( 266519 )  2025/02/17 05:46:50  
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元専属通訳である水原一平被告が大谷翔平の口座から約26億円を不正送金した罪で起訴され、4年9か月の禁錮刑と26億円の賠償金支払いが言い渡された。

水原の父である英政が息子と大谷の関係について口を開き、今年2月6日に行われた公判では水原に有罪判決が下された。

英政は水原に対して「寝ないで仕事していた」と語り、水原の真面目さを示唆していた。

水原は大谷のサポートを全面的に行っており、大谷自身も水原の絶大な支援に感謝していた。

(要約)

( 266521 )  2025/02/17 05:46:50  
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水原一平の父が大谷への本音を告白した 

 

 ドジャース・大谷翔平(30)の口座から約26億円を不正送金したとして、銀行詐欺罪などに問われていた元専属通訳・水原一平被告(40)。ついに量刑が言い渡されたが、なぜこのような事件が起きたのか、謎に包まれた部分は多く残る。水原被告は幼い頃、父親とともに米国に渡り、後に通訳となった。その父親が、息子と「翔平」の関係について重い口を開いた。ノンフィクションライター・水谷竹秀氏がレポートする。(文中敬称略)【全3回の第1回】 

 

 夜の薄暗い駐車場に、黒いTシャツに黒いパンツ姿の男性が現われた。壁際に停まっている車に向かって歩いてきたが、私の姿を見るなり、やや急ぎ足になった。 

 

「すみません」 

 

 そう呼びかけるも男性はそのまま運転席のドアを開け、車に乗り込んだ。窓ガラス越しに話しかけながら、こちらの身分を明かした。 

 

「はじめまして。お手紙だけでも受け取っていただけますか?」 

 

 運転席に座っているのは、水原一平の父、英政(65)である。 

 

 それは昨年10月半ば、米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊でのことだった。居酒屋での勤務を終えた英政に、私は接触を試みた。「はじめまして」のつもりだったが、間もなく窓ガラスが開くと、英政から意外な言葉が返ってきた。 

 

「あなた、ニューポートビーチの家に来たよね? あん中に、俺たち全員いたんだよ。だから見てるし、あなたのこと知ってるの。だけど出ていく必要もないし。何なの?」 

 

 英政は私を睨みつけるように声を荒らげ、私の背筋は凍りついた。 

 

 米現地時間2月6日、カリフォルニア州サンタアナの連邦地裁で行なわれた公判で、禁錮4年9か月、賠償金約26億円の支払いを言い渡された水原。“相棒”の大谷翔平と一緒に移籍したばかりのドジャースを電撃解雇されたのは、昨年3月20日だった。 

 

 今思えばその前日、韓国・ソウルで私が見た水原の姿は、その前兆だったのかもしれない。ドジャースの開幕戦に向かう大谷の後ろにはいつものように水原がいたが、大谷がバスに乗り込んだ後、なぜか水原だけがロビーに残って誰かと電話をしていたのが印象に残っていた。その水原が違法賭博に関与し、大谷の口座から大金を盗んでいたというニュースが飛び込んだのは、翌日だった。 

 

 私は間もなく、その後「行方不明」とされていた水原の動向を探るため、居住地であるロスへ飛んだ。いくつかの情報を頼りに、大谷とともに住んでいたとされるニューポートビーチの高級マンションを訪れた。 

 

 

 門番に要件を伝えると、門番は部屋の中にいる人物と電話でやり取りをした後、私にこう言った。 

 

「住人はあなたに会いたくないと言っている」 

 

 私は礼を言って、その場を離れた。そしてこの時の模様について「水原が住んでいるとみられる自宅」と表記し、『週刊ポスト』に記事を書いた。 

 

 それから半年。水原の賭博騒動について取材を続けていた私は、本人が沈黙を貫いていたため、父親に話を聞こうと接触した。すると開口一番、英政の口から冒頭の話が飛び出したため、驚いたのだ。私が水原の自宅を訪れ、記事を書いたことに、英政は憤慨していた。 

 

「あれから、もうあなたは無理だね」(英政) 

 

 それでも私が頭を下げ続けると、英政はぽつりぽつりと語り出した。言葉数は決して多くはないが、その端々には、水原の置かれていた状況、そして英政自身の葛藤が滲み出ていた。 

 

 北海道苫小牧出身の英政が米カリフォルニア州へ渡ったのは91年。水原がまだ6歳の時だった。 

 

 ダイヤモンドバーと呼ばれる、ロス中心部から東に約50キロ離れた都市の住宅地に住み、英政は日本料理店で板前として働いた。幼くしてアメリカ社会に放り込まれた水原は、地元の小中高校に通った。大学にも進んだが、卒業はしなかった。その後は職を転々とし、培った英語力を活かして12年、生まれ故郷の北海道で日本ハムの通訳として職を得た。そこで大谷翔平に出会う。 

 

 その縁で英政は、日ハムが16年に米アリゾナ州で行なった春季キャンプの際、選手たちに日本料理を振る舞っている。その約2年後の17年末、水原は大谷とともにエンゼルスへ入団し、メジャーでの二刀流に向けた本格的な二人三脚が始まった。英政は「息子は幸運の持ち主だった」と周囲に伝え、一人息子の活躍を誇らしげに語っていた。 

 

 その当時について、英政は言葉少なにこう振り返った。 

 

「俺から見たら、一平は一生懸命やってたから。あれだけ寝ないで仕事してたんだから。奥さんより長い時間、翔平といたことは間違いないよ。一平は真面目だよ」 

 

 英政は大谷のことを「翔平」と呼ぶ。息子がかつて“相棒”だった当時の名残だろう。 

 

 大谷はエンゼルス入団1年目に新人王に輝き、日本に帰国した時の会見ではこう語っている。 

 

「お世話になったのは、やっぱり一平さん。(中略)私生活も含めて本当にお世話になりました」 

 

 水原は米社会でもまれて得た知識や経験を基に、渡米直後から大谷を全面的にバックアップしていた。息子が献身的に働く様子を傍で見守っていたからこそ、英政にはこんな本音も言わせるのだった。 

 

「あんな何もできない奴がさあ。1人でなんか、できるわけないじゃん」 

 

 英政の口から飛び出した言葉には、親子が異国の地で生きてきたという矜持が感じられた——第2回記事では、父・英政が怒りをあらわにした「フジテレビの取材」と、息子のスキャンダルに関する“本音”について詳報する。 

 

(第2回につづく) 

 

【プロフィール】 

水谷竹秀(みずたに・たけひで):ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、「日本を捨てた男たち」で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。2022年3月下旬から2か月弱、ウクライナに滞在していた。 

 

※週刊ポスト2025年2月28日・3月7日号 

 

 

 
 

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