( 268736 ) 2025/02/22 15:17:13 0 00 (写真:ABC/PIXTA)
世の中には2通りの人しかいない。「子のある人」と「子のない人」。が、子がある理由も、ない理由もさまざまなのにもかかわらず、それについて互いに感想でも疑問でも意見でもざっくばらんに語らうことはない。いや、しないほうがいいのかもしれない。 どんな生き方を選ぼうと、どこにたどり着いていようと、それぞれの選択やあり方は尊重されていいはず。本連載では阿古真理氏が多様な角度から「産む・産まない」「持つ・持たない」論に迫る。第3回は『母にはなれないかもしれない 産まない女のシスターフッド』著者であり、ライターとして「産まない側」の発信を続けている若林理央さん。
■「産まない選択」がタブーになりつつある
若林さんは、今の日本で「産まない選択」がタブーになりつつあると考えている。
根拠の1つは、昨年12月17日に放送された『クローズアップ現代』「『子どもがいない』が言えない」についてXの投稿をたどっていったときに、「周囲に産まないと言えずに孤独な人が多い。子どもが減っているのに産まないことを責められる、罪悪感を抱く人が多い」という発信をみつけたこと。
そしてもう1つは、2023年8月に「産まない選択」をテーマにオンラインイベントを開いた際も、「クローズドのイベントなのに、複数人集まったうち私以外全員が匿名で、半分以上の人が顔出ししなかった。彼女たちが罪悪感を抱き孤独なことが、切実に伝わってきました」。
若林さんは1984年生まれ。関西の中高一貫の女子校に通ったのち、神戸女学院大学に進学した。母は医師で、若林さんが1歳のときに離婚すると、自分に何かあっても娘が大学を卒業できるように貯金してくれたそうだ。
20代の頃、職場で若林さんがキャリア志向という話をすれば、同僚女性から「定年まで働くの?」と驚かれたという。幼少の頃から、「子どものいない将来の自分」をイメージして育った。
小学校5年生の頃には、結婚もキャリアを積んで50歳ぐらいで、などと考えた。キャリア志向は、母の影響に加え子どもを産まない口実になる、と考えた側面もある。しかし、「子どもを産みたくない」と考える自分は、「普通」の仲間入りができない寂しさも感じていた。
周りが妊娠、出産をするようになると、妊娠中の女性が「同じ女性なのに、自分以外の命が体に宿ることを考えるだけで怖くなってしまう私とは違う人間になったような気がする」恐怖を覚える。
■「将来後悔するよ」「少子化なのに」
産みたくないことを公言すると、「将来後悔するよ」「少子化なのに」「日本の将来を考えていないの」などと言われることがあった。「女性に生まれたからには、出産したいと思うのは普通」と言われたこともある。結婚をすると、「次は子どもだね」と言われた。
自身の親族からは「(産みたくないなんて)母性がないの?」と批判される体験をしてきた。元夫の親族からは「内孫」を求められたこともある。夫からは強く子どもを求められなかったが、結局離婚した。
ところが、33歳で排卵障害があると医師に告げられ、そもそも産めない可能性があると知った際は激しく動揺し、医師や周囲の友人に相談する。そのとき、「子どもが欲しいかもしれない」という若林さんを受け止める人たちは、笑顔になることに気づいた。
子どもを産めば、求めてきた「普通」になれるかもしれない……。自分を取り戻せたのは、エゴのために産みたいと思っていることを、ある若い女性から指摘されたからだった。
やがて、子どもを欲しくない女性は自分だけではない、と知った。孤立する当事者に「あなただけじゃない」と伝えたかった、と炎上覚悟で本を刊行。目的は「産む人」「産まない人」「産めない人」が共存できる社会を目指すことだった。
■「産まないのは、私だけと思っていた」
反響で多かったのは、「産まない選択を発信してくださってありがとうございました」という声で、「産まないのは、私だけと思っていた」「私だけと思って孤独だったから、命が救われた」と、若林さんが届けたかった人たちからの切実な声も多い。
「20代の頃、結婚し子どもを産む相手探しの合コンに連れ回されていた友人が、30歳の頃に自分は子どもが欲しくない、結婚したくないと気づいたそうです。彼女自身はフリーランスのバリキャリなんですが、祖母も母も働いたことがない。実家に帰ると、祖母に『働かせるんじゃなかった』と泣かれ、祖母が亡くなった後も母親から同じことを言われるそうです」
その友人が「なぜ」、と言われた際に返すのが「結婚したいけど相手がいない」だという。また、周りが納得するという理由で「今の社会がよくないから」と街頭インタビューで答える女性をテレビで見たこともある。
子どもを産んだ女性は「なぜ産んだの?」と問われることがほとんどないのに、産んでいない女性は「なぜ?」と問われる。くり返される質問に、どのように対応したらよいのか。
産んだ女性が、欲しくて産んだ場合と、「できた」から産んだ場合など多様な要因があるように、産まない女性も、明確な理由がある人もない人もいる。ない人は、ハラスメントを与える相手に、理由をひねり出して差し出さざるを得ない場合がある。
■貧困と子どもを「産む」「産まない」の関係
若林さんが特に共感した取材相手の1人が、婚活して結婚した専業主婦の女性。子どもの頃から結婚も出産もしたくなかったが、取材時に37歳だった彼女は、挑戦した医師の道に進めず、非正規雇用の仕事を渡り歩いてきた。
生活のために婚活した際、アプリの「子どもが欲しい」欄は⚪︎を入れた。婚活で出会えた夫とは休日に小旅行をし、自宅でも会話が弾む。避妊はしていないが、子どもが生まれても愛せる自信がなく「この幸せが、子どもができたら壊れてしまうのはたしかです」と断言している。
この取材で若林さんは、「貧困と子どもを『産む』『産まない』の関係をすごく考えました」と話す。「自立心はあるのに生活費を稼ぐのが難しい。ワーキング・プアの女性の人生は、結婚とすごく絡み合っているんです」。
若林さん自身は、「就職氷河期の次の世代」ではあるが、女性が安定した雇用を得る困難は続いている。『令和4年版 男女共同参画白書』によると、2001年の非正規雇用者の割合は女性が53.6%と半数を超えているのに対し、男性は21.8%にとどまる。
私は若林さんの大学の先輩に当たるが、バブル最盛期だった私の学生時代、同級生たちはこぞって就職の道を選んだ。女子大生も就職するのが当たり前の時代になった、と思っていた。
しかし後の世代は、1980年代前半までの女性と同じように、安定した職を得ることが困難になり、結婚が生きる手段の時代に逆戻りしたのだろうか。安定した生活を守るために、「産まない」選択ができない女性は、大勢いるのかもしれない。
また、若林さんの著書には、欲しくても産めなかった女性も出てくる。52歳のウェブデザイナーの女性は、20代の頃までずっと、家族に振り回され出産どころではなかった。30代で母が倒れ、孫の顔を見せたい、と長年のパートナーと38歳で結婚した。
しかし、母が亡くなった後も、不妊治療はうまくいかず、立ち直るのに治療期間と同じ時間がかかったという。その間、職場の同僚が子どもの話をするのに傷つき、実父の心ない言葉にも傷つけられる一方、とことん向き合ったパートナーと絆を深め、義母にも支えられた。
■環境によっては「産まない選択」が過酷になることも
産まなかった人の中には、産みたくない人もいれば、産みたくても産めない人もいる。「産まない」「産めない」人にも、思いや経験によって異なる複雑なグラデーションがある。
若林さんの著書には、30〜40代女性向けの自治体のイベントが、どれも母親対象に設定されていて、「子どものいない女性は社会全体に拒絶されているように思えて寂しかった」経験が書かれている。
産まない選択をしたことに疎外感を覚えるか、「産むべき」プレッシャーを感じるかどうかは、その人が暮らす環境や価値観によって異なる。しかし、「産むのが当たり前」な環境にいる場合は、産まない選択が苛酷になりうることも、若林さんの体験と取材から浮かび上がる。私たちは本当に、多様な価値観や生き方を認める社会を築けているのだろうか?
阿古 真理 :作家・生活史研究家
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