( 265824 ) 2025/02/15 18:29:22 1 00 渡邊渚さんは、2020年にフジテレビに入社し、アナウンサーとして活躍していたが、2023年に
PTSDになった経験から、SNSを通じて自らの思いを発信し、孤独な日々を乗り越えたと語っている。
自らの心と向き合い、心理学や哲学を学びながら自己の結論を出す中で、許すことの難しさや、過去のトラウマから解放される過程について語っている。
最後に、渡邊渚さんは現在、フリーランスとしてエッセイ執筆やモデル業、講演など幅広い活動を展開しており、Instagramでファンと交流している。 |
( 265826 ) 2025/02/15 18:29:22 0 00 撮影/水野昭子
「私は人生最悪の経験を経て、もう世間体を気にするのはやめてやりたいことをやり、自分らしく生きていこうと心に決めました。
自分の人生をどうするか、選ぶのは自分自身です。PTSDになった人や精神疾患になった人でも、再び仕事ができるようになり、笑えるようになることを、身をもって証明し続ける人間でいたい。今はそんなふうに思っています」
こう語るのは、渡邊渚さん。
2020年にフジテレビに入社し、アナウンサーとして活躍していた2023年6月、仕事の延長線上で起きたことが原因で
FRaUによるインタビューを3回にわけてお届けする第1回では、出版に至った経緯と自身のPTSDと向き合っての気づきを伝えた。冒頭の言葉もその時のもので、明確な意思が感じられる。第2回では誹謗中傷の声も多かった、休職中のパリ五輪の話やPTSDからの回復について聞いた。
実際の友人・知人との会話より、SNSでのやり取りに力を貰った時期もあったと語る渡邊さん。PTSDと向き合う孤独な日々のなかで、自身と社会とを繋いでくれたのがSNSだったと振り返る。
「皆のいるところから切り離され、社会からどんどん遠ざかって孤独を感じる生活のなかで、SNSが唯一、自分と社会を繋ぐ手段でした。憶測でいろいろなことを書かれるのが嫌だったというのもありますが、当時の私にはSNSしか社会と繋がるすべがなかったのです。
休んでいる間、自分が何を考えているか口にできなかったことで、世間に対して嘘をついている、隠し事をしているような気がずっとしていたというのもあります。なのでSNSを通して、その時々の自分の思いを正直に発信していこうと思ったのです。体調を崩してからもSNSでの発信をやめなかったのは、『私の言論は止められない』と示すためでした。
私が自分の体調について明かし、入院していたことを発信してから、たくさんの方が応援のメッセージを送ってくれました。ものすごく励みになりましたし、なかでもPTSDを経験した方からの『こんなふうに過ごすといいですよ』というアドバイスはとても参考になりました」
SNSは便利なツールだが、ときには心無いコメントが寄せられ、傷つくこともある。渡邊さんは開設当初からずっと、コメント欄をオープンにしてきた。そこにはある思いがあったという。
「コメントにはネガティブなものもありましたが、コメント欄を閉じようとは思いませんでした。コメント欄を閉じずにいれば、私と同じような症状に悩む人たちと情報を共有できる。それだけに、何があってもオープンにしたままでいようと思ったのです。
批判的なコメントに傷つけられることもゼロではありませんが、『そういう意見もありますよね』とできるだけ冷静に受け止めるようにしています。あまりそこにイライラしたり、感情が大きく左右されることはないです。
というのも、何を言われようがPTSDのきっかけになったトラウマ体験に比べたら、全然キツくないからです。そちらの出来事のほうが大きすぎて、それ以上に傷つくことなんてもう私にはないんですね。だから何を言われても、つらいですけれど、気持ちが揺さぶられることはありません。
もちろん世間の皆さんの意見は大事ですし、客観視して受け止めるべきところは受け止めるつもりでいます。でも、もっとも大切にすべきは私を心配してくれる方々であり、一緒に仕事をしてくださる人たちなので、他のことはそれほど気にする必要はないのかなと、今はそんなふうに考えています」
渡邊さんの社会復帰については、ネット上でもさまざまな意見が飛び交っている。なかでも目立つのが「PTSDの克服が早すぎる」という声だ。しかし病やケガの自覚症状には波があるもの。精神科医の内田舞さんはFRaU webの取材に対し、「たとえばひざに疾患がある人が調子のいいときもあれば雨の日は調子が悪いとか、歩きすぎたなと思ったらひと月歩けなくなるとか、様々ですよね。脳も臓器なので、調子がいいときは何も問題ないけれど、何かの際にぶり返してしまうこともあります」と語っている。治療法も絶対というものがあるわけではなく、ある人に効果のあったものが、誰にでも合うとは限らない。
「私は『持続エクスポージャー療法』を経て、再び仕事ができるまでになりました。『PTSDになった人間が1年半で復帰できるわけはない』と言う人もいますが、PTSDは永遠に治らない病気ではありません。
うつ病をはじめとした他の精神疾患もそうですが、きちんと治療を受けて規則正しい生活をしていけば、ある程度もとの暮らしに近いラインまでもっていくことができます。
ただ症状には波があるので、気持ちが落ちているときは『もう何もできない』という精神状態になりますし、頭の中が真っ暗になって動けない感じが長く続くこともあります。
私の場合は『ちょっと元気になったから外に出てみようかな』と思っても、自分の顔を知っている人に見られたらどう思われるかが気になって、足がすくんでしまうこともありました。そんな私にとって一歩を踏み出すきっかけになったのが、2024年夏のパリオリンピックだったのです」
2024年夏のパリオリンピック。ずっとバレーボールを取材し続けてきた渡邊さんは、なんとかして現地で試合を観戦したいと思うようになった。著書『透明を満たす』にはこう書かれている。
“道理として会社に在職中にオリンピックに行くのは嫌だったので、それまでに退職できる予定でいた。しかし手続きが難航し、7月中に辞めることができなくてとても困っていた。ただ、ここまできてバレーボールとオリンピックを諦めたくない。これだけは譲れないと思って、私のポリシーには反していたが、8月になるとパリに向けて旅立った。(『透明を満たす』より)”
前出の内田医師も「『できるときにやりたいことをやる』のは、PTSDの大切な治療法の一つです。(中略)例えば、PTSDで学校に行けなくなりましたという子どもが、文化祭だけは行ったとか。『文化祭に行きたい』と思うことができ、実際学校に行く行動ができたというのは大きな前進で、『文化祭に行けた』という体験が次のステップに繋がる自信になるかもしれません。みんなで祝うべきことですね」と言う。実際に渡邊さんは、パリに行ったことで体調が劇的に改善したのだという。
「パリに行くと決めて旅支度を始めてから、不思議なもので気持ちがどんどん前向きになって。『人間、やりたいことがあるとこんなに元気が出てくるんだな』としみじみ思いました。
日本にいるときは誰にも見られないよう常に下を向いて歩いていたのに、パリでは顔を上げて堂々と歩ける。それだけですごく元気になれましたし、帰国後はたくさんの人から『顔色が全然違うね!』と言われました。自分でもやる気が満ちてくる感覚があったので、本当に行って良かったと思いました。
パリ行きについては、いろいろなご意見をいただきました。でも闘病中であれ健康であれ、人にはやりたいことをやり、行きたいところに行く権利があります。私もパリに行ったおかげで、つらい持続エクスポージャー療法を頑張って乗り越えようと思えましたし、日常生活でできることも明らかに増えました。
病気やケガで入院した際、『退院したら○○を食べよう、△△へ行こう』と先の計画を立てることが励みになりますよね。ぜひ精神疾患も、同じ理論で見てもらえると嬉しいなと思います」
トラウマ体験をしてから、なぜ自分がこんな目に遭わなくてはいけなかったのか、その理由が知りたくて心理学の本や哲学書を読みあさったという渡邊さん。自身の心と向き合い、とことん考え抜いた末に出した結論とは?
「本によると、犯罪を抑制する因子がいくつかある中に『社会規範を重視する』というものがあるそうなんですね。社会規範を守るという信念、要はその信念が当人にあるかないかだ、と書かれていました。
じゃあ信念がない人ってどういう人なんだろうと考えたときに、善悪の判断がつかない人なんだろうなと思ったんです。自分がされて嫌なことは人にもしない、それすらわからない人なんだろうなと。そして世の中にはそういう人がいるのだ、と理解しようとしました。
でも、できなかった。すごく学んだけれどできなかった。だって私は、嫌なことをされた側だから。やる側の気持ちを100%理解することは、どうしてもできなかったんです。それができれば心理学を極められるのでしょうが、私はそこに行けないと思いました。
哲学書も読みました。そして『許すって何だろう?』と何度も考えました。この出来事については今も許せませんし、そもそも許す必要もないのですが、それに囚われ続ける自分も嫌ですし、何より心がつらい。結果として行きついた答えは、『やられた側は許さなくていいし、納得できないならできないままでいい』というものでした。
ただ、許さないというのは、関わったものを破滅させたいということではありません。自分とは一切関わらない、違う世界にあってほしいとは思うけれど、それ以上の気持ちもそれ以下の気持ちも持っていません。第一、そこに囚われている時間がもったいないですしね。治療を経て『もうどうでもいいか』と思えるようになって、ほんの少しだけですが気が楽になりました」
渡邊渚(わたなべ・なぎさ)
1997年4月13日生まれ。新潟県出身。2020年にフジテレビにアナウンサーとして入社。2024年8月末に同局を退社し、以降はフリーランスとしてWebサイト等でのエッセイ執筆やモデル業、バレーボール関連のMCやメンタルヘルスにまつわる講演など、多彩に活動する。
Instagram (@watanabenagisa_)
『透明を満たす』
「わがままを言わなかった」幼少期からはじまり、「これまで」と「今と、これから」を率直につづったフォトエッセイ。PTSDとはどのようなものなのか、治療に必要なことは何だったのかも著者の体験をもとに具体的に描かれている。PTSDに限ったことではなく、「自分の人生をどう生きるか」を考えさせられ、だれか他人の人生を尊重する重要性も感じさせられる一冊。あとがきに「誰もが心の声を発せられて、生きづらさを感じず、理不尽な思いをしない透明性の高い社会になることを願いながら」とある。
スタイリング/Yoko Tsutsui(PEACE MONKEY) ヘアメイク/Sayoko Yoshizaki(io)
上田 恵子(ライター)
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