( 275226 ) 2025/03/16 06:13:45 0 00 長距離を走る列車にはトイレが整備されている(写真は横須賀線)
海外旅行者が増え、それに伴って日本の「トイレ文化」にも注目が集まっている。公衆トイレが有料の国も多いなか、無料で、かつ常に清潔が保たれている日本のトイレはもはや“観光スポット”だ。
しかし、昔から清潔だったわけではない。特に列車内トイレはかつて「黄害」が社会問題化したこともある。
特急列車や新幹線など、長距離を走る列車にはほとんど設置されているトイレ。今ではにおいや汚れが気になることなどほとんどないが、かつて排泄された汚物はタンクにはためず、長きにわたり線路に巻き散らされていたのだ。1960年代になると、沿線住民や医師などを中心に鉄道のトイレの「たれ流し状態」に批判が巻き起こった。
今では考えられない話だが、当時は鉄道のトイレ問題は社会問題のひとつだったのだ。いかに深刻なものであったか――。鉄道運行を担う立場にある国鉄職員たちが発行した“ある一冊の小冊子”から、その一端をうかがい知ることができる。
鉄道関係の取材・執筆を手がけるライターの鼠入昌史氏が、鉄道のトイレ物語を綴った『トイレと鉄道 ウンコと戦ったもうひとつの150年史』(交通新聞社)より、国鉄職員も苦悩した鉄道の“たれ流しの歴史”をお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全4回の第1回】
* * * 「糞尿による汚染は、全国民が一億総加害者、総被害者であると言っても差しつかえないほどです」──。
1968(昭和43)年6月に発行された、『国鉄糞尿譚』の一節である。
『国鉄糞尿譚』は、国鉄労働組合全国施設協議会本部が発行、国労中央執行委員で全国施設協議会議長の秋元貞二が編集した、非売品の小冊子だ。メディア関係者を中心に配布され、たれ流しの列車トイレが沿線ばかりか保線作業を担う職員たちを文字通り“直撃している”ことを指摘し、早急な対策を訴えた。
その中では、国鉄職員、保線労働者たちの苦しみがつぶさに記されている。
たとえば、作業員が通過する列車を避けて待っていたら、車内からオシッコが飛んできて顔にかかった、などという生々しいエピソード。こうした体験談とともに、改善の必要性を切々と訴える。
鉄道車両にトイレが設置されて以来の伝統になっていた「停車中は使用しないでください」のご案内。これにも「誤りのはじまり」と切り込んでいる。
曰く、駅で停車中に用を足してもらうようにして、各駅にはおまるを抱えた職員を待機させ、糞尿を受け止めればいいじゃないか、という。こうした対策をすることなく走行中に排泄させるということは、大便と小便を跡形もなく飛散させ、人目に付かなくさせる“ごまかし”に過ぎないと喝破する。
一日の“たれ流し量”も試算している。1967(昭和42)年度の年間の輸送人員約80億人を一日あたりに換算し、全乗客に対して大便係数0.03、小便係数0.2を乗じてそれぞれの排便機会を算出。平均的な排便量を大便一回に300グラム、小便が一回に350ミリリットルと仮定、全体の“たれ流し量”を計算した。
それによると、一日にウンコが2000トン、オシッコが145万リットル。これだけの汚物が日本中を走り回る列車から吐き出されているというのだ。もはや多いのか少ないのかもわからないが、たぶん途方もない量だ。これだけの汚物によって、日本中の線路が汚染されているのである。
『国鉄糞尿譚』が世に出た時期には、より詳細に糞便による汚染を調べる実験も行なわれている。その結果、踏切付近では列車から25メートル離れたところにまで汚染が及び、トンネル内は汚物でビッシリ。窓や座席にシャーレを置いて細菌を採取してみると、もちろんこちらにもビッシリ。窓から手を突き出してみると、数十万から数百万個もの菌が付着したという。
ただの菌ならまあいいか、などという話ではない。赤痢や結核、腸チフスなどの病原菌でないとは言い切れない。そんな菌が付着した手で握り飯でも食べた日には、いったいどうなることやら。
労組では、沿線で発生した赤痢の集団感染のデータも集めている。そのうち、1955(昭和30)年に発生した余部鉄橋下の集落での集団感染や、1962(昭和37)年にトンネル内を流れる湧き水を飲用している集落での集団感染は、いずれも保健所によって列車から出た細菌が原因と断定されたという。つまり、鉄道はただウンコとオシッコをたれ流すだけでなく、病気までまき散らしていたのだ。
コロナ禍の折、大都市圏から地方にやってきた人をウイルス扱いする、などということがあった。それはまあ、わかりやすいくらいの差別というか、パニック状態だったのであるが、たれ流しの鉄道車両は、正真正銘の病原菌を全国各地にまき散らす装置になっていたのである。
『国鉄糞尿譚』では、鉄道をして「糞尿を散布する機械」と言ってのけているが、実際にはそれ以上の被害が知らず知らずのうちに生じていたのである。
(第2回に続く)
|
![]() |