( 261283 )  2025/02/06 18:24:39  
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【SNS】横断歩道を渡った子どもが車に「おじぎ」… 一部の大人たちが大激怒したワケ 「バカな風習」「ドライバーが勘違いする」

LASISA 2/6(木) 6:40 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/84eab087e60061e2e101f951952488aa506679c5

 

( 261284 )  2025/02/06 18:24:39  
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横断歩道を渡ろうとしている子どもが通りすがりの車に道を譲られた時、おじぎや謝意を表すかどうかについてSNSで議論が起こった。

一部は感謝を示すことの大切さを主張し、他の人はそれを必要としないという意見もある。

「おじぎ」をせずにアイコンタクトや会釈で十分だとする考えや、この習慣が拡大すると謝意が当然と思うドライバーが生まれる可能性を指摘する声もある。

議論では、感謝やコミュニケーションの一環として謝意を表すことの重要性を支持する声と、車に対して特別な感謝をする必要性に疑問を呈する意見が混在している。

(要約)

( 261286 )  2025/02/06 18:24:39  
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横断歩道を渡ろうとしている子ども 

 

 信号機のない横断歩道を渡ろうとしている人に、走行してきた乗用車が停車して道を譲る――。日常でしばしば目にする光景です。あなたが歩行者だった場合、渡り終わった後に車の運転手に対しおじぎなどをして謝意を表しますか? これをするかしないかをめぐってSNSで議論が巻き起こりました。「親切にしてくれた相手にはお礼を伝える」と主張する“おじぎ賛成派”に対して、“反対派”の言い分は――? 

 

 議論の発端となったのは2025年1月末、とある漫画家が自身のアカウントで日常を描いた1ページ作品を投稿したこと。自身が車を運転中に横断歩道で小学生の児童に道を譲ったところ、道を渡り終えたその児童がわざわざ「くるっ」と振り返り、帽子を取っておじぎをしたことに感心したというエピソードを紹介したことがきっかけです。 

 

 これには2月5日夜までに4万件超の“いいね”が寄せられ、「私も初めておじぎされたときは感動した!」「大人だけど会釈するよ」「自分の地元だけじゃないんだ。うれしい」など共感の声が相次ぎました。 

 

 一方、同じくらい「おじぎは必要ない」との声も上がっています。「信号機のない横断歩道は歩行者優先だから」「わざわざお礼? 意味ないと思います」、「こうするように教えている学校あるけど、余計なことを子どもに押し付けないでほしい」など、強固に“NO”を表明するユーザーも少なくありません。 

 

 反対派の主張をより詳細に見ていくと、「謝意を表すにしてもアイコンタクトや会釈するくらいで十分。渡った後にくるっと振り向かれたら『また戻ってくるの!?』って身構えてしまう」と、わざわざ振り向いて脱帽・おじぎ、という一連の動作を不要と感じている人のほか、「信号機のない横断歩道に歩行者がいる場合は、車にとっては赤信号が点灯しているのと同じ。赤信号で止まっている車におじぎする?」と、謝意自体を不要とする人、「この文化が定着すると『譲ってやったんだからお礼くらい言え』と勘違いするドライバーが出てくるのでは」と弊害を懸念する人など、さまざまなパターンがありました。 

 

 中には「こういうバカな風習、なんで無くならないのか」「愚劣なパワハラの結果でしかない」「子どもにこんな“マナー”を押し付けるな」と強い言葉で否定するユーザーも。これに対しては「当然のことだとしても人に何かをしてもらったら感謝する」「ありがとうという気持ちで会釈するのはコミュニケーションの一つ」「買い物したとき店員さんにお礼を言うのと同じでは?」と反論の声も見られます。 

 

 ちなみに、飲食店やコンビニなど店舗を利用した際に店員にお礼を伝える一方、横断歩道で停車した車にはおじぎをしないというユーザーは、「店員がいなければ買い物ができないので感謝を伝える。車は横断歩道にいなくても困らない。だからお礼する理由がない」と持論を展開しました。 

 

 賛否が入り乱れる形となったこの話題、あなたは「おじぎ」賛成ですか? 反対ですか? 

 

LASISA編集部 

 

 

( 261285 )  2025/02/06 18:24:39  
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このテキストは、横断歩道での挨拶や感謝の重要性についての意見が多く含まれています。

多くの人が、車や歩行者の間でのコミュニケーションを通じてお互いに気持ちよく行動できることを重視しています。

また、子供に対して礼儀を教えることの重要性や、相手に感謝の気持ちを示すことの意義などが議論されています。

車や歩行者がお互いに尊重し合うことで、より安全で快適な道路利用が実現されるという意見も多く見られます。

 

 

【まとめ】記事では、横断歩道での挨拶や感謝の重要性についての意見が多く寄せられました。

コミュニケーションを通じてお互いに気持ちよく行動し、礼儀を尊重することが求められており、特に子供に対しては礼儀を教える重要性が強調されています。

一方、強制するべきでないとする声や、気持ちよく行動するためにはお互いが尊重し合うことが重要だとする意見もありました。

それぞれの立場からの意見が交錯し、マナーやコミュニケーションに対する考え方の多様性が浮き彫りになりました。

( 261287 )  2025/02/06 18:24:39  
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=+=+=+=+= 

 

横断歩道は車が停まって当たり前ですが、渡らせてくれてありがとうもあっていいと思います。飯屋に行って、お金払ってご飯が出てくるのは当たり前なのでしょうか。もちろん対価として払ってはいますが、そこは感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っています。してもらって当たり前よりも、してくれてありがとうという気持ちを世の中全体として持つほうがより豊かになると思います。 

 

▲9567 ▼574 

 

=+=+=+=+= 

 

歩行者優先は当然なのですが、ここで感謝の気持ちを表現するというのは礼儀を若い頃から学ぶという重要な意味があると思います 

同じように学校にて掃除の仕方を学んだり、人との協力の仕方、災害時の行動など様々な事を学ぶことができ、それを学校外でも実践するのは非常に良いことです 

勉強のみ重視するという親御さんも結構多いですが、勉強以外でもその後の人生にそれなりに役に立つことを学べるのですから、大人はきちんと見守ってあげた方が結果的に良いと思います 

 

▲202 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

歩行者がお辞儀など挨拶をすることが当たり前になる必要はない。でも、心の片隅で「止まってくれてありがとう」って言う思いがあればもし止まらない車がいた時にも横断歩道に入ってしまうようなことはないような気がする。 

一部のドライバーはまだ歩行者がいても止まる気がなくスルーしているのも事実。とにかく歩行者が安全に渡れるように自動車側は横断歩道にいる人影に注意するし歩行者は自動車が止まるのを確認したら速やかに横断を始めてもらいたいですね。「どうぞ」「ありがとう」の気持ちは必要だと思います。 

 

▲1281 ▼99 

 

=+=+=+=+= 

 

礼儀は社会において互いが快く円滑なコミュニケーションをとる手段です。そういう習慣を身につけるには、記事にある『横断歩道を渡り終えて振り返って帽子を取っておじぎ』のような具体的な作法を子供のうちから実践させるのが有効だと思います(実際にここまで必要かどうかはともかく)。 

 

世の中にはたとえば飲食店などで店員さんにお礼を言うのを損だと考え頑なに嫌がる人もいるようですが、ちょっとしたお礼ひとつで互いに気持ちよくやり取りできるのだからむしろ得ではないでしょうか。 

 

▲11 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

普通にお辞儀というか会釈位はしますけどね。 

歩行者優先とはいえ、止まって、渡る時間を待っていてくれるのだから。 

渡り終わって振り向いてまでしなくてもいいかなとは思います。 

渡る途中に会釈してもらえば。 

でも、そういう姿勢って大きくなって社会人になった時にちょっとの差として出てくると思うんだよね。 

お礼や感謝を伝える所なのに、恥ずかしくて言えない、とかの方が損すると思う。 

相手を気持ち良くいさせるための行動でもあると思うんだよね。潤滑剤とでも言うのかな。 

いい事だと思うけどね。 

 

▲66 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

大激怒する理由が分かりません!大人も狭い道で対向車に道を譲ってもらった時にでも頭下げるか手で合図するのか人として当たり前だと思いますがやらない方が私はカチンと来ますけどね、バイクで山道を走ってる時に前の車が左に寄って先に行かせてもらった時に私は必ず手を出してありがとうのサインを出します、人に親切されたらお礼する事を子供の時から教える事が大切だと思います 

 

▲5497 ▼340 

 

=+=+=+=+= 

 

当たり前だと言ってる人は 当然止まるんですよね。でも 現実は止まらないドライバーが多いから 必然的にやるようになったんですよ。渡って振り替えると また渡るのかと身構えるって 無理やり取って付けた言い訳みたいですね。近くに小学校があるけど 押しボタンの信号機有る所は普通に横断してますよ。信号機の無い所は おじぎしてます。 

そんなに あれこれ言わないで おじぎしてくれたら ちゃんと止まって 子供に気を付けて運転しようって思えばいいんじゃないですか? そんなに色々賛否両論議論するほどの事じゃないと思います。 

 

▲3440 ▼165 

 

=+=+=+=+= 

 

お互いに尊重し合う交通ルールという文化を育てるという意味合いでは非常に良い事だと思います。 

 

反対派の人が普段どのような行動をしているのか知りませんが、『歩行者が優先だから何をしても良い』とでも思っているような態度で乱横断や信号無視をする歩行者が最近は非常に多く見受けられます。 

 

自分の身を守る為にも、社会の秩序を維持するためにも、車両側歩行者側が双方に尊重し合う世の中になれば良いのではないでしょうか。 

 

▲2435 ▼185 

 

=+=+=+=+= 

 

運転手としては渡り終えた子供の動向を見守るくらいの余裕は持つべきだと感じます。 

場所によっては他の子も飛び込んでくる可能性がありますから。 

後は子供のお礼をどう感じるかはお任せします。 

うちではパワハラと言われようと感謝の言葉は口に出すよう教えていますが、その代わり子供達にも小さな事でも感謝を伝えるようにしています。 

それが正解かは大きくなった彼らが教えてくれると思います。 

 

▲1230 ▼39 

 

=+=+=+=+= 

 

私は登校時間に信号機なしの交差点で子ども見守りをしている。子どもが横断歩道を渡っている時に止まらない車を時々見かける。中には子どものすぐ近くを通る車もある。中にはわざわざハンドルを切って子どもをよけて通る車もある。そういう悪質な運転を見ていると、子どもが横断する時に止まる車には自然に「止まってくれてありがとう」という気持ちが生まれる。子どもが横断した時に、私も子どもと一緒にドライバーにおじぎをしている。 

 

▲1064 ▼48 

 

 

=+=+=+=+= 

 

世の中を明るく平和にする第一歩は見知らぬ人にでも擦れあう毎に挨拶をすることと思います、たとえ何の反応も返ってこなくても、皆んなでどんどん挨拶しましょう。 

横断した後挨拶してくれる人、とても素敵で将来いい人生を歩みそうだなと思います、私も横断しながら運転手さんに手を振ったりペコリと頭を下げたりします、気持ちよく横断してくれたのかなと思い私も嬉しい気持ちなります。 

お店でも電車の中でも道を歩いていても擦れあえばありがとう、すみませんを言うように心がけています。私は孤独が好きなので挨拶程度です。 

 

▲564 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

反対意見もわかるが、その地域の文化としていいのではないか 

子供さんにして貰ったら正直嬉しい 

嫌な親御さんなら自分の子供にはさせなくていいし 

そもそもこんな小さな事で、激怒するという大人の狭い心の持ち主に同情する 

広い心をもってポジティブに考えたら人生楽しいぞ 

 

▲635 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

自分のために他者がアクションをおこす、おこさせる。そこに謝意を示すのは悪くない。 

 

指摘される問題が生じるならばそれは受け取る側の問題。 

 

当然の権利の行使であっても「ありがとう」の気持ちを示す事でお互い気持ちよく行動出来るし、その瞬間だけでもお互いの心に良心を生むと思う。 

 

挨拶が無いからと激昂するような輩も出てくると思うが、それは受け取る側の人間性の問題だと思う。 

 

それを行う社会と、行わない社会、その利益と弊害を比べれば行う社会がより良い社会のように思う。 

 

▲443 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

信号機のない横断歩道は歩行者が優先なので、譲るらないと道交法違反になるのでお礼は必要がないと言う意見も分かります。 

逆に歩行者からしたら道交法を知らない可能性もあるので、譲ってくれたからお礼をしてるだけかもしれません。 

個人的には譲るという行動に助け合う精神が含まれているから、お礼があってもいいんじゃないかと思います。 

 

▲455 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

感謝の気持ちを表現できるって普通のコミュニケーションスキルだと思います。相手にした行為に対して「ありがとう」の返事があると、少なくとも気持ちはよくなり、害された気分にはなりにくい。どう感じるかは人それぞれでも、大多数の人は受け入れるのではないでしょうか? 

 

よくこういう記事で「こんな否定意見もある」ということが肯定意見とともに掲載される。記事のバランスもあるかもしれないが、少数の意見が大多数の意見とともに並ぶと同等のようにも読める。アンケートなどで意見の偏りも数値的に出さないと、正しく読めない記事になってしまうと思う。 

 

▲601 ▼44 

 

=+=+=+=+= 

 

この行動になぜ大激怒するのかわからない。 

見ず知らずの運転手さんと、子供とのコミュニケーションでしょ。60過ぎた私でも頭を下げる。止まるのが当たり前でも、日本でのコミュニケーションの取り方。大激怒する対象ではない! 

日本が綺麗だと外国人訪問客に言われるのも、ゴミを落とすと人に迷惑をかける!という見ず知らずの人に対するコミュニケーションの1つだと思う。 

日本人は大事にしていくべきだと思います。 

 

▲519 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

横断歩道で人が居れば車は止まらなければならない、交通ルールでもあり、違反すると罰金です。しかも、歩行者が車を行かせても、車側は違反と見なされる。止まるのが鉄則ではあるが、歩行者として私もお辞儀しますし、ドライバーとしても止まってお辞儀されると気分は良いです。横断歩道もないのに平然と道路を偉そうな態度で悪びれもせずに車を止め横断する輩が居るのは気分が悪い。お互いマナーやルールを守り、その上で相手に感謝を表す、お互いに気持ちも良いし、益々ルールを守ろうという意識に繋がると思います。 

 

▲327 ▼39 

 

=+=+=+=+= 

 

車が止まってくれて渡り始めに会釈をして渡るのが1番スムースでムダが無いかと思います。渡り終えて振り向きお辞儀はやり過ぎかなぁ。何回か見かけたことがありますが、会釈も何もせずに携帯見ながらゆっくりと渡る人…。横断歩道は歩行者優先で車が止まるのが当たり前とはいえ、ちょっとイラっとしてしまいました。そういう大人よりしっかりしてますよ。 

 

▲414 ▼34 

 

=+=+=+=+= 

 

新幹線でシートを倒す際に後ろの人に了解を得る話とか、車でもすれ違いが厳しい道で、待っていた車の挨拶にクラクションで答えるとか、渋滞の列に入れてもらうのにハザードで謝意を示すなど、意外と無用必要の議論は有る。コミュニケーションの取り方が時代を超えて変化するのは仕方ないと思うが、自ら率先して、優しい気持ちから出る行動は無くしたくない気もする。 

 

▲299 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

背景にはそれだけ停止しない車が多いということがあるんだと思う。 

自分は必ず停まるようにしているが、夜間はたまに見落としてうっかり通過してしまいこおごある。横断歩道の近くは街灯で明るく照らして視認しやすくしてほしい。 

 

▲375 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

長野県は信号機がない横断歩道で「車の停止率」が圧倒的に高く全国一位です 

小学生に止まってくれた車へのお辞儀を徹底してるのが要因の一つです 

お礼された運転手は、次も歩行者を見つけたら止まるようになります 

 

子どもの頃の習慣は凄くて、大人になっても通りがかりにお礼します 

子どものお礼が地域の安全に貢献しています 

 

▲265 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

信越のある地域で、横断歩道小学生お辞儀に初めて遭遇した。首だけ向ける大人会釈でなく、脚から体全体をこっちに向けてベコッとお辞儀する姿が微笑ましかったです。 

 

そういう反応が返ってくることわ知れば、手を上げて待っている小学生がいれば積極的に停まりたくなる。それを強制だヤメサセロとか言うのはものの見方それぞれですね。 

 

お辞儀行為が小学生の安全を確保する目的としてみれば十分成功しているので怒りは感じない。 

 

小学生としても「大人の皆さんありがとう」もあるけど「やったな停めてやったぜ」って遊び感覚です 

 

▲505 ▼115 

 

=+=+=+=+= 

 

つい先日、免許更新の講習を受けた。 

その中でドライバーも歩行者も手を使ったサインをしましょうという趣旨の話があった。 

ドライバーは「どうぞ」 

歩行者は「渡ります」 

お互いに安全を確保するためのサイン。その中に「ありがとう」「どういたしまして」の意味が含まれていても良いと思う。 

 

何でもかんでも0か100かで論争するのではなく、誰もが気持ち良く道路を使えるように考えれば良い。それだけのことだと思います。 

 

▲121 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそもダメとかいいとか、そういう問題じゃない。 

 

教えるべきは「自分が親切にしてもらったと思ったら頭を下げる」ということ。 

 

法的に正しいから頭を下げないと言う事でもないし、理由もわからず、感謝の気持ちもないのに強制的に頭を下げさせることでもない。 

 

例えば、横断歩道で言えば、法律とは関係なく、どの車も止まらないような交差点で止まってくれたら、その行為に対して感謝すればいいし、歩行者がいれば必ず車が止まる横断歩道なら頭を下げている手間でとっとと渡ってしまった方がほうがいい。 

 

そういう判断力を子供に付けさせるべきだ。 

 

▲376 ▼74 

 

=+=+=+=+= 

 

部下に資料の印刷と製本を頼んだ。出来上がった。部下は仕事をこなしただけの当たり前の行為であり礼は言わなかった。 

に、変換するとこの上司とはあまりイイ関係を築けそうにない気がする。 

自分が運転していたとして、お礼はいらないと思うけど、自分が歩行者だとしたら振り返りはしないけど会釈はする。相手に対しての行動というより自分の行動としての一貫性かな。 

 

▲120 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

子供達におじぎをさせている原因は車側にある事を理解する必要がある。普通に信号機の無い横断歩道に於いて歩行者が横断しようとしている場合には車は停車して歩行者を渡らせなければならない筈です。そのような事が徹底されていないからわざわざおじきをさせるような事が必要になるのだろう。まずは大人が変わる事がいちばん大切であり必要かと思います。 

 

▲62 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

私は渡り終わった時ではなく、渡りながら頭を下げますけどね。みんなそんな感じだと思うけど、渡り終わったあと振り向いてなんてしますかね? 

止まった車もういなくなっちゃってる時もあるのでは? 

運転してる時も頭下げてお礼してくれたら嬉しいし、ちょっとした気づかいでお互い気持ち良く止まったり渡ったりできると思いますけどね。もちろん色んな人がいるし、強制ではないのでね。 

 

▲187 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

私が子供の頃は、田舎だったこともあって、車が多く通る大通りを渡るってことがなかった。でも、同じ学区の中にはそういう通りを渡らざるを得ないところもあって、そこを通学路としている子供たちは横断用の小旗を振って車に合図し、止まってくれると全員で「ありがとう」と叫んでから渡らせてもらっていたらしい。 

渡り終わってからわざわざ振り返ってお辞儀をする必要があるかどうかは知らないが、感謝を伝えること自体は悪いことではないと思う。 

 

▲12 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

横断歩道は危険な場所、安全に渡ることこそ全てに勝って大切です。私も経験があるのですが、停まってくれた車に感謝を伝えようと会釈に気を取られていたら反対車線からきた車への注意がおろそかになって危ないと思うことがありました。車の方だって同じで、特に減速しての場合などはやはり注意がそれて危険だと思います。ああいう場所は安全ありきであり、不注意を招きかねないことは避けるべきだと思います。 

 

▲14 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

人に何かをして貰ったらお礼を言うのは人として当たり前な事だと思います。地方で渡り終わった子供にお辞儀をして貰った事が何度かありますが初めてのされた時はビックリしてすごく感心した記憶があります。そしてこう思いました「次も必ず止まろう」当たり前の事ですが再認識させられました。 

反対の人が言う横断歩道は歩行者優先だからって言う意見は人の気持ちを理解する事が出来ない人とリスクマネジメントが出来ない人だと思います。横断歩道は残念ながら安全地帯ではありません。歩行者も万が一を考えて渡る事は心構えとしては必要かと思います。いくら優先だからと言って車が左折待ちに本当にゆっくり歩いて渡る歩行者が多くいます。でも中には少し早歩きで渡ってくれる人もいます。自分は子供にはゆっくり渡る人は自分本位の考え方しか気が利かない人なんだよって車内で教えていますよ。こうなるなってね。 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

他人を思いやる気持ちが希薄になってきているんだと思います。譲ってもらって当たり前、行かせてもらって当たり前。少しのお礼、挨拶で相手方の心象もだいぶ変わると思う。挨拶、お礼で無用な争いを避けることも出来る。たとえ相手に無視されようとも、自分や自分の子供には必ず相手を思いやる行動を心掛けるように教育、行動したい。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この間、自分が車を運転する側で、横断歩道で渡るのを待っている男性(私よりも年上の方)がいたので、当然停車をして、軽く会釈しながら、どうぞという仕草をしたら、その方も笑顔と軽く会釈をしながら渡っていかれたので、こちまもまた軽く会釈を返しましたが、何かいいなぁ…って素直にいい気持になりました。 

 

▲48 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

振り返って帽子まで取ってお辞儀してもらったら、そこまでしなくてもいいよ、と思うけど悪い気はしないかな。 

私が歩行者の立場の時は渡っているとき軽く手を上げて会釈ぐらいはしています。 

気持ちの表し方は人それぞれなので強制することではないと思う。 

感謝の気持ちを表すのはお互い負担にならず気持ちいい範囲で良いと思う。 

 

▲38 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

近所が小学校なのでたまに同じ場面に遭遇します。子供さんによっては確かに渡ったあとも深々と頭を下げる子がいらっしゃいますね。かわいらしいと思うと共に、本来は歩行者優先だからと少し苦笑いしてしまうような心境にはなります。ただ子供たちには横断歩道は十分注意して渡ってほしいので安易に車が止まってくれると思わせないほうがいいと思います。そしてなによりもドライバー側の教育が必要ですよね。横断歩道で止まらない車は実際にかなり多いです。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

確かに交通ルールでは横断歩道は歩行者優先だから、車は止まらなければならない。 

だけど問題として、一時停止しない車が多いのも現実だ。 

それだったら、譲ってもらったと歩行者がお礼をして、停車した車の運転手が気分良く「これからもルールを守ろう」と思ってくれたら良い。 

接客業でも、店側だけじゃなくお客側も「どうもありがとう」とドラマの相棒の杉下右京みたいに挨拶すれば、店側も気分良く仕事を続けられる。 

そういう意味でも、行う側、行われる側の双方が誠意を見せれば、おのずと交通ルールを守ろうという気になる人も増えるのではないか。 

ルールを守らなければいけないと捉えるから中々浸透しないのであって、ルールを守りたくなる様な環境になれば良い方向へ向かうと思う。 

交通ルールも仕事も、全ては人間関係で良くも悪くもなる。 

「ルールを守るのは当然」では無く「ルールを守ってくれてありがとう」くらい思っても損はしない。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

田舎へ戻り車に乗るようになって、お辞儀する子供にビックリしたのを覚えています。私たちの子供の頃はそんなの無かったし、教えられもしなかったよね!?と友人に確認したぐらいです。 

子供たちにとっても”教えられた流れ”でお辞儀しているだけかもしれませんが、やらない子もいたりする中でそれを守っていると言う事でこちらもホッコリするし、ちゃんと停まらなきゃな~とも思う(ついでに速度も気にするようになる)のでいい風習だと思いますけどね。 

 

▲10 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

「感謝」は誰の為に何の為にするのかということでしょう。 

私は「感謝」は自分の為にするものだと思います。感謝するようなことがあったことを味わうため。 

道を譲ってもらったとして、自分が丁重に扱われたことに感謝するといった具合です。これは自己効力感が高まる効果があります。 

逆に「当たり前」と思ってしまうと、感謝も感動も無くなります。 

感謝することは多ければ多いほどよく、それが習慣化するよう教育するのはいいことだと思います。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私もそうだけど、自然には出ます。 

会釈をして渡ります。手を上げるまではいいかなと…。 

運転してる時、道を譲ってもらう時は手を上げます。よりわかりわすくするためです。ありがとう、入らせてもらいます、と。お礼とわかりやすさです。 

横断歩道を渡る時はルールだからというのもあり、軽く会釈ですかね。ルールとは言え、ありがとうという気持ちもあります。それは止まってくれない車もいるからかもしれませんが。また自分が車で止まった時も会釈や手を上げられる人もいらっしゃいますし、この時はお礼を受け取るというより、わかりやすいさにありがたさを思います。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

それぞれ個人の気持ちの問題なのでしょう。横断歩道でも信号がないところがあったり、脇道から出て来る車があったりと状況は様々でしょうが、お互い譲り合う場面は多々あると思います。謝意を表すのは当然のことだと思います。お店、スーパー、コンビニを含めて買い物した時は、謝意を言い、バス、路面電車、タクシーを利用した時も降車時には必ず謝意を言うようにしています。祖父母の時代からの習慣、私達から子供達へ日頃の習慣なので改めて考えてみることはなかったです。そういう事も話題にネットに載るのも時代なのでしょうか。いい、わるいではなくて、どのような時でも 

誰かと繋がっていることは当然ではなく奇跡だと思えば、全てほんとうに有難い。漢字の文字そのものでしょう。いつ、どのような場面でも感謝の気持ちは持ち続けたいと思います。勿論 

人の生き死にの場面とは別物ですが。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まあ、止まっていただいたら、会釈くらいはして渡りますが、渡り終わったあとに振り返ってまでお辞儀はしなくていいかなと思います。 

 

ドライバーからしたら、せっかく渡った人が急に振り返ったら、 

「あれ?、何か忘れ物でもあって、またこれからもう一回渡ってくるのかな?」 

と思ってしまいますし。 

ドライバーとしたら、渡り終わったなら紛らわしいことはせずに、そのまま普通に通行してくれたほうがありがたいし、お辞儀がないからマナー違反とまでは思いません。 

 

というか、マナーに関して言えば、変なマナー講師が「正しい横断歩道の渡り方」を決めて、それ以外は失礼、なんてことに決めてしまわないかのほうが心配ですね。 

 

▲364 ▼101 

 

 

=+=+=+=+= 

 

十年程前に新婚旅行でハワイに行きました。 

街行を見ていると横断歩道では必ず車は停まってくれていました、そして歩行者は横断歩道を渡りながらにドライバーに軽くシャカサイン、ドライバーもシャカサインをスッと返す。 

 

この記事を読んでそんな事を思い出しました。 

いい文化だと思っています。 

渡ってくださいよー 

渡らしてもらいますよー 

そんな感じで双方が気持ちよく過ごせるようになればいいなと思った。 

 

▲89 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

子供はきちんと理由をわかってますし、親が反対な子はしません。 

クルマが止まるのは当然ですが、それに感謝のお礼があっても良いのではないだろうか?ある意味でのあいさつでもあります。 

お金を払って商品を受け取る。ありがとうにありがとうかえす。 

返さない人も居るが、それも普通です。 

子供が笑顔で挨拶すれば、一日楽しくなります。 

いつも通る道であれば、その子供たちを気にかけて親しみがわきます。 

これを見て怒る人は挨拶から学んだ方が良いでしょう。 

 

▲11 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

お辞儀してもらったら嬉しい気持ちになる。しかし、お辞儀を強要する必要は無い。目的は、横断歩道を安全に渡ること。そのための有効な手段の一つで、そうしないと車が止まらない現実がある。ルール違反でも、現実は止まらない。止まらない車が悪いのは百も承知で、何もしなくてもルールを守って車が止まれば良いが、そうではないから、このような対応が出来ただけ。 

車を止める方法は他にもあるかもしれないが、手っ取り早く、無料で出来ることなので、広まっている。安全対策の一つです。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

お辞儀してお礼、にやりすぎだとか怒ったりイラついたりする人がいることに驚いた。 

向こうは運転手さん止まってくれてありがとう、の感謝の気持ちを素直に表しただけじゃないの?運転手側も素直にどういたしまして、って思えば済むことでは? 

交通法規が云々とかどっちが優先だから当たり前とか大人の物差しで感謝の行為を否定するんじゃなくて、お辞儀してくれてありがとう無事に渡れて良かったね、くらいの気持ちで素直に受け取ることも大事なんじゃないかなと私は思います。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

大激怒するなら他にいくらでも怒りをぶつける対象はあります。このケースで怒る人ってここでなら多少意見強めでいっても大丈夫だろぐらいの発言だと思うので無視でいいと思います。 

元々道を行き来する際には歩行者同士でも車同士でもお互いに譲り合いの精神は大事です。ましてや歩行者と車との譲り合いはなかなかコミュニケーションが難しいです。そこでコミュニケーションの一環の1つとしての「おじぎ」は交通安全にも繋がるのではないかと考えます。 

 

▲9 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

子供が小学生だった頃これをしていた。親の自分も知らなくて偶然初めて見た時びっくりした。いつの間にこんなことするようになったの...と、ちょっと感動してたら学校から登下校の時はやるように指導されてて地元の子供達は皆やるらしい。地元民じゃないから知らなかったよ。その証拠に普段は渡る前に会釈する程度で渡った後に深々とお辞儀はしてない。もちろん大人もやってない。心から感謝して自然に出た行動ならいいが不思議な文化だと思ってる。 

 

▲173 ▼85 

 

=+=+=+=+= 

 

大激怒とか思わないけど、そうでもしないと止まらない車が多いと思うと、同じ大人として恥ずかしいとは思う 

そしてお礼されないと怒る人も、止まって当然なのにお礼を求めるとか恥ずかしいと思う 

お礼の気持ちは嬉しいけど 

 

あと子供が渡る時に申し訳なさそうに小走りで急がなくていい 

子供が「止まってくれたから急いで渡らなきゃ!」とか思うような雰囲気が普段からあったり、そう思わせるような何かが社会の中であるって事でしょう、安全が優先なはずなのに 

おかしいよ 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

別に大激怒するほどのことでもないと思う。というのが自分の考え。 

 

確かに信号機があるなしに関係なく車が停止することは本来交通ルールの義務だとも思えるのですが、本当に停止することが「負け」かのように止まらずスピードを緩めることもなく走り抜けていく車の多いこと。 

 

ただ男の子が渡らせてくれた感謝の気持ちだかでお礼はしなくても問題ないし、それでドライバーが不機嫌になる必要もないけど、自分だったら気持ちいいな〜って気分が良くなるかも。 

 

本人が「ありがとう」の気持ちを素直に言動にできる人って年齢問わず素敵だと思います。 

 

そして反対にドライバーが、そうしてもらうことが当然と勘違いしてはならないとは思います。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

昔道場の先生に感謝の気持ちを忘れてはいけないと言われました。 

高校生になって初めてバイトしたレジ打ちで、初日1~2時間位経った頃、 

お客のおばあさんが私にありがとうと言いました。 

あの時すごく嬉しかった。 

30年以上前のことですが、ああいう人になりたいと。 

私も道路で普通におじぎします。昔は軽くクラクションをならして了解みたいな感じで対話があった気がするのですが、今はクラクション鳴らしてはいけないとのことで、運転手さんがおじぎしてくれたりもします。 

最近狭い道を通るのですが、道をゆずっても平気で無視する人も大勢いるけれど、ありがとうと言ってくれて、それに私がどういたしましてと感じで頭を下げると嬉しそうな顔をする人もいます。 

私はそういう関係っていいなと思います。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

僕は小学生など小さい子供が渡った後にお辞儀をするのに賛成です。まあ、脱帽とかはあまりありませんが、渡り終えて「ありがとうございました」と一言いう子供も全員ではありませんがいて、こちらも自然と笑顔になっています。 

大きくなってからも通りながら会釈をする方もいます。ちなみに、僕も渡りながら会釈する1人です。 また、場面は違いますが、コンビニなどで店員さんにレジをしてもらった時にも会釈や「ありがとうございます」と一言いってお店を出ています。多分、子供の頃からの習慣ですね。 

 

▲13 ▼9 

 

 

=+=+=+=+= 

 

私はいつも、渡ってる最中におじぎしますが、そういうのって、ルールというより気持ちの問題だと思います。 

歩行者が優先だとはいえ、ありがとうって思ってたら相手に伝えて相手も笑顔なら、それがいいって私は感じてます。 

どっちが正しいとか、何をしたらやりすぎとか、人それぞれ感じることだと思うので、最低限のルールを守ったうえで、それ以外は議論するのも違うのかなと。 

 

横断歩道のこと以外に、大人が守れていないルールをたくさん目にするので、そこをどうにかしなきゃいけないと思いますけどね。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

素敵な行動だと思う。 

横断歩道、私は気づかない場合を除き、止まるようにしているが、歩行者の立場では止まってくれない場合がとても多い。 

きちんと止まる、それが当たり前にしていくためには、相互に気持ちいい関係であることが肝要だ。 

ルールで決まっているから当たり前だ、と捉えるより、ルールで決まっている通りにしてくれてありがとう、と捉える方が自身を肯定的に見ることができる。 

止まった方も、謝意を表現されれば次も止まろうと思う。良いことをした、と思える。 

 

定食屋さんで、お金を払うからといって横柄にする人を良しとする人は多く無いだろう。 

「ごちそうさまでした」(さらには、美味しかったよ、と伝えられればなおよし)が言える方がいい。 

 

とても素敵な行動だと思う。 

ほとんどの大人は、大切な何かを思い出させてもらっているはず。 

 

ありがとう。 

 

▲14 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

大阪在住です。 

 

軽くですが、会釈や感謝する言動はした方がスマートだし、された方もちょっと嬉しいですね。 

 

地方から大阪に出てきた時に、大阪(というか関西全般)の人がお店の人に「ありがとう」と言っているのを見て「スマートだなぁ。素敵だなぁ」と感動して、 

それから私も感謝の言葉や会釈をするようになりました。 

 

完全な余談ですが、数年前に初めて室内リフォームすることになり、知人(自他共に認めるプチセレブの方)と、職人さんにお菓子などを出すかという話になった時に「出す必要ない」と言われました。 

ちなみにその方は『先生』と言われる職業の方で贈り物など割と貰っていらっしゃるようでした。(私もお世話になっているので毎年年末に贈っていました) 

 

先生(知人)の言動で一気に尊敬の念が薄れていったのを、この記事を読んで思い出してしまいました…。 

 

▲126 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

確かに横断歩道渡り終わった後にクルっと振り返ってきたら、もう一度渡るのかと勘違いしてしまいそう。渡る時に会釈して渡る人は、年齢に関係なく素晴らしいなと思っていつも見ています。交通ルールとしては車が止まるの当たり前なんだけれど、会釈しながら渡る人と、スマホいじりながら見向きもしずに渡る人を比べると、好感が持てるのは前者。 

もちろん、どんな渡り方しようが自由。 

歩きスマホはさすがに危ないのでやめた方がいいとは思いますが、 

ただ、振り返って脱帽まではちょっとやり過ぎかな?と個人的に思います。 

 

▲7 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も運転するからそうするんだけど、横断歩道を渡るときは止まってくれたドライバーとアイコンタクトしてから渡る(確実性を増すため)し、そのとき軽く会釈する。 

お礼もあるし、私これから渡るからそのままちゃんと止まっててねよろしくねという意思表示も兼ねてる 

そうしたほうが安全だしお互いに気持ちいいと思うから 

 

屁理屈で逆張りする人とは疲れるから距離を置くかなー。。 

こういう人、車が止まる素振りなくても「歩行者が優先なのだから!」と横断歩道を渡るタイプで危ない気がする 

 

▲7 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

おじきするしないは自由で良いのでは。ただ、おじぎ自体は悪い行動ではないし、わざわざ「バカな風習」等と言ってやめさせなくてもよいのでは。歩行者優先横断歩道の前では車が停車するのが交通ルールなのも事実。だけどおじぎされてわざわざ悪い感情を抱く場面でもない。なんでもかんでも自分本位に白黒はっきりさせるより、なぜそういう行動をするのか相手の気持ちを5秒でも考えてみる方が平和的。この場合には相手の考えを尊重した上で静かに自分が取りたい行動を取ればいい。誰だって自分の考えを真っ向から否定されて喜ぶ人なんていない。 

 

▲312 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

それだけ横断歩道で人がいても停車しない車が多いってことなのではないですか? 

どちらでもええやないですか。 

しても、しなくても。 

そもそも私も含めたドライバー意識が先に先にの気持ちから譲り合いになれば良いと思います。 

横断側も当たり前っと携帯見ながら渡るよりお互いに事故にならないようにすることが大切だと思いますよ。 

 

▲13 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

こと交通ルールに関しては、正しいか否かよりも、子どもの命が守られるか否かを優先したほうがよいのです。おじぎをすること自体は大した論点ではなく、問題は横断歩道だから歩行者が優先だという意識こそが、事故死を増やしてしまっているということです。確かに歩行者優先ですが、だからといって死んでしまってから権利を主張するわけにもいかない。まず死なないことを優先するべきなのです。だとしたら、横断歩道だからといって確認もせずに渡ることはしない、必ず車の停車・大幅な減速を確認してから渡り始めるということを子どもにしっかりと教えること。これがまず第一です。 

 

▲15 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

赤信号で止まっている車にはお辞儀しないけど、右折車や信号のない横断歩道で止まった車などにはお辞儀してます。 

要は、歩行者優先とはいえ、歩行者がいなければ止まる必要のない車にお辞儀して、歩行者がいてもいなくても止まらなければいけない赤信号の車にはしていないのだと、今、気づいた。 

渡り終えてからではなく渡りながら車の正面を通る時に、足を止めずにぺこっとやってます。 

 

コンビニやスーパーのレジで「お願いします」「どうもありがとう」と言ったり、食事をして「ごちそうさまでした」と言ったりするのと同じ感覚です。 

 

▲11 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

子供達がまだ幼かった頃「今日ね、優しいトラックの運転手さんが止まって道を渡らせてくれたんだよ。」などの報告を何度かしてくれました。「ちゃんとお礼した?」と常に聞いていた私からすると、何が悪いのかわかりません。一緒にいる時に道を譲ってもらうと「早く渡りな」と言ってお礼もしてました。 

私が運転していて頭を下げてくれる人には(お礼なんていいのに〜)と思う傍ら、とても良い気持ちになります。『お互い』気持ちよく道路を使えるのだから、良いと思いますけどね。 

 

▲12 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

強要する必要はないと思うけど、常に感謝の気持ちを持つことは良いことだと思いますけどね。 

お礼が欲しくて止まったわけではないので、お礼がなくても安全に渡ってくれればそれでいい。 

脇道から合流する車を入れてあげたのにハザードのお礼がないと怒る人もいるが、相手は入れてくれと頼んでないと思ってるかもね。 

自分が入れてあげたいと思って入れてあげたんだから、お礼がなくてもいいと思うけど。 

お礼が欲しくて入れてあげたの?って思う。 

けど、お礼があると、嬉しいしほっこりするよね。 

みんなが常に感謝の気持ちを持っていれば、平和で温かい世界になると思う。 

自分は歩行者がいれば止まるし、合流したい車がいれば入れてあげる。 

お礼がなくても、助かる人がいるならそれでいい。 

温かい世界になりますように。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

信号機のない横断歩道は歩行者優先にもかかわらず、ほとんどの車が止まらないのが現状。そんな中で止まってくれた車が非常に親切に感じられるので、ついおじぎがしたくなるのだと思う。横断歩道の脇に人が立っていたら全ての車が停止するようになれば、それが常識となり有難みも薄れ挨拶も減少すると思う。横断歩道で止まらない車が多すぎるのが問題。これを是正すべき。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

横断歩道で歩行者いたら車が止まるのは当然の事だから、お辞儀されなくても別に何とも思わない。でもお辞儀をされたら、悪い気はしない。たまに小走りしてくれる人が居ると有り難い気持ち半分、申し訳ない気持ち半分にはなります。 

でも一時停止に限らず、生きて生活していく上で、やって当然の事でも、やってもらって当たり前って思わない事が大事かなぁと思ってます。頭少しさげたり、ありがとうと言葉にするだけで、相手が少しでも気分良くなり、優しい気持ちになるのなら、いい習慣なのかなぁと思ってます。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

40年以上前に小学校の全校集会で校長が話したのを思い出す。たぶんラジオでの話を引用して、うちの小学校でもやりましょう的な事になった。小学生の時は先生に言われたのを愚直に守っていたが、やがて忘れられ自動車免許を取得し子を持つ親になり、再び自分と同じような姿を見て微笑ましいと思った。しかし、横断歩道で歩行者優先なのは当たり前だし、子ども達はやらされているのではないか考えると何か複雑な気持ちになってしまった。でも、ありがとうという姿に対して、運転者もどういたしまして的な合図を送ったほうがいいのではないかと思った。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

渡った後のお辞儀よりも、渡る前に手を挙げるのを励行して欲しい。 

どっちがドライバーの気分がいいかはさておき、どちらが事故防止に効果的かはハッキリしている。 

子供だけでなく大人にも、手を挙げて横断を努力義務にして欲しい。 

自動車側だけでの注意では横断歩道上での事故はゼロにならない。 

横断歩道の手前でスマホを凝視して立っていられると、渡るのか渡らないのか分からない。 

見通しの悪いところで早歩きで出てきて車を睨みつけるとか、煽り運転ならぬ煽り歩行みたいなことする人もいる。 

スピードを緩めず横断歩道に飛び出てくる自転車も、いったん降りて手を挙げて歩いて渡るようにすれば事故は減る。 

感謝のお辞儀にワンアクションを使うのであれば、事故防止のために使った方がいいと思う。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

最初に見た時は感動したよ。 

過去4回しか見てないから 

学校が指導しているとは思わなかったけどね。 

この行為をしてほしいというより 

横断歩道は歩行者「優先」であって「絶対」ではない。 

交差点は優先順位はあるけど「お互い様」くらいの気持ちが大人になった時に思ってほしいなぁ。 

走って渡らなくていいけど 

スマホを見ながらゆっくり歩いたり、 

渡るときは道路の方に体を向け 

一旦止まったりして渡る意思を示してほしい。 

渡りたい道路と平行して歩いていて 

後ろを確認せず横断歩道を渡りだした大人に 

睨まれたことがある。 

歩行者にはウィンカーはないのでわかるわけないだろ!! 

 

こうした小学生の気持ちだけでも残ってほしいね。 

 

▲9 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

大激怒するのは、歩行者が渡り終えたら1秒でも早く発進したい人なのだろう。 

それは危険だから一呼吸待ったほうがいい。 

 

ただし、数人が列を作って横断歩道を渡る場合。 

渡り終えた前の子が止まってしまうと、後ろの子は渡り切れず残される瞬間があるので危ない。 

これは子供に限らず、高齢者が渡り終えて立ち止まり背を伸ばす…後ろの人は横断歩道で順番を待つ格好になる、という事が実際にあるので気を付けて。 

 

▲5 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

なんか小さい大人が増えてますね。 

頭を下げることはなかなかできないことです。 

小学生の時、車の人に停まってもらったので、頭を下げて渡りました。 

翌日、違う学年の先生に呼び止められ、怒られるかと思いきや、昨日の車はその先生だったそうで、むちゃくちゃ褒められた。 

個人的には親がしていることを当たり前にしていただけだったのですが、こんなに褒められるとは思っていなかったので驚き、嬉しかったです。 

あれから数十年。 

子どもたちが横断歩道を渡ったあとに帽子を取って頭を下げてくれる。 

こちらも車の中から頭を下げる。 

お互い、気持ちの良い時間を味わえるのは幸せなことだと思います。 

譲ってもらった記憶は譲れる行動につながると思います。 

感謝をしてもらいたいではなく、自分たちもしてもらったことを返していると考えることで、感謝されなくても当然になれる。 

狭量を恥ずかしいと思える大人でいたいですね。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

通勤で自転車を使っていますが信号のない通りも多く、譲って貰った時は急ぎめに渡りつつ必ず頭下げてましたが迷惑に思われてたんでしょうか… 

 

引っ越す前の地域は98%譲って貰えず途切れるのをひたすら待つしか無かったですが、 

まぁ車の人も急いでるだろうし止まりたくないだろなくらいにしか思ってませんでした。 

 

引越し先での譲られ具合に驚きつつ、自分なんかの為に止まってくれてありがとうって常々思いながら頭下げてました。 

 

頭下げてるのがちゃんと伝わってるか不安な時もあるので、ヘルメットに「ありがとう!運転きをつけてね!」って電飾つけようか日々悩むくらい運転手の方に感謝してましたが頭下げるのが馬鹿な風習だと思う人もいるんだなと考えさせられました。 

 

▲13 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

車の方が止まるのが当たり前なことかもしれないけど、ありがとうの意思はおじぎじゃなくても伝えた方が良いと思う。 

それが日本の心遣いかと思う。 

例えば買い物をして会計が済んで帰るときお互いにありがとうと言い合えばお互いに良い気持ちになる。 

商品を提供する方は売ってやるよ、買う方は買ってやるよでは、無機質で何の感情もなくて人として心も豊かにならないと思う。 

渡った後おじぎまではしなくても良いかもしれないけど、軽く手を上げてありがとうを伝える位あった方が良いと思う。 

 

▲3 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

信号機の無いとこの横断歩道渡る時止まってくれた、クルマに対して私の場合は手を上げたり会釈して渡っている。 

クルマですれ違い困難な狭い道路では、対向車が止まって先に行かせてもらった時は、手を上げる、会釈する、夜間は軽くホーンを鳴らす。 

先に対向車行かせようとしてても来ない時はパッシングして止まってますよと意思表示する。 

横断歩道も同じで歩行者に止まる意思表示でパッシングする。対向車も歩行者がいると気づけるハズ。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

これは「すべきかどうか」と杓子定規に考えるから問題なのだと思います。 

世の中は色んな人が居て成り立っていて、 

だからこそ、お互いに気持ちよく過ごせるにはどうしたら良いかを 

考えたときにどうするか、と。 

その一つがお辞儀だと思いますね。潤滑油みたいなものです。 

私もお辞儀をします。 

それは、私が運転して停まった時にお辞儀をされると嬉しいからです。 

「ルールとして当たり前」なら逆に「ありがとうございました」を 

きちんと言えない店員が居た場合はどうなのか。 

そういう人も実際居ます。 

こう考えるとギスギスしてしまうので、私は最初からお辞儀をします。 

へりくだるのと挨拶は別です。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の子供がお礼をしていたら、親としては嬉しいです。 

少なくとも、お礼なんかしなくていいorしないほうが良いとは教えたくないですね。 

 

あと、親の立場から意見を言うと、「横断歩道は歩行者が優先だから、車が止まるのは普通」と教えるのは、自分の子供の安全のためには得策とは思えません。 

「横断歩道ではちゃんと停まって、車が停まってくれたのを確認してから渡る」と教えるのは、子供の安全のためには大事だと思っています。その一環としてのお礼には違和感はありません。 

 

横断歩道を渡るのに、免許も資格も必要ないですが、車を運転するのには免許が必要です。その状況で、車側がルールを守れないことが多いことだけが残念です。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

クルマ同士だと譲って貰ってありがとうの会釈や挨拶が普通にあるが、対歩行者だとスルーするドライバーが多い気がする。 

ウチの周りは古い住宅街で、幅2.7mの路地に電柱が立ってる中を運転してる。 

当然、歩行者や自転車と譲り合いながらの運転になり、電柱の陰で待っててくれてる人の横を通過する時には、ありがとうの挨拶をしながらの運転となる。 

が、逆の立場でクルマの通過を待ってる時に、手を挙げるとか、頭を軽く下げるとか、なんらかの方法で謝意を伝えるドライバーを、ほとんど見た事がない。 

オレの常識が間違ってるのかも知れんが、待ってて貰ってる人の横を涼しい顔で通過する神経が分からん。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いい年した大人だけど明らかに自分の存在を見て止まってくれたなって感じの車に対しては軽く会釈くらいはしながらいそいそと渡るようにしてるな。1秒にも満たないようなやり取りだけど、言葉を介さない軽いコミュニケーションは大事だよ。 

 

子供たちに社会性を身につける上で自分が影響を与えた人の存在を認識して感謝を示すのはとてもいい事だと思う。 

ただ、終わった後に深いお辞儀をするとか大声でお礼を言うとかは感謝している事を伝えているというよりは「そういうもんだって言われたからそうしてる」感が強いのでもっと自然な感じでやる・言うように指導した方がいい気がするね。 

感謝を伝える時は大げさなくらいがちょうどいいってのはよく言われる処世術だけども、怒鳴るような声でお礼を言われて嬉しい人はいないと思うよ。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この、おじぎの意図は、得てしてクルマ中心になりがちな道路上で、クルマと歩行者が互いの存在を意識し合うためのものだと理解しています。 

横断歩道上は歩行者優先なのはいうまでもありませんので、おじぎが歩行者のマナーとか礼儀だとは思いません。 

クルマと歩行者が、杓子定規にどちらが優先ではなく、お互いの存在を尊重して譲り合いをしたアクションという理解でどうでしょう。 

子どもたちに押し付けるのは筋違いですが、おじぎをすること自体を非難するのもまた筋違いと思います。 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

子供たちに礼節を教えたいのは理解できますが、礼節よりも大切なことは交通事故や交通ルールに注意する意識付けだと思います。どうしても子供だけに場所をわきまずにふざけたり暴れたりしますから。そこはメリハリのある指導を優先してほしいです。横断歩道や大通りは命を失うリスクのあるところです。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

「道を渡り終えたらお礼をする」と教えている学校があるのは、そこで停止しない車が数多くあるからでもある。子供からしたら「車は譲ってくれない」というのが常識。だから逆に譲られたらお礼を言うのは、まっとうな行動である。信号機のない横断歩道では50mと30m手前にひし形の道路標識があります。この意味を知らないドライバーがどれだけ多いことか。「お辞儀をするために振り返った子供が戻ってくるかもと勘違いする!」と思うのもそんなに焦って行こうとすんな!お辞儀をされたら笑顔で片手を上げるくらいの余裕をもって運転せいと言いたい。信号機のない横断歩道があるのはえてして住宅街が多く、その道で速度制限されているのには理由があるのだからドライバーはそのことを認識すべき。「バカな風習」「ドライバーが勘違いする」と思う人は一瞬の気のゆるみで事故を起す可能性があるので気をつけてください。 

 

▲14 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

日本には伝統的に何かに軽く頭を下げる、お地蔵さんに軽く頭を下げる、マラソン選手がゴールすると走ってきた方向に頭を下げる、バッターボックスに入る際に軽く頭をさげる、誰かに教わったか、自然に頭を下げていた、、だから子供が横断歩道でドライバーに、店員さんに軽く頭を下げる、強制されたものでないから微笑ましく見える。頭を下げられて不快な思いになる方が見習うべきだ。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ちょっとした配慮や感謝が出来なくなった人間が多いですよね、今は。 

例えば交差点で信号渡っている時に右折や左折待ちの車がいたとします。 

自分一人通過すればその車達が右左折出来るのなら、私は少し早歩きしたりするのですが、関係ないとばかりにスマホ見ながらゆっくり歩いている人とか今はメチャクチャ多い。 

確かに法律違反でもマナー違反でもないし、青信号の横断歩道を渡っているだけなのに何故車に配慮して早く通らなければいけないのかって感じなのでしょうが、なんか寂しいよね、そういうの。 

街歩いているだけで分かるけど、なんかつまらない人間が増えたよなぁーなんて思ったりします。 

 

▲2 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

大人ですが必ずします。ただ渡り終わってからではなく渡りはじめに運転手さんの顔を見ながらですが。自転車のとき待ってもらっても。ありがとうの気持ちを伝えたいので。運転もしますがしてもらえると嬉しいですね。子どもさんの時は聞こえないのに「きをつけて」って言っていることもあります。小さな気持ちのやり取りでは? 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

何事も人の立場を考えることが重要です。 

ドライバーにとっては、歩行者が渡り終えたあとは速やかに発進することが求められているので、渡り終えたあとに振り返ってお辞儀を見届けるのを毎回毎回やられるとかなりありがた迷惑です。基本的には横断歩道が歩行者優先なのは義務なので、謝意を伝える必要もないですが、伝えるなら渡りながら軽く会釈で十分です。 

店員さんへのお礼も同様でしょう。店員さんは基本的にはどんどん列を捌きたいので、毎回ていねいにお辞儀されて、余計な時間まで取らせるのはありがた迷惑と考えるべきです。軽く、ありがとうございます、の一言でいいんじゃないでしょうか。 

ただ、どちらの場合も混んでなくて、される側に心の余裕があり、たまにであれば、特に問題とされるケースでもないと思います。無駄に美談として称賛するから話がややこしくなる、たまにこんな事があってほっこりした、くらいのエピソードだから良いんです。 

 

▲1 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

長野県は信号のない横断歩道で歩行者が横断しようとしている際の停車率は日本一で、その一因がこの小学生が止まった車にお辞儀をしたりするよう教育しているからだときいた。 

 

交通法規上は信号のない横断歩道で歩行者が待っていた場合は止まらなければいけないし、そもそも信号のない横断歩道に近づいたことを示すひし形が見えた際は、すぐに止まれるように減速することになっているから、本来なら当然のことなのでお辞儀なんてされなくてもいいはずなんだけど、やはり自分の行なった行為に感謝のリアクションがあると気持ちいいもんだと思う。 

 

大激怒されるいわれはないと思うが。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私が住んでいた地方の町では、小中学生位の子は必ずおじぎをしてくれていました。 

 

なので地元ドライバーは多くの方が、横断歩道では停止していたと思います。 

 

半面、観光客も多く通過する道路でしたが、観光のドライバーはほとんど停まらずでした。 

 

地域や通行量によっても違うと思いますが、子供達なりに「地元の人は停まってくれるから」とおじぎをしてくれていたのでしょうね 

 

▲150 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

歩行者優先で止まってくれた車に会釈や軽いお辞儀はしますが、渡り終えてからは普通はやらないと思います。 

それに車も歩行者が通り過ぎたらすぐに発進するので、渡り終えた歩行者がお辞儀をしても見えないはすです。 

止まった車の後続の車のドライバーが見ての感想なのかな? 

大人になると手を上げて横断歩道を渡らなくなるように、お辞儀をするよう学校で指導されていても、習慣や文化にはならないと思いますので、そんなに目くじら立てることはないと思います。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私は賛成です。運転手・歩行者ともに思いやりや感謝の気持ちがあるからこそ、交通安全を守ることができるのではないでしょうか。私は、運転手には歩行者最優先の義務、歩行者には横断前の安全確認の義務を課すことで、歩行者の死亡事故を減らせるのではないかと思います。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大激怒なんて書いてあるから勘違いするけど、批判的なコメントしてる人も別にそこまで怒ってないでしょ。 

書いた数秒後にはその内容なんか忘れてるくらいの興味だと思う。 

 

近年ネット民は些細なことでキレすぎ、って感じてしまうけど、多分テキストベースだからそう見えてしまうだけ。 

見えるほど怒ってない。それをこういうメディアが誇張することで亀裂を深めている。 

 

書く側ももちろんそうだけど、見る側も冷静になる必要があると思います。 

 

▲11 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

信号のない横断歩道で車が止まるのは親切でも何でもない。信号のない横断歩道は歩行者は堂々と歩けばよい。走って渡る人もいるが、「走らなくていいよ。堂々と歩きな」と思う。 

逆に横断歩道でない道路を渡ろうとして車が止まってくれたときは会釈するなど謝意を伝えるようにしている。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

運転手側は当たり前だから止まったとはいえ、お辞儀をされて気持ちは悪いものではありません。 

ただ 1年生など重いランドセルを背負い くるっと回りお辞儀をした際に バランスを崩した子を見た事があり 心配になりました。なので低学年、高学年関係なく ここまでしなくても良いのではないかと感じています。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

何でこういつも極端な議論になるのか。私は渡り終わっての会釈はやりすぎだと思う。でも自分が歩行者の時は止まってくれた時点で、軽く手を挙げて感謝を表すことはする。「止まるのが当たり前」だから何もしないというのも寂しい。運転しているときは歩行者の方が感謝を表してくれると気分がいいですし。以前にもコメントで言いましたが、自分一人で生きているわけではないので、周りへの気遣いが大切だと思う。 

 

▲3 ▼1 

 

 

 
 

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