( 259106 ) 2025/02/02 16:50:47 0 00 優先席(画像:写真AC)
「私は座るが、必要な人が来たら譲る」
電車の優先席について、こう考える人は少なくない。しかし、実際の電車内では、優先席から立ち上がる人をほとんど見かけない。席を譲るのは主に若者であり、長年観察してきたなかで、中年男性以上が譲るケースは非常に稀だ。
さらに興味深いのは、席を譲るのが優先席ではなく、一般席の乗客であることが多い点だ。このギャップは、単なるマナー意識の問題にとどまらず、
・人間の心理 ・社会構造 ・鉄道の運用設計
など複数の要因が絡み合っているのではないか。
わかもと製薬(東京都中央区)が実施した調査によると、2023年9月に行われたアンケートで、1949人を対象に「電車に乗った際、優先席に座ることがあるか」と尋ねたところ、約3分の2にあたる「66.9%」が座ることがあると回答した。座る理由としては、
・その席を必要とする人がいたら譲るつもり ・席が空いているのに立っていると邪魔になるから ・高齢だから ・その席しか空いてないから ・疲れているから
など、さまざまな理由が挙げられた。
本稿では、「譲るつもり」がなぜ実際の行動につながらないのかを深掘り、優先席が本来の役割を果たすために必要な条件について考える。
一般席(画像:写真AC)
「席を譲ろう」と考えていても、実際には行動に移せないことがある。その背景には、さまざまな心理的要因や社会的要因が影響しているだろう。
まず、座席に対する「心理的所有」の感覚が挙げられる。一度座ると、その席を
「自分のもの」
と感じやすくなる。単に座席を確保しただけのつもりでも、「せっかく座れたのだから手放したくない」という気持ちが無意識に働くことがある。特に、長時間労働や疲労が蓄積していると、この感覚はより強まる傾向にある。「譲るつもり」はあっても、実際に立ち上がるには「今この席を手放すべきか?」という判断が必要になる。しかし、疲れていると決断を先送りしやすく、
「もうすぐ降りるかもしれない」 「ほかの人が譲るのではないか」
と考えてしまうこともある。
次に、「譲る = 相手を評価する」という側面が、行動のハードルを上げている可能性がある。席を譲ることは、「あなたはこの席が必要な人だ」と相手を評価する行為にもなる。日本ではこの点が難しく感じられることが多い。
例えば、高齢者でも健康そうに見える場合、「譲ることでかえって失礼にあたるのではないか」とためらうことがある。また、障害の有無は外見だけでは判断しにくいため、「見た目で決めつけてしまっていいのか」と迷いが生じることも少なくない。こうした戸惑いが結果的に「何もしない」という選択につながることもあるだろう。
さらに、集団心理の影響も無視できない。優先席には複数の人が座っていることが多く、
「自分が立たなくても誰かが譲るだろう」
という心理が働きやすい。周囲の誰も譲らない状況を目にすると、それが「この場では譲らなくてもよい」という無意識の共通認識になりやすく、結果として誰も立ち上がらないということも起こりうる。
席を譲る行動には、単なるマナー意識だけでは説明しきれない心理的・社会的な要素が絡んでいる。こうした要因を理解し、誰もが自然に譲り合える環境をつくるにはどうすればよいか、改めて考えてみる必要がありそうだ。
優先席(画像:写真AC)
なぜ中年男性以上が席を譲るケースが少ないのか。
電車内の様子を見ていると、優先席で席を譲るのは若者が多いように感じられる。対照的に、中年男性以上が席を譲る場面はあまり見られない。この違いは、個人の意識だけでなく、社会的な背景とも関係しているのではないか。
中年男性の多くは長時間労働を経験し、慢性的な疲労を抱えている。電車の座席は単なる移動手段ではなく、貴重な休息の場という意味合いを持つこともある。
「これだけ働いているのだから、座るくらいは許される」
といった意識が、無意識のうちに芽生えやすいのかもしれない。また、「働く男性は疲れていて当然」という価値観が根強く残る日本では、周囲の視線を気にせず座り続けることへの心理的ハードルが低いことも影響していると考えられる。
社会的な価値観の違いも、席を譲る頻度に関係しているようだ。日本では、若者には「気配りをすること」が求められる場面が多く、特に女性に対しては「周囲に気を配るべき」という意識が強く働きやすい。それが電車内での行動にも反映されているのではないか。
一方、中年男性は率先して気を配る役割を求められる機会が少ない。「自分が譲るべきだ」と考える発想自体が生まれにくいことも、席を譲る行動が少ない理由のひとつといえそうだ。
ヘルプマーク(画像:写真AC)
優先席が「譲るべき席」として十分に機能していない現状を改善するには、単なるマナー啓発だけでは限界があるかもしれない。鉄道事業者が実施できる具体的な施策を考えてみたい。
現在の優先席は、一般席とほぼ同じデザインのため、「特別な席」という意識が薄れやすい。座席の色を変えるだけでなく、座り心地をわずかに硬くしたり、折りたたみ式にしたりすることで、「長時間座るための席ではない」という認識を持ちやすくなるのではないか。
また、優先席が一般席と混在していることで、「座っても問題のない席」と捉えられるケースも少なくない。この点を改善するため、車両の一角を「優先席専用エリア」として明確に区分することで、利用の仕方がより適切なものになる可能性がある。
さらに、デジタル技術を活用した仕組みの導入もひとつの方法だ。「譲る意思があっても、実際に行動に移しにくい」と感じる人は少なくないが、その要因のひとつに、席を立つ適切なタイミングが分かりにくいことが挙げられる。例えば、アプリや車内モニターを活用し、「この車両には優先席を必要としている人がいます」といった情報を発信すれば、譲る行動を取りやすくなるかもしれない。
こうした工夫を積み重ねることで、優先席が本来の役割を果たしやすくなることが期待される。
優先席(画像:写真AC)
「譲るつもりがあっても、実際に席を譲る人が少ない」
という現象は、人間の心理、社会的な背景、そして鉄道のデザインが複雑に絡み合った結果である。この問題を解決するためには、単に「マナーを守るべきだ」と訴えるだけでは不十分だ。
鉄道事業者、社会全体、そして乗客ひとりひとりが協力して「譲りやすい環境」を作り出すことが、優先席が本来の役割を果たすためのカギとなる。
作田秋介(フリーライター)
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