( 261143 ) 2025/02/06 15:59:00 2 00 〈批判覚悟であえて問う〉民主主義にスキャンダル報道は必須!週刊文春「訂正」騒動に思うこと、訂正できる社会をつくろうWedge(ウェッジ) 2/6(木) 11:06 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/03ac5e31a42863b587c3e6312bc80a9de6de7462 |
( 261146 ) 2025/02/06 15:59:00 0 00 フジテレビの清水賢治新社長が週刊文春の「訂正」に対し法的手段含めて検討する姿勢を見せている(AP/アフロ)
中居正広氏の女性トラブルに関して、『週刊文春』が記事を訂正したことで文春批判が起きている。
文春は、「本記事(12月26日発売号掲載)では事件当日の会食について『X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた』としていましたが、その後の取材により『X子さんは中居に誘われた』『A氏がセッティングしている会の"延長"と認識していた』ということがわかりました」と訂正した。
確かに、フジテレビ職員が当該の会食をセットしたのと中居氏が誘ったのでは、テレビ局の関与の度合いが異なるが、テレビ局がそのような会食を日常的にセットし、今日の基準ではセクハラとされるような会合が行われていたのは事実なのだろう。
誤解を恐れずに言わせていただくと、他の業界の企業でも、女性従業員に、温泉での宴会に浴衣で参加することを強要するとか、取引先との会合でお酌を無理強いするとか、もっと積極的に取引先の接待に女性従業員を侍らせる、取引先に派手な化粧の従業員を連れて行くなどのことはいくらでもあった、ということを、筆者はこれまでに様々な方から聞いたことがある。
芸能界では、それをもっと派手に、恒常的にやっていたのだろう。多くのマスコミが、他の日本企業でも似たようなことはやっていたと報道しないのは、藪蛇になりかねないからだろうが、『日本経済新聞』が「接待セクハラに企業責任」という記事を掲載したのは立派である(2025年2月3日)。
宴席にいた細マッチョの男性が、「(自分は)脱いだらすごい」と言ったのに対して、同席していたある女性政治家が、「私だって脱いだらすごいのよ」と言ったのを目撃したことがある。筆者は、その時、セクハラ、パワハラ当たり前の政治の世界を生き抜いてきた女性の覚悟にある意味で感動してしまったが、そんなことに感動していてはいけなかった。すでに世間ではそれが「アウト」だと認識するようになっても、芸能界では、そのような慣習が続いていたということだろう。
ハリウッドと言えばセクハラの牙城だったろうが、MeToo運動によってそれはアウトとなった。2017年10月に、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインがセクハラで告発され、18年2月には逮捕された。
ワインスタインは、『恋に落ちたシェークスピア』や『もののけ姫』の英語版、『Shall we ダンス?』のハリウッド・リイメイク版などのプロデューサーである。ハリウッドでアウトなら、日本の企業では当然にアウトだ。そう考えなおす機会はいくらでもあった。
18年4月には、財務次官が、取材していたテレビ朝日の女性記者に対してセクハラ行為を行っていたことが問題になった。次官は、訓戒処分を受け、その月のうちに辞任した。
世の中が変わったことに気が付くか、気が付かないかが問題だった。それが改まらなかったのは、時代にずれていたということだ。つまり、私たちは訂正しながら生きていかなければならないということだ。
間違えたら間違いを認めてやり直すことが大事だ。筆者も事実関係を間違えることがある。いくら気を付けていてもそういうことはある。間違えたら訂正するしかない。
記事の取材で間違えたから「文春は廃刊だ」という声さえあることに驚く。「間違いを認めろ」と言い、間違いを認めたら「なんで間違うのか」と、さらに批判すれば、誰も間違いを認めなくなるのではないだろうか。試行錯誤や間違いを認めない社会では進歩が遅れるのではないだろうか。
一方、政策の変更については、日本は寛大だ。石破茂首相は、党内野党時代に反安倍晋三首相の言論の一環として、アベノミクスの異次元緩和にも反対していた。ところが石破氏が9月27日自民党総裁選に勝利すると、日経平均は2000円近く下落した。慌てて10月2日、「現在(利上げをする)そのような環境にない」と発言すると株価は元の値に戻った。
石破氏は、他にも、国会で十分な政策論議をしてから解散する、高額所得者の税率を低める結果となる金融所得課税の見直しを行う、東アジア版NATOを作るなどの発言をしたが、いずれも反故になっている。しかし、だからと言って辞任しろという声はあまり高くなっていないように思われる。
筆者の感覚では、国家の重要な政策の変更に対して批判が集まらないのに、芸能スキャンダルの些細な訂正がこれほど批判されるのはバランスを失している。そう考えるのは、スキャンダル報道は民主主義にとって重要だと思うからだ。
CNNの報道によると、ロシアのプーチン大統領が2022年3月の演説で、「精神的に」西側と歩調を合わせかねない人々を非難。彼らは自分たちを「より高位の人種」と考え、「西側の集団」と1つの目標のために活動していると糾弾した。目標とは「ロシアの破壊」だ。「ロシア国民は常に、真の愛国者と取るに足らない裏切者とを見分けることができる。後者は偶然口に入ってきたブヨのように、吐き捨てるだけだ」と述べたとのことである。
CNNは、続けて、プーチンとその取り巻きこそが、ロシアの腐敗と偽善を体現していることを示している。ぺスコフ大統領報道官の子どものうち、少なくとも2人は成長期の大半を西欧で過ごし、成人してからモスクワに帰ってきた。ペスコフ氏が2020年に役職で得た収入は17万3000ドル(約2180万円)だったが、60万ドルのブランド物の腕時計を身に着けているのが確認された、とのことだ。
プーチン大統領自身も反西側の言説を主張する人物の偽善の例に漏れず、家族や近しい人々が西側諸国に住んでいる事実を記事は示している。パートナーの一人とされる女性は、プーチン氏の娘とみられる子どもを出産した数週間後、モナコにある410万ドルの邸宅のオーナーになった。長女のマリア氏は、モナコの330万ドルの邸宅で暮らしていると言われる。プーチン氏には他にも複数の子どもがいるとの噂がある。その全員が西側諸国に住んでいるとみられるが、クレムリンはそうした報道を常に否定している、とのことである(CNN『「クレムリンの子どもたち」、親が非難する西側で優雅な生活』2022年4月14日)。
これらのスキャンダル報道がロシア国内で自由に行えれば、プーチンにとって戦争の継続は難しくなるだろう。ロシア国民は、西側の文化を否定しながら、その子供たちが西側の消費文化を楽しんでいる独裁者のために戦場で命を落とすことは避けたいだろう。
同様のことは戦前の日本でもあった。戦前の日本は、1930年代中ごろまで、スキャンダル報道は盛んだった。現在1万円札を飾る渋沢栄一やその長男の女性遍歴も自由に報道されていた。
報道は、非難がましいものではあったが、それほど糾弾された訳ではなかった。財閥や政治家のスキャンダルが盛んに報道されたことで、人々が既存のエリートに失望し、それがより清廉と思われていた軍の力を増したと理解されているようだ。しかし、権力を握った軍人たちも何も変わらなかった。
戦時中、大日本言論報国会長として戦争扇動をしていた徳富蘇峰は、戦後になって、次のように証言する。「ある軍需会社が、あることについて願書を出した。しかるに陸運主計中尉の某というものが、平素海軍の方には付け届けするが、陸軍にはしないということを根にもって、一ついじめてやれということで、その願書を机の抽斗(ひきだし)に1ヵ月余も投げ込んで置いたということである。そういう調子である。また、某造船会社に、これこれの船を造れと命令したが、その会社には資材の持ち合わせがない。官庁には余る程あるが、それは決して融通しない。・・・役所の仕事というものは、素より民の為めでもなければ。また必ずしも官のためでもない。誰が為めといえば、ただ自分が、大にしては立身出世、小にしては保身安家の為めに他ならない」(徳富蘇峰『徳富蘇峰 終戦後日記』177-183頁、講談社、2006年)。
権力を得れば堕落するものなのである。軍人が清廉な訳ではなかったが、スキャンダル報道が禁じられたから、徳富蘇峰ほどの大物言論人といえども戦後になるまでこのようなことは書くことができなかった。
イギリスでもアメリカでも、スキャンダル報道は盛んである。スキャンダル報道を行うジャーナリズムは民主主義に必須のものである。
原田 泰
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( 261145 ) 2025/02/06 15:59:00 1 00 このテキストの論調は、メディアの報道に対する責任や訂正の重要性に焦点が置かれています。
また、スキャンダル報道の必要性や報道の信頼性、メディアの社会的影響力についても様々な意見があります。
総じて、メディアの報道姿勢や訂正のあり方に関して、より慎重かつ誠実な姿勢が求められるという意見が多く見られました。 | ( 261147 ) 2025/02/06 15:59:00 0 00 =+=+=+=+=
ちょっと違うのではないか。 民主主義に必要なのは事実の公表であって、スキャンダルが必要なのではない。報道に誤報があるのも仕方ないが、嘘やデマはダメ。
文春の場合も、誤報をしたことに対して批判されているのではなく、訂正の仕方や時期がおかしい、という批判。 もっと言うと誤報ではなくあえてウソ記事、もしくは悪意を持って誤解をミスリードする意図で書かれた記事の可能性もある。 文春側に事実関係を明らかにしてもらいたいが、文春は何ら対応する気は無い。そういう所の不信であって、決して誤報を出したからダメ、と言っているのではない。
それと、政策の変更と誤報の訂正は完全に全く違う話。これを並列で並べて評価する感覚が理解できない。
▲467 ▼109
=+=+=+=+=
廃刊も必須も一理ある。 要は、程度問題であり、バランスであると言うこと。 程度問題(バランス)は難しい。 いろんな条件を考慮しないといけないから。 条件が多い程、適度なバランスになる。全体最適化になる。 廃刊や必須は部分最適化と言うことになる。 全体最適化は難しいから、ついつい部分最適化になる。 もっと賢くなって全体最適を目指して欲しい。 しかし、現状の教育は受験勉強に部分最適化できる人優秀として評価する。 逆に全体最適する人は評価されない。落ちこぼれる恐れがある。 廃刊とか必須とか決めつけるのは、ある意味優秀だから言えるが、余り建設的でない。全体最適化になっていない。
▲5 ▼11
=+=+=+=+=
訂正するのは構わないが、しれっと訂正して人から言われて公表するのは責任の取り方としては良くないのでは。間違ったらきちんと謝罪をし、訂正し、謝罪文を出し、それで損害を被った方には額はどのぐらいになるかわからないが、きちんと保証する。自由に発言して良いが、責任を伴うことだと思います。
▲76 ▼14
=+=+=+=+=
その記事内容で「いける」と判断したのは会社であって、間違った報道によって直接的にではなくても被害に遭うこともある。 今回に限らず訂正するなら、間違った報道による被害には多角的な視点からキッチリと検証し、非公開でもなんでも良いから少しでも影響のあったところには責任は取るべき。 文春だけでなくメディア全般、別に特権階級な訳じゃないんだから間違った報道された側の損害を考えれば、自分たちは「間違ってました」だけで済むわけはない。
▲101 ▼12
=+=+=+=+=
訂正云々ではなく、時期と有料電子版のみの訂正だから問題なのであって、その悪質さが際立っているから厳しく言われている。 要は悪意があると言われているのだ。 民主主義以前の問題であり、ジャーナリズムや世論に影響を与える立場での悪意は許されるべきではない。
▲51 ▼7
=+=+=+=+=
『週刊文春』が記事を訂正したのは、フジ幹部の調査結果、我が社の社員は一切関与していないと断定したから、中居氏がX子を誘ったと修正せざるを得なかった。しかしその後、フジの社員がX子を誘い出したという証拠が出てくると第三者委員会でいくら調査しても、いかに糊塗するかに終始するのは明白だ。したがって、株主は刑事事件にして事件の概要を明らかにし、経営刷新を求めるはずだ。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
なんか訂正できない社会かのように読めるけど訂正はできるだろ。 スキャンダル報道は絶対に必要とは思えないけどあってもいいものです。 だけど、スキャンダル報道はいいけどその責任が取られていないことが問題だと考えます。訂正できるできないは問題じゃなくマスコミ側がその報道の責任をちゃんと取ることができる社会が必要だと思いますね。
▲46 ▼2
=+=+=+=+=
スキャンダルの報道が必要と言うより事実の報道が必要で、それが結果スキャンダルかどうか?ではないのだろうか? 何らかの事実に意見が割れていたりするなら両論併記も必要だとは感じるが。 間違いは誰にでもあるし訂正は必要だが、訂正の仕方も当然判断される。 今回の記事の訂正もそうだが、掲載するまで事実と向き合っていたか?や、訂正が必要になった際の対応が疑問視されている訳で、訂正自体を否定している人は少数では無いだろうか? 多くの人は100%正しい事を出来ない事は理解している訳で。 いくら何でもアクロバティック過ぎる擁護かな。
▲54 ▼8
=+=+=+=+=
何事にも間違いがあり、訂正することの大事さはその通り。 ただ、問題はマスコミ側がそれを認めずに、叩ける相手を見つけたらトコトン叩く。このやり方が問われてるんでしょ。
フジテレビだって、当初の記者会見はまずかったと思って、改めて記者会見して訂正してる。この人の考えだと週刊誌は良くてなぜフジテレビは駄目なのだろう。
旬のネタで稼ぐのではなく、ちゃんとした独自の取材で記事を作って欲しい。
▲61 ▼9
=+=+=+=+=
昔は、「袖触れ合うもの、多少の縁」という 「何事もお互い様」という社会だったけど、それは、ほとんどの家庭が「中流層」だったからなんだよね。
言い換えれば、「生活に夢と余裕があった」
他人の不幸に「大変だったね」と労る余裕があった。
現代は、他人をけなして、落とす事で自分の立ち位置を保つ事に必死なんだよね。
自分を伸ばすより、他人を引き摺り下ろして満足する世の中。
核家族から核個人
自分の幸せも不幸も、努力も結果も、他人が居ることで確認出来るのだけど、その繋がりが希薄な社会だから、結果として人口は減るよね。
▲22 ▼38
=+=+=+=+=
”筆者はこれまでに様々な方から聞いたことがある。 芸能界では、それをもっと派手に、恒常的にやっていたのだろう。多くのマスコミが、他の日本企業でも似たようなことはやっていたと報道しないのは、藪蛇になりかねないからだろう”
ここまでのセンテンスがすべて伝聞と憶測で、その後に日経を称える結論を導いています。
これがイエロージャーナリズムの手法です。 具体的な証言や証拠ではなく、扇情的な噂や憶測を土台にして正論を結論にすることでその噂や推測を事実にしてしまうわけです。
民主主義に必要なのは、民主主義を護るという勇気とその勇気を出した人を護る世論です。 イエロージャーナリズムは言論の自由の”炭鉱のカナリア”であって、民主主義に必須のものではありません。思い違いなきよう。
▲85 ▼16
=+=+=+=+=
文春の問題は、世間的に大きな影響を及ぼしているにも関わらず、誤りを速やかに訂正せず、しれっと上書きしてすごそうとしたこと。指摘を受けてもきちんと説明しようとしていないことにある。 政治やプーチンの例を出して論点をずらして、文春やいい加減な自身の擁護をしようとしているように思える。 スキャンダル報道そのものが問われているのではない。スキャンダル報道に携わる者の姿勢が問われているのだ。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
何いってんだか。正確で良い報道は必要。人間だから間違う事はあるだろうが、一言訂正だけで、誤認経緯の説明もなし。文春だけは何のペナルティも無し。では誰も納得出来ない。間違って被害も出ているのだからしっかり謝罪して相当のペナルティを負い、反省し改心して欲しいと思う。
▲26 ▼11
=+=+=+=+=
文春が訂正を出す必要は全く無かった。 そもそも、当日にAがX子を誘ったとは一言も書いていない。良かれと思って出したお人好しの訂正に、ここぞとばかりにオールドメディアが御用コメンテーターを使い集中攻撃。タレントたちは文春を読みもせず、「文春、=誤報」を既成事実化しようと全力。これが日枝ー橋下ラインの戦略ならば大したもんだ。文春編集部はお人好しになってもロクなことが無いと学んだことだろう。
ただ、昔からこれで風向きが変わったかもしれないが、今のネットユーザーは情弱ばかりではない。嘘かマコトは必ず暴かれる時代。なのに今だに本質からズレた文春叩きが有効だと考えていること自体、オールドメディアたるゆえんなのだろうな。
▲5 ▼12
=+=+=+=+=
>筆者も事実関係を間違えることがある。いくら気を付けていてもそういうことはある。間違えたら訂正するしかない。
その訂正の仕方や、責任に対する軽微な罰則自体が問題であり、訂正すれば良いと言う、出し手都合の言い訳に過ぎない。 対価に値するリスクを負わない安易なスキャンダル報道は、関係ない多くの犠牲者を産んでいる。 昔のマスコミは、情報源の無い人々に幅広く届ける役割や娯楽と言う要素で受け入れられた事もあり、そうした言い訳も通用したかもしれないが、現代では様々なソースで流れる真偽不明な情報に対して、マスコミにはより正確な情報が求められる。要は一昔前前の様な、ネタでは済まされない状況。 企業や業界にガバナンスを求めて叩き、自らは従来のスタイルを変えないスタンスなど、通用するはずがない。時代とともに変わらなければならないのは、週刊誌も例外ではない。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
女子アナであればタレントと日常的に接するのが仕事であり、番組の「打ち上げパーティ」などでタレントと同席することもあるのではないか? 一般の民間企業が顧客の接待に女性社員を同席させるのと同列に語るのは無理があると思う。とはいえ企業の「社員」を接待に使うのはセクハラという認識になることが気が付かないのはフジテレビの落ち度だろう。 文春の訂正については影響力の大きさによると思う。 たとえば告発した企業が倒産してしまってから「間違いはある。訂正して何が悪い」で通るはずがない。 文春も相応の覚悟が無いならそもそも報道をすべきではない。
▲3 ▼0
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スキャンダルを追いかけられた結果、死亡したダイアナ妃みたいな人もいますから、欧米で盛んだからスキャンダルOKとは言えません。 一方で、言論統制している国がたくさんあることを考えると、言論の自由が保証され多様な情報に触れることができるのは幸福なことです。
文春はまず記者会見をするべき。 文春自体に守秘義務が課せられているわけではないですから、話せることはたくさんあるでしょう。
なぜ訂正に至ったか? そもそもどこから得たネタ?持ち込み?契約ライターが探してきた? どういう手続きで取材している?関係者にたどり着く方法など?ライターの実名は?
企業秘密で答えなくても構いません。「公的な場でこのように振る舞った」という事実が必要です。
▲41 ▼6
=+=+=+=+=
訂正しなくても良い様にちゃんと取材をしてから報道する。まずは、これが大前提だと思う。 内容によっては、冤罪に巻き込まれて人生狂う人もいるのだから。訂正してよいのを前提にしたら、いくらでも適当な週刊誌が出てきます。 そして、文春がここまで叩かれたのは訂正した事に対してではなく、訂正の仕方でしょう。さらっと一文だけで済ませようとしたから後々、編集長謝罪までいく事になった訳でしょ? そもそも、個人的には販売号ごとに内容がころころ変わる記事に信憑性などないと思っておりますが。
▲116 ▼20
=+=+=+=+=
報道の自由はもちろん守られるべき。 でも、自由には責任もあって当然で、報道の間違いにはしっかり責任もついて来ることを肝に銘じて仕事をして下さい。 誤情報の報道により人生が狂わされることもあります。その時に訂正だけして責任を取ったというのではあまりにも他人の人生を軽んじ過ぎてます。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
事実かどうか明確ではないスキャンダルを作り出すのが今の週刊誌をはじめとしたメディアの印象であって民主主義どうこうと大袈裟な大義を掲げる時点で人の心理が読めてないのか印象操作なのか?他でも言われているようにメディアは噂ではなく真実のみ報道すればいい。
▲6 ▼0
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訂正できる社会になるには前提があって 1.スキャンダルにはミスリードや個人的主観が含まれる事が社会に浸透されること。 2.訂正を出すときは修正履歴を残し、なぜ修正したのか理由をつけて記録を残す事。 3.訂正を出すときに何か不手際のようなものがあるなら、根本原因、是正改善措置(外向け)のを外部に詳細に説明すること。 4.不手際が社会的なインパクトをもたらすような重大事案の場合は責任を取る事。
文春は3と4をやっていない。
▲4 ▼0
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全くもって正論。 現実が正論に沿って動いてくれるのを、切に切に願っています。
正論と誠意を持って、内部の問題を洗いだされば、検察のデータ改竄で村木厚子さんが、酷い目に遭われる事も、なかったろうし。 袴田事件の証拠が不確定にもかかわらず、長期に渡り、犯罪者として見られることも、なかったのかも知れませんね。
現実は絡まった糸の様にカオスで。 時に恐ろしく、時に諦めながら流れていくのでしょうか。 被害者は加害者でもあり。 加害者は、被害者でもある。うずまきの中にいるみたいです。
▲5 ▼28
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この文章まとめると、 最初に、テレビ局に限らず多くの業界で女性社員を「侍らせて」接待をするのはいくらでもあって、当然のことだったが、社会の変化に合わせられなかったのが問題で、間違いを認めて改めればOKとの主張。 第2に文春の訂正に絡めて、政策の訂正については寛大だよね、というある意味当てこすり。 最後にはプーチンや戦前日本のスキャンダルを持ち出して、権力は腐敗するからスキャンダル報道は必要である、との結論。
一般論としてはともかく、今回の文春の記事訂正について言うのであれば、かなり無理筋の言い訳でしょうね。 ツッコミどころは沢山あるけど、悪い事をしたら(疑われたら)一般企業だけでなく、マスコミも叩かれるようになった時代、売れさえすれば名誉棄損も書き得上等という文春も、フジテレビ同様ステージに上がったという事は言えるのかな。
▲4 ▼0
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秘密結社に何言っても無駄です。 フリー記者が闇勢力に立ち向かうとかであれば匿名も理解出来ますが、 タレコミの裏取りとかなら記者は実名公開で良くないですか? 書かれた側も記者情報を全面公開したら駄目なのですか? 現在は情報公開が求められる時代だと思います。
▲20 ▼1
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以下の部分は、どのような様々な人からお聞きになったのか存じ上げませんが、今日的にそのようなことをやっているのは、特殊な業界のことでしょう。一般の民間企業でそんなことをしているところは「ほぼない」ですよ。 前提としてお考えの部分が全く違うと思います。
「誤解を恐れずに言わせていただくと、他の業界の企業でも、女性従業員に、温泉での宴会に浴衣で参加することを強要するとか、取引先との会合でお酌を無理強いするとか、もっと積極的に取引先の接待に女性従業員を侍らせる、取引先に派手な化粧の従業員を連れて行くなどのことはいくらでもあった、ということを、筆者はこれまでに様々な方から聞いたことがある。」
▲38 ▼13
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今回の訂正の経緯がよくわからないから何とも……。 文春の取材・確認不足なら非難されるべきだが、被害者サイドが誤認していた可能性があり、そのせいかなんとなく文春の訂正にも本気が感じられないというか、「うちとしてはルール通りの取材・確認は抜かりなく行った。その上できちんと訂正したのだからいいだろう」という傲慢さが透けて見える。
最初に記事を出した女性セブンは訂正も謝罪もせずなので、文春だけを責め立てるのはどうか?という気もするが……。
問題は過激な誹謗中傷にさらされたフジのA氏に対して何ら補償がされていない点と思う。 私自身、Aが無罪とは思っていないが、それを裁く権利は文春にも世間にもない。 A氏が嫌な人間だから誹謗中傷にさらされてもいいということではないはずだ。
オールドメディアが批判を恐れてジャーナリズムを捨てている現状、文春の役割は大きいが、かといって傲慢になってもいけない。
▲2 ▼0
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色々と書いてあるが、今一つ腑に落ちない。 スキャンダルと不正は違う言葉ては無いのか? 隠されていた不正を暴く事で文春は支持されていた。記事にある様に以前女性を接待要員としていた事例は多いと思う。だけれども接待と上納は違うのではないか?線がひけると思う。 上納なんて3流のテレビドラマの世界の話、他方女性を紹介するのは多いと思う。極論すればお見合いはそう言う場だった。立場によって断り難い事があったと思う。民主主義とか言う前に、戦前戦後話の前に、現在の話としてメディアや専門家には何が許されるのか詳しく解説して欲しい。 また訂正すれば何を言っても良い訳では無いし、報道には可能な限り真実と信じる根拠を示して欲しい。今回の文春の訂正は誠実な物では無かったと思う、これを例とされると記事の趣旨とは違う事、間違った情報で民主主義が壊れる、になるように思う。間違いを真実で上書きする事は難しい。
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>文春は、「本記事(12月26日発売号掲載)では事件当日の会食について『X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた』としていましたが、その後の取材により『X子さんは中居に誘われた』『A氏がセッティングしている会の"延長"と認識していた』ということがわかりました」と訂正した。
スキャンダル報道は必要とはいっても事実を裏取りして報じる事が必要でデマを報じるのはあってはならない。 根幹部分が違えば話は根底から変わる。 業務で発生したトラブルでなく後日個人的に誘われた事による男女間の個人的なトラブル。延長という認識がおかしく思い込みでしかない。
>フジテレビ職員が当該の会食をセットしたのと中居氏が誘ったのでは、テレビ局の関与の度合いが異なるが、テレビ局がそのような会食を日常的にセットし
女性を伴う飲み会や会食は他でも一般企業でもどこでもある。 その後個人的に誘われて会うのは個人的な問題。
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文春は間違った記事を書き、訂正したから批判が起こっているのか?訂正のタイミングややり方が間違っていたんではないかと思うが。多くのスキャンダルや社会的問題もその事自体より、記者会見での謝罪方法や声明などが火に油を注ぐ形になっている事が多いと思う。
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記事を書いた人へ
例えば、渋沢栄一の不倫話など、時代を越えて絶対的なスキャンダルがあると思っておられる様子。
なにがスキャンダル(醜聞)となってキャンセル対象と思われるかは「その時代にできることとできないこと」のバランスで決まると思います。
現代日本では車で年間2600人が死んでいますが、AIが発達して死者が10人とかになったら、「年間2600人も死んでいるのに何もしなかった当時の日本政府や自動車会社」がキャンセル対象になります。
不倫が現代でキャンセル対象の醜聞なのは、女性がある程度社会に出やすくなったことと、飢え死にする貧困層が減ったためだと思います。
お金に困った女性を援助しなくても死者が出ない時代になったからだ。
▲0 ▼1
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一刻一秒を争うほど緊急性が問われることなら別ですが、そうでないことなら裏付けをとってから発表すればいいだけでは? 仮にフジテレビの方で「誤報が原因」で身を害するようなことがあれば一気に風向きは変わるかと思いますが。 訂正すれば責任を取らなくていいと考えているのでしょうか。
▲2 ▼0
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オールドメディアらしいアンフェアな論点ずらし記事だと思う。 誰も「訂正」や「誤報」自体を否定はしない。 問題なのはロクな根拠もなく過熱報道して「誤報」というパターン。 下手すりゃ「デマ」というレベルの無責任報道を誤報で済ませてはいけない。
今回の文春が廃刊だと大騒ぎされているのはあまりの「無責任」からだ。 誤報が明らかになったら「即座に」「大々的に」訂正すればこんなに叩かれなかったが、文春はどちらもやらなかった悪質さだからバッシングを受けている。 誤報が明らかになって「2週間も経ってから」「有料記事でシレっと訂正」が大問題だし、批判されない方がおかしい。 「民主主義」と言いながら、文春の問題行動に対して誰も何も出来ないという問題もある。(政治家なら選挙なりリコールなりで辞めさせられるが、文春は野放し)
▲1 ▼0
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まあ、報道に100%を求めるのは違うでしょうし、 100%事実が保証できることだけ報道するのも違うでしょうね ある程度、伝聞、推測を含んでいても公的な利益があるかというのは重要な判断基準だと思います
とはいえ、公的利益なんて関係ねー報道もたくさんあり、 嫌気が指している人は多いと思います
本来、報道倫理がないメディアは廃れていくべきだと思うのですが、 飛びつく人がいる限り、ゴシップは成り立ってしまいます
残念ながら名誉毀損で報道を全部潰していくのも骨が折れますよね 一生を法廷で過ごすことになる気がしますし、 その間ずっと名誉は回復されません もっと気軽に訴訟させてもらえないでしょうか。。。
▲13 ▼1
=+=+=+=+=
訂正も前提という事も含め、だからこそ法治国家においては「推定無罪の原則」がある。でも今は「推定有罪による私刑」がまかり通った状態で、更にそのネタ元が訂正でも責任をとらない社会ってのはもう支配者による粛清がまかり通る専制国家と大して変わらん。民主主義の真逆だ。
▲5 ▼0
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他社に甚大な被害を及ぼすことに関しては訂正してもいいじゃないという姿勢で発信してはいけません。特に問題とする肝の部分。 当然、誤った情報で被害を及ぼしたからには、その過多によりますが償いが必要です。今回のケースだとA氏への人権侵害に対する謝罪賠償とフジテレビが被った損害の賠償が必要でしょう。
▲54 ▼9
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何を言っているのかよく分からなかった。 文春がジャーナリズムと言えるのかどうかも分からない。 ただ、メディアとして一定の影響を持っているにしてはお粗末、ずるいという印象を持つのは自然だ。 訂正する事は悪いことではないが、先に出た記事の印象が圧倒的に強いのだから、訂正は丁寧に対応しないといけない。 大阪都構想の際に某大手新聞社が誤報を出したが、訂正したのかすら分からない。 出す側にはもっと責任感を持って欲しい。 ジャーナリズムなんてその先の先だと思う。
▲12 ▼0
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他の話に飛ばした挙句に戦前の話まで持ち出して、ものすごい擁護をする記事ですね。 訂正したこと自体を攻めている人は少ないと思いますよ?
一連の問題における「フジテレビが女性社員を大物芸能人に上納していた」という柱の一つがほぼ崩れたこと(完全に否定はできませんが)、訂正がフジテレビの記者会見後だったこと、当初はコッソリ訂正したことなどのなるべく小さく処理しようとしたことで批判を浴びているのです。
この記事の筆者もですが擁護するお友達は、読者は自分たちが思っているより本質を理解していると思ったほうがいいです。
▲9 ▼1
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この記事も、“誤誘導”ですね。
訂正自体なんて、誰も問い詰めてない。 誰にも間違いはあるし、間違ったら訂正したらいい。そこまで非寛容な社会じゃない。
でも、初報の段階で、裏が取れてたのか。 意図的に混乱を誘導してなかったのか。
訂正の仕方は妥当だったのか。 意図的に、小さく、遅くの訂正になってなかったか。
そういうことが論点のはず。 記事は、論点のすり替えです。
芸能週刊誌の、お祭り記事に振り回される読者も(企業も我々も)反省点はありそうです。
そうだとしても、やはり意図的な混乱、誘導は、重いです。
東京スポーツの一面と同じだと思っていいなら、可愛いもんですけどね。 朝日のゾルゲ事件や慰安婦誤報のように、マスコミが正義ヅラし始めたら、危険信号です。
▲52 ▼6
=+=+=+=+=
ちがうと思います。誤報、ウソを書いて、事実をしった上で、訂正もしなかったこと、会見終わって時間が経ってから、小さく訂正したこと。 他人に言われてはじめてしれっと訂正したことを謝罪したのも、大きな問題。 知った時点ですぐやるべきだった。こんな自由にウソや誤報を訂正できる社会など怪しすぎるし恐ろしい。 タレントなど追い回したいい加減な取材による真実相当性を武器にした報道など必要ない。 ひとつの記事がでて、それに全週刊誌がのっかり広める、そんなの報道でもなんでもないでしょ。引用して、憶測を書いて利益を得る、そういうシステムを構築したいだけ。 もっと大手メディアや新聞がしっかりしないと。週刊誌のゴシップ記事に一面もってかれすぎなのです。大手メディアが、こういう記事の検証、取材をしっかりして、バンバン訂正するくらいしないと。確かな取材を重ね、正直であり、真実を伝えるから信頼・信用される
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〉記事の取材で間違えたから「文春は廃刊だ」という声さえあることに驚く。「間違いを認めろ」と言い、間違いを認めたら「なんで間違うのか」と、さらに批判すれば、誰も間違いを認めなくなるのではないだろうか。 週刊文春の誤報は本件の根幹に関わる致命的な誤報であり、この誤報がなければフジテレビがACまみれになることはなかった可能性は十分にある。週刊文春は速やかに記者会見を開いてフジテレビと中居氏に謝罪して誤報の経緯を説明すべきだ。
▲64 ▼23
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文春を廃刊に、などと言ってるのは叩かれるのを恐れている連中かそのシンパのごく一部のはず。今回の訂正も誤報には違いないが、フジの姿勢が問われている情報を否定するほどの問題じゃない。批判の矛先を少しでも変えたい連中も、焦点がずれてると思う ただ、文春も記事を出す以上、薄っぺらな訂正記事でなく、ちゃんと反省すべきは反省して、真っ当な記事を出してもらわないと、場末のハラスメント記事を同じ扱いをされることになるかもよ
▲35 ▼63
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文春は、誤りを堂々と訂正すべきだったことは確か。 しかし、この記事の言っていることは、至極真っ当な内容。「文春の廃刊」は、オールドマスコミが、文春の訂正をきっかけにフジへの批判を鎮火させようとして言っているだけだろう。フジが、被害女性の訴えをコンプラ問題として処理しなかったことだけでも、批判されて当然。
▲0 ▼0
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訂正できる社会と言っても訂正があらぬ方向に向かったり意外な効果を発揮したりということがあるよね。 こういうことを期待したり企てたりしての訂正は許されないと思うね。
▲32 ▼6
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社会が寛容で無いのは、各々個人が「自分は恵まれていない」と不幸感を募らせていて、余裕が無いから………。 その不幸感には、少なからず自身の “ 分際 ” を弁えぬ欲深さも関わっている。
「人付き合いが上手いと云うのは、他人を許せると云う事だ」(by ロバート・フロスト)
「幸福の秘訣は、自分がやりたい事をするのでは無く、自分がやるべき事を好きになる事だ」(by ジェームス・M・バリー)
「世の中には幸も不幸も無い。ただ考え方でどうにでもなるのだ」(by ウィリアム・シェイクスピア)
「不幸せの原因は、他の誰かの身勝手では無く、自分自身の身勝手で在る」(by ジェームズ・アレン)
「不幸なる人々は、更に不幸な人々によって慰められる」(by アイソーポス)
▲0 ▼2
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スキャンダル報道が駄目なのではなく、真実に一定の嘘を混ぜることで歪んだ報道になることが駄目なんだよ。 訂正すればいいというものではなく事実を報道する義務があるということだ。炎上目的で話を盛るのはもってのほか。勘違いしてはいけない。
▲4 ▼1
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>>多くのマスコミが、他の日本企業でも似たようなことはやっていたと報道しないのは、藪蛇になりかねないからだろう その通り。生保業界の肉体営業の話などしたら広告引き上げになりかねない。 しかし、出版業界でもセクハラや性加害が日常的に行われていたのに、 週刊誌サイトが、すべてフジテレビの企業風土のせいにしているのは片腹痛い。 KADOKAWAの元編集が告発したが、報道するメディアは皆無、というのが出版業界の実情だ。 文春の木俣のように「自分の周りでは聞いたことがない」としらばっくれないと、出版業界の平穏は保てないのか。
▲0 ▼0
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前提として「間違い」では無く「盛っていた」と捉えられる内容であり、もっと言えばほぼ取材などせず、いい加減な話をそのまま盛った とばかりの開き直り 更に訂正記事で終わった点 これが「もう廃刊でいい」に繋がっています 間違えることは誰にでもあるから寛容にと言う内容では無く、現代では社会的責任を負っていると言うのも過言では無い「文春」が、購読者や一般人の信用を失墜させてしまった その根拠はあの会見で、同業の質問者たちは文春の記事を完全に「鵜呑み」し、口撃的で威圧感のある会見になった それと「筆者はこれまでに様々な方から聞いたことがある」では何故取材して記事にしなかったのか? みんながやっていてみんな知っているよね? これが粗悪の根源で気が付かないうちの常態化ではないだろうか
▲5 ▼0
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記事の間違いの訂正は(しれっとでも)許されるべきで、セクハラはゴメンでは許されないってずいぶん罪に対して非対称な主張でない? セクハラで被害者がいる。だが記事も間違いによって多くの人が不利益を被っていることもまた事実。 ともかく告発する側がとかく正義感を振りかざし過ぎなのが問題だとなぜメディアは築かないのか? ロシア政界の不透明な金の流れにも言及しているが、それによって本当にロシア国民は不幸なのか?情報がオープンな西側諸国の政治家のほうが国民にとって誠実な政策運営ができているのか? 透明性の高い政治ができている米国より、なぜロシアのほうが乳児死亡率が低いのか? メディアの透明性が低いほうが人死が少ないとはどういうことなのか? 本当にメディアに携わるヒトは真剣に考えてほしいね!!
▲5 ▼1
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スキャンダル報道は構わないけど、「誤報」は困ります
誤報は、社会的な”冤罪”を生み出し、個人も企業も大損害を受けてしまいます
誤報による損害を補償する事が大前提です
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まぁ、ツッコミどころはあるけど記者の言い分はわかる。
サンゴ問題やら捏造問題のある朝日新聞どうするんよ? コメンテーターが暴走した発言をしたときにテレビ局を潰すのか? 社説やら記事に誤りがあったら新聞も潰すのか?
厳罰の結果は報道機関そのものがなくなるだしね。 そもそも会話でも日本語そのものの含みが真逆の意味となるのはよくある事だし。
一方で、言葉を狩りしてきたマスコミがそれを言うかという意見もまたもっともな事で、マスコミの独善的な正義感がいかに恨まれてきたかも直視した方がいいかと。
▲2 ▼4
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そういう面もあると気付いたのは橋下氏の「嫌いだが社会的な役割がある」というコメント。 確かにそうだが、今は誹謗中傷の温床にしかなってないように感じる。 事実確認が出来ない段階ではSTOPが自分の中の常識だが、あまりにもGOする人が多すぎる印象。
▲28 ▼6
=+=+=+=+=
スキャンダルも訂正も構わないが、創作はダメ。 もっと言うと小さな事実に創作加えてスキャンダルに仕立て上げることは絶対ダメ。 誤報で損害出したなら名誉棄損分だけでなく、実被害分も賠償責任を追うようにして、過度な取材や盗撮・つきまといも規制したほうがいい。 社会正義を盾にして取材と称すればストーカー行為は許されるのか?一般人がやったら違法、メディアがやるのは合法っておかしくない?
▲1 ▼0
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そもそも、他誌からの引用や一方だけの取材だけで、勝手な論理展開で誘導する記事を書くのが間違っている。 訂正やお詫びですむようなことではないこともある。 新聞の誤報など、一面の記事が間違った時の訂正、お詫びは小さくひっそりとだす。 姑息だ。業界全体の暗黙の方法だ。
世紀の大誤報である慰安婦問題は、訂正までに数十年を要した。国連からの性奴隷報告などあり、世界中に誤報が広がった。それを打ち消すだけの訂正記事はだしていない。
昔、韓国と日本の学生の慰安婦問題対談をどこかで見たことがある。韓国学生は「おばあさん達が可哀想」ではじまり、日本の学生は「日本人として恥ずかしい」ではじまった。誤報が戦争を知らない日本の若者に、無用な罪悪感をも植えつけた。 メディアの影響力は絶大だ。
間違えたら訂正すれば良いのではなく、間違えない記事にいかにするかに力を入れるべきだ。
▲2 ▼0
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アバンギャルドと言うのかな、こういう週刊誌の類は普通ならアウトなことを「社会的意義」を盾に押し通してる原則を確認しなきゃいけない。される側だけじゃなくする側もその原則を周知する責任があるのでは。
▲7 ▼3
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スキャンダルは良いけど、一方の言い分を確証も無いのにまことしやかに書くことが問題なんでしょ。信じて踊らされる側の問題もあるけど、誤報でも週刊誌は訂正記事書くだけだし、訴訟起こされても大した賠償金にもならない。書いたもん勝ち。それは民主主義とは言えるのかね?
▲6 ▼0
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訂正で、誤報で被った被害を弁済できるのだろうか?
週刊誌の誤報を元に散々テレビ等でも大騒ぎされて人生をめちゃくちゃにされた後に、大元の週刊誌が「誤報でした」とサイレント修正するような現状に誰が納得するんだろう? 「誤報でした、迷惑をかけたので10億円お支払いします」とかやるなら誤報をくらった人も納得するだろうけど……
▲1 ▼1
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都合よく解釈しているだけでしょう?裏を返せば自分だけが正しいという感性だからでしょう?訂正すすれば終わりという感性が、今の覚悟もない責任感もない政治家を産み出したのでは?だから政治家の言葉は命を懸けた言葉、発した瞬間に社会に大きな影響を与えることさえ忘れた感性を植え付けてしまうのでは?
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
フジテレビの件ですが、勝手な言い分ですみませんが? 見ていて面倒くさいCMが無くなったので 見やすく爽やかで見ていて楽しい状況に成ってます。 今まではタイミングタイミングで見たくも無いCMが必ず入っていましたが、今は簡略で良いなと感ずるコマーシャル及び番宣で 楽しい。NHKのCMが入らないのと違って新鮮さを感じます。フジテレビはCM収入がなく大変だと思いますが、今を機会に改善された新しいTV放映戦略を考えてみませんか?
▲0 ▼1
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いつのまにか週刊誌の内容がみんなに届きやすく信用しすぎてる、これだと思う。 昔は絶対ウソだろ?といった記事が多く一部の人が書店で買うくらいだった。今はスマホでどんなコタツ記事も目にする。今では少なくなった各家庭に新聞が届いて記事を読む、と同じくらい信用している。 中居の訂正記事で記者会見やれと叩いてる人はこれまで新聞で誤報だったとしても誌面で謝罪の流れが当たり前だったことを超えている。 残念だろうが信用しすぎの結果。フジの記者会見でてた奴らもそう。自分で取材もしないで記事見て個人の倫理観ぶつけて騒いでただけ。
▲4 ▼1
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「文春叩き」は異常すぎる。当該中居氏事件は、報道やフジテレビの会見での説明から見て、本来は刑法クラスの加害事件と多くの人は推認すると思う。フジテレビは被害者の方は放置し、中居氏は1年半以上に渡り番組で使い続けオリンピック特番のMCまでやらせた。女性自身と文春が報道して初めてこれが公になり、社会的に中居氏・フジテレビの誤りを糺す契機を作ったのだ。文春の勲功は特筆に値するのだ。 その文春を”廃刊”とまで貶める。貶め方が過度に過ぎる。文春を貶める連中は、かつてあるいは現在「文春」に叩かれた輩から何ぞのモノを貰っていて、その自己利益のために”文春廃刊”を煽っている事を私は疑う。 文春の誤りは、中居氏の為した事件とそれに対するフジテレビの対応という大筋に何ら関係無い。訂正の仕方が明示的でなかったというのみ。実質的訂正は1月7日号で為されている。フジテレビにはよく読んでいない落ち度があるのだ。
▲1 ▼5
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お気持ち長文レシートすぎる 訂正できる社会ではなく、報道は時に警察と同等の威力を有するのだからメディアというのは裏取りを徹底することだけがコンプライアンスであり スキャンダル主義こそ隠蔽や弱者への皺寄せの温床である わかりやすく言えば、危険な運転を常習した者が人を轢殺して免停をしたとして、後に免許を再度取れる社会!ではなく 車を危険な乗り物と理解して免許を取得する事が最重要事項 もちろん社会復帰は理想値だが、それは贖罪という項に危険だと理解したと含まれるだけ
▲2 ▼0
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こういう記事が誤解を招くのだろう。
まず、「今日の基準」ってなに? まず記事にするならその基準も明確に記載するべきでしょう。
> テレビ局がそのような会食を日常的にセットし、今日の基準ではセクハラとされるような会合が行われていたのは事実なのだろう。
↑ フジの第三者員会の結果もでていないのに「事実なのだろう」との言い方。 「セクハラとされるような会合」がフジテレビ内で常態化していかというのはこの記事の筆者の勝手な思いでしょう。 「~だろう」と曖昧な書き方をしているがこれが誤解を招く。 人によっては、この記事をみて「やはりフジテレビ内ではセクハラが常態化していた」と誤認しかねない。 現時点で第三者委員会の調査結果が出ていないのでそんなことはまだわからない。 もっと自分で調べた事実を元に記事を書くべきでしょう。
▲2 ▼0
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正解を知っていながら選挙前はそれを批判し続け選挙の後に正解を記事にする新聞社もあるからね 人の下半身事情を飯の種にしている文春の誤報は非難されて当然では 正式な謝罪会見もないてことは悪いと思ってないってことでは この記事で勢いを得たフリー記者達のぶざまさを目のあたりにするとねぇ 数百円の出費でネタが手に入るんだから時間と労力と金かけて取材なんかしないよね
▲1 ▼0
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何故週刊誌はミスを訂正できて、不祥事を起こした側は撤回や訂正の機会は与えられないのか。活字として世に放たれたものは訂正しようが永遠に世に残る。そんな覚悟もない記者が書いた記事等何の信頼もない。
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文春の訂正騒動についてはやり方に若干まずさはあったが、廃刊だと騒ぐ問題ではない。が、それ以上に不信感を抱いたのは、あれだけフジテレビを糾弾するような記事を載せた文春が、今週の林真理子のエッセイでは「X子が未だに発信を続けている」と被害者を揶揄し被害者の気持ちをバカにするような文章を掲載していること。 林真理子については日大問題の時も文春は一切批判せず、いくら直木賞の選考委員で本もたくさん出版している関係とはいえ、マスコミとしての自負はどこへ行ったのか?編集者の頭はご都合主義なのか?一気に信用失墜だった。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
最初に流した情報を訂正した事によって、その情報全体そのものが真実であったのかどうかについての疑念も出て来た。 もし全部が嘘だったなら、世論はそれこそ掌を返さざるを得なくなる。
▲3 ▼1
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昔の人間なので、週刊誌の記事なんて玉石混合の前提で読むこともあり、 文春記事のみにより大騒動になることが異常と感じています 文春記事が発端だとしてもそれが必要であれば、大手メディアが自分たちの取材で報道して社会問題化していくことこそがその役割なのに文春を番組等で批判していることに笑ってしまいます しかし、文春が大手メディアに代わって自分たちがこの国の問題を公にして社会を良くしていくというような崇高な思いが少しでもあるのなら、すぐに訂正発表をするべきだったでしょうね でも私は今のままの低俗週刊誌の方が好みですが
▲6 ▼2
=+=+=+=+=
この前のテレ東がやってた悪質な捏造にはテレビ放送辞めろなんて誰も言わないのに今回の文春の訂正問題には躍起になって責任とって廃刊しろなんて言ってるのは明らかに変。他のメディアだってミスはしてるし文春ばかりを責められない。文春砲は明らかに他のメディアより影響力があるのは誰もが認める事なので敵も多いのだろう。でも文春が無ければ数々のスキャンダルも詳らかにされないだろうし必要悪なんだよね。
▲8 ▼10
=+=+=+=+=
必要なのはジャーナリズムであって、スキャンダル報道ではないと思う。 スキャンダルにただ乗っかるだけの自称記者みたいなのはもっと要らん。
俗にいう木原事件みたいなただ権力攻撃を目的とするような報道なんかは間違えてると思う。
▲2 ▼3
=+=+=+=+=
この筋立ての順番だと伝わらないんじゃないかな?
文春もフジテレビも、叩かれてるけど許されないという程ではないと思うよ。
富徳蘇峰のは面白かった。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
文春ってそれこそ報道被害の結果自死までした人がいるんだけどな デタラメ記事の結果、文春は法で裁かれましたか 「記事は一方的な取材に基づいて執筆したことは報道機関としては著しく軽率」 「自己の正当性のみを強調し、遺族の神経を逆なでするような内容」と厳しく裁判官は追求 結果として謝罪記事を出したけど、同じ号でなんで我々は謝らないといけないんだ見たいな逆ギレ記事も載せてるから本当に誠意のかけらもないめちゃくちゃな雑誌だと思いますよ
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ゴシップ週刊誌は特に文春はターゲットの人権なんては考えてないでしょ、仮に今回の件で中居正広さんやA氏やその近親者がたとえ自死しても何も感じないないだろうし用意してるAIのようなコメントを出すくらいでしょ その辺はもうマヒしてしまってるのかなぁ 自分達は特別だと思ってるように感じるけど
▲0 ▼0
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こういう論理のすり替えを堂々と記事にするんだよね。
訂正は必要ならすべきで、それを叩く人はいない。指さして馬鹿にするだけ。 訂正を訂正とせずログの書き換えをするのは報道としてフェアじゃない。まして、虚報に乗っかって事態が大きくなってる場合は丁寧な説明が必要になる。
そういう声の意図を理解しようとしない、できないのに”批判”覚悟とか勇ましい表現で長文こさえる程度の低さで、”社会をつくろう”とか1周半回って不快。
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訂正する事を批判してはない。 “うちの言う事が本当の事だ!” “反論するならもっと書いてやる!” “うちの記事を見たか!謝罪しろ!辞任しろ!” と追及しながら訂正はそっと大事にならない ようにって言うのが汚い、卑怯だと言う事。 更には追及してる相手には反論も訂正も 許さず“嘘だ!”“隠蔽だ!”“認めろ!”と言う 姿勢なのに自分達はただの訂正ですじゃ 済まされないって事を世間は言っている。 訂正するなは会見で説明して責任を取る お互いがやらないとフェアじゃないのを 批判してる。何を勘違いしてるんだ この記事は。
▲2 ▼3
=+=+=+=+=
訂正できる社会が必要なことは同意。
問題はそこじゃない。 コソッと訂正するとか、誤りに気付いたのに1か月近く放置するとか 自分に甘すぎるから批判されている。
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文春の場合はネタを小出しにしている傾向があり、この「訂正」で「A氏が絡んでいなかったなんてことは無い」とはとうていならない事実を確認しているのかもしれませんよ。
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徳富蘇峰ほどの言論人? 人物の評価は、その人物がいかなる時でも、信念を枉げないことに由来するものと思う。
厳しい風が吹いている時、これに迎合するようでは、真正の言論人とは言えまい。
是々非々という言葉は、何のためにあるのか? 国民の半数以上が、この考えを実行できたら、社会は歪まないと思う。
しかるに、政治家はどうかいうと、年中会食する。無論、酒も入る。これをして書生気質と呼んだ人がいるが、国民の代表がこれでは下々はどうしたらよいかと悩むだろう。
経営者、官僚、その他、みんな右へ倣えするに決まっている。そして、アルコールが入れば、過ちもあるかもしれない。
フジは、接待漬けと言われるが、政治家こそがその大本なのではないか? 金欲しさに、裏金まで作り出した。接待漬けは、一気通貫なのだ。
他方、文春を廃刊すべしとの意見があるが、こんなのは全く取るに足らないことだ。
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なんか勘違いしてるコメントちらほらあるけど、文春の訂正があったとて中居が引退しなきゃいけないようなことしたのは変わらないよ。 それに今回のことで文春は確かによくないけど、ろくに下調べとせずもちろん自分たちで取材もせず、ほとんど一般人と同じような考えで偉そうにその場にいた記者たちの方がよっぽど悪い。 週刊誌やテレビ局が週刊誌のネタを鵜呑みしてどうするんだよ。
▲4 ▼1
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驚くのは自分達にメディアには甘すぎる考え。 何で自分達は良くて、取材対象には厳しいわけ。 ごめんって訂正したら許してって言う良い加減にしろと思いますよね。
取材対象は書かれたことによって社会的制裁を受け、その周辺の人達もとばっちりを受けるのに、間違ったこと書かれたら溜まったものではないですよね。
散々、表舞台から取材対象を追放しておいて、責任とって廃刊にすべきですよ。
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普通の経済に関する誰も傷つけない事実や事象を淡々と述べた記事なら訂正してもそこまで何も感じない。けど、誰かを貶める記事でかつ事実と違うものであれば、訂正・説明も必要だしそもそも記事として成り立たないし社会的価値のない、ハナから存在すべきでないものになる。
▲3 ▼1
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>芸能スキャンダルの些細な訂正
幹部が自社女性社員を有力タレントに上納したのと、有力タレントにだまされて女性社員がついていって被害にあったのでは違いが大きすぎる。前者ならもはや芸能スキャンダルの範囲を越えている。
些細な訂正どころか大誤報の部類だろう。本気で些細だと思っているならあきれるしかない。
▲1 ▼0
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それこそ文春、新潮など週刊誌は派手に、恒常的に捏造報道をやっているから問題なのかと。売れりゃいいって感じで裁判で敗訴しても金額なんて大したことないと思ってるんじゃないんですかね。
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結局、TVや新聞などのマスメディアが 腰抜けだから、文春が際立つだけ。
今回のことで、文春を潰せとか言っている人がいるが、 文春がなくなったら問題に誰も切り込まなくなるだけ。
そもそも言論の自由がある世の中で 潰せなどという言動は間違っているし、 実際に潰すことは不可能。 言うだけ無駄。
▲1 ▼0
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目的が正しいのだから手段を云々すべきではないという風に聞こえます。 警察にそれを当てはめれば、犯行を自白させるためにはどんな取り調べをしてもいいという風に聞こえます。
▲3 ▼4
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単純に卑怯に見える。無料で私的にやっているなら誰も文句は言わないが、卑怯な行為でお金を貰っている、また払っている人がいるのが自分は快く思わない。
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フジ(或いは業界)の体質には嫌悪感を持つが、「上納」という表現の乱発には違和感を覚える。
人を「上納」ということは「どうぞこの子を好きにしてください」という意味に聞こえるが、実態は気軽に飲食や遊びに同席させてたってことで、連れてきた方にはそういう意図があったにせよ連れられた方はそこまで覚悟してないかそのつもりではない。
何でもかんでも攻撃対象にしようとする報道はいかがなものか。国の政策やなんやに対する批判の矛先をこっちに向かせてないか。
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その言葉全テレビメディアにそっくり送ろう。未だまともな謝罪聞いたことがない。特にテレ朝の慰安誤報とTBSオウム真理教でのやらかし。筑紫哲也に言わせて終わりじゃない。あとジャニーズ事件も国連から共犯だと名指しされた全キー局。謝罪や責任とったっけ????
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自分の事が批判されたら他のものを出して自分達は正しいとかが間違い。ちゃんと間違いを誰にも解る様に説明する事だと思う。文だけてコソッと逃げるのはおかしい。
▲6 ▼3
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程度の問題でしょ。 スキャンダルの意味には不祥事・疑惑・噂とあります。 その不祥事・疑惑・噂の根拠を示しての報道やSNSで書き込なら、 許される範囲だと思います。
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まあ、他人のスキャンダルほど、くいだらないことは無いと言うことだ! 事実を捏造したり、貶めたりしてる連中! マスコミや、雑誌記者は、これで飯く言ってるだろうが もっと重要なことをターゲットにしてほしいもんだ!! 世の中言いたい放題の連中が多くなって、引っ掻き回す!
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