( 262278 ) 2025/02/08 17:25:11 2 00 昔はラリーっていや日産だったのよ! 輝かしい戦績で昭和オヤジを熱狂させた日産のラリーマシンたちWEB CARTOP 2/8(土) 13:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/be297b4672fbef237e2b8f89223ca9925bd7c686 |
( 262279 ) 2025/02/08 17:25:11 1 00 日産は過去に国際的なラリー活動に積極的に参加しており、「ラリーの日産」と称された時期もあった。 | ( 262281 ) 2025/02/08 17:25:11 0 00 いまはラリーのイメージは無縁といってもいい日産だが、かつては国際的なラリーに積極的に参戦していた。
世界で活躍した日本車のラリーカーというと、三菱のランエボ、スバルのインプレッサ、トヨタのセリカあたりを思い浮かべる人が多いだろう。しかしその昔、日産は「ラリーの日産」といわれるほど、ラリーに力を入れている時代があった。
その発端は、1958年に開催されたオーストラリア一周ラリー「1958 モービルガス・トライアル」。このラリーにダットサン1000 セダン(210型)を2台出場させたのが、日産の国際競技への初挑戦。結果はAクラス優勝。ドライバーのひとりは、のちにNISMOの初代社長となる難波靖治だった。2位も210型でワンツーフィニッシュを達成している。
これを機に日産は、世界三大ラリーと呼ばれたモンテカルロラリー、シェル4000ラリー(カナダ)、そしてサファリラリーへ挑戦する方針を決め、1963年のサファリラリーに310ブルーバードと30セドリックでエントリー。
310ブルーバードは、前輪独立懸架をいち早く採用したモデルで、ボディもセミモノコック。大ヒットした初代ブルーバードだ。
この年はいずれもリタイヤで終わっているが、この後、日産は継続的に国際ラリーに参加していくこととなる。
その翌年、1964年には410ブルーバード5台と31型セドリック4台をサファリで走らせ、セドリックが総合20位で完走。初代セドリックは、日産自動車初となるモノコックボディで、そのマイナーチェンジ版の31セドリックには、国産車初の3速ATも用意されていた。
そして1966年のサファリには410ブルーバードSSで参戦。クラス優勝を達成(総合でも5位、6位の快挙)。
完走したのは88台中わずか9台の過酷なラリーで、その奮戦ぶりはのちに映画化され、石原裕次郎主演の『栄光への5000キロ』として上映された。
1967年には、「新しい時代の新しいセダン」というキャッチフレーズで、大本命510ブルーバードが誕生。
スーパーソニックライン(高速ジェット機のフォルムを受け継いだクサビ型のシャープなシルエット)が特徴で、BMWのようなストラット型前輪独立懸架、セミトレーリング型後輪独立懸架のサスペンションを備え、名車の名にふさわしい仕様で大ヒット。
サファリでも1996年にクラス優勝し、1.6リッターのL16型エンジンのツインキャブ仕様(100馬力)を積んだSSS(スリーエス=スーパースポーツセダン)は、1970年のサファリラリーでついに総合優勝! 日産はチーム優勝の栄冠も手に入れている。
510ブルーバードには、このサファリでの優勝をモチーフにした「サファリブラウン」というボディカラーも用意された。
このころから世界のラリーは、セダンではなくGTやスポーツカーでの参戦が主流になりはじめ、日産も主力モデルをフェアレディ240Zにスイッチ。
1971年のサファリラリーで、初出場ながら総合優勝し、サファリ2連勝を達成。このとき2位も240Zだったので、ワンツーフィニッシュの完全優勝だった。現在まで続くWRC初年度は1973年になるが、このWRC発足後最初のサファリラリーも240Zが制した。
しかし、1973年といえばオイルショックの年。さらに排気ガス規制にも本腰を入れて対応しなければならなくなり、日産のラリー活動は休止となる……。
日産ワークスがサファリにカムバックするのは、1979年からで、ここから1982年まで未到の4連覇を達成。マシンはPA10型バイオレット。それまで活躍していたブルーバードよりもひとまわり小さなボディだったのが大きなミソ。エンジンは直列4気筒OHC・1952cc、最高出力190馬力のLR20B型を搭載。1981年からは、4バルブ化されたLZ20Bエンジンに進化している。
PA10バイオレットは、スーパーシルエットレースにも参戦。その心臓部、LZ20Bターボエンジンは、WRC用に開発されたグループ4規定のDOHC4バルブのシリンダーヘッドに換装されたものだった。
このLZ20Bターボが、スーパーシルエットのスカイライン、シルビア、ブルーバードに搭載され、「日産ターボ軍団」として人気を博していくのは余談。
1983年からは、グループB規定がはじまり、シルビアベース(S110)の240RSを投入。エンジンも新しい2.4リッターのFJ24となって期待されたが、アウディ勢をはじめとするライバルたちは、ターボ+4WDに移行しており、FRの240RSは苦戦を強いられ、WRCでは未勝利に終わる。
グループA時代になっても、S12シルビアで参戦するも、ビハインドは埋められず、1990年、パルサーGTI-Rを発売。コンパクトなボディに4WD+ターボで、必勝を期し、1991年からWRCに参戦。
しかし、重量バランスや冷却系の問題、タイヤサイズ、etc.がミスマッチで、参戦2年、最上位3位で姿を消してしまう……。
このパルサーGTI-R以降、日産ワークスはWRCから手を引いてしまったが、「技術の日産」「ラリーの日産」としてまたラリーフィールドに戻ってきて、そこから得た知見をフィードバックし、素晴らしいスポーツカーを作ってくれることを願っている。
藤田竜太
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( 262282 ) 2025/02/08 17:25:11 0 00 =+=+=+=+=
日産のファンでした。記事という記事が昔の日産〜とか海外の日産〜とかで、国内向けに関して(もしくは世界的に)魅力が無くなってることが伝わってきます。役員は会社をどうしたいのでしょう?社員とか販売店もすごく困惑してるだろうし、客目線で言うなら見合わない役員報酬もらって不明確な経営するくらいなら、ホンダさんの傘下で再建図った方がまだ良い気がしてしまいます。放置プレイだらけのラインナップじゃ現状維持すら厳しそう。自社の商品を大切にできないメーカー、そしてその経営者…このイメージが年々強まってる。
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A12を載せたサニークーペが良かった。燃費も良いし軽快に回るしOHVとは思えなかった。510ブルーバードもトラッドで良かった。給料の少ない青年には良い車でした。トヨタと双璧の良い時代だったなぁ。
▲36 ▼2
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素晴らしい4ショット。
向こうのはスバルかな?本当は410、710も 仲間に入れてほしいですが日産ラリー車の 黄金期を彩った立役者の勢揃いは圧巻ですね。
ある意味、トヨタと互角、それ以上の会社が ホンダから子会社扱い受けるような腑抜けた 時代が来るとは想像もしませんでしたね。
▲14 ▼2
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今やスバルや三菱がWRCを席巻していた頃すら、昔話となっているような…?
ダットサン210の豪州ラリー挑戦から始まって、240Zや510ブルのサファリ制覇、そしてPA10バイオレットのサファリ4連覇なんて、半世紀前後も前の出来事ですからね。
PA10ベースの240RS以降成績は下降線を辿り、復活を賭けたSSS-RやGTI-Rも波に乗れず…今日に至っています。
日産に代わって台頭してきたトヨタは、途中何度かの活動休止を経ながらも、現在までWRCで活躍しています。
何だか会社の勢いそのままのような流れですね。
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240Zの1/12 ビッグスケールキットがタミヤから発売されたとき、お年玉叩いて買いに行きました。50年くらい前。説明書にはレースの状況が詳細に書かれていて大興奮だったよ。
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WRCでランエボやWRXっていうのも平成初期でしたが、同時代にリアルな活躍を見て熱狂したのは多くが昭和生まれでしょうね。 510ブルーバードは今でも相当数が旧車として出回っている感じがします。 その後のモデルの生存率が壊滅的ですが・・当時のラリーでの活躍が影響しているのでしょうか。
▲8 ▼3
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子供の頃、名鉄百貨店で展示されたバイオレットの実車を見に行った事があります。 生々しいダメージもそのままで、サファリの過酷さを物語っていました。 タイヤが白く変色していたのが印象に残っています。
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日産がラリー初参戦した時のテストドライバーの皆さんは大戦時に旧陸軍の迎撃パイロットだったそうです。だからまだまだ不安だらけの日本の車だったけど「一度陛下(昭和大君)に捧げた命、死んでもみんなのところに行くだけだから怖くはなかった」そうです。そんな時代だったんですね。
▲6 ▼1
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昭和の哀愁が漂う記事、懐かしさを感じます。 昔はシルビアに衝撃を受け、憧れたものです。
過去の栄光は事実でも、大切なのは現在とこれから。 現経営陣は、昔の栄光にすがって変なプライドは持たないで欲しいが、どうやらもう遅い。
応援したい気持ちはあれど、今の日産車に欲しい車は見当たらない。
今の経営陣では立ち直れるとは思えず、刷新した方がいいと思うし、台湾の鴻海に買収されても結局同じ道を辿ることになるでしょう。
日産の株価は、直近では最盛期から3分の1に低迷。一方の鴻海の株価は4倍。
円安もあって台湾ドルは対円では10年あまりで約2倍になり、相対的に円の価値は半分になりました。
つまり、鴻海から見れば日産価値は最盛期から 3分の1、さらに為替で半額の8割引に映ります。
企業価値を上げられず安売りとなれば残念ですが、これは安売りではなく現在価値。
買収後の大量解雇を憂うばかりです。
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何、この昔話。過去の栄光自慢物語? 何も無かったこの時代に日産の技術は最先端だったのだろう。 確かに昔の日産(ダッツンと呼ばれていた頃)は輝いていたよね。 40年前、小学校の時、追浜の工場見学でサファリラリーに出場した車は子供ながらにかっこいいなぁとは思いましたよ。 しかし、これから朽ち果てていく会社には、未来に向かって進化するような物語が欲しいものだが。
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マルボロカラーのS12シルビアが大好きです。確か輸出仕様の3リッターを積んでたはず。大排気量のFRで地元ドライバーを乗せたサファリではかなり活躍してました。
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ブルーバード、シルビア、スカイライン。素晴らしいネーミングでした。この名前だけでどれだけの若者が夢やドラマを描いたでしょうか。 昔は良かった、などと言う年の取り方だけはしたくなかったけれども今は言わざるを得ない。 今の経営陣も同じ事を思っているのでしょうか?車ではなくお金の事かもしれませんが。
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ラリーの日産と言われても メインはサファリその他数戦 60年代70年代のラリーは 90年代のラリーの数秒差のバトルと 違って数十分差などザラだったからな フル参戦したスバル トヨタ 三菱 年間タイトルも取ったし 偉大である!
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>「技術の日産」「ラリーの日産」としてまたラリーフィールドに戻ってきて、そこから得た知見をフィードバックし、素晴らしいスポーツカーを作ってくれることを願っている。
経営がヤバいのにワークス活動するような体力は日産にはない! 本田技研の傘下に入って経営を立て直せる最後のチャンスだと思ったんですが。
経営陣は社員の雇用を守ることより、プライドを優先しました。
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日産とポルシェと聞いてラリーを連想するのはもうオッサンじゃなくて爺さんだよ フルビアと聞いて「シルビアじゃないの?」と思わないのも爺さんだよ
グループ4以前の時代はグループB以降と比べると映像でも あまり目にする事がないから世代じゃない人達は あえて自分で探さないとなかなか見つからないから数寄者以外は知ってる人が少ない気がする
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ルマンも頑張ってたけど、優勝出来ずじまいで撤退したね 何年か前に1回だけルマンに復帰してたけど、目も当てられない酷いマシンだった
技術の日産名乗るならモータースポーツで継続的な参戦してある程度実績残さないと
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確かにラリーの日産で日本人プライベーターの海外ラリー挑戦も日産が多かった 個人的には日産240RSが印象的だね 特にプライベーターでモンテカルロラリーに上位入賞した柑本寿一やニスモから国内ラリーに挑戦しZでいきなりチャンピオンになった神岡政夫は印象的だ
▲8 ▼0
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モノづくり日本を代表する企業だけに切に立ち直ってもらいたいと思う。 否定的、攻撃的なコメントする人は多く、ニッポンそのものが病んで凋落の一途を辿っていることを危惧している。
▲5 ▼3
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スカイライン、Z、ブルを筆頭に名車がたくさんあった。個人的には510ブルとスカイラインの鉄仮面が好き。今の日産で欲しくなるクルマなんてある?ソコソコ売れてるのはセレナくらいで他はさっぱりだし。ホンダと組む事は無くなりホンダは大喜び、他に日産の介護リハビリする自動車メーカーなんて無いだろ。元日産ファンとしちゃ寂しいけど日産の復活なんて無いでしょ。
▲24 ▼4
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R32スカイラインGT-RがWRCに出たことを語るメディアは少ない(結果はアレだが) そしてパルサーGTI-Rはその後全日本ラリーで良い成績を残していることも
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最近、TOYOTAはレースでイキっていますが、昭和40年台の日産は 日本GPで20連勝以上成し遂げる無敵的存在でした。強かったなー 特に、GTRに勝てる車は有りませんでしたよ。
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ラリーどころかモータースポーツのイメージの無かったZ31が全日本ラリーでタイトル取ったの当時雑誌で見てめちゃくちゃカッコよく見えた
▲1 ▼0
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かつての栄光しかないねえニッサン。ただサファリラリーで優勝した時は、トヨタが輸出向け、だったかな?トヨタの車は、サファリラリーで優勝した、日本の車です。とか言って売ったらしいよw。この商魂の差が今出てる感じかな。
▲0 ▼0
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20世紀までは良かった・・・ 北米を意識したデザインばかりになって国内で売れなくなった感がある ブルのSSS-Rが欲しかった 日本産業なのに生き残るには外資の軍門に下るのか? 素直にホンダの子会社で良かったのに
▲12 ▼3
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新型開発をやめて、昔に売れていた名車を作って売ればホンダに買われずに生き残れるよ。もう今のやり方はやめないと、生き残れないよ。令和にハコスカとか、令和に230セドとか、他メーカーとは違いことやろうよ。
▲6 ▼4
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中学生の時メッタのサイン会に行きました。 あの頃は強かった。グループ4のバイオレットで2台でフル参戦すれば、チャンピオン取れたかも。
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ガキの頃はワークスのバイオレットが強かったが、 子供心に240Zがカッコよかった(笑)。 海外ラリーでも、Zカー(ズィーカー)と呼ばれて人気があった。
▲16 ▼1
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EV に力を注ぎだした辺りから魅力がなくなった。電気で180に勝ったようなCMもあったが、車は化石燃料の方が魅力があった。時代だからしょうがないのかもしれないけど。
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栄光のラリー5000キロかな、小学校の図書館にあって読んだなぁ。街で見かけるブルーバードが一際カッコよく見えた。
▲7 ▼0
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ラリーのニッサンでニッサン車を購入した人たちの現在の所有車は何処のメーカーだろう? 何処かでニッサンに失望し他メーカーの車を替えた人たちが多いので現在のニッサンに至ったのことは確かです。
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以前、座間にある日産の記念車庫に行ったことがあって、錚々たる名車の数々に感動したものだった。今の凋落は寂しい限り。
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過去があって現在に繋がらないのが日産であり、なにかしら繋がってるのがホンダだ。 今の自分の為に頑張るのか、未来の社員の為に頑張るのかの違いだろう。
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ラリーの日産だなんて、昭和、国内だけの話。世界の頂点になった事なんてほぼ無いし。メイクスタイトル取ったトヨタ、スバル、三菱より格下。気位だけは高い組織。
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CMでトヨタと張り合ってた昭和が懐かしい ターボやらツインカムやら お互い競い合ってたよな~ それでも私は日産を応援しますよ
▲1 ▼0
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全て中古お下りだけど Zは30 32 スカは32 シル 180 ブル 乗った! 日産は楽しい車が有った 有った…過去の話に成ってしまうのかな? 寂しい…
▲3 ▼0
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今の日産にレースをする余裕は皆無だろう ラリーどころかスーパーGTのワークスも撤退を余儀なくされると思う Zが最後になるかも
▲7 ▼4
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ラリーの240Zというとフェンダーがえぐられて、ヘッドライトをくくりつけた姿を思い出す。
▲2 ▼0
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石原裕次郎の映画で活躍したブルーバード510に夢中になっていた世代は、「昭和オヤジ」ですらなく、すでにお爺さんかお空の星なのでは?
▲6 ▼0
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サファリラリーは1969年です。 誤記訂正希望。 1996年はラリーどころではなく、パルサーNR175馬力発売しても誰も喜ばず。。。
▲2 ▼0
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石原裕次郎氏の「栄光への5000㌔」はブルーバードだったプラモデルを購入して作ったっけ。
▲12 ▼0
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男と女とバラと、のスタンザ マキシマGT-E や A10バイオレットが 地味だけど懐かしい(Z18だったかな)240RS(FJ24)は当然として
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誉れ高き名声と栄光と時間。
その値打ちを深く理解し伝える人材。
骨太な幹部の育成。
尽く失敗する企業の成れの果て。
斯様な認識に至り候。
▲0 ▼0
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昔の栄光とプライドを忘れてはいけない。ホンダの子会社に成り下がらなくて良かった。頑張れ日産。
▲7 ▼3
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そんな日産も… 最後の蜘蛛の糸も自ら切っちゃいましたね これからは中国メーカーになるだろうし もう日産(日本産業)の名前は騙らないで欲しいですね
▲24 ▼5
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昔、710バイオレットSSSで草ラリー(グループN)に参加していました。 今、日産がこんなことになって残念でなりません。
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マーチRを乗ってた友人がいました。 ロールバーにエアコン無しで普段使いしてた兵でした。
▲8 ▼0
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今は昔「江戸日産は王道」「尾張トヨタは挑戦」 現在「尾張トヨタが王道」「江戸日産の凋落」 変なプライドが日産をダメにした
▲1 ▼0
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懐かしいね…昔はトヨタよりレースに力を入れてて好きだったけど もう日産は終わりそうだね
▲0 ▼0
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今のニスモみたいに NRS(日産ラリーサービス)で 準純正部品が売ってたらしいですね。
▲0 ▼0
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サファリラリーでフェアレディZと聞くとラリー仕様のポルシェと傭兵マップ氏とウニモグを思い出すヤツはアラフィフ~アラ還w
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日産って技術よりプライドと役員報酬が高かったんやなと思う次第
▲8 ▼2
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元々は日本の自動車メーカーだったんだよ。という日が来るのかな。
▲0 ▼0
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過去の栄光にすがる 合併は破談になったけど、日産とホンダは似た者同士かも
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=+=+=+=+=
このタイミングでこのトピックス。
「まだだ、まだ終わらんよ!」
という声が聞こえてきそう...。
「やっちゃえ!NISSAN」ちばりぃよぅ!
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
>昔はラリーっていや日産だったのよ! 見出し理解するのに時間かかった 普通に"ラリーといえば"と書いてくれよ…
▲0 ▼0
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昔も今も業界のトップを走ってるのは残念ながらトヨタです。
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なんか過去の栄光って感じより過去への執着って今は感じる…
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そうそう だから免許取って510SSS 4drに乗りました。
▲2 ▼0
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頑張れ! ニッサン!
▲16 ▼2
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日産って世界のメジャーレースのチャンピオンってとったことないんじゃない?
▲1 ▼7
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日産 よかった って 全部むかし話ばっか。
▲25 ▼2
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カッコいいね。
▲0 ▼0
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日産は過去しかない 現在、もちろん未来も無い
▲1 ▼0
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昔は… 私等年寄りが口にしたら見苦しいだけの言葉だ。
▲1 ▼2
=+=+=+=+=
三菱だと思ってました。
▲1 ▼0
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過去の栄光ね、。。。 Zは肥大化、他は消滅。 流石、N社。
▲0 ▼0
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鴻海がやってくれるよ!
▲0 ▼1
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「そう~かな~?」、ラリーと言えば三菱のイメージしかないけど。
▲1 ▼14
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ラリーといえばランチャーだよ。
▲0 ▼13
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日産を買う人の気が知れない
▲2 ▼10
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ラリーは三菱ランサーでしたよ
▲11 ▼14
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異議あり!ラリーと言えば三菱自動車である!この知ったかぶりなさんョ(笑) 篠塚健二郎さんは何処の社員ですかな?勉強しいや(笑)恥かきまっせな。コタツライターさんと言われまっせ。
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