( 273198 ) 2025/03/09 03:56:00 2 00 コロナ禍から5年 「全国一斉休校」に意味はあったか──生徒にもたらした副作用 #こどもをまもるYahoo!ニュース オリジナル 特集 3/8(土) 17:09 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/302413e22167c400a23fdcef1f85def591209633 |
( 273201 ) 2025/03/09 03:56:00 0 00 コロナ禍の教室ではマスクが必須で会話も控えめだった(写真:mon printemps/アフロ)
世界で新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた2020年2月下旬、安倍晋三首相(当時)は突然、全国の学校に一斉休校を要請した。文部科学大臣など当時の閣僚も反対するなか、安倍首相が押し切った決断だった。結局、休校は最長で3カ月近くに及んだが、感染の抑制効果はなかったという研究結果もある。現在では、一斉休校は「副作用」のほうが大きかったという指摘も少なくない。5年前のあの一斉休校は何をもたらしたのか。教育関係者や議員、研究者を取材した。(文・写真:サイエンスジャーナリスト・緑慎也/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について来週3月2日から春休みまで臨時休業を行うよう要請します」
2020年2月27日、安倍晋三首相(当時)は新型コロナウイルスによる「感染リスクにあらかじめ備える」ためとして、全国一斉休校を要請すると発表した。
突然の発表は児童・生徒や保護者、そして教育現場に大きな影響を与えた。その後、自治体によって差があるものの、大半の学校は5月中下旬まで3カ月近く休校することになった。
2020年2月27日、3月2日から小中高、特別支援学校に休校を要請した安倍晋三首相(写真:毎日新聞社/アフロ)
当時のニュースや各種団体によるアンケートの調査結果には児童・生徒、保護者、教職員の不満や困惑を伝える声が数多く残されている。
児童・生徒の「友達と遊びたい」「先生に会いたい」という素朴な声もあれば、保護者の「(子どもが)一日中着替えもせず寝ている」「ゲームばかりしている」という生活面の心配の声もある。また、教職員の「(期末テストが行えず)成績がつけられない」「卒業式が行えず、学校生活の締めくくりができない」という実務への心配もあった。
あれから5年。学校は一見、コロナ禍以前の日常を取り戻している。しかし、コロナ禍での一斉休校を境に、子どもたちに変化が出たものもある。子どもたちへの影響はどのようなものだったのか。
「一斉休校は学習権、生活権の侵害であり、子どもたちの学校生活という貴重な時間を奪いました」
安倍政権の2016年6月から2017年1月に文部科学事務次官だった前川喜平氏はそう断じる。
「大人と子どもの時間は全く異なります。大人には1年があっという間に過ぎるように感じられますが、成長期の子どもには1カ月でも長く感じられ、大きな変化がもたらされます。一般の休業命令は金銭による補償が可能ですが、子どもたちが集団で学んだり遊んだりするはずだった時間をお金で埋め合わせることはできません」
元文部科学事務次官の前川喜平氏
長期の一斉休校から再開した学校は、休校中の学習の遅れを取り戻そうとした。夏休みの短縮や1日当たりのコマ数の増加だ。これが子どもたちにストレスを与えた可能性を前川氏は指摘する。
「運の悪いことにパンデミックが始まった2020年度は新学習指導要領が小学校で本格実施される初年度でした。改訂により学習内容が増える一方、休校により授業日数が減った。その結果、再開すると過重に詰め込むことになりました。授業漬け、宿題漬けで、子どもたちは学習意欲をそがれたのではないか」
一斉休校の前と後ではっきりとした変化が出ているのが不登校だ。
文科省の調査では、全国の小・中学校における不登校児童生徒数は2023年度、過去最多の約35万人(34万6482人)に達した。11年連続で増加した結果だが、2020年度までは1万〜2万人ずつ増加していたものが、2020年度以降は約5万人ずつ増加している。
(図版制作:Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
前川氏は、一斉休校が不登校を増やす一因になったと考えている。
「全国一斉休校を要請するとき、安倍首相は『子どもたちの健康、安全を第一に』と言っていました。つまり、『学校は危ない』というメッセージを子どもや保護者に送ったのです。学校が再開した後、コロナの感染回避を理由として長期欠席する子どもたちがかなり出ました。コロナによる子どもたちの重症化率は低いことはわかっていたのに、一斉休校は明らかに不合理でした」
政府は、集団による感染=クラスター化を防ぐことに力を入れていたが、当時から感染経路に学校が少ないことは報告されていた。2021年4月発表の文科省のマニュアルによると、学校再開後、児童生徒の感染経路で最も多かったのが家庭内感染で、学校内感染はその数分の1にすぎない(「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル」)。
その後、2022年には一日に20万人が新規に陽性と判定されるほど感染は拡大した。各地の年代別累計では20代がもっとも多く、30代、40代と続いて、10代、10代未満となっている。だが、コロナによる感染で亡くなった子どもは決して多くなかった。厚労省の人口動態統計によれば、2024年8月までにコロナが原因で亡くなったのは約13万2000人で、そのうち20歳未満は141人、全体の0.1%である。
もし2020年の一斉休校が地域の感染を抑制していたのなら、感染対策として意味があったと言える。だが、その効果は乏しかったという研究結果がある。学習院大学法学部教授(当時)の福元健太郎氏らの調査による論文(Nature Medicine、2021年10月27日発表)は、休校した自治体と、開校した自治体を比較した結果、「休校による新規感染者の抑制効果はない」と結論づけている。
そもそもなぜ一斉休校が必要だったのか。いったい誰がどのような経緯で決めたことだったのか。
一斉休校が始まる前、20代以下の重症化率は極めて低い(0.2%)と言われていた。当時、コロナ対策のアドバイザーを担っていた政府の専門家会議も一斉休校を支持していなかったとされる。報道によれば、官邸幹部の議論でも菅義偉官房長官が異論を挟み、萩生田光一文科相も賛成していなかった。だが、今井尚哉首相補佐官の助言を受け、安倍首相が一斉休校に踏み切ったとされる。
2020年2月28日、衆院予算委員会の質疑で一斉休校について説明する安倍首相(写真:毎日新聞社/アフロ)
文科省は感染者も濃厚接触者もいないのに休校にするつもりなどなかった。2月25日に全国の教育委員会等に対して発出した事務連絡の内容からそれがわかる。感染して症状のある児童生徒が登校していた場合は学校の一部または全部を休校にする、児童生徒が濃厚接触者だった場合はその児童生徒に対し出席停止の措置を取るなどの方針が書かれていた。一斉休校の「要請」が出る2日前のものだ。
だが、民間団体による調査報告『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』によれば、当時の文科事務次官の藤原誠氏は、安倍首相から一斉休校の意向を聞かされたとき、「私もやったほうがいいと思っているんです」と賛同していたという。前川氏は「情けないことに首相に迎合してしまった」と悔やむ。
安倍首相が全国一斉休校の要請を発表した結果、同年3月4日時点で公立の小学校98.8%、中学校99.0%、高等学校99.0%が休校を実施。4月7日には緊急事態宣言が首都圏、関西圏、福岡の7都府県を対象に発令され、4月中は全国の約9割の公立学校が依然として休校を続けた。
2020年4月6日、緊急事態宣言の発令前、都では小池百合子都知事がソーシャルディスタンスを取るよう要請(写真:REX/アフロ)
その後、5月半ばから「宣言」が徐々に解かれるにつれて再開する学校が増え、6月1日にはほぼすべてが再開した。ただし、全面再開は半分にとどまり、残りの半分は分散登校や短縮授業の形態だった。春休みまでの約1カ月の予定で始まった休校は結局約3カ月に及んだ。
休校期間、学校の対応はバラバラだった。紙の宿題や課題を大量に出して提出させる教師もいれば、いち早くタブレットが普及していた学級では録画によるリモート授業に乗り出した教師もいる。前年から進められていたGIGAスクール構想(タブレットなどの機材が1人1台貸与されてデジタル教材が活用される教育)も前倒しされ、急ピッチで導入されるようにもなった。
Wi-Fi機器の貸与も進められたが、なかなか入手できない学校もあった。そんなデジタル環境の違いで学力の格差が広がるのではという懸念が教育関係者から出たのもコロナ1年目の時期だった。
こうした学校の動きを見て、前川氏は全国の教育委員会も情けなかったとこぼす。
一斉休校で、急遽リモート授業をすることになった子どもは多い(写真:アフロ)
「公立学校の休校措置をとる権限と責任は、自治体の教育委員会にあります。それなのに、わずかな例外を除いてほとんどの自治体や教育委員会は、首相の要請に唯々諾々と従った。子どもたちには『主体的な学び』が大事だと教えているのに、大人たちのほうが主体性を放棄してしまったのです」
こうした教育関係者の批判的な声もあるが、政府のコロナ対策について、「まだ検証は済んでいない」と考える人もいる。国民民主党代表代行の古川元久氏だ。
古川氏は、出入国を厳しくするなど他にすべき対策はあったのに、真っ先に学校を一斉休校にしたのはおかしいと振り返る。
「子どもたちの学びの場を奪うのは重大なことです。山間部や島嶼(とうしょ)部など全校児童が数人しかいないような学校にまで休校を要請する必要はあったのか。きちんと検証すべきです」
実は一度、岸田文雄政権下では行われている。2022年5月に設置された「新型コロナウイルス感染症対応に関する有識者会議」での検証だ。ただ、古川氏は「国会」に検証委員会を設置すべきだとして、2023年6月16日に国民民主党、日本維新の会、有志の会とともに議員立法「新型コロナウイルス感染症対策検証委員会法案」を衆議院に提出した。モデルにしたのは、東日本大震災のときの対応だ。当時は政府事故調が設置され、事故原因、被害原因の調査がなされたが、それでは不十分だとして国会の場で検証せよと当時の野党・自民党が声を上げた。
国民民主党の代表代行、古川元久氏
「当時はわれわれが与党で、自民党の主張を受け入れて東京電力福島原子力発電所事故調査委員会を設置しました。今度は立場が逆で、われわれが国会に独立の新型コロナ検証委員会の設置を呼びかけました。中立で公正な調査・検証のためには、国会での検証も必要です」
だが、古川氏らが提出した法案は衆議院の解散で廃案となり、そのままになっているという。
「政府はコロナ対応はもう終わったというスタンスですが、果たしてそれでいいのか。既存の法律に基づかずに緊急事態宣言が発令され、国民に行動制限を課した。その経緯や休業補償が遅れた原因など、一斉休校以外にも国会で検証すべきコロナ対応があります」
古川氏は今国会で国民民主党として法案を再提出の予定だという。
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( 273200 ) 2025/03/09 03:56:00 1 00 この会話は、コロナ禍が子供たちに与えた影響についてのさまざまな意見や懸念が寄せられています。
この会話全体を通して、子供たちや教育に対する懸念や不安が表明されており、コロナ禍が子供たちに与えた影響について真剣に考える必要があることがうかがえます。
(まとめ) | ( 273202 ) 2025/03/09 03:56:00 0 00 =+=+=+=+=
中学校の教員です。 あのときは、あの対応しかなかったのは、仕方なかったと思っています。 でも、休校がどんな影響を及ぼしたかよりも、マスクをするのが当たり前の生活の方が、後々大きく影響していると思います。そういう子を何人も見てきました。 人前でマスクを外すことに怯え、写真撮影などで外すときに震えるような子もいます。 今後の人生が心配です。
▲5477 ▼556
=+=+=+=+=
総論としては子どもたちへのデメリットは確かに大きいように思います。その時小4だった児童は今中2になりましたが、その学年が落ち着かなくて苦労している中学校が幾つもあります。小4はいわゆる10歳の壁を乗り越えなければならなかった時。その大事な時に学校閉鎖となり、上手く壁を乗り越えられなかった児童が多かったのだと推測できます。 私が学校閉鎖のメリットとして挙げるとすれば、3世代で住んでいる児童生徒が、自分が感染したコロナを祖父母にうつし、その祖父母が亡くなるという一生十字架を背負う児童生徒を最小限に防ぐ効果だったのではないでしょうか。
▲43 ▼30
=+=+=+=+=
考える力がある子たちにとっては、とても有意義な時間だった。自分の好きな研究に没頭でき、運動が得意な子はトレーニングに励み、学校よりはるかに成長できた時間だったと聞いた。
遊ぶことが好きな子達は、いい感じにゲームに飽きて、新たな趣味を見つけて前向きになった。
対して、ゲームに遊ばれるだけの3ヶ月の子達は、学校に行かなくなったのがなん割もいる。一気に1.5倍不登校が増えた。低所得人生がおよそ濃厚となるだろう。しかしゲーム業界はその獲物を逃さないよう努力し続ける。
▲77 ▼16
=+=+=+=+=
子供にはコロナ禍でたくさんのことを我慢させました。 懇談会でもう一度この一年をやり直したいと涙ながらに言われた時、胸が押しつぶされそうな悔しい気持ちになりました。 もちろんコロナ禍で中止になったことがきっかけで今後も必要ないね、と縮小や廃止になり行事が簡潔でより良くなったこともありましたが、やはり学校生活を普通に送らせてあげられなかった悔しさは今でも心残りです。
▲140 ▼19
=+=+=+=+=
子供達の学校行事などが軒並み中止となったことはかわいそうだった。 ただ、コロナ後、運動会は2学年毎で1時間で行われるようになり、見る側としては混雑も抑えられ、午前で終わるため、よかった。
それよりも、コロナに関する給付金等の使われ方や、事業に関わる業者による中抜きのほうが問題だし、それこそ検証も必要だし、不正があった場合は厳しく対処する必要があるのでは?
▲1405 ▼97
=+=+=+=+=
子どもの成長・発達には負の影響があったのは明らかですが、未知のウイルスだったからやむを得なかったと思います。死亡率は当初5%超えていたと思います。通常通りの生活をしてたら医療現場はもちろん、社会が機能しなくなっていただろうし、身近な人を亡くした方からしたら「通常通りでよかったのに」とはならないと思います。よかったとは決して思っていません。部活動の最後の夏、入学・卒業・・・もうあのようなことがないことを願います。
▲97 ▼31
=+=+=+=+=
あの年息子は小学校入学の年でした。入学式がようやく執り行われたのは6月、校庭に椅子を並べての特殊なもの。 それからも通常通りの登校とは行かず、分散して登校する日々、やっと巡ってきた行事のチャンスは体育祭でしたが、それをきっかけに当時の都内最大の感染者が学校で出てしまい、再び学校は消毒の為に閉鎖。生徒全員がコロナの検査を受けました。 その学習の遅れを取り戻す為、夏休みは1週間しかありませんでした。 もうめちゃくちゃな一年。子どもたちはそれでもよく乗り切ったと思います。 大切な時に学校に行けなかったのは可哀想でしたが、私はコロナという未知のウイルスが怖かったので、子どもが家に居る間は安心でもありました。 あの時は本当に分からなかった。だから仕方のない措置だったと思っています。 これから、その子たちをどうフォローして行けるかだと思うので、前を向いて子どもたちと共に進むしかないと思います。
▲1122 ▼92
=+=+=+=+=
中学校で教員をしています。勤務地は例年小学生のうちに落ち着きをもって中学校に上がってくる感覚がありますが、コロナで休校を体験し修学旅行などにも行けなかった子たちは、中学生に上がってきてもあまり落ち着きがない、幼さを多分に残して上がってきている感触があります。でもあくまで個人の感覚なので関係ないかもしれません、、笑 落ち着きがなくても可愛らしく、小学生?と微笑ましく思うことが多々あります。 あとは他の方が言うようにマスクの影響は大きいですね。写真撮影や卒業式でさえも外すのを拒む生徒がいます。人がそもそも持つ自分の顔への自信のなさや隠したいという思いが強く表れているのだと思います。顔は自分で選べないし、難しいですよね。こちらもあまり強く言うのもな、と思いよっぽどの時でない限りそっとしておきます。個人的には、卒業式はさすがに外して、晴れ舞台での顔を保護者の方に見ていただきたいとは思いますが。
▲894 ▼85
=+=+=+=+=
小学校教員です。 コロナの年に入学した一年生〜三年生、学力が低めかなと感覚的ですが思います。基礎基本の積み上げができていないのが原因かと思います。運動神経も同じです。 そして何かと汚いといって触らない、関わらないという弊害もあります。人間関係スキルも低いので、トラブルが絶えない、気持ちのコントロールができないという子どもが増えています。この先、そんな子供達がどうなっていくのか、心配です。
▲920 ▼119
=+=+=+=+=
教育現場で働いている者です。一斉休校はあの時は必要だったと思います。でも、長引きすぎたかなとも思います。日常に戻った今でも様々な行事か今だに時短や縮小です。精選されて良いこともありますが、それが子供の為なのか、教師の為なのかモヤッとすることがあります。私は古い人間なので子供たちには輝くチャンスをたくさんあげたい。準備や練習等大変だけど達成感は大きいです。何だか子供も大人もヤル気を感じません。
▲666 ▼116
=+=+=+=+=
修学旅行に子どもが行けなかったり、行事が全て無くなったり学校が3ヶ月休みだったり、可哀想なことは確かに本当多かった。 でもコロナがあった事によって、強制的にではあるけど、タブレットを使ってネットで授業すると言う事が定着した。 学校を急遽インフルエンザなどで休んでも授業に参加できたり、登校が難しいお子さんも授業参加へのハードルがさがったり良かった部分も多少はあったのではないかと。 コロナがなければここまで速やかに進まなかった気がします。
▲551 ▼99
=+=+=+=+=
新型コロナが発生した初期の頃は、まだウイルスが未知な存在だったから、休校も仕方なかったと思う。マスコミだってコロナで恐怖を煽り、政府の遅い対策に対して批判ばかりしてたし。 ただ、その後、次第にコロナが弱毒化していき、それほど恐れる必要がなくなったにも関わらず、マスクを着用させ続けたり、給食の時に黙食させたり、外出を控えさせたりと過度な対策を続け、ワクチンまで推奨したことは、子供に多大な健康被害を与えた。
▲1094 ▼280
=+=+=+=+=
事象に対する検証は非常に重要であるが、後出しじゃんけんのような批判論文は科学論文としては問題がある。 また、家庭内感染が多かった、という結論ならば、休校で家にいた子どもに対して、新型コロナウイルスが蔓延するなか外で仕事をしていた大人が感染したことが原因であり、企業が新型コロナウイルスの感染を軽視して対応しなかったということでもある。 つまり、休講措置で学校内感染がなかったので、感染拡大を抑止したという一定の効果があったといえる。 ただ、多感な中学・高校の生徒のなかには、具合が悪いと言えば新型コロナウイルスの感染の可能性ありということで休むことが今でもできるようになっている。 厳しい言い方ではあるが、手抜き癖はなかなか改善されませんし、現代では強く言うとハラスメントと捉えられてしまうのでそこまで厳しく言えず、自らどうにかするほかない。
▲658 ▼149
=+=+=+=+=
2020年の一斉休校は、未知のウイルスへの恐怖からやむを得なかった面もありましたが、その後の対応が問題だったかも知れません。世界が徐々に正常化していく中で、日本は過剰な対策を引きずりすぎたと思います。その結果、不登校の増加や学力格差、さらにはマスク依存によるコミュニケーション不安など、子どもたちへの影響が長く残ってしまいました。次のパンデミックに備えは「とりあえず休校」ではなく、教育と子どもの成長を守る視点をもっと重視して欲しいと思います。
▲462 ▼127
=+=+=+=+=
高校教員です。 部活動が停止になったことでいろんな不文律が崩れていきました。いろんな当たり前が当たり前ではなくなりました。みんなで歌を歌うということを知らない子達が先日卒業しました。以前よりとても小さな声の仰げば尊しでした。皆勤賞の数は激減しました。発熱時や喉痛時は学校を休んで検査を受けることが今も推奨されています。運動部の子達も簡単に休むようになりました。マスクをしないと人前に出られない子がたくさんいます。教員も休みが取りやすくなりました。などなど、枚挙に暇がありません。これらはすべて子どもたちが悪いのではありません。何ならこれを機会に色々変化するチャンスだったのですが、なぜ元に戻そうとするのでしょうね。春からロイロノートやclassroom、Teamsを使いこなせる子達が入学してくるでしょう。コロナ世代も学年がひとつ違えばまったく違いますね。
▲75 ▼15
=+=+=+=+=
音楽教室の講師をしています。コロナ前は発表会に出演はほぼ当たり前で出演しない子の方が少なかったです。お楽しみ会は全員参加が普通でした コロナ禍を経験して、人前で何かをすることに抵抗がある子が増えました 発表会の参加は生徒の半数ほどで、お楽しみ会の参加も、1割ほどは毎回参加しません 知らない子もいる大勢の集まりには参加したくないようです。 人前で演奏するのも、間違えたら嫌だから、人に見られるのが嫌だからと言います 個人の意見を尊重しているので、子供達の発表の形は様々ですが、みんなかなり慎重になったと思います
▲71 ▼18
=+=+=+=+=
コロナは、とにかく当時の全員がどう対処すべきが分からなかった。 だから、今振り返って副作用があったとしても、仕方なかったと思う。 不登校が増えていることは、コロナの影響もあるだろうけれども、 「不登校が不登校を増やしている」とも思う。 学校の友達に実際不登校の子供が居たり、 テレビを見ても不登校、ネットを見ても不登校。 最近の子供はスマホで不登校の検索をする。 「なんだみんな同じ気持ちじゃないか」となる。 学習支援の先生として、不登校の児童生徒たちも見てきましたが、 なんらかの疾患がある子は別として、 「不登校と決めたから不登校」という子供も居ました。 学習支援に来てくれるだけでも嬉しかったですが、 親御さんは相当大変そうでした。 コロナの話とはそれてしまったようですが、 「何という原因のない不登校が増えている」という問題にも これから対処していく必要性があると思いました。
▲77 ▼10
=+=+=+=+=
当時小学生の子を2人もつ親です。あの時はまだコロナがどんな病気かわかっていなくてやむ得ない決断だったと思います。親としては正直安心した部分もありましたが学力やメンタルなど不安なこともあり複雑な心境でした。子供も最初は学校が休みで喜んでいましたが1ヵ月もするとゲームに飽きた友達と会いたいなど徐々に心境の変化が出て来たことを覚えています。しかし命には変えられないと当時はそう自分に言い聞かせていたのも事実です。
▲37 ▼6
=+=+=+=+=
医療現場も混乱し、病床が不足という中で感染を防ぐための措置としては、仕方なかったように思えます。当時は重症化して自宅療養では対応できない状態が多々発生していました。また、子どもたちの感染を防ぐことが、親や高齢者への感染を防ぐという意味合いが強かったように思います。 マイナス面もたくさんあったと思いますが、一気にICT化が進んだことは良かったと思います。 私の地域では学校が休校でも、学童保育や午前中だけ小学校を開けていただいたこと、柔軟に対応していただけたことは、感謝しかありません。
▲30 ▼8
=+=+=+=+=
時間(年月)が経ったから、あの時の対応を振り返る余裕ができるのだと思います。 正しかったか間違いだったか分からないけど、前例ないから立場を超えて必死にやったことないことに取り組んだ。もうそれだけだったと思います。
大学で事務をしていますが、2020年の今頃は卒業式中止、入学式はどうするかの判断(公表)を上司が連日会議をして色々決まって行った時期でした。
2020年の入学生は、本当に気の毒でした。 4月入って直ぐに緊急事態宣言、オリエンテーションが出来ない、1年生は履修登録に慣れていないので窓口に問い合わせたくても出来ない、友達も出来ないまま、先生方も慣れていないオンライン授業。
コロナが終息し通常対面授業にもどり、感染防止の衝立がなくなった2023年春。同じ係の人と良く見えるし良く聞こえるねー、何だか恥ずかしいねって笑った時は皆で頑張ったなぁと思いました。
▲43 ▼2
=+=+=+=+=
未知のものに最大限の警戒をするのは当然の事で、コロナがどんなものなのかわかった後に当時の判断が良かったのか悪かったのかを判断するのは公平じゃない。 コロナ禍真っ只中に子供達は中学校小学校に通っていたけれど、外に出て感染の危険があるより家で過ごしてくれている方が何十倍も安心出来た。亡くなる方も少なくないし、ただの風邪とも言い切れない。 子供達が、親世代が経験してきた「普通」の学校生活とは全く違った経験をした事は、「普通」では経験出来ない事をしたとプラスに考えて欲しいと今は思う。
▲136 ▼48
=+=+=+=+=
休校もそうだが、お願いという名のもとの、ほぼ強制のマスク着用の悪影響は、計り知れない。学校には未だに夏でもマスクを外せない子供が一定数いる。運動時や歌唱指導の時など「マスクを外しましょう」と指示しても、外せない子供もいる。 素顔を晒すことに抵抗を感じ、表情の乏しい子供も少なくない。 あの時は仕方がなかったでなく、コロナ対策の是非はしっかり検証し、もし今後同様な事態になった時、同じ失敗を繰り返さないようにすることは必要不可欠だと考える。
▲20 ▼4
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当時子供が小1 学年末にインフルエンザなどが流行り、1-2年生は学年閉鎖からそのまま一斉休校になりました。分散登校から新学年が本格的に始まったのは6月からでした。 人との距離を取りましょう、片腕何個分空けましょう、という文言が学校生活の約束に追加されました。誰も経験した事のない時代を初めて過ごした子供たちです。未知のウイルス、子供は病弱、他に頼れる親族がいなかったため仕事(医療)を辞めましたがあの頃はそうするしかなかったと思っています。
▲49 ▼1
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うちの子は、小学1年生の4月から休校になりましたが、保育園の時は皆勤賞だったのに、コロナが理由で3ヶ月休みというのは今だに尾を引いており、咳や頭痛があると熱はなくとも1週間休む、マスクはいまだ真夏含め欠かせない、地域性もあるかもしれませんが公園含めむやみに出歩いてはいけないということが染み付いています。プールでも水着と同じ素材のマスクをつけ、熱中症対策よりも重要なマスク。一体これは誰のための施策だったのか。上の兄弟、下の兄弟に比べ、同じように育てていてもこの子だけはやけに高齢者の目を気にしたり、ショッピングモールや公園などは避けるなど、小学生らしからぬ神経質さを感じます。6年間でプールは2年、しかも1ヶ月ずつだけ。本当にこれが子ども達のためになるのでしょうか。
▲30 ▼13
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ネット社会や家庭環境、本人の発達の遅れ、時代に合わない学校教育など様々な要因が考えられる。遠足がなくなったことと小学生の抑うつに相関関係があることは、エビデンスとして認められるだろうが、不登校になる生徒がそもそも遠足を期待していたかは不明である。 有効な調査方法が研究段階であるため、コロナと一斉休校に不登校増加の因果関係があるという結論を出すには、まだ時期尚早だろう。
▲0 ▼1
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コロナで影響した子供達の人生はマイナスと思わず教訓と捉えておいてほしい。日本ばかりが影響したのではなく全世界が同じ目にあったのだが日本こそマスクの活用や手洗習慣やらもこれからもきちんと守られれば再度危害があってもその教訓は生きてます。教育者や保護者の方々もこの点をアピールして生徒たちにこれからの生活に明るく誇りを持っていきいきと生活してほしいです。
▲0 ▼5
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一斉休校の意味はあったと思いますが、それに釣り合うメリットがあったかというと言うことは人それぞれでしょうね。 ただ、子どもたちは大人よりも感染対策が難しく(大人でもたとえコロナ禍であっても一部マスクできない人、手を洗わない人はいますが)、学校は大規模クラスターが特に発生しやすい場所であったことは確かです。そして、まず間違いなく家庭でも広がる。家庭内で留めることがてきればそここから次には感染しないかもしれませんがそれもまた難しい。結果として相当数の患者が同時発生していた可能性が考えられます。 治療法がまだ十分に確立していなかったあの時期の感染拡大は医療体制としてはかなり苦しくなったのではないかと思います。 それでも子どもたちの学ぶ機会に大きな制限があったこともまた無視しがたい事実。
▲249 ▼88
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休校が明け、学校が再開されても、「感染が不安な生徒は休んでよい」とアナウンスし、欠席のハードルが一気に下がりました。私は中学校教員ですが、中学校入学時(小学校低中学年頃から)の不登校が結構います。一昔前は、入学式には全員揃っていて、中学校生活の問題で、徐々に不登校になっていたのですが。今は漠然とした「不安」なだけで学校を休みます。親は学校を休ませます。具体的ないじめ等ではないため、対処できません。親が無理やり理由を聞くと、ありもしない理由をつけて、ややこしくなります。理由がなくなると、頭痛、腹痛と言います。そんな不登校ばかりです。
▲37 ▼9
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コロナ禍によって、本当に大切なことが分かった気がします。修学旅行や行事がなかった子どもたちが間違った方向に育っていったかというとそうではないと思います。思い出が少なくなってしまったのは可哀想だと思いますが、それでも当時の子どもたちはちゃんと育っているのではないでしょうか。今の学校には、やらなきゃいけないことがたくさんあって先生たちが不登校の子どもや保護者に対応する余裕がありません。教員不足という大きな問題を抱えた学校教育は変化のときを迎えていると思います。学校でやるべきことを減らし、行事や保護者対応などを民間業者や地域に委託していく流れをつくった方がいいです。教員が子どもと向き合える時間を増やし、教員も子どもも豊かな心で生活できる学校教育を目指すべきだと思います。昭和のような教育を見直し、時代とともに変わっていかないとこの教育崩壊は止まりません
▲41 ▼33
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我が子はちょうど卒園、小学校入学の時期でした。 卒園行事は全てなくなり、唯一あった卒園式は親1人のみ。入学式も親1人。入学式の翌日から三ヶ月、午前午後の2グループに分かれ、隔日登校。簡単な算数、字の読み書きは、プリントで家でやってくれという状態。 3月生まれの我が子には、慣らし集団生活みたいで、まぁ、ちょうど良かったかもしれないと前向きに捉えました。 ちょうど、修学旅行とかが重なった学年はやはり経験値が減ってしまいますよね。 予防のためにマスクするのも良いですが、咳してる人は引き続き、自らマスクするように気を遣って欲しいです。
▲25 ▼3
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コロナ禍での休校は未知のウイルスでもあり、判断が難しかったこともあり仕方なかったことだと思います。 良かった点もあるとは思いますが、最近の若者(10代後半~20代前半)を見ていると、やはり経験不足か幼さは感じます。学力はかなり補填を意識されてきたので大きな影響はないのかもしれませんが、応用力や何より生活力というか社会性は乏しくなっているように感じます。 主体性や対話のある授業を新学習指導要領は目玉にしていますが、ベースの部分がコロナ禍での行動制限で育っていないので、子どもにとっては苦しいところがあるように感じています。
▲15 ▼6
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コロナ禍突入のとき子どもたちは幼稚園、小学校、中学校 今はなんでもなかったかのように元気に過ごしているところを見ると、子どもの環境への順応性というのはなかなかに凄いなというのが感想です、もともとおおらかな性格というのもあるのかもしれませんが
悪影響を語る趣旨の記事っぽいので反感を買うかな…
中学は中高一貫だったので宿泊研修などはあとから高校になって収まってから行かせてもらえたり、オンライン授業もすぐはじまって影響が少なかったというのもあるのかもしれない、その点は学校にすごく感謝しています
▲30 ▼14
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学校へ登校しての勉強でも、家でのリモート学習でも、分散登校の詰め込みでも、座学についての学習成果は大して変わらないことがわかったのでは? 学校がやっていたいろいろなことやめても困らないことわかったのでは?ブラックと言いながらしなくても困らないもの復活させているのでは? 学校の大事な機能は、人が集まってわちゃわちゃといろんな経験することのような気がする。
▲135 ▼26
=+=+=+=+=
私の子どもたちはコロナ禍の時は保育園児で、園の方針で子どもたちにはマスク強制はありませんでした。きちんとつけていることが難しい、落としたりして不衛生だから、という理由で。 でも、その頃小学生だった近所の子は、マスクを今でもかかさずつけていて、ないと不安と言っていると聞きました。もちろん必要な時につけることは大事ですが、マスクをしていることで精神安定していることは、それはやはり心配だなと。マスクが体の一部のようで、外して良いよと言われても嫌だと言うので困っていると。 全員ではないと思いますが、影響があるのも事実ですし、マスクしていないと、見た目として、また衛生的に不安になりすぎるのは問題です。そのようになった子どもたちのメンタルケアも今後していかないと行けないと思います。
▲16 ▼0
=+=+=+=+=
あの時は仕方なかった論が主流だろうが、大人たちが普通の生活をしてるのに、なぜ子供達だけ制限された生活を?って事でしょう。 そういう意味では、無意味だったといえる。 無意味だったどころか、記事にある様に不登校や自殺者は高止まりしたまま。 無意味であればまだ良かったが、それによるデメリットが大きすぎた。 就職氷河期世代をケアしなかった結果、少子化を加速させてしまったが、パンデミック世代もケアしないと、20~30年後日本に相当の影響がでると思う。
▲464 ▼142
=+=+=+=+=
こういう分析で大事なことは、十分なデータを根拠にしたものでなければならない。例えば記事内で感染抑制効果はなかったという主張を紹介しているが、それは一体何を根拠に言っているのだろう。誰かが自分は無視したけど大丈夫だったと主張したところで、単に偶然かもしれないのだから多くのデータを比較しなければ実際のところは分からない。自殺が増えたという主張もあるが、それであれば一斉休校が終わった今も増え続けている理由は何だろう。そうした事を全国的に調査してこそ先につながるのだが、どうも個人の思いをかき集めたような検証ばかりになっているように思える。
▲5 ▼5
=+=+=+=+=
後からなんていくらでも何とでも言える。 あの時「子ども達の命を守るために大人が動いた」という事実が子ども達にとって大切なことだったのではないでしょうか。行動制限で例年通りに行えない学校行事や修学旅行も、どうにか少しでも思い出に残るようにと先生方が色々と工夫してくださっていました。保護者はもちろん子ども達もきっと覚えています。 子ども達が休校だから(共働きが多いから)一般の企業のリモートワークも急速に普及したように思います。 あの時の子ども達が「大人が子ども達のために動くのは当たり前 でもそのために大人は大変な苦労や工夫をしたんだ」ということを思い出して次の世代にも伝えてくれたらと思います。
▲9 ▼10
=+=+=+=+=
まあ今になればもっとこうすればすればよかったのかも って言えることはたくさんある
でもコロナ禍初期はまだ未曾有の感染症として、病態や疫学的な影響がどれだけ深刻かが十分にわかってなかったからああするしかなかったんじゃないかな
コロナ禍世代に限らず、どの世代においてもその時々の教育のポジティブ、ネガティブ両方の影響を受けてきたはず
今後同じようなケースに遭遇したときの教訓になっていればそれでよい気もするけどね
▲6 ▼1
=+=+=+=+=
当時、「新型コロナウィルス」とはどういうものかはあまりわからない状況で「人との接触を極力避ける」というのは有効な対策の一つとされました。 お金のある大企業は管理職を中心に導入し始めていたテレワークを推し進めて人の移動を減らしていましたし、子供たちの移動も少なくするのは当然の流れでした。
マスクの件もそうですが何とでも言える状況になって、当時の社会情勢などを一切考慮せずに批判だけを展開するのは卑怯だと思います。
▲60 ▼21
=+=+=+=+=
割と早い段階で、子どもにとってはリスクが低そうだということがわかっていたのに、結局大人の都合で子どもたちが犠牲になりました。 武見前厚労大臣は「次のパンデミックが起こる可能性が極めて高い」と何故か自信満々に言い切っていました。 あの時は仕方なかったという声が多いけど、次はどうしますか?また同じことを繰り返しますか? あの時は仕方なかったで終わらせないで、学校を含めたコロナ対策全般、効果があったこと、なかったこと、逆効果だったこと、きちんと検証してください。
▲32 ▼9
=+=+=+=+=
習い事2つしているけども、どちらも5年生が一人もいない。一つ下の4年生はどちらも7人ぐらいいるのに。入学式がなかなか出来なくて一斉休校だった学年。その学年は習い事を始めようという機会が奪われてしまったのか習い事をしてないからか放課後、外で遊ぶ団結力は強い気がする。
▲3 ▼4
=+=+=+=+=
今考えてみれば学校の一斉休校は必要だったのか、と考えさせられる。新たな場所で始まる新たな生活に夢と希望をふくらませていた人も多かったはずだ。だが、外出して遊ぶのも禁止するほどの厳格な対応も当時は必要だったとしても、今はどうかとなると疑問が残る。オンライン授業も今では必要性自体疑問視されている。長い休校は新学年になっても続いた。日本政府にできたことは根絶まで完全に外出を禁止することしかなかったと思う。今もそうだ。
▲1 ▼2
=+=+=+=+=
うちの息子は高校の入学式の3日後位に一斉休校になりました。中学生の時は休まず登校して何事にも頑張っていました。 最初の2日張り切って行っていたのに、休校になり宿題がたくさん出て、体調がおかしくなり精神もおかしくなり不登校になり、退学してしまいました。 今5年経ち元気にやっています。 色々ありました。すごく大変でした。生きているだけでいいです。
▲9 ▼0
=+=+=+=+=
コロナ禍の休校を振り返って
休校中、公園では親子で遊ぶ姿が見られ、学校の校庭も放課後に開放されました。配布物は教員が一人ひとりまとめ、時間差で取りに来るよう対応。教員は学校や自宅で教材研究を進め、分散登校時も余裕をもって教科指導に集中できました。運動部員には自宅トレーニングを紹介し、再開の日を楽しみに努力を続けました。通常登校が始まると同僚教員の進度への焦りがみられましたが、過去のデータをもとに十分対応可能だと説明し、冷静に対応できました。同じ苦難を乗り越えたことで、日常のありがたみを実感しました。
記事の中にある自殺・不登校率の上昇はコロナが日本だけではなく流行したことから、コロナだけでなく、宗教観を含む日本独自の要因と教育政策の変化、経済状況も関係しているのではと考えています。
▲2 ▼2
=+=+=+=+=
まわりに自然のある環境なので、休校の時期は毎日友達と木登りしたり、蟹捕りしたり、ブランコ作ったり、とっても楽しかった。 今振り返っても、貴重な時間でした。
一方で自然の少ない環境にいた子どもは、公園も閉鎖され、運動といえばベランダで縄跳びくらいしかできない生活。 ゲーム漬けで、1年生から不登校のままの子もいます。
その子の年齢や、環境によって、全然違う。
電車内で話しをしていた若者は、高校時代の写真を友人に見せながら、「高校時代はみんなマスクだから、写真も全部マスクだし、友達の素顔分知らない。」なんて話していました。
やはり影響は底しれないと思います。
▲21 ▼1
=+=+=+=+=
コロナで休校した影響は計り知れないと思います。明らかにコロナ明けから不登校も増えてますよね。精神科では、コロナがうつるんじゃないかと不安になり手を何時間も洗ったり、帰宅してから全ての荷物をアルコール消毒したりなどの行為をする、強迫性障害の方が激増したらしいです。
▲20 ▼6
=+=+=+=+=
子供達が学校お休みになったのなら親も仕事お休みにして欲しかったけれど、そうはならなかったし、入学したばかりの子供は可哀想でした。でも子供は強いと思う。大人がダメ過ぎるので子供達の力を信じています。願わくば、子供に沢山予算をつけて、学童の職員さんや学校の先生の負担をもっと減らし、詰め込みの勉強ではない面白い勉強をしてもらいたいな。学校楽しくないよね。大体のことは今AIが教えてくれるし。
▲17 ▼8
=+=+=+=+=
元教員です。 内容的に盛り沢山だったり時間調整があるようでなかったりの毎回押せ押せだった運動会の開催にはメリットがあった。学芸的行事にしても保護者の参観の仕方で工夫が見られた。主に自習中心で授業改善には繋がらなかった。コロナ禍ではあったがやりようによってはできるものだと感じた。 儀式的行事では入学式、卒業式共に雨バージョン、晴れバージョンの2通りの計画案に沿って実施。共にアクシデントはあったものの計画通りに実施できた。学校の大きな行事を中心に見て概ね満足できた。と、言える。
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
あの休校の3ヶ月間はとても面白かった。 まさかの時の実力が、ほんとうの実力。 周りで、親同士のネットワークでzoomを駆使して画面越しにみんなで一緒に勉強したり、バーチャルの世界で一緒に遊んだり、読み聞かせや、楽しいイベントを毎日交代でやっている人たちもいた。3ヶ月後に子供達がいろんなことを経験して満足気に学校へと戻っていった。親同士の絆も深まって、前よりもむしろみんな家族ぐるみで仲良くなった。 学校の責任というより、親のチカラが試された3ヶ月でもあったと思う。 子供を守る、育てる、って学校がやるもんじゃないと思う。みんなだと。
▲42 ▼31
=+=+=+=+=
「あの時は仕方なかった」では、子どもたちにとって、失われた時間はあまりにも大きな損失です。結局は、周囲の批判を恐れて、日本人特有の同調圧力の雰囲気をつくり、「無理矢理我慢」を強いただけです。 高校野球も世界陸上もオリンピックもやりましたよ。私は、科学的な根拠のある情報により、感染対策を徹底して、クラブチームの練習を継続しました。 もちろん、保護者の承諾書を提出してもらっての任意の自主練でしたが、子どもたちとその家族からの感染者はゼロでしたよ。
子どもたちは免疫力もついて、健康そのものでしたし、保護者の方々からも感謝されました。
ただ、自粛警察のような方からの嫌がらせ行為はありましたが… こちらが冷静に説明すると、相手は根拠のある話はできていなかったです。
これこそが、自ら考えて主体的に行動するということです。
▲79 ▼54
=+=+=+=+=
子ども等には重症化がないという理由で、 休校にする必要が無かったというのはどうでしょう? この記事にもあるように、 感染に家庭内が大きかったのは実感(自分もうつった)してますが、 子ども達には自覚症状が薄いため、 家庭内に持ち込む危険性を言っていたと記憶しています。 実際知り合いの家族は(おそらく)子どもからの感染でお年寄りが重篤化し、 助かりはしたがというのを見てしまっているので、 それはそうだよねと思っています。 また「不登校が増えた」についても、 私がその方面に関わっているので実感として、 「増えた」というより「我慢しなくなった」が正しいかと思います。 今まで辛くても我慢する子どもたちは多く、 またそれを気合が足らんと言ってしまう大人も多かったので、 我慢の限界が来たときは手遅れが多くありました。 コロナ禍の休校で「休んでいいんだ」と安心する子が少なくなかったのも事実です。
▲7 ▼2
=+=+=+=+=
まず、あの時はあの対応で仕方なかったと思います。 その上で
あの時に新一年生だった子たちが小学校の最高学年になろうとしています。 卒園したものの、ピカピカの一年生になったかわからないまま数ヶ月の休校。なかなかお友達に会えず、会えるようになってもマスクで顔が見えない、ソーシャルディスタンス!!と盛んに指導された子たち。 給食も黙食の対策として映画などを見ながら食べて、ある日突然オンライン授業になる。命を守るために画面と触れ合う時間が多くなって然るべきだったこともあってか、モバイルタイムの時間の長さが問題になっています。
学校の先生から、みんなで遊ぶイメージが少ない子が多いと報告も受けています。 みんなで楽しめる遊びのイメージの少なさ、お友達との距離感など 自然と小学生のうちに身につけていく体験ができなかった世代 体験の少なさを感じたり、先生だからわかる違和感があるようです。
▲57 ▼6
=+=+=+=+=
副作用は大きかった、と言えると感じています。 いまの小学5年生、非常事態宣言が出された時は小学校入学。在籍校の中ででは、全学年の中でいちばん社会性も学力も低いことが分かりました。県が実施している学力テストや生活調査の結果に基づいて示された結果です。特にグレーゾーンのギャング化が目立つ。
また小学3年生は、非常事態宣言が出された時は年中の学年で、未就学の2年間のあいだコロナによって周囲との関わりをかなり制限された集団生活を過ごしてきました。今でも同級生同士の関わりがうまく出来ない子が半数以上。その多くは家族などの大人や学年が上の人たちが同席する環境ではうまく関われる。要は、自分の気持ちを相手に伝えることはできても、考えの違う相手とどう関わったら良いのかが分からないけど、そこに自分より歳の大きな人が関わってくれると解決してもらえる、そこに頼ってしまう。なかなか根深い副作用だ時思います。
▲15 ▼0
=+=+=+=+=
コロナ禍での一斉休校やオンライン教材の普及で、副作用といえるのは、 ・アクティブラーニングのはずなのに、「個別最適」の色合いが強い教育課程に、事実上なってしまった ・学校に行く意味合いを見出だせなくなり、「無気力・不安」が理由での不登校が増加した 大きくこの2つでしょう。
学校側も、公の組織としての骨格が崩れていて、そんな中に子どもを入れても、集団の一員として成り立たず、不適応をきたす子どもが出てきて当然だと思います。
▲25 ▼3
=+=+=+=+=
2年生のタイミングで一斉休校があり、学校行事やそれまでの事が全く変わりました。 一番大きな影響は水泳の授業回数が少なく、以前夏休みに学校でごあったプール開放や市民プールの営業がなかった事です。 やっと少しずつ元に戻り始めましたが、泳げないまま高学年になり、本人が嫌がるのでスイミングスクールにも通えず、いまだに泳げません。 市民プールに行くにも、泳げず家族と練習している姿を見られるのは恥ずかしいので嫌がります。 うち以外にも泳げない子は結構いるようで、泳げるようにする時期だった低学年の数年間が空白になってしまったのは大きいです。
▲29 ▼4
=+=+=+=+=
中学校教員です。コロナ渦にいた生徒は入学してから、ほとんど全員一年中マスク。給食でしか、ほんとの顔が見れない。卒業式にマスクを外して、3年間顔をあわせてきたけど、この子こんな顔をしていたんだと卒業するときに気づいたりします。 小学校の時にコロナ渦を経験して、今中学校に入学してきた子も半分以上はマスクしています。マスクによる心の影響が心配です。学力は授業数減っても落ちていないということで、授業数減らして、生徒も先生もゆとりを持ちたいです、、、
▲23 ▼1
=+=+=+=+=
学校の一斉休校については、その効果や必要性については様々な視点がありますが、 1. 学校は多くの人が集まる場所であるため、感染のリスクが高まります。一斉休校はそのリスクを軽減する手段として重要な役割を果した。 2. 生徒同士の接触を減らすことで、感染の広がりを防ぐ目的がありその効果は大きくあった。 3. 感染者が増加することによって医療機関に負担がかかることを避けるために、早期の対策が必要だったがその一方で多少の弊害が起きた。 1. 学習が停滞し、特に家庭の支援が難しい子供たちにとっては、教育的な影響も少しあった。 2. 長期間の休校が社会的な孤独感を増す要因ともなった可能性は少しある。 一斉休校には感染拡大を抑制するという効果が大きかった一方で、教育面やメンタルヘルスの問題も多少存在した。 つまり課題より効果の方が大きかったって事。
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
これまで、学校で3回もコロナに罹った。ワクチンを打っても打っても打っても、毎回、症状は苦しく後遺症の不安に襲われている。 コロナウイルスの情報がわからないあの時、恐怖の中、我々年寄りの教職員を強毒性のウイルスから守ってくれたのは、政府の英断、完全な休校だった。忘れたのか?多くの方が重症となり、志村さんや、女優の方など有名な方々も命を落としたではないか。あのまま学校を開けていたら、ウイルス蔓延。先ずはリスク要因を抱える教職員の多く、子どもたちがキャリアとなりウイルスを家庭に持ち込み、うつされた家庭の親や高齢者が危険な状況になったのだ。忘れないで欲しい。子どもにはこれからやり直せる未来があるが、我々には貴重で短な時間であることを。民主主義の優先度は、最大の人権である生命を守ることである。ウイルスの巣窟である現場の者から言わせてもらう。あの時の政府の休校は極めて正しかった。
▲23 ▼24
=+=+=+=+=
全国一斉休校期間の3ヶ月だけではなく、新型コロナ感染症が5類になるまでの2020年度から2022年度までの3~4年間のコロナ禍全体の学校のあり方の問題の方が大きいのではないか。 学校が再開されてからも、感染症対策をとして、教員から神経質にマスク着用や手指消毒を促され、体調チェックなどが行われた。体調チェックの次いでに服装頭髪検査をしていた学校もあると聞く。 登校後に体調悪化した児童生徒は、コロナ感染を疑われ、腫れ物に触るような扱いを受け、小部屋に隔離され、登校したことを叱責されたりした。 休校開けも短縮したまま学校生活を続けられ、早く下校を促され、子どもたちが教職員に悩み相談をする機会も減ったと思われる。 数年間の心身へのダメージを子どもたちに与え続けたのがコロナ禍である。 だから、コロナ禍が終焉した2024年も小中高生の自殺者数が増えるのではないか。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
仕事で教育現場に関わりながら、我が子も小学校生活の大半をコロナ禍で過ごしました。
一斉休校もコロナ禍も、良い悪いはそれぞれにあるでしょう。 ただ、5類への移行から以前の活動に戻ったこの1年を経て強く思う事があります。
このコロナ世代は
声は大きく出してはいけない 人と近づいてはいけない マスクを外してはいけない マスクをしているから激しい運動は命の危険 少しでも体調に違和感がある人は自宅待機
こんな感覚を低学年から育てられてきたのです。 今の高学年〜中学生にとっては、こちらが常識なのです。
なのに、大人の感覚でコロナ禍以前に戻ったのだからと、『普通』に大きな声で発表も返事もする、『普通』に子どもは外で走り回る、『普通』にその体調程度で休むのは怠け、などと以前の普通を急に求める事は、子どもたちにとって非常識だし苦痛なのです。
そこを理解して接する事が必要だと日々感じます。
▲8 ▼1
=+=+=+=+=
うちの子ども達は幼稚園と小学校の中学年だったのであまり影響はなかったけど、あの時に卒入学だった学年の子達は本当に気の毒でした。 水泳に力を入れている市に住んでいるので例年ならみんな小1ぐらいからスイミングに通っていたので泳げない子はほとんどいなかったのにタイミング的にスイミングに通い損なった子が増えたのか泳げない子が増えた気がする。
▲7 ▼0
=+=+=+=+=
小5の時に休校だった子は、この時に読書に目覚めた。 古本屋に連れて行って、好きなだけ買っていいよと、片っ端から漫画文庫問わず買ってあげた。 じっくり読める時間もあったことから、 ものすごい集中力で読み漁ってた。
今高校受験が終わり、念願の県下トップの高校へ進学できたのは、小5の時の読書が引き金だったと確信している。
▲5 ▼1
=+=+=+=+=
初期のコロナウイルスは感染力も症状も重くワクチンもまだなく、仮に家庭に高齢者がいる場合に子供が学校からウイルスを持ち帰り感染することで致命的な結果となることが懸念されていました。若年者ほど症状が軽く感染に気が付きにくかったことから高齢の家族に感染させてしまい結果亡くなられることも多かったと聞きます。 次第にウイルスが弱毒化しワクチンが普及することでリスクが減少していったわけですが、それを忘れ後出しで「意味があったか」などと問うのは愚の骨頂ではないでしょうか。当時の状況下ではとても有意義でしたよ。
▲14 ▼12
=+=+=+=+=
一斉休校でしたがうちの子はまだ低学年でしたし仕事もあったので学校で過ごさせてもらいました。送迎はしていました。 下の子も保育園には通ってました。
オンライン授業も慣れない中、先生方は頑張ってくださいましたね。 あのオンライン授業はそれ以来は活かされていないように思うので、もったいないかな。 休みの子が見れるといいのにと思います。
▲27 ▼8
=+=+=+=+=
理由のわからない不登校がこの全国一斉休校をきっかけにしている、という主張をされる方も多いが、この全国一斉休校をきっかけに不登校児が登校してきたという現象は起きている。理由のわからない不登校は、就学前の子どもの生活に問題がある。今やこども園や幼稚園に年少児の学齢で入園してくる際に、オムツが取れていない児は珍しくない。そして、朝からほとんどの時間が自由遊びである。保育士養成校が使用するテキストには大人が作った枠にはまらない遊び込みというのを奨励しているが、通園している時間はすでに枠内である。そこで自由に飽きたら次の遊びをして好き勝手していたら、時間割が決まっている学校生活なんて耐えられるわけがない。そのあたり、専門家さんは全く気づいていない模様。
▲11 ▼3
=+=+=+=+=
未知のウイルスに対してだったから仕方ない部分は大きかったと思う でもようやく登校を再開しても数々の行事は中止や縮小、日常生活も給食の時間も机をつけることなくみんな静かに前を向いて食べるように指導されていたし、うちの子はそういうのがトラウマになってしまったようだ メンタルヘルス的に同級生に通院している子も散見される 突然休校となり日常が遮断されたのは、子供たちにとって大人以上に悪影響は大きかったと思う
▲11 ▼2
=+=+=+=+=
子供がちょうど高校と中学卒業の時でした 中学生は高校受験1週間前に休校になり、不安の中の受験となりました 4月、高校も大学も入学式だけかろうじてあったけどまたすぐ休校 そこから3年間マスク生活
かわいそうな高校、大学生活だったとは思いますが、当時、未知のウイルスにたいしてどうするのが正解だったかはわからなかった 結果無意味だったかもしれないけど、もう過去のこと そんな中でもかけがえのない友だちを得て、今は元気に大学生と社会人してる それだけで十分です
▲144 ▼36
=+=+=+=+=
あの子どもたちにとって地獄のような期間、大人は忘れてはいけません。 子どもにとって大切な大切な時間を大人が奪ったのです。子どもは大人の言うことを聞くしかありません。その大人が自由にして子どものお手本になるべきなのに本来の子どもの自由で伸び伸びとした姿を潰してきたのです。私はずっと過度な対応に疑問を持ち、教育機関と戦っていましたが、やはり大人は面倒なことになることを恐れ子どもたちに制限をかなりかけていました。私も母親として苦しかったですが、子どもはもっと苦しかったと思います。 日本の教育機関は子どもを第一に考えるべき場所なのに子どもに圧力をかけ行きずらくさせています。本当に悲しいです。
▲14 ▼3
=+=+=+=+=
小学校のリモート授業で家に誰もいない子がふざけてマイクで喋ったりマイクをオフにされると変なポーズを取ったりするようになり、それがそのまま授業再開しても続いてる学年でした。誰が見ても学級崩壊していたと思います。その原因がリモート授業にあるのではないか?と思えてなりません。 結局小学校卒業まで落ち着きない学年でした。 中学は別の学校へ進学したのでそれが今どうなっているか?わかりませんが、この子たちが上がった先の中学校の先生は大変だろうなと思います。
▲6 ▼1
=+=+=+=+=
不登校が増えた背景は、コロナ蔓延と同時期に 行われた新学習指導要領への移行が大きく影響している。 学習指導要領の改訂により、カリキュラムと標準授業時数が増えた。 教科書のページ数は1.5倍以上になり、日々カリキュラムをこなすので精一杯です。 あらゆる学校行事が縮小され、学ぶ力や意欲の低い児童は、毎日分からない授業を6時間も受けさせられる。 児童の理解度が低くても、それを学び直させる時間も余裕も学校や教師にはもはや皆無である。 もちろん、家庭支援・登校支援を手厚く行う余裕など、言うまでもない。
不登校児童の増加は、学校教育崩壊が顕在化している一部である。 この状況を作り出したのは、文科省・中教審・政治家たちである。 改善は急務である
▲54 ▼9
=+=+=+=+=
休校時に中学1年生だった、現在高校2年生の担任をしている現職高校教員です。あまりにも現場を知らない人間の記事であると思い、今感じていることを記します。 まず休校は仕方ないです。あの安倍総理が判断した段階では学校内パンデミックも考えられたわけで、意外と大丈夫そうとなったのは休校明けの話です。その後、インフルエンザと同じようにクラス内感染もしましたし、学級閉鎖措置も全国で起きました。 次に児童生徒に与えた影響ですが、休校が不登校を増やしたわけではなく、コロナ禍による社会全体の二極化が要因ではないかと思います。経済、教育、政治の二極化はもちろん、子どもの精神的成熟スピードも二極化してしまいました(例えば物事を主体的に考えることができる生徒はマスクの扱い方が分かっていますが、そうでない生徒は未だ考えずマスクをしています)。 来年度、その中学1年生が大学受験です。再来年には社会に出ます。
▲18 ▼14
=+=+=+=+=
未曾有の事態で、休校は致しなかったにしても子供への影響は気になっています。 1年経っても黙食、運動会は画面越しの応援、暑い中マスクをつけての登下校、、、あの頃の写真を見るとみーんなマスクで心が締め付けられます。異様な光景。 子供達は健気に大人の言う事を守っていました。 顔を真っ赤にしながら真夏もマスクをしていました。
どうかこれから青春を思いっきりエンジョイしてほしいです。 できればスマホやらタブレット以外で思い切りコロナ禍でできなかった友情等を育んで欲しいです。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
当初は感染の拡大を防ぐために、ある程度の対策が必要だったのは事実です。 しかし、子どもたちへの影響を考えると、一律の休校が本当に適切だったのか、記事を読んで疑問に感じました。学校に行けず、友達とも遊べず、行事も中止になり、ただでさえ不安な中で、子どもたちが心細かったのは間違いありません。 もしまたいつか、再びパンデミックのような事態が起きたときには、子どもたちの成長を守るために、より慎重な判断が求められるように思います。
▲86 ▼100
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2020年の3月頃はコロナウィルス自体が未知の部分も多く休校は正しかったと思う。子供の感染から親に二次感染した可能性もあります。 私自身もコロナで死にかけましたので、ワクチンが出てくるまでに時間も掛かりましたので安倍首相の判断は良かったと思う。 小学生の黙食はストレスがあるでしょう。楽しみな給食時間が沈黙なので‥可哀想とは思う。 デザートとか何かプラスで楽しみがあれば良かったかも。 子供が学校で友達と会えない間などはやはりストレスは大きかったと思います。
▲23 ▼14
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我が子の周りの子を見ていると、 一斉休校より、「多様性」の受け入れから、「学校を休む」事へのハードルが下がり、結果、長期的に休む、遅刻が多くなる、に結びついている感じもあります。
起立性障害の子も多く…これは私の知る限りですが、小さい頃から本人任せ、ゲーム制限なし、その結果の生活の乱れによるもの、と感じることも多くあります。 我が子の自立を必要以上に求めていたり…
何が言いたいかと言うと、 今の時代の子育ては難しい。 親は皆、日々悩みながら。
でも、一つ言えることは、 小学生までは スマホやゲームは、絶対に親が厳しく管理した方が良い、スマホ持参なんて遅ければ遅いほど良い…と感じます。
▲11 ▼0
=+=+=+=+=
コロナが怖いと言うよりも、教師達が親や周りからクレーム受けたくない為、子供達の行動を制限したとしか思えない。 現に何人かの教師に話しを聞いたが、黙食にしてもマスクにしても「子供はすぐに慣れるし、慣れれば管理が楽」って言ってた…。 子供達の大切な時間の事や、将来の事を真剣に考えた教師は居たのだろうか…。 今、コロナ世代の学生アルバイトを採用してるが、感情に乏しく、他人の行動に無関心で、集団での目標の達成感を知らない子供達が多いように感じる。
▲5 ▼1
=+=+=+=+=
確かに不登校、不登校気味の児童は多くなっていると思います。ただ学校も、PTAや地域の皆さんと一緒に、5類になってから楽しいイベントを子供たちの為に行っています。科学的な分析も必要ですが、体験自体していないので、比較することもできません。給食も一人ずつ前を向いて静かに食べていますが、それでも子供たちにとって給食時間は美味しい、楽しい時間です。少しでも子供たちが楽しい、又は楽しそうと思えることを大人たちが作ってあげればいいと思います。中学校でも高校でもそして大学でも。
▲5 ▼2
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この前、母校の高校の文化祭へ行きました。そこで当時の担任の先生に会うことができ、いろいろ話しましたが「コロナ禍を境に、今の子は何考えてるかわからん」と仰っていました。私自身や私の友人も会社でも最近入ってくる子は何考えてるかわからんと思っているそうです。 直接的な原因はわかりませんが、コロナ禍の学校生活で何か影響しているのかもしれません。
▲3 ▼4
=+=+=+=+=
うちの子はプールの授業が小学6年から中学3年まで無くて今年度、高校1年で4年ぶりにプールに入ったら怖くて泳ぐことができなかったと言ってました。それに中学生活3年間一度も家庭科室に入ったことがありません。調理実習が一度もありませんでした。 コロナ禍でできないことが多過ぎた影響は多々あると思います
▲1 ▼0
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人との距離感がバグってます。0か100の距離感しかわからないみたいで、クラスメイト=家族との距離感って感じです。馴れ馴れしいというのでしょうか。社会的な距離感が体感できてないからか、高学年になってもくっついてくる感じの子が多い。そうかと思えばそれ以外の人には無関心。見えてないみたいな。マスク外せなくて卒業アルバムの写真撮るのに写真やさんが困ってました。かたくなにマスク外さない児童に、撮影が進まず担任がキレてました。
▲25 ▼3
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休校は仕方のない措置だったと思う。
食料品以外のお店は休みになって照明が落とされたショッピングモールを見て、「いつになったら日常を取り戻せるのだろう」って思っていたくらい、とにかく異常事態だったから。
でも結果的に、息子は一生に一度の小学校の入学式がなかった。きっと小学校の歴史の中でそんなのあの時だけだと思う。しかないけど、それは今でも悔しい。
▲38 ▼9
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一斉休校の是非はさておき、あのコロナ禍で中止になった学校や地域、社会や会社のイベントや行事・活動等を変更または無くても、無くしても特に問題なかったものも一定数あったと思うが、 コロナ禍が終息した後にわざわざ元に戻したり復活させた意味がわからない。 あれを期に色々と変更もしくは廃止等あれば少しは世の中が生きやすくなったこともあると思う。
▲19 ▼3
=+=+=+=+=
学校でしか学びができないと決めてかかっていることの方がむしろ問題ではないでしょうか。子供の適性に応じて子供が学びやすい環境を提供できる柔軟な社会こそが子供の学びや成長に必要な社会ではないでしょうか。コニュニケーションも、家族間で基本が確立されていれば何ら問題ないことではないでしょうか。どこに行ってもコミュニケーションの仕方に差はないはずではと感じますがどうでしょうか。人と人の交わりの基本は家族間でまず確立されるべき事柄だと思いますがどうでしょうか。コロナ禍であるからこそ、家族のつながりの大事さがより深く感じられた時ではなかったかと感じています。人の力はそういうときに発揮されるものではないでしょうか。
▲23 ▼32
=+=+=+=+=
今になって「意味はあったか」と言われてもあの時期はまだ未知の病だったので、ああするしか無かったし後になってある程度解明されてからならなんとでも言える。あの時はあれが正しかったのでしょうと思いたい。当時小学生だった私の子も当時の影響なのか現在も休日はずっと家で過ごしているのは事実だが。しかし、休校でタブレットによるリモート授業や保護者のスマホでのリモート連絡帳は発達した
▲14 ▼2
=+=+=+=+=
3学期ももうすぐ終わろうとしていた時期に、突然一斉休校。担任していた子どもたちと会えない日が長く続き、3月に予定していた学習のまとめや思い出作りが急にできなくなりました。学年が終わる修了式の日だけ、短時間登校をして、子どもたちは持ち物や作品、成績表を持って帰りました。次学年はクラス替え。みんなでクラスの友だちと別れを惜しんで、涙の修了式になりました。卒業生や保護者の方は、なおさら悲しかったと思います。何故一斉休校としたのか?急に休校を決定した阿部さんと議員に説明責任があります。
▲5 ▼8
=+=+=+=+=
2020年の頃は、新型コロナがどんなものか分からなかったので、やむを得ない対応だったかと思うが、全世界で対応が緩和されつつある中で、日本だけが過剰対応を続けた為に、経済の回復が遅れてしまった。 こんな事を繰り返さない為にも、政府は、そして、専門家どもはもっと、新型コロナの検証を真剣に実施すべきだろう。
▲179 ▼55
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「感染の抑制効果はなかった」「現在では、一斉休校は「副作用」のほうが大きかった」「不登校の数は2020年度以降は約5万人ずつ増加している。」「学校が再開した後、コロナの感染回避を理由として長期欠席する子どもたちがかなり出ました。」「2022年には一日に20万人が新規に陽性と判定されるほど感染は拡大した。」 などなど、ここで書かれている根拠はすべて結果論。2020年には出ていないデータを持ち出して自信満々にああだこうだ言っても響かない。あの時は数少ないデータを信じるよりも、命を守る、不安材料を取り除くことが第一だったことを記憶しています。 検証は必要なことだとは思いますが、結果論でああだこうだと断言しているこの記事に違和感を覚えます。
▲1 ▼0
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休校で友達とも会えず、更に孤独感。 修学旅行は中止、卒業式も在校生は別室、歌は事前撮影された物、保護者も各家庭から1人のみ。下の子も入れない。卒業アルバムの寄せ書きすら禁止 今年20歳になる子どもは高校に入っても制限ある生活。定時制で4卒だったので今年と昨年度のみ文化祭等おもいっきり青春満喫してました。 先日の卒業式も後輩や先生方に寄せ書き貰い… 楽しい高校生活だった!
今高一の下の子は小中の修学旅行は実行されましたが 結局はオンライン学習が続いた為休校解除後も不登校や集団生活が無理という子が多かったです。
休んで戻った時にはそれこそまだ感染してない子から
ウイルス持ち込むな!学校来るななんて事もありましたし…
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世界中で初めての事態でしたし、何が正解かも分からない状況で、手探りで色々な対策をしていましたね。
今思えば「そこまでする必要があったのか」と思わなくもないですが、当時を思えば、ああする他なかったのではないでしょうか。
私もだいぶコロナ脳になっていましたね。ソーシャルディスタンスを意識し続け、夏でも冬でも窓を開けっぱなしで換気、人前でマスク取って話すなんて有り得ない、そんな脳になっていました。
結局、コロナには2回感染しましたが、幸い軽症でした。
重症化するとかなりしんどいらしいですし、亡くなられた人もたくさんいらっしゃるので、一概には言えませんが、個人的には最近立て続けに報道されるノロウイルスの集団感染のニュースの方が恐ろしいと感じてしまいます。
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一斉休校で勉強が分からないとか、友達との人間関係が形成されなくなったなどもあるが、いい面もあると思う。IT発達でオンライン授業になった。これは学校に行きたくない子どもにとって将来的に行く派と行かない派で選択出来る教育制度もありかもしれない。
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