( 275723 ) 2025/03/18 04:19:46 2 00 「麻原信じたことが一番の罪」 妻に語った土谷正実元死刑囚共同通信 3/17(月) 6:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/999546778feab4e2415e768e97edd49bea1b0be1 |
( 275726 ) 2025/03/18 04:19:46 0 00 土谷正実元死刑囚
土谷正実元死刑囚から送られてきた手紙のコピーを手にする妻(画像の一部を加工しています)
オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年を前に、教団幹部だった土谷正実元死刑囚の妻が、17日までに共同通信の取材に応じた。元死刑囚はかつて法廷で松本智津夫元死刑囚=教祖名・麻原彰晃=への帰依を口にしたが、妻とのやりとりを通じ事件の悲惨さを認識し、「麻原を信じたのが一番の罪」と語ったという。
土谷元死刑囚はサリンを製造するなど多くの事件に関わった。妻によると、中学2年の時、塾講師だった元死刑囚と知り合いに。高校受験を機に疎遠となり、以降は連絡を取っていなかった。だが、刑事裁判中だった元死刑囚から2006年に突然手紙が届き、交流を再開。08年に結婚した。
交流当初は、教団を自衛するためにサリンを製造したとし「こんなことになって訳が分からない」と人ごとのような受け止めだった。妻から「被害者が私だと考えたら?」などと尋ねられるうち、重大性を認識するようになったという。妻は、もっと内省を深めてほしい部分があったとしながら「自尊心が人一倍強い人だったから、本人なりの後悔、全否定と感じた」と話した。
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( 275727 ) 2025/03/18 04:19:46 0 00 =+=+=+=+=
当時は麻原をバラエティー番組に出させたりしてオウムを面白いおかしく取り上げてましたよね。そんなこともメディアは振り返って欲しいと思います。メディアは当時から何も変わっていないのも問題ではないかと思うのです。
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バブル崩壊を機に若者の不安につけ込み、数々の事件を起こすというより起こせるきっかけになったのは言うまでもない。 また、後に刺殺された村井 秀夫氏が入信したことにより、大学生の間では優秀な先輩として、有名だったようで、学のある若者が多く入信した要因のひとつでもあるようだ。 サリンやVXガスは当時は、製造するのも非常に難しいとされていたことも、驚きを持って報じられていた。 真面目な学生が時代に翻弄され、将来の不安から何かに縋れるものをと手を差し伸べてくれたものがオウムだっただけであり、これは時代に関係なく人間なら必ず沸き起こる感情である。今は集団より個での犯罪が世界的に懸念されており、模造銃での殺人事件も起こっている。物は容易にインターネットで手に入り、毒となるものも簡単に購入できる時代。多くの人が無宗教である日本は新興宗教が出来やすく、信仰の自由から野放しになっていることを忘れてはならない。
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これって難しいんですよね。 この文面だけ見れば土谷さんは被害者ですが、何人も尊い罪のない人を殺めた殺人者って事実は変えられない。 昨日も未だにアレフの勧誘の報道をしてましたが、オウムと何も変わって無いし、公安はマークしてるにも関わらず、何も取り締まれない日本の法律には残念です。
▲6805 ▼276
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土谷も元はすぐれた研究者だったんですよね。社会の中で認められず燻っていた所に オウムと出逢い、ここでは認められた。 取り調べでは頑なに黙秘していたそうですが 現場を調べた科学捜査班の方が製造工程に ついての見解を伝えると土谷は驚き、その人には口を開いたそうです。 捜査班の方も一時期警察の中で燻る事があり 大学進学、そこで教授に嗜められて現場復帰。誰しも誤った道に進む可能性を示唆され ていました。
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仏教や神道、キリスト教等の歴史ある宗教とオウムの違いはどのように違うのか。宗教によって本当に精神の安寧を得られるのか、私には確信を持てない。自分に欠落した心の隙間を宗教で穴埋めできると考えている人はやはり宗教にのめりこむのだろうと思う。小説家の山本周五郎は世に知られるようになっても常に「人生とは苦しさの連続だ、楽しいことなど何もない、常に全力で歯を食いしばり進む以外ないのだ」と言っていたような気がします。「自分の周りが幸福に見える、他人の生活が自分より楽しそうに見える」などと他人と自分を秤にかけていると自分が何も持っていないと勘違いし、変な宗教にひきづりこまれる。自分にないものを探さず、自分自身にもっと自信を持った方がいいし自分を客観視した方がいいと思う。オウムにはまってしまった方々は総じて視野が狭かったような気がするのは私だけでしょうか。
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興味をもって土谷さんのことを色々調べてざっと読んだ。あれ、と思ったらやっぱり獄中結婚だった。手紙をもらって会いに行った時点で奥さんも土谷さんのことに関心があったということか。独身な事もあり手紙をもらって嬉しくなって会いに行ったか。最後5年位精神に異常をきたしてしまったようだったが、その前の5年が奥さんができ幸せだったからやはり死は受け入れるけど奥さんのとこにも行きたいしのような葛藤でそうなってしまったんだろう。昔よく街灯でアンケートやってたよ。相手にしないで良かった。オウムとか統一教会だったようだし。心に人間さみしさが誰しもあるのでアンケートでもなんでも声かけられたりして優しく誘われたりするとふらふら行ってしまうんだろうな。宗教はお金がかかる時点でアウトだと思う。心を救うのに税金もなくお金がかかる宗教の悪に気付いてほしいと私は思う。
▲27 ▼2
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田舎者の私が初めて地下鉄に乗ったのが偶然にもこの日この時間だった。 浅草線だったから助かったが、日比谷線と交差する東銀座は騒然としていたのは覚えている。 私はまったく大丈夫だったが、日常の通勤等で生命を奪われた方々は本当に無念だと思う。 心から追悼したい。
▲2314 ▼45
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視点の方向によって、事実の捉え方が真逆になってしまう事は普通にあると思います。 例として正しいのかわかりませんが、ライオンが獲物を捕らえようとしている時には、追われている獲物に感情を向けると、ライオンは悪ですが、お腹を空かせたライオンの子供に目線を向けて見ると、ライオンは悪ではなくなってしまいます。 このように一つの事柄でも、どこに目線を向けるのかによって受け取る感情が大きく変化します。 また、そのように誘導するような表現を目にすることもありますから、自分の考えが流されないように注意する必要があると思います。
▲258 ▼43
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私は大学入学したばかりでしたが、ヨガ研究会、インド料理研究会などとしてサークルを装ったチラシが学内中に貼ってありました。サークルを装ったオウムでした。インドカレーに興味を持ったゼミの友人がお試しでサークル参加したら監禁されて帰してもらえなくて、彼氏が助けに行って何とか逃げ出せた事件がありました。うちの大学だけでなく色んな大学に入り込んでいましたようです。学校の周りにはオウムが隠れみのとして運営してたパソコンショップや定食屋があり、みんな普通に気づかずに入っていて事件が発覚してから露呈したことを覚えてます。
▲666 ▼8
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地下鉄サリン事件では多くの死者を出し、さらに多くの被害者は今も後遺症に苦しんでいる。
一方、「サリンをまかないオウムみたいなもん」と称される反社会的カルト集団が今も活動している。 しかも、その関係で既に死者は複数出ている。 警察・検察が早く対応していただかないと、更に死者が増える懸念があります。
▲880 ▼24
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自分は若い時に人に騙されたことがあるんだけど、なにか間違ったことや人を深く信じてしまう時には、やっぱり自分自身にも何らかの原因があると思う。心が弱ってて、人に依存的になってるとか、騙そうとしている人の言うことを聞くことで欲求が満たされたり、目の前の問題から逃げられると勘違いしたり、間違った優越感を感じたり(無意識に)している場合が多いと思う。嘘をついている人間には不自然なところが必ずあるので、心がまともだったら騙されない、嘘に気づくチャンスが必ずあるんだけど、心が弱ってると無意識にその点を見なかったことにして、相手が見せる夢に乗っかってしまうというか。心の健康に自分自身が責任をもって、もし心が弱っていたりして人に付け込まれる要素があるなら、病院行くとか、自分の本当の問題から逃げずに解決する方法を考えるとか、まともな方法で回復するように努力しないといけないということだと今は思う。
▲364 ▼15
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いまだに、オーム真理教の関連宗教団体が存続している事に、疑問を感じます。 宗教団体だったからか、オーム真理教も十分に怪しかったのに「松本サリン事件」では、一般人のそれも「被害者」の方が犯人だと決めつけられ、テレビや新聞にも載りました。 「決めつけ刑事」なるCMが流れていますが、まさに「松本サリン事件」はそのもので、もし、その時に徹底的に捜査していれば、「地下鉄サリン事件」は起こらなかったのかもしれません。
▲523 ▼12
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学生の頃からサークル活動のような宗教の勧誘が流行り始め入信して大学を辞めてしまった人もいた どこか悩みや苦しみを抱えた人がターゲットになり決して宗教とは言わない誘い方が オウムと似ていて気がついた時には遅いもしくは気が付かず 現在の不安定な世の中、またオウムのような勧誘活動を知らない若者たちが 気がついたら罪人になっていたと言う事がないよう願うばかり
▲316 ▼7
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父がいつも通勤に使っている電車がターゲットだった。たまたま、本当にたまたまその日は1本早いのに乗って仕事に行ったから被害に遭わなかった。私も横浜にある大学まで行って昼過ぎに帰ってきて母とのんびりテレビを見て事件を知った。あれから30年経つのか。当時生まれた赤ちゃんが30歳、小学生だった子供が40歳前後だがもう事件をほぼ知らないんだろう。風化させてはいけない事件のひとつだと思う。
▲38 ▼0
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この奥さんもなかなかすごいね。家族も。 普通は、世間を震撼させたテロリストから手紙来たら、恐怖のあまり引っ越しを検討してもおかしくないし、当然手紙には返信しない。家族宛に来たなら問い詰めて、何を置いても交流させない。 確かに、私たちもいつ人生を踏み外して、塀の向こうへ行くかもしれないという意味では、あちら側の住人も特異では無いのかもしれないが、実際には怖いもんね。喩えが悪いかもしれないけど、重病人は普通の人だと分かっていても、自らすすんで看病を申し出るのには、かなり勇気がいる感覚に似ている。 そこを突破して、テロリストと交流し改心させ…というより正気に戻らせたのだから。 その上で、この土谷氏の人生も悲しいね。イワシの頭も信心からと言うように、信心すること自体は尊いのだけどね。もっと違うものに出会っていたら、今頃は幸せに生きていたかもしれない。それは教祖以外の全て言えるけど。
▲216 ▼17
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私はいい歳をした未婚で一応社会には害をなさずそれなりの正義を持っていきているつもりの男ですが、結婚してもらえる死刑囚というのはどういう人なんでしょう。世の中には社会を害をなすような人でも夫であったり父親であったりしている人を見ると自分は何が間違っているのか悩んでしまいます。結局、社会全体ではなくごく個人的な範疇なら正しさよりも人に好かれることのほうが大事なんですかね。
▲632 ▼164
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自分の身内に置き換えて考えることはとても重要なことだと思います。妻や娘息子両親が同じ事をされたらどう感じるか!被害者にも同様に家族がいて其々同じ悲しみや怒り憎しみを持つのです。 その事を加害者だけでなく裁く側も自分の家族が同じ目にあったらと頭の片隅に置いて量刑を決めてほしい。 前例に従うだけの判決ならAIに任せた方が正確で低コストでしょう。
▲97 ▼11
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新年度が近くなり、進学や就職、転勤などで今までと違う環境になるから、新興宗教の勧誘には本当に気をつけてほしい。親御さんは時々子供さんに言い聞かせて下さい。
新興宗教による被害を聞いた事がある人なら警戒出来るが、勧誘されてそのまま熱心な信者になるまでにいくつかの分岐点があると思う。
一番重要な事は、信用出来る家族や友人、知人とコミュニケーションが取れているかだと思う。自分とは考えが違う人でも会話をする事で、自省する事や学ぶ事、助けてもらえる事も多い。
随分前からこういう交流が減ってしまった事が大きな損失だと思う。
▲35 ▼2
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信じたことは自分の責任 騙されるのも無知だった自分の責任 間違いだと気づかないマインドの状態だと被害者と言えるかもしれないが 戻る機会を欲や利己やまたは誤った正義の名の下に軌道修正することなく進んでしまったのは結局自分の責任 目が覚めて後悔先に立たず やってしまった事からは逃れられない 人間に過ちはあるが、だから被害者、無実ではない、過ちは罪なんだと思う 酌量はあってもいいが多くの被害者が出た重大事件では尚更に罪深いことをした事実と向き合うしかない
▲56 ▼8
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自分の小学生低学年時に彼らが登場したが、親に言われずとも変だと思った。 そして、その手の宗教は幹部の営利が目的だと思っていた、これは親からの影響だった。 なので、その時は破滅しかないテロまでやるとは思ってはいなかった。 洗脳がどれだけ効果あるかはわかりませんが、かなり小さい頃に育まれた、あるいは生まれつきの素質もあるように感じます。
▲627 ▼166
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人の孤独や迷いにつけ込んで長年じっくりかけて親友を装い金をむしり取ろうとする詐欺師と最近出会ったので何だか強い共感を覚えてしまいます。 まあ私の場合はネットの相手だったので周囲と相談してですぐに縁が切れましたが、もしも現実でこの人は信用できる、この人が正しいと思える相手に出会い見事相手の思うように誘導されてしまったらそれは本当に恐ろしいことです。 悪意を持った相手が行ってくる手段や特徴、そして困った時に相談できる相手が必要です。そして自分の心の中の弱みと向き合い、徐々に改善してそれを利用されないように気をつけましょう。
▲9 ▼0
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警察の事が起きてからの捜査も勿論大事だけど、アレフもそうだし明らかに危険と解る件には事後ではなく、防止の為の介入が強力な法的力で出来る様にしないと被害者は減らない。ストーカー殺人の予防にしても相談があってから初動と対応策を簡潔かつ強力なものになる様な法整備を願っています。
▲15 ▼4
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サラリーマンだって上司の指示に従い動くことが多々ある。リストラで何名もクビにする汚れ役をしたことがあるが、当時は会社の為と思って実行したが、時間がたった今はすごい嫌な思い出だ。プロスポーツ選手だって監督の指示にアジャストできなければ試合に出れない。どこかに所属、依存している限りは上に従わざるをえないわけで、後々思い出して「間違いだったのでは?」と思う人は多いと思うな。
▲50 ▼3
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私は60代ですが、もう40年以上前に同級生から宗教の大きな集会に連れて行かれたことがあります。 千人くらいいたと思います教壇の壁には教祖の大きな写真があり、講師がすごい幸運があったなどの事例講演でした。 御経?が始まると手を合わせ全員がお辞儀で御経を唱え異様な感じでした。 講師の説明は仏◯の御経は地に堕ちる我が宗教の御経は天に昇ると言ってました。 私は就職で転勤業でしたが、地元の同級生がこの宗教の信者になってました。 その同級生は私と仲がよかったのに疎遠みたいになり50代で病気で亡くなってしまいました。 幸運じゃなく不幸になったのかなぁと思いました。 私は人に頼るのではなく道は己で切り開いて進むを信念にしてます。
▲25 ▼2
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宗教団体への犯罪捜査は断片的にみると「弾圧」に見える場合もあって難しい面があったのだろう。 「マインドコントロール」という言葉も使われるようになったが、まさに人の心の弱さにつけ込んで、犯罪を含めた行為を躊躇無く実行させる恐ろしい所業であるものの、これを規制することはできない。 生活苦や将来への不安がない、ないしは少ない社会にしていく必要がある。 それでも・・学校や企業、友人関係でも競争があり、人には自尊心があって敗北や挫折に遭遇した場合は、誰かに頼りたい、社会から逃避したい気持ちになるだろう。 邪悪な宗教団体を壊滅させるよりも、家族や真の友人、いなければ親身になってくれる相談組織など、心のケアをする社会の機構があれば、犯罪集団となる宗教団体への入信も少なくなると思う。
▲5 ▼3
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若い頃宗教には全く興味は無いけど、宗教学に興味を持っていた時期があり本を読んでいましたが たまたま、昔知り合った事があるその知合いとその仲間?がアクセスしてきました。
胡散臭いのですが逆に興味があり聴いてみましたが、集中力失われる1時間半程すると神様で救われましょう的な話がもりこまれます。 最後はお祈りに行きましょうで終わりましたが、もちろんお断り。 自分がどの様なタイプかを常に意識し続けましょう。
▲4 ▼0
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結局、人がまともに生きられるかどうかは、自分が信じた人や愛した人がまともかどうか、自分を大事にしてくれるかどうかなんだなと思った。
親や配偶者、上司が自分を大事にしてくれないと、他人なんか大事にできるわけがない。
今、なんでもネットでやればいいみたいな風潮があるけど、ネットだけで、本当に自分を大事にしてくれる人と出会い、交流できるのか。
マイナス面、面倒事があっても、それでも大事にするってすごくエネルギーがいる。ネットだと、いい友達になれても、現実に会ううちに、疎遠になった人も私も沢山いる。
やはり人と人がリアルに接して、本当に思い合える仲間を見つけるってとても大事だなと改めて思った。きっかけはネットでもいい。でもネットで完結したらダメだ。
▲28 ▼1
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当時、私の友達がアルバイト先の上司から「出来ることなら3/20はアルバイトをお休みしなさい。もし休まないにしても、いつもの地下鉄での出勤は絶対にしない様に!」と釘を刺されていたことを聞かされていた。 結局、友達はその日は休むことにした。 事件発生後、友達と私はその上司とその言動にゾッとした。 後日、友達は事の詳細を上司に聞こうにも怖くなってしまい、しばらくは続けたもののアルバイトを辞めてしまった。
▲34 ▼2
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ナチ党のアドルフ・アイヒマンの発言「一番の罪はヒトラーに従順だった事」を模した様な気もしますね。
世界的に嫌われるナチですが、この発言はとても価値があると思います。「盲信的に誰かや何かに傾倒する」事の危険さを、歴史は既に語っているが、繰り返すのが人間。 アイヒマンの大量虐殺同様、麻原に従順だったのが罪だとしても行った罪がなくなるわけでも転嫁して良いわけでもない。
後世に対しての教訓として残すと良い。
▲128 ▼5
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信仰が原因になって問題が起きるとき、「他者利益」にとらわれていることが多い。なんと言われようと「自己中」でまず「自己の利益」を考えそこで生じる様々な問題・困難を他者と妥協しながら乗り越えていくのが健全な人生の基本だと思う。
▲0 ▼2
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土谷は当初、裁判でも取り調べでも黙秘を貫き、洗脳が全く解けなかったが、その洗脳が溶けたのは、被害者の母が涙ながらに土谷に対し「この人(土谷)を育てた両親がどれほど愛情を注いで来たかを考えると…」という一言が土谷に考えるきっかけを作ってそれから本来の自分を取り戻したそう。 そしていつまで経っても何の行動も取らない麻原に対し次第に疑いと憎しみが沸き起こるようになって完全に洗脳が溶けたそう。
▲48 ▼2
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もっと取り締まるべきだった、といった意見は賢明に思えない。 信教の自由を無にして強硬な手段はとれなかった。その後宗教法人法は改正されある程度のチェックは可能になったようだが、本気でテロをやろうとする個人や集団は宗教に限らず、地下化すれば見えない。オウム事件は麻原氏の個人の資質に拠る所が大きく、大多数の信者は教団が事件を起こした事を最初全く信じなかったそうだ。 松本サリン事件、坂本弁護士失踪事件から、反社会的性質の尻尾を掴む事ができれば良かった。が、出来なかった。 といってオウムや幸福の科学をテレビで取り上げられたから、警察が手を緩めた訳ではなく、教団を評価したり擁護した識者が事件を後押ししたわけでもない。 事件の教訓は様々な側面があるだろうが、「異端を取り締まる」的な構えでは本質的に責任のない「罪人」を吊し上げて溜飲を下げるのみ。事件の根っこは解決しない。
▲7 ▼2
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とはいえ、多数の死傷者を出したサリン事件の主たる実行者に同情する部分はないかな…
洗脳されていたから… 確かにその部分は否めないことかもしれないが、物事の可否は自身の考えで行うことなので、犯行を犯した信者たちに多少の残念な部分はあったにせよ、犯した罪に対しての償いは甘んじて受けるべきと考えます。
▲9 ▼2
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当時、テレビにも出るし、弁護士も同席する会見も見ました また尊師と主な幹部が選挙に出馬する等を見て、まともなのか、はたまた危ない集まりなのか混乱した時もありました 某住宅街に拠点が有って、そこから発生する異臭騒ぎで地元住民とトラブルになっている光景が報道されているのを見たとき、やっぱり危ない集団だと確信した 地元に、その組織が経営してるPCショップが有りました。会社の同僚はよく利用していたそうです 理由は安いからだと 「ヤバくない?」って聞いたら、「店員は普通だし、安いから利用してるだけ、PC起動すると最初に入信を促すプロモーションが流れるけど簡単に消せるし無視してるよ」って…これを聞いて安心しました
▲2 ▼5
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人間の内省とか自己コントロール力というのは極めて危ういもので何かの精神的な刺激などで人は事前活動家になる事もあれば人を殺める事に躊躇いを失くす人間になる事も出来るのだろう。 極めて摩訶不思議な存在なのかもしれない。 一方の人間が論理を駆使して「それは間違いだ」と百万遍諭しても振り向く事はないが、ある平凡な一言とか自然の事象に自ら気付けば考えがまったく変わる事もある。
間違いを犯さず生きる為には何が重要か、 ただ多数派に属する事でもなく、目新しい論説に単純にハマる事でもなく、 自らの考えを自らが見つける事だと思う、 それは難しい事ではあるが、、、
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洗脳被害者にも事情があったのかもしれないが、やはり他人事に見えてしまうね。洗脳中とは言っても裁判でも態度が悪かったらしいし。対立してもルールやマナーを守るかどうかがまともな人との分岐点。一応洗脳がとけたと言っても自己利益ありきだし。まあちゃんと刑罰は受けたらしいけど。問題は今いる信者さんたちがどうかってところかな。他の宗教でよかろうに。まだ平和なのいっぱいあるよ。
▲4 ▼2
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洗脳は恐ろしい。 知らないうちに、幼少期から(世に生まれついてからと言っても過言ではない)親から学校から社会から植え付けられた所謂「常識」が洗脳と大差ないのに気づくことすらできない。隣国の反日教育然り、北の国然り、日本とて他国からは同様に見られていることを忘れてはならない。 自問自答を繰り返し真理を探究し続ければ何をすべきか答えが出るはず。人間は地球に生かされる生命の一つでしかない。その一方で、各々が万物の創造主でもある。 永遠なれば有難みなどなかろう。時間に限りがある(いつか壊れてしまう)からこそ尊いのだ。 皆が皆、限りある時間の尊さを理解し人生を素晴らしいものにして欲しいですね。
▲15 ▼3
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死刑執行された犯人が拘置所内で刑の執行を怯えて待つ期間に後悔と反省をしていたという内容は地下鉄サリン事件の被害に遭われた方々や遺族にとっては多少心が救われると思う。 松本智津夫元死刑囚は最後まで自らの犯した重大な罪と向き合う事も反省も後悔もなく、謝罪の言葉も発せず詐病の中で刑が執行されてしまった。※松本智津夫死刑囚は最後まで精神疾患を患ったフリを突き通していたらしい。精神科医や牧師さんの手記で以前、読んだ事があります。
▲13 ▼2
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宗教自体は否定しませんが宗教を利用し洗脳してこういう事件を起こすことが可能という事実を認識させられた事件ですね。 日本の法律は宗教法人に甘すぎるんじゃないかと思います。 きちんと運営されている法人は調査など何も怖くないと思うのでどんどん実態調査とかしてほしいものです。
▲197 ▼9
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日本人の宗教観をある意味大きく捻じ曲げてしまった事件だと思います。 この事件以降日本人の宗教観は極端になってしまったんじゃないでしょうか。 もっと日本人には適切に宗教と向き合えるような知識や教育が必要な気がします。
▲132 ▼26
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ヨガって聞くと拒絶反応出るけど、美容特集組まれたりして若い人は拒絶反応減ってきてますよね。 昔は宗教系が多いから気をつけろってイメージだったのに、それだけ風化したって事ですよね。でも、今でも入口だったりするから教える事は重要だと思う。
▲8 ▼2
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事件当時、ありとあらゆる秀才たちが、コロッと狂信者の信者になるのが、 信じられなかった。 一般社会ならば間違いなく天下を執れるはずだったのに、いつの間にか 「麻原」という悪夢に支配されてしまったのだろう。 恐らく、「世紀末思想の真っ只中の世情と、麻原の巧みさ」が、優秀なインテリたちをも虜にして、「歴史に残る凶行」を引き起こしてしまったのだ。 なにか「ヒトラー」の経緯に似ている。世情と人心掌握術に秀でた者が融合すると、「恐ろしい化学反応を引き起こす」ことは、幾度も歴史が証明している。 今は違うと侮ることなかれ。悪魔は口を大きく開けていつでも待っている。 地獄の淵にいて、堕ちるか否かを決めるのは、「自分自身」だけだ。
▲3 ▼0
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オウム事件を調べれば調べるほど土谷はただ高学歴というだけでなく化学の才能はとてつもなかったのだと感じる。 オウムなんかと出会わず、企業や大学でまともな目的でこの才能が活用されたらどれだけの成果を生み出せたかと思うと残念で仕方がない。
▲25 ▼3
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他人を大勢殺めることを知った時点で止めなかったことが最大の罪。 そうさせた麻原こと松本が最悪なことは言うまでもない。 そして今もその流れを受け継いで、新たな信者を入信させている。 当時、直接関わっていなかったか、証拠不十分で起訴されなかっただけで、本当は死刑台に乗ったかもしれない人物も今布教活動をしているかもしれない。
そういうことを考えたら、やはり、法改正で「踏み絵」くらいのことをして同じようなことをしないように「予防的措置」が必要だと思う。
これは「宗教の弾圧」ではなく「テロの防止」です。
サリン事件は地下鉄もあるが松本市でもある。この経緯を皆さんにも知ってほしい。 最初見たニュースで池のザリガニはひっくり返っていた映像を思い出す。そのとき何があったか?
▲29 ▼2
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人生は誰にとってもとても難しいので、その支えに何かしらの信仰を持つこと自体は間違っているとは思いません。 ただ、それが、その信仰一辺倒になり、他の人や社会のことを全く顧みないような狂信にまでなってしまったら、場合によっては恐ろしいことになる……ということだと思うんです。 良心ある人の誰に聞いたって、サリンのような化学兵器を持ち出して一般人をたくさん殺してまで社会をぶち壊しにするのが正しい……なんて宗教、絶対に認められる人はいませんよね。 宗教にドップリとハマったり、組織の中にいるときには、そういう当たり前のことすら分からなくなってしまうんだろうな。
▲4 ▼0
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事件当日、後楽園駅に向かう所用が有りました。 たまたま教習所に通っていて朝のキャンセル待ちが取れたので、所用を済ます予定時刻を変更した。 教習を終えたら地下鉄爆破?との速報が。
良くわからないまま地下鉄が駄目そうなので自転車で行って用を済ませたが、帰宅したら大変な事だったことに気づいた。
▲8 ▼3
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人は何かに頼っていないと安心できない生き物なのです。 有史以前から人は生き抜くために強いリーダーが集団を率い、リーダーに盲目的に従う事が本能として備わっています。 自分を見失わないために、その事をはっきりと理解しておくべきです。 そうでないと動物の群れと変わらなくなってしまいます。
▲47 ▼12
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何かを信じること、すがること、信心深いことそのことは罪だとは思わない。だが信じた「それ」から人の道に外れたことをやらされるような時、そこでは考えるべきだし、立ち止まるべきではある。それが悪だと分かっててやったならやはりその罪は引き受けなければならないし、塾講師をやるほどの知能を持った人間ならどこかで気づいていたはず。それをして「信じたことが一番の罪」ということなんだろう。思考停止して他人の言うことだけに従って気に入らない結果になった時それを「あいつのせいだ」ということなく、そう言えたこの人はまともだと思う。
▲10 ▼1
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サリンの製造プラントを点検された科捜研の方が、有機合成に関する修士論文も見られ、土谷氏を新たな触媒の使用者として優秀さを讃えておられました。化学の分野に対しては相当勉強されたと思いますが、その分だけ遊びや無駄な時間を消費されなかったのだと思えます。麻原氏自身も自分が誇大妄想狂と自嘲されたことを思えば、遊体離脱や人体浮揚など荒唐無稽だと悟ることができたでしょう。たとえアカデミアの環境に不満があったとしても我慢して、順調に研究でも続けておられれば、それなりの成果を挙げられた方だと思います。信じ易く素直で従順しすぎたことも悪への誘いの素因となり仇となったと思います。これを考えれば、無駄な時間を生きることも、後日において人生の糧になることもあると思います。
▲14 ▼1
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どの宗教にも共通することだが、世の中に、あるいは自分の人生に問題意識をもってる人間ほどはまりやすいので、それ自体は悪いとは言えないが、仮に入信したとしても、ふと立ち止まって冷静に考えて棄教する判断力があるかないかで人生が変わってしまう。これは新興宗教は言うに及ばずキリスト教でもイスラム教でも根本は同じこと。
▲6 ▼0
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事件に関与した多くの人も、もともと凶悪犯ではなかった。宗教に出会わなければ、今も普通に生活しているのではないだろうか。
この人たちのやったことを肯定することはないけれど、宗教の恐ろしさとマインドコントロールの恐ろしさを知った。
▲19 ▼0
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この記事から何を読み取るかと言うのは一つの研究考察として興味深い
全ての人とは言わないが、若い時には命の重さとか洗脳という事に対する経験や思索がないので未熟だ
と、こう書くと私は新興宗教は信じないから騙されないと不遜にも自信を持つ連中が出てくると思うが、実は会社や社会の常識と言われるものに洗脳されている人は多い
オレオレ詐欺に私は騙されない、騙される人は馬鹿だと思っている人が意外に騙されている
それと一緒だ
退職した後、子育てが終わって生き甲斐がないと思っている人が多いというがこれも洗脳の結果だ
学校でもルールを守りましょうという洗脳が行われる。 守った子は良い子。守らない子は悪い子
こういう事を根本的に考えている人は少ない。 YouTubeでは成田悠介氏がよく話しているが
こう書くとルール破りをすればいいと考えるのも単純だ。 こういう事を考えるのが哲学とか宗教なんだけどな
▲2 ▼0
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土谷死刑囚も、もとは私達と同じ一般人であり、サリンの1からの生成に不幸にも成功してしまうような、能力が大変高い優秀な化学者でした。 怪我や失恋を契機に宗教に傾倒してしまいましたが、誰しもが宗教に悪い意味で没入してしまう可能性はあるし、歪んだ教義を持つ悪い宗教はこの令和にもあります。 サリン事件をただ糾弾するだけでなく、この事件から何を学び、繰り返さないかが重要です。 スピリチュアルな人よりも、「宗教は駄目なもの」と盲目的に視野を閉ざしている人の方が、宗教に入れ込んでしまう側面もあります。
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何故、極めて優秀な人達が、国家的なエリートと言うべき人達が、麻原氏に心酔し凶悪事件を起こすに至ったのか。この事案はもっと国を挙げて検討するべきだったんじゃないかな。 未曾有の好景気、そしてバブル崩壊、世紀末。厭世的な思考が若者にあったんだな。当時は確かに、若者の間で、「スピリチュアルにはまる」「宗教にはまる」というのが、一部トレンドであったと記憶する。 オウムが受け入れられる、そして看過される土壌が確かにあった。
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一見「反省している」かのような言葉だが、言っていることは「サリン事件を起こしたこと」ではなく「麻原信じたこと」を後悔しているわけだ。
すなわち「サリン事件」は、「麻原を信じたことによる必然的行動だった」ということだろう。
換言すれば、「麻原を信じたことが一番の罪。麻原を信じたあとの行動はもう仕方がない」ということだ。 あるいは「マインドコントロールされていたのでサリン事件などは仕方がない。最初に入信したのが間違いだった」と言っているのとほぼ変わりない。
本来なら、「麻原を信じてしまったが、サリン事件は自分の意思で止められた。サリン事件を起こしたことが一番の罪」と言うべきところだ。
妻は「本人なりの後悔、全否定」と言うが、到底そのようには聞こえない。
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>妻から「被害者が私だと考えたら?」などと尋ねられるうち、重大性を認識するようになった
これ幼い子などにやることなんですが、相手の気持ちが分からない子には「自分がされたらどう思う?」と聞いても分からないそうで、今回のように大切に思ってる人をあげて聞かれると初めて痛みが分かるそうです。「ママがそれされてたらどう思う?」など。
ASDやADHDの気がある人は、人の気持ちを想像していても、いざ自分がなってみないと分からなかったり、一度信じると深みにはまるという方が多いので、宗教関連には特に多いのかもしれません。
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バブル時代という背景も含めたオウム真理教事件。世の中は金に塗れ、ドラマも衣食住は足りて個人の存在意義を問うものが多かった気がする。その中で世の中の方向性を憂い、間違った方向に目醒めた人々が起こした事件と思う。扇動した主犯麻原の罪は重く消えることはないしいつまでも記憶されるべきだが、共犯者達が共鳴していった思考過程もまた、吟味され記憶されるべき。今後も救世主を自認する輩が出現し類似の事件を引き起こす可能性は大いにあると思うからだ。
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この日は大学の寮を出て東京のアパートへ引っ越す日だった。 朝、寮の電話に東京在住の友人からテレビを見ろと連絡があり、後輩の部屋へ行くとあの惨状が画面に映し出されていた。 引っ越しの手伝いに東京にくる予定だった母や姉に連絡して、今日は止めようと伝えた。 引っ越した後も何かと物々しい雰囲気が都内では暫く続いていた記憶がある。
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御先祖様を信じるのであれば裏切られることがない。しかし煩悩を持った生身の人間を信じるのであれば裏切られることが否めない。先祖代々の流れから外れれば信じることに注意が必要だ。配偶者も同様であろう。御先祖様と同じ苗字を名乗ってくれるから安心して信じることが出来るのではないだろうか。
▲2 ▼1
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この妻の方には手記を出版して欲しいです。 もしかするとその義務があるかもしれません。 教団がいまだに残存しサリン事件の責任を全く認識していない活動をしているからこそ、 元信者、幹部が正気を取り戻して刑に処されたという事実は、その詳細な過程を社会に共有するべきと思います。
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私も創価学会2世として育ちました。 今は抜けています。 バリバリにやってましたが、宗教を勉強する事で自力で抜けました。 宗教を抜けさせる為にはダメだダメだとどれだけ強く言ってもだめです。 ダメだと言う方も何処がダメで何処までが良いのかをしっかりと理解して対話をしていかないといけない。 この奥様のもし被害者がわたしならどう思うのかって言うのは間違いなく宗教をやめさせる1つの手立てだとは思う。 止めれば止める程反対勢力に戦う自分達は間違っていないと思い込んでしまう。 抜けさせる為にはその教義をしっかり勉強してその抜け穴を抜けさせたい人にここについてどう思っているのかを相手に話させる事で気がつく事があるのかもしれません。 後は地頭が良い事を願うしかない。
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根本的に科学的発想が出来ていなかったことだ。オームに限らず宗教の共通の誤りは、わからない事を正直にわからないと言わない事だ。人類が証明出来ない事を選んで、色々想像して、それを真実だと強弁し強制してきた。人間を馬鹿にして、支配している。神には必要でない金や物を集めて自分の財産にしている。
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例えば手紙が届いたとしても、どういう経緯で結婚する事になったのかは、想像すら出来ないが、それはお二人の事なのでよいのですが、とても思慮深く、深い愛情のある奥さんなんでしょうね。 こんな事件を起こす前に、交流を再開していたら、色々の方々の人生が、全く違ったものになっていたんでしょうね。
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人を信じる事は悪い事ではないと思う ただ、誰を信じるか…その人の何を信じるか…そこが問題になる。
世の中には多くの人が理解出来ない事を、自分は理解出来ると勘違いして満足する人がいる… 土谷元死刑囚もそうだと感じた、「自尊心の強い人」妻が語ったこの言葉どおり、その部分を刺激されたのでしょう
信じたと言うより信じたい、ここまで来たら引き返せないし自分は間違っていない…の気持ちもあったように感じた。 それよりもオウムの死刑囚と獄中結婚した妻の方が私には理解出来ない。
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信者はすべからく心の根底に他者への支配願望を持っていた。 通常の生活では自分でも気が付かない。 麻原はそこに火を付ける天才。
修行の表向きの目的である「優れた自分への変身」は、正確には「他者よりも優れた自分への変身」であって、相対的に力を付ける、つまり優れた自分は他者を支配する。と言うロジックが根底にある。
なので、身近には教団内でのステージ上昇。 大きくは国の支配を信者に目指させている。
あれだけの組織力・資金力・武力は一人の教組の支配力だけでは達成出来ない。通常は表に出て来ない潜在的支配願望が大きな原因の一つであると認識すべきである。 相対的価値観しか教えられない日本の教育がその原因の原因だ。 「絶対的な生命の尊厳」と「他者への敬意」を教えられていたら、最終的にあの事態に至る前のどこかで個人個人がブレーキをかけていたはず。
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「麻原を信じたのが一番の罪」という。ではなぜ信じるようになったのか、その背景を自己分析する必要があったのではないか?
ある種の狭いグループや組織、集団内での不満や恨みのようなものを解決する手段として麻原という人格が忍び込んだのではないか? それを信じることによって、解決できるのは狭い集団の中で生きている自らのエゴイズムだったり、狭い集団のエゴイズムそのものだったりなのではないか?
想定する集団の狭さや広さによって、教団だったり、政治集団だったり、国家や民族だったりするわけで、そこでエゴイズムを追求すれば、早晩争いに発展する。
視野を広く持つことが、このような悲惨な信仰やカルトを防止する対策だろう。信仰なら、有限たる個と無限たる他の語り合うところまで突き詰めた方がいい。中途半端な集団を形成するようなカルトまがいの信仰は、集団的排他的な他者を想定し、それを攻撃対象にしてしまう。
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テレビ局の人も私達視聴者も騙されたのですから、土屋元死刑囚が騙されても批難はできません。それにしても後に奥様となられた女性の、サリンの被害者がもし私ならどうする?の問い掛けは的を得ていますね 私が女性の立場なら同じ言葉を発すると思います 一番大事な人を想定したなら決して残酷な犯罪など起こせない筈ですから
▲163 ▼16
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過去に起こった事件ではありますが、現在でも名前を変えた団体で続けてる人も居ますし。 あの事件絡みで罰を受け出所してからも出たり入ったりしてる人も居ますし。
あの団体だけでは無く、あの団体を使い様々な団体や組織や国やメディアが絡んでいそうで闇は深いと感じますか。
戦前から現代に至るまで、清貧だのなんだのとシビリアンコントロールをしてる上流様や日本と言う国は、学校の七不思議ばりに闇や謎だらけですね。
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洗脳なんてフィクションと思われていたことが本当に行われていると知らしめた事件でした。 洗脳の一種のマインド・コントロールも一般に広めたのもオウム事件でいろんな言葉がこの事件で一般化しました。 麻原が取り調べでしきりに使用した言葉「黙秘権」もこの事件からだったと思う。 実際の黙秘権は黙っていてもペナルティーにはならないという権利なのでわざわざ宣言する必要はない。
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当時、幹部の人たちは皆真面目で優秀で、こんなエリートでさえカルト的思想にハマるんだと子供ながらに不思議でしたし、とても怖かったです。なぜ麻原を崇拝したんでしょうか。ノストラダムスの大予言などの終末思想が社会に蔓延している時代で、オカルト雑誌ムーもオウムを取り上げて記事を書いていた時期がありましたよね。そういうカルチャーが若者をオウム信仰に走らせた側面もあるのではないでしょうか。
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麻原という男に人を引き付ける魅力があるとは到底思えないのだが。 しかし、人間というのは、人と違うことをしたがるものですからね。 〇目の見えない人物の言動が、よほど真に迫って神に見えたのか。 〇99%の人間は避けて通るが1%は興味を持ち、声を掛けられて、組み入れら れて「お前だけが頼り」と言われて、カタカナ名前を付けられて舞い上がる のか。 麻原という男の盲目的な危険な遊びに付き合わされていたのだと思いますが、実に奇妙な集団でした。 後継団体があると言うのが気がかりですね。奥の奥には麻原の写真が飾ってあるでしょうから。
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オウムにはエリートが多くいたと言いますが、出世街道から外れた落ちこぼれの人達等々で、なぜ自分は優秀なのに認められないのかというところにつけこまれたと思う。実際、オウムの中ではトップエリート扱いでしたから、麻原は彼らの自尊心を十分に満たして利用したのでしょう。
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妻から『被害者が私だと考えたら?」ーーー これが、人生を決めるし、国も世界の動きも決める言葉では無いでしょうか? 化学分野では優れた人だったのに、それを使う道を誤ってしまった。 学問や技術はそれを使う目的を指導する人によって、人類の救世主にもなり、破滅へ導く悪魔にもなる。 私も技術者だったが、少しは社会に貢献できる仕事が出来て、本当に良かったと思っている。 若い技術者を良い方向に導くのは、ここで頑張ってみようと思える目的を与えることが重要です。 日本はエネルギーも食料も自給率が低く、資源も無いし、世界に誇る産業も錆びついている。更に温暖化による異常気象による災害、地震等問題山積だ。加えてインフラの老朽化や人口減少による維持管理問題。 それなのに政府や議員たちは自己防衛に奔走していて、将来を見通した政策なんか全く出さない。 先ず政治が変わらなければ、優秀な人材は活躍できない。
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今の世にもあふれる、陰謀論に傾倒する人。自己評価と周囲からの評価のギャップに納得できずに他責をつのらせたり、周囲との意思疎通に悩んで自暴自棄になる人。 あの時代、そういう人にうまく目をつけて自分の領域に引き込み、飴と鞭で手下にして王国を築いた麻原は、目の付け所がすぐれていた、という書き方は語弊があるが、非常に進んでいたと思う。 今あのような先導者が現れたら、傾倒して賛同する者が殺到しないか恐ろしく思う。
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警察は半年前からオウムはサリンを製造しているじゃないかと把握していたそうだ。だから警察はもっと責任を持って迅速に対応すべきだったね。その教訓をぜひ生かしてほしい。 残念ながら今も警察とマスコミの体質は30年前に比べてもあまり変わっていないね。
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この事件の一生忘れないなぁ教団施設が点在してた時に強制捜査が入った少し前に所属する部隊に呼ばれて武器庫から自分達の隊の防護服、ガスマスクを貸し出しの書類が出て準備してたのを書類には部隊内にも教団信者が居る可能性があるから貸し出し書類には不具合がある為の検査と有ったのを今も忘れない
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こういうのは心身が弱っている人ばかりではなく、ある種「意識の高い人」でも取り込まれるんだと思う。自尊心の低い人にも高い人にも隙を狙ってその人の琴線を刺激し入り込んでくる。つまりは自分だけは大丈夫だなんて思わずに生活しないといけないって事だ。
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私は高校の卒業旅行で友人と東京のホテルにいました。 前日にはディズニーランドに行っていました。 当日は東京観光をする予定だったが、前日の遅くまではしゃいでたこともあり、友人が寝坊しました。 そのため出発が遅れ、ホテルでニュースを知ることになりました。 何か一つでもボタンを掛け違えていたら、巻き添えになっていた可能性までありました。 卒業旅行の記憶は、事件で台無しですが、それ以上に被害に遭われた当事者のことを思うと、ただ怒りしか湧きません。 どれだけ、土屋元死刑囚が悔いていたとしても、許すことはできない。 もちろん、浅原元死刑囚は一番罪深いのですが。
30年時がたったとて、全く色褪せることのない東京の、高校卒業の記憶です。
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私の地元でも山梨ナンバーを車が頻繁に見ました。若い信者が数人居たのも確かです。駅前の商店街で、ヘッドギアなるものを付けた人にも出会い思わず出ている線が何処に繋がっているのかと後ろを付いて行きながら話掛けましたが、ガン無視で全く振り向きもしませんでした。小声でブツブツ言ってたけど何を言ってるのか分からなくて気持ち悪い感じでした。その後、脱会者が居て連れ戻しに来てたり、山梨ナンバーの車に拐われるって噂にもなってました。サリン事件当日、東京に住む友人も別車両ですが乗っていました。被害が無く済んで良かったですが本当に忘れてはならない大事件ですね。他にも沢山の悪事を働いたのも間違いないので全てを解明されたらと思います。
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土谷正実元死刑囚が、サリン事件にに関わったことを知りながら、元死刑囚の妻である方は、よく結婚を決断されましたね。それだけ、塾講師だった時の人柄に素晴らしかったのですね。信じる道を間違わなければ、今頃どうなっていたのでしょうか…
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世の中(世界中)で宗教が溢れてますが、利と害を考えた場合、害の方が大きいのではないでしょうか? 宗教は存在しないものに救いを求めるものだと認識しています。 呪術が当たり前に行われていた時代ならいざ知らず、情報化社会のこの21世紀に幅をきかせている意味がよく分かりません。 人を救うのは結局人でしか有り得ないと思います。
▲4 ▼4
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「麻原信じたことが一番の罪」違うと思うよ。 オウムには土谷氏のような優秀な人が多かったらしいが学究で言えばいくらでも上には上がある。本人が一番分かっていたはず。しかし麻原に帰依しさえすれば救済という名のもとに人を裁く権威を纏うことができる。人から評価されたい人の上に立ちたいという願望。麻原はきっかけに過ぎない。世俗の栄達を捨てた代わりが救済だったのでは。まあ劣等感は誰にでもあるものだが。
▲5 ▼5
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オウム関連の死刑囚に対して一斉に死刑を実行してしまったのは、今でも理解できません。 政府としては早くすべて忘れたように葬り去りたかったのかしれませんが、まだまだ原因や検証する事があまりにも多くやらなければいけない事も多く有ってと思います。
▲4 ▼6
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それを言うなら、麻原彰晃にとっては「宗教を信じたことが一番の罪だ」とも言えちゃうよね。 この問題に限らず、罪を犯した後で反省するのはとても大事だと思うが、どれだけ真摯に反省したとしても、やってしまったことを無かったことにはできないのだから、犯した罪は一生背負っていかなければならない。 すなわち、一生断罪されるべきなのだ。 自分のやってしまったことの原因を他(環境?)に求めるのは、自らの主体性を否定する無責任以外のナニモノでもない。 たとえ、それが全くの偶然の采配や強制されての行為であったとしても、罪を犯した者は、その罪を自らの主体的責任で一生背負い続けていかなければならない。 そして、死後は確実に地獄堕ちの運命が待っているのだ。 そこまで認めて初めて、真摯に反省したと言えるのだから。 「私は真摯に反省しているのだから、赦されるべきだ」と仮にも考えるなら、それは真摯に反省していない証拠だ。
▲3 ▼2
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昔は大学のサークルなどが勧誘の場になってたが、今はネットでも盛んだ、不安を煽ったり正義感を焚きつけたり オウム事件の記憶が薄れてきて、そもそも知らない若者も増えてきて、無知につけ込むのも出てきた、宗教とは違う形での信仰も
▲4 ▼0
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信仰は自由ですが他人に迷惑をかけたり、政治的に関わってくるものは本当になくなってほしいです 個人的には宗教が原因で対立や紛争・戦争になるという事実がある限り宗教などなくなればいいという思いがあります どんな宗教であろうと、結局は神を人間が解釈し人間の物差しで教団を作り、人間からの布施がなければ成り立たず、人間が他人に勧める時点で自分にとってその神はもはや宗教幹部でしかなく敬意も信ぴょう性も信仰心も皆無です。 そもそも神聖領域なはずの神を我が物顔で語り堂々とさも自分が神の使者か神にでもなったような厚顔で宗教団体をつくった人間こそが1番人としても信用できません 相手の不安や幸せになりたい気持ちに付け入る人間が大嫌いだし、つけ込まれる人にも申し訳ないですが、他の詐欺犯罪で騙された人に抱く同情とは違い、自分の見たいものや信じたい事にしか目を向けられず手の施しようのない人という感情を持ってしまいます
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歳の離れた、と思われる元死刑囚と中学生の時に知り合いその後長い年月を経て連絡があったそうだか、、 よほど忘れられない中学生だったか。 連絡が突如来て再会したのは歳を重ねてのことだろうと思われる。しかもサリン事件の中心人物で裁判中である。そして結婚。罪云々というより驚くことばかりだ。
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今の若い方達は知らない世代なんですね。
当時小学生だったけれど、子どもの自分でも明らかにおかしいと思う思想を、エリートの大人たちが盲信的に信じ込んで記者会見で熱く語っているのを本当に怖いと思っていました。
それと同時に、関わってしまったら逃げられない組織なんだな、という恐怖も感じました。 組織の秘密を知ってしまって、やるか、自分が殺されるか。 当時は警察もしっかり守ってはくれなかっただろうし、全財産を組織に渡しているし…
しっかり自分で考えて、判断し、怪しいと思ったら関わらない。組織の中でもダメだ、嫌だ、おかしい。と言える力をつけることは必要ですね。
▲6 ▼0
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自己や社会へのへの不安・恐怖、他者への怒り・侮蔑・蔑みなどの感情を全面に出す人は信じちゃいけない。そんでこれらを利用して聞こえの良いこのを話、そして無知や怒り、恐怖ににつけ込む。
今の時代は情報が多様化しているようでしてない。好きなものを見るからエコーチェンバーにはまる。また、無料のネットの記事や情報動画は、アクセス数を稼ぐために感情にアプローチする記事やタイトルが増えてるように感じる。
ヤフコメ見てても面白いなあと思うことはよくある。
▲2 ▼0
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テレビで見たことあるけど、ビートたけしなんかも麻原を大絶賛していた。それを放送してあたかもすごい人なんだと印象付けていた。事件後は何も言わなくなったけど。 人を見る力ってやっぱり大事。メディアでどうこうより、その人が何をやってきたかで評価することだね。
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