( 264216 ) 2025/02/12 16:00:20 0 00 1月28日午前2時過ぎ、10時間超におよぶ"やり直し"会見を終えて会場を出るフジテレビの港浩一社長(当時)ら経営陣
元SMAP・中居正広氏の女性トラブルをめぐり、激しい批判にさらされているフジテレビ。騒動のさなか「週刊文春」が出した「訂正」が波紋を呼んでいる。報道とはどうあるべきか。AERA 2025年2月17日号より。
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そのときは「また文春砲だ」「やはり文春か」と誰もが思っただろう。しかし今、「ファクト(事実)はどこにあるのか?」と構え直している。昨年末に報じられた元SMAPの中居正広氏の女性トラブルについてだ。
発端は12月19日発売の「女性セブン」によるスクープだったが、その翌週に「週刊文春」(12月26日発売号)が「スキャンダルの全貌」と題し、トラブルの内容が女性に対する性加害だとする記事を掲載した。そこではフジテレビ社員の関与も報じられており、中居氏のみならずフジテレビへも強烈な批判が押し寄せた。
文春が報じたから事実なのだろう──。そう思わせるほどに「週刊文春」は絶対的な影響力を持っている。これまで政治家や俳優、スポーツ選手など幾度となくスキャンダルを暴き、いつしかそのスクープは“文春砲”と呼ばれるようになった。多くの読者をつかみ、SNS上のトレンドを独り占めした。ひとたび「週刊文春」が不祥事やスキャンダルを報じれば、大げさに言えばそれが正義となり世論となった。
フジテレビは「週刊文春」の当該号発売の翌日にホームページ上で「当該社員は会の設定を含め一切関与しておりません」と否定。年が明けた1月17日の会見、“やり直し”となった27日の会見でも一貫して社員の関与を否定した。それでも「週刊文春」の“パワー”は凄まじく、フジテレビ社員がトラブル当日に女性を呼び出したのだと思った人も多いだろう。
■会見の翌日に「訂正」
その間に中居氏が出演する民放各社のテレビ番組が放送休止になり、フジテレビのスポンサー企業は次々と撤退。減収は数百億円とも言われる。23日には中居氏が芸能界からの引退を表明した。
27日のフジテレビの会見には400人超の報道陣が詰めかけ、社員の関与について、中居氏と女性の間での「認識の違い」についてなど10時間以上にわたって追及が続いた。
しかし、だ。
「週刊文春」は会見の翌日に訂正を出す。当初の記事では、トラブルがあった当日の会食について、「女性はフジテレビ幹部に誘われた」「大人数での食事のはずが、直前になって女性と中居氏を除く全員がキャンセルし、二人にさせられた」としていたが、その後の取材で「女性は中居氏に誘われた」「幹部がセッティングしている会の“延長”と認識していたことが分かった」として訂正したのだ。「週刊文春」は女性の証言をもとに「幹部が件のトラブルに関与していた事実は変わらないと考えています」と主張している。
■人生を変える“文春砲”
フジテレビのずさんな管理体制や人権意識の低さに問題があることに変わりはないが、トラブルの肝でもある部分の訂正について思うのは雑誌報道のあり方についてだ。中居氏による性加害が事実だとすれば芸能界引退はやむなしだが、文春による報道がその結末まで加速させたのは間違いないところだろう。
ペン一本で人の人生を大きく変えることができてしまう。同志社女子大学学芸学部メディア創造学科教授の影山貴彦さんは、中居氏をめぐる報道を念頭に「文春をかばうつもりは少しもない」と前置きして言う。
「ネット文化隆盛の時代にあってニュースは一刻を争い、ネットニュースのページビュー、またそのリンクで雑誌部数を稼がないといけません。紙媒体が斜陽な中で、取材に時間をかけるよりも早く出すことが優先される、目先の効果を上げるということに焦点が行ってしまうという側面はあるかもしれません」
読者のメディアへの触れ方もこうした傾向に拍車をかける。
「これもネットの影響でしょうが、今の読者たちは最初の数行を読んで、全部読んだ気になる。最後まで読まずに見出しだけというケースすらあって、だから大げさにセンセーショナルな見出しをつけて読者の耳目を大々的に集める。それでいて、お詫びや訂正はひっそりと誌面の隅っこに載せる。これはメディアのあり方として十分ではないと思います。人の名誉を左右する訂正であればなおさら、特集記事と同じくらいのボリュームでお詫びを載せるべきでしょう」
文春砲と世間からもてはやされ、他メディアは文春の報道を追って取材を重ねる。これまで文春砲によって引退や謹慎を余儀なくされた芸能人は数多い。犯罪行為であれば報じるのも罰せられるのも当然だが、今や不倫や密会などいわゆる芸能人のスキャンダルも大ニュースとして扱われ、読者もそれを楽しんでいる。
■良くも悪くも文春中心
「清濁いろんな感情を併せ持つのが人間ですから、誰かの隠された生活を覗き見たいという読者のニーズはあるわけです。ただ、ニーズを盾にプライバシーを侵害して人生をぶち壊してしまうとなれば、それは傲慢なのです。社会的使命がゼロとは言わないですが、こうしたやり方は今後の時代、社会を考えても得策ではないはずです」
テレビも雑誌も文春砲をありがたがり、「おんぶに抱っこ」状態にある。ただ乗りするのではなく、記事を冷静に検証する姿勢が求められていると影山さんは説く。
「活字媒体、電波媒体ともに、良くも悪くも『週刊文春』を中心に回っていますし、私は『週刊文春』という週刊誌に存在意義があると思っています。これだけ社会に対して強烈な発信力があるわけですから」
今回の「週刊文春」の訂正を受けて、世間の風当たりは強まり、社会学者の古市憲寿氏は出演したテレビ番組や自身のSNSで「『週刊文春』、廃刊にした方がいい」と批判、幻冬舎の編集者で実業家の箕輪厚介氏は自身のYouTubeチャンネルで「『週刊文春』が、一人の人間(注:フジテレビ幹部)を社会的に抹殺した」「法的機関じゃないのに人を裁く力を持ってしまっている」と訴えた。落語家の立川志らく氏は中居氏の引退やフジテレビの社長の辞任について「憶測による悲劇」とし、「現代の日本はゴシップ誌を信用しすぎている」「これまでゴシップ誌の正義によりどれだけの人間が不幸になったのか」などとSNSに投稿した。
■一辺倒でなく喧嘩を
ともすればペンによる“私刑”とも捉えられかねない。「週刊文春」に対し、これまでの芸能人スキャンダル報道に対する世間の批判、今回の訂正をめぐる批判に対してのコメントを求めたところ、書面でこう回答した。
「これまでと変わることなく、公正な取材に基づく調査報道を続けて参ります」(「週刊文春」編集部)
ジャーナリストの田原総一朗さんは「週刊文春」についてこう話す。
「僕は、デマを理由に言論、表現の自由を規制してはいけないと思っている。でも、やはりメディアとしては間違っちゃいけない。読み手が記事を見極める力を持つことも必要。週刊誌は見出しを強烈にしないと売れないから、論調含め刺激的なものになるのは当たり前だけど、今回の文春報道は見出しと中身に乖離があった。そこは一致させなければ一介のゴシップ雑誌になってしまう。スキャンダルこそ一番のエンターテインメントだから、報じること自体はアリだと思っているけどね」
そして、田原さんは「週刊文春」を囲むマスメディアのふがいなさにも苦言を呈した。
「文春が何か大きく記事を出すと他も一緒になってそれ一辺倒になってしまうのは面白くない。媒体同士での逆張りも喧嘩もない。文春に間違いがあれば取材して糾弾して書けばいい。ジャーナリズムというのは喧嘩するから面白いんだよ」
冷静な取材と検証。ジャーナリズムとは何か。今一度立ち返って考えてみたい。(編集部・秦正理)
※AERA 2025年2月17日号
秦正理
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