( 266493 ) 2025/02/17 05:19:13 2 00 平成の特別番組「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」 なぜバスはクレーンで吊り下げられたのか? 過激な笑いが許された時代を読み解くMerkmal 2/16(日) 14:51 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f494e9b77f1dde8190a9b4643d578e65bc07985c |
( 266496 ) 2025/02/17 05:19:13 0 00 廃バス(画像:写真AC)
「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」の名物企画「バス吊り下げアップダウンクイズ」を覚えているだろうか――。同クイズは、その名の通り、誤答した解答者が乗るバスが海に吊るされ、再びクイズに挑戦するが、間違えればそのまま水中へ沈められる。現代の価値観で振り返ると、この演出には倫理的な疑問が噴出する。
なぜ、これほど過激な演出が当時の社会でエンターテインメントとして許容され、笑いとして受け入れられたのか。その背景には、時代の空気やテレビ文化の構造、視聴者心理が深く関わっている。
本稿では、それらを掘り下げることで、この番組を単なる「懐かしのバラエティ」としてではなく、社会現象として読み解いていく。
DVD「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(画像:バップ)
「お笑いウルトラクイズ」が放送されていた1989(昭和64)年から1996(平成8)年は、日本経済がバブル期から崩壊へと移り変わる激動の時代だった。この時期のバラエティ番組は、視聴者の「非日常」への欲求を最大限に満たすために過激化し、体を張った芸人たちが“消費”されることを前提とした構造を持っていた。
テレビは視聴率競争のなかで、いかに「ありえない」光景を作り出すかに心血を注いでいた。バスがクレーンで吊るされ、海に沈められる演出は、その極端な例だ。視覚的インパクトを追求したコンテンツの象徴であり、経済的余裕がある時代だからこそ、「これほどのことができる」という誇示が視聴者の快楽につながり、制作側もさらに過激な演出を競い合った。
バブル崩壊後、不景気が深刻化するにつれ、社会全体がストレスを抱え、それを発散する手段として「芸人がひどい目に遭う」ことが一種のカタルシスとなっていた。こうした時代の空気とテレビの消費文化が重なり、「バス吊り下げアップダウンクイズ」のような演出が受け入れられていった。
平成時代のテレビイメージ(画像:写真AC)
当時のテレビ業界では、規制が緩かったこともあり、「どこまでやれば視聴者が驚くのか」という挑戦がエスカレートしていた。特に日本テレビのバラエティ番組は、放送倫理よりもインパクトを優先する傾向が強かった。
番組が「出演者の自主的なリアクション」を強調することで、視聴者の罪悪感を薄めていた点も重要だ。ボロボロのバスに乗るのが「恒例」となり、たけし軍団やダチョウ倶楽部のような常連出演者が自ら進んで体を張ることで、「彼らが望んでやっていること」という文脈が作られていた。これによって、視聴者も「笑っていい」という暗黙の了解を持ち、倫理的な問題を意識せずに楽しめる仕掛けになっていた。
当時の視聴者には、「ヤラセ」という概念もある程度共有されていた。
「本当に危険なら放送しない」 「実際は安全に配慮されているはず」
という無意識の前提があったからこそ、安心して楽しめた部分もある。現代のようにSNSで個々の倫理観が即座に可視化される環境ではなく、あくまで「テレビの中の出来事」として受け止められていた。
クレーンのイメージ(画像:写真AC)
人はなぜ、他人が酷い目に遭うのを見て笑うのか。この問いは古くから議論されてきたが、ひとつの答えは「制御された危険」にある。サーカスの綱渡りやジェットコースターと同じように、「危なそうに見えるが、本当は安全」という状況は観客に快楽を与える。
「バス吊り下げアップダウンクイズ」の場合、視聴者は
「これはテレビの演出であり、最悪の事態にはならない」
と理解していた。しかし、海に落とされる瞬間のスリルはリアルであり、そのギャップが笑いを生んでいた。これは「予定調和の崩壊」ともいえる。正解すれば戻れるが、誤答すれば落ちるというルールがあるからこそ、芸人たちが“わざと”ボロバスに乗る状況がさらに面白くなる。視聴者は「彼らは落ちる運命にある」とわかっていながら、その瞬間に快感を得ていた。
また、笑いには「集団的合意」という側面もある。当時の視聴者は、「芸人が体を張る」というテレビ文化を共有していたため、それを笑うことに疑問を抱かなかった。現代ではSNSによって個々の価値観が可視化され、同じような企画が放送されれば即座に批判される。しかし、当時はテレビが「笑いの基準」を一方的に決定できたため、「笑っていいもの」としての地位が確立されていた。
現在、このような演出が許されなくなったのは、
「笑いの前提」
が変わったからだ。視聴者は、テレビの出来事を単なるフィクションとして割り切るのではなく、現実の延長として捉えるようになった。SNSの普及によって個々の倫理観が即座に共有され、「これは行き過ぎではないか?」という疑問が可視化されやすくなった結果、
「過激 = 面白い」
という価値観が崩れた。
労働環境の変化も影響している。芸人が体を張ることが「職業上のリスク」として認識されるようになり、企業も出演者の安全を守る責任を強く問われるようになった。かつては「消費されるエンタメ」だったものが、
「守られるべき権利」
へと転換したのだ。
テレビとリモコン(画像:写真AC)
「バス吊り下げアップダウンクイズ」が許された理由は、単なる時代の空気ではなく、視聴者の価値観やメディアの構造、笑いの心理といった複数の要因が絡み合った結果だった。
そして、それが現代では許されなくなったのも、社会の変化に適応した結果だ。
テレビのエンタメは常に時代とともに変容していくものだ。
「何が許され、何が許されないのか」を考えること自体が、私たちの価値観の進化を映し出しているのかもしれない。
山腰英二(カルチャー系ライター)
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( 266495 ) 2025/02/17 05:19:13 1 00 お笑いウルトラクイズについて、過激な企画や身体を張った芸人たちの活躍、安全配慮に関する議論などが挙がっていました。 | ( 266497 ) 2025/02/17 05:19:13 0 00 =+=+=+=+=
お笑いウルトラクイズで過激な事をやっていたのは、たけし軍団のメンバーやダチョウ倶楽部など、たけしさんと信頼関係があったからこそ過激な事ができたわけで、 視聴者もその信頼関係を知っているからこそ、過激な事をやっているけど(根拠はないけど)大丈夫だろう、と見ることができたのではないかと思う。
元々たけしさんと信頼関係があった芸人だけではなく、 それまではウンナンの仲間だった出川さんが、お笑いウルトラクイズに出演して過激な事をやったのをきっかけに、リアクション芸人としてブレイクした例もあった。
▲141 ▼8
=+=+=+=+=
かつて売れっ子だったのに、当時は落ちぶれていた芸人をまた世に出る機会を与えたり、一度も陽の目を見ず、燻っていた中堅どころをブレイクさせるきっかけを作るといった、あるいみ芸人にとっては救世主のような番組でしたね。 ポール牧の百裂パッチンは面白かったですし、これ以降にまた仕事が増えましたしね。 ダチョウ倶楽部もこの番組とスーパージョッキーに出たおかげで、「押すなよ!」とかのお約束が浸透して、スター街道を駆け上がったイメージ。
▲129 ▼5
=+=+=+=+=
この時代は、社会全体がお互いそれなりの納得をしていたと思う。たけしさんの関係しているタレントグループにしてみれば、「何があっても、危険が多少あってもそれで笑いと取る」という了解があった。もちろん、ケガなり事故もあったでしょうが、それも含まれていると思う。同時代に、西部警察などのアクション刑事ドラマが存在した。爆発・カーチェイスは当たり前で撮影されていた。世の中全体が許容していた。今はその許容範囲がなくなり、まず「苦情」「クレーム」が入る。ネットのコタツ記事があたかも正論のごときものとなっている。お笑いウルトラクイズだけじゃなく、他もそうでしたね。
▲113 ▼3
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お笑いウルトラクイズとか、昔のバラエティに出ていた芸能人は、本当に命がけだったと思う。ダチョウクラブなんか、マムシに噛まれてもそれを他の番組で自慢するくらい凄かった。だけど、今の時代じゃ、コンプラが厳しいからとてもじゃないが作る事などできない。いくら、安全を考慮しても、実際に大怪我をしたり、死亡事故だってあった。それにあの頃は、毎月、「親が子供に見せたくない番組ランキング」なんてのもあった時代。
▲55 ▼3
=+=+=+=+=
お笑いウルトラクイズは、名前とは全く別の大バラエティー番組と思った。たけしさんを始め、こうなると予想できたからこそ、予めリハーサル等を行い事前準備も万全にして放送できた。見てて面白かったし、出演者には伝えていたと思う。 今は、いじめの原因になったり、演出ばかりで、嫌みにしか見えなくなってきた部分があり、ひとつの役割が終わった気がする。
▲39 ▼4
=+=+=+=+=
テレビに品行方正を求めておらず、非常識なのがテレビというのをわかった上で見ていた人が大半だったからね。 親がテレビばっかり見ていたら馬鹿になるよ、こんなの実際やったらダメだから面白いんだ。と親が言っていた。ドリフが子供に人気だったのも、やっちゃいけない事をやっていたから。それを踏まえた上で笑っていたわけで、子供もある意味大人びてたかもね。 コンプライアンスや法令遵守と言われていなかった時代は、臨機応変という言葉がよく使われていて、社会的に寛容なところがあった。よくまぁまぁこれぐらい、とか。事なかれ主義とマイナスな感じで言われていましたからね。
▲20 ▼1
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ドリフのような大掛かりなセットであるものの一線を超えないものであることがわかるものなら確かに集団的合意を形成することができると思う。観客がいる中で行われたものの場合はその場に居合わせた人も共犯関係になれた。 だが、この記事で触れられている芸人を載せた廃バスをクレーンで沈める演出は当時であっても行き過ぎたものであり、仮に事故や命を落とすような事態に直面すればもれなくニュースとして報じられてもおかしくないはずである。 少なくとも、その後の映画で評価が改まる前の嵐を呼ぶ園児が主役のギャグアニメのようにPTAから子供に見せてはいけない番組に指定されていたと思う。 それでも、芸人や制作もある意味必死だったこともあり、このような批判があったとしても一切受け付けずに作り続けることにはなったとは思う。 北野の番組では熱湯風呂も有名だが、生着替えまでさせるものを日曜の昼間に流していたことは今ではありえない。
▲19 ▼72
=+=+=+=+=
毎回オープニングで流れていた、スタートレックの壮大なテーマ曲が思い出される。 破茶滅茶な企画と予測がつかない展開に終始振り回されながら、テレビの前で大笑いしていたあの頃。 何かにつけて倫理の壁が立ち塞がる現在より、よほど自由で幸せな時代であったと言えるのかも知れない。
▲51 ▼3
=+=+=+=+=
この時代まではまだ家族揃って一つのお笑い番組を観ることが出来た。 ただダウンタウンが出てきた頃から、そうはいかなくなってしまった気がする。 制作側もドリフや新喜劇のような万人受けするような番組よりも、特定層からの関心を確実に引くものを好んだ気がしないでもなかったし。
▲61 ▼4
=+=+=+=+=
バス吊り下げアップダウンクイズに特化された記事のようですが、お笑いウルトラクイズはその他にも数々の伝説となるクイズを生み出しています。
パッと思いつくだけでも、熱川ワニ園でのワニとのご対面クイズ。桜金造の(ワニが)「シューって言ってるよ!シューって!」の悲痛な叫びはテレビ史上に残る名言です。
そして人間性クイズ。チャンバラトリオ結城師匠は○○がお好き。結城師匠が逆ドッキリを仕掛けられて上島とムチの打ち合いになって大爆笑。
あと、ロケット発射クイズ。海に向かってロケットのように飛び出していく時、上島のパンツがうまく脱げてみんな大喜びで大団円!
若干記憶間違いがあるかもしれませんが、だいたいこんな感じでお笑いウルトラクイズはとにかく面白かった。
今はとにかく無難と清潔さが求められる時代ですがいずれ揺り戻しが起こって、この時代に戻っていくことになると思います。
▲60 ▼2
=+=+=+=+=
結局、どうでしょうもテレ東の一連の旅企画も出演者がヒドい目に遭うから面白くて共感できる、って面は否めないよね。ただ、そのヒドい目ってところのさじ加減が「交通」って言う不可抗力に左右されてるから楽しめる。それが企画者100%になってしまうとただのイジメとしてコンプライアンスに差し障るって図式のような気がする。
▲9 ▼1
=+=+=+=+=
当時毎回お笑いウルトラクイズ見てたけど、記事にあるような後追いの細かい分析を冷静に分析するような番組じゃなかったと思う。最初のお笑いウルトラクイズと比べると分かるけど、ひたすらより過激にって方向行ってたから。
▲51 ▼1
=+=+=+=+=
>この時期のバラエティ番組は、視聴者の「非日常」への欲求を最大限に満たすために過激化し、体を張った芸人たちが“消費”されることを前提とした構造を持っていた >テレビは視聴率競争のなかで、いかに「ありえない」光景を作り出すかに心血を注いでいた。バスがクレーンで吊るされ、海に沈められる演出は、その極端な例だ >バブル崩壊後、不景気が深刻化するにつれ、社会全体がストレスを抱え、それを発散する手段として「芸人がひどい目に遭う」ことが一種のカタルシスとなっていた >「本当に危険なら放送しない」 「実際は安全に配慮されているはず」 という無意識の前提があったからこそ、安心して楽しめた部分もある
→10年ほど前、さんまとたけしが日テレでやってた特番で、まさにこの『「バス吊り下げアップダウンクイズ」を今やろうとしたらどのくらい注釈テロップが必要か』というVTRを流していた。 詳しくは返信にて。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
番組制作会社の安全に配慮しているというのが、実はとんでもなく杜撰で、信用ならないものだということが明るみに出たからでしょ。例えばいまだって、マジックショーで箱に閉じ込めた人を剣で滅多刺しにするみたいなものは、種のも仕掛けもあって、安全だとわかっているから許されているわけで。 本当に安全なショーと、勢いでやってただけの事故と紙一重のショーが区別される真っ当な世の中になったんだからいいことだよ。
▲20 ▼32
=+=+=+=+=
バス吊り下げアップダウンクイズはお笑い史上屈指の名企画だ。 ベタな展開とリアルに死んでしまいそうな緊張感が例えようのない笑いを生み出している。 童謡さっちゃんのくだりは本当によく出来ている。
▲26 ▼2
=+=+=+=+=
『現代のようにSNSで個々の倫理観が即座に可視化される環境ではなく、あくまで「テレビの中の出来事」として受け止められていた。』
まさにこれ。 これが真に受ける人がたくさんいすぎて、テレビがつまらなくなったと思う。当時もドリフ見て食べ物を投げるなとかクレーム言う人いたけど、そこまで多くなかったな。
▲26 ▼0
=+=+=+=+=
「ミスターパワハラ」のテリー伊藤氏が大活躍していた古き良き時代。私はリアルタイムで見て腹を抱えて笑っていましたがラジオ番組で松村邦洋さんが話していたのが「バスアップダウンクイズ」は日本テレビ史上最大数のクレームが来たそうですね。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
昔は、芸能人=それしかできない だからハイリスクハイリターンの異常な世界が存在できた。 今じゃお笑い芸人がスクールに通いデビューする時代、覚悟が違うし見ている方がお利口になりすぎ、スポンサー攻撃などをするから益々コンプラ優先でつまらなくなった。オワコンにしたのは日本人にお利口が増えたからだろうな。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
お笑いウルトラクイズと言えば、予め真っ二つになっている廃バスを段ボールで繋いでカースタントで飛び込んだら爆発。というお約束でしたね(^^)カースタントクイズも面白かった。
▲24 ▼1
=+=+=+=+=
素朴な仮説です 現在ネットでは過激な映像がゴロゴロ転がっています コンプライアンスがゆるゆるだったと批判や懐古の対象になっている昭和平成期のテレビでも問答無用で規制されていたレベルの映像です より巨大な悪に簡単にアクセスできるようになった結果、逆に公共性の高い放送事業に対して過剰な清廉さが求められるようになった ・・・って部分は無いのでしょうか
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
お笑いスター誕生もそうだけど、日テレは無名な若手を発掘するのがうまい。フジテレビは人気のタレントを常に抜擢するのがうまかった。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
>「本当に危険なら放送しない」「実際は安全に配慮されているはず」
プロレスリングの周りが粘着トリモチの様なもので埋められており、落ちた芸人が張り付くというリアクションをする場面の時。
誰か忘れたけど、落ちた瞬間に誤って鼻と口の両方をトリモチが塞いでしまい、息が出来なくなるので周りの芸人が一斉に助けに向かうというシーンがありました。
子供ながらに「一応、本当に危険な事は分かってるんだな」と思ったものです。
なぜかそのシーンは放送されてましたが、実際は放送出来ないようなケースも多かったのでしょうね。
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
テレビ局は無茶なことをやってるがちゃんと裏では安全を確保してるんじゃないかというのがあったので当時は許された ところがバラエティで死亡事故や負傷事故が起きて実際には安全確保なんてされてないことが分かりダメでしょということになったんですよ
▲6 ▼3
=+=+=+=+=
お笑いウルトラクイズで寛容な部分があるのは沖縄行くと必ず米軍が付き、各分野のジャンルで有名な人が出て、またそれはそれで面白かったし、時には、たけしさんをクイズに答える側に回り、師匠の前で面白さを出してたりしてたなぁ。それに福島なら、映画よりも先取って、スパリゾートハワイアンズのハワイアンダンサーも見れたっけ
▲20 ▼0
=+=+=+=+=
結局、「あの人たちは芸人だから大丈夫だよ」と言われて信じ込んでいた、あの時代の感性や空気の方を疑うことになる。
常識の中央値が今よりも過激な側にあった時代だから、それが普通であって平和。
今は、少なくともヤバい事は知れてしまっているので、本当にダメなら各個に当たればカタを付けてしまえる。 あの時代は、ダメだと言った人間が全員からボコボコにされて終わり。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
ドリフのようなネタを作り込むような笑いじゃないからね。ドリフは今見ても面白いのに過激な笑いが普通になってしまったのは世間がそういう笑いを求めたというより現場のレベル低下だったりなのかと…
▲6 ▼6
=+=+=+=+=
あの当時は何でもアリで本当に楽しかったですが、今はすぐコンプラとか本当に窮屈で生きづらい世の中になったし、不景気だったあの時代よりも今は不景気に感じるし、自殺者も増えてる。私利私欲でしか動かない議員しか居ないし本当に今の日本はオワコンだと思う。
▲33 ▼5
=+=+=+=+=
今の時代、何かあるたびにコンプラだ、ハラスメントだと騒ぐ大人も、ガキの頃はそういう番組を見て笑って成長していっただろうに。
良く言えるなと思う。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
確かたけしさんも仰ってましたが、やられる芸人さんの達の方が積極的で進んでやられる、やられた方が喜ばれるとw だから面白いものが出来上がったのでしょう。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
車使った企画は面白かった、バスのアップダウンクイズは一時行方不明者が出たかと騒然としたことも。宅八郎や竜兵ちゃん、ポール牧の活躍が懐かしい。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
「その時代の価値観」は永久不変ではない。 この国には、価値観は、極端から極端に吹っ飛ぶ。 90年代の価値観が、現代では通じなく成ったが、今から30年後の価値観が、2025年と全く同じではないだろう。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
今唯一このパターンの番組を作り続けてるのがドッキリGPである事は言うまでもないが、プロデューサーが「あの人」だった事を考えると、放送終了は近いんだろうな。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
バスに車が突っ込んで爆発する企画もありましたね。因みに突っ込む箇所は事前にバスの車体をカットしてベニヤ板で細工してありました。
▲23 ▼0
=+=+=+=+=
バス吊り下げ。 見てました。 ポール牧師匠と上島竜兵らの人間性クイズとかも面白かったな。
今のテレビやお笑いは過激さがなくなって全然面白くない。
漫才なんかしらける。
▲51 ▼3
=+=+=+=+=
芸人なんて身体張ってなんぼでしょ。 こういう身体張っておバカな事をやるのは見ていて楽しかったよ。 それに引き換え、今はしたり顔で良い物食ってたり散歩したり、何が芸人なんだろうね。
▲27 ▼7
=+=+=+=+=
SNSでの意見から過激さが消えていった一方、ユーチューバーは過激な方が人気がでる。 同じネット上なのに。 それぞれの層の違いなのかな
▲17 ▼1
=+=+=+=+=
当時は色々と過激なシーンやCMまであったな、一日一善のCMで確か猿がタバコを吸っていたり、覚醒剤やめますか?それとも・・・人間やめますか?が怖かった。
▲21 ▼0
=+=+=+=+=
人間性クイズが好きだったね。ポール師匠と竜平ちゃんの絡みは傑作だと思う。
▲11 ▼1
=+=+=+=+=
最近のYoutubeなどもそうだし、 さらにはいじめ死亡などほんとに過激で人が死ぬなんて状況が出てくるから。
予定調和を理解せず本当にやっちゃう輩が増えて
▲16 ▼0
=+=+=+=+=
これに近いけど、「※熱くない安全な花火を使用しています」「※後でスタッフがおいしく食べました」テロップとか出るようになったのも、一部の煩い人達への"配慮"なんだよね。正直、こういうの出されると興醒めする
▲16 ▼0
=+=+=+=+=
昔はアメ細工のビール瓶で頭を殴るコントがあった 当時は子供だったから本物を使ってるとおもってた もちろん試すことはなかったが…
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
一言で言うと、無理強い出来なくなった。そしてやりたくないことはやらなくてもよくなった。それが今後どうなるかは知りませんが?
▲12 ▼1
=+=+=+=+=
あれ本当に危ないよ。いくらダイバーが控えてるとはいえ。松村とか溺れたらダイバー救出できるかあんだけ体重あるのに。
▲4 ▼17
=+=+=+=+=
風雲たけし城も好きでほとんど毎週観て爆笑ものだったが今じゃ放送できないかもしれないな。
▲18 ▼0
=+=+=+=+=
SNSでも炎上芸人がバズるし、動画でも過激やらかし系が受けるんだからそうは変わらないんじゃないの?
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
当時面白くて観ていた番組に難癖つける様な記事書いて...。世知辛い世の中になってしまったもんだよ、まったく。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
こういう番組がなくなっていくにつれて テレビはどこも似たような、つまらない内容になってしまった。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
今はムリだと分かってても、やはりお笑いウルトラクイズは面白かった!
▲34 ▼1
=+=+=+=+=
このDVDの購入特典は、オンボロバスのマスコットホルダー。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
過激な事をできなくなっていったのと比例するようにテレビ番組もつまらなくなっていきましたよね。
▲9 ▼0
=+=+=+=+=
爆破すると人形の首が吹っ飛ぶシュミレーションとか面白かった
▲16 ▼0
=+=+=+=+=
リアルタイムで観たけど、海も荒れてたし、たけしの周りも慌ててヤバすぎ!
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
超ねばねばの接着剤(?)のプールへドボン あれ、後でどうやって除去してたんだろ? 今でも謎
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
たけちゃん「ワタシもオニではありません!」
こんな番組を観られる時代がサイコーだった
▲15 ▼0
=+=+=+=+=
クイズで間違えると、強制的にバンジーとか過激だったよね。
▲16 ▼0
=+=+=+=+=
今の時代に、あれをやったら、「パワハラ」と言われると思います。
▲13 ▼0
=+=+=+=+=
金粉マラソンなんか 腹抱えて笑いました まさにテリー伊藤全盛期
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
桜金蔵のワニに近づけることも今では完全に無理でしょう
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
昭和のバラエティなら ミッキー安川対金貸し杉山会長
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
写真のテレビ使ってないが、まだ職場に化石のように残っている!?(-_-)
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
団塊ジュニアは喜んで観てただろうな。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
もういいじゃないですか。
今の時代、やれないんですよ。 それで終わり。
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
桜樹ルイが出てたの覚えてる
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
平成時代のテレビ🟰フナイ。
▲4 ▼0
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石破首相も出てたしな。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
下手したら溺死する危険性あったな
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
自分は当時も笑えませんでしたけどね
▲7 ▼15
=+=+=+=+=
今も昔も,「ハリウッドの映画」から「日本のAV」まで 映像作品というものは「台本」と「演出」の産物であるということ. 現実に日常にあることを映像作品として発表しても,だれも有難がらない. だけど,あまりにも現実離れした映像作品は,視聴者が理解できない. そこのバランスを勘案して作品を作るのが「プロ」の作家連中です.
▲6 ▼0
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インチキ親父 黒柳先生
▲1 ▼0
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