( 260263 ) 2025/02/04 18:00:00 2 00 「地方暮らしはクルマがないと無理」は単なる甘え? 本当? いまや75歳以上の高齢者「約2割」時代…地方の交通インフラ崩壊の危機とはMerkmal 2/4(火) 5:51 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/58dff0190791781b83150cf19003ec7dad8bcee1 |
( 260266 ) 2025/02/04 18:00:00 0 00 地方のクルマ社会イメージ(画像:写真AC)
先日、「地方暮らしはクルマがないと生活できないは9割甘え」という投稿がネット上で物議を醸した。この発言に対し、地方の実情を知る人々から批判が殺到した。
批判者からは、
「近所のコンビニまでクルマで15分ちょい。ショッピングモールは100キロ以上先」 「クルマがないと生活できないは甘えって思っている人は一度クルマなしで1、2年ド田舎に住んでみてほしい」
といったリアルな意見も寄せられ、はからずも地方の交通インフラの実情が明らかになることとなった。
筆者(昼間たかし、ルポライター)はこれまで全国各地を取材してきた。その経験から、日本の多くの地域ではクルマなしで十分な生活を維持することは難しいと考えている。
福岡県北部の福津市は、2005(平成17)年に旧福間町と旧津屋崎町が合併して誕生した。福間駅から博多駅までは快速で25分、特急なら15分という好立地にあり、福岡市のベッドタウンとして発展を続けている。人口も増加傾向にあり、2017年1月末の6万1773人から、2024年12月末には6万9186人へと着実に伸びている。取材を通じて住民の声を聞くと、多くが「住みやすい」と口にするものの、その言葉には決まって「クルマがあれば」という前提が付く。
福間駅周辺ではマンション建設が進み、一定の商業施設も集積している。しかし、市内で最も賑わうのは、駅から循環バスで約8分の距離にあるイオンモール福津だ。その他の商業施設も、イオンモールが立地する国道3号線沿いや、県道97号線沿いに集中している。福間駅を中心に路線バスが運行されているものの、その利便性はクルマには遠く及ばない。
同様の状況は、福岡県内の他の都市にも見られる。例えば糸島市は、福岡市内から電車で40分足らずとアクセスが良く、風光明媚な環境も相まって首都圏からの移住者も多い人気エリアだ。しかし、ここでも日常生活にはクルマが欠かせない。
糸島市には「JA糸島産直市場 伊都菜彩」という人気の市場があるが、訪れる際に最寄りのJR筑肥線・波多江駅から歩いて向かう人はほとんどいない。実際、取材時に徒歩でアクセスしていたのは筆者だけだった。
深刻なのは、県庁所在地のような地域の中核でさえ、クルマ依存が常態化していることだ。例えば秋田県秋田市では、中心部ですら歩行者の姿が少なく、市民の移動手段はほとんどクルマに限られる。駅から少し離れた場所へ向かう場合、運行頻度の低い路線バスを待つ必要があり、日常の足として利用するには心もとない。この時の目的地は秋田大学だったが、結局、歩いたほうが早かった。
高齢化社会のイメージ(画像:写真AC)
こうした状況は、東京、大阪、名古屋、札幌、福岡といった五大都市圏の中心部を除けば、日本のほとんどの地域で当たり前になっている。しかし、クルマ移動を前提とした都市構造は、急速な高齢化という避けられない現実に直面している。
厚生労働省の推計によると、75歳以上の高齢者人口は2025年に2179万人、2055年には2401万人に達する見込みだ。これは2025年時点で日本の総人口の
「18.1%」
が75歳以上となることを意味する。さらに、世帯構造も大きく変化し、世帯主が65歳以上の単独世帯と夫婦のみ世帯の割合は、2030年には26.6%、2035年には28%にまで上昇すると予測されている。
こうした人口・世帯構造の急激な変化は、日本社会の移動のあり方に根本的な見直しを迫っている。とりわけ深刻なのが、いわゆる
「買物難民」
の問題だ。政府資料では「買物弱者」とも表記されるが、クルマなしでは日常の買い物すら困難になる高齢者が今後さらに増えていくことは避けられない。
買物難民の増加は、すでに深刻な社会問題となっている。農林水産省の農林水産政策研究所は、店舗までの直線距離が500m以上で、かつ65歳以上でクルマを利用できない人を
「食料品アクセス困難人口」
と定義している。2020年の国勢調査をもとにした推計では、この人口は全国で904万人に達し、65歳以上の25.6%に相当する。75歳以上に限れば566万人、全75歳以上人口の31.0%にのぼる。
「食料品アクセスマップ」によれば、この問題は地方だけでなく都市部でも深刻だ。東京都内でも府中市は34.7%、八王子市は39.8%と、多くの高齢者が日常の買い物に困難を抱えている。福津市(32.8%)、糸島市(31.3%)、秋田市(31.4%)なども同様の状況にある。
さらに衝撃的なのは、アクセス困難人口の割合が30%を超える地域がひとつもないのは、全国で富山県だけという事実だ。一方、青森県では県庁所在地の青森市(34.9%)を含め、すべての市町村で30%を超えている。秋田県も同様で、30%を下回るのは大潟村(29.4%)のみという深刻な状況にある。
ニュータウン(画像:写真AC)
食料品アクセス困難人口の増加は、主にふたつの要因によって引き起こされている。ひとつめは、地方都市の中心部における商店街の衰退だ。かつて地域の買い物の中心だった商店街は、大型店の郊外移転や新規進出によって客足が遠のき、次々とシャッターを下ろしている。この結果、中心市街地に住む高齢者は、日常の買い物に困難を抱えるようになっている。
ふたつめは、ニュータウンでの商業機能の喪失だ。かつてはニュータウン内にスーパーマーケットを中心とした商業施設が存在し、地域住民にとって便利な買い物環境を提供していた。しかし、クルマでアクセスできるロードサイドの大規模小売店舗に客足を奪われ、これらの店舗は次々と閉店している。その結果、高齢化が進むニュータウンでは住民が買物難民になるという深刻な状況が生まれている。
このように、郊外型の大型商業施設への一極集中は、クルマを自由に使える人々にとっては利便性を高める一方で、使えない高齢者などの生活基盤を脆弱にしている。
この現状は深刻なジレンマを引き起こしている。運転に不安を抱える高齢者であっても、クルマを手放すことができない状況だ。近年、高齢ドライバーによる痛ましい交通死亡事故のニュースが増えているが、免許の自主返納は思うように進んでいない。警察庁の統計によれば、免許返納数は1998(平成10)年に2596件から、2019年には
「60万1022件」
とピークを迎えた。しかし、その後は減少傾向にあり、2023年には38万2957件にまで落ち込んでいる。
『産経新聞』電子版は、この減少傾向の背景として、コロナ禍による高齢者の外出機会の減少が返納の動機づけを弱めたことを指摘している。しかし、もっと本質的な問題は、多くの高齢者が生活のために運転を続けざるを得ない現実にある。つまり、危険を認識しながらも生活を維持するために免許を手放せないという切実な状況が浮かび上がっている。
日本の都市構造がクルマ中心に進化した背景には、高度経済成長期における急速な普及がある。
クルマは移動の自由を大幅に拡大し、かつてない便利さを人々にもたらした。実際、一般家庭の乗用車普及率は1970(昭和45)年に22.1%だったが、1981年には58.5%にまで増加した。この間、クルマの走行性能が飛躍的に向上し、道路インフラも全国で整備され、人々はより遠く、より速く移動できるようになった。
この利便性の高さから、都市計画も徐々にクルマ利用を前提に進められるようになった。その結果、東京や大阪といった大都市圏を除けば、日本のほとんどの地域はクルマなしでは生活が難しい都市構造に変わっていった。
このクルマ中心の都市構造は、特異な特徴を生み出した。1990年代以降、郊外型のショッピングモールが急増し、広大な駐車場を備えた「ワンストップショッピング」型の施設が主流となった。また、市町村合併による行政区域の拡大とともに、病院や図書館、市役所といった公共施設は広範囲に分散配置されるようになった。特に医療機関に関しては、高度医療を提供する病院が郊外に立地するケースが増加した。
さらに、郊外の土地が安価であることを背景に住宅地の開発が進み、スプロール化が進行した結果、通勤や通学にかかる距離が長くなり、既存の公共交通が対応できないエリアが拡大した。
富山市(画像:写真AC)
都市インフラ整備においては、自動車道路の建設が最優先され、歩行者や自転車利用者のための空間整備は後回しにされてきた。このように確立された都市構造は、一度形成されると変更が極めて難しい。既存の建物や道路網を改修するには莫大な費用がかかり、土地利用の変更には地権者をはじめとする利害関係者との調整が必要となるため、都市の構造を変えることは容易ではない。
さらに、長年にわたりクルマ中心で形成されてきた都市では、住民の生活様式や行動パターンがクルマ利用を前提としたものに固定化している。物理的な都市構造を変更できたとしても、人々の行動様式を変えるのは簡単ではない。この結果、クルマに依存しない生活を望む人々にとっても、現実的には極めて困難な状況が続いている。特に高齢者や障害者、経済的な理由でクルマを所有できない人々にとって、現在の都市構造は移動の自由を著しく制限している。
都市構造の改革は、インフラ整備や土地利用計画の変更、人口移動など多岐にわたる要素を含む大規模なプロジェクトであり、計画から実現には膨大な時間が必要だ。しかし、急速に進行する高齢化には時間的余裕がない。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2040年には高齢化率が35%を超え、3人にひとり以上が65歳以上となる。これはクルマ依存型の都市構造に対して重大な課題を突きつける。特に、医療施設や商業施設の再配置は喫緊の課題だ。クルマの運転が困難になる高齢者が増加する中、地方都市では、高齢者が無理なく通院や買い物をできる施設配置の見直しが求められている。
注目すべき取り組みとして、富山市の事例がある。同市では2007(平成19)年以降、「お団子と串」と呼ばれる都市構造への転換を進めている。これは、路面電車やバスなどの公共交通を「串」に見立て、その沿線に病院や商業施設などの都市機能を「お団子」のように集約する構想だ。この取り組みは、クルマに頼らず生活できる都市づくりを目指した先進的な取り組みとして、全国的に注目を集めている。
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( 260265 ) 2025/02/04 18:00:00 1 00 - タクシーや公共交通機関の減少が地方在住の高齢者にとって大きな問題となっている。 - 自動運転車の実用化や高齢者専用の自動車開発などの提案がある。 - 都市部と地方では生活環境が大きく異なり、一律に考えることはできない。 - 地方において車が生活の必需品であるケースが多く、移住や交通手段の見直しが求められている。 - 公共交通機関の整備不足や地域間の差異、高齢者の運転環境などが問題視されている。 - 都会や田舎、地方における車の必要性や生活への影響についての意見が分かれている。 - 自動運転車の導入や地方都市への移住促進など、さまざまな提案が出されている。 - 地域ごとに地域特性や状況を考慮した対策が必要である。 - 車の所有や公共交通機関の充実、自動運転技術の進化など、地方の交通問題に対する議論が続いている。
(まとめ) | ( 260267 ) 2025/02/04 18:00:00 0 00 =+=+=+=+=
地方在住の父が78歳で免許を返納した後、病院へタクシーで行っていました。 タクシーも減っています。 都会のように流しているタクシーはいませんので電話で呼びますが、 出払っています。 と断られます。 タクシー運転手もほとんどが70代。 バスは本数も路線も減り、ほとんど役に立ちません。 電車は2時間に一本、駅と駅の間隔もかなりあります。 駅までは若い時は自転車でしたが、乗れないほど歳をとったら徒歩でだらだら続く坂を40分。年寄りが田舎で暮らすのは無理です。
▲302 ▼8
=+=+=+=+=
鉄道やバスなどの公共交通機関も人手不足や赤字が深刻でどんどん路線廃止や減便が進んでいます。高齢者に車を手放して公共交通機関を使えというのは、便利な都会に住む人の一方的な論理です。高齢者に限らず地方では車を運転できないと生活自体が成り立たないのが現実なのです。 国は地方に対して公共交通機関の充実化を実現できないのであれば、高齢者専用の自動車を開発、普及するなどの努力がもっと必要です。 高齢者専用の自動車とは例えば最高時速50キロ程度までしか出なくて、カーナビやスマート信号機と連動させることで逆走や信号無視等を感知したら車を強制的に止めてしまうようなシステムで今の技術があれば開発できると思います。自動運転の完全な実用化にはまだまだ時間がかかるので、その過渡的な方法を考えなければならないと思います。
▲154 ▼38
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市人口50万の都市に住んでいますが、所在地は相続の関係でバスが廃止になったところで、最寄りのバス停まで2kmです。親が通院で初めはバス停まで歩いていましたが、途中から兄弟でリレーして送り迎えしていました。駅中心から5kmぐらいしか離れていないのに公共交通機関が無いとものすごく不便で、車があるのでなんとか生活していますし、自転車で行動できないことは無いですが、今後健康を害したらそれも難しいなあと不安を感じながらの生活です。 良く75才ぐらいから調子が落ちると言われていますので、交通手段が他に無い人のことを考えていない社会にまずもの申してから、高齢者の運転環境を問うべきだと思います。
▲88 ▼17
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注目すべき取り組みとして、富山市の事例
とあるけど、これはある程度の規模がある 市部のインフラで、問題の核心は 市部ではなく多数あるもっと小さい自治体の インフラをどうするのか?ではないですか?
高齢ドライバーでも 「事故を起こさない車」を推進した方が 「直近」で時間的に可能性があると 思いますが。
そして経年でコンパクトシティ化が 推進された時に、その中の高齢の方々の 移動をどうするのか?が 未来の問題提起と言う段取に思います。
▲57 ▼9
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ど田舎ではない人口2万人の市に住んでいるが、この40年で買い物事情は大きく変わった。 この記事の通りで、自分が子供の頃は自宅から300m以内に八百屋、魚屋、豆腐屋、床屋、それに銭湯まであった。 それが3km先に大型スーパーができ記事の通りに近所のお店は姿を消した。 自分も車に乗るようになったらスーパーに行くようになり、近所の八百屋は客足が減少し鮮度は落ち価格も高めで益々客がいなくなった。 結婚し実家を離れ、実家には両親だけの暮らしになり、まだ足腰がしっかりしているうちは1km先にある小さなスーパーに足を運んでいたが、足腰が弱った70代になると休日に自分たち子どもが車に親を乗せ大型スーパーに連れていくようになった。 両親が80代になり歩行が困難になったら、買いだしは自分たち子どもだけで行くようになった。 子供が近くに住んでいれば未だ協力することも出来るが、そうでない場合はホント生活が厳しい。
▲124 ▼7
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「地方暮らしはクルマがないと無理」は事実の事、 これだけ郊外に大型施設ができ、車ではいけない距離ばかり、一昔前までは、何処にでも買い物が出来たのに、殆どの店が閉じ買物さえままならない時代になって来た! 大型施設増加と伴い交通インフラとの反比例 その為、どうしても地方の方々は、移動にクルマを、使用しなくてはならなくなるのが現状です。 比較的交通インフラが十分な所の方々さえ、クルマでの買い物が多い、これは便利性での使用だと思う。 便利性の良い所でも、頻繁にクルマを使用しているのに、地方の方々のクルマ使用に対して、あまいとか贅沢とか、批判はかりで自分達のやってる事を考えてみて欲しい。 特に、これから地方は高齢者が多いなってくる その為に、国、県、市、全ての方々に、真剣に 交通面を考えて進めて欲しい。
▲111 ▼27
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公共交通機関が1時間から2時間に1便で距離によっては、長い区間になると運賃が1000円を超す路線バスや電車。それを高齢者が毎日使えば、1週間で1万を超す費用が発生する。車があれば、時間を気にしなくても良いし、荷物も運べる。そういうところと都内やその周辺の都市部と比較する事自体がおかしな事。だけど、都内や首都圏の離れた(山間部や離島)所だと同じ様な場所は、ある。
▲73 ▼11
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都会も地方も田舎も同じ。高齢者になると身体機能が衰えるから、自家用車にしても公共交通機関にしたも問題は出てくる。
都会でもスーパーから500mは遠い。近年は天候不順で酷暑にゲリラ豪雨。カートで荷物運びながらその距離を歩くのに何分かかるか。重い荷物とか無理だろう。 さらに公共交通機関の利用は厳しい。足腰は弱くなるから介助する家族もいなければ外出しなくなるだろう。 現実的にはその距離があればエフコーブとか宅配を利用する場合が多い。ここは地方や田舎と同じ。コストもかかるけど仕方ない。 地方や都会でも家族や知人の車を利用したりとか出来る場合、一緒に行けば気晴らしにもなるしイイとは思う。自分で自由気ままに歩けなくなれば、荷物と同じだから。自分ではなくても車を利用できる環境の方がイイかな。
▲9 ▼8
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この問題に限ったことじゃないが、知識が中途半端だったり、悪意を持っている者も強い発信力を持ってしまい今までにない問題が次々起きるようになってしまったのは、非常に危険で気が気じゃない。 人々もどうしてこうネットの情報に弱いのだろう。これほど人間を小馬鹿にしたものはないと思うがなあ。 AIの開発もそうだ。世界の中で確たる地位を築くためには国としても力を入れないといけない分野だとは思うが、これは人を必要としなくなるものだ。企業なんか特に。これによって上がった収益を人々に回してくれるならともかく、企業はそんなことしやしない。むしろ労働者を必要としないから収益が上げられるもんな。私でもそうする。賃金上がるわけないだろう。 いったいなにやってんだ人間は。
▲32 ▼8
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公共交通機関にそこまで期待出来ないのでは。結局採算合わなければ廃止される。地方中核都市位までだと思う。道路を見直して、低速自動車専用レーンでも整備したらどうかと思う。そこを自動運転化するとかね。
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地方といっても多様と思います。例えば一次産業従事の家だと立地的に公共交通の整備が行き渡らずマイカー必須という主張は理解できます。 ただ、記事で言及している秋田市等県庁所在地中心部で車が必須です、という主張はどうしたものかと思います。自分は転勤で複数の地方都市で過ごしましたが、日常生活なら車無しで十分暮らせました。 東京都心でも絶対マイカーな方は一定数いますし、地方はマイカー必須という意見は環境による、と思います。
▲21 ▼12
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地方でローカル線やバスが衰退しているのは、人口減少のせいではありません。 駅前の商店街がシャッター街になっているのも、人口減や高齢化とは関係ありません。 単に、自家用車が普及したからです。
これまでは増える若者を前提にクルマ中心社会を作ってきましたが、高齢者が社会の多くを占めるようになり、もうクルマ社会は持続不可能です。
「脱クルマ」が都市の存続に不可欠ですが、そのための手段は二つあります。
一つは記事にある富山市や、宇都宮市のLRTに代表される「コンパクトシティ化」で、都市機能を公共交通で結び、移動手段を確保するものです。
しかし宇都宮もLRTを開通するまでに30年を要しています。早急に取り組まないと、開通する前に街が消滅します。
自動運転などの「グリスロ」を整備するのもいいでしょう。
▲6 ▼6
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田舎暮らし経験者です。 田舎暮らしほどEV車とソーラー発電、蓄電器を装備すべきです。ガソリンスタンドまで数十キロなんてことも埋蔵の地下タンク入れ替えにより発生頻度が高くなっています。 災害時に電気が来ない、動きようがないなどもよく聞く話です。 電車、バスも本数はかなり少なく、ないところも多数。病院に行くのも一苦労。車は必需品なのです。 ソーラー、蓄電、EVは都会にはなじみません。田舎ではかなり便利に使えるでしょう。そこに自動運転が加われば交通インフラなんてすべて解決です。 ただ初期投資は大きくなります。国の補助金をしっかり出してあげてほしいと思います。
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車の維持費と配送サービスの手数料を考えれば配送で問題なかろう
日々運転をしていて、高齢者の運転を見ていると怖くて近寄れない 駐車場で隣の車に当てたことに気づきもしないで去って行く高齢者の車を2度見たこともある 事故が起きてから後悔しても遅い せめて70才以上は衝突軽減と360℃のカメラ付きの車限定の運転にするくらいはしないとね
例は悪いが犯罪をうける被害者の人権と、加害者の人権とという構図ににていると思う 加害者の人権ばかり重視して被害者が増えるというのもどうかね
▲5 ▼5
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地方でもかなり田舎の話ですね ある程度の規模の住宅地までは交通インフラは保護されるでしょうが、山間にポツポツと点在するような集落までは無理だと思います なにも費用対効果が全てではないと思いますが、あまりにも人口に対してかけ離れた費用効果が掛かる維持は行政でも無理でしょう かといって費用効果ばかり優先すると、東京しか発展できません それでは公平性が欠けてしまいます 結局、この規模の町に掛けられる費用はこのぐらいという予算で、それを何に使っていくのかが行政の選択なのでしょう
▲15 ▼25
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解決策は自動運転車の実用化くらいしか思いつきません。
中国やアメリカではタクシーやバスなどで自動運転車の実験走行が盛んに行われていますが日本はまだ始まったばかり。
自動運転車でも事故くらい起きると思いますが、それは人が運転する車でも同じだし、多少の事故くらいで中止することはせずにやって欲しいですね。
▲22 ▼7
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雪国はもっと深刻だ・・・セニアカーも免許の不要な特例特定原付もほとんど役に立たないし、公共交通も人口減少もあって採算合わず撤退して自治体が代わりに運航しているバスなども財源不足で1日2便とかしかない。家族と住んでればまだいいが、お年寄りだけの世帯はとっても大変だ。政治家も自分たちがそんな環境に置かれてないのは良いとしても想像力を働かせて対応して欲しい。 富山県ですが、富山市の取り組みは良いと思うが、街中に住める人は居ないので市電の駅までどうやって行くの??って問題があります。
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昔は車無しでも生活できるよう徒歩圏内で生活必需品は揃うようになっていたから、義務教育後の通学や通勤だけバスを使うとかで何とかなっていたようだけどね その後、家庭に一台以上は車があること前提で何もかも変わってしまったから、今更どうにもならないよ
▲7 ▼1
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なんか甘えとか、運転出来なくなったらどうするのかとか言われますが、選択肢がないんです。バスもないし、急坂ばかりで自転車も使えない。 電車やバスがたくさん走っている都会よりガソリン代も高いのに、それでも使うしかないんです。選択肢がないから。 甘えがどうこう言うなら、大都会の人も我慢して満員電車に乗って欲しいです。
▲107 ▼25
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昔住んでいたつくばでさえも車がないと生活は不便だと思った。生きていくだけは出来るが全ての処へのアクセスが遠すぎる。又、公共交通の充実により車社会から~とか言ってる筆者は理想主義者なのかな?個人の権利が過度ともいえるほど保護されている日本で、交通を含めた社会インフラを整理するということは土地の権利に足を踏み込むことであり、それは日本の各首長が経験している進まない区画整理を見れば解るだろう。そこに過度に踏み込むぐらいなら車の進化や老人車などの新規格等で対処した方がはるかにましに見える。実際ボルボなどは(老人専用化は解らないが)スピード制限付きの(自動ブレーキの作動速度までしか出ない)赤キーなどが出てる。これらは国土交通省の管轄であり昔から何かやったことと言えば思いつくのは電動キックボードぐらいか?自ら制度を進化させようとしない、国内メーカーにばかり威張り。旧民主党以来その省担当は公明党だ。
▲3 ▼1
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食料品はかなりの田舎でも生協が頑張ってくれているのでなんとかなります 問題は病院ですね 人口10万規模の地方都市と東京での2拠点生活していますが、 都内なら通院は楽ですが、田舎では病院数が限られる上に車がないと予約時間に行けません ましてや入院になると、ほぼ東京の大学病院へ行くことになります 結局、都会のほうが圧倒的に便利なので田舎完全移住はムリだと結論付けしました 都市圏はいずれ老後用の街になり、地方は産業用地として発展させるしかなくなるでしょう
▲17 ▼2
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まあ、50年以上前の生活レベルで我慢できるなら、クルマ無しでも生活できるかもしれない。実際、当時はクルマ無しの生活をしていたのだから。もちろん環境があの頃と変わった部分はあるかもしれない。
しかし、便利な現代生活に慣れてしまった今、クルマの無い生活は我慢強い高齢者でも難しいだろう。
▲70 ▼26
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集約化しろという方も多く見られますが、国土安保という視点で見ればもし誰もいない地域が出来てしまうと、そこの確認見回りは行政側がやらないといけなくなる。もし密航者や不審者が住み着いていても誰も気付かない。 しかしそれを行政でやろうとすると人も金も掛かるが、そもそもそんな人員もいない。 そう言った視点で見れば、金がかかっても国土を使うと言うことは安上がりであるとも言えます。(もし常駐人員を出せば結局インフラは必要になり固定費もかかる)
▲28 ▼39
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現実は、「無理」でも高い費用かけて持ち続けるか、引っ越すか、古代から高度成長期前までのように歩くかのどれかだね。どれを選ぶのも自由、どうぞお好きに。でも勘違いしてはならないのが、誰か自分以外の人に車を持つ費用や維持費を負担してもらおうと甘えること。国や県や市町村が税金で補助するとしても、その原資は別の納税者が負担しているのだから、それを忘れずに。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
僕が感じるのは、都市部や決して「地方」と呼ぶほど交通インフラが不便とは言えない地域の高齢者ドライバーの甘えが多いと思います。 自己判断が甘い人が多すぎる。 そりゃドアtoドアよりは不便になるのは確実やけど、「自分は大丈夫」の許容範囲が広い。 単純に年齢で制限しちゃうと元気なほんとにインフラに問題ある地域に住む高齢者に実害が出る。 個別に試験を強化する方法はないものかと思います。
▲20 ▼45
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コンパクトシティ化は大いに賛成だが、日常の足を鉄道やバスとかの前時代的乗り物に回帰しようという思考は、日本が衰退していく思考そのもの。 個人の移動の自由は、人間の本能。個人の自由な移動に向けた未来社会の構築を願う。
▲14 ▼13
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地方の都市部に人口を集中させて交通などのインフラ整備に係るお金を削減し、クルマがないと無理な生活を解消できればいいわよね、ってことなのかもしれないですけど。 こちらのコメント欄でも、クルマが必要な高齢者は都市部に移住せよと声高におっしゃっている方がいらっしゃいますけど。その移住費用は誰が負担するのでしょうか。そんなに人が移住できるほど居住環境を充実させることができるものでしょうか。
もうあれですわね。地方のクルマがなければ生活が厳しい地区には、40代くらいまでの人たちに移住していただいて、都市部の交通インフラが整った場所には高齢者に住んでもらう。そんな感じでローテーションしたらよろしいのではないのでしょうか?
▲3 ▼1
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どのぐらいの地方で、元から住んでいるか、後から越してくるかなどで変わる 「田んぼ広がる地域で元から持ち家がある」なら車がないと不便だが、「地方都市に転勤だからベッドタウンに住居を探したい」なら、車がなくてもなんとかなる地域もある
▲13 ▼6
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労働団体の生計費試算でも、大都市圏の場合は、郊外でも都心通勤の場合はマイカー非保有で査定される。これは「やや不便でも大きな支障なく生活できる」という前提があり、それをもとに生計費をはじき出しているから。このために同じ場所でも通勤スタイルによって最低生計費が変わる場合もある。
一方大都市と生活上の接点の少ない地方都市や郡部では、クルマはマストになる。街中が崩壊していることやバスが皆無という場合が多いからだ。それはあるJR沿線見れば一目瞭然で、東京通勤圏から外れると駅前どころか駅近にスーパーもない、あっても規模小さいケースが明らかに増えるからだ。もっとも駅前スーパーは割高だけど。
「高齢になったら利便施設の近場に移住を奨励する政策」を推進する必要がある。
▲4 ▼0
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田舎については一極集中化が必須 点在するほど生活が成立しない
ド田舎で途中下車をしてみたら、まずはタクシーの配車アプリを使ってみると面白いよ、そのうえで店とかがどれだけあるかを探してみると味わい深い
▲6 ▼4
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駅の近くに住めば?とのコメントがいくつかありますが、本当に田舎の駅周辺を知っていますか? 駅前といっても都心のそれとは訳が違います。例えばうちの地元の場合、駅前にあるのは居酒屋にビジネスホテル、カラオケのみです(会社や住宅以外)。最寄りのスーパーも車で十五分はかかる場所です。観光客なら自転車(但し非電動アシスト)貸出しもありますが、それくらいです。免許返納しても、代わりに受け取るのはタクシー券5,000円分。たったそれだけです。それを使い切ってからは何もありません。買い物では手押しカート(中に買った荷物を入れられ蓋をすればちょっとした腰掛けになる、シルバーカートとも言うようですが)をよたよたとした足取りで押しながら緩い坂道を延々と登るお年寄りを毎日のように見かけますが、何十年後の自分に思えて、なんだか切なくなります。
▲6 ▼1
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車どうこうという問題よりも なぜ 「自分が分からない」「自分で確認していない」ことを 簡単に匿名とはいえ自分の意見として投稿するのですかね 地方の暮らしに車が必要なんて 例えば 日帰りで地方に旅行すれば 自分で確認できることでしょう 東京都内でも大阪府内でも地方部へは 車がないと 公共交通機関だけでは行けませんよ それぐらいのこと自分で確認してから投稿すれば良いのに
▲19 ▼3
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都会が地方から来る食料が無いと暮らせないのは甘え
と言ってるようなもん
非常に視野が狭く、狭量な意見 地方行けば歩いてコンビニなんて無いし、何をするにも公共交通機関なんて皆無に近いから車がなければ生きていけない
そういう想像も出来ない人が増えてるのだろうか
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
自分が高齢者になった時のことを考えず「1人1台」とばかりに車に乗っていたら、公共交通機関は無くなりますし、死ぬまで車を手放せませんよね。 高齢者の運転ミスによる事故(特に子供が亡くなる事故)が絶えませんが、地方住民が自ら選んだ道、仕方ないのでは。 急に始まったわけでもなく、予見できたのは。
▲4 ▼13
=+=+=+=+=
私も田舎に住んでいます。まず田舎の求人を見て下さい。だいたい普通免許必須のところが多いです。仕事で車を運転する事がなくてもです。何故かと言うと車がないと出勤できないからです。
もちろん場所にもよるけど車は1人1台あるのが田舎の実情です。
▲9 ▼1
=+=+=+=+=
人口減少局面なんだから、不便な地域や場所は不便なまま残し市街化調整区域にしてゴーストタウン化させていけばいい。
インフラの維持管理にもコストが掛かるんだから、末端地域の整理統廃合も急務。
▲4 ▼3
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長い文章だが要約すると、高度経済成長、マイカーの普及、市街地の拡大がロードサイド沿い(鉄道駅は廃れた)だったとすれば、今は人口減少止まらず、真逆の縮小(シュリンク)が起こっていて、どう賢く都市を小さく再設計するかと言う時代と思う、もう1つ高齢者の暴走多発が今後も進み、免許返納が喫緊の課題として議論させる…と勝手に推測
▲31 ▼8
=+=+=+=+=
自宅周辺の70代80代のおばちゃんは2km先のスーパーの方がタマゴが10円安ければ歩いて買いに行き、それを何故か自分(40代男性)に自慢してくる。 (300mぐらいで他のスーパーにも行ける地域 おばちゃん達は7件ぐらいのスーパーを比べて買物に行ってる。)
あの人達なら30分に1本 使える方向に伸びる路線の駅まで1kmぐらいなら歩くと思う。
それ以上不便な場所なら徒歩電車バスで移動しないだろうと思います。
地方と言っても色々ありますので、それ以上の場所とそれ以下の場所を区分して考えたほうが良いでしょう。
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うちの兵庫県だと、人口約550万人。
一番大きな都市は約150万人の神戸市。風光明媚な街で、飛行場・新幹線・JR・各私鉄・ポートライナー・六甲ライナー・地下鉄にバスにケーブルカー・ロープウェイと公共交通は充実してる、、、でも北区と西区で自動車のない生活は無理だろう。北区と西区で40万人以上の人口だ。
私の住む姫路市も50万人以上の中核市。とはいえ記事の福津市のように平成の大合併で周辺4町を吸収し、私が住むのは吸収された地域。
ある日、斎藤兵庫県知事が高校の統廃合を決めた。姫路市議も知らない、自治会長も知らない。地域住民も父兄にも相談なく決まった。高校がなくなるとただでさえ本数が少ないバスも減る。私の住む地区はバスの終点だが、以前は 数キロ先まで路線はあった。これは姫路駅に向かう南北の路線だが、東西のバスはない。定期は知らんが姫路駅まで約800円だ。
自家用車を持つのは甘えですか?
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車運転できないような人は目が悪いとか足腰が悪いとかどこかしら悪いところがある。そういう人は1人で駅やバス停まで歩いて行くのも危ないし、しんどいから無理ですよ。 地方では元気に1人で外出できるけど免許持ってないなんて大学生以上だとほぼいないから、そもそも公共交通の需要がない。 車がどこでも使えるスマホだとすれば、電車やバス停は決められた所でしか使えない公衆電話みたいなもの。 公共交通を充実させれば車を持たない人が助かるって理屈は、公衆電話を充実させればスマホを持たない人が助かるって言ってるようなものだよ。 そんな需要ない。
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間違いなく車所有は生命線となる地域はかなり多いです。 地方都市郊外ともなれば、ゼロコンビニもありえます。 小さな商店もなく、学校も閉校され、クリニックすらないこともある。 公共交通機関が一切ないなら車使わなきゃ生きていけない。
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コンビニやショッピングモールへ買い物に行く、という発想自体が都会なのです。政令指定都市に属しているとか、そのおこぼれ市町村とか、たろえば、北関東の3県の様に、帝都から日帰りできる観光地を有していたり、帝都に供給するための工場や物流ハブを有していたりする市町村は都会なのである。 地方暮らしでは、「コンビニやショッピングモールに買い物に行く」という発想を持ちません。 東京一極集中だけが進み、出生者数が圧倒的に目に見えて減少しているそんな国で、ユニバーサルサービスを望む方が共産主義的発想ですからそういう方々はベトナムに行けば良い。
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団塊ジュニア世代は免許取得するのが当たり前。もし無かったら理由ありと。いかに良い車で遠い店に買い物はレジャーを兼ねている。田舎は今はともかく、15年前は歩く人間は目立つ、自転車は技能実習生が利用するか学生の乗り物。
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地方暮らし組にしたら、本当に「甘え」だと思っている人が いるということこそ、むしろ信じられない。
都会基準で言うなら、例えば自分の住んでいる江戸川区と 勤務先のある葛飾区には鉄道駅がない。 自宅最寄り駅は江東区唯一の鉄道駅「JR江東駅」で、 勤務先の最寄り駅は「JR足立駅」。 バス網は原則、各区の外周から駅に向かう集中線。
これじゃあ自宅から職場の唯一の交通手段といったら マイカーでしょ。最寄り駅に向かう意味がないんだから。 こういうのがちょっと地方に出れば普通の環境。
スマホを持たない人には驚かないが、大人で免許がない、 あってもマイカーがない人は、どうやって生活するんだ、と 驚くよね。
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車なしで生活できる、地域の中核都市への移住を推進すべきです。
過疎集落を今のまま残すと、先日の下水道の陥没もそうですが、 電気、ガスなどを含む、インフラ維持に多額の税金が必要。
なので、あちこちに点在する過疎集落を廃止し、 地域の中核都市に移住してもらうべきです。
そうすれば、例えば過疎集落では3人しか乗らないバスでも、 10集落を移転させれば、中核都市で30人の乗客になる。 10人必要な運転手が1人で済み、バス路線維持が可能になる。
ふるさとを捨てるうんぬんありますが、 能登でも結局は捨ててるじゃないですか?
ノスタルジーや郷愁では食っていけない。 車なしでは生活できない地域は捨てて、車なしで生活できる中核都市を増やすべき。
▲17 ▼17
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地方へ行くと、公共交通機関の接続の悪さを、痛感する。タクシーなら15分の所、1時間に1から2本のバスを使うと2倍以上の時間が掛かったりする。公共交通機関より車、できればマイカーどなるのは当然。
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甘えの定義が曖昧。都会のスーパーなどの商品は、地方から色々車で運ばれ貨物列車や船で運ばれて並ぶ。生産は都会では無く地方で行われる事が大半。たまたま都会に住んでなんでも揃うから良いのであり、田舎に都会並みの交通インフラを整備しているなら甘えの定義は少しわかるがちょっと暴論かな。
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自動運転を早く始める事だね。使用地域を限定して速度も限定すれば人口密集地域には立居らないから事故も多く無いだろう。事故無しを目指すから無理になる、今でも無謀運転者いるのだから、無謀運転は無くなる
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絶対車がないと暮らせないと言われている田舎に移住して9年、夫婦二人50歳で車無しでなんの不便もないです。まだ若いからかなぁ。 年30回、往復2500円のバス利用なので毎年7万5千円交通費かかるけど、車維持プラスガソリンより安いです。
▲9 ▼11
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まず、地方といっても都市部と僻地じゃ全く違う。 次に「車の方が便利」と「車がないと生活できない」は違う。 そして「車がないと生活できない」と考える水準が人によって相当違う。 なんかこの議論、これらがごちゃごちゃになってて、話が噛み合ってないケースが散見されます。
▲11 ▼1
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地方に車は必要不可欠だと言うのは事実だろう。 そこに異論はない。 だが、人間は絶対に歳を取る永遠に若いままではいられない。 必ず車の運転が出来なくなる時は来るのだ。 必要不可欠と言いながら、その必要不可欠な車が運転できなくなった時にどうするのかを考えないのは怠慢以外の何ものでもない。 どうしようも無いから考えないし何もしないが、困るから行政が何とかしろは余りにも暴論だろう。 自分の将来や老後の生活を考えるのは個人の責任なのは言うまでもない。
▲32 ▼37
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高い金を払って車を買って、ヤフコメでもよく言われてる高い維持費を払って車に乗ってるんです。 そう、自ら汗水垂らして働いた作った「お金」を払ってです。 要は、お金を作って払って対価を受けてるだけに過ぎない。 それは、甘えでもなんでもないですね。 甘えだと言うなら、都会で便利なサービスを受けて生活するのも甘えですよ。 言ってしまえば、公共交通機関がなきゃ生活出来ないと言ってるのも甘えになりますね。
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年末に高齢の父が郊外の住宅地から駅前の食事付きケアハウスに引越しました。クルマ必需でしたが全く乗らなくなり買い物、病院等は徒歩圏内で済むように探しました。クルマ処分の話が浮上して即日引き上げてきました。そしてようやく免許返納してくれました。いつも心配してましたが事故なく免許返納してくれてホッとしています。 しかし新たな問題が勃発、自転車に乗ると言い出しました。もう勘弁してって気持ちです。
▲11 ▼10
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今の団塊の世代がいなくなったら、地方の人口はもっと酷いことになる。スーパーも病院も働く人が確保できず、かなりこれからも撤退すると思う。車両価格も高騰しているし、地方に住む人はますます詰むだろう。政治は馬鹿だから何もしないしね。そうやって日本全体が衰退していく。
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>「地方暮らしはクルマがないと生活できないは9割甘え」
という発想が出てくるのは、 地方と東京、庶民とエリートの分断が進んでいるからだと思う。
年収一千万以上の家庭に生まれ周りも同様の友人に囲まれ、 そんな同質性の高い人達ばかりの東大卒が、 狭い自分の世界から想像で決めつけた地方の虚像に基づいて、 日本を動かしていると思うと恐ろしい。
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地方じゃバス電車は使い物にならん。そもそも駅の近くの方が寂れて、郊外に大型店がある。まさに車での移動が前提。車なんて要らないとのたまう首都圏駅近に住んでいる人には全く分からない世界だろうね。
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本当の田舎に住んでる高齢ドライバーは 認知症にならない限り運転はそこそこ美味いんです(笑) 更に大きな街の運転は怖いから決して行きません。 近場の小さな街で買い物を済ませてサッサと帰ります。 一番怖いのは、その大きな街に住んでいる高齢ドライバーなんですよ。
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インフラ考えると車がないと生活できない場所に住むのは贅沢と思う。(建物が豪華、広いとかでなく場所自体が贅沢)お金がない人は、町中の集合住宅に住むしかない。ポツンと一軒家とか、住む場所で言うと究極の贅沢。
▲20 ▼11
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ローカル線存続議論とか見てるとクルマが甘えではなく、公共交通の方が甘えというか贅沢品だと感じる。 今後は公共交通を持つにはそれなりの裏付け(人口、採算など)が無いと無理だろう
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都会に暮らす人からすると、地方の生活なんて他人事かも知れないが、自分が食べている米や野菜、肉、卵、魚介類、自分が住んでいる家や家具の木材などは誰が作っているのか、育てているのかを考えた方がいい。特に過疎化が進み残って頑張っている高齢者はたくさんいる。
そういう人たちが仕事し生活するためにはクルマやトラック、農機具などの運転は必須なんだから。
そういう人たちの恩恵を受けて生活が出来ていることを忘れてはいけない。
>「地方暮らしはクルマがないと無理」は単なる甘え?
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「地方暮らしはクルマがないと生活できないは9割甘え」 そうですか・・・ 作った野菜を都会に運ぶのに車をつかえないし電車も無いので これを言われた方は生産地まで取りに来て下さいね あ、クルマを使うのは甘えと言われるのであれば徒歩で
▲68 ▼12
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昔はそれなりにインフラも整っていたから バスとか、鉄道とかだけでも 成り立っていたんだろうけど 皆が車を持つようになって 公共交通を利用しなくなったから どんどん先細りしていった、 廃止に廃線、北海道辺りなんかは もう、スカスカだしねぇ… 路線再開とか再開通も そんなに簡単な話ではないし、 金もかかる… まぁ…目の前の便利に振り回されると 後々にとんだところで 足元を掬われるってオハナシ
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富山に行けば公共交通でなんとかなると?笑止千万。 こたつ記事もよいところ。富山県は渋滞も少なく、圧倒的な時間効率で車での移動ができる。鉄道はその何倍も時間がかかるし、第一バスなど二次交通がないところがほとんど。富山市の市街地なら可能だろうけど。 いい加減富山マンセーはやめた方が良い。第一地鉄という超お荷物の解決が全く進んでいない。
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はい!車が無いと生活はできません! 近くの交通機関に行くのに約4㌔、おまけに2時間に一本しか無い、スーパーは6㌔、コンビニは3㌔、それも山道です
甘えって言われる方々、家に泊まりに来ますか?迎えには行きませんので体験してみて下さい
▲23 ▼11
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クルマ社会の例として沖縄などがそう。 バスはあっても、数百メートルの移動でさえクルマ移動があたりまえ。 生活スタイルがそうなっているし、夏の暑さ、豪雨、強風、アップダウンがあるから自転車に適さない。
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「本当」です。大が着くほどの田舎はコンビニさえ、10キロとか2桁の距離の先なんて当たり前だったりするから。自転車で40分とかは優しい方。スーパーでさえ下手したら2桁の距離。
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75才以上でも元気で農業をしている人は思ったよりもたくさんいるのでは?
一律に運転ダメ!甘え!なんて都会の人が、想像力の欠如したこと言っていたら、今以上に米・野菜が高くなり食料不足が加速すると思うけど。
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昨日16時くらいに自宅近くの駅に降り、タクシーを探すもいない、電話しても運転手不足で配車不能、路線バスも数年前に廃止。 結局、荷物を持って4km歩きました。
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車社会は害が大きいが利便性もある。どこ行っても駐車場に苦労せず、渋滞少ないからクルマが使いやすい むしろ23区内はマイカーを基本使えないようにして、棲み分けハッキリさせた方がいい クルマ乗りたいなら郊外へどうぞ
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此の記事の(日本の将来に関する)問題提起は全くその通りなんですが、それじゃ米国やカナダなどの(日本より)国土は広大、公共交通機関は日本より貧弱、人口密度は低い国の御年寄達はどうやって老後生活してるんでしょうか?
そこが知りたい。
▲18 ▼2
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交通もそうだが、病院、水道等のインフラ整備の問題もある。唯一の防衛策は大都市圏に移住するすること。その先の首都圏一極集中は避けられないだろう。
▲10 ▼5
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少子高齢化と人口減少のいくすえ,社会は末端から衰退破綻し,都市部への人口集中が加速する。動けるうちに都市部へ移住するのが一番得策だ。
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まあ、田舎のリアルを知らない人が、都会感覚で考えて物を言うから、好き勝手なことを言うのだろうな。中途半端な田舎じゃなく、ガチのド田舎だと、マジで最も近い小売店まで車で2時間とかあるんだぞ?もう、食料品の買い出しだけで休日を丸1日使うとか普通にあるんだからな。
▲18 ▼4
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甘えとか現実知らないにも程がある。 田舎で車無しで生活するには 毎日マラソン出来るくらいの体力が必要です。
会社まで20km、買い物するのに30km平気でごく普通にあります。
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電動自転車やスクーター。結構荷物のるよ。ビール500ワンケース位なら自転車の後ろに余裕でのるしスクーターの積載量は足元やリアBOX、メットイン活用したら沢山つめるよ。
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地方にも車が無くても何も問題のない地域も多くあります。地方に限らず東京でも車があった方が色々便利です。単純に地方で片付けるうんざりする記事です。
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『ど』が付く田舎に居住しています。 病院は徒歩10分(比較的恵まれている) バス停は近くに有るが本数は1日3本位 駅(ローカル)までは約5km 駅(市の主要)までは約10km 本数は1時間に1本位 タクシーは予約しないとほぼ利用できない(笑) 逆に有るもの ・田んぼ、田舎ながらの絶景、小動物(鹿、狸、狐、猿、猪、熊)との触れ合い(いや、争い(笑))、土地・山(有り余ってる、お金あげるので貰って下さい)、一日中静かです(夜はカエルの大合唱)
どうですか皆様、一度は田舎暮らしも悪く無いと思いますよ。 暮らしてから『車の要・不要』の御判断を(笑)
▲5 ▼2
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一人暮らしで非年金生活者なら自転車があれば田舎でもいろいろ我慢すれば何とかなるかな 5キロ圏内にスーパーがあるような環境であればね それ以上遠いとさすがに一人暮らしでもキツイ
無論、結婚したら車がないとやってけない
▲0 ▼1
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都会は物価が高いは9割甘え 物価に合わせて給料を稼げばいい 要は給料を稼げないいいわけをしているだけ #田舎も結構高いし都会より高いものもいっぱいある
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旅行でいいから地方都市や田舎行くとクルマの便利さがわかる。5分10分待てば次の電車が来る環境じゃないんだから。
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・・「クルマでの移動が便利」で公共交通機関を使わなかった人のために「年取ったから公共交通機関をもっと便利にしろ」って言われてもなあ。 まぁ、日本は高齢化社会時代だけどさ。 ・・若者の税金が増えると思うが。
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旧ソ連じゃないけどある程度集中して住むようにしないと、ポツンと一軒家みたいな所にインフラの税金使わなくて住むように。 マイクロの循環バス走らせて。
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近所に商店や小さいスーパー、コンビニ等あれば普段はそこそこ生活できると思う。 大きいスーパーができて小さい商店潰れての結果も一部あるよね。
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地方特に田舎では車が無いと仕事に行く事すら出来ません 私の県では就職すれば免許と車は必須なんで一家に一台ではなく一人一台です
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1週間程度、田舎暮らしを体験した方が良い。 電車やバスは通勤時間帯でも1時間に2本程度、 土曜や日曜日などは1時間に1本が当たり前。
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逆に車がなかった時代はどうしてたのかな?って単純に思う。 車ありきの街づくりをしてしまった現状が今って事? ごめんなさい。リアルに地方の生活がわからない。
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車がなくても生活できる便利な場所に住みたい →大都市部に人が集まる →地方がさらに不便になる →何とか地元(地方)でと考えてた人も限界に →ますます大都市集中・地方孤立
の悪循環…
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どう考えても大半は甘えでしょう。単に便利だし、体が衰えていても運転できるし。 自分は2年以上車は運転していないけど、何ら不自由は感じない。遠くに行く時は公共交通機関がダメダメなので、仕方なく原付バイクに乗っているけど。 自転車もバイクも乗れないほど衰えたら・・・。
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最寄りの駅まで、徒歩1時間以内のところはまだ恵まれているのでは? 地方の田舎で自動車ナシは生きていけない。
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地方の市街地から高原方面へ車で30分も行くともうかなりの田舎 それでも人口は減り山は荒れ放題 そりゃークマや鹿がで来る
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