( 259406 ) 2025/02/03 04:58:17 0 00 東京・お台場のフジテレビ本社(写真:Tanasut Chindasuthi /Shutterstock.com)
中居正広氏の女性トラブルに端を発するフジテレビ批判。1月27日に同社が開いた記者会見は10時間超えという異例の展開となり、メディアやジャーナリストのあり方にもさまざまな意見が出ている。過去にメディアが世間から激しい批判を浴びた事例として、1996年に起きたいわゆる「オウムビデオ問題」があった。TBSが「未放映インタビュー」をオウム真理教の幹部に見せたことが明らかとなり、それが教団を追及していた弁護士一家殺害の一因と指摘された問題だ。当時、TBSでキャスターを務め、現在はメディアリテラシーの訪問授業や企業研修に注力している下村健一氏は今回のフジテレビ問題をどうみているのか。前後編に分けてお届けする。(JBpress)
(下村 健一:元TBSキャスター、白鴎大学特任教授)
■ フジテレビ社員の皆さんに頑張ってもらいたいこと
1996年、TBSは世間から厳しく非難される大逆風の中にいた。坂本堤弁護士一家3人がオウム真理教信者らに殺害される結果を招いた、いわゆる「オウムビデオ問題」という1989年の出来事が明らかになったためだった。
7年も前のある日、本社から遠く離れた分室で、ごく数人のスタッフが起こした出来事。当然私を含むほとんどの社員にとっては完全に初耳の話で、何が何だかわからなかった。関係社員から徹底調査もせず当初世間に対して否定する発言をし、批判の火に油を注いでしまった経営陣に対する不信や憤りも激しかった。
だが、犯した過ちが罪深すぎた。3人の命が奪われたという結果の重大さは、「自分達は何も知らなかったんだ」で済まされることでは到底なかった。
我々は、坂本さんご一家に対する痛切な思いと、事件の発端を作った当該社員や迅速な対応を取らなかった上層部への怒りを胸にしまって、TBSとしての連帯責任からひたすら非難を受け続ける日々を送った。
——そんな体験をした我々だからこそ、今かなり似た構図の渦中にいるフジテレビの一般社員の皆さんの気持ちは、それなりに想像ができると思う。その想像を踏まえて、お伝えしたい事が3つある。
1つ目。生番組などで時々、局アナさんなどがフジの一社員としての個人的思いを吐露している場面を見かける。そんな時、「自分達も悔しい」とか「早く真相を明らかにして」といった、やや被害者意識の混じったようなコメントは吐くべきではないと思う。
29年前、僕らも声を大にしてそれを言いたくて仕方なかったから、もどかしい気持ちはすごくわかる。でも我々なんか比べ物にならないほど悔しい思いをした事件当事者さんがいるのだし、「明らかにして」ではなく「明らかにします」と当事者意識で誓うべきだから。
実際、例えば報道部門にいると芸能部門の世界の事は普段は全くわからないけれど、でも同期入社の仲間の何人かはきっとそちらの分野にも行っていて、「事情を聞ける相手が誰もいない」ことはないはずだから。第三者委員会に丸投げしないで、できる事はやる自浄努力を惜しまないで。
■ 他メディアからの取材拒否は自分の仕事の否定になる
2つ目。おそらく今、フジ社員には「他メディアの取材に軽々に応えるな」といった類の色々な箝口令が敷かれていると思う。でもここで取材拒否をすることは、いつも人様にカメラやマイクを向けている自分たちの仕事を否定することになってしまうから、どうか拒否はしないでほしい。
もちろん、被害女性のプライバシーに触れることや、憶測に基づくことは口走るべきでないけれど、それ以外の質問には精一杯誠実に答えてほしい。そしてまた、そうやって覚悟を決めて外の質問に答えている仲間がいても、他の社員は「皆が辛い思いに耐えて沈黙を守ってるのに、あいつだけペラペラ喋ってるよ」などと絶対に白眼視しないでほしい。
私自身も、前述のTBSバッシングの最中、奇しくもフジテレビと週刊文春からコメントを求められ、腹を括って回答した。フジの路上直撃インタビューは翌朝の全国放送で流されたし、文春に至っては訊かれて喋った内容が「下村が手記を寄せた」という形に歪曲されてデカデカと載せられた。
どちらも社内の少なからぬ仲間からスタンドプレーと反発されたけれど、それでも後悔はしていない。もしあのとき両社の回答を拒否していたら、自分はその後、人に対して取材活動など図々しくてできなくなっていただろうから。
そして、3つ目。まだまだ大炎上が続いている真っ最中に無理言うな、と叱られそうだが、この焼け跡の更地に新しく何を建てるのか、復興計画を今すぐしっかり考え始めてほしい。本当に反省して生まれ変わるんだ、新しい企業文化を作るんだ、という決意を、言葉でなく番組という主戦場で示してほしい。
ネットに押されてジリ貧のテレビ界にあって、現在のフジは、スポンサーがいなくなったことを逆手にとって開き直って《今しかできない冒険的番組》に挑める(挑むしかない)起死回生のチャンス到来ではないか。
冷笑を恐れずに言い放つが、例えばまだスポンサーが戻らないこの4月から6月までの3カ月短期集中で、兵庫県知事選ショックを踏まえた7月の参院選に向けての画期的選挙番組にチャレンジしてみるとか。ユーチューバーたちが太刀打ちできない現有リソースを活かしまくった、超低予算番組を作ってみせるとか。
ほとぼりが冷めて少しずつスポンサーが戻ってきて、(元通りの水準までは 無理だとしても)また無難なつまらぬ枠内にちんまり帰って行く前に、何か突破口を見つけてほしい。
■ 「女性のため」は、事実か口実か
記者会見でフジ幹部たちは、事件を認識してからずっと伏せてきたのは、当事者女性のプライバシー保護のためだったという趣旨の説明をした。
確かに、性的トラブルで被害を受けた人が、いずれ職場復帰するために問題の表面化を望まないことは、あり得るだろう。本人の意向が明示されていない場合でも、周囲で相談に乗る人たち(親友とか、直属の上司とか)が、医療専門家などごく一部のチーム内に話を留めて表面化しないように行動することは、往々にしてある。この部分の真相は、文字でのやり取り記録がかなり残っているだろうから、いずれ明らかになってこよう。
もちろん今回の場合、表面化しないことで守られるのは当事者女性ご本人だけではなく、中居氏もフジテレビも守られる。だからと言って、「実は一番守りたかったのは当事者女性ではなく会社だろう!」などと“何が一番かの勘ぐり合い”をしても仕方ない。
唯一問題になるのは、ご本人が強く公開を望んでいたのに周囲が口止めしたというケースだ。今のところそれを疑う展開にはなっていないと私は見るが、何も即断しないで3月の第三者調査委員会の調査結果を待とう。
一方、事件認識後も中居氏を番組に起用し続けた理由についても、フジ側は会見で「当事者女性に刺激を与えないため」といった趣旨の説明をした。これは、かなり無理がないか?
会社の都合で中居氏を続投させていたのに、その口実に「女性のためを思って」を悪用しているようにしか、私には聞こえなかった。だとしたら、タチが悪い。ここも第三者委員会の結果で注目したい部分だ。
■ 取り巻きの持ち上げによって“権力の過大視”が起きる
「全てのことを日枝が決めているというふうに言われるが、実はそんなことは本当にない」
フジテレビの遠藤龍之介副会長は、そう言った。そりゃそうだろう。だが実際の権力以上に、取り巻きの持ち上げによる“権力の過大視”そのものが権力の効き目を過大にしてしまうということはある。
実際、今回の騒ぎが起きて以降、現場の一線からかなりの上層まで複数のフジ社員と話してみると、日枝体制を「ただ意識している」程度の人から、ビビり方や諦め方が尋常でない人までいる。
■ 日枝体制は、なぜこの機に幕引きがベターなのか
上記の復興プランのような話で発破をかけてみても、「改革じみた事は、日枝派に潰されるから無理」と受け流される。「職場のどこに日枝派がいるのか見えなくて、誰と話すと密告され飛ばされるのかわからない」「忠誠を誓うと、ご褒美がすごいらしい」といった都市伝説じみた話に縛られている人もいる。
まさか、そんな恐怖政治は幻想だろう。だが、そういう幻想によって萎縮効果が生まれていること自体は、現実だ。それが自浄能力の発揮を妨げる一因になっているのだとしたら、やはりこの機会にご退場を検討していただく方が、会社のためのように思える。
——この原稿を書いている最中に、埼玉の道路陥没のニュースが入ってきた。穴は、ジワジワ拡大していく。表面上いつも通りに見える周囲のアスファルト部分も、実は中が巨大な空洞になっていて、陥落寸前かもしれない。なんだか、フジテレビ問題とオーバーラップして見えてしまった。
下村 健一
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