( 258384 ) 2025/02/01 05:08:39 1 00 フジテレビが中居正広氏とX子さんとのトラブルに関する記者会見を行う中、ネットコミュニティによって形成された世論に大きな影響を受けていたことが指摘されています。 |
( 258386 ) 2025/02/01 05:08:39 0 00 フジテレビが、ネットコミュニティから見えている景色を、少しでも理解できていれば、記者会見の結果は大きく違ったかもしれない(写真:northsan/PIXTA)
1月27日に開催された、中居正広氏と報道において“X子さん”とされる人物のトラブルに関連したフジテレビ2回目の記者会見は10時間に及んだ。
世論に動かされた多くの広告主が出稿を差し控え、フジテレビは広告主への返金対応処理や説明、事実関係の再確認などに追われ、ついにトップの辞任にまで追い込まれているのはご存じの通りだ。
一方で、一連の告発には不明瞭な情報が多く、しかも和解によって法的な解決が済んでいることで、当事者と当事者を取り巻く周辺、世論を形成する一般の人たちとの間に情報の著しい“非対称性”が生まれた。
過去にネット炎上のメカニズムなどについて、本誌のコラムで何度も取り上げてきたが、こうした状況では“エコーチェンバー効果”が発生しやすい。
エコーチェンバー効果とは、自分と同じ意見や価値観を持つ情報ばかりを受け取る環境(主にSNSやネットコミュニティ)に身を置くことで、思想や意見の偏りが一層進む現象だ。この現象が発生すると、異なる意見や情報は誤りであると排除され、誤解や偏見が助長されやすくなる。
■確証のない情報がエコーチェンバーを引き起こす
元タレントの中居正広氏とX子さんとの間にあったトラブルを検証したり、真実を追求する意図はない。
言及するのは、確定的な情報がないにもかかわらず、世論、とりわけSNSを中心としたネットコミュニティの中で“(確証のない)事実認定”が進み、フジテレビ幹部社員が2人の食事会をセットしたことを前提に、さまざまな憶測が広がっていったメカニズムについてだ。
確証のない事実認定を元に膨らんだ憶測について、フジテレビ側は十分に実態を把握しきれていなかったと考えられる。このことが世論や取材陣とフジテレビとの間に意識の大きな乖離を生み出し、すれ違いが会見を通じ炎上に繋がった。それだけに、両者が見えていた景色の違いは極めて重要だ。
2人きりで中居氏の自宅で食事をし、そこで何らかのトラブルがあったことは事実であり、双方の和解が成立し和解金が支払われていることも明らかだ。
また、和解成立に伴い守秘義務が発生していること、被害者であるX子さん自身が本件が公になることを(少なくとも事件当時は)望んでいなかったことも、おそらく間違いない。 しかし、それ以外の情報で確定的と言える事実は少ない。
初期の週刊誌報道で確定的であるかのように伝えられた情報のうち、いくつかは否定されている。9000万円と言われた巨額の解決金は、その数字が否定され、フジテレビ幹部社員がX子さんを中居氏自宅に呼び出し2人きりにしたとする報道も、それを報じた『週刊文春』編集部自身が訂正を入れた。
また、情報源に関してX子さん自身が守秘義務に反して匿名で告発したと確定的にSNSでは伝わっているが、客観的に見れば、これも現時点では臆測でしかない。
衆目が集まる物語の中に数多く残る“余白”。何も書かれていない余白に欠落した情報を補完しようとするとき、“こうあってほしい”、“常識的に考えてこうであるはずだ”と確証バイアスが働くのは、今も昔も変わらない。「噂とはそんなものだ」といえば、その通りである。
しかし、SNSなどネットコミュニケーションにおいては、そこに強い“エコーチェンバー効果”が生まれる。
■フジテレビ経営陣が意識すべきだったこと
例えば(すでに事実ではないと否定されているが)中居氏が巨額解決金を支払ったX子さんとのトラブルが、どのような経緯で、どのような内容であるかは明らかではない。また、フジテレビ幹部のA氏が、2人きりで食事をするきっかけを作ったという話も真偽不確か(現在は否定されている)のまま広がり、組織ぐるみで女性を使った接待を行ったという疑惑の物語が流言飛語として飛び交った。
被害者自身が望んでいないのなら、今後も明らかにならないだろう。
事実が明らかにならない中で、「巨額解決金」「幹部社員による無言の圧力」などが週刊誌報道で強く示唆され、「性上納システム」「広告主、大物タレントの接待」など想像がどんどん膨らんでいったのはエコーチェンバー効果によるものだ。
フォローしている(つまり共感しやすい同じ感情属性の人たち)アカウントから出てくる“自分の想像を肯定する意見”に多数触れ、また自分が批判的に見ている組織や意見、人物に対する批判が山のように降ってくる。
人々の情報取得量がマスメディアからネットコミュニティへ移る中で、ネットコミュニティにおける“ネット世論”は一気に固まっていった。
もちろん、あらためて言うまでもないように、確実な情報は極めて限られている中で、それらは何の確証もない噂でしかない。このような状況で“ネットリンチ”が行われた例は過去に数多くある。
スマイリーキクチさんや、故・西田敏行さんのネットにおける風評被害と似た状況だったといえば理解しやすいだろうか。今回の例と共通するのは、エコーチェンバー効果に加え、“弱者救済”という正義に向けて、不確定な情報を基に正しい行動として告発を続ける行きすぎた正義感もある。
一方で毎日の業務に忙しいフジテレビ幹部たちが、ネットコミュニティでのエコーチェンバー効果に晒されていたとは考えにくく、その周囲もSNSにどっぷり浸かっていたとは思えない。
推測でしかないが、フジテレビ幹部は「A氏の関与はあり得ない」「X子さん本人の希望により少人数での情報共有にとどめ、プライバシーに配慮した」と、ある面で当事者として確実な情報を持ち、第三者ではあるものの中居氏とX子さんのトラブルも把握、和解をしている中で(トラブルそのものに対しては第三者である)、週刊誌報道に対するフジテレビとしての立場を説明しようとした。
これが最初のフジテレビ・港社長の記者会見だった。
この会見内容が伝えられると、すぐに確証バイアスとエコーチェンバー効果で“フジテレビの罪は明らかだ”と考える人たちが、一斉に非難し始めたのは当然の成り行きと言えるだろう。
フジテレビの現状認識や問題意識、ネット世論を形成する歪んだ事実認定の乖離は大きく、巨大メディア企業が“女性個人”や“個人事務所所属のタレント”を押しつぶし、何かをもみ消しているかのように映ったに違いない。
もし、フジテレビがネットコミュニティから見えている景色を少しでも理解できていれば、記者会見の結果は大きく違っていただろう。
和解内容は守秘義務であり、それまでの社内調査や聞き取りもすべてを公開できるわけではない。そこには“外部からは見えない正当性”があったはずだ。法的なリスクを優先して「説明不能な沈黙」を選んだ結果、「隠蔽の確信犯」と誤解されるリスクを軽視してしまった。
■一次情報源を持たない記事が“当たり前”の怖さ
ジャンルは違えど、筆者もジャーナリストの端くれである。
一般論だが、SNSでの噂話、個人的な発言と記者として書く記事の違いは、情報をどのように入手し、その情報の質、確度などを吟味し、誤解を与えないよう伝えることだと思う(もちろん、ほかにも配慮するべきことはたくさんある)。
近年、“コタツ記事”という言葉が一般に定着してきた。この言葉は、僭越ながら筆者がネット上で入手できる情報だけを集め、一次情報へのアクセスが可能にもかかわらず、自分の書きたいストーリーに情報をパズルのピースのように集めて構成する記事として使い始めたのが始まりだった。
■普遍化するコタツ記事
必ずしもマイナスのイメージで語っていたわけではなく、いわゆる“文献派”執筆者のネット進化版のようなものを表現していたのだが、その後、スポーツ紙などがテレビでの著名人の発言を切り取って発信したり、SNSで切り取り発言を放流したのちに生まれたエコーチェンバー効果による流言飛語を“ネット世論では”と再発信するなど、コタツ記事の位置付けは否定的な意味合いへと大きく変化した。
この間、コタツ記事に関する取材を受けることも幾度となくあったが、近年は情報を受け取る側もコタツ記事に慣れきってしまい、一次情報源を持たない報道を当たり前のものとして受け取るようになってきた。
いわば“コタツ記事の普遍化”である。
今回の一連の問題についても、個人間でのトラブルとして解決済みの案件で守秘義務が発生している以上、一時情報源を持たない記者の意見はすべて“コタツ”だ。ニ度目のフジテレビ会見でも、多くの記者が“文春の報道によると”と責め立てていたが、彼らは何も情報源など持っていないのだ(しかも基になった文春報道は重要事実の訂正を直前に行っていた)。
今回のような騒動で、フジテレビのように記者会見を行う側も、それを伝える記者の側も、情報の非対称性と情報源の確実性に関して、もっと真剣に考えるべきだろう。
“ネット民は恐ろしい”などと言っていては問題は解決しない。エコーチェンバー効果によるコミュニティ特性などは研究が進んでいる。SNSでのネット世論はコントロールできるものではない。自らが手の届く範囲で、情報の品質について見直すべきだろう。
また、情報を受け取る側も、ネットコミュニティの長所を享受しつつ、そこには弱点、欠点が存在することを意識すべきだ。
本田 雅一 :ITジャーナリスト
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