( 269934 )  2025/02/25 17:32:49  
00

エスカレーターの両側立ちが効率的かどうかをめぐって、ロンドンでの実験や安全性についての検討が行われている。

ロンドンでは片側立ちが定着していたが、実験の結果、両側立ちの方が混雑時に効率的であることがわかった一方で、安全性については有意なデータが得られなかった。

また、エスカレーターでの両側立ちを推進するためには、従業員の監視や指導が必要であり、実現には課題があるとされる。

気になる安全性についても検証が必要であり、個人的なリスクや配慮も重要である。

(要約)

( 269936 )  2025/02/25 17:32:49  
00

日本の一般的なエスカレーターのイメージ(画像:写真AC) 

 

「エスカレーターは歩かず両側立ちで」。こうした呼びかけを駅構内のポスターやニュースなどで頻繁に目にするようになりました。東京などでは急いでいる人のために「左立ち・右空け」、大阪などでは「右立ち・左空け」が定着していますが、実際は両側立ちが推奨されています。 

 

 片側を開けると乗れる人が減るため混雑時は結局時間がかかる上に、エスカレーターを歩くと転んだり、立っている人を追い抜くときに転倒させたりする恐れがあるというのが理由です。また、病気や怪我などの身体的な事情で「左立ち・右空け」といった特定のルールに従いにくい人もいるからです。 

 

 こうした背景から、埼玉県や名古屋市がエスカレーターでは歩かないように条例で定めており、さらに一部の駅では、条例に違反してエスカレーターを駆け上がる人をAIが監視して注意するシステムなどを実験・導入しているようです。 

 

 実は、この片側を開けて立つ習慣は、筆者(赤川薫:アーティスト・鉄道ジャーナリスト)の住む英国ロンドンの地下鉄から世界に広まったそうです。 

 

 1911年にエスカレーターがロンドンの地下鉄に初めて導入された際、エスカレーターから降りた人を直進させずに、左手へ誘導するようなカーブした動線になっていたため、急いでいる人はカーブの内側となる左側を通行するようになり、「右立ち・左空け」が定着したというわけです(ロンドン交通局による)。 

 

 エスカレーターの「片側立ち」のルーツともいえるロンドンでは、現在どのようになっているのでしょうか。また、両側立ちは本当に効率が良く、安全なのでしょうか。 

 

 2019年、6か月もの期間を費やした壮大な実験が、ロンドン中心部のホルボーン駅で行われました。4本あるエスカレーターの一部を「両側立ち」で歩かずに乗るように呼びかけ、片側を空けた場合と効率・安全面でどのくらい差があるかを検証したのです。香港の地下鉄MTRで両側立ちが行われたことに触発されての実験でした。 

 

 ロンドン交通局の資料によると、6か月の実験の結果は、「両側立ちは片側立ちよりも30%ほど効率良く人を運べる」ものの、「混雑時にのみ有効」との但し書きがされています。つまり、ラッシュ時以外は両側立ちにしても効率面では意味がないというのです。 

 

 さらに、ロンドン交通局の発表資料には、短いエスカレーターは歩いて登る人が多いため、「高低差が18.43m以下のエスカレーターでは片側を歩くようにした方が、効率が良い」という先行研究が記されています。また、ロンドンで2015年に行われた別の実験では、高低差10mの短いエスカレーターで両側立ちを実施すると、エスカレーターの運搬能力が10%減になったことも記されています。 

 

 高低差18.43mというと、7階建てまで一気に上がるほどの長いエスカレーターということになります。 

 

 日本の鉄道駅のエスカレーターは一般的に分速30~40mですが(日本経済新聞による)、ロンドン地下鉄のエスカレーターは分速45mとかなり高速です(エスカレーター製造業Stannah社のサイトによる)。そのため、高低差が18.43m以下という数値をそのまま日本の鉄道駅に当てはめられないと思いますが、参考までに、日本国内の鉄道設備では最長クラスと称される東京臨海高速鉄道(りんかい線)の大井町駅のエスカレーターは、ホルボーン駅の高低差24m(ロンドン交通局による)よりも短い22m(日本経済新聞による)。18.43mを超えるエスカレーターは、実は、なかなかありません。 

 

 例えば、東京メトロの永田町駅で有楽町線から半蔵門線に乗り換えるためのエスカレーターは、長いように思えて高低差17mということです(朝日新聞による)。 

 

 効率面からは、両側立ちを導入する意味がある場所・時間帯が非常に限られているという結論に達したロンドン交通局。また、安全面に関しては、両側立ちにして歩行禁止にすることで転倒防止につながるかどうか、ロンドン交通局の6か月の実験では有意なデータが収集できなかったそうです。 

 

 おまけに、両側立ちを実現して定着させるためには、常時、係員がエスカレーターの乗り口に張り付いて監視・指示する必要があったということで、その効果の薄さと従業員の労力に反してあまり得るものがなかったばかりか、両側立ちを強制されたことに対して地下鉄利用者から思いがけない猛反発を受けたのです。つまり、「ゆっくり乗るか、速く駆け上がりたいか、選択をする権利と自由を奪われた」というわけです。 

 

 これに懲りたロンドン交通局は、実験直後に「両側立ち撤廃」を宣言し、2025年現在も、その考えに変更はないと筆者の取材に明かしました。 

 

 

 ロンドン交通局の実験結果では安全面で有意差が見られなかったということですが、両側立ちは本当に安全なのでしょうか。 

 

 個人的には、両側にビッシリ立って先頭の人が転んだ場合に恐ろしい将棋倒しにならないのだろうかと、いつもリスクを感じてしまいます。 

 

 実際、息子が2歳くらいだった時、小さな手を引いて自分の前に立たせて乗っていたところ、エスカレーターの降り口で息子にぐずられてもたつき、後ろの人々が機転を利かせて空いている反対側へすっと退避して追い抜いて行ってくれて助かったことが何度もあります。 

 

 もし反対側に人が立っていて避けるスペースがなかったとしたら、ロンドンの高速エスカレーターでどんどん運ばれてくる後続の人たちが小さな息子の上に将棋倒しになって、圧死する大きな事故になっていたのではないか――と想像するだけで今でも冷や汗をかきます。 

 

 香港の地下鉄エスカレーターで両側立ちを導入してから7か月間で転倒事故が12%減になったというデータがありますが(ロンドン交通局による)、確かに、歩かないことで転倒事故は減るかもしれません。しかし、両側に立たせることで逃げ道がなくなり、いざ事故が起きた時に被害が大きくなるリスクはないのか危惧していただけに、ロンドン交通局の両側立ち廃止のニュースは、小さな子を持つ親としては朗報でした。 

 

 最後に、ロンドン交通局の実験結果を受けて、18世紀から続く名門エチケット指導会社デブレッツの公式サイトに「エスカレーターのエチケット」が掲載されました。 

 

 そこには、エスカレーターを駆け上がりたい人の自由を尊重して、「右立ち、左空け」を守ること、スーツケースなども右に寄せること、などが書かれているほか、「ベビーカーや小さなお子さんを連れている方や、様々な理由で不自由がある方には絶対に後ろからプレッシャーを与えず、寛容な態度で接すること」と記されています。 

 

 自由を徹底的に主張しても、寛容さをもって困っている人には紳士淑女として振る舞うこと。これこそが、「片側立ち」発祥の地・ロンドンで今、推奨されていることのようです。 

 

赤川薫(アーティスト・鉄道ジャーナリスト) 

 

 

 
 

IMAGE