( 266264 ) 2025/02/16 17:45:07 1 00 「鉄道オタク」の批判的なコメントが多く、それが鉄道に関する記事を書くライターを嫌な気持ちにさせている。
鉄道趣味には宗教のような側面があり、絶対的な価値観や巡礼のような行為、排他性があると見られる。
鉄道趣味が宗教的な要素を持つ一方で、宗教とは異なる点もあることが指摘されているが、一定の妥当性があるとされている。 |
( 266266 ) 2025/02/16 17:45:07 0 00 鉄道(画像:写真AC)
ルポライター・昼間たかし氏が執筆した当媒体の記事「『鉄道オタク』はなぜ攻撃的なのか? SNSで暴走する“ネット弁慶”たちの正体! 美しき『鉄道文化』をかき乱す承認欲求とは」(2025年2月8日配信)は、300件以上のコメントを集め、大きな反響を呼んだ。記事では、一部の鉄道オタクの過激な反応が、鉄道に関する執筆を避けるライターが多い理由の一つとして挙げられている。
鉄道記事へのコメントには、事実関係の指摘にとどまらず、「○○に触れていない」「○○の視点が不足している」といった、本質とはかけ離れた攻撃的な内容も多く、ライターが萎縮する原因となっている。記事の要点は、オタク文化における「知識の深さ」が、以下の理由から攻撃的な行動を引き起こす要因になっている点にある。
・現実社会で評価されない ・社会の主流から外れ、関心を持たれない ・経済的なリターンが限られている(ライターや評論家などでない限り)
このジレンマにより、オタクはインターネット上で知識を誇示し、承認を得ようとする。しかし、知識の競争は次第に過熱し、誤った情報の指摘や「にわか」批判を通じて、自らの優位性を示そうとする傾向がある。
その結果、議論が対立的になり、ネット上での誤り指摘が自己目的化することがある。オタク文化では細部へのこだわりが強く、誤りを正すことが「格」を高める手段とされるため、オンライン上の承認欲求が激化し、批判的な言葉が評価されやすく、議論が過熱しやすい。
記事内では、あるベテランライターが
「鉄道オタクは鉄道会社が『絶対正しい』と信じる傾向があり、鉄道趣味には宗教的な側面がある」
と指摘している。この「鉄道趣味は宗教的な側面がある」という見方は果たして妥当なのか。本稿では、この点についてさらに掘り下げて考える。
鉄道(画像:写真AC)
宗教は一般的に、信仰の対象を持ち、それを中心にした価値体系や儀礼をともなう社会的・文化的な活動と定義される。この定義を鉄道趣味に当てはめると、いくつかの共通点が見えてくる。
まず、鉄道趣味における絶対的な価値観が挙げられる。宗教には「この教義が正しい」といった絶対的な価値観が存在し、鉄道趣味にも同様に強い信奉が見られる。例えば、
「国鉄型車両こそ至高」 「L特急が消えたのは鉄道文化の衰退」 「新幹線よりも在来線特急のほうが風情がある」
といった意見を持つ鉄道ファンが少なくない。また、特定の鉄道会社や政策を批判する際には、
「かつての鉄道はよかった」 「民営化がすべてを悪くした」
といった二項対立的な価値観が顕著に現れる。このような意見は、宗教における「善と悪」の構図を彷彿とさせる。
次に、鉄道趣味における儀式的な行為と巡礼の側面も挙げられる。宗教には信者が繰り返し行う儀式や、聖地巡礼のような行為があるが、鉄道趣味においてもこれに似た行動が見られる。
例えば、特定の路線や車両に何度も乗る「乗り鉄」の行動は、ある種の巡礼のようなものだ。また、鉄道イベントでの「撮影会」や、駅弁を食べながらの長距離旅行も、儀式的な側面があるといえるだろう。さらに、廃線跡を訪れることを「供養」と表現するファンもおり、鉄道文化には確かに儀礼的な側面が存在している。
最後に、鉄道趣味における教義に基づく排他性の問題がある。宗教が内向きになり、異なる価値観を持つ人々を排除するように、一部の鉄道オタクにも強い排他性が見られる。
特にインターネット上では、「にわか」と呼ばれる初心者に対する排斥が目立ち、
「基本を知らないやつが語るな」 「そんなことも知らないのか」
といったコメントが頻繁に見受けられる。知識を共有するよりも、その優位性を誇示することが目的化している場合も多く、これが「正統な信者」と「異端者」を区別する宗教的な構造に似ているといえるだろう。
鉄道(画像:写真AC)
一方で、鉄道趣味には宗教とは根本的に異なる点もいくつかある。
まず、鉄道趣味には絶対的な教祖が存在しないという点だ。宗教には預言者や神のような「教祖的存在」がしばしば登場するが、鉄道趣味の場合、確かに有名な評論家や研究者は存在するものの、彼らが「信仰の対象」となることはない。むしろ、鉄道愛好者は各自が自分なりの価値観を持ち、それを楽しんでいるため、個人主義的な趣味であるといえる。
次に、鉄道趣味には救済や倫理観が存在しない。宗教には人生の意味や死後の世界に関する教え、また倫理的な規範があるが、鉄道趣味にはそうした要素はほとんど見られない。例えば、特定の鉄道会社の政策を批判することはあっても、「鉄道を愛する者はこうあるべき」といった明確な倫理的規範は存在しない。
最後に、鉄道趣味は宗教ほどの社会的影響力を持たない。宗教は人々の価値観や社会制度に深く影響を与えるが、鉄道趣味が社会全体に与える影響は限られており、せいぜい鉄道会社の施策や鉄道イベントの開催に影響を与える程度だ。社会全体に対する影響力は、宗教と比較すると圧倒的に小さいといえる。
鉄道(画像:写真AC)
鉄道趣味が「宗教的」と表現される理由は、いくつかの要因に起因していると考えられる。
まず、鉄道オタクのコミュニティーは非常に強固であり、同じ趣味を持つ仲間とのつながりを重要視する。共通の知識や価値観を持つことに誇りを感じるこのコミュニティーは、外部の視点が入りにくく、内向きな文化が形成される。この点が、宗教団体の結束力に似た構造を持っていると指摘される。
次に、鉄道趣味は膨大な知識の蓄積が求められる分野であり、その知識の継承が非常に重要視される。
・国鉄時代の車両形式 ・ローカル線の歴史
など、長年にわたる知識の積み重ねが求められ、これが宗教における教義の伝承と似た性質を持つため、「宗教的」と表現されることがある。
さらに、SNSの普及により「知識の競争」が加速した。知識を持つことがステータスとなり、それを誇示するために他者を攻撃するケースが増えている。鉄道に対する信仰の強さが「神」ではなく「鉄道」に向けられるようになったことは、信仰心の性質が宗教と似た形を持つようになった一因ともいえる。
鉄道(画像:写真AC)
「鉄道趣味が宗教的な側面を持つ」という指摘には、一定の妥当性がある。
鉄道趣味には特定の価値観を強く信奉する姿勢や儀式的な行動、排他性といった宗教の特徴に似た側面が見られる。
しかし、鉄道趣味には宗教のような教義や倫理観は存在せず、あくまで「共通の文化を持つ趣味」として位置づけられる。
結論として、鉄道趣味は宗教的な要素を持つが、「宗教そのものではない」といえる。
県庁坂のぼる(フリーライター)
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