版物の差異はどこにあるんだ、となる。 

 

――開発コストを負担していない者が、二次的な利益を得ているという構造です。 

 

ヤマザキ:今日、こうしてしっかり考えながら語るまで、あまり強く意識せずに過ごしてきてしまいました。 

 

――図書館で読まれるのなら、1冊10円、いや100円ぐらいは払っていただきたいですよね。 

 

●蔦屋重三郎の時代に戻ってしまう 

 

ヤマザキ:その昔のレンタルレコードじゃないけど、書籍もね、そういう扱いをされれば、作家たちは配慮されている気持ちにはなるでしょうね。でも自分も貧乏だった時代に遡れば、図書館の存在は神の如くありがたかったので、著作料を徴収すべきでしょうなんてことは思いません。それでも、開発コストを負担していない立場の者が、二次的な利益を得ているという構造は、ちょっと衝撃です。 

 

――かといって、出版社の取り分を少なくして、著者と書店にもっと多く配分しようとしたら、大きな出版社は大丈夫かもしれませんが、それこそベッピさんの出版社みたいな弱小の良心的な出版社は立ち行かなくなるわけです。 

 

(*ヤマザキマリ氏の夫、ベッピ・キュッパーノ氏が立ち上げた出版社の話については、前回を参照) 

 

ヤマザキ:出版社の取り分を少なくしたら、制作費も時間もかけられませんよね。そりゃあ、本の著者が本業を持つ大学の先生ばっかりになるわけですよ。 

 

――それは出版社の怠慢とも言えますが、現実的に手っ取り早く知的な作業ができる人、となると大学の先生あたりになりますね。 

 

ヤマザキ:それも余裕のある大学の先生ですよね。お金持ちで文化的な行為に時間を割ける人たちが書くんだから、お金はいらないでしょ、と。まさに蔦屋重三郎の時代と同じじゃないですか。 

 

――そこに戻ってきたか。 

 

 

 
 

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