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青学大駅伝チームの3年生である皆渡星七さんが悪性リンパ腫と診断された後、20歳で亡くなりました。

彼の訃報は青学大陸上競技部の公式ホームページで発表されました。

皆渡さんはチームの中で重要な存在であり、活躍と情熱に感謝されています。

彼の病気に対する闘いを敬い、彼が残してくれた思い出を胸に前進すると宣言しています。

皆渡さんは将来の活躍が期待される逸材であり、病気を克服して箱根駅伝を目指していました。

残念ながらその願いを叶えることはできませんでした。

(要約)

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皆渡星七さん 

 

 第101回箱根駅伝(1月2、3日)で2年連続8度目の優勝を果たした青学大駅伝チームの3年生で、昨年11月に悪性リンパ腫と診断されたことを1月に公表していた皆渡星七(みなわたり・せな)さんが2月19日、亡くなった。21歳だった。 

 

 遺族の意向を受けて、青学大陸上競技部の公式ホームページで21日に公表された。 

 

 「大切な仲間の旅立ちに寄せて」というタイトルで以下のように記された。 

 

 「この度、昨年度の箱根駅伝や今年度の全日本大学駅伝のエントリーメンバーとして共に戦ってきた皆渡星七が永眠致しました。彼は私達にとって欠かせない存在であり、その活躍と情熱に心からの感謝と敬意を表します。 

 

 突然の別れに、深い悲しみと喪失感を抱いておりますが、彼が残してくれた思い出を胸に、これからも前進してまいります。 

 

 最後まで病魔と戦った彼の旅立ちを、温かく見守っていただけますようお願い申し上げます。 

 

 改めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

 

 青山学院大学陸上競技部 

 

チーム一同」(原文まま) 

 

 皆渡さんの悲しい知らせは19日夜に原晋監督(57)らスタッフに伝えられた。20日の朝練習で、原監督は、選手、マネジャー、スタッフに訃報(ふほう)を伝えた。原監督は「早すぎます」と教え子を悼んだ。 

 

 皆渡さんは2年だった前回の第100回箱根駅伝で16人の登録メンバー入りを果たした。7区に登録され、当日変更で出番なしとなったが、原監督が「次の第101回大会では復路の主力になる」と期待していた逸材だった。 

 

 明るく、前向きな性格で、チームのムードメーカーだった。昨年1月の箱根駅伝の直後、原監督は皆渡さんに同2月の熊日30キロロードレースの出場を勧めた。同レースには例年、青学大の有望株が参加する。「熊日30キロをしっかり走れた選手は翌年の箱根駅伝で活躍するぞ」とゲキを飛ばすと、皆渡さんは「出ます!」と即答。「30キロは長いですね。頑張りますよ!」と満面の笑みで話した。意欲的に初の30キロレースに臨み、1時間33分35秒で7位入賞と健闘した。 

 

 3年に進級した24年度、順調に成長し、昨年6月には5000メートルで13分51秒38の自己ベストを更新した。夏合宿でも地道な走り込みを重ね、昨年11月3日の全日本大学駅伝では16人の登録メンバーに名を連ねていた。 

 

 しかし、その後、体調不良を訴え、東京・町田市の選手寮を離れて入院した。青学大が今年1月の第101回箱根駅伝で2年連続8度目の優勝を果たしてから約2週間後の1月19日に自身のSNSで昨年11月に「悪性リンパ腫」と診断され、治療を続けていることを明かした。 

 

 「がんになっても箱根を目指したい」。強い思いをタイトルに込めた文章では「昨年の11月に“悪性リンパ腫”と診断され、現在も治療を続けています」と明かした上で復帰へ強い意志を示した。「どういった立ち上げ、リハビリをしたのかという記録を残し、発信したい。僕の持っているポジティブ思考と内面的な成長をアウトプットしたい」などと前向きに記した。 

 

 原監督は箱根駅伝直前の昨年末のチームミーティングに皆渡さんがリモートで参加していたことを明かした。 

 

 「入院先からリモートで参加してくれました。『走れることは当たり前ではありません。箱根駅伝、頑張ってください』とメンバーを励ましました。みんなで彼を励まさなければいけないのに、みんなが彼に励まされた。第101回箱根駅伝で優勝できたのは間違いなく皆渡の力がありました」 

 

 原監督は第101回箱根駅伝に向けて「あいたいね大作戦」を発令。「優勝にあいたい」「喜び合いたい」などの意味を込めており、連覇を成し遂げた後「大成功です」と話していたが、皆渡さんが病を公表した後、実はまだ終わっていなかったことを初めて明かした。「元気になった皆渡がチームに戻ってきた時、初めて『あいたいね大作戦』が完結します」と話していた。その願いはかなわなかった。 

 

 新キャプテンの黒田朝日(3年)は皆渡さんの訃報を聞いた20日、今、自分にできることとして、大阪マラソン(24日)の前としては最後となるトラック練習を予定通りに行った。皆渡さんの出身地は大阪。黒田朝日は、その大阪で全力で走る。 

 

 原監督は「昨年10月、全日本大学駅伝の登録メンバーを決める時点では青学大のトップ16人に入っていました。今回の箱根駅伝でも出場候補選手でした。『がんになっても箱根を目指したい』という皆渡をチーム全員が応援していました。4年生では間に合わなかったとしても、5年目、6年目でもいいじゃないか、と思っていましたが…。残念です。早すぎます」と静かに話した。 

 

 ◆皆渡 星七(みなわたり・せな)2004年2月2日、大阪・豊中市生まれ。22年に関大北陽高から青学大経営学部に入学。2年時の第100回箱根駅伝で16人の登録メンバーに入った。自己ベスト記録は5000メートル13分51秒38、1万メートル28分49秒30、ハーフマラソン1時間3分30秒、30キロ1時間33分35秒。178センチ、60キロ。 

 

報知新聞社 

 

 

 
 

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