( 256194 )  2025/01/27 18:29:34  
00

長崎の「九州マツダ赤迫店」で行われた西本尚子さんによるRX-7(FD3S)の譲渡式が大反響を呼んだ。

西本さんは80歳で、25年間愛用してきたRX-7をマツダに譲り、免許を返納する決断をした。

西本さんはRX-7を大切にしており、その愛車がマツダで新たな人生を歩むことを喜びとしている。

(要約)

( 256196 )  2025/01/27 18:29:34  
00

長崎の「九州マツダ赤迫店」で行われた譲渡式。クルマの生まれ故郷という“もっとも幸せな場所”に戻っていくことが「とにかく嬉しい」と西本尚子さん 

 

 昨年、25年乗り続けた愛車、1999年式(12月登録)の3代目RX-7(FD3S)を譲ることを発信し、大反響を呼んだ長崎県在住の主婦、西本尚子さん(80歳)。年式の割には走行距離も少なく、状態の良い車体はRX-7ファンのみならず、スポーツカー好きにとって“極上の1台”だった。この1台は最終的はどのような運命を辿ることになったのか。シリーズ「快適クルマ生活 乗ってみた、使ってみた」。RX-7に出会うまでの西本さんの愛車遍歴を紹介した前回記事に引き続き、自動車ライターの佐藤篤司氏が“西本さんとRX-7の物語”をレポートする。【前後編の後編】 

 

 * * * 

 慣れ親しんだコロナ・クーペのあと、オートマチック車で新たなクルマを探そうとした西本さん。ホンダのRシリーズに興味を持ち、ディーラーのもとに足を運んだ。 

 

「(最初に訪れたディーラーの方は)こちらを中年の女性と見たのかもしれませんが『高いですよ』とか『女性には少々乗りこなすのが難しいかも』などと、まるで子供を諭すように言われたので『じゃぁいいわ』となったんです」 

 

 そこで西本さん、諦めることなく「何にしようかな……」と悩んでいる時でした。 

 

「たまたま次男と一緒に見ていたのがアニメ『イニシャルD』。そこでカッコ良さに衝撃を受けたのがRX-7(FD3S)だったのです。とにかくなだらかボディラインに目も心も奪われました。特に鳥の羽を広げたようなテールエンド周辺のボディラインの美しさには、ひと目惚れで、本当にカッコいいと思いました」 

 

 さっそく九州マツダ赤迫店に出向き、カタログの表紙に載っていた「ブルーが欲しい」と担当者に話したという。 

 

「ところが担当の方からは『ブルーは飽きがきますよ』と言われました。実に誠実そうな方だったので、アドバイス通りにグレーにしました。今考えると、25年も乗り続けてこられたのは、このボディカラーだったからと、感謝しています」 

 

 実際には購入した当初は「10年ぐらいで乗り換えるかも」と考えていたとも。ところがその後、RX-7は生産が中止され「モデルチェンジされた車にするかどうか」などと迷うこともできなくなった。 

 

「それに、走りの気持ち良さは時間が経過しても色褪せることはありませんでした。家の窓の隙間からガレージに佇んでいる“セブン”がチラッと見えるだけでも心が浮き立つんです。そして走り出せば、まるで25年の時間の経過が無かったように、初めて感じた楽しさが蘇ってくるんです。そんなクルマを乗り換える必要なんてありませんよね」 

 

 

 気が付けば自らが免許返納を考える年代になっていた。何ごとも決断すると早い西本さん、78才の時に「80歳になったら免許を返納しよう」となったわけです。 

 

「息子は『まだ乗れるんじゃないの』と言ってくれました。普通は返納に賛成してくれるはずですけどね(笑)」 

 

 西本さんとRX-7との逢瀬に残された時間は2年だった。それでも最初の頃は西本さんもご家族もそれまで通り、淡々と過ごしていた。そしていよいよ残り1年となったところで写真が好きな息子さんを伴ってのドライブが始まる。最も遠いところで鳥取の米子にある「はわい温泉」にも行ったそうです。 

 

「写真好きの次男が色々と写真を撮りながら旅は続きました。雨だったので鳥取砂丘には行けませんでしたが、800kmのドライブも私が運転して走り抜けました」 

 

 長距離でもまったく苦にならないほどドライブが楽しいという。さらに桜を見にいったり季節の花や景色を撮影しに、いろんなところに出かけ、RX-7とのドライブを愛おしむように過ごしていました。そして最後のドライブとなったとき、いつも同行されていた息子さんにある提案をしました。 

 

「最後になるかもしれないから『運転してみたら』と言ったんです。それまでは『壊したら大変』などといっていた息子も『それじゃ』といってステアリングを握ったんです。すると、とにかく運転が下手で、見ていられないんです(笑)。すぐに運転を代わってもらいました」と西本さんは屈託無く話す。 

 

 そして迎えた運転免許返納時期に合わせ、大切な相棒であるRX-7を譲り受けてくれる人を探していることを地元テレビ局の取材を通して発信。するとその放送のYouTube動画は80万回超えの再生回数となり、400件を超えるメールが届いた。その中にメーカーのマツダの広報部からの「マツダに譲って頂けないでしょうか?」というメールもあった。実はこのYouTubeを目にしたマツダの開発担当役員が広報部に連絡し、「マツダとして手を挙げたらどうか」と伝えたという。 

 

「多くの方々からご要望を頂き悩んだのですが最終的には“メーカーに戻っていくのが一番幸せ”だと感じ、今回の決断になりました」 

 

 こうして昨年の12月18日、西本さんが愛車のメンテナンスを託してきた九州マツダ赤迫店(長崎県)で、相棒である「RX-7」をマツダへ譲渡するセレモニーが実施され、その後に免許返納のため、長崎県警察浦上警察署へ移動。運転免許証の自主返納を申請した。 

 

「RX-7がまた、新しい道で走り続けてくれることを思うと、寂しさより、とても幸せなんです」 

 

 譲渡された西本さんの愛車はマツダの手によって整備され、広報車両として第二の人生を走り出すという。 

 

 一方の西本さんは、「昔からピアノやコーラス、ガーデニングなどと趣味が多いんです。やりたいことがいっぱいあるんです。YouTubeで朗読系のチャンネルでもやってみようかしら」。 

 

 愛車の第二の人生に負けず劣らず、西本さんの次なる道にも、まだまだ多くの素敵な物語がありそうです。 

 

■前編記事:《YouTubeで80万回超再生の反響》25年間乗り続けた3代目「RX-7」を手放した80歳主婦が明かす“愛車遍歴” 「最初は赤いパブリカ」「フェアレディZに憧れたけど…」 

 

【プロフィール】 

佐藤篤司(さとう・あつし)/男性週刊誌、男性週刊誌、ライフスタイル誌、夕刊紙など一般誌を中心に、2輪から4輪まで“いかに乗り物のある生活を楽しむか”をテーマに、多くの情報を発信・提案を行う自動車ライター。著書に『クルマ界歴史の証人』(講談社刊)。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。 

 

 

 
 

IMAGE