( 255141 ) 2025/01/25 16:38:56 0 00 (c) Adobe Stock
中居正広氏を巡る一連の問題で、当の中居氏が引退を発表した。かつて「民放の雄」と言われたフジテレビが大ピンチに立たされている状況は変わらない。週刊誌報道以降、その影響でスポンサー企業が続々と離れ、経営に打撃を与える事態に発展している。広告収入の激減がささやかれるフジテレビは、いつまで苦境に持ちこたえることができるのか。ルポ作家の日野百草氏がこの問題を解説するーー。
“中居くん”が引退した。
SMAPという「時代」を作ったひとりだが、俳優としての中居正広もまた評価された。
テレビドラマ『味いちもんめ』の伊橋、『ATARU』のチョコザイなど代表作は多いが、私は『ナニワ金融道』が大好きで、あれほどの「灰原辰之」はいろんな意味で彼しかいないと、当時から今も本気で思っている。まさに当たり役だった。
あとはラジオで語った母校「平学伝説」(あえて詳しく書かない)の話や自慢の高級時計、フランクミューラーをカレーに入れられたり犬の足にはめられたりの番組も腹がよじれるほど笑わせてもらった。
テレビアニメ『赤ずきんチャチャ』のオープニングにもなった「君色思い」(1994年)のオリジナルは彼の独唱から始まる。青春の君色を思う不器用な声がむしろリアルで胸を打つ。世辞でなく、こうしたジュブナイルな歌詞はうまい下手ではない。むしろそれでいい。揶揄する人は多かったが、これを決めた人はとてもセンスがあると思う。
当時そうしたアニメ業界に媒体側で関わっていた筆者も少なからず書かせていただいた。「オタク」とアニメの地位がいまと比べれば低かった時代、正直に嬉しかった。
語ると止まらないがそんな“中居くん”が引退した。ファンの気持ちを裏切り、女性の人生を踏みにじった。しかし後述するが「中居問題」と「フジテレビ問題」は最終的に分けて考えるべきだ。今回の事案における「中居氏」と“中居くん”もまた分けるべきだと思う。
中居氏は引退に際しこう綴った。
〈皆さん一度でも、会いたかった 会えなかった 会わなきゃだめだった こんなお別れで、本当に、本当に、ごめんなさい。さようなら…。〉
※1月23日メッセージより抜粋
いわゆる「中居問題」は中居氏の引退となった。
もちろん、繰り返すが中居氏側に問題があったことは当然である。問題発覚後の初動で〈なお、示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました〉は最悪だった。それは各方面の指摘通りである。中居氏本人も認めている通り、被害者のあることは確か。それでこれはない。被害女性のことが第一に考えられるべきだ。
それを踏まえて、こうも思う。
中居氏を“最終的に”引退に追い込んだのはフジテレビ、と言われても仕方がないのではないか。
実際、SNSにはフジテレビの対応に対する非難があふれかえっている。それも当然の「あの会見」だった。
被害者からすれば納得できないことは当然。中居氏も本人の責任であったことは事実。そして、フジテレビがしばらく出演させていたこともまた明白である。
だからこそ、本来はフジテレビがそれこそ責任を持って矢面に立つべきだった。事が事だけに最初から真摯に対応すべきことは当然の話だ。しかしフジテレビは世間を逆なでする対応を繰り返した。
どんな人気芸能人だろうが偉い文化人だろうがキー局からすれば出入り業者、下請け孫請けである。独占的な放送免許を持つ限り立場は絶対だ。そのフジテレビが知らぬ存ぜぬで納得する人、この国にどれだけいるだろう。
放送法第一条にはまず「目的」としてこうある。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
第四条にはこうもある。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
どうだろう、感想は各々にゆだねるが、フジテレビの港浩一社長は社内メールにこう書いた。
〈職務に誠実に対応していた人が悪く書かれることは本当に残念です。フジテレビは社員を守る温かい会社でありたい〉
だからあんな会見を開いたのか、と思われても仕方のない話である。ずさんな会見、現場の心あるスタッフもまた悔しいだろう。放送法に誓って、どうなのか。
本来なら責任ある局として、それこそ誠意ある対応をするべきだった。映像収録禁止で特定の報道機関や記者のみで開いた会見は中居氏にとどめを刺した。
中居氏の因果応報だ、自業自得だと言う人はあろう。それはそうだ。
しかし、事ここに至るまで中居氏とフジテレビが共にあったことは確かなはずだ。ましてや、元フジテレビ専務で関西テレビ社長の大多亮氏が2023年の段階で「報告が上がってきた」と17日の港社長の会見の後、22日の会見で認めている。港社長に報告したとも。
だが会見で港社長は〈中居さんの事案〉〈中居さん絡み〉と言っていた。フジテレビは逃げたと思われても仕方のない言い方ばかり。さらに年末にフジテレビや社員の関与を否定したにもかかわらず、「調査委委員会が検証していく事案」とした。これもまた変な話。どこまでも当事者意識皆無、フジテレビからすれば被害者も中居氏もトカゲの尻尾とでもいうのか。あれで「心身の回復とプライバシーの保護を最優先」なのか。
そしてフジテレビの会見で決定的な回答がこれだ。
「当事者2人の間で起きた極めてセンシティブな領域の問題」
目に見えてわかるXなどのSNSはもちろん、間違いなく一般国民のほとんどが「フジテレビがそれを言うか」だろう。凄い、「中居さんが起こしたトラブル」についての認識について港社長は「当事者2人の間で起きた」だ。
この期に及んでもこれ、フジテレビは事の重大さを認識していない。のちに「失敗」と港社長は社員に向けた説明会で認めたが失敗もなにもない。そもそも「失敗」ではレトリックの問題だけかと思われても仕方がない、批判をかわすための戦術ミス、のような受け取り方もできてしまう。失敗の対義語は成功、人の心と人生の問題とそれに対する社の会見にこれはない。ある意味、どこまでもフジテレビらしいと言うべきか。
言いたいことはもっとあっただろうが、中居氏は引退を決めた。フジテレビは失敗会見と港社長自身が認めるほどの醜態。「中居問題」と「フジテレビ問題」は最終的には分けて考えるべきだと思う。
それでもフジテレビは逃げの姿勢だ。守るどころか火に油を注ぐ会見だった。中居氏は切り捨てられる格好となった。被害女性もまた放り出される形となった。それはそうだ、港社長は17日の会見でこうも言った。「当事者2人の間で起きた」と。
〈あらゆる責任を果たしたとは全く思っておりません。
今後も、様々な問題に対して真摯に向き合い、誠意をもって対応して参ります。
全責任は私個人にあります。
これだけたくさんの方々にご迷惑をおかけし、損失を被らせてしまったことに
申し訳ない思いでなりません
そして
改めて、相手さまに対して心より謝罪申し上げます〉
※1月23日メッセージより抜粋
言葉の通り、中居氏がけじめをつけたのか、フジテレビに対して何を思うのか、それはわからない。彼の何でも一人で抱え込む癖、一番話しやすそうで、一番難しいのが“中居くん”という人だったと思う。そうは見えないだけに残念な結果となってしまった。SMAPの再結成もまた遠のいた。
フジテレビはACジャパンの広告を垂れ流してほとぼりが冷めるのを待つつもりか。港社長は23日の説明会で「失敗」と述べた上でこう言った。「次はカメラを入れて対応したい」と。違う、そこじゃない。
“中居くん”は引退した。
で、フジテレビ、あなたはどうする?
日野百草
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