( 273299 )  2025/03/09 05:51:24  
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維新の政策で教育費の全額税負担化が進められ、それについて維新創業者の橋下徹氏と元明石市長の泉房穂氏が対立しています。

泉氏は維新の政策に疑問を投げかけ、橋下氏は激しい口調で政策を擁護しています。

少子化対策としての教育費の全額税負担化には問題が指摘され、専門的な職能教育を重視する方が望ましいとの意見もあります。

維新の政策をめぐる議論が続く中、厳しい現実に向き合い、誠実な姿勢が政治には必要だと指摘されています。

(要約)

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(c) Adobe Stock 

 

 国民民主党が掲げた「年収103万円の壁」の178万円の引き上げは実現しなくなった。日本維新の会が自民、公明両党と高校授業無償化などで正式に合意し、来年度予算が衆議院を通過したためだ。これには落胆した国民もいただろうが、兵庫県明石市の前市長である泉房穂氏も「維新の対応が残念でならない」などと述べていた。それに対して元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏も自身のSNSで泉房穂氏を罵倒した。一体何が起きているのか。経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏が解説するーー。 

 

 維新が自らの「教育費無償化(全額税負担化のこと)」を与党に飲ませたことを引き換えに、予算案に賛成したことを巡り、維新創業者の橋下徹氏と元明石市長の泉房穂がX上で激しく対立している。問題を整理してみよう。 

 

 発端は維新の政調会長・青柳仁士氏の発言だった。「いたずらに国会での審議を停滞・混乱させるだけで、実際の国民生活は何一つ変わらない」と、4月からのガソリン減税法案を提出した立憲民主党と国民民主党に対し、こう吐き捨てたのだ。 

 

 泉氏はXで、維新が「いたずらに国会で“安売り”をし、大幅減税を葬り去り、実際の国民生活を何一つ変えなかった」と批判した。 

 

 これに対し、橋下が反論した。泉が「大阪府が一番得をする」と指摘したことについて、「ボケッ!」と罵倒し、「たった7億円も政治決断できずに用意できなかったテメーの尻拭いをしてやっている」と述べた。さらに、明石市の公立小学校給食無償化が実現したのは維新の政策のおかげだと主張し、「テメーは明石市の市政しか見えてへんのか?」と非難したのだ。 

 

 しかし、冷静に考えてみるべきである。橋下氏は「テメーの尻拭いをしてやっている」などと罵倒しているが、教育費の全額税負担化によって維新が一歩前進したかのように主張している。しかし、その財源となる税金を支払っているのは国民である。つまり、実際に尻拭いをしたのは維新でも橋下氏でもなく、国民自身なのだ。政治家や政党が自らの功績を誇るのは自由だが、それを支えているのは最終的に納税者であり、その負担を無視して成果だけを強調するのは極めて欺瞞的である。 

 

 

 教育費の全額税負担化には、少子化をさらに加速させる可能性が指摘されている。まず、高校生を持つ親の多くは、すでに出産適齢期を過ぎている。この政策が導入されたからといって、「もう一人子どもを産もう」と考える直接的な動機にはなり得ない。むしろ、子どもが成長してから経済的な負担が軽減されたとしても、それは出生率の向上にはほとんど寄与しない。なぜなら、出産を決意する段階での経済的負担こそが重要な要因だからである。 

 

 加えて、少子化の主要因の90%は、未婚率の上昇と晩婚化によるものであることが各種の調査で明らかになっている。さらに解析を進め、国際的なデータを踏まえれば、少子化が進行する最大の要因は、国民の高学歴化と避妊の普及にあることがわかる。高等教育の普及が進むほど、男女ともに結婚や出産のタイミングが遅れ、最終的に子どもの数が減る傾向にある。これは日本だけの現象ではなく、先進国全体に共通する事実である。つまり、維新が少子化対策として打ち出す「教育費の全額税負担化」は、むしろ少子化を加速させる方向に作用する危険性があるのだ。 

 

 維新の前原誠司共同代表は、さらに大学の教育費まで全額税負担とする意向を示しているが、これが実現すれば、日本の少子化はますます深刻化する可能性が高い。 

 

 なぜなら、大学進学がより一般的になればなるほど、学業に専念する期間が長くなり、結果として結婚や出産の時期が遅れることになるからだ。つまり、維新が政権に近づけば近づくほど、日本の少子化問題は悪化するという皮肉な結果になりかねない。 

 

 むしろ、成績優秀者を除いて学費を各家庭が負担する仕組みにした方が、少子化の歯止めになる可能性がある。「無償化」というのは、社会主義的な側面を持ち、行政の規模を拡大させる政策である。これにより、無駄遣いが極端に増えることは避けられない。結局のところ、教育費は各家庭が実費で負担した方が、全体としてコストが安く済む可能性が高いのだ。さらに、社会全体のあり方としても、すべての人が大学を卒業することを前提とした教育制度を維持するより、専門的な職能教育を重視する方向へシフトする方が望ましい。 

 

 

 日本の伝統的な職人文化のように、中学卒業後に早い段階で専門技術を身につけ、社会で即戦力として活躍する道を選択することも、決して否定されるべきではない。 

 

 ところが、現在の維新の議論では、中学卒業後に職人の道を選ぶことが、まるで家庭環境に問題があるかのように扱われている。これは極めて危険な考え方である。高等教育の一律無償化を推し進めることで、むしろ個々の適性や多様な進路選択を阻害し、結果として社会全体の活力を奪うことになりかねない。 

 

 確かに、高校3年間の学費は無償化されるかもしれない。しかし、その後の人生において、国民は誰かの高校の学費を税金として負担し続けることになる。これが果たして公平な制度と言えるのか。結局のところ、「教育の無償化」という美名のもとに、税負担の重圧が国民全体にのしかかる構造こそが最大の問題なのではないか。 

 

 では、Xでのやりとりに戻ろう。泉氏は、先の橋下氏の発言に冷静に対応した。「『アンガーマネジメント入門講座』の受講を勧めてみようかな」と皮肉交じりに投稿し、怒りの原因は「怒っている本人」にあると説明した。橋下氏の感情的な発言を揶揄する形で、論理的な視点を強調している。 

 

 減税政策についても泉氏は問題点を指摘した。「維新が邪魔をしなければ、103万円の壁が178万円となり、例えば年収800万円世帯なら23万円近い減税が可能だった」と述べた。維新の「安売り」が、減税の大幅拡充を阻んだという見方だ。 

 

 維新、自公との合意で「一番得をするのは大阪府」とも発言した。大阪府の財政負担は290億円軽減されるが、それは全国の国民の税負担でまかなわれることになる。大阪府が得をする仕組みについて、維新がどのように説明するのかと疑問を投げかけた。 

 

 一方、橋下氏は泉氏の視点を否定した。「大阪府だけが得をするわけではなく、兵庫や京都、奈良も恩恵を受ける」と反論し、「テメーは明石市の財務部に支配されていた」と批判した。維新の政策が広範囲に利益をもたらすと主張し、泉の視点が狭いと非難した。 

 

 橋下氏の投稿には感情的な表現が多く、「アホか!」「テメーが!」といった言葉が目立った。これに対し、泉氏は「今どき、こういう表現、なかなか使わない。それだけ怒っているのか、それだけ追い込まれているのかはわからない」と投稿し、橋下氏の態度そのものを疑問視した。 

 

 

 やり取りを通じて、泉氏は一貫して維新の政策に疑問を投げかけ、政策の整合性を問うた。橋下氏は感情的な表現を交えながら、維新の政策を擁護した。政策の是非をめぐる論争は続くが、泉氏の冷静な分析と論理的な批判が、橋下氏の激しい口調と対照的に際立っている。 

 

 維新の政治家たちは、「大阪は改革によって財源を生み出した」「増税をせずに行政を立て直した」と何度批判を浴びても同じ主張を繰り返している。しかし、実際には維新は宿泊税の増税、法人府民税・事業税の申告期限の延長など税収増策を繰り返し講じることで財源を確保してきた。つまり、維新の言う「増税なき改革」というスローガンは、厳密に検証すれば看板倒れの主張でしかなく、事実と異なる。 

 

 維新は自らの政策を正当化するために、時にはフェイクニュースまでも利用するようになっている。政党が国民の信頼を失った瞬間に、その存在意義は消滅する。都合のいい情報だけを切り取り、あるいは事実を歪めて発信し、国民を騙すような政治を行うようになった時点で、もはや終わりではないか。政治においては、たとえ厳しい現実であっても真正面から向き合い、誤りがあれば正直に認める姿勢こそが必要だ。にもかかわらず、維新は都合の悪い事実を無視し、批判があってもお構いなしに、自らの「成功」を誇張し続けている。このような姿勢は、政党としての信頼性を根本から揺るがすものだ。 

 

 維新が掲げる政策の中には、日本の次世代を衰退させるようなものも少なくない。教育の無償化政策にしても、少子化対策としての効果が疑わしいばかりか、財政負担を重くし、結果的に未来の世代にさらなる負担を強いる可能性が高い。こうした政策を無批判に推し進めることが、本当に国益にかなうのかどうか、冷静な議論が必要だ。 

 

 維新の政治家たちは、これまでの言動を振り返り、自らの政策が本当に日本の未来に資するものなのか、深く考え直すべきである。そして、その出発点として、まずは過去の発言や政策の矛盾を率直に認めることから始めるべきだ。創業者を含め、維新の関係者には、これまでの姿勢を省み、国民に対して真摯に謝罪し、深い反省を示すことを求めたい。日本の政治に必要なのは、派手なパフォーマンスではなく、誠実で責任ある姿勢である。 

 

小倉健一 

 

 

 
 

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