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篠原ともえはデザイナー、アーティストであり、過去には松任谷由実や嵐のコンサートで衣装デザインを手がけてきた。

2020年には夫と共にクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立。

篠原は歌手として活動を始め、その後俳優としても活躍し、40歳を機にキャリアを変え、服飾デザイナーとして高い評価を得ている。

彼女は自らの表現を社会に届け、伝統工芸や新しいデザインを通じて幸せを感じている。

最近は余暇の時間を大切にし、アイデアの源泉となる海外旅行も取り入れている。

(要約)

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しのはら・ともえ/デザイナー、アーティスト。デザイナーとしては過去、松任谷由実や嵐のコンサートで衣装デザインを担当。2020年、夫と共にクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立(写真:本人提供) 

 

 かつて「シノラーファッション」ブームを巻き起こした篠原ともえさん。現在は服飾デザイナーとして活躍している。キャリアチェンジの決断の背景に何があったのか。昔といまの仕事の違い、共通点は何か。篠原さんに聞いた。AERA 2025年2月17日号より。 

 

*  *  * 

 

 1995年に歌手デビュー。自身がデザインしたカラフルで個性的な衣装やパフォーマンスが、90年代後半のポップカルチャーシーンを席巻した。その後、ドラマや映画、舞台で俳優としても活躍する一方、2019年、40歳を機に大きなキャリアチェンジをしている。芸能界の仕事を休養、服作りを学び直すため母校へ再び通い、20年には夫であるアートディレクターの池澤樹さんとクリエイティブスタジオを創業した。今は服飾デザイナーとして高い評価を得ている。 

 

「自分のなかではつながっているんです。私が喜びを感じるのは、自分の思いやアイデアを形にすること。歌手も女優もデザイナーもその表現の手段で、自分の成長とともに自然と導かれたものなんです」 

 

 歌手デビューしたころは、自分らしいファッションで表現活動をしたいと夢中だった。歌のパフォーマンスをきっかけにミュージカル出演の声がかかり、そこから俳優としての活躍につながっていく。ミュージカルの現場でファッションのアイデアを提案するとそれが採用され、今度は衣装デザインの依頼が舞い込む。こうして、自然とキャリアが広がっていったという。 

 

 ひとつひとつの仕事に丁寧に向き合い、学び、アウトプットしてきた。かつては若いファンたちがこぞって彼女のファッションをまね、「シノラーファッション」ブームという社会現象を巻き起こした。今はデザイナーとして、自身の表現を社会に届けている。篠原さんがデザインし、エゾシカの皮革を水墨の一枚絵のようにつなぎ合わせた「THE LEATHER SCRAP KIMONO」は、世界的な広告デザインアワードであるニューヨークADC賞の2部門で入賞した。 

 

 

「伝統工芸の魅力を社会に発信して継承のきっかけをつくる。そうした橋渡しはデザイナーだからこそできる表現です。私は自分らしい表現をして、それが誰かに届くことで幸せを感じてきました。その点は今も昔も変わっていません」 

 

 一方で、少し変わってきたこともある。がむしゃらに、目の前の仕事に一直線だった時期を経て、いまは意識的に余暇の時間もつくり出しているという。 

 

「土曜、日曜は極力休むようにして、年に1回は大きな休みを取って海外に足を運んでいます。それがアイデアの源泉にもなって、次のいい仕事にもつながります。私自身がそうだったように夢中になって働きすぎる人が多いと思うけれど、そういう時間も大切にしてほしいですね」 

 

 今年は歌手デビューから30年、そして夫とともに自身の会社を創業してから5年の節目だ。 

 

「昔は私の感覚的な部分に頼ることが多かったけれど、池澤さんと仕事をするようになって、コンセプトを決めて、アイデアを出し合い、プレゼンテーションをして、というチームでつくるメリットを知りました。これからも、チームで世界に思いを届ける表現活動をしていきます」 

 

(編集部・川口穣) 

 

※AERA 2025年2月17日号 

 

川口穣 

 

 

 
 

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