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フジテレビのやり直し会見では、記者の姿勢が問題視され、メディアの信用が揺らいでいる状況を伝える記事が紹介された。

フジテレビや週刊文春を巡る疑惑や報道の信頼性についての議論が続いており、フリージャーナリストや文春を信じる人々、それを疑う人々といった意見の対立が表面化している。

メディア不信やプロパガンダの影響が広がり、信頼できる情報源に対する見方が変化していると指摘されている。

(要約)

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オープンな形式で行われたフジテレビのやり直し会見では、記者の姿勢が問題視される場面があった Photo:JIJI 

 

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● フジテレビも文春も火だるま… 勝者ゼロの地獄絵図 

 

 ナチスドイツやヒトラーを取材したジャーナリストでもあったP.H.ドラッカーは「経済人の終わり」(ダイヤモンド社)の中でこんな警鐘を鳴らしている。 

 

 「プロパガンダ蔓延の危険性は、プロパガンダが信じ込まれる、ということにあるのではまったくない。その危険は、何も信じられなくなり、すべてのコミュニケーションが疑わしいものになることにある」 

 

 この言葉は今の日本にそのまま当てはまる。少なくとも、中居正広氏に端を発した「フジテレビ問題」はそうだ。 

 

 フジテレビ経営陣が世間の感覚とズレた対応をしている限り、信頼を取り戻せないということは、先週の《中居正広トラブルでフジテレビが存亡の危機!松本人志なんか比じゃない「ギョーカイの闇」》でも解説したとおりだ。 

 

 1月27日に開催された「地獄の10時間会見」でも、トラブル把握後も中居氏の放送を1年以上も継続するという明らかに異常な経営判断を「被害女性のコンディションへの配慮」で押し通した。「フジテレビへの不信感」がさらに募る中で、さまざまな情報が飛び交い、何が本当かわからない状態だ。 

 

 ただ、そんなフジテレビ以外にも急速に「社会の信用」を失っている人々が、フジテレビの「闇」を厳しく追及する一部のフリージャーナリストの皆さんだ。 

 

 彼らにとっては「巨悪」を厳しく詰問し、精神的に揺さぶって言質を取るというのは、ベーシックな取材スタイルだ。しかし、その姿が記者会見の中継で全国に流れたことで、ACジャパンの「決めつけ刑事」の姿と見事に重なった。ネットやSNSでは批判が殺到。2ちゃんねる創設者のひろゆきさんは、今回の会見で「フリーランスを入れると時間の無駄になる」ことがわかったと論評をしている。 

 

 ただ、そんなフリージャーナリストの皆さんよりも「社会の信用」が爆下がりしている人々がいる。「週刊文春」だ。 

 

 

 同誌は昨年12月26日発売号で今回の疑惑の第一弾記事を掲載している。その中で、中居正広氏と女性のトラブルの発端となった「食事会」について、フジテレビ幹部社員のA氏がセッティングしたと報じた。しかし、実はその後の取材によって、この食事会については中居氏が女性を誘っていたことが判明したというのだ。 

 

 そのため、1月8日発売号の第2弾記事からは、そのように報じていた。この「軌道修正」を指摘した弁護士の橋下徹氏の言葉を借りれば、「しれっと誤りを上書きしていた」のである。 

 

 その対応もさることながら世間が不信感を抱いたのは、この「誤った情報」が掲載されていた第一弾記事の「訂正」を、フジテレビの会見が終わるまで「公表」しなかったことである。 

 

 週刊文春電子版が昨年12月26日発売号の記事を訂正したのは1月28日。そう、フジテレビ経営陣が「A氏の関与」をめぐってつるし上げられた10時間会見の翌日なのだ。この不可解なタイミングについて、フジテレビの清水賢治社長もこう述べている。 

 

 「10時間以上の会見をやっていましたが、あそこにいらした記者さんがそこまでの時間を使わなくても済んだんじゃないか、という気はいたしました」 

 

 これには賛同する人も多いだろう。一般社会の感覚では、1月6日の取材で誤りがわかった時点で、第一弾の記事を訂正すべきという発想になるだろう。食品や製品で「誤表示」や「異物混入」を把握した場合、すぐさま関係省庁に報告して速やかに公表や回収をするはずだ。そのため、ネットやSNSでは「卑怯」「やっぱり文春はゴミ」など批判の声が溢れている。 

 

 フジテレビが炎上をするだけではなく、同社の「疑惑」を厳しく追及していた文春やフリージャーナリストまで火だるまになるという「勝者ゼロ」の展開に、「やっぱりマスゴミの言うことなど、何も信じられないな」という憤りの声も多い。 

 

 そんなメディア不信の深刻さを伺えるのが、ネットやSNSの一部ユーザーで盛り上がっている「中居くんは悪くない」「中居正広氏はでっちあげ記事で葬り去られた」というものだ。 

 

 

 そう思いたい方のお気持ちは理解できるが、中居氏と女性の間に「トラブル」があったことは中居氏本人も認めている。そして、あの10時間会見でも明らかになったようにこの「トラブル」は被害女性の上司、フジテレビ経営陣も内容も含めて把握しており、「人権侵害の恐れがある」と述べるほど深刻なトラブルだ。 

 

 つまり、「A氏が食事会をセッティングした」というのは文春の誤報であったとしても、「中居くんは悪くない」「捏造記事にハメられた」とはならないのだ。しかし、文春への信用低下によって、「深刻な人権侵害トラブル」の存在自体が「嘘」だと主張している人たちまで現れている。中には、特定の政治勢力や某国が裏で糸を引いて、中居氏をスケープゴートにしているという「陰謀論」まで唱えられている始末だ。 

 

 「なぜそんな飛躍が?」と驚く人もいるだろうが、これこそが冒頭でドラッカーが述べているプロパガンダ蔓延の危険性だ。 

 

 フジテレビを始めマスコミは信用できない。それを追及するフリージャーナリストも「決めつけ刑事」のようで共感できない。そして、これまでは「正義の裁き」と持ち上げてきた「文春砲」の信頼性まで揺らいできてしまった。 

 

 そういうオールドメディアの信頼が総崩れしていく中で、人々は何を信じるかというと、「プロパガンダ」だ。ネットやSNSで匿名の誰かが流した「マスコミが報じない真実」という話や、YouTubeなどで独自の見解を唱えるインフルエンサーの言葉を鵜呑みにしてしまう。 

 

 「そんなのデマでしょ」という指摘は通じない。なぜなら「文春? あんなのデマばかりだよ」「ジャーナリストなんてみんな決めつけ刑事みたいな連中だよ」という感じで、「マスゴミ」の方がもっと信じられないと思っているからだ。 

 

 メディアやジャーナリストが信じられない社会ということは裏を返せば、「自分の好きなことを信じればいい社会」ということだ。だから、「中居くんは悪くない」「中居氏はハメられた被害者」という話を信じたい人は、そういう主張を唱えるインフルエンサーなどを支持して「マスゴミのデマ」に耳を塞ぐ。不信感から憎悪が高まっていくので、発する言葉もどんどん攻撃的になっていくというワケだ。 

 

 つまり、今の日本はドラッカーが予見した「プロパガンダが蔓延することで全てのコミュニケーションが信用できなくなる」という地獄のような世界になりつつあるということだ。 

 

● 「文春記事訂正」で失墜したメディア 信頼を取り戻す“たった一つ”の条件とは? 

 

 では、これを回避するためにはどうすべきか。ひとつは「文春はたかが週刊誌」という前提に戻ることだ。 

 

 

 2024年1月、筆者は《松本人志さんと吉本興業の初動は“最悪”、でも「文春砲=正義」の風潮に違和感のワケ》という記事で、元週刊誌記者の立場で、テレビや新聞、そして高名なジャーナリストまでが文春報道を根拠にして不正を追及する風潮に苦言を呈した。そこから1年間繰り返し、「あまり文春を持ち上げないほうがいい」と主張してきた。理由は以下だ。 

 

 《本連載でも繰り返し述べているが、週刊文春の取材は確かにすごいのだけれど、犯罪捜査をする専門機関ではない。「たかが週刊誌」なので、間違えることもあれば、裏付けの取れていない話を報じてしまうこともあれば、「売れる」ために意図的に読者の溜飲を下げる方向へ論調を曲げることもある》(24年11月14日《松本人志「訴訟取り下げ」への批判が“気持ち悪い”…「たかが週刊誌」に踊らされる人が知らない「性加害報道の実態」》) 

 

 文春をディスっているわけではなく、週刊誌で働いたことのある人間ならば誰もが身をもって感じる「現実」だ。だから本来は、社会の公器を名乗るテレビや新聞や、実績のあるジャーナリストが後追いするようなものではない。実際、筆者が週刊誌にいた27年前などは、「売らんかなでテキトーな話を載せている」とそういう人たちから思いっきり「下」に見られていた。 

 

 だから、今のように文春記事を手にして、テレビや新聞の記者、有名ジャーナリストが不正を追及するような状況はかなり「異常」なことだ。これが当たり前のようになっていることが危険だと再三申し上げてきた。文春が誤報するなどして「嘘くさい」というイメージになれば、文春を「信頼できる情報源」として依存しているすべてのメディア、すべてのジャーナリストまで「嘘くさい」と総崩れしてしまうからだ。 

 

 こういう最悪のシナリオを避けるためにも「文春依存」をやめるべきだと申し上げてきた。仮にも報道機関やジャーナリストを名乗っているのならば、「文春にはこうあるぞ」と会見で追及をするのではなく、自分自身で取材をしたことで報道をすべきなのだ。 

 

 

 
 

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