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「望月衣塑子記者は黙れ」と言っている人に伝えたい…東京新聞が「空気を読まない記者」をつくり続ける理由

プレジデントオンライン 2/14(金) 18:17 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/1e24760708552fb2965a967961e35e8e75fb9e2a

 

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東京新聞元編集局長の菅沼堅吾氏は、新聞の使命を強調し、新聞は今でも重要であると主張している。

新聞は、権力を監視し真実を伝えることが使命であり、特にSNS時代では報道の信頼性が重要であると述べている。

記事では、東京新聞が自らの使命を果たすために、権力との対峙や真相の追求に取り組んできた様子が示されている。

(要約)

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質問のため挙手する東京新聞の望月衣塑子記者(左端)。右端は菅官房長官=2019年3月13日、首相官邸 - 写真=共同通信社 

 

新聞はもうその役目を終えたのか。『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』(東京新聞)を書いた東京新聞元編集局長の菅沼堅吾さんは「決してそんなことはない。逆に今の日本においては、その価値はより高まっていると考える」という――。 

 

■私たちは批判には真摯に耳を傾ける 

 

 連想ゲームではありませんが、「東京新聞」「空気を読まない」と言えば、世の中では編集局社会部の望月衣塑子記者の名前が浮かぶ人が多いのかもしれません。映画『新聞記者』の原案や菅義偉官房長官に質問で食い下がる姿などで知られ、最近ではフジテレビの記者会見での質問をめぐり、SNS上で批判も受けています。 

 

 誰もが情報を発信する力を持ち、今や選挙の結果にも大きな影響を与える「SNS時代」では、新聞と記者の振る舞いは常に人々の目にさらされています。『オールドメディア』と呼ばれるなど、その目線は得てして批判的で、時には『オワコン』(終わったコンテンツ)扱いです。 

 

 東京新聞も昨年9月に創刊140周年を迎えており、歳月ではオールドメディアです。批判にも真摯に耳を傾ける必要がありますが、オワコンではありません。 

 

 『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』(東京新聞)では私が編集局長だった時代(2011年6月〜17年6月)を中心に、新聞の使命を、仕事ぶりを紙面も使って明示することに注力しました。新聞の価値を体系的に説明できていないことが、新聞批判やオワコン扱いにつながっていると感じているからです。 

 

■新聞の使命とは 

 

 そもそも新聞の使命とは何でしょうか。人々の代弁者として権力を監視し、「本当のこと」を伝えて世に警鐘を鳴らすことです。究極の目的は「かけがえのない命」を守ることであり、ひいては国に二度と戦争をさせないことです。東京新聞が空気を読まない相手は権力であり、空気を読まない理由、読んではいけない理由は、使命を遂行するためです。 

 

 記者会見で記者が質問するのも同じことです。読者の代わりに質問し、「本当のこと」を明らかにすることが目的です。質問のやり方は様々ですが、お願い調では相手が隠していることや不都合な情報を引き出すことはできません。質問相手が国家権力である時に、新聞はその使命を最大限発揮したことになります。記者が批判を恐れて権力に質問することをやめたら、その先には暗闇が広がるだけだと思っています。 

 

 集団的自衛権の行使を容認した安保法制によって日本は「戦える国」となり、「新しい戦前」と言われる状況下にあります。SNSの負の側面として、憶測に基づく不確かな情報やウソがまかり通っています。時には熱狂も作り出しています。今こそ、信頼できる新聞と記者の出番です。 

 

 

■空気を読まないのは望月記者だけではない 

 

 新聞の使命は自分たちだけで決めたわけではありません。本書にも書きましたが、最高裁は1969年11月、報道機関による事実の報道は国民の「知る権利」に奉仕するものとして、憲法21条の保障のもとにあると認定しました。 

 

 自由人権協会の代表理事である弁護士の喜田村洋一さんの解説によれば、「報道機関の果たす役割が、権力の恣意的行使を防ぎ、国民の基本的人権を保障するという憲法の理念を実現するために不可欠であると憲法が認めたため」であり、報道機関は「国家機関の状況を報じる場合において、最も高い憲法的価値を持つ」のです。まさに権力監視のことです。 

 

 2011年3月11日から、災害担当の局次長として東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に向き合い、3カ月後に局長になりました。6年間の局長時代には、第二次安倍政権下でこの国の「かたち」が「戦えない国」から「戦える国」に変質しました。新聞の使命とは何か。どういう紙面を作るのか。読者から日々、問われている感覚でした。 

 

 その時間が記者一人一人を、編集局という組織を、権力と対峙してもぶれることなく、監視を続けることができるように鍛えたのです。東京新聞の編集局を見渡すと、私が局長時代も今も、権力の空気を読まないのは望月記者一人ではなく、編集局という「組織」が権力の空気を読んでいません。 

 

■「3・11」で忘れられないこと 

 

 本書は5つの章の構成です。第1章は「歴史に裁かれる新聞と権力」、第2章は「『3・11世代』の記者の使命」、第3章は「『戦える国』の権力監視」、第4章は「東京新聞流のジャーナリズム」第5章は「新しい戦前の中で」です。 

 

 私を含む編集幹部が、記者が何を思い、どう動いたのか。全容を明かしていますが、本稿では権力の監視に絞って内容を紹介していきます。 

 

 第1章と第2章は東電福島第一原発事故をめぐる動きが中心です。原発事故から今年で14年の月日が流れます。あの日々を経験した「3・11世代」としては、まだ「災中」だと認識していますが、忘れられないのは、いや忘れていけないのは、「大本営発表を再び垂れ流すのか」という読者からの批判の声です。 

 

 大本営とは天皇に直属するかつての日本軍の最高司令部のことです。架空の戦禍の発表や損害の隠ぺい、「撤退」を「転進」とするなど言葉のごまかしにより、日本軍が勝ったと宣伝しました。東京新聞も含めて戦時中の新聞は発表を垂れ流し、軍部との一体化により熱狂を作ることにも邁進しました。 

 

 

■「物分かりの悪い記者」として食い下がる 

 

 過ちを繰り返してはいけないと頭では分かっていましたが、常日頃から意識していたかと問われると、「はい」とは言えません。政府や東電を大本営ととらえ、発表を載せるだけの新聞に向けられた読者からの怒りの矛先は、心に突き刺さりました。 

 

 自分たちの命や暮らしに直結するだけに、事故について「本当のこと」を知りたいという読者の欲求は強く、このままでは新聞は信頼を失ってオワコンになると、心の底から思いました。 

 

 新聞は事実に基づく報道が生命線であり、憶測に基づく記事は載せません。ウソなど論外です。だから事実関係の裏付けは綿密に行い、結果として報じるタイミングが遅れることは仕方ありません。それでも読者からは「大本営発表の垂れ流し」と見られたのです。権力側の発表に頼らず、自分たちの力で「本当のこと」を伝える使命に忠実であろう。「3・11」を経験した世代として、腹を決めて新聞を作ってきました。 

 

 政府や東電の記者会見でも、相手に嫌がられても粘り強く質問しました。「津波は想定外」「現時点で、放射能の影響は認められない」など、通り一遍の発言を繰り返し、原発絡みの専門用語も乱発したからです。「本当のこと」を知るためには、相手からは「物分かりの悪い記者」と思われても、食い下がるしかありません。記者が気にすべきは、その場にはいない読者の思いです。「相手の土俵に乗らない」が、記者たちの合言葉でした。 

 

■私たちは右でも左でもない 

 

 「本当のこと」を伝えると同時に、新聞の「顔」である1面トップの「主役」を権力の側から民の側に切り替えました。大本営と思われている権力が発信する情報を、問題意識もないまま1面に置くことができないからです。これを機に憲法の3原則の一つである「国民主権」を体現する新聞を目指しました。 

 

 新聞各社の報道姿勢、言論を比較する時に「右か左か」でよく論じられますが、私は権力の側に立つか、人々の側に立つかの違いだと思っています。 

 

 第3章は安倍晋三首相の下でこの国の「かたち」が変質した時代の権力監視がテーマです。タレントのタモリさんが22年12月末のテレビ番組に出演した時、来年はどんな年になるかと問われて、「新しい戦前」と答えています。番組出演の2週間ほど前に、「敵基地攻撃能力」の保有などを明記した「安保関連3文書」が閣議決定されており、関連性を感じますが、私は安保法制が成立した15年9月19日から「新しい戦前」は始まったと本書に記しました。 

 

 

■戦争の最初の犠牲者は真実 

 

 自分たちの命や暮らしに直結する意味では原発事故と同様、いやそれ以上に読者は「新しい戦前」の中で何が起きているのか、国がどこに向かっているのか、「本当のこと」を知りたいはずです。 

 

 ところが政権は安保法制に先立ち、特定秘密保護法を13年12月6日に成立させました。新聞記者が国民の「知る権利」に奉仕するため、権力側の秘密やウソを暴くことを妨害するための「装置」です。なぜならば、何が秘密かは政権の意のままなのです。 

 

 成立した翌日の朝刊1面には「権力監視ひるまず」との見出しを付けた社説の責任者である論戦主幹の論説を掲載しました。ジャーナリズムの世界では「戦争の最初の犠牲者は真実」という「至言」があります。もはや、犠牲者がいつ出るか分かりません。国の秘密を暴いた記者と編集局に捜査の手が入ることも想定できますが、ひるむことなく権力の監視を続けることを、論説を通じて読者に誓ったのです。 

 

 「言いたい事」ではなく、「言わねばならない事」を書くことに徹することも、特定秘密保護法や安保法制などをめぐる報道では心掛けました。 

 

 明治から戦前にかけて軍部と権力者を痛烈に批判し続けた新聞記者、桐生悠々の教えに基づいています。悠々は信濃毎日新聞の主筆時代の「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」の見出しを付けた社説で知られています。その悠々が個人誌『他山の石』に、「言いたい事」は権利の行使であり、「言わねばならない事」は義務の履行だと記しています。 

 

■「大本営発表」の垂れ流しではない 

 

 「戦える国」を監視する中で、東京新聞は自分たち流のジャーナリズムを確立しました。これが第4章のテーマです。 

 

 一例を挙げると14年8月に日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞を受けた『論点明示報道』です。受賞理由には「憲法、安保、原発―ずばり核心を突く1面の『論点明示報道』」とありました。 

 

 東京新聞は「3・11」以降、権力が発信する情報を垂れ流すのではなく、論点や問題点を明示すること、記事の本質、核心を見出しで端的に伝えることに力を入れてきました。安保法制の成立を伝える朝刊1面トップの見出し「戦後70年『戦える国』に変質」は、論点明示報道の典型例です。 

 

 本書では他にも東京新聞のこだわりの紙面をふんだんに載せました。記事と見出しと写真が一つになって、読者の頭と心に情報を伝える新聞ならではの世界が広がっています。 

 

 最終章である第5章のタイトルは「『新しい戦前』の中で」としました。東京新聞が読者と一緒に取り組んできた「軽やかな平和運動」である「平和の俳句」の紙面展開や、先の大戦の記憶の風化に抗うための「新聞記者が受け継ぐ戦争」と題したロングラン企画などを紹介しています。後者の企画は私が社会部長だった03年に、戦争の「本当のこと」を伝えたいと思って始めたものです。 

 

 

( 265390 )  2025/02/15 03:17:43  
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この記事では、望月氏や東京新聞に関する様々な意見や批判が挙げられています。

一部のコメントでは、望月氏の質問スタイルや記事の内容に対する信頼性や質が問われており、記者としてのマナーや取材の質の重要性が強調されています。

一方で、東京新聞や望月氏を支持する声もあり、権力監視や批判の役割を果たすメディアの重要性を確認する意見もあります。

また、新聞やマスメディアの役割や使命についての考察も含まれています。

最終的には、信頼性や客観性を重視する読者が増えている現代において、メディアのあり方や報道姿勢に対する批判や懸念が広がっていることが窺えます。

 

 

(まとめ)

( 265392 )  2025/02/15 03:17:43  
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=+=+=+=+= 

 

望月さんって国家権力と戦ってましたっけ?なんか叩きやすい所に行ってワーワー騒いでる印象しかないんですけど。 

空気を読まないからではなく、大した質問してないのにうるさいから煙たがられているのではないですかね。誰の代弁者なのかよくわからないし。 

冷静に理路整然と詰めていく記者の方が優秀だなと思います。その方が相手が答えざるを得なくなると思います。 

 

▲8076 ▼343 

 

=+=+=+=+= 

 

被疑者が真摯に答えるなら質問者も行儀良くしてもいいだろうが、性善説を前提とした質問だけでは真相解明される事はない。理路整然としてなかったり、感情的であったりする質問が時に回答者が咄嗟に本当の事を話してしまう事もある。よって、この記事に賛同する。 

 

▲29 ▼207 

 

=+=+=+=+= 

 

「報道の1番大事な役割は何か」 

世界のジャーナリスト数百?数千人に聞いた所、日本だけ答えが違ったらしい。 

 

日本の記者の答えで一番多かったのは 

「権力者の監視 批判」 

海外の記者の答えで一番多かったのは 

「真実を正確に伝える」 

 

そもそもの考え方が違うようです。 

批判するかどうかはこっちが決めますので、どうか事実だけを正確に伝えて欲しいものです。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

東京在住時に実家が東京新聞取ってたから読んでたけど当時は今よりはマシな新聞だったんじゃないかな。 

バブル崩壊後の頃、小平市の販売代理店の方が癌治療でしばらく休むからとその間は他の販売店になり半年近く経ってから元の販売店に戻る事になったが…東京新聞はその販売代理店に補助費や契約料下げるなら販売再開してもいいと下請けイジメのような事をやったんだよ。その販売代理店も辞めようか迷ったが渋々受け入れたんだよ。 

都内の家から引っ越したあと二度と東京新聞を取らなくなったのはこれが理由。 

こんな新聞社だから、記者も記者なんだろうね。 

 

▲1808 ▼86 

 

=+=+=+=+= 

 

空気を読まないんじゃなくて、ルールを守らないんだよな 

そしてルールを守らない奴がどの口で誰を断罪してんだって話 

こんなシンプルなことすら認められず、反省も自浄も出来ないからオールドメディアは駄目だと言われてるんだよ 

そしてどれだけ言っても悪いところに気付けないなら締め出すしかないよね 

 

▲3950 ▼117 

 

=+=+=+=+= 

 

>ひいては国に二度と戦争をさせないことです。 

>集団的自衛権の行使を容認した安保法制によって日本は「戦える国」となり、「新しい戦前」と言われる状況下にあります。 

 

違和感しかない記事ですね。その理由は、例えば戦争を避けると言った時に、集団的自衛権により抑止力を高めるという考えもあるのですが、その考え方は間違っていて、自分達の主張が正しいという前提に立っており、考え方の違いというのを認めないことだと思います。 

 

原発の件についてもそう。結果、立憲左派、共産党、れいわ等と似たような主張になっており、その考えは議席数からすると国民の多くに支持されてません。多数が正しいとは限りませんが、少なくとも考え方の違いを認めないから、議論にならないし、相手にされないんだと思います。 

 

▲1177 ▼73 

 

=+=+=+=+= 

 

目的が正しければどんな手段を用いても良いということにはならない。それではテロリズムと変わらない。戦争が終わった時に、自らの戦争責任を真摯に総括した新聞社が果たしてあったか? 軍部や政府に責任を押し付けているが、行け行けドンドンで国民の熱狂を煽ったのは果たして誰だったか。喉元過ぎればで、口を拭っているのは当時も今も代わりがない。一介の記者だけをあげつらう矮小な姿勢こそ問われるべき。 

 

▲2992 ▼112 

 

=+=+=+=+= 

 

言いたいことはわかるけど、それは深い取材や豊富な見識があって初めて成り立つ訳で、彼女の質問や発信のレベルは低過ぎる。だから問題になっている訳であって、それに気づかない雇用主がオワコンだと言われるのも至極当然の話だと思います。 

 

▲2615 ▼82 

 

=+=+=+=+= 

 

一時期、毎朝違う新聞を読んで通勤していた。朝日毎日読売産経東京日経と6紙を読み比べているうち、新聞ごとの報道の姿勢が明確に分かり、読み比べは面白かった。日経朝刊は経済データばかりで夕刊のほうが面白い。毎日は資金力がないのが明白なくらいペラペラで痔の薬や精力剤の広告が目立つ。東京(中日)新聞は、モノ言う論客からのメディア批評や、クセが強そうな記者の取材記事など、左翼的な視点が面白く、一番楽しみにしていた新聞だった。 

 

望月記者を知ったのはモリカケ問題以後だが、「攻め入る取材」として、なんでも暴いてやろうという気概は立派だと感じるものの、テレビ中継される記者会見での質問の態度は、取材対象をボコボコにするかのような品のない言動と、周囲を気にしない持論の展開が強すぎ、よい印象はない。自分の推測を答えさせるまで黙らないという雰囲気が漂う。もし「推測」が間違っていたら、どう責任を取るのだろうか。 

 

▲2083 ▼66 

 

=+=+=+=+= 

 

記者会見などで望月氏やフリーの記者は、よく週刊誌記事を元にした質問とかしてるけど、そこには憶測や事実でない事も混じってます。 

ウソはどうこうと述べられていますが、記者の姿勢からは疑いをもってしまいますね。 

 

望月氏が訴えられたようですが、紙面で不正確な記事を載せてしまった事からも、筆者の主張に無理があるのではと思います。 

 

▲1455 ▼47 

 

 

=+=+=+=+= 

 

質問だけなら良いと思うのですが、自分の意見を長く主張して相手に自分の意見を言えない雰囲気にしてから質問しているような感じです。 

また、記者として質問しているより、記者と言う肩書きを利用して自分の主張をしているようにも感じます。 

記者として必要な方かもしれないですが、違和感を感じる方だと思います。 

 

▲1013 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

空気を読む読まない以前の問題で、ちゃんとした質問をしてください。会見の場で、自身の意見を述べるのは、記者としての領分を超えている。政治に文句が言いたいだけなら、国民から信託を受けて、政治家になってやればいい。 

フリージャーナリストの問題もそう。個人の欲が前に出すぎた人を、知る権利の代表しては認められない。 

 

▲1478 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

望月に対して「黙れ」とは思わないが、「責任を持て」とは強く思う。 

ただ、ネット情報と自分の思想に立脚した追及ばかりの印象で、記者というより活動家として見てるけどね。無責任な言動で訴えられたら「報道に対する抑圧」とか都合の良いこと言ってるのも、無責任さがよく出てる行動ですよね。 

 

▲1253 ▼38 

 

=+=+=+=+= 

 

面白い説得力のある記事でした、が、心配なのは左派信条に根ざした反日偏向体質を持っているのなら話しが変わってきます。左派信条があるなら権力者側の正論も捻じ曲げてしまい読者に誤って伝えてしまう可能性があり心配です、そのような事例は今まで山のようにあり今も量産し続けています……今の時代、忖度のない公正中立な報道を国民は求めています、そのような是是非非の心をもつ記者を育ててほしいと思います。 

 

▲1114 ▼141 

 

=+=+=+=+= 

 

質問のレベルが伴えば、こうした意見も賛同しないにせよ否定まではされないと思う。 

普通の人が、さすがと思う、あるいは、そういう質問は思いつかなかったけど、質問すべきことだよねと納得する。 

そういうレベルの高い記者はほとんどいないと思う。 

会見の時間を無駄に使っていると感じる人が多ければ、批判されるのは当然です。 

 

▲768 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

黙れとは言っていないと思います。ただ行動規範に問題があるんじゃないかという疑問の声と、それに付随する節度を守ってほしいという願いだと感じます。もちろん誹謗中傷もあるだろうけど、それ以上にこの記者が質問する内容であったり、自己中心的な振る舞いが目立ってしまう。そして肝心要の報道の自由を脅かしかねない攻撃的な態度。みんな黙れとは言っていないと思います。 

 

▲380 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

マスメディアの記者というのは事実に基づいて社会の問題を追及するのが役割だと思う。事実を恣意的に捻じ曲げ、自説によって脚色するような人間は記者とは言わずフィクション作家に近いし、書かれたものは記事ではなく二次創作に近いと言えるのではないだろうか。 

各所に批判されているのは望月さんが記者未満の劇団員に近いからだと思うよ。 

 

▲650 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

今の時代、自らの思想を世の中に広く知らしめるのは、マスコミでなくてもよくなった。その分、より確からしい真実をマスコミに求めるようになった。自らのジャーナリズムは、マスコミの傘を着ずに独力で広めてほしいものだ。 

今、マスコミに求めるのは真実の追求であって、ジャーナリズムでは決して無い。 

ここが前提だと思う。 

もっとも、マスコミの記者はジャーナリズムの追求が記者の志望動機であった人物も多かろう。 

そもそも、多少の熱狂的な支持者はいるだろうが、今の世の中の大層にはあっていないと思う。 

 

▲313 ▼34 

 

=+=+=+=+= 

 

一年位前まで「安いから」という理由で東京新聞を購読していました。一年前にトレンドに乗って新聞購読から卒業したのですが、私がそのような踏ん切りをつけることができた理由のひとつが、東京新聞の筆致があんまりだったことです。 

 

この記事を見て、「なるほど、こういう思想で紙面を作っていたのなら、ああいう筆致になるよな」と納得しました。 

 

とにかく政府のことを悪く言えばそれでOKという感じでした。歳出を増やしても減らしてもとにかく文句を言う。私としては、政府のやることに対して、褒めるべきことは褒め、批判すべきところは批判するという是々非々の報道を読みたかったのです。 

 

▲63 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

報道は両論併記が原則です。一つの事柄に賛否の意見が有る時は、どちらも説明すべきです。 

韓国植民地支配、慰安婦、徴用工、関東大震災、自衛隊訓練時の白燐弾、731部隊:、満州問題、黄河決壊、ドイツのポーランド侵攻(ソ連のポーランド、バルト三国、フィンランド侵攻)、日米戦争、等々には歴史学者や歴史研究者から反対意見が出されていますから両論併記すべきですが、してないですね。 

だから、多くの人達がインターネット等で多種多様な情報を得て自分達で判断しているのです。 

何故そうなったのか、オールドメディアは踏ん反りかえってないで自己反省すべきです。 

 

▲316 ▼26 

 

 

=+=+=+=+= 

 

この反論は全然ズレている。 

ものわかりが「悪い」ことが問題なのではなく、質問ではなく演説していることが問題なのだ。 

マジで意味がわからない。記者会見を議会と間違えているかのような、記者の質問を議員の要望のような捉え方をしているとしか言えない。 

民主主義が大事なら、民主主義のルールにもどつくべきだ。記者は選挙で選べばれたわけじゃない。ジャーナリズムは大事だが、過剰な権利は付与されるべきものではない。 

こんなズレた主張しているなら、ジャーナリズムの敵であり、民主主義の敵だと言える。 

 

▲208 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

うーん。空気を読む読まないの問題は別に関係ないかなと、、、そういうところで批判しているわけではないということもわかってないのですね。 

記者会見とかで延々と自分の主張をしてなんの質問だったかわからなくなるくらい長い時間をかけたり、傍聴者の立場でやじ飛ばしたり、記者としてというか社会人としてもマナーが欠けるところや、取材もろくにしないで噂レベルでの質問だったり、そういうところかなと思ってます。 

 

▲170 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

事前に 聞きたい事をまとめ 冷静に理路整然と質問をするのと  

その場の思いつきで大した内容も無い事を がなり立て 会見の進行を邪魔するのでは違うと思います 

あの会見を全て視聴したわけでは有りませんが 彼女は ただ怒鳴りまくって 目立とうとしているだけに思えました 

 

▲156 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

東京新聞さんは自分達が正義の味方で、権力と戦っている様に書かれています 

が、私の個人的な印象は、視野が狭く、考えが古く、偏向している様に見えて 

しまいます。情報を正確に伝えたいなら、自分達の加入している労働組合等も 

きちんと記して文章を書くべきではないでしょうか。ある政党に有利な事ばか 

り書いてあると思う時があります。政府と戦うのもいいですが、野党などが 

間違っている時は戦って欲しいと思います。 

 

▲39 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

「二度と戦争をさせない」という言葉を疑うべきです。進化心理学が教える「自己欺瞞」の可能性が高いからです。他者をだます前にまず自分をだます心理メカニズムです。 

戦争とはかならず相手国があります。自国だけで処理できる問題ではありません。相手国が日本に対し戦争を仕掛けてくれば、日本は対応を迫られます。本来は二国以上の関係である戦争に関する問題は、日本一国の決断で対応できるはずがありません。小学生でも分かる理屈です。 

それを大の大人が理解できないのであれば、もうそれは脳科学・心理学で処理すべきレベルです。「二度と戦争をさせない」という言葉の裏に、「日本社会を壊したい」という破壊衝動が隠されている、と私は疑っています。 

 

▲263 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

>新聞の購読代は何の対価になるのでしょうか。新聞の使命からすると、究極的には「権力監視の代行費」 

 

途中から流し読みになり、最後まで読んだが、引用した箇所が配信者の言いたい事だろう。 

 

しかし申し訳ないが、情報を受ける人間は、既存メディアのみ存在し、一方的に情報が垂れ流された時とは異なり、情報の取捨選択が可能で、且つ自らの意思で情報発信が可能となった。 

 

此れが既存メディアで働くマスコミ人と、受ける側の意識の乖離だと思う。勿論、情報を受ける側の判断能力の高さは求められるが。 

 

昔、そう遠くない位置で仕事をしていた時期があったが、当時、数名の記者が云った言葉が印象的だった。 

 

それは 

 

「大衆は情報の取捨選択をする判断能力を持っていない。その為、私達が教え、啓蒙している」 

 

だった。 

 

▲35 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

あれだけ、ファクトチェックと言いながら、私見を混じえるからいけないんだよ。 

ファクトだけを伝えて欲しいし、情報の取捨選択もしなくていい。 

情報の取捨選択は、民主主義の前提として、有権者に委ねて欲しいです。 

情報量と正確性、これがマスコミが生き残る鍵だと思いますよ。 

 

▲123 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそもマスメディアって公平性を重視するのが当たり前だと思っていたのが最近は記者というより活動家が己の思想の為に都合の良いソースだけを頭に入れ、検証もせず行き当たりばったりで記事を書いたり、質問したりする傾向が増えてきて読者も視聴者もマスメディアに対して信頼なんかしなくなった話半分で聞き流したほうがが良いと思います。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

全然説得力がない。オールドメディアへの批判の根幹は、国民からの信託を受けた訳でもないのに勝手に監視者面で、しかもファクトではなく、情報を捻じ曲げ世論を誘導しようとする。またフジテレビの問題等、身内の業界問題に鋭く切り込む訳でもない。望月に至っては、空気を読まないだけならまだ知らず、自分の意見を、他社のソースを元にぶつけるだけ。彼女のせいで他の質問時間は奪われる。時代は完全に双方向。自社や自分の立場にしがみついて屁理屈を言う前に、記者の目で時代を観察したらどうか。 

 

▲73 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

望月記者の問題は空気を読まないことでは無くて、記者としての質が低いことです。自らの取材力が弱く週間誌のネタに基づいて自説を延々と語り、肝心の質問は誘導尋問というお粗末なものです。また時に東京新聞記者、時にはArc times記者という看板の使い分けも問題でしょう。労働時間管理とか出来ていますか。東京新聞は新聞の使命を大上段に語るのではなく、足元の記者教育と記者管理を改めるべきですね。 

 

▲77 ▼4 

 

 

=+=+=+=+= 

 

先日のフジテレビの記者会見での彼女の質問。はっきり言ってジャーナリズムのかけらも感じられませんでした。まず質問者が感情的である必要性は全くない。寧ろ理路整然とした質問によってきちんと情報が開示されていくためのフックをつくる役割という意識が微塵も感じられない。視聴者が見たいのはパフォーマンスではなくフジ側からの内部事情の提供だと思います。 

もう一点失望感を大きく感じるのが、彼女の質問自体が自身の取材を基にしたものではなく、既発の週刊誌の取材をベースにしたものだった事。記者を名乗る人間が他媒体の土俵で仕事をするというのは非常に恥ずべき事だと思います。 

正直あんな質問であれば記者でなくてもするに容易い。 

望月さんのこれまでの仕事全てを見てきた訳ではないですが、ある程度のキャリアの結果があれならジャーナリストとして失格と感じます。 

 

▲44 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

売り上げ部数を見ても完全に新聞はオワコンなんですが、内部に居る人ってこんなに現実が見えていなくて、自分達こそが正義というある種の自己洗脳に陥っている人たちなんだという事が良く分かりました。 

 

望月記者は記者風の活動家だという事は、誰でも知っている事。これから訴訟がたくさん待っていて大変そうですが、やはり言論の自由は言論の責任と対を成す事を改めて考え直されたら如何かと思います。 

 

▲39 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

イソコの問題は、自説を長々と述べて相手を攻撃・非難し、時間やルールを守らないことです。記者会見は自説の主張の場ではなく、簡潔に質問し、回答を引き出す場であるべきです。 

 

また、ジャーナリズムの最優先は「真実をニュートラルに伝えること」であり、その上で必要なら権力を批判すべきです。しかし、東京新聞の報道は「反権力ありき」で、事実のニュートラルな伝達を重視していないように見えます。本来は、事実を明らかにした結果として批判が生まれるべき です。この記事を読むと「反権力」の結論ありきの報道が生まれる背景がよく分かります。 

 

こんなんだから「左」って言われるんですよ。 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

東京新聞の発行部数を見れば購読してまで記事を読む人達が少ないのは一目瞭然ですしね。 

それでも望月記者が空気を読まない記事を書き、新聞記者会見で空気を読まない質問をすればする程に注目だけは集められる。 

今や新聞を読む人達は全盛期の1/10以下にまで落ち込み新聞の売り上げだけでは新聞社は維持出来ない。 

ネット記事を見ている人達向けの広告料の方が東京新聞には重要。 

そういう良いとは言えない影響力を商売にしなきゃ零細新聞社は存続出来ない。 

ある意味東京新聞は新聞記者を育てるではなくバラエティー記者を作っているの方が的を射ていると思うよ…。 

 

▲110 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

空気は別に読まなくて良いです。ただ、ルールを守る、人に迷惑をかけない、自分自分と主張しない、他人が喋っている時に遮らない、記者会見の意味を取り違えない、という人としてごく当たり前のことが出来ていないので、そういうことは止めてくれ、止められないなら(壇上の人にも、他の記者にも、テレビで視聴している人にも)迷惑だから記者会見に来ないでくれ、と言われているだけです。 

 

同業者間で注意しあうのが健全な業界なのに、ほぼ誰も止めず、会場から放り出さなかった時点で、誰もが記者という存在に失望したんですよ。あー記者ってのはマナー悪いんだなって。フジテレビ糾弾するまえに自分ちの業界健全にしたら?って。 

 

民衆はバカじゃないんだよ。そして単純じゃない。人心簡単に操れるとか思ってるなら、それは傲慢というもの。 

 

それはそれ、これはこれ。 

真実のためには何してもいいマナー違反Okなんて、誰も認めない。 

 

▲67 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

記者による「空気を読まない」質問が権力監視の重要手段であることは確かだが、問題はそのやり方、テクニックの巧拙なのだと思う。先のフジテレビ幹部らの会見でもまざまざと可視化されたように、一部の(大方の、と言う方が印象に近いが)記者・ジャーナリストたちの質問は、その実ほとんど自説の開陳、相手への糾弾、公開説教であり、本来の質問部分は付けたりみたいなもの、真相が表に出てくる気配もまるでなかった。望月記者の質問スタイルも変わるところはない。そもそも衆人環視の会見で質問された側がやすやすと隠したい真実を話すわけもなく、ましてハナから質問者が喧嘩腰では一言の失言も漏らすまいと警戒度を高める。質問者がするべきは和やかな雰囲気で相手を油断させ、口を滑らさせる、機をみて一変急所を突いて慌てさせる、なるべくたくさん喋らせ矛盾点や事実の齟齬を露わにさせる…といったことのはず。自分が演説していては何も起きない。 

 

▲26 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

伊藤詩織さんによる望月さん訴訟のタイミングでこの記事を出すのは面白い。 

 

今回の訴訟により、東京新聞と望月さんは、同じ考え方を共有していないことが明らかになっている。 

伊藤さんの指摘に対し、東京新聞は非を認め謝罪したが、その記事を書いた望月さんは非を認めていない。 

 

裁判はこれからなので、伊藤さん、望月さん、東京新聞の誰が間違っているが不明だが、 

少なくともすでに、東京新聞と望月さんとの間には乖離があることは間違いない。そんなタイミングで「空気を読まない記者をつくる」みたくポジティブに語られてもねえ。 

 

▲23 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

現代人は、新聞に右だとか左だとか求めてないんですよ。東京新聞の主張とか本当にどうでもいいんです。知りたいのは事実だけ。どこでどういうことがあった。誰が何と発言した。そういう事実だけ分かれば十分なんですよ。 

 

昔は情報源が限られていたし、詳しいことを調べようと思っても時間ばかりかかって大したことは分からなかった。だから、新聞記事やテレビニュースを鵜呑みにする人が多かった。 

 

今は、情報に溢れているし、調べ物も楽にできるし、SNSで著名人に直接質問することも出来たりする。海の向こうでリアルタイムに起きていることをスマホやPCで知ることが出来る。自分で考えて、分からないことは分かる人に訊ねる。結果、大衆が新聞やテレビニュースに求めることが、変化してきてるんです。新聞社の妄想には用がないんです。 

 

もちろん、世の中のことに興味が無い人も居ますけど、そういう人はいつの時代にも一定数居ますから。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

2年前に父の死去で新聞をやめようと思いましたが今の時代権力を監視するメディアに少しだけでも寄付する気持ちで東京新聞だけ継続しています。 

江戸っ子の端くれとしては都新聞に思い入れがあるからでもあります。 

権力におもねた瞬間にメディアに価値は無くなるとかねがね思っております。 

 

今の時代は知ってか知らずか世間一般の風潮価値観が権力や組織の価値観に流されて、庶民国民一人一人と組織の価値観が衝突した場合を考えずにあたかも自分が管理する側に有るかのように錯覚している場合が多いように感じられて不安になります。 

 

意に沿わずに自分が弱い立場になってしまった時は自分は殺す側の人間で無く殺される側の人間だろうと思って常日頃から決断のよりどころにしております。 

未来よりも過去の方がずっと長い年齢になりましたが常に考えているにはあとで絶対に後悔しない選択をしたいと言う事です。 

損得では決してありません。 

 

▲3 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

>空気を読まない理由、読んではいけない理由は・・ 

→望月氏が批判されるのは空気を読まないからではありません。 

>そもそも新聞の使命とは・・権力を監視し、「本当のこと」を伝えて世に警鐘を鳴らすことです。 

→批判の理由は「本当のこと」を伝えるわけでもなく「言いたいこと」を言っているだけだからです。 

>記者会見で・・読者の代わりに質問し 

→読者が聞いてほしいと思うことを聞いていると思ったこともありません。 

そもそも、質問なんて冒頭の一部だけで、途中から独演会にしてしまうではありませんか。 

 

▲357 ▼12 

 

 

=+=+=+=+= 

 

新聞はオワコンではないが、望月記者のやり方を是とするならば東京新聞はオワコンだと思う。 

てか、東京新聞って実際に終わってて中日新聞だよね。 

2度と戦争させないのが正義と思い込むのも、それは違うと思う。 

2度と日本に戦争に参加して欲しくないし、今みたいに間接的に参加するのすら止めて欲しいとは思う。けれどもアメリカに守って貰いましょうってのは、国の防衛策としては如何なものなのだろう? 

今の国際情勢ならば最低限自分達の国で軍隊は持つべきだと個人的には考えるが、それが絶対のものではなく時代時代で議論すべきだと思う。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

東京新聞の前身は都新聞といって、政治家や高級官僚などの妾宅の実名と住所暴くことで有名でした。 

当時も今も空気を読まない新聞ということですね。 

新聞やテレビは以前と比べて凋落しつつありますが、それでも信頼を得ているのは正確さであり、報道に対する真摯な姿勢だったはずです。 

ところが新聞やテレビの報道の裏側で、執拗な取材や取材対象の発言を切り取った記事や番組などが明らかになり、会見での記者達の要領を得ない質問や自説を滔々と述べたり、他の記者の質問の遮りや繰り返しなど、記者の資質に疑いが持たれている。 

また週刊誌の記事を鵜呑みにして、自ら裏付け取材しない事も明らかになっている。 

その反省もなしに、自社の記者を掩護するのは、もはや記者にはモラルを期待してはいけないという事なのでしょうか。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

戦前も戦後も新聞は国民を危険に晒していると思っている。 

確かに戦前の国家権力を新聞は敵対視するのだろうけど、それは、国家権力の源泉が国民に無かったと言えるから。 

戦後、新しく憲法が制定され、男女の区別なく、また、納税額の区分も無い普通選挙が実施された。 

戦後80年を経過して、政府(国家)の権力の源泉は、国民にあることは間違い無いから、政府に対する新聞の批判は国民を批判することに他ならない。 

安倍総理が日本を守る施策を実施して国民の信任を得ているのに批判する態度、特に外交と防衛は甘く無いのに、新聞社に日本国籍以外の記者がいるのかと勘繰ってしまう。 

民主党政権時に、中国に擦り寄り、沖縄の米軍基地の県外移転を打ち出した元総理が日本を危険に晒したのに、何の検証を求めることもなく、そのことを東京新聞は批判すらしない。 

東京新聞に限ったことではないが、偏向していると言われても仕方がない。 

 

▲18 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

伊藤詩織氏の映画について、望月氏が「非公開の集会の発言が、許諾を得ないで使われていた」と記事を書いたそうで、それに対して伊藤氏は「許諾は取っていた」と抗議し、記事は修正されたそうです。 

しかし伊藤氏はそれでも問題として望月氏を名誉棄損で提訴したということです。 

望月氏はそれを「記事に誤りはない」と更に反論。 

望月氏の言い方を見ると、まるで「伊藤氏に忖度して適度に書き換えたが事実は許諾を得ていないということで間違いない」と言いたそうです。 

これはどちらが正しいのか裁判で徹底的に争ってもらいたいと思います。 

しかし、これを報じたのが沖縄タイムスだけで、それ以外のメディアではまるで記事を見かけないのが不思議ですね。報道しない自由でしょうか。 

 

▲16 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

望月氏の質問は主張であり、攻撃的な姿勢は本来問うべき真実を見えにくくしていく事も多く。終わってみれば質問自体が何を聞きたかったのか分からない事が多いのは、どうなんだろう?量産されたら真実から遠退くと思うけどなぁ…。 

 

ジャーナリストに求めるのは真実を詳らかにする事であり、その後の判断は読者や視聴者がするべき事。 

 

右だ左だの思想では無く、個人の思想を盛り込む事が正しいとは思わない。お上品にしろとか言うことではなくね? 

 

相手に自分の意見を認めさせる事が目的かのような記者は記者ではなく、執筆家や配信者にでもなるべき。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

反権力を強調しても今の社会で響く人はどのくらいいるかな。 

フジテレビの会見ちょっとだけ見たけど望月記者の姿勢には多くの人が悪いイメージを持ったと思います。東京新聞にとってプラスになるんですかね。 

左派リベラルの人たちは望月記者に甘いから何も言わないけど一般的には理解されないでしょう。 

ジャニーズのときも東山社長にセンシティブな質問を平然としていていろんなところから批判が出ていましたね。 

 

権力を監視するというのは場の空気を壊したりルールを無視したり聞いてはいけないことを聞くということではないと思います。一般の人がsnsで発信するのと記者の違いは記者は取材をして裏取りをして発信することです。 

国民の知る権利のために働くのが記者であって叫んだり演説したり被害者に配慮がないような質問をするのはなんか違うかなと思う 

 

▲92 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

記事の1ページ目から、「ザ・オールドメディア」という感じで、びっくり。 

むしろ炎上を狙っているかのような、ベタな内容の記事だった・・・。 

 

こういったメディアって、「我々には権力の監視を行う重要な役割が~」と、大上段に構えているけれど、そういう自分たちこそが1つの権力になっている。 

自分たちの意に沿った記事だけを書き放題で、しかも監視する者が存在せず、よほど詰められない限りは謝罪訂正もしないため、報道被害で心を痛めた人間も数知れず。 

そういった現状に対しては、どう思っているのか気になりますね。 

 

▲18 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事言っていることは特に問題ないけど、望月さんの質問の仕方がそれにマッチしているかどうかだけで、正直それは彼女を買いかぶりしすぎだろうと思います。結果として、彼女から他の記者では得られなかった特ダネが出たのかというと限りなくゼロですね。ただただ時間の無駄と思える。立花某と同じ匂いのするあだ花ですね。聞いていても何が聞きたいか分からない。多分欲しい答えは彼女が考えている一つしかない無いのでしょうね。ディベートを学んだ方が良いですね。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

東京新聞の記者のように空気を読まず、国の施策に疑問を呈する事を他のメディアでもやって欲しいです。かつての戦争に置いて大本営の情報を垂れ流していたメディアはその反省の上に成り立っているでしょう。国家権力の言いなりにならないようにする為には、政治とメディアの距離は不可欠であり、会食したりするなどはメディアの堕落であり止めるべきです。国家権力には従わず権力の監視をする事が、平和を維持出来る方法の一つだと考えます。 

 

▲10 ▼42 

 

=+=+=+=+= 

 

熱く語られてますが、全然分かってらっしゃらない。内容よりもあのやりとりの空気が何より嫌なのですよ。相手の考えとか最初から聞こうとしていない。相手の失言を引き出すためなら少々の暴言を言っても構わない。割り込む、妨げるなどなど。知的な議論のやりとりや言論人に相応しい質疑応答に全くなってないただの言い争いは見たくないのです。 

 

▲36 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

取材対象者を批判しては自分の望む答えが出るまで同じ問いを繰り返す。だから「空気を読まない」と言われるんです。その最大の問題は、他の意見に耳を貸さないことです。この記事では「本当のこと」を伝えるためだと弁明していますが、そもそも「本当のこと」とは何でしょうか? 

 

ときに自分の意に沿わない「本当のこと」が出てくることもあります。しかし「空気を読まない記者」は、もはや軌道修正が効きません。すると「本当のこと」を認めず、自分の主張を続けることになってしまう。 

 

望月氏のような記者が活動家と揶揄されるのは、自分の意見や主張ばかりで「本当のこと」に目もくれないからですよ。しかも批判をアンチとして切り捨ててしまう。「私たちは批判には真摯に耳を傾ける」といいますが、反省したことなどあったでしょうか。「空気を読まない」と堂々宣言しておいて「耳を傾ける」というのは矛盾していませんか? 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

必死で自己弁護する論調に呆れてしまって、最後まで読む気がなくなりましたよ。 

記者なら喚き叫んで周囲への迷惑を顧みないでも、それは国民の知る権利のためになるとでも?右だ左だなどと言う古臭い思想を未だに振り回す、その考え方こそが傍若無人な態度を引き出すことに思いを致さなければ。望月がもっと礼節をわきまえ、冷静に、質問相手を打ち砕くべき敵だという偏見に満ちたものの見方を捨てれば、なるほどと思う国民も少しだけは増えるかもしれませんね。しかしそうはうまく行くまい。東京新聞が全体として古臭い思想に凝り固まった柔軟性のない組織ですからね。 

 

▲19 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

なぜ黙れと言われるのか、それは記者であるならば左派としての活動家まがいのデモなどに参加するのは偏向報道、または偏った報道姿勢になること必然だからでは無いでしょうか。 

 

表現の自由で片付けるにも、それを快く思わない人が多数なのではないですか。 

 

質問の形式も自分の感想や思想を織り交ぜて誘導的な質問にも違和感があります。 

 

▲57 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

東京都でカスタマーハラスメント条例が 

できるなど世の中全般で、主張が正しい、正しくないに関わらず、その方法、ことのすすめ方に問題がないか?、ハラスメントにならないか?ということを誰しもが意識せざるを得ない中で、望月記者をはじめ1部のフリージャーナリストの取材の仕方は、不用意にも厚生労働省がカスタマーハラスメント企業対応マニュアルの中で記載する迷惑行為に該当すると思われるところが多々あり、みんなが彼らのことを時代にそぐわない、時代錯誤も甚だしいと感じはじめているということではないか。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

悪いことをしても当たり障りないこと言って後は黙ってやり過ごすのが1番無難だというところで落ち着いてしまってる現代では 

少々過激な質問をしてでも注目を集める方が良いとの考えなのかもしれません 

そして文中に書いてあるとおりジャーナリズムは読者が真実を知ることを代行する装置と言えますが 

現代人はさして真実を知りたがっておらず、自分が知りたい情報に「真実」と名付けてそれを知りたがり、それを補強するエビデンスを賞賛している気がします(これはSNSの性質と被るところがあります) 

ジャーナリズムが読者の思いから離れてでも真実を追い求めたとき、それは読者から見て非常に奇異に映るでしょう 

ジャーナリズムの変質と人々の変質は互いに絡み合っていると感じました 

 

▲2 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

なんとなく左サイドに寄ってないと直ちに極右過激派みたいになる、リベラリズム絶対王政みたいな昨今の空気がイヤです。いそこはその左側の何とも言えない部分を全身に纏ったようなところがイヤです。 

極右独裁も極左独裁もあるけど、中道独裁は聞いたことない。過激な思想とは距離を取って行きたいです。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この長文を読んで感じた事は、ご立派な大儀をの賜ってるとの印象です。またマスコミの為のマスコミによる弁明を読ませられ辟易しました。途中で飛ばしながら何とか読みましたが。権力監視との事ですが、日本だけで完結する問題でもないでしょ。グローバル化した今こそもっと世界観に立った視点を持った権力監視をして貰いたい。日本のみの権力監視をしていれば良いと云う認識がオールドメディアだと云われる所以の1つでしょ。 

とにかく理想を言うは易しの文章であり、辟易させられました。その時点でもうオールドメディアであり、オワコンではないだろうか。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

文春オンラインの記事 

赤木雅子さんによると、望月氏とは改竄問題の取材を通じて知り合ったが、「今は一切、連絡しても電話も取ってくれない」と明らかにした。その上で、「もう取材しないなら、私が渡した素材は消してほしい。それを伝えたい」と訴えた。 

→一方的に取材先からの連絡を断ち切ったとのこと。その後赤木さんと会ったときには「きゃー」と悲鳴を上げて逃げたと記載されており、ドラマの制作をめぐり望月記者と赤木さんの意見の隔たりがあるのに、制作を押し進めている事を週刊文春が掲載したのがきっかけではないかとの記事だった。 

文春だけにおまゆうの部分はあるが、文春記者によると望月記者を支持しているのは「政権を批判したいあまり、(記事が)事実かどうかより政権に不利になるかどうかで考えている。」人達とのこと。 

権力を監視するのは新聞の役割だが、嘘や誇張で権力を批判する自由はない。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

本音はそれで良いし好きにやってくれればと思いますが、それ以前の問題だと思う。 

エチケットが出来てはじめて共感ないし、違う角度からの視点として参考にする人もいるかと思うが、今までの記者会見、囲み会見色々出ておられますが揚足取りとも感じる質問、1つ質問ルールでもダラダラと長く他社と同じ様な内容については第3者視点でも気分が良いモノではない質問等があまり多いと感じる人は多いかと思う。目立った者勝ち?YouTube と同じ路線?上の考えが容認である以上同様な方が増えるのは仕方ない 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

最初の1ページの途中から結末(というか、終着点のないポエムの浪漫飛行であること)が分かり始めて辟易し、以降は読む価値がなかったので斜め読みの飛ばし読みで済ませましたが、筆者の主張には与できる部分が一つと無く、正に空気が読めていません。空気の読めない人に空気を読まない人の論評をさせているのですから、そこにあるのは混沌です。まさに望月イソコ記者?の質問という名の演説を聞くのと同じ感覚を味わえる記事でした。 

 

▲4 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

新聞の使命は、権力の監視だそうですが、新聞自体も紛れもなく権力者です。自ら発信する情報が偏りがないか、読者をミスリードしていないかを省みるべきです。マスコミは、国家権力を監視するという建前のもと自己陶酔して、偏向情報ばかり垂れ流しています。「今こそ信頼できる新聞と記者の出番」と言うが、紙面は、偏向情報が混ざっていて信用度が低いし、記者の質問を聞いていても信用できるか図りかねます。「戦争をさせないこと」が使命だそうですが、戦前は、新聞を売ろとして国民を煽り、戦争へ向かわせた責任は、当時の新聞にもあります。その反省もなく今も偏向した煽り報道をしている。新聞は、国民が正しい判断ができるような偏りの少ない情報を読者に提供する事こそ使命だと思います。決して新聞を売るために煽り報道をする事ではありません。新聞が変わらなければ益々読者に見放されるでしょう。 

 

▲14 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

菅さんが官房長官だった頃、よく定例記者会見をユーチューブで見ていた。イソコはこの頃からネット上では有名であったし、イソコが質問をすると大抵は菅官房長官は苦笑いをした後ではあるが真摯に質問に答えていたと思う。確かに的外れとも思える質問をしていた事もあったが、出席している時は毎回ちゃんと何かしらの質問をしていたと思う。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の主張に拘り、難しそうな話を持ち出し、徹底的に主張する。それを正義と思っているのだろうが、個人の正義ばかり述べても社会の正義を動かすことにならない。 

いつから新聞記者は自分の主張に合わせた質問を執拗に投げかけるだけになったのか。それを追求と自己肯定する段階で社会の反感を忘れている。 

本当にそれが正義なら、もう日本全国に支援者が溢れてもいいころだ。実際は逆ではないか。迷惑という人々の方が多い。 

京大で学長室に突入した若者がいたが、暴力と言論の違いはあれ自己主張、自己肯定という観点では筆者と同じように感じる。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

実は東京新聞は地方紙と思っていた人それなりにいそう。もし、本気で宮城県の河北新報、兵庫県の神戸新聞、広島県の中国新聞並みに東京の市町村の情報、都政、都内中小地場企業の記事たっぷりの新聞あったら教えてほしい。 

 

一方で東京新聞は、いろいろ人を変えて不躾な記者を出して欲しい。不躾つながりで今は亡き三本和彦さんも、自動車ジャーナリストの前は東京新聞だ。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

過去に彼女の取材を受けたことがあります。 

確かにその熱意はすごかった。 

しかし自分のシナリオと事実が異なると批判を繰り返すばかりでジャーナリズムとは縁遠い印象しかありません。二度と取材を受けたくないと思った記憶が蘇りました。 

彼女を主人公にした映画も見ましたが‥ 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

望月記者は質問の際に、質問対象者に非、瑕疵が有る、悪であることを前提として持論(自論)を自分に酔ったように訥々と述べ、他の質問者の質問時間を無駄に浪費するのが定番パターン。感情的に成らず要点をまとめた簡潔な質問をして頂きたい。 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

僕も、空気を読めない、KYと、呼ばれ続けてきたけれども、誉め言葉だと思っています 

 

皆が、右受け右で、同じ方向を向いている時に、1人だけ、左を向くのは勇気がいることです 

 

日本特有の村社会、閉鎖的な空間が支配している世の中で、KYだと村八分にされてしまうからです 

 

東京新聞は、私が住んでいる名古屋市に本社のある中日新聞の子会社ですが(この文章の執筆者も中日新聞から東京新聞に転じ、社長となっている)、東海地方でしか地盤のない地方紙でありながら、ジャーナリストとしての筋を通し、気骨のある記事を載せている新聞だと、私は、高く評価しています 

 

望月衣塑子さんのような良い意味で型にはまらない記者が活躍できる場を提供し続けてきた東京新聞、そして、親会社である中日新聞に敬意を表したい 

 

▲4 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

東京新聞(中日新聞東京本社)は、先月末で 

自社系列の子会社での新聞印刷を中止して印刷を請け負っている子会社を潰した。 

まあ、不動産業で中日は潤っているらしい。 

中日新聞名古屋本社では、東京新聞を潰す機会を伺っているらしいが、東京新聞にも若い従業員がいるので扱いに困っているらしいね。 

中日新聞は若いオーナー社長に完全に世代交代が行われたので、東京新聞も合理化の流れで終了かもしれない。 

 

▲14 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

「空気を読まない記者」が本当に真実を追求する為ならまだあの無礼で見苦しい言動も理解を得られるかもしれない…かも? 

ただもう結局は質問を体をなした自分好みの主張であるのが視聴者なり見る側に見透かされてしまっているのが現状。 

いくら擁護しようとその本質を正さない限り理解は得られないと思います。 

 

▲34 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

記者会見における望月記者のスタイルは長々とした自身の主張をするばかりで一体何を聞きたいのか明らかにしたいのかサッパリわからない。質問の背景は30秒以内として欲しい。文筆を生業とする記者であればこの程度の整理は出来て当然のではないだろうか? 

 

▲9 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

この人もそうですが、とにかく話が長いです。ビジネスの世界であんなにダラダラと話をしていたら、次!と言われて終わりです。グローバルのトップ企業は、1兆円の投資話でさえ会議は30分もかかりません。 

質問というよりも個人の感想や主張を述べる演説会になっており、趣旨が全く分からないことが多いです。 

こんなレベルの人が人に活字を読んでもらう仕事をできてしまうこと自体が驚きでしかないです。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

メディアが開き直って「権力監視の使命を遂行してるだけ」と言えるのは、そうした電波や新聞を使って情報を扱えるメディアこそが「権力者」だということを自覚していて成立する話。 

即ちメディアも監視される側なのですよ。ただ以前はこの監視が緩かっただけ。だから誤報も印象操作も好きなようにできてただけ。 

 

ところが今やメディアがSNSをしきりに攻撃してるのは、SNSがメディアという「権力の監視」を始めてるから。 

記者の取材を直接受けた人が世間に広く訴えることのできる手段がなかった。しかし今はSNSで取材で語った事を切取られてるや、自分の意思に反する形で報道が為されてるとバラす事ができるのです。 

 

何のことは無い。なんちゃってジャーなリスムを傘に着て好き放題してたのがSNSが知れ渡ってできなくなってるだけ。 

 

むしろ今のメディアへの監視が働いてる今の方が正常なのですよ。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

空気読まないのはいいんだけど望月さんとその仲間の横田さんとかは質問ではなくて演説ですからね 

しかも独自取材ではなく文春の記事の感想演説 

他の記者の質問時間を奪っていることに気付かないのは社会人としてヤバい 

アークタイムズ仲間の横田さんが言ってましたが、文春が裏取りしているから独自取材は必要ないとの考えで、全く同じ事をしている望月さんも同じ考えたでしょう 

その結果記事の矛盾に気付く記者は誰もおらず、橋下さんだけが気付いた 

本当に空気を読まない記者とはフリーホッターこと堀田さんみたいな人の事を言うんだと思います 

 

▲19 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

この女史は事実を追求する為の質問ではなく、自説を補完し肯定させるような言質を取る質問しかしないから、邪魔だと言われるのです 

書かれた記事などを見ても、客観的事実の報道と言うより、斜め上からの見方(言葉を選ばすに言えば思い込みによる偏向)のものしか目にしません 

基本ネットニュースしか見ないので、そう言うものしか目に付かない可能性はありますが、報道記者としてそのような記事が目につくことが、(資質として)問題だと思います 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

新聞に限らず報道機関の使命は事実を伝えること、権力の監視とか言ってる時点で報道機関失格。また望月記者は記者会見で質問ではなく自分語り、相手への言論による暴力に終始しており、記者としては不適格。 

これを空気を読まないと言うんだったら、空気を読まない記者を作り続ける東京新聞は今すぐ廃刊にすべき。 

それと批判に耳を傾けるとかほざいてるけど、まったく批判に耳を傾けてないよね。自己正当化に終始している。 

 

▲65 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

報道はXやインスタとは違うと思うがな。思想的なことや個人的な興味の話は報道としてやるのではなく、個人的な意見発信できる場ですれば良いこと。少なくとも報道を名乗るのであれば、きちんと社会の関心事項に寄り添って、社会的な責任ある会社としてやるべきだと思うな。報道という立場なのに、私が私がと自己主張が強すぎるから質問も面白くない。 

 

▲27 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

「記者が批判を恐れて権力に質問することをやめたら、その先には暗闇が広がるだけだ」というのはそうだとしても、質問をしないで自説を延々としゃべり続ける記者の擁護にはならない。昔も今も「短い質問で権力側からできるだけ多くの情報を引き出す」のが記者の役割だろう。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「空気を読まない」のは結構だが基本的な知識は身につけて欲しい。 

映画「新聞記者」で内閣府が設置を進める医療系新設大学が生化学兵器研究をしているのがスクープとあった。 

でも生化学兵器を研究をしないことにはそれに対抗するワクチンが開発できない。 

条件反射に「軍事研究=悪」と考えることを止めてもう少し考えてほしい。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

望月衣塑子さんの、記者としての使命感や情熱だけは理解できる。 

だけどジャーナリストとしての事実へのアプローチに危ういところがあるのが危惧するところ。 

そのところが如実にわかるのがアークタイムズで良く早とちりや不適切な発言をしているところ。 

でも、やはり権力と対峙していく上で、会見時の質問などでは、嫌がられてなんぼでしょう。 

ここはホントに評価したい。 

 

▲0 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

望月さんも彼女を擁護するこの方ももはや狂信的な宗教の一派だと思います。自分の教義に合わないことは一切拒否し攻撃する。だから端から議論にならず記者会見に言っても感情的に攻撃するだけ。これで真実を伝えるためにやっているとしたら下手で笑えない喜劇ですらない。そもそも防衛力は国を守るものであり我が国を脅かす周りの国々に一言も言及もない。私はわからないが他の真実を確認しようとしている冷静な記者に取って記者会見の場に参加されてはわめくだけの迷惑なだけの存在ではないのだろうか。 

 

▲10 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ネット報道番組「Arc Times」を見ていると、 

編集長・尾形聡彦氏は、当該事件や過去の類似事件等の詳細をきちんと把握し、言葉を選んで冷静かつ簡潔に発言している。 

 

一方、望月衣塑子氏は、記者会見では発言時間が長いものの、 

時々、鋭い質問をすることがあるが、 

 

この報道番組では、早口で話しているものの、当該事件の詳細を把握できていなため、言い間違えたり、曖昧な言い方が少なくない。 

このため、尾形聡彦氏が訂正したり、補足、解説している。 

 

望月衣塑子氏は、事実をきちんと整理、把握した上で、 

事実と自身の推定を明確に分けて発言したらどうか? 

 

▲160 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

せいぜい、SNS系のなんちゃって記者の先駆け的存在でしかない。 

国民が聴きたいことを場の空気を読まずに聴いてくれるなら素晴らしい。 

ただ、この記者は自分が聴きたいことを聴いているだけ。 

その上、人の話も聞かずに持論を述べたりもする。 

これでOKとするのはいかがなものかと思う。 

 

▲25 ▼3 

 

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報道ステーションで大越キャスターが記者会見の場では相手が誰であれリスペクトを持って発言を行うべきだとおっしゃっていましたが、色々な会見の場での望月記者の態度にそういった部分は微塵も感じられませんでした。会見を無駄に混乱させるような態度は褒められたものではないと思います。それを東京新聞が良しとしているのならば自分は東京新聞は読みたくないですね。 

 

▲22 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

いつの時代の話をしているの。 

「決してそんなことはない。逆に今の日本においては、その価値はより高まっていると考える」新聞社の人間だからそう言いたいのだろうが、発行部数はどう推移してるのか考えてみたら。 

それに東京新聞って、長く東京に住んでいたけどどこで売ってるかも知らなかったわ。 

望月が国家権力と戦ってるって本気で言ってるの、ルールを守らず、自分の考えをがなり立てているだけで質問でも無きゃ、何かを引き出そうとしてるとも思えないから批判されてるってわからないのかな。 

今は昔のように新聞と言えば記者と言えばどんな取材をしても良い時代とは違うのよ、それがわからないならもう新聞関係から離れたほうがいいんじゃないかな。 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

昔は東京ローカルの話題を丹念に拾っては渋い記事にしていたが、経営が左前になって中日の傘下になり、さらには他の新聞は読まない左翼的な講読者を狙って意識的に左っぽい「記事」に変えて、その都度内容を劣化させてきた。ここ10年、特に最近は実につまらない。この元編集長は「左でも右でもない」と言っているが、ある意味その通りだろう。何故ならば確信的に社の思想が左なのではなく、商売の観点から左を向いているだけだからだ。「記者」たちは、単にその道具されているに過ぎないのではないか。記事が書けなくてもよい。取材などで騒いで目立ってくれればよいと思われているのではないか。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

権力を叩いているつもりでも自分で何を言いたいのか相手に伝わらない。 

これって質問者として致命的。 

相手の確信をえぐるにはもっと相手の事を勉強しないといけない。 

感情論をぶつけても第三者には響かない。 

もし響くとすれば近所のおばさんの井戸端会議ぐらいでしょ。 

もっと相手を誘導する術を身に付けてかるから質問した方が良いですよ。 

 

▲12 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

権力に立ち向かわずに、皆が揃って叩く相手にのみ牙を向き支離滅裂な主張を繰り返すから嫌われるのだろうと思う 

つまり孤立無援で戦うのではなく、周りが味方でいくら叩いても反論しようがない(論理的に完封ではなく、立場上反論し難い)人を執拗に攻撃するだけの人 

この人いりますか?この人いなくなって困る人います?何かこの人は建設的に為した人ですか? 

叩きに叩いてたフジの経営陣は為してきた人たちですよね?擁護する訳ではないが、よっぽど社会的には必要とされた人な訳です 

望月記者は何かしました?もう一度聞きますけど、皆さん彼女や東京新聞なくなって困る人いますか? 

 

▲16 ▼1 

 

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記事の筆者をはじめオールドメディアのお歴々、更に受け手読書においても誤解甚しい。新聞は言論機関であり報道機関ではない。言論を通して己れや特定利益集団の利益獲得・拡大をはかる言論〝活動〟機関。ゆえに言論の自由を憲法においても担保されている。一方、放送法にあるように(放送局により遵守などされてはいないが…)公共の福祉に寄与するとの制約は新聞には一切ない。戦中、大本営発表をどこよりも煽りプロパガンダの最翼を担ったのが新聞であり、その後何の制約をも受けていない新聞が〝社会の公器〟を語る欺瞞と傲慢。更に公共の電波を使用するTV局を実質的に所有するいびつあさ。日刊新聞紙法により競争環境、是正環境を排除していることに言及もせず、超一等地不動産をただ同然での払い下げを受け財務基盤としている、等々。正義を声高に叫ぶより前にやることは山ほどあり、記事は全く陳腐な内容。 

 

▲0 ▼1 

 

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違和感しかない記事。(そもそも新聞の使命とは何でしょうか。人々の代弁者として権力を監視し、究極は「かけがえのない命」を守ることであり、二度と戦争をさせないことです)  

マスコミは世論を代弁してないし、使命は色眼鏡を掛けず中立的立場から事実を世間に知らしめる事じゃないでしょうか?そんなだからマスメディアは信用を無くしてるんだと思います。 

 

▲6 ▼0 

 

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問題視してるのは望月さんのような質問のやり方なので論点ずらしはやめてほしい 

論点ずらしは左翼お得意の手法です 

権力と戦うとか空気を読まないのはけっこうですが 

記者が会見の場で自説を長々と主張してはいけない 

記者会見は主催者が弁明したり謝罪したり説明などする場であって 

決して1人の記者が自論を主張したり気に入らない主催者を糾弾する空間ではないです 

 

▲24 ▼0 

 

 

 
 

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