( 262533 ) 2025/02/09 05:27:14 2 00 ゴキにハチハチ、ナナハンキラー! あだ名もユニークだった80年代の伝説的バイク5選Webikeプラス 2/8(土) 18:40 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/97caa7c04b72e31d92e7398985929601c4188c32 |
( 262534 ) 2025/02/09 05:27:14 1 00 1980年代に登場したいくつかのバイクには、ユニークなあだ名が付けられていました。 | ( 262536 ) 2025/02/09 05:27:14 0 00 ユニークなあだ名で呼ばれた1980年代のバイクを紹介
バイクの一大ブームが巻き起こった1980年代は、数々の名車が生まれましたが、その人気を裏付けるように、さまざまな愛称で呼ばれたモデルも数多く存在しました。ここでは、そんな1980年代のバイクのなかでも、特に「ゴキ」「ハチハチ」「サンマ」など、かなりユニークなあだ名で呼ばれたモデルたちをピックアップして紹介します。
文/Webikeプラス 平塚直樹
ヤマハ・RZ350(1981年)
ヤマハ「RZ350」は、兄弟車の「RZ250」と共に、後の「レーサーレプリカ」ブームの先駆けとなったモデルです。当時は、そのクラスを超えた圧倒的な動力性能などにより、「ナナハンキラー」のあだ名で呼ばれました。
1980年に発売された「RZ250」の爆発的ヒットに続き、1981年に登場したのがこのモデル。車体などの基本コンポーネントはRZ250と共通ながら、水冷2ストローク2気筒エンジンの排気量を、247ccから347ccへ拡大。最高出力も、RZ250の35PS/8000rpmから45PS/8500rpmにアップし、当時の350ccモデルとしては、かなり優れた動力性能を発揮しました。
特に、ほかのモデルを圧倒したのが、乾燥重量143kgという軽量な車体と相まって発揮した鋭い加速性能。当時、高性能バイクの代名詞だったナナハン、750ccの大排気量車を、峠のワインディングなどで追い回すほどのシャープな走りを味わえることから、ナナハンキラーの愛称で呼ばれたのです。
ちなみに、RZ350には、「サンパン」というあだ名もありますが、これは兄弟車のRZ250と区別するため。当時、RZ250などの排気量250ccバイクを「ニイハン」と呼んでおり、RZ350は排気量350ccなのでサンパンと呼んでいたんですね。
ともあれ、RZ250やZR350の大ヒットにより、ヤマハは1981年に50cc版の「RZ50」、1882年には125cc版の「RZ125」も発売し、シリーズ化。当時は、2ストローク車よりも4ストローク車の方にトレンドが移ろうとしていた時代でしたが、RZシリーズは、その時代の流れに待ったをかけて、再び2ストローク車への人気を呼び戻したといえます。
そして、RZのセールス的な成功は、当時のWGP(ロードレース世界選手権)人気とも相まって、後のフルカウルモデル「TZR250」をはじめ、ホンダ「NSR250」やスズキ「RG250ガンマ」、カワサキ「KR250」といった2スト・レーサーレプリカのブームへと繋がります。
残念ながら、排気ガス規制のために消滅してしまった2スト・レーサーレプリカですが、今でも多くのファンを持つことは確か。そして、そうしたモデルが生まれるキッカケとなったのが、RZ350やRZ250だったのです。
ヤマハ・TZR250(1989年)
レーサーレプリカ全盛期に登場したのがTZR250シリーズです。初代モデルは1985年に発売。その後継として、1989年に登場した2代目モデルは、「サンマ」という愛称で親しまれました。
当時の最高峰2輪レースWGP・500ccクラスを闘うワークスマシン「YZR500」の技術などを投入したのがTZR250。1995年まで販売されたロングセラーモデルだったのですが、特に、2代目モデルは、水冷・2ストローク・並列2気筒エンジンに、独特な前方吸気・後方排気のレイアウトを採用。エンジンに取り入れる走行風の流れをストレートにすることで、燃料効率のアップなどを図った機構を採用します。
ちなみに、この後方排気型レイアウトは、レース専用車で採用されることが多く、当時の市販車には珍しかったといえます。しかも、2代目TZR250は、2本のサイレンサーがシートカウル後方から伸びるスタイルも採用。当時のレーシングマシンを彷彿とさせるシャープなスタイルなどにより、今でも多くのファンを持つモデルだといえます。
そんな2代目TZR250が、なぜ「サンマ」という愛称で呼ばれたかというと、型式が「3MA」だったから。つまり、「3=サン」+「MA=マ」ということですね。おそらく、約10年間に及ぶ歴史を持つTZR250は、多様なバリエーションがあったため、ほかのモデルと区別するために、ファンなどが型式をもじったのでしょうね。それだけ、多くのファンを持っている名車のひとつである証だといえます。
ホンダ・NSR250R(1988年)
ヤマハのTZR250と共に、2スト・レーサーレプリカ人気をけん引したのがホンダ「NSR250R」。初代モデル(MC16型)は1896年に登場しましたが、その2代目となるMC18型のうちでも、マイナーチェンジ版の1988年型は「ハチハチ」のあだ名で呼ばれていました。
世界最高峰レースWGPの250ccクラスで数々の栄冠に輝くなど、国内外のレースで大活躍したワークスマシンが「NSR250」。その市販バージョンといえるのが、NSR250Rです。
1988年に登場した2代目モデルのマイナーチェンジ版では、まず、エンジンに249cc・水冷2ストロークV型2気筒を採用。きめ細かな空燃比制御をする「PGMキャブレターII」を装備し、45PS/9500rpmもの最高出力を発揮します。また、車体には、異形5角断面材を用いたアルミ製ツインチューブ・フレームを採用。後輪に150/60R18のワイドなタイヤを採用したほか、低く長いスラントノーズ型フルフェアリングなども装備。まさに、レーシングマシンさながらのスタイルも魅力でした。
そんな2代目NSR250Rですが、一部のファンなどの間では、「1988年式が最強」といった都市伝説もあります。実際、NSR250Rの最高出力は、1990年に出た3代目(MC21型)までが45PS。その後、1993年登場の4代目MC28型では40PSに自主規制されましたが、初代から3代目までは最高出力は同じです。
ただし、筆者が覚えている限りですが、NSR250Rに限らず、例えば、CBR400RRなど、当時のホンダ・レーサーレプリカは、1998年型が他メーカーのモデルも含め、最も速かったといった噂がありました。その理由は定かではありませんが、「実際にマシンをベンチテストに掛けると、1988年型がカタログ馬力に一番近かった」など、さまざまな憶測が飛び交っていたようです。
ともあれ、ことの真相は定かではありませんが、そんな1988年型NSR250Rを、ほかの年式などと区別するために「88=ハチハチ」と呼んでいたのは確かです。「高性能バイク=正義」だった時代を象徴する愛称だといえますね。
スズキ・GSX400E(1981年)
スズキ製スポーツやツーリング向けバイクのシリーズが、ご存じ「GSX(ジーエスエックス)」。その400cc版であるGSX400シリーズの初代、1980年に登場した「GSX400E」は「ゴキ」のあだ名で呼ばれていたことで知られています。
従来、1気筒あたり2バルブの4ストロークエンジンを採用していたGSシリーズに変わり、1気筒あたり4バルブの高性能な4ストロークエンジンを搭載したのがGSXシリーズです。なかでも、GSX400Eでは、DOHC4バルブを採用する399cc・空冷4サイクル並列2気筒を搭載。シリンダーヘッドに2つのドームを設け、それぞれに吸気・排気バルブを配置することで、燃焼効率を高めた「TSCC」の採用などで、最高出力44PS/9500rpm、最大トルク3.7kgf-m/8000rpmを発揮しました。
また、フロントフォークには、当時のWGPマシン「RGB500」のノウハウを活かした「ANDF(Anti Nose Dive Fork)」も採用。制動時の前沈み現象を防止することで、車体姿勢や操縦安定性を向上するアンチ・ノーズ・ダイブ機構付きフォークを、750cc版「GSX750E」と共に世界で初採用するなどで、当時としてはかなり革新のメカニズムを搭載していたことも特徴でした。
そんな名車の呼び声も高いGSX400Eですが、発売当初はこのあだ名はついていなかったようで、ゴキのあだ名は、マイナーチェンジで初期よりも丸みを帯びたフォルムになってからです。車体色にブラック&ゴールドを追加したのですが、マシンにまたがり真上から燃料タンクを見下ろすと、黒光りする「ゴキブリ」を連想させたことから、この愛称が付けられたようです。
スズキ・GSX250E(1981年)
一方、GSX400Eと同じく1980年に発売された250cc版の「GSX250E」は、「ザリ」のニックネームで親しまれたバイクです。
DOHC4バルブ化した高性能な249cc・空冷4サイクル並列2気筒を搭載したのがGSX250Eです。GSX400Eと同じく、燃焼効率を高めるTSCCを採用するなどで、最高出力29PS/10000rpm、最大トルク2.2kgf-m/8000rpmを発揮。操縦安定性を追求した新設計のセミダブルクレードルフレームや、WGPマシンRGB500の技術を活かした穴あき型のフロント・ディスクブレーキなども採用することで、軽快な走行性能などに定評があったモデルです。
そんなGSX250Eは、真っ赤なカラーリングと角ばったデザインなどが、ザリガニを連想させることから、「ザリ」のあだ名が付けられたようです。GSX250Eには、赤だけでなくホワイトのボディ色もあったのですが、よほど赤のイメージが強かったのでしょう。どのカラーの車体も、おしなべてザリという愛称で呼ばれたようです。
このように、モデル名からは連想できないような、ユニークな愛称を持つバイクは意外にたくさんあります。特に、バイク全盛期だった1980年代は、いわゆる名車と呼ばれる人気モデルも多かっただけに、ほかにも面白いニックネームを持つバイクがありそうです。機会があれば、また調べてみて、ほかの年代のモデルなども含めて紹介しますね。
平塚直樹
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( 262537 ) 2025/02/09 05:27:14 0 00 =+=+=+=+=
RZは衝撃的でした。 RZ350は車検やら燃費やら振動で手が痛くなるで長く乗る人は少なかった。 漫画で青い流れ星だかいうのがあった気がする、CB750だとチャンピオンのナナハンライダー、Z2はあいつとララバイ。 RZ250の方が台数は出ていたと記憶している、免許取って欲しくて仕方なかったが、選択していくと400cc4気筒になってしまった。 この後、レーサーレプリカブームがやってきて、ガンマ、NSR、TZR等々 素晴らしい時代でしたね。
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ワインディングの程度にもよりますが、当時はかなりの腕を持っていないと大排気量の重いバイクでは250-400のうまい乗り手に敵わなかったのではないでしょうか。私は並レベルと自負していますので(?)、限定解除してVT250FからCB750Fに乗り換えてつくづくそう思いました。バックミラーにバイクが映るとドキッとしたものです。 今の750-900は本当にコンパクトで、パッと見たら400かと思うくらいです。きっと思い通りに走らせやすいのだろうなぁ、と思いながら250でビュンビュン走りを楽しんでいます。
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88ロスマンズ乗ってました 青春時代の最高の相棒だったと思います スロットル少し開けつつクラッチ繋ぐとフロント上がって そんなバイクは今は… あるな 今乗ってるのはスロットルだけで上がるわ でもあの頃の88と過ごしたトキメキはもう戻って来ません 相性が良く転倒も事故もしませんでした 氷河ですが唯一コレだけは時代とマッチした良い思い出
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GSX250E('83)に乗っていましたがゴキというのは当時は言われた記憶はありません。 ローカルで言われていたあだ名が後で広まったんじゃないですかね。 記事はGSX400E('80)をゴキと書いていますが、400と250は同デザインで'80の初期型がザリガニデザイン、 その後にカタナデザインに代わってゴキと呼ばれたようです。
この当時だとホンダのボルドールカラーが寿、ヤマハのミッドナイトSPLが霊柩車と呼ばれていた記憶があります。
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RZ350乗ってました。何年か落ちの中古で、好きで乗ってた訳じゃなくこれしか買えなかったんですよね。 当時は次から次へとニューモデルが出るので中古の値崩れが酷くて。確か走行数千キロの車両で15万位だったと思う。 今じゃ高嶺の花ですよね。
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確かにRZデビュー時の衝撃は凄かった。 RZ250借りてビックリの速さ、RZ350は更に別物な位に凄かったね。 YPVSが付いたRZ250Rは低速が効く分ちょっとマイルドな感じになったけど、それでも鈍足400は軽く煙に巻く速さで、当時CBX400乗りだった自分も峠でRZ250の後塵を何度も浴びました。
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中学生のときRZでバイクに興味を持って、高校卒業して免許取って買ったのが後方排気TZRだった。スピード慣れしてなかったので、パワーバンドに入ると心臓がキュンってなった。懐かしい。 88が最速だったのは公称出力の45PSが有名無実となっていて、各社好き放題やっていたのがお上に目を付けられて、89年から厳格になったから。写真のNSRは89だけど、まだまだ伸びるパワーを無理やり抑えて「台形パワー」などと格好良く呼んでいた。
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RZ250の車体に350のエンジン ホンダのホーク250に400のエンジンを搭載しているライダー、いましたね 捕まったりしない? と聞いても 大丈夫エンジン番号まで見ないから、と言っていました
RZ350=ナナハンキラーの名称は当時のバイク雑誌で見たことがありますが、ゴキやザリなどという名称は平成入って少ししてからだと思います
記事の80年代バイクブームの頃はいろいろとすごかったですね レーサーレプリカは2スト250クラスが45馬力、4スト400クラスが58馬力で各メーカーで数値を揃えていましたが、実際は2ストで50馬力オーバー、4ストで70馬力出ていた車種もあったそうです なので88NSRとかは55馬力を超えていたのかもしれませんね
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1980年に登場したスズキ・GSX750Eについては、角型ヘッドライトを装備した牛のような重厚感の有る存在的なデザインや車体からベコの愛称で親しまれたのは忘れてはならないものです。特に赤のカラーは『赤ベコ』、青のカラーは『青ベコ』と其々呼ばれていました。
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RZの場合はまず最初に350ありきで、そのボアダウンモデルが250だったのだけどね。
記事では250が好評だったから350が開発されたみたいな書き方だけど、『RZ』は350こそが本道って事。
もっとも、RZ350の動力性能数値はのちに250の排気量で達成されてしまうのだけどね。(^_^;)
▲20 ▼4
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今でこそ全国的にゼッツーって呼んでるけど、当時は関東圏のみで、他では普通にRSって呼んでたと聞きました ヨンフォアも関西圏ではフォーワンだったとか? 時代や土地によってそれぞれ呼び方は違ってたんですね、 私の勝手な感想ですが、個人的に車名の後に「ちゃん」を付けて呼ぶのはどうも苦手ですね、CBちゃんだのGSちゃんだのと呼んでいる烈風隊諸君を見てると何故か虚しい気持ちになります…
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皆さん書いておられますが、 当時は誰も言ってなくても、 後から誰かが「昔は××って言っててよお」みたいなことを言うと、 それが一気に広まるんでしょうね。 それがすごくローカルな、それこそ誰かの友達数名だけの呼び方だったとしても、 日本全国でそう言われてたみたいに雑誌や漫画に書かれたら、 純真な連中は信じちゃうんでしょう。
「ゴキ」「ザリ」だけじゃなく、「パブ」とか「ヨンメリ」とかも、 少なくとも僕は当時は聞いたことがないです。 逆に、50ガンマを「モノサシガンマ」と言ってたのは、 多分うちの町内だけだったでしょうね。
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懐かしいですね 当時はゴキとかザリとか言ってなかったかな 、サンマ?聞いた事ないです(誰が言ってるのか?) RZR→GSX-R→オフロード→VFR-750F〜その他色々 まだ乗ってます BuellS1が今の愛車です オフ車が一番好きです 外車しか選択枠が無いのが難点ですけどね(セロー225は手放さずまだ乗ってます)
▲9 ▼2
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80年代バイク真っ盛りでしたが、RZの速さの例えとしてはあっても、あだ名で「ナナハンキラー」と呼んだことも聞いたこともありませんし、GSXを「ゴキ」とか「ザリ」なんて言い出したのは、平成時代の話じゃないですか? 何だか、ムリしてこじつけてるような気がする記事ですね。 あ、NSRだけは確かに年式で呼んでましたね。
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いまだにほぼノーマルでNSR250RMC18(88)持ってるけどいい時代だった各社自術を惜しげもなくつぎ込んでキリが無いんじゃないかと思うくらいだった、一言で「楽しい時代」だった、今は今でそれなりにね。
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ちなみに、ゴキやザリとは当時は言わなかった 当時はジスペケやガスペケと呼んだ、もっともGSX系はみんなそう呼んだが ゴキ、ザリは珍走団が古く安いバイクで珍走に使うようになって呼ばれだした
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自分が覚えているのは、HONDAのHAWK -IIがヤカンタンクと呼ばれてた事 少し後の後輩達はXJをペケジェー、GSX-R をジスペケアールとか あと友人が、HONDAの最高傑作機スーパーカブを「とつバイ」と呼んでた とっつあんバイク、略して「とつバイ」
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ゴキもザリも初めて聞いた。 RZの項で、NSR250Rでなくて、NSR250が発売される事になっているし、3MAの項ではレプリカされたTZ250に一切触れず、YZR500のネタばかり。 極め付けは88NSR250Rと紹介されている写真が89NSR250R。 本当に校正しないよな。
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NSR250の初代が1896年に発売とは大変驚きました。本田技研工業設立の1948年より前にこのようなバイクを発売とは謎が多いですね(笑) 1896年(明治29年)にこんなバイクが発売されていたとはどんなバイクマニアも知らない事実ですね(笑)
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2ストのレーサーレプリカを「乗りこなす」 には相当なウデと度胸が無いと無理。 体重移動とか車体の倒し込み以外に路面を 見る余裕が無いとすぐに仏さんになる。 箱根で「朝練」のしてる方々は、もはや 普通ではなかった。異常な部類の方々。
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ゴキ・ハチハチ・ザリガニ、なんて各車の現役時代にはまったく聞いたことはないね。当時のバイク雑誌もおおかた目を通していたが見たこともない。 後からそれらしく盛ってアクセス稼ぎの駄記事だな。
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ハチハチはベンチテストするとカタログ馬力に一番近い数値が出た、ではなくて、カタログ馬力を超える数値が出てたのです。
▲32 ▼0
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ゴキの写真がザリになっている。ゴキは82年式の刀とも呼ばれているバイクで、また別の種類の刀もあり言葉にするとややこしい。
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当時大切な自分のバイクに「ゴキ」だの 「ザリ」だのあだ名がある訳無いでしょう 俺は還暦過ぎのオッサンだけども スズキGSXシリーズをそんなあだ名で 呼んだ事無いよ! そんな通称が一般的になったのは漫画の影響と旧車ブームのせいだわな 不快な呼び方だよ!
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RZは350は「サンゴー」250は「ニーゴー」と普通に呼んでたし、当時のバイク雑誌含めて周囲もそう呼んでるのしか聞いたことないな。 「サンパン」なんて誰が呼んでたの?
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NSRの写真は89モデルだしGSXはザリだし、正しい写真を載せて欲しいけどね…
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ナナハンキラーは聞いたな。他のニックネーム聞いたことないぞ。GT380は「サンパチ」と呼んでいたな。
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後方排気はヤマハの失敗作。設備投資したから仕方なく2年間作り続けた。
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サンマはなかった後方排気だった。ぱぃぃーんって走るのが好きでしたが背中がオイル汚れて
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87、88、当時の緑山を思い出す。散ってしまった仲間もいるから、懐かしいばかりじゃないけど。
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家の地元だけかもしれないけど、3型GSX-R400はウーパールーパーと言っていた。
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アラ還の俺の高校時代は三無い運動真っ盛り。通学のチャリンコで「ハングオン!」とか言って曲がり角を曲がっていたなあ。えぇ、馬鹿でしたよ。
▲8 ▼0
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あだ名と言うか殆ど悪口なのが、 やかんタンクに座布団シートのポークⅡ。 ヨンフォア後継モデルの衝撃w
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87・88のNSRに乗ってました 良いバイクでした
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NSR250の写真は89モデルです。
▲34 ▼0
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車でもニックネームのあるものが多かったですね。 今はせいぜい形式で呼ばれる程度。
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ZX-9Rが少し崩した表記になってるのでカタカナでユメタマって見えるとか
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RZ350R早かったなぁ 鍵回すとYPVSの音がなんとも
▲2 ▼0
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もう少し知識を持って写真アップしてください
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RZは確かに早かったがまともに乗れる人はほとんどいなかった
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ゴキとかザリとか聞いたことがない。 ましてや、さんまなんて。 後で聞いた話をらしく作ってる話じゃないの?
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GPZ250Rは鳩サブレ
▲22 ▼0
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ゴキもザリも、珍走族が勝手に呼んでいただけで定着していませんが・・・。
▲7 ▼1
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RZ125は明治15年に登場したのか。知らなかった(すっとぼけ)。
▲3 ▼1
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NSRの写真が88じゃなくて89です。
▲7 ▼0
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写真のNSRは89だぞ
▲13 ▼0
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FZ250フェザーは??
あれもガンガンにカモれるんだが、、
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写真のNSRは88じゃなくて89だぞ。
▲1 ▼0
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何処までいっても、350cc。 所詮は中免バイク。 大排取れない奴の負け惜しみ。
▲4 ▼21
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ワタシのバイクは よんがんだぶだぶつー
▲1 ▼4
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