( 268443 )  2025/02/21 17:15:44  
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「Fラン大学」は必然! 大学全入化時代 「Fラン大学」論争の本質とは? 日本の大学は万人に開かれた「ユニバーサル段階」に

東洋経済オンライン 2/21(金) 12:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/bae0bf2a236a34e1eb48ae603bb66c030025d5d6

 

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日本の大学は現在、「ユニバーサル段階」にあり、エリート段階やマス段階を経て、学生の多様化に応じた教育方法も多様化しています。

しかし、大学進学率が高まる中で出生数の減少が懸念され、入学定員を減らさなければならない状況が生じています。

AIの進化も加速し、予測が難しい時代にあたっています。

大学入試も文化的な多様性を受け入れる必要があり、アドミッション・ポリシーやディプロマ・ポリシーなど大学の方針を考慮することが重要です。

未来を担う若者は教育を受けることで社会を創造していく重要な存在であることを再確認すべき時代にあると指摘されています。

(要約)

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大学は万人に開かれたユニバーサル段階にある(写真:IYO / PIXTA) 

 

このまま出生数が減り続けると、大学進学率が100%になったところで、数年後には出生数が現状の全体の大学入学定員(約63万人)を下回ってしまう。 

 

それほどに出生数の減少は激しく、大学全体では入学定員を減らさなくてはならないのだ。まず、7年前に文部科学省が出したグランドデザイン(「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン(2018年11月答申)」)の見直しが求められるだろう。 

 

さらにAI(人工知能)の進化は目を見張るほどだ。AIが人間の能力を超えるシンギュラリティは2045年に到来すると言われたが、どんどん前倒しされそうだ。AIがいつまでにどのように進化するのかはまったく予想がつかない。それほどに進化のスピードが速く、今後の予測が困難な時代にある。 

 

■ユニバーサル段階にある日本の大学 

 

 さて、日本の大学はいま「ユニバーサル段階」にあると言われている。 

 

 1973年にアメリカの教育社会学者であるマーチン・トロウが論文で発表した高等教育機関の在り方を示す概念によるもので、文部科学省の議論などでもよく示されるものだ。この論文では高等教育の在り方を就学率によって3段階に区分けしている。その1つが「ユニバーサル段階」である。 

 

 エリート段階(就学率15%未満)、マス段階(就学率50%未満)、ユニバーサル段階(就学率50%以上)といった段階を経て、高等教育は量的な拡大をして、その教育の目的や内容が質的に変容していく。 

 

就学率を進学率に読み替えて議論されることが多いが、大学進学率(短期大学を含む)は50%を超えて久しくなった。2024年度の大学進学率(短大含む)は62.3%であり、大学(学部)進学率は59.1%、短大進学率は3.2%である。 

 

 一方で、大学入学定員と大学入学者の関係を考えると、2024年度を見ると、募集定員を大学入学者が1万人以上下回る状態にあり、いわゆる「全入化」状態にある。大学入学者は学習目的も学力層も多様化している。まさに大学は万人に開かれたユニバーサル段階にある。 

 

 

 ユニバーサル段階であれば、学生が多様化するがゆえに教育の方法も多様化する。大学の入学者選抜ももちろん多様化するのである。 

 

 残念ながら世間一般においてはこうした現状認識はなく、いまだに大学に「エリート」を求めたり、入試で「学力重視」が当然だとしたりするものが散見される。問題は、ユニバーサル段階にあるにも関わらず、いまだに多くの大学が大教室での講義が中心であり、入学者の多様化に応じた教育に変容していないところがあることに、課題があるのではないだろうか。 

 

 もちろん、いち早く「少人数化」「アドバイザー制度導入」などを進める大学もある。 

 

こうした状況だから、数多ある日本の大学を「大学」とひとくくりにする時代ではないことと向き合う必要がある。大学入試が「大学教育にふさわしい準備」ができているかを求めるものである。 

 

 大学をひとくくりにできないのだから、当然、大学入試もひとくくりにはできない。だから、大学入試難易度ランクに「BF(ボーダーフリー)」があるのは当然なのである。 

 

 全入化して一般選抜で倍率が出なくなり、合否のボーダーラインが引けなくなると「BF」に位置づけられる。それはボーダーラインを予測する大学入試難易度ランキングからは実質的に除外されることを意味する。つまり、ランキング競争から落ちこぼれることを意味する。 

 

 そうした大学を世間は「Fラン大学」と揶揄する。しかし、そうした大学が登場することは必然なのだから揶揄しても仕方なく、若者の教育や生涯学習を考えたときに、この状況を受け入れるべきだ。なにしろ日本の大学は万人に開かれたユニバーサル段階にあるのだから。 

 

■「ディプロマ・ポリシー」の重要性 

 

さて、総合型選抜などで求められる「志望理由書」を書くにあたり、大学が示す「アドミッション・ポリシー」(入学者受け入れ方針)をよく読むように指導してそれに沿った理由を書くように生徒に求める高校や塾があるようだが、実は、それだけでは自分に合った大学に進学できるわけではない。 

 

大学はいまアドミッション・ポリシーを含めた3つのポリシーを策定・公表することを義務づけられている。「ディプロマ・ポリシー」(卒業認定・学位授与方針)と「カリキュラム・ポリシー」(教育課程編成・実施方針)、「アドミッション・ポリシー」の3つである。 

 

 

これらも多様化する大学が自らの個性、特性を示すにあたって重要なものであるが、ディプロマ・ポリシーは「教育目標」、カリキュラム・ポリシーは「教育方法」、アドミッション・ポリシーは「学習準備要件」と読み替えることができるだろう。 

 

 受験生から見れば、この大学では「なにができるようになるか、どのように学べるか、そのためにはどのような準備が必要なのか」であるのだから、アドミッション・ポリシーだけを見ていても志望理由書をうまく書けないのではないか。大学をひとくくりに語ることができず、多様化する中で、大学の教育目標から教育方法を見ておくことは重要であるのだ。 

 

 特にこれから入学者選抜の機能が緩くなり、不合格になる確率が低くなる時代には、この大学で「なにができるようになるのか」は最重要になるのではないか。そして、大学側の教育に臨む姿勢を最も表しているのがディプロマ・ポリシーであることは言うまでもないことだ。 

 

 大学「全入化」の時代に、アドミッション・ポリシーは選抜基準を示すものから受験生に入学するにあたっての準備が整っているかを求めるものへと重点を変える必要があるだろう。近い将来には、選抜試験が有効に働く大学は全体の2割程度ではないだろうか。それが「全入化」である。 

 

■大学入試で何を問うべきか 

 

 大学は、冒頭で触れたように、少子化とAIの進化にともない予測不可能な時代にあり、さらには学生の目的や学力の多様化にともなう対応を求められている。特に地方の大学はこれらが重くのしかかる。 

 

 そうしたときに大学入試でなにを問うべきなのか。これまでのように難度の高い大学と同じようなことを易しく問えば良いわけではない。 

 

 「大学教育にふさわしい準備とはなにか」。大学教育の有り様によって多様化することは間違いない。生成AIとうまく付き合えることも大学教育をうまく享受するための「能力」なのだろう。求めるものは「学ぶ意欲」なのか。ではそれをどのように測るのか。そもそも大学が求める「知的能力」とはなんなのか。 

 

 

 文科省の中央教育審議会大学分科会では、高等教育の在り方を議論しているが資料に「知の総和(数×能力)」とある。こうした概念を示す段階で議論の解像度の低さが心配になる。 

 

 「知の総和」とは人の「数」を確保して、より高い水準の教育により「能力」を高めることで総和を上げていこうといったことを示しているようだが、この「数(人)」とは誰なのか。生産力のある人なのか。 

 

 日本の生産年齢人口の割合はOECD加盟国の中で群を抜いて低い。それを上げるためには出生数を増やさないといけないし、上がるまでには15年以上の時間がかかる。移民受け入れの議論もまだまだ十分ではない。「数」が増えないとなると「能力」を上げなければ「知の総和」は維持できない。 

 

 果たしてこの能力とはなになのか。そもそも能力はアカウンタブルなものではないからかけ算には使えないことは小学生でも知っていることだが。 

 

 能力の定義もできていないだろう。そもそも能力をアカウンタブルなもので示せるのであれば教育の議論はとても楽になる。それがいまだできないのだから困っているのだ。 

 

■未来を創るのは教育を受けた若者 

 

 AIが進化する中で「より高い水準の教育」とはなにを意味するのか。OECDのPISA調査(学習到達度調査)からわかるように日本の教育の「平均値」は高い。この平均値を上げようとしているのか、特定の人材の能力を上げようとしているのか、特定人材だとしたらその能力はどこまで高めたら良いかを示すことはできるのだろうか。 

 

 世の中は優秀な人材だけで構成されているわけではない。この議論はユニバーサル段階にある大学教育をどこに着地させようとしているのか。 

 

教育は社会の中にあり、社会の影響を強く受ける。予測不可能な社会を前に、教育の未来予測はかなり困難である。しかし、社会が変わろうとしても、選抜機能が緩くなっても、大学で主体的に学ぶ姿勢を求められることに変わりはないだろう。 

 

 未来を創るのは教育を受けた若者である。このことをいま一度確認したい。 

 

後藤 健夫 :教育ジャーナリスト 

 

 

( 268445 )  2025/02/21 17:15:44  
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この記事では、大学教育や大学のあり方について様々な意見が寄せられています。

多くのコメントでは、Fランク大学や大学全入に対する批判や疑問が表明されています。

一方で、大学の役割や教育の在り方についての提案もあります。

 

 

- 大学全入は社会にとって意味があるのか疑問視する声があります。

 

- Fランク大学やその存在意義について、賛否両論があります。

 

- 学生の能力や学力に基づいた入学基準や教育内容の見直しの必要性が指摘されています。

 

- 大学教育と就職・社会進出の関係性について考えられているコメントも見られます。

 

- 大学の数や補助金に関する意見や、地方私大の役割についての考察もあります。

 

 

いくつかのコメントでは、大学の質や役割、学生の能力評価、大学教育の効果についての深い議論が展開されています。

全体的に、大学教育や学力基準に関する懸念や提案が多く寄せられています。

 

 

(まとめ)

( 268447 )  2025/02/21 17:15:44  
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=+=+=+=+= 

 

高校までの学習において思うような結果を出せなかった人(中卒でもいい)生涯的に学び続けることが出来る場が必要であるとは思うのだが、大学を卒業したと名乗るためには一定のレベルには達していないとそれを名乗れないようにするくらいはしてほしいと思う。学習の成果を数値化することを義務付けしてそれを履歴書に書くなどをしてほしいものだ。 

 

▲89 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

私の持論は各段階での「履修と修得の分離」及び「修得試験合格=入学資格」化。 

中学履修=卒業出来ても修得試験に合格しなければ高校の入学資格を与えない。高校履修=卒業出来ても修得試験に合格しなければ大学の入学資格を与えない形。 

現在のように履修=修得だと全入時代の質は下がるばかり。せめて中学2年、高校2年レベルのマーク式問題をクリアした者に高校大学受験資格を与えたい。 

卒業しても修得出来ない場合は学び直し用の中学高校で学習してもらう。またそれが嫌なら現役時代にきちんと学習をする。マーク式試験は年複数回実施。中学高校在学中から受験可能。 

 

▲26 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

ユニバーサル段階とはよくいったもので、正確にいえば無意味な大学ということに変わりはないのに、何か良いことのような印象を与える。印象操作の典型的な事例として取り上げられるだろう。 

しかし、そんな無駄に付き合っている暇はないのだ。日本は、大学へ行くならその価値を携えて社会に出る人でなければならないし、そうでなければ高卒か中卒で働くのが望ましい。大体、分数もできず、%もわからず、英語もほぼわからない状態で合格させる大学で何を学ぶと? 普通に考えればわかることだ。この記事のものの見方は、無意味な大学の延命のための作文である。 

大学が万人に開かれる必要がどこに? そんなオープンは必要ないし、そんな大学に補助金を出していることがそもそも悪行である! 

 

▲22 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそも若年の労働人口が不足の時代に大学全入がナンセンス。実績の無い大学は容赦なく統廃合し、企業にも積極的に高卒生を採用するよう促すべき。そのためには進学校ではない高校のあり方についての見直しや、就職に直結しない専門学校の認可縮小などの改革が必要。 

あと、大学を統廃合についてそれを一律の基準で行ってしまえば、地元の国公立には入れない中堅クラスの若者の受け皿となっている地方私大が壊滅し、地方から首都圏や近畿圏への人口流出が加速するばかりになる。なので、それら大都市圏と地方の間で多少の配慮は必要。 

 

▲21 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

進学率が上昇して、それに応じたスキルが身に付いているのであればいいのですが、そうでないなら単なるモラトリアム期間の伸張に過ぎず、社会が縮小衰退する中、労働市場への早期参入は国力維持のためにも不可欠です。当たり前ですがモラトリアム期間の伸張に意味は皆無。 

 

大学の意義は高度研究か職業スキルの定着。双方に役立たない学部、大学を全廃すれば、今ある大学進学率を1/3程度に下げることができ、その分高卒就職者の大量生産が可能となります。企業は高卒ではなく大卒を取る必然性がどこにあるのか、見つめ直すべきですよ。 

 

▲44 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

少なくとも高校の教育の主要3科目(国数英)と理科・社会のうち2科目程度は、7割と言いたいけど、抑えて6割の理解が出来ていて高校卒業資格を付与すべきだと思う。 

商業・農業・工業は理科・社会の代わりに専門分野で良いけれども。 

そういうのが出来ていないのに大学に入らせて何を学ぶのか、結局高校の復習とかになっているのが半分くらいの大学では。 

それが卒業して学士を名乗るのは非常に違和感を覚える。 

万人に開かれる前に高校の教育がきちんと終える事が大切なのでは。 

自分は大学は半分以下に減らして良いと思う。 

その分国立大学とかにリソースを厚くして研究費や学生の負担を減らせば良い。 

あと、高卒でも普通に働けば家庭を持てて、子育て出来て、家も買える普通の生活が出来る様に為べきなのだと思うけどな。 

 

▲22 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

リスキリングとか流行ってるので早く社会人になっても必要に応じて途中から学ぶ環境が保証されていれば無理して大学行かなくても不満は無いと思います。大学進学以外の選択肢も広がることが多様化とユニバーサルだと思います。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

教育を前提とするなら、たとえ大学進学率が100%でも問題はありません。 

 

真に重要なのは、何を教えるか、そして学生をそのIQ、知識の蓄積、自律性に応じていかに適切に振り分け、対応するかという点です。 

 

そうでなければ、多くの人々の貴重な青春や長年にわたるローンという大切なリソースが無駄になってしまいます。さらに、AIが普及する現代においては、国外と比較して生産性が低下するリスクも孕んでいます。 

 

そこで、シンガポールや中国や北欧などの国に学ぶのは如何でしょうか。既存のFランク校は、海外の営業活動に注力し、豊かな留学生を積極的に誘致する一方、Fランク校に勤務する国民の生計をしっかり維持しながら、社会全体に海外で戦える人材を供給する仕組みを構築します。 

 

加えて、国民に関しては、総合高校への進学率を50%以下に抑え、早期の社会進出や職業技能の習得を促進する政策が求められるのです。 

 

▲7 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

アメリカの教育学者が言った事だよね。 

アメリカとか海外の大学って遊び呆けていたら卒業出来ない事が多い。 

 

そう言う環境なら多くの人が大学に行く事に意味もあるでしょう。 

しかし日本の様に入学しちゃえば後はバイト三昧でもどうにかなる様な大学では意味合いが大きく違うでしょ? 

 

入学は楽で進級や卒業は本気でやった人以外は無理って言う大学システムにした方が良いと思うよ。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

世界ランキングが全てではないと思うが、有名大学すら全体的にランク下がってきている。大学は基礎を学び終えた優秀な人が研究する機関。大卒でなければ応募資格なく、就活すらさせてもらえない。企業にも少し考えてあげて欲しい。大卒でなくても優秀な人材は社会で育てるべきです。もちろん勉強出来ても人として問題ある方は、もうしばらく学んでから。 

 

▲45 ▼9 

 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的な意見 

日本の大学の数、募集人数増加は 学校の先生の就職先かなと勝手ながら思います。本当にそれでいいのか疑問に感じます。 

 

そうは言っても、2016年 旧帝大学院卒業生で 常勤勤務の仕事を探すが 

見つからず 自殺された方もいますね。(役に立たない学問) 

 

人によりますが、下位大学行くぐらいなら 自衛隊や職業訓練校で手に職を就けたほうがいいかなと思います。 

 

▲40 ▼32 

 

=+=+=+=+= 

 

問題は、高校をの課程を習得したとはとても言えない人が殆ど入試がないと言える大学に入学して、中高校の復習をしたり、社会常識の一端を身に付けたりする、ということを肯定するか否かである。 

 私はそういう大学の存在価値を文科省の社会全体も明確に認めて、入試があるかどうか偏差値がどのくらいかで大学の価値を測るのは止めるべきだと思う。 

 相変わらず、ヤフコメには、特定の能力が身に付いた人しか大学卒業と認定するな、みたいなことを言う人がいる。でも、専門分野が多岐に渡っているのにそんな基準を設定できるはずがない。もし、そういう基準を設ければ多くの大学教育がその基準を満たすためだけのものになる。 

 大学へ行って知的な意味で少しは進歩した、ということであれば、ヤフコメの多くの人には満足できない水準かも知れないけどそれでいい、と考えるべきだと思う。 

 

▲2 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

そういう前提なら、文科省が落第、留年を大幅に認めたらいいんじゃないですかね。今は数%を超えると予算を削られるから、ダメ学生も軒並み大卒のラベルを付けて世に出荷せねばなりません。ラベルはちゃんと大卒に値する人にだけ付けるように仕組みを変えたらいいんじゃないでしょうか。文科省が許可するだけなので、簡単だと思います。 

 

▲24 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

このFラン議論もそれなりに歪んでいて、誰しもが「なんちゃってな学生生活を送り、大学である必要もないところに勤める」ということをイメージしながら語ろうとする。本来は(Fランよりは多少は上だが)医療系や工業系、保健衛生などに社会インフラに関わる人材を育てる大学まで十把一絡げにして語られる。 

私はヤフコメを見るときは「社会インフラへの影響」を通して見るようにしているが、どうもここの人たちは大学のランクに関わらず「なんちゃってな学生生活を送り、大学である必要もないところに勤める」人が多いらしく、必ず逆風を吹かせてくる。 

 

▲25 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の大学は、レベルを下げて誰も入れる大学を作り、学生は遊んでいても簡単に卒業できるレベルなので、大卒の肩書が意味を持たない。大学間の格差が大きい。 

韓国、中国も同様であり、これが東アジア的傾向だ。 

これに対し、ヨーロッパの高校は卒業が難しく、大学に入るのも難しい。卒業も難しい。そのため大卒の肩書が権威を持つ。 

アメリカも大学を卒業することは簡単ではない。 

日本では、国民に多額の教育費を使わせ、その分を教育産業界がもうける。教育業界から政治家に多額の政治献金がなされ、国は受験競争を推進する。 

 

▲11 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

最近は、上位ランクの大学で中国人学生の数が増えているという記事をよく目にするが、日本の学生には良い刺激になると思う。特に、日本の富裕層の優等生家系の子たちは、発言力が弱い。大学受験までの学習過程からしても「知識は学ぶもの」と信じて止まないのだろう。だから、ハーバード大のマイケルサンデル教授の白熱教室に参加しても、日本のK大学だけひと言も発せずに時間が過ぎていく。他者との討論の中で見つけていく作業が出来ないのだ。教授はもう日本のK大学の方は見ない。発言なんか無いに決まっているから。 

 

雇う側からしたら、そんな有名私立大の学生よりも、持っている知識を誰かに投げたり、試したり、使ったりできる人材の方が欲しいはず。現に、ガイアの夜明けで追っていたボストンキャリアフォーラムでは、名門大生でもないシアトルの短大生が大人気だった。自分の望むゴールから逆算して計画を立て、実践してきた若者だった。 

 

▲0 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

「主体的に学ぶ場」 

揶揄ではなく素晴らしいことであり 

高等教育とは本来こうあるべき場所に違いありません。 

 

現在の我が国での高校無償化問題 

教育を受ける権利? 

すでに公立高校も私学助成金まで対応しているにも関わらず。 

権利の保障とは優遇するということではないハズ。 

☆なぜ国民の血税を使ってまで無償化しなければならないのか? 

・高校はその名の通り高等教育の場では無いのか? 

・そうでないのならばどのような教育をする組織なのか? 

・現状でその教育を実施した結果としての効果が出ているのか? 

という基本的な部分すら明確な回答がないにもかかわらず 

平然と無償化などを議論するレベルの我が国において 

国民の大学全入に一体どのような社会的な意義があるというのでしょうか? 

 

欧米の大学のレベルを前提に日本の大学を位置づけて 

「ユニバーサル段階」ですか・・・・ 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大学全入時代それ自体は問題ないと思います。それで質が確保しにくいなら出口の基準をしっかりすれば良い。 

学びたい人、学ぶ意欲のある人が学ぶチャンスを得るのは良いことだと思う。但し、取り敢えず入っとこみたいな人が適当に過ごして出られるのが問題なのかな、と。 

 

▲15 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

少子化問題がなければ、この論調で同調するのですが。 

 大学進学率上昇とFラン大学問題はセットであり、女子短大の多くが共学総合大学となり、学生数を増やしたのにも関わらず、少子化により大学進学率が1990年頃3割程度だったのが、今や6割の二倍になろうかとしている訳です。 

 大学進学させるならば、家庭はそりゃ教育費掛けるのは必至ですから、1990年頃は高卒就職していた半分が今や塾通いになっているのですから、経済力を理由に結婚して子供を作るのを諦める若者が増えたのは至極当然の流れでしょう。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

分数の計算レベルしか教えていないんだからFランク大学など要らないとも言えるし、いや分数の計算を身に着けてから社会に出るべきだからFランク大学にも意味はあるとも言える。 

難しい問いだけど教育にかかるコストを上げずに国民の教育レベルを上げるにはこうしたらどうだろうか? 

 

いわゆるFランク大学を廃校にする代わりに小中学校にも留年の制度を設け、分っていない生徒は救済や追試などせずに容赦なく留年させる。 

無論生徒だって留年なんてカッコ悪くて嫌だろうから本腰入れて勉強するわな。 

児童生徒としては猛烈に嫌がるでしょうが、少子化で校舎が余ってきているのだからFランク大学をむやみに増やすよりはるかに低予算で国民の学力を上げられるぞ。 

 

▲16 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

定員割れ大学の多くは、すでにBFか、ものすごく近い将来のBF。 

学生の学力等を最低限担保する方法を入学試験とすると、入試倍率3倍、もう少し下げて2倍以上とするならば、それ以下の倍率は近い将来のBF。 

複数入試方式の受験、複数学科を併願させてのかさ増しって、もう限界。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

>そうした大学を世間は「Fラン大学」と揶揄する。しかし、そうした大学が登場することは必然なのだから揶揄しても仕方なく、若者の教育や生涯学習を考えたときに、この状況を受け入れるべきだ 

 

この筆者の主張そのものが間違いですね。 

そういった大学はどんどん潰して、無用な私学助成金を削減すべきなのです。 

 

若者の教育を考えるなら、何の役にも立たないFラン私文ではなく、工業高校や高専に投資した方がはるかに費用対効果に優れている。 

 

▲75 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

長年、実質的に許認可権を持っていた自民党の教育利権政策戦略の結果通り→天下り先拡大やゼネコン利権になっただけの話しで有権者の責任でもある→既に、小学生時代から学習習慣や基礎学力が不十分でも金さえ払えば大学まで行けてしまうシステムが確立されたところへ少子化だから後戻りはできない…結局、自然淘汰を待つしかない 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

本来、AもFもない。 

単に古文が好きなら、入学後に古文を、プログラムが好きなら、それを学べばいい。 

受験制度による上下をなくして、学びたいことを身近な大学でまなべば家庭の負担も減る。 

海外だと、どの大学だからというのはなく、ハーバードだろうと、会社に必要なスキルがなければ採用されない。 

日本の大学も東大も地方の私立も関係なく、必要なスキルを学び、それが生かせればいいだけの話。 

入学は誰でも入れるようにすればいいが、必要な知識を得られた場合のみ単位を与えるようにしなければ駄目。 

東大だろうと、他だろうと、英語の単位を取得したなら、一定レベルの会話ができる証明となる。 

それが大事だろう。 

 

▲4 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

中高の復習をしている大学もあるとか 

助成金はいらないし、無償化の対象外で良いですね 

行きたい人がしっかりお金を払って中高の復習をすればいい 

学んだ事がちがうのですから、就職はもちろん難関大とは全く違う就職先になるのは当たり前ですが、大卒なのにとか格差だとか騒ぎがちなのもF 

 

▲13 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

Fラン大学の存在意義とFラン大学の弊害を考えると無闇に大学数を削減してもよいとまで言えるか。私にはわからん。 

但し費用のムダ、少子化加速を槍玉に上げるならFランとされる大学の評価軸に卒業後5年以内成婚率や10年以内出生率などを加えるなども検討してはどうか。 

作ったり施設、設備をムダにせず勉強したくない、地方にいたくないなどが学生のニーズだとすればこのような方策も一考の余地はある。 

但し私費留学生は統計外で。 

 

▲6 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

大卒者は単純労働職を回避したがる傾向が強いので、日本より大学進学率が高い国の大半は日本より移民の率が高いです。従って日本がこれ以上移民を増やしたくないのであれば、大学進学率も下げるよりないと思います。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ここまで日本社会でFラン大学と言うのなら 

日本の大学をランキングで表すのなら 

毎年偏差値を表して年代別に 

志願者数と合格者数もちゃんと世間に 

公表してハッキリとした基準を制定して 

毎年文部科学省がA〜Fのアルファベットで 

ランキングを世間に公表しなきゃダメだな。 

ちゃんと大学と学部ごとにランク分けして 

大学名だけで偏見が付かないようにしないと 

いつまで経っても日本社会の劣等感と偏見が 

解消しなくて世界に対して遅れるだけだと思う。 

そこまでして大学行かなくても何とかなる時代から 

それなりに大学行った方がいい時代だから。 

もう学歴社会と年功序列なんて昔の話だから 

それなりに納得のある説明のできる社会にしてね。 

 

▲6 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

普通に就活するをつもり(公務員試験受験予定とかではなく)ならFラン大学では、、、。学歴フィルターが以前よりなくなったとは言えまだまだあることも事実。仮に運よく就活が上手くいったとしても学閥から外れるから昇進や昇格でライバルに蹴落とされる可能性もある。何になりたいのかを決めたら地方の大学でもよいケースはあるのではないかな。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ヤフコメでは「大学を減らせ」「Fランは無駄」みたいな話が多いが、優秀な人間を狙って育てる共産主義的なやり方は難しく、結局裾野が広くないと出現しないことを考えると、難度の低い大学の存在意義もある。 

問題はFランに入った学生がそのままFランの実力で出てしまうこと。これでは無駄なので、レベルの低い大学は卒業要件をむつかしくして、せめてCランくらいの実力を身に着けないと出れないようにする必要がある。上位大学なら自律的に動けるだろうが、下位は入ってから苦労してもらおう。 

 

▲25 ▼7 

 

 

=+=+=+=+= 

 

Fラン大学と言う差別的な呼び方はやめましょう、大学全入の時代においては広く大衆へ門戸を開く大学と言う事で、大衆化大学とか近代解放化大学等の呼び方の方が良いでしょう。 

今でも公務員や国家資格試験などでは足切りとして大学卒免状が必要なものが多く存在しますし地方で下宿が出来ない等から、こうした大衆大学も必要な存在と言えますので、大学授業料の低額化は高校よりも優先的にやるべきでしょう。 

 

▲13 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

まず、学力が低い高等学校を就職予備校にした方がいいんですよ。 

この高校に行けば、◯◯の資格が取れる、など、工業や商業がやっていることを偏差値60以下の普通科をなくしてやらないといけない。 

で、ちゃんと高卒人材を世に提供する。 

事務職は、もっと高卒人材がなってもいい気がします。大学まで行って一般事務じゃ高い学費の意味がありません。大学行ったら総合職人材や研究職などの学力が問われる人材にならなきゃ。 

大卒はもっと専門性と才能を問われるようにしないと意味ない。 

Fランがシステム上必然的に発生するものでも、現状では学校として必要とは限らないですね。Fラン継続するならちゃんと介護や部品組み立てなどの分野にも学生を回してください。 

 

▲39 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

今こそ、大学入試共通テストの名称を変更するべきです。 

「大学入学資格試験」つまり大検と統一した国家資格とすべきです。 

つまり、大学に入ろうとする全ての人が、この資格試験に合格する必要がある、とする。高校は卒業してもしなくても関係なし。 

この試験は現行の共通テストと同レベルとし、よくある国家試験と同様に6割の正答率を以て合格とする。 

どうでしょうか。恐らく現在Fランクを受験しようとする学生のほとんどが資格を得られないでしょう。そして結果的にFラン大学は消滅します。 

 

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「Fラン大学」だけではなく、大学そのものの価値や意義等が問われているのではないでしょうか? 

 正直言って困るのは、偏差値が高いとされる大学出身でも、英語の電話には全く対応できないし、統計的な知識以前に標準偏差が分からなかったりするから、同じ平均値でもその構造的な違い(例えば10人のクラスで全員が20点、二人が100点で他0点)に全然、ピンと来ない。やる気よりも周囲を見てのグループシンク、予定調和重視で、結局、思考力よりも大学生活で世渡りを覚えてきただけ。 

 だったら、早く社会に出て、『必要な勉強は何か?』を身をもって分かってから、学校に通うな図式にしないとどうしようもない。 

 恐らく「Fラン大学」を意識するのは、そういった「実は何もできない〝偏差値教信者〟たち」だろうから、そいつらをどうするかを考える方が意味はあるのでしょう。 

 

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「大卒」という肩書がもはや無意味となった 

高卒より上だった大卒の肩書が 

もっともっと大学名が問われるようになるだろう 

F・ラン大学が生き残るのも難しくなる 

思い切った学部・学科、それとも芸術系でしか、 

学生を集めることはできないだろう 

 

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大学を語る上で、「就職」について言及しなければ全くの的外れ。 

今や大学は就職予備校化し、研究機関としてよりも、就職に役立つ実学教育が重要視されている。 

筆者が懐疑的に述べる「エリート」や「学力重視」はそうした社会の要請なのだから、大学教育もそうならざるを得ない。 

そして、企業の採用の「多様化」も堵に就いたところ。 

 

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様々な能力の定義があるだろうが、これからの時代、テンプレートは通用せず、状況を察知理解し、知識と照らし合わせて、次の適切行動が決められる能力だろうと思うが?これ聞いてポカンとしてるんかな? 

 

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Fラン大学を揶揄する人が多いが、東大、京大、旧帝大、一橋大、東工大、早慶以外は五十歩百歩。 

最近は一般受験以外の入学者が多いので、そのような大学でも本当にその大学を卒業したのという人が多くなっている。 

大学受験の時に実力を発揮できなくても社会に出て頑張れば良い。 

 

東大卒業だけが自慢でプライドが高く、同級生、先輩、後輩の名前だけ知っているような人と同窓ということばかり言っていて鼻つまみ者になっている人もいる。 

ところで東大卒業されたあなた様は何をされている人ですか? 

 

確かに東大を卒業した人は、本当にすごいという天才もいますが。 

 

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学問知識を授ける期間なのだから、中高年も大学はターゲットにすべきだし、中高年もコタツ記事ではなくちゃんとした知識を得るべく大学を活用すべきでは?税金がつぎ込まれたなら大学をトコトン活用すれば?大学は若者だけのものではないはずですが。 

 

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>全入化して一般選抜で倍率が出なくなり、合否のボーダーラインが引けなくなると 

本来の意味は上記だけど実際にはFラン=偏差値低いという意味に 

拡大しているよね 

 

理論上は 

無茶高度な教育をしていて(簡単に卒業出来ないので)受験者が少なくて 

受験するような人は偏差値で測れば上位なので合格するなんて大学が 

あればFラン大学 

 

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大学が多すぎるのも問題だけど、大学での授業内容 

Fランと言われる大学の中では分数の計算やbe動詞、3単現のSとかを授業している所もあるらしい 

せめて授業内容は高校卒業レベル以上のものにして、単位が取れなければ留年 

つまり入りやすくも卒業しにくい海外の大学のようにするべきでは? 

そしてFランと言われる大学は天下り先にもなり税金が回されている… 

 

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Fラン付近の大学で、嫌々「需要と供給」だのを学ぶより、現場で「自動車整備」を学ぶ方がマシっていう学生も多い。それなのに、親が無理矢理、大学だけは出ておけと、興味もない文系学部に入れられる。本人にとっても不幸。 

 

▲3 ▼0 

 

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Fあってもいいと思う。そこに志願者いる限り学びの場はあっていい。しかし、私立大学はあくまで「わたくし」だから有志で集まるようなもので、補助金ありきで当たり前のような顔して補助金で税金投入はやめてほしい。 

 

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トロウによれば50%超でユニバーサル段階、日本は60%,日本だけじゃないけど若者が無駄な時間を過ごしています。大学無償化なんてやめて就労支援か、職業訓練に金を使ってください。 

 

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高校でも同じで、皆が志望しても良いが学んでなかったら落第させることがないと、何を教育したことになるのか?習得することの意義をはっきりさせよう、中身の無い学歴は要らない 

 

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いくらでも作れば良い。ただし、補助金もらうなら、入学時、共通テストで7割を必須とすべき。7割ない生徒に大学教育は不要。あたり前。特に地方公立大学。若者がいなくなると火が消える? 馬鹿にも程がある。7割を必須。推薦は一切無し。 

 

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Fランク大学(入試レベルの問題と言うより卒業生の勉学レベル)を含めた全入は社会にとって何の意味があるのか?向学心の無い学生にとっては単なるモラトリアム期間、Fランク大学にとっては単なるビジネス種を維持するために国費を費やす必要があるのか? 

 

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この記事に書いてあるような理想を感じているFランの学生が何人いるだろうか、遊園地化も理想の中に入るのか。大学はでたものの、仕事嫌いで連絡なしにずる休みする子もいたな 

 

▲4 ▼0 

 

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大学経営は もうかるのでウハウハなんですよね。だから大学がいっぱい新設されるんです。Fランばかりが批判されてますが、最近はMARCH関関同立ですらわけわかんない学部・学科をいっぱい増やして学生集めて、金儲けに勤しんでます。 

 

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Fラン卒の友達がいるけど、入試のための勉強もしてないし、何かに頑張ったと言う記憶がないらしい。もちろん大学でも勉強はしていない。それならFラン大学っていらないな〜といつも思ってしまう。 

 

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それが日本の国力に寄与しますか?逆に衰退の原因だと思いますが。間違った方向に向かうのは不幸を生むだけです。 

 

▲4 ▼0 

 

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大学補助金ビジネスに付き合わされているから3次産業が肥大化していく。  

無駄な大学の存在は産業体形のバランスを不安定な形にする。 

 

▲1 ▼0 

 

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企業の採用で先ずは応募書類での足切り強化をオ-プンにすべき。自然淘汰するだろう大学はそれまでだ。国に期待すべきではない。 

 

▲3 ▼0 

 

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Fラン大学の存在は受け入れるが、維新のように「高校無償化の次は、Fラン私大も含めた大学無償化」という主張は受け入れられない。 

 

▲20 ▼0 

 

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こんなに権力とお金が集中した社会で 

知識も技術も腐っていって 

日本そのものがFランクにならないといいけどな。 

 

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Fランを大学とみなすのでなく、就職支援の学習塾としたらどうか?その方が現実に合っている。 

 

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四半世紀前の高校卒業が短大卒業,学部卒が大学院修士修了,教育期間が長くなっているだけ. 

 

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ビュー数稼ぎたければ、「エフラン」とタイトルに入れておけばよい。そうすると、いろんな人が釣られて群がってくる。笑。 

 

▲1 ▼0 

 

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学力を使わない仕事の人まで大学に通うのは社会システムの無駄では 

 

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まず、大学定員問題にAIを絡めない。 

本筋からズレる。 

 

▲13 ▼0 

 

 

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大学作り過ぎた。東京◯祉大学みたいな大学まであるよ。 

 

▲6 ▼0 

 

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アカウンタブル→カウンタブル でしょう 

 

▲2 ▼0 

 

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日本の高校までの学校は、教員がいい加減な仕事をしているため、国が定めている学習指導要領に定められた基準に達しない者を平気で卒業させている。そのかわり躾というかわからないが、人権を無視した校則を生徒に強制している。このような状況では、大学入試で高卒レベルの学力を身につけているかをみるしかない。Fラン大学は高卒レベルの学力がない者が集まるので、学士レベルの学力がなければ卒業させないようにしないと、存在価値はない。 

 

▲0 ▼0 

 

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とあるFランク大学での授業は中学レベルの算数や漢字、冗談やめてほしい。 

実習では、シーツの敷き方、ベッドからの起こし方。これって介護福祉士学科らしいけど、これは専門学校でやるべき。 

そもそも大学は寄り深く学ぶ研究機関ですよ。高度な研究や論文書かないなら行かなくて働けよ。日東駒専レベルで打ち切りで十分。 

足し算引き算掛け算割り算出来て常用漢字と読み書き出来て、日本の歴史を少し知ってれば社会人として十分に生きていける。その中で、得意分野を見つけ生かせばいいですよ。職人を育てないと日本終わるよ。 

 

▲3 ▼0 

 

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何が必然?大学行く気だけあって何の努力もしてこなかったから、名前書いて金払えば行けるところに行くだけでしょ?入学後も何の目的意識もないし、中学生以下の学力で何が学べると言うのか? 

 

▲5 ▼0 

 

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しかし何かを言ってるようで何も言ってない作文だね。Fラン大の唯一の存在意義はポスドクの就職先ということです。 

 

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要は4年間教育は全く身につかなくても、税金で遊んでいればそれで良いという訳ですね。 

 

▲1 ▼0 

 

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内容は高校に毛が生えた程度。 

そもそも高卒の学力もない。 

無意味。 

 

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それで食っていけるとでも思っているのか、馬鹿者。 

 

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東洋経済にFラン大学出身は何人? 

 

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