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「足を使って取材しろ」「当事者でもない奴が記事を書くな」「偏向報道だ」…“フリー記者”はSNS上の“批判”をどう受け止めているのか

デイリー新潮 2/25(火) 9:10 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c5b271ce4defe0422d615c982a40a502e0faeae7

 

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ジャーナリストやメディアの問題点について、様々な視点から取り上げられています。

ジャーナリストは「取材」や「言論活動」をする役割であり、問題提起だけでなく行動を起こすこともあるが、取材対象との関係性や偏向報道などに気を配る必要がある。

現代のネットニュースでは「コタツ記事」や「足で取材しろ」という批判もあり、メディアは情報を客観的に伝えるために努めるべきだと指摘されています。

さらに、報道内容や取材方法においてチェリーピッキングや偏向報道があることも懸念されており、情報の送り手と受け手の双方が情報を正しく理解するためにネットリテラシーを高めることが重要である、と述べられています。

(要約)

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情報の送り手としての問題はどこに? 

 

 前回、フジテレビの記者会見の様子から「フリー記者」の実情を紹介した。筆者自身が携わっている仕事でもあり、もう少し踏み込んだ内容を続編として書くことにした。前回記事のコメントでも散見されたワードや、普段の活動から感じる「メディアや記者に対する世間の誤解」について紹介したい。 

 

「指摘するのは誰にでもできる。そんなに主張するなら口だけじゃなくそれやってみろ」 

 

 普段、問題提起をする記者たちには、こういった声が向けられることがしばしばある。 

なかには問題解決に向けて、実際に行動するジャーナリストもいるのだが、彼らに対しては、こんな言葉がよく掛けられる。 

 

「あいつはジャーナリストではなく、活動家だ」 

 

 前回の記者の実態を紹介した記事にも、この声が散見された。 

 

 確かに本来、ジャーナリストたちの仕事は、「取材」であり「言論活動」だ。権力の監視や問題提起をするのが役割であり、その解決のために具体的な行動にまで踏み込むのは仕事の範疇ではないかもしれない。 

 

 それでも彼らが問題解決に向かって行動しようとするのは、決して不思議なことではない。元々、問題意識が高いがゆえに就いた職業であるうえ、第三者として長期間、現場に近いところから問題と向き合っていれば、時に当事者よりも解決策がクリアに見えてくることさえある。また、行動することで問題がよりクリアになるケースもあるため、ジャーナリストにおいては行動が伴うケースはそれほど珍しいことではないのだ。 

 

 ただし、気を付けなければいけないのは、取材対象や論評する相手方との関係性だ。利害関係によって言論活動が委縮することはあってはならない。 

 

 例えばブルーカラーの労働問題について書くことが多い筆者の場合、運送や製造、建設業界からの講演依頼がよくあるが、依頼を受ける際は決してその業界や企業を喜ばせるための話はしない。企業製品のPRも一切しないし、逆にこちらからPRをすることもない。あくまでも社会やその業界のための問題提起、取材・データに基づく現場の課題の指摘をすることを前提としている。 

 

 それは前回記事でも紹介したとおり、ジャーナリストは権力だけでなく「大衆」からの独立が必要だからだ。 

 

 ゆえに、こうして真実を忖度なく指摘することで真実性を担保しているジャーナリストは、現場のことを思いながらも孤独になりがちなのだ。 

 

 

 もう1つ、メディアに対してSNS上で聞こえてくるのは「足で取材しろ(自分で取材しろ)」なる批判だ。実際、現在のネットニュースなどには「コタツ記事」が非常に多い。 

 

 コタツ記事とは、その名の通りコタツの中に入っていても書けるような記事のこと。つまり、現場に足を運び取材しなくても書ける、引用を中心にした記事のことを指す。 

 

 このコタツ記事に憤りを感じているのは、読者だけではない。SNSでの発言を勝手に引用される人たちの間でも不満の声が上がる。筆者自身、勝手に自身の言動を何の確認もなくネットニュースにされることがあるが、かなりの頻度で間違った情報が混ざっていることがある。 

 

 そのため、ジャーナリストは原則「自らの力で取材するべき」と思うのだが、その一方、こうした「足を使わないコタツ記事」が世間からも批判されるようになったことで、一部の読者からは「全ての取材は足でするべき」、という見当違いな考えが見られるようになった。 

 

 SNSを見ていると、大手メディアの公式アカウントが、有事に居合わせた人の投稿に「突然すみません、テレビ局の者ですが、お話を聞かせてもらえないでしょうか」などとコメントを残すことがある。それに対してよく見られるのが、「自分の足で情報取りに行け」、「人任せにするな」という批判コメントだ。 

 

 しかし、SNSなどを使って現地の人に話を聞くことは正当な取材活動である。むしろSNSを調べたり分析したりすることによって、足では気付くことのできないような情報に触れることは多い。 

 

 もちろん、直接現場に行って自身の目で確かめる必要はあるが、例えば自然災害があった際、すぐに被災地に入れない時に現場で撮られた動画や画像を借りてテレビや新聞で報じれば、より多くの人に現場の現状をいち早く伝えることができる。 

 

 これに「使用料を払え」という人がいるが、取材・報道にあたっては中立性・客観性の担保から、金銭の授受はしないことが原則と考える。 

 

 

 また、筆者のように労働問題などの記事を書いていると、「経験したこともないくせに偉そうに記事を書くな」と批判してくる人もいる。 

 

 もちろん、その経験者が自分の業界の事情を多角的に汲んだ記事を大衆に分かりやすく書けるならばそれに越したことはない。伝聞になれば情報に齟齬が生じる可能性はあるし、感情も情景も伝わりにくくなることは間違いない。 

 

 しかし、1人が何かを語ると必ず「主観」が入る。真実性というのは、現場の経験者の話を“複数”聞き、客観的かつ冷静に物事を捉えることで初めて確立される。それを紡ぎ出すのがジャーナリストの仕事なのだ。 

 

 何より、もし「当事者以外は記事を書くな」がまかり通るならば、それは歴史を報じる記事が消失することになったり、交通事故や殺人事件に巻き込まれたりした当事者しか記事が書けないことになる。 

 

 一番知っているのは当事者でも、それを最も正しく世に伝えられるのは当事者ではないことがあることも知っておく必要がある。 

 

 もう1つ、世間からは大きな事故や事件が起きた時、メディアが一斉にその当事者へ取材に行く「メディアスクラム」にも批判が向く。 

 

 確かにメディアによる過熱取材はよくない。どこよりも早く情報を得たいという思いから周りが見えなくなり、世間はおろか、当事者にも迷惑をかけるケースも少なくない。 

 

 筆者自身、このメディアスクラムにはかなり敏感で、長いこと被害者遺族に取材依頼ができなかった時期がある。 

 

 とりわけトラックドライバーの事情について書くことが多い手前、トラック事故による被害者遺族への取材においては被害者遺族へどうアプローチしていいものかとかなり悩んでいたのだが、いざ被害者遺族に触れてみると「是非報じてください」と積極的に取材に応じてくれる人が多い。 

 

 被害者や被害者遺族においては、テレビの報道を見ていると「悲しい印象のある人」に映ることもあるかもしれないが、触れ合ってみると、我々と同じように日常生活を送り、笑い、仕事をしている人たちだという「当然のこと」に気付かされる。 

 

 事故や事件においては、発生状況も当事者感情も十人十色だ。世間からは「大変な時にマイクを向けるとは何事だ」「そっとしておいてやれないのか」と通り一遍に批判されてしまいがちだが、なかには「聞いてほしい」「今の思いを世間に伝えたい」と思っている人たちもいることを知っておいてもらってもいいと思う。 

 

 

 メディア批判のなかで特にここ最近よく耳にするようになったのは、「偏向報道」という言葉だろう。 

 

 偏向報道とは、意見が分かれるような状況において、都合よく情報操作が行われることを指す。 

 

 特に選挙イヤーであった2024年はこの偏向報道という言葉が、メディアの報道姿勢を問う声として多く聞かれた。しかし、前回の記事でも言及したとおり、大前提として情報の受け手が知っておかなければならないのは、全てのメディアは偏向なくして報道はできないと言っても過言ではないこと。 

 

 元々メディアは、限られた紙面や尺のなかでどんな事件や事故を取り上げるかを選択している時点ですでに偏向しているからだ。 

 

 SNSで読み手が「偏向報道だ」と批判している要因を探ってみると、その多くは、自分の思想や主張と真逆のことを報じているメディアへの批判であることがほとんどなのである。 

 

 現に、自分の都合のいい報道に対して「偏向報道だ」と言っている視聴者や読者を、筆者は今まで一度も見たことがない。 

 

 とはいえ、メディアに世間の指す“偏向報道”がないのかといったら、そんなことはない。メディアが起こす悪質な偏向報道というのは、個人的に「取材内容の操作」に表れると思っている。 

 

 なかでも散見されるのが「グラフや数字」におけるビジュアル面での操作だ。 

 

 例えば、アンケート調査結果で、20%の割合を円グラフで40%ほどとして大きく見せかけたり、軸の目盛りの間隔を歪めたりする印象操作が過去には度々起きている。こうした恣意的な操作は、メディア側の完全なる「偏向報道」と言えるだろう。 

 

 また、例えば「満足」「普通」「不満」を聞いたアンケート調査の結果において、「普通」の数字を含めて「普通以上」「不満」と選択を2つに分けるようなグラフも見かける。 

 

 統計学には「数字はウソをつかないが、ウソをつく人は数字を使う」という有名な言葉がある。数字は客観的にその出来事を捉えることができる最大の指標である。だからこそ人は騙されやすいということも知っておくといい。 

 

 最後に、メディアの情報操作として個人的に悪質だと思うことを紹介しておこう。 

 

 それは、「チェリーピッキング」だ。 

 

 これは、例えば30人に取材したうち、取材側が潜在的に望んでいた回答をした、たった1人の話を取り上げて「世間の声」として紹介する手法を指す。決められたページ数で記事を書く、時間内に放送する、というように、メディアには制限が生じるため、どうしても報じる側には「想定」が生まれる。 

 

 その「想定」が「予定」に近づけば近づくほど、このチェリーピッキングは生じやすい。 

受け手の多様化や送り手の人手不足により、番組・記事制作は年々難しさを増すが、結果ありきの取材方法はメディアとしては絶対にあってはならない。 

 

 恣意的でないにしても人間が報じている以上、報道機関も時に誤情報を流してしまうことはある。もちろんその数をできるだけ少なくするよう各メディアは努力しているところだが、情報が溢れる昨今、情報の送り手だけでなく受け手もネットリテラシーを高める必要があるとつくづく思う。 

 

橋本愛喜(はしもと・あいき) 

フリーライター。元工場経営者、日本語教師。大型自動車一種免許を取得後、トラックで200社以上のモノづくりの現場を訪問。ブルーカラーの労働問題、災害対策、文化差異、ジェンダー、差別などに関する社会問題を中心に執筆中。各メディア出演や全国での講演活動も行う。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書)、『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路 現場知らずのルールに振り回され今日も荷物を運びます』(KADOKAWA) 

 

デイリー新潮編集部 

 

新潮社 

 

 

( 269905 )  2025/02/25 16:54:52  
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この記事では、メディアの報道に対する批判や偏向報道に対する意見が多数挙がっています。

一部の記者やメディアは、自らの思想や主張に基づいて記事を書いており、客観的な視点を欠いているとの指摘があります。

特にチェリーピッキングや偏向報道などが多いと感じている人も多いようです。

 

 

報道の中立性や公正性を問う声もあり、メディアの責任や信頼性の問題が取り上げられています。

一部の活動家や自称ジャーナリストは、偏向した情報を流しているとの批判もあります。

 

 

また、記事自体についても偏向や客観性の欠如、読者や視聴者への誘導の問題点などが指摘されています。

メディアに求められるのは事実を正確に伝えることと、多角的な視点を提供することであるとの意見もあります。

 

 

最終的には、メディアや記者の責任、読者のリテラシー向上、報道機関間での競争など、さまざまな側面から取り組むことで、より健全な報道環境を築く必要があるとされています。

 

 

(まとめ)

( 269907 )  2025/02/25 16:54:52  
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=+=+=+=+= 

 

メディアの偏向報道に腹が立ったことはある。 

 

建設業で働いていた時、冬は除雪もやっていた。 

大寒波で数年ぶりの豪雪となった時、除雪が間に合わず各地で渋滞が起きていた。 

その時、地元メディアが取材に来た。 

 

私たちは除雪の現状、間に合わない理由、どういうスケジュールで働いているかを話した。 

しかし使われたのは除雪基地でコーヒーを飲んでいるシーンと、大変だけど給料面では助かるという意見だけ。 

結果、それなりの批判を浴びた。 

 

要は最初から「こういうストーリーにしたい」という思惑があり、その材料を集めに来ていたわけだ。 

これは取材なのだろうか。 

こういうことが各地で起きているなら、メディアは信用できないと思った。 

 

▲1822 ▼32 

 

=+=+=+=+= 

 

ひとりひとりの現場の記者さんが中立公平の気持ちを持って記事を書いたとしても、我々が目にする記事は編集部なり編集長なり出版社のバイアスがかかる。 

そして記者は、自分の書いた記事が捻じ曲げられても今後のことを考え 受け入れるしかないのでは? 

インタビュー受けて メディアに流れる時、あれってなることは多いと思う。 

 

▲32 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

チェリーピッキングの話出てるけど、これめちゃくちゃ重要なんだよな。 

公平中立であるべきテレビメディアがインパクト重視でニュースでこれをやりまくるから思想が偏る側面はかなりデカイと思う。 

もちろん個々人には表現の自由があるとはいえ、公共の電波使ってるんだから目立つために極論言ってる奴らにハックされないようにして欲しい。なるべく極端な話や主張を取り上げるのは少なめに、全体俯瞰して現実的な両論併記をお願いしたい。 

 

▲755 ▼33 

 

=+=+=+=+= 

 

ある物流に詳しい専門家が、テレビで現在の物流業界についての問題点についてコメントしてほしいと依頼されたらしいです。たくさんの資料を用意し、打ち合わせに臨むと「コメントしてもらいたいのはドライバーがどれだけしんどい思いをしているかという点だけで結構です」と番組担当者に言われたとか。要するに視聴者は「自分よりも大変な人を見るだけで満足するのだから、物流問題の本質や深い洞察まで見せる必要はない」ということ。 

今のニュースが上っ面の報告と芸能人コメンテーターの感想で構成されてる原因がわかりました。 

テレビは物事の本質を全て見せるよりもドラマチックで共感や優越感を生む内容を好む、物流関係がスポンサーについてると突っ込んだことは控えたい、両方うまくすり合わせた視聴率至上主義この上ないんだなぁと。 

テレビの現場はこんな感覚なんだからそりゃ偏向報道、報じない自由、やりたい放題にもなりますね。 

 

▲554 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

オールドメディアの調査などチェリーピッキングばかりじゃないですか。 

そうじゃない調査の方がレアなのでは? 

オールドメディアの調査結果とやらはほぼ必ずそのメディアが信奉している政党や思想に沿う内容が多数派になっているし、どうしようと無く自分達の支持する考え方が不利な場合でも否定的意見と賛成のいけんの差がやたらと少ない。 

そして必ずと言って良いほど「賛成が多いがそれに引けを取らないぐらい反対が多いという国民の意見を無視するな」でくくってくる。 

他社と調査だと大差がついていても平気でそう言う偏った発信を行う。 

左派思想を持つオールドメディアほどその傾向が強い。 

自分達と異なる思想を持つ人や政党に対しては小さな事でも大事件の様に報道し、自分達と同じ思想の政党や人たちが行った時は報道しない自由を行使して闇に葬る。 

SNSの事を非難し規制しろと主張する前に既存オールドメディアこそ解体された方が良い。 

 

▲51 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

2/23日、維新の会の記者会見はジャーナリストでもない一般人も制限なく会見場に入ることができました。 

その為に会見が三人の擁護や別の問題にすり替えられることになることもありました。 

ユーチューバーなら10万人以上の視聴者とかジャーナリストなら発行媒体名を明記するくらいの制限やチェックは必要だと思う。 

 

▲104 ▼64 

 

=+=+=+=+= 

 

中居フジ会見の流れでいうとやはり文春誤報訂正記事の影響軽んじるべきではないと思われ肝の部分が誤報ならその前後はより適当が浮かびさらにいうと文春はX子さんの証言の取り留めのなさをわかっていたからその証言に物語を付け足して盛らなきゃ読み物にならないと意図なき誤報ではなく確信犯意図した捏造をしたまであるのではないか 

 

そこを新潮含めた同業他社は何故正さないのか?正せないのか?そのレベルの扇動醸成は横並び阿吽の呼吸でやっているからではないか?コロナ以降文春新潮立派な出版社新聞社レベルのwebニュース媒体に変化は感じていた同じ情報教材でも買ってるのかという横並びに匿名掲示板の煽りスレッドまとめブログレベルが頻発折からの出版不況貧すれば鈍すか件のフジ会見自身で足を使った取材する費用も発想もない記者が誤報訂正文春片手に憶測見立て探偵ごっこで撒くし立てるに終始この現状を批判的に見る以外どうしろというのか。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

自称ジャーナリストやフリー記者を名乗る活動家を防ぐ為にも、資格制度を導入した方が良いと思う。資格要件は例えば各新聞、マスコミ、TV業界などで一定期間、所属、勤務、活動などをしていたことを、属していた会社や団体が証明し、活動報告をすること。また、試験要項としてはモラルや法律の筆記試験に加え、論文提出、宣誓書提出など。民間企業であればキャリアアップで試験があるのに、メディア業界や政治家など重大責任を負うものに関して、資格試験がないのはおかしい気がします。 

 

▲120 ▼39 

 

=+=+=+=+= 

 

フリーかどうかを問わず、デスクが考えた「ストーリー」を完成させるためにひたすら誘導質問をするのが多い。 

ストーリーに合わない答えをすると、仮定の話を盛りまくり、それでも思うようにならないときは恫喝したり逆ギレしたりすると。酷いときにはそのストーリーの正当さを延々主張するなんてのもある。 

「ストーリーとは違う」と答えたら、その答えにどれだけ信憑性があるのかを確認するのが本来の報道の役目。 

最近は役所を中心にフルで動画配信するところも多く、これらを見ると「‥」と思う記者は相応にいるなぁという印象。 

聞かれるほうもコンサル入れて対応する時代、聞く方も学習しないとな。 

 

▲311 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

この手の記事もそうなんだけどあるかないかにおいて幅広く事例が存在するような場合、極端なものも当然存在するわけでそれをぶつければ容易に否定も肯定もできるんだよね、まともな反論ばかりなのに極端な反応を取り上げて誹謗中傷ムーブするような手法もそうだし、昨今だと非実存型炎上とか。 

 

特に昨今は両極端の意見で白黒二元論で断定口調で語る記事ばかりだからその言説が本質を捉えているかどうかを見極めるのは本当に大事。 

 

▲207 ▼11 

 

 

=+=+=+=+= 

 

本来、中立・公正であるべき報道が、記者やメディアの立場や意図によって偏ったものになりやすく、それが視聴者や読者の信頼を損なう要因となっている。報道機関は事実を正確に伝える責任を負っているが、近年では特定の立場や視点に基づいた報道が目立ち、受け手が一方的な情報に触れることが多くなっている。その結果、メディアの信頼性が揺らぎ、「偏向報道だ」と批判されることが増えているのも事実だ。特にSNSの普及により、一般の人々が多様な情報源にアクセスできるようになったため、メディアの報道内容と異なる視点を持つ人々の声が可視化され、不信感がより顕著になっている。そのため、報道が公正性を保ち、多角的な視点を提供することの重要性はますます高まっていると言える。 

 

▲88 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

某大手総合メーカーで働いていた時のことですが、会社である物流制御システムを開発した。 

そのシステム開発を担当していましたが、現場の誰もがこれは汎用性はない、今回の導入で終わりだと判断していたのに、某日経新聞は画期的なシステムが開発された、今後の物流システムに多数導入されるだろう、と記事にした。 

そのシステムは以後導入されることなく、お蔵入りしたのだが、それ以降某日経新聞は提灯記事を書く会社だな、と思ったものだ。 

多分それぞれの会社にも似たようなことがあるのだろうと、想像しています。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

チェリーピッキングの弊害は当然ありますが、取材して報道するにあたって、チェリーピッキング除去をした報道をすることは、どの程度の困難さか。という問題があります。 

 

究極、専門の学者になって足を使って統計をまとめたうえで発表。これだと報道が成り立つ対象が限定されてくるという問題もあります。 

 

しかし、頭の良い報道者ならわかるはず、自分の報道内容がだいたいどの程度の妥当性を本当の意味で有していそうか。 

 

ただそのことは視聴者に伝えることはできない。 

受け取る方にもリテラシーが大事、などとも言えますが、結局のところ、報道者の良心にそこは委ねられると思います。 

だからこそ、比較的信用できる報道者とそうでない報道者はある程度選別できるようにしたほうが良いかとも思いました。 

 

▲50 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

フリー記者が自分のブログやYouTubeで配信しているならば、別にどんな偏向だろうと法律の範囲内でやっているのであれば構わないと思う。問題は、フリー記者の記事の引用だったり、炎上を記事にすることで、実はフリー記者の主張をあたかもニュース本文のように扱うやり方だと思う。 

 

最後までよく内容を吟味すればわかるという話がよくあがるが、逆に言えば最後まで内容を吟味しないと誤解しかねない内容にしているとも読み取れる記事が増えてしまっている。 

 

あとは、論評や意見、または賛否が分かれる題材が含まれる記事の場合、記事の最後ではなく、記事の内容を伝える前にどのような立ち位置の人の記事なのかが事前に分かるように簡単な紹介を載せるべきだろう。 

 

▲79 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

求められるのは知識量じゃなく理解の深さ。知識量は理解の深さを推測するための指標。理解の深さとは、「何がどうなって結果こうなる」という因果関係、基本構造にどれだけ精通してるか。 

 

知識量は、記事が言うように誰でも身に付くし装うこともできてしまう。そこで差がつくのは理解の深さだし、見る側はそれを量る眼が必要なんです。 

 

▲74 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

ご自身もフリージャーナリストなのですね。私は少なくなりつつある、新聞の読者なのですが、お金払って偏向報道を読むのは、正直、腹立たしく思っています。ただ、自分の新しい視点も貰えるので、どうしても新聞がやめられない…。もう買わない!と言ってやりたい気持ちもありつつ…。フジテレビの記者会見で問題になった、フリーの記者の方たちの姿勢は、正直好きではありませんし、彼らの書いた記事を読みたいとは思えません。ああいう方法で取材され書かれた記事は、偏見に満ちていると感じるからです。なぜならば、彼らは、自分の書きたいものに相手が合わせてくれる事を望んでいるので、都合の良い言葉を引き出そうとし、繋ぎ合わせて、攻撃するからです。既存メディアも、実は変わらないんですけど…。フリーでの活動だと、色々あると思いますが、足を使った記事を期待しています。 

 

▲186 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

記者も人の子で各々思想信条と嗜好があるし。 

それは当然出し仕方のないことだけれど、何かしらの事件や話題に対して取材する際に過度の前提や決め打ちをもって取材に挑みそしてそれに従って従順ともいえる内容の記事を書き発信する。 

中にはその発信に自分が酔って気持ちよくなってるな…みたいな記事やそれ目的で書いているような記事もあるし、 

下手なカラオケを聞かされている感じ。 

 

まぁ読者側も色々と備えて構えて記事を読むという対応が大切になってくるのかと。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

メディアが権力を監視する役割を担っている事は理解できるが、それによりメディア自身が権力よりも上の立場だと誤認してしまっているようなケースを見かけます。 

勿論自身の意見を持つことは良いかと思いますが、それを視聴者に押し付けたり、権力側に対して敬意の無い言い方をするのは違うと思います。 

監視は単なる役割に過ぎないと思う 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

記事では『ジャーナリストは権力だけでなく「大衆」からの独立が必要だからだ』とあるけど、この考え自体は正しいものの『往々にしてジャーナリズムを大衆の上に置いてしまいがち』という現実を見落としているように思う。ジャーナリストが大衆を(自分が良いと妄信する)特定の方向に教導しようとする事は最近目立つようになってきたが、この『大衆を下に見る態度』を同じジャーナリストから批判がなされない状況に対して非ジャーナリストすなわち大衆の反感が高まるのは当然であり、ジャーナリスト全体が批判的に見られるのは自然の帰結である。『情報の送り手だけでなく受け手もネットリテラシーを高める必要があるとつくづく思う』という文言にも、恐らく意図していないと思うが(無自覚に)『自分達はしっかりしているが大衆はまだまだ』というジャーナリスト優位の意識がみえてしまう。 

ジャーナリストがそうであるように、大衆も玉石混合なのだから。 

 

▲31 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

チェリーピッキングは報道も元になるファクトの操作で、偏向報道を目的としているが、それ以外の偏向報道としてファクトをベースにした一方的な評価がある。 

特に法律や政策には良い面と悪い面が混在している。例えば政治と金についても、お金を企業などの集団に頼るとその集団に有利な立法をしたり口利きをする可能性が出てくる。しかし多くの有権者の意見を聞こうと思えばお金がかかるし、そのために政治家の多くが借金を抱えている。この辺りを過不足なく報道するのがマスコミのあるべき姿だと思う。特に旧安部派の政治資金問題については、裏金裏金と糾弾する割にはそれが何に使われたかの報道がほとんどない。個人的な飲食や物品購入に使われたのなら横領なのだから、ちゃんと調査して報道して欲しい。 

 

▲13 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

公平・中立であるべきって意見がよく見られるけど、テレビのインタビューとかでニュースでほんの数秒とかしか流れないやつでも実際は5分、10分とかやってるニュースの尺もあるから不要な部分はカットするけど、その時の基準は報道する側の判断だからどうしてもその部分で私見(私情)が入ってくるからムリ。 

他の人にとってはカットされた部分の方が重要ってなるのもある。 

今の報道はインパクトがあって面白ければいいという感じで政治家の不適切発言とかもインパクトのある一ワードだけを切り出して報道する発言全体を聞いたらそんな意味では使ってないのわかっているのに。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

マスコミやジャーナリストと自称する人の中には騒がしたり、存在感を示せれば良いと思って行動している輩は存在する。昨今でも石丸氏の新党説明会後に党の綱領も見ずに自分の思い込みをぶつける人もいた。マスコミに不信感を抱いた最初の体験は、阪神淡路大震災の時に、我が家も半壊したが、おばあさんの代わりに水の入った灯油ポリを運んでいた時に遭遇したカメラマン。 

「これはスゲー」とか言いながら半笑いで倒壊した建物を撮りまくっていた奴を見た時に、始めて殺意が芽生えたよ。 

当時高校生だったけど、今でも忘れない怒りだ。 

 

▲75 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

少し前までインターネットメディアが既存メディアに取って代わるかのように言われていたけど、全体像を報じない記事というより、ゴシップやアクシデントをことさら取り上げる記事が多くなっており、インターネットメディア自らが価値を貶め続けている 

速報性はあるけど三流紙の中面のような記事ばかりになったのは、ある断面しか切り取らないコタツの影響が大きい 

 

▲37 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

通信記者とメディア記者は本来は別な職業だから、自らの足で取材しろ云々は的外れとは自分も思う。本来は 

だが「通信社が主観的な主義主張や善悪、正義感を排した、証拠に基づく客観的で中立的な情報記事をメディア記者に提供する」という 

分業が正しく機能するための前提が現状では成り立ってないので、結果的に自ら調べてないと歪んだ情報を元に記事を書いている可能性が多分にある 

それに今は技術の進歩で容易に真贋が見抜けない情報が増えたから、よりソースに近付いた情報ほど確度が高い“イメージ”がある 

結果的に、メディア自身はほぼ記者を持たず、通信社が供給する記事を転載するだけになっていくのかなと思ってる。地方メディアなんかは既になってるし 

 

▲26 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

メディアには事実を伝える責任がある。放送法4条の3には「報道は事実をまげないですること。」と明記されている。まず、それすら疎かにしている一部メディアは、公衆に向けて発信する資格は無い。 

 

しかし、「事実をまげない」だけでは不十分で、4条の4には「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」とある。 

 

しばらく前からある言葉に「報道しない自由」というものがある。メディアは自らの不利益になることや、社のイデオロギーに反することは、重要な事実であっても報道を避けることが多いことがよく知られている。 

 

こういった偏向報道こそ指弾されるべきなのに、本記事では「偏向なくして報道はできない」「偏向と批判する要因の多くは自分の思想や主張と真逆のことを報じているメディアへの批判」と、責任転嫁している。 

 

残念な記事と言わざるを得ない。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

ジャーナリストを名乗るなら、読者の本音を聞けるのはよい事なのでは?それを敬意を払えと高飛車になるのには違和感がある。つまりは、本音ではなく、お世辞の類の建前論で綺麗事を話せというのは違うのでは?書く側は自分の意思も込めて自由に書いているのは良いが、それに反論されるのは嫌だという矛盾におもえる。respectと書かずに和製英語的にリスペクトという単語を使えば、表現がやわらぐとでも言いたいのかも不思議…日本語をキチンと使ってこそ文筆家の意義があるのでは? 

 

▲52 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

活動家というのは、権力=悪と決め付けて、とにかくイチャモンをつけるのが目的となってる人達のことだと認識しています。 

権力の監視が必要な面はもちろんあるものの、権力者(とジャーナリストが認識した人)に対して物を申して反対することが監視、正義だと勘違いしている人が多いように感じます。 

大抵は聞かなくても分かるような質問だったり、回りくどく話してたと思ったら自分の政治主張が始まったりしますが、必要なのは意図を汲んだ質問を短時間で行い、要点をまとめること。 

その能力に長けた人がなるのがジャーナリストという仕事だと思います。 

わざと回りくどくして相手の本音を引き出す、食い下がっているのは自分の質問が鋭いからだ、なんてのは能力の無い証拠で勘違いも甚だしいです。 

会見など、観ている側が「なるほど」と思える質問を少しはしてほしいですね。 

 

▲28 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

フジテレビの会見を見ていて、特にフリーのジャーナリストに思う。 本来質問の場なのに、それぞれが自分の意見を主張する場になっている。本末転倒! こういった意見があるとか言って主張する!出展を示せよ! 女性ジャーナリストなんかは、持論が長すぎて会見ではない。 こういうのを長時間見せられたら活動家と言われても仕方ない。 あのときの質問者がどの媒体に木地を載せたのか一覧でも示してくれたら多少は納得できるかも。 

 

▲96 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

オールドメディアが信用できないという批判は多いし、自分としてもお世辞にも信用はしていない。 

 

……しかし、だからYoutuberやSNS情報ならば信用できるという話には全くならない。 

むしろもっと無責任になっただけだ。 

 

オールドメディアは、その気になれば簡単に提訴でき(会社の所在地や法人情報も公開しているからね)、司法の場で責任を追及される。 

賠償命令を出されれば賠償する程度の企業体力はある。 

 

YoutuberやSNSはそんなものはない。 

顔出し、名前出ししてないことも多いし、住所はもっと明かしていない。住所不明では名前と顔だけ明かしても裁判は門前払いされる。 

住所が分かるには探偵や特定班でも使うしかない。 

また、仮に分かった所で賠償命令を出されても「無い袖は振れない」で責任からは逃げられてしまう。 

 

情報の絶対量が多い分正しいものも紛れている可能性も高いが「信用できる」とは違う。 

 

▲65 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

事実を伝えることが報道であり、言論活動も問題提起も記者の役割ではない。今起こっている問題というのは、事件になっていない事を事件としたり、憶測でものを語る記者があまりにも多すぎて本来の報道とは異なり、またその行動そのものが事件となっている。 

 

▲3 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

このような記事が出たところでオールドメディアの信用が上がることはなく焼け石に水なのではないか? 

しかもこの記事には見る側、読む側とマスコミとの意見の違いで偏向になるとか書いてありました。それぞれ皆が考えを持っているのは自然だと思いますし右寄りな事を書くと左から批判され左寄りな事を書くと右から批判されだと思います。しかし一番偏向だと思う事は左とか右ではなく自分達の失態についてはだんまりな事です。企業の不祥事はあることないこと書くくせに自分達の不祥事はだんまり。昔からそうやってきている以上自浄能力もなにもないでしょう。 

 

▲14 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

メディア側からこういった意見が聞けるのは、斬新だし同業者もコタツ記事には眉をひそめてると分かったが、それでもデイリー新潮もメディア・スクラムしてあることないこと書いてるよね。結局はメディアのモラルと自浄作用に期待するしかないようた 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそも読者である個人の側も考えは多少なりと偏向している 

その事象に完全に精通していて完璧に中立な立場で物事を判断出来る人がどれほどいるのか 

大抵の場合は一知半解で自分の耳に聞こえのよい意見だけを取り入れて、それに反する意見や報道はすべて偏向だと決めつけている 

なんなら報道を見てからわざわざ逆のポジションを取る逆張りありきの人もいる 

問題はSNSには完全なデマが紛れ込んでいるということ 

少なくとも「まともな」機関の報道であれば元となる情報の内容に嘘はない(嘘があれば法で罰せられる) 

どのようなポジションであれ物事を判断する場合には正確な情報を元にするべき 

仮にまともな報道機関が嘘の報道を行っていると「具体的な証拠」をもって確信しているのならまず通報すべきだろう 

 

▲8 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事の内容もジャーナリストとしての意見であり、SNS上での"批判"の本質ではないと考える。会見場で自説を唱えたり徒党を組んで組織的に混乱させるような売名行為をするルール無用のフリー記者やジャーナリスト。基本的には自身が持つイデオロギーで取材するため当然偏向であり、また金銭が絡む案件的な扇動を目的とした偏向取材を受けるジャーナリストも多く存在し、プロ市民と呼ばれる活動家同様な者も存在する。端的にいうと信用できない不要な存在であるということではないだろうか。 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

報道は全く中立になれないというか中立というのがどこにあるのかも難しい 

新聞社にはそれぞれ本社があり系列もあり編集長の主義主張もあるのは避けられない 

例えば読売新聞ではジャイアンツの悪口は書けないし政党や宗教の新聞ならその立場で記事を書くのは当然である 

良くないのは中立公平のフリをして実は主義主張があって結論ありきでニュースや報道番組を編集したりすることである 

そして最近はコタツジャーナリストなのはフリーに限らない 

文春がこう言った!と恥ずかしくもなく叫ぶ自称ジャーナリストやコメンテーターがいる 

情報は正確に取材で得る 

対立する問題の場合は双方に取材して両方報道する 

ニュースを自分の好みに編集してはいけない 

間違った時はきちんと訂正謝罪すべき 

そう思います 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

一番怖いのは、確固たる事実に基づいて書いた記事が、「封殺」されてしまう事にあるし、大手のメディアが、圧力や忖度によってせっかく書いた記事を止めてしまう事だって、あり得ますが、一匹狼のフリーのジャーナリストだって、取材して書いた記事を、発信す場を止められ、または、大手に言いなりになって妥協する事だってあり得ます。 

また、「活動家だろ」って、言われたって、別に構わないと思いますよ。 

世の中に、知らせるべきもの、世間が知らなければならない事。 

正しい取材によって、キチンとした記事を、適切なタイミングで発信する事が大事なのではと思います。 

しかしながら、せっかく書いた記事に、私情や思いや考えが含まれていると、たちまち、信頼を失う・・・と言う事を、常に心掛けて記事を書いて欲しい。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ネットニュースの場合、クリック(タップ)してもらってナンボなのは分かるけど 

コタツ記事自体が各社増えてる所為か見出しが大袈裟だったり、関係ない大物芸能人がいかにもそのニュースに関わっているかのような紛らわしい記事も増えてきている 

ヤフー側でも一定のルールを設けた方が良いのでは 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

最近の報道,特にネットニュース記事では,チェリーピッキングが無茶苦茶多いように感じる. 

「これこれこういうことがありました」という記事に,「それに対してSNSではこういう声が上がっています」というのをつける報道の仕方. 

様々なSNSの反応の中で,読者を誘導したい方向の発言だけをピックアップして並べている. 

 

あるいはテレビの番組でも,ある方向の意見のコメンテータだけよんで,違う意見のコメンテータはよばない. 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

最近の週刊誌報道は、どちらか一方の主張のみを基に記事を書く傾向が強いよね。 

記事を書く前に裏付けを取ったと言うが、大抵記事に書かれる被害者とされる人に近しい人のみで、中立的な人や相手方に近い人には話を聞くことすらない。 

 

しかも自称ジャーナリスト達はペンは剣よりも強いと思っているが、その強さには責任がついて回る事は考えてもいない。 

司法も記事を書く責任の重さを軽視しているから、損害賠償の額が異様に安い。 

 

「誤報でした。すみません」では済まない話だ。 

 

▲17 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

記者やメディアを批判する者は、自分が記者になりメディアの責任者になれば偏向がまったく無い公正中立な事実のみの報道が完璧に出来ると言うのか? 

だが批判をまったく受けないことはあり得ない。 

なぜなら筆者も言うように、「偏向報道」と批判する者の多くは自分の思想や主張と違うことを報じているメディアを批判しているにすぎないから。 

 

よって批判を受けないメディアを作ろうとしても意味がない。 

また読者や視聴者もメディアを批判するのは良いが萎縮させてはならない。 

なぜならメディアが萎縮して得をするのは権力者で、損をするのは読者や視聴者だから。 

 

よってメディアもまた権力だが、メディアを監督するのが権力者であってはならない。 

なのにテレビ局は政府である総務省に監督されている。 

こんな先進国はほかにない。 

この構造的問題を解決しなければ、テレビ局は報道機関としての本来の役割を果たすことができない。 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

チェリーピッキングって言葉を初めて知った。 

あってはならないと書いてるけど、今の報道は主にこれで作られてるんじゃないのかな。 

賛否があるとか波紋が広がってるとか言う割にどれぐらいの比率で批判があるのか問題になってるのか言わないしね。 

 

▲77 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

菅義偉官房長官の記者会見で世間一般に有名となった女性記者は、官邸に出入りする前は泥臭く取材して纏めた調査報道に関して、社内外に評価がかなり高かった。 

所属する新聞社やその本体の新聞社についても、調査報道のノウハウがきちんと伝えられており、今でも時に良い記事が出る事についての評価は高い。 

それなのに、現在その女性記者の活動家のようなみっともない振る舞いについて、所属新聞社は系列の新聞社を含め抗議が断続的に来ているというのに、何故放置し続けているのだろうか? 

 

▲20 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

コタツ記事というのはあちこちの記事を引用して結局ただ今までの流れを足し算して、結局何も進捗も分析もされてない「おさらい」記事で、読む価値なしの記事と思う。デイリー新潮さん、コタツ記事でも、分析して理路整然にまとめられてたら何も言いませんが、時間の無駄に思える記事が多すぎるんですよ。読者が納得できるか出来ないかがコタツ記事の判断ですよ。 

 

▲23 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

フリーだから、、、とかじゃぁなく 

報道の在り方が問われているからねぇ 

 

 

最近でいえば米不足問題 

 

原因、、、というか現象として 

卸業者が直接農家から米を買っているから 

農協に流れる米が少なくて値上げに繋がっている 

 

コレはテレビでも報道されていた 

 

でも報道内容はソコで終わり 

備蓄米の放出検討まで続報は無かった 

 

いやいやチョット待て、、、と 

 

一般消費者はおろか 

販売店や飲食店まで悲鳴を上げているのなら 

卸業者が直接買った米はドコ行ったんだ? 

 

なんて 

シロウトでも思いつく話だろって 

 

ソコに踏み込んだ報道をしないのはナンでなん? 

 

続報は? 

ナンで黙っているん? 

 

 

結果は 

今となっては皆さんご存知の通り 

 

左翼思想に汚染された報道業界が 

意図的に報道しなかったっぽい、、、のは 

下衆の勘ぐりって訳でもないんじゃね?www 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

「それは、「チェリーピッキング」だ」 

 

この記事は記者視点での記者についての話。 

興味深いのがこの「チェリーピッキング」これは多くの人が共感できる部分ではないかと。 

多くは語りませんが、主観によって偏向報道の捉え方も違います。 

故にそこを見抜くことの難しさを感じます。 

 

▲50 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

真実は一つであったとしても、そこから見える事実は一つではなかったりする。 

だから複眼思考という言葉や推理小説といった文学が存在し、我々は常に情報の真実と事実の違いに気をつけなければならない。 

 

そう書けば、記者だけでなく読者にも問う言葉になるのにねぇ。 

 

▲17 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

記事の内容についてはフリー記者の理想形/あるべき姿のみを記述。 

現状をとらえていない。 

 

実際、横田一氏は自身が「記者会見での質問は、まとめサイトでの内容に基づいて質問をしていること(時間がないから1次ソースを当たっていないこと)」と言っている。 

で、まとめサイトは誤っている場合も多く、事実誤認+自分の歪んだ思想で質問しているから記者会見が混乱する。 

 

また、横田氏に限らないが、かつてのように雑誌社等から取材費がでないため、YouTubeでの収益があがるように記者会見で目立つ行動をしないと「飯が食えなくなった」という指摘もある。 

 

▲17 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

フリーか否か、とかいうより、ネット記事の場合などは、他の媒体からの引用だけで記事にする、伝聞ばかりの文章ななっているのが問題。偏向も極端な場合はやはり問題ではあるが、社会を正すとか権力を監視するとか読者の好奇心を満たすとかいったことの前提には事実の提示がないと成り立たないはず。なのに憶測や感想や意見を垂れ流すだけになってはいないか? 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

昔、ある事件の時に新聞各社から取材を受けたことがある。もちろんフリー記者でもない大新聞の記者様たちだ。彼らは電話いきなり電話をかけてきて、「こうですよね?」的な言い方で情報を求めてくる。「そうじゃなくてこうですよ」といってもまるで聞かない。「こうですよね?」「そうじゃなくてこうですよ」の繰り返し。結局新聞に掲載されたのは「こうですよね?」だった。 

取材云々以前にストーリーテラーみたいだった。足を使って取材しないのはフリー記者だけじゃない。話題の望月さんはストーリーテラーそのもののようだけれど。 

 

▲13 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まず、記事が長過ぎる。もう少し要点をまとめて欲しい。 

 前段に報道の公平性、中立性の担保を書いておきながら選挙における「偏向報道」には一定の理解を示す記述が見られる。ここに筆者のご都合主義を感じる。 

 結局、報道記事は筆者の主観とバイアスがかかっており読者はそれをいかにして取り除くのかという攻防戦になるということが理解できた。 

 

▲32 ▼24 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ヤフコメでもよく見かける表現でオールドメディアと言われている。 

この表現はオレは間違いだと思っている。 

メディアが古いわけじゃなく法律が古すぎるのである。 

放送法で公正中立を求めたりこうせいな記事を要求することが間違っている。 

ネット空間にそんな縛りがないのに不公平でしょう。 

テレビのコメンテイターもその辺がつけていないですね。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ジャーナリストや報道関係者ってのは何を持って言えるのだろうか。 

新聞社やテレビ局の公式な記者ならともかく、フリーの人間や自称ジャーナリスト、YouTuberも報道関係者やジャーナリストなどと呼んでもいいのだろうか。 

偏向や自分の思想を前面に出していればそれはもう報道ではないし、自称だろうとジャーナリストを名乗らせていいものなのか甚だ疑問だ。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

一昔前に比べて、一般人が求めているのが「権力監視して社会正義を実現してくれ」ではなく、「善悪の判断は受け取り手がすることだから、「ジャーナリスト」は自分のバイアスを入れずに、事実をそのまま報じろ」になってきてんのよな。 

一方、「ジャーナリスト」側は、政府与党をひたすら叩けばお仲間から喝采される傾向が強まっているせいで、何でもかんでも政府のせいにして批判しときゃいい、みたいな適当な「ジャーナリズム」に染まっていて是々非々の論評ができずに、一般大衆から見捨てられつつある。 

でも、それを受け入れられず、心の支えはSNSでのエコーチェンバーで称賛されることになり、そこで受けるように記者会見でのスタンドプレーに走ったり、先鋭化してさらに政府批判しかできない存在がどんどん増えている。 

 

>確かに本来、ジャーナリストたちの仕事は、「取材」であり「言論活動」だ。権力の監視や問題提起をするのが役割であり、 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

オールドメディア記者が信用できない理由は「己を掛けずに安全な立ち位置を確保した上で」他者を批難する姿勢にあると思います。 

 

少なくともYouTuber達は「顔出し」した上で、各界の『真実』を「個人」で語る姿勢とは、大きな差異があるように思います。 

 

彼らの語る『真実』の内、何れを人が信用するかは、火を見るよりも明らかだと思います。 

 

▲70 ▼99 

 

=+=+=+=+= 

 

権力の監視を掲げながら暗に権力側を応援するようなジャーナリストがいる。 

アメリカ大統領選や石破政権に対して特に。 

要は自分達の思想や政治的立場を軸に報道・情報発信しているという事。 

もはやこの権力の監視、反権力という言葉は形骸化してると思う。 

 

またメディアも「限られた時間」という中で一方の見方、特定の思想や政治的目的を持つものにかなう報道をする。 

これが「やむを得ない」としても偏り、偏向がある事に変わりはない。 

 

一方で人間である以上思想や主観が入り、偏りが出るのは仕方ないと思う。 

ただそうした自分達の正義、正しさに基づいて悪と定めた相手に攻撃的だったり威圧的な態度を取るような人間は、自分達の正義のためにテロや暗殺をする人間のロジックと同じであり、社会正義を自認するメディアの人間、ジャーナリストとして失格だし、活動家と言われても仕方がないと思う。 

 

▲23 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

ジャーナリストという公的資格があるわけでもないし、誰でも自称出来る 

自分自身が作った有料サロンのようなところで自分自身のお気持ち表明するだけなら勝手にやってろと思うが、そういう連中が団体や個人の会見場に出て来てジャーナリスト然として結論ありきの質問をぶつけ、望んだ回答が得られるまで他の記者の質問時間を奪ってまで延々と自己主張と質問を続ける様子を国民は見聞きして知っている 

彼らの目的が問題解決ではなく自己主張だと国民に看破されてるからあれだけ批判されている 

 

▲16 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「SNSで読み手が「偏向報道だ」と批判している要因を探ってみると、その多くは、自分の思想や主張と真逆のことを報じているメディアへの批判であることがほとんどなのである。 

 

 現に、自分の都合のいい報道に対して「偏向報道だ」と言っている視聴者や読者を、筆者は今まで一度も見たことがない。」 

 

これはまさしくその通りで、その言葉を使うとヤフコメ民堕ちしてしまうと思っているので私は偏向報道という言葉を使わないようにしている。 

 

「偏向報道」や「オールドメディア」という、大量生産されたレッテルを貼って終わるのではなく、自分の論理と思考で主張の正しさを証明すれば良いだけの話だ。 

 

まあ、酎ハイ飲みながらストレス解消するのが目的ならそれでも良いかもしれないが。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

報道は事実の配信だけでなく 

メッセージを配信するオピニョン発信機関の側面もあるのですが 

どちらの機能においても 

メッセージの発信は記事を配信することにより実施 

取材というのは 記事を書いてメッセージ化するための「目的」「手段」 

記者というのは取材を通して記事を作成する役割=配信する役割ではない 

のハズですからね~ 

フリー記者ならネットなどで配信まで兼務していたとしても 

取材の場である会見の場を自己のメッセージの発信場所だと 

誤解しているのは・・・・ 

 

フリーランスの記者ならいざしらせず 

大手新聞社の記者であるにもかかわらず 某女性記者もいることだしな~ 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

今フリーの記者が受けている批判は 

フリーではない記者にフリーの記者が向けていた批判でもあります 

自分達だけが被害者という姿勢を取っても意味はない 

弁解ではなく、まずは自分達フリーの記者自身の報道を改善してみては 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

取材のネタは、まずネットやSNSで何がバズっているかを見て、そこから選んでロケや取材するというパターンですよね。 

プロデューサーが「これは面白そう」と思えば、そのイメージに従って演出やヤラセをするので、お手軽さに呆れるばかりか面白くもありません。 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

フジの件にしろ、選挙にしろ、やたら『オールドメディア対SNS含めたその他メディア(ニューメディア?)』と対立する構図で描く層がいましたが、カテゴリーでそうなのではなく、「一部そういう方がいる」と(再)認識できたのかと思いますよ。すでに有名だった某活動家っぽい方が、より大衆が注目する会見で白日のもとに晒されただけで。 

フリー含めたオールドメディア以外がみんなそうだとは思われてないかと思います。現に途中で諌めた方も、その後に前提確認して質問した方も、そうなわけで。 

 

あとは、選挙であったニューメディアをやたら持ち上げる空気に対するカウンターもあったでしょうね。 

 

ただ、余計なことをした記者のせいで、「あれ?最初の締め出しって間違ってなかったんじゃない?」て印象も与えてしまったかもしれませんね。 

何にせよ、普通に冷静に聞いてもらったらいいんで。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

瓦版の筆者を日本のジャーナリストという。従軍記者も同じようなもんだろ。 

西洋におけるジャーナリズムと日本では全くその意味合いが違う。 

日本では噂話を大きく膨らませ、刺激的なキャッチコピーで売り上げを伸ばす。それがいつも間にか西洋の正義が加わって「ペンは剣よりも強し」という暴力だけを振りかざすことになった。 

今、真のジャーナリストと思えるのはリハックの大前だけなんだよな。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

NHKや民放キー局は偏向報道、世論誘導の「塊」ではないか。 

常に自分達は特別であり、特権階級意識がある。確かにフリー記者の振る舞いや言動に問題がある事は事実だと思う。ただ、そんな「世論誘導」と言う言葉が重くなったのはやはりSNSやYouTubeの発達で多角的に物事を見る事が出来るようになったのは間違いないと思う。もし仮に今の世にネットの世界、SNSやYouTubeがなければ、未だに新聞やテレビの断片的な情報をもとにして、それこそ「世論誘導」が為されて来ただろうね。 

ここ最近、特にテレビメディアのSNSやYouTubeに対しての「負け惜しみ」が激しいように感じる。 

 

▲56 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

かつては第4の権力と言われ、世間が他に殆ど発信手段を持たないのをいい事に、好き勝手な記事を独占的に垂れ流して世間を自分が思うような方向に誘導していたマスコミも、SNSの出現によって正体が暴かれ出して来た。 

マスコミ自身に都合の悪い事件は、お互いかばい合って記事にしなかったり、矮小化したりして誤魔化してきた。 

考えてみれば個々のマスコミは一私企業に過ぎないのに、勝手に社会の公器と自称し、選挙で選ばれた議員よりも偉いかのように振る舞って来たのも許せないが、今後は自分達が常に監視対象になるのを自覚した方がいい。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

フリー記者に限ったことでないけど、マスコミ業界の人(身内にもいる)は「報道なんていい加減。信用するほうが悪い」が最後に出てくることが体験上多い。一方で自分たちは着実な取材や調査に基づいて正確な情報を発信しているとも言う。 

着実に言えることは上記の論法はマスコミ以外は許されず、言いたい放題罵倒されるのだが、マスコミ業界だけは何をしても自由と好き勝手である。 

文中に挙げたチェリーピッキングもその一つなのだろう。 

業界外から言いたいことは「報道が自由なら結果責任も取れ」である。 

 

▲9 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まあ内容自体も問題が多いけど、読者をイラッとさせるのは、通常社会人ではありえないイキり感で相手を批判するからだと思うんだよね。口悪く言えば中二病全開な感じで、ドヤ感満載で相手を非難するからね。別にNHKは好きじゃないけど、NHKみたいなテンションで話せばもう少し聞く耳を持とうかとも思う。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

メディアを名乗る人たちは、やたら上から目線で自分たちが正しくて、周りを見下している。この記事もそのままだ。活動家と言われるのは言論活動ではなく、偏向サヨク活動、工作員活動のことだ。偏向報道は印象操作や捏造まがいの繰り返し繰り返し煽り続けて、自分たちに都合が悪いことは報道しないことだ。マスコミは自分が非難されたら、上から目線で、問題をそらしたり歪曲化したりが得意だ、自分たちが偉いから良心の呵責もないんだろう。この記事も、問題の本質をそらし、問題を小さく見せるためにあえて本質でないどうでもいい話を混ぜてごまかすなど悪質だ。平気でそういう記事を書いていつまでも上から自分たちは偉いという態度をする日本のマスコミはもう徹底的に解体的に出直すしかない。 

 

▲13 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

> 現に、自分の都合のいい報道に対して「偏向報道だ」と言っている視聴者や読者を、筆者は今まで一度も見たことがない。 

 

あらあら、よほど視野のお狭いライターさんなのですねぇ。 

 

あと、書かれてないが、メディアのいやらしい「偏向報道」については、都合のいいところだけを切り取っていて、取材相手の話がしているそもそもの話から、歪曲した情報を発信することも、1つあると思う。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ネット記事が氾濫するようになって、フリーのジャーナリストと称する人と、ヤジウマ的ネット民の区別がつかなくなってきてるんですよね。YouTuberなんかも、自称フリージャーナリストと言えば言えるんだろうし、実際にそう言って活動してる人もいるんじゃないですか?。フジテレビの会見なんかもそうでしたけど、ただのネット民が混じってんじゃないかと疑いたくなります。 

今は素人と玄人の区別がごちゃごちゃになってしまってる。 

知り合いの陶芸家が嘆いてましたよ、近頃は素人がいきなり陶芸家を称して作品を売る、仕事辞めて、電気炉かなんか買って、1年かそこらロクロ回して形が作れるようになったら、いきなり看板をあげて、教室まで開く。ワシら弟子入りまでして修行した陶芸家はなんなんだ、とね。蕎麦屋やパン屋さんでも、素人なんだか玄人なんだか分からない人がわんさかいる。受益者側も、実際困ってるんですよ。ニセモノが多くて。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

偏向報道については だってその通りじゃん!と思うけど、自分の主観なので置いておくとして…アンケート調査については「主催の考えに誘導する。ほとんど信用出来ない」と自信を持って言える。自分はある新聞社の政治部門のアンケート調査を毎年やってたから。質問は誘導的で対する答えも限定的。 

今になって思えば世の中こうやって世論って作られるんだなぁってのが良くわかった。 

勉強になったよ…それ以来TVも新聞も鵜呑みにしない。週刊誌においては尚更全く!! 

もどかしいけど、それが世の常なのかな…と諦めの境地。 

 

▲2 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

記者としての履歴、実績、記録がない者ばかりだったらしいね。 

知人の記者(新聞社)にきいた。 

この記者とは、2011年のヤフオク懇親会以来の付き合いだが。 

 

率直に。 

 

ウソはよくない。 

つい最近、YouTubeなどで動画あげてた者など、記者ではない。 

 

記者とは、そんなに簡単な物ではない 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

根本的な勘違いがある。 

 

取材は目的じゃない。手段だ。 

目的は調査。 

調査のために必要なのが取材。 

 

調査とは構造を解き明かしたり、隠された金の流れを見つけたり、誰かがやったことがどんな影響や結果をもたらしたかを突き止めること。 

 

取材を目的化してるから話を聞いて終わりなんだよ。 

一人や二人に話を聞くのとチェリーピッキングは何が違うんだ? 

100人に話を聞けば、共通性や本質が自ずと見えてくるだろ。 

それを探し出すのがジャーナリストなんだよ。 

 

それを誰も教えてくれない。 

なぜなら、教えてくれる人が取材を目的化して、それがジャーナリズムだと誤解しているから。なぜかというと、そいつも先輩から取材が仕事だと教わってるから。アップデートできてないんだ。 

 

自分の結論にそぐう人に話を聞いて終わり。 

そして「ぼくのかんがえたただしいやりかた」を指導する。 

だから活動家と呼ばれるんだ。 

 

▲58 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

>「足を使って取材しろ」「偏向報道だ」 

 

これらの批判はフリー記者への批判でなくテレビ局に勤める報道関係者に対しての批判だと思います。 

 

テレビ局はスポンサー企業の不祥事は管理職は「他の報道にしろ」と命令すると思います。取締役は将来の電波割り当てを考えて「自民党批判は減らせ」と言うと思います。 

これはテレビ局では善であり正なのです。だから利益相反と言うのです。 

 

兵庫県知事選関係では下記はテレビでは報道されない様です。 

 

兵庫県議会の知事下ろしの陰謀 

故県民局長の最初のメディアや県議への暴露は公益通報者保護法の適用外という事実 

百条委員会で追及された、パワハラ、おねだり、アンケート、の捏造 

百条委員会が封印した故県民局長の人格的問題 

県議会が百条委員会の報告前に不信任案を出し可決した理由 

 

テレビ局は「自民党と県民連合に忖度した」と仮定すると全ての謎が解ける気がします。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

記事にある報道姿勢が正しいのなら、腐敗した政治権力や歪んだ芸能界、放送業界にもその調子でしっかり取材してほしいもんだ。 

 

これまで、聞かない、書かない、取材しないの姿勢によって、一体どれくらいの悪事が長い間見過ごされてきたか。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

芥川龍之介の「地獄変」は偏屈な絵師が、難題な絵を完成させる為には、愛してやまない娘を犠牲にする事さえ厭わない、芸術家の業がテーマの小説である。 

いかに美名で覆われようと、ジャーナリストという職業は「他人の不幸でメシを食う」畜生道が、本質である以上「地獄変」の絵師と同様に、他人だけじゃなく、自分や自分の家族や、恋人、友人などが災害や、理不尽な事件・事故という「不幸」に遭遇した際にも、それ聞いて「でかした!」と手をうち、嬉々として特集記事が書ける位の覚悟はあるんだよな?とは思う。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

中立という単語を都合よく使っている。放映権料をメディアは支払うのにXをはじめとするSNS映像に使用料支払いを中立だから払わない。著作権フリー感覚を平然というのが信じられない。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ジャーナリスト全てが正確に真実だけを伝える姿勢ならばフリーであろうが企業であろうがなんの問題もない。 

ただそんなジャーナリストは見た事がない。 

意図的にインパクトのある内容を求めているし、視聴者に強い印象さえ与える事が出来るなら、曖昧な情報源ですら簡単に利用する。 

曖昧でも嘘でなければそれでいい。 

それが本当にジャーナリズムと呼ばれるものなのか? 

 

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コタツ記事の怖いところは『〇〇が‪✕‪✕‬してこれだけの被害が出た』これを提供元に出されると受け手は信用し これに加筆して現実感を出す だが実際に目撃も取材もしていないから提供元を信用するのだろうが 果たしてその提供元も信頼にたる組織かつ便宜を図ったフェイクニュースなのか 迷いも判断もせず垂れ流し 読者を洗脳する材料の一部に化してはいないだろうか ジャーナリストはお抱えライターになってしまった と思っている一人です 

 

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自己弁護と言い訳ばかりの内容で途中で読みたくなくなった 

直接の取材だけでなく、SNS上での意見収集も取材の一つだと言い出したところからなに言っての?ってなった 

そもそもそんなことさえもやっていないのは論外として 

SNS上での意見収集自体に正当性があるとは思えない 

相手が分かってのメールでの意見収集ならまだしも 

過激なSNSを総意としているメディア批判されてるなか 

その行為に正当性をもとめるなんてどうかしてる 

 

▲3 ▼0 

 

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決してコタツ記者が悪いとは思わない。 

氾濫する情報をまとめて整理してくれるから読者としてはありがたい側面もある。 

ただ、記事を書くからには事実確認やクロスチェックくらいは最低限して欲しい。 

明らかにおかしい情報は「読者ウケ」しそうでも書かないで欲しい。 

 

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金銭の授受はしないとのことだがタダでもらったもので儲けるのはどうかなと思うんだがどうなんだろうか。実際バラエティ番組は結構な使用料を払ってたりするわけだし。使用料くれって言うのは真っ当な気がする。 

 

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正直なところ、現状のフリーランス記者の存在がかなりあいまいになっているんだよね 

須田慎一郎氏のように人脈を持ちきちんと足を使って裏取りをする地道な取材を実施する人もいればイソ子(東京新聞以外の活動)のように週刊誌ネタとかで大騒ぎして取材そのものより承認欲求を満たしたいプロ市民運動家のような存在もいれば横田一氏のような炎上屋商売で対立側(立民)や報道からお金をもらう炎上商法屋とか小川たまか氏のような共産党マンセーツイフェミ運動家とか色々存在しますが、結局は真面目に取材するフリー記者より左翼政党やオールドメディア側の要求に応じて世間を意識して踊る騒ぐ輩達をうまく使っている構図が見え透けますねw 

 

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斎藤兵庫県知事は、毎回、毎回、アークタイムズの面々や、ジャーナリスト菅野氏のお相手をして大変だと思いますよ。あの方々はジャーナリストというよりアクティビストだと思いますが。 

どちら様も記者会見、定例記者会見などやめてしまって、リアルタイムでネット配信したらどうですか。 

 

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フリーでも所属でもどっちでもいいが 自分たちの思想やストーリーに沿わない都合の悪い情報は無いことにして一切報道しないから矛盾点を突かれるのでは?  

 

これは長年マスコミがやって来た手法の問題でもある 

 

現代のカウンター情報も豊富で誰でも発信でき見る側が評価できる時代になって色々バレちゃった感がある 

 

▲3 ▼0 

 

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偏向報道やチェリーピッキングについては、そこそこきちんと論考されていて良いと思います。 

ただ、正直申し上げると最初に挙げた「ジャーナリズムの問題提起機能」そのものが、ここ最近批判されているのだと感じています。 

 

あなた方が感じる「問題」とやらが、世間の感覚からズレてるだけならまだしも、その状況にいつまでも気づかず尊大にも他者を啓蒙しようとする…… 

そうした傲慢さの発露として、偏向やチェリーピックが顕れているのです。「問題提起」とやらの重要性を無批判に掲げるのは、いい加減にやめてはどうでしょう。 

やってもいいのですが、自省と謙虚さを忘れるなと言いたいのです。多くの国民からは「お前ら何様だ」と思われていますよ。 

 

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一般視聴者読者を舐めてることがよくわかる記事だね。 

自分の意見と違う報道を偏向報道と受け取るとか、失礼極まりない。 

その手の輩が存在しないとは言わないが、公開されている省庁サイトを見れば一発で嘘とわかる記事を平気で書いてたりするのにな。 

あと、新潮でも独自取材せずに他の週刊誌が書いた記事をベースに記事を書いたり、訳のわからん”関係者”の話の裏どりもせずに記事にしたり、酷いものも結構ある。 

 

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べつにコタツ記事もいいと思うけどね。 

特に経済ニュースなんて「町の人の声」なるものを報じるより、普通に統計データを数理分析してニュースにしたほうが良質な記事になると思う。 

だけどマスコミのほとんどは初歩の回帰分析すらできない(表計算ソフトすら満足に使えない)らしいから、足で情報を拾っただけの脳筋記事が粗製乱造される結果になる。 

 

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1人が何かを語ると必ず「主観」が入る。真実性というのは、現場の経験者の話を“複数”聞き、客観的かつ冷静に物事を捉えることで初めて確立される。それを紡ぎ出すのがジャーナリストの仕事なのだ。←これが出来ていないから叩かれるんだろ自分の意に沿ったことだけを書く恣意的な記事が多すぎるだから活動家呼ばわりされるんだよ 

 

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元維新の会の方々、になるのかな、3名の方の記者会見、テレビで少し見ただけだが、不謹慎ながら茶番の場面にあきれを通り越して笑ってしまった。 

質問側で、「3名の立派な政治家が…」って言ってる人や、このワードは有効だから使おうと決めていたけどいかにも慣れてない、といった感じの「オールドメディアの偏向報道が…」って場違いに切り出す人とか。このワード使いたがる人、多いですよね。ある勢力から送り込まれた記者ともジャーナリストとも呼べそうにない人たちらしい。こういう人たちには「自称ジャーナリスト」と名乗ってほしい。 

この記事を書かれた方はきちんとされた方なんだろうと思いましたが、もう私は「ジャーナリスト」って言葉にアレルギーさえ感じます。でもそれ以上に、政治家と名乗っていいのか?と思える人が増えたことの方に落胆しています。 

 

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記事内でアンケートの話があるが、誰でも・何回でも答えることが出来るアンケートをやったことが、どれだけ報道されただろうか。 

ジャーナリズムで重要なのは「公平な視線で報じること」ではないかな。 

 

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