( 278186 ) 2025/03/27 06:29:55 0 00 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ca-ssis
■年金を作った官僚の赤裸々な「回顧録」
日本の公的年金制度は、明治期に軍人や官僚のための恩給制度として始まった。その後、教師、警察、現業職員など公務員向けの年金制度が整備された。つまり、日本の年金はもともと仕事の潰しが利かない公務員の老後生活用の特権だった。したがって、民間人が公的年金制度を使うことは考えられていなかった。
しかし、第二次世界大戦において、総力戦体制が構築される中、民間の労働者も公的年金制度の対象として加わった。これが現在まで続く厚生年金制度の始まりである。公的年金制度は戦費調達や強制貯蓄によるインフレ抑制なども目的にしており、その保険料は第二次世界大戦中に開始した源泉徴収制度を利用して回収されることになった(そして、ようやく戦後の1959年になって自営業や農家などの労働者以外の人々も含めた国民年金法が成立した)。
この戦時体制下生まれの厚生年金制度が戦後も温存されたことで、年金制度は迷走する。社会保険料は引き上げられ続け、年金の運用を巡っては数々のスキャンダルが起きた。なぜなら、上述の通り、厚生年金制度が戦時中に無理やり作られた制度の残滓だからだ。
そもそも厚生年金を作った官僚は一体何を考えていたのだろうか。それは88年発行の「厚生年金保険制度回顧録」に具体的な証言として残されている。証言者は初代厚生省厚生年金局年金課長であった花澤武夫氏である。以下は花澤氏の発言内容をそのまま抜粋したものだ。
---------- 「それで、いよいよこの法律ができるということになった時、すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。これをどうするか。これをいちばん考えましたね。
この資金があれば一流の銀行だってかなわない。今でもそうでしょう。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。これを厚生年金保険基金とか財団とかいうものを作ってその理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。
そうすると、厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。金融業界を牛耳るくらいの力があるから、これは必ず厚生大臣が握るようにしなくてはいけない」 ----------
これが初代厚生省厚生年金局年金課長の認識なのである。もちろん、これだけの莫大な資金が集まるシステムであろうから、資金運用に思いがいくことは否定しない。しかし、「OBになった時の勤め口に困らない=天下り先には困らない」という言葉には衝撃が走る。省益丸出し、役人根性丸出しのいかにも官僚の鑑(かがみ)のような発言だ。怒涛の本音トークはさらに続く。
---------- 「この資金を握ること、それからその次に、年金を支給するには二十年もかかるのだから、その間何もしないで待っているという馬鹿馬鹿しいことを言っていたら間に合わない。
戦争中でもなんでもすぐに福祉施設でもやらなければならない。そのためにはすぐに団体を作って、政府のやる福祉施設を肩替わりする。社会局の庶務課の隅っこのほうでやらしておいたのでは話にならない。これは強力な団体を作ってやるんだ。
それも健康保険協会とか、社会保険協会というようなものではない、大営団みたいなものを作って、政府の保険については全部委託を受ける」 ----------
ここでは流用の方法について赤裸々に語っている。実際、それらの福祉施設建設は戦後に実現した。61年に年金福祉事業団法が成立し、年金被保険者らの福祉の増進を建前とし、その関連施設の建設ができるようになったからだ。そして、当初の予定通り、年金福祉事業団は厚生省の天下り先と化し、乱脈経営が問題視されたリゾート施設のグリーンピアに流用された。
実際、2004年に発覚した公的年金流用額は約5.6兆円にも及んだ。グリーンピアや被保険者への住宅融資事業、厚生年金会館等の年金福祉施設建設費、年金相談・システム経費などに支出された。その中でも社会保険庁(当時)に関わる事務経費等への流用事例では、職員宿舎の整備費用、社会保険庁の公用車購入費、社会保険庁職員のゴルフ道具、社会保険事務所のマッサージ機器、ミュージカル鑑賞、プロ野球観戦などに1兆円以上の支出がなされており、唖然としたものだった。
■現役世代の苦しみは最初から仕組まれていた
花澤氏の怒涛の発言はこれでは終わらない。
---------- 「そして年金保険の掛金を直接持ってきて運営すれば、年金を払うのは先のことだから、今のうちどんどん使ってしまっても構わない。
使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。貨幣価値が変わるから、昔三銭で買えたものが今五十円だというのと同じようなことで早いうちに使ってしまったほうが得する。
二十年先まで大事に持っていても資産価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。
何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ」 ----------
ということで、支払い金が不足すれば「賦課方式」(現役世代が高齢者を支える仕組み)に切り替えることまで話されていた。当たり前だが、年金は貯蓄の意味合いが強く、本来は積立方式であるべきだ。実際、シンガポールのように政府が国民に年金に関する個人勘定口座を付与する形で、実質的に積立方式の要素が強い年金制度を採用している国もある。
今、超高齢化社会の中で、多くの現役世代が苦しむ年金の賦課方式の発想は、官僚の腹の中では創設時から準備されていたものだったのだ。いかがだろうか?
OBになったときの勤め先に困らない、どんどん使って足りなくなったら賦課方式など、初めてこの内容を読んだ人にとってはとてつもない発言が並んでいて唖然としたかもしれない。
端的に言うと、現代まで続いている厚生年金保険制度は、ハナから無責任に作られた制度に弥縫策(びほうさく)を繰り返しているものにすぎない。
そのように言うと関係者は怒るだろう。しかし、80年以上前の戦争中に作られた制度であり、現代のような無茶苦茶な人口バランスになるとは誰も予測できなかっただろう。それは仕方ない。重要なのは、年金制度自体を国家100年の大計のような大仰なものとして扱うこと自体がそもそも間違っているということだ。
さて、年金制度はもともとそんなもんだと確認したうえで、ここから先は現役世代の負担軽減方法について一つのアイデアを示したい。ちなみに、この方法は増税も不要であり、政治が決めれば25年度からでも実行可能である。
それは国民が積み立てたGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の年金積立金の取り崩しスピードを速めることだ。現在、GPIFに積み上げられた年金基金は248兆2274億円(24年度第2四半期末現在)となっている。GPIFは順調に基金総額を拡大し続けており、特に23年度は運用益だけでなく保有資産の値上がり幅も大きかった。厚生労働省によると、23年の厚生年金は45兆4646億円の黒字、自営業者らが入る国民年金は2兆544億円の黒字である。もちろん投資であるから損失計上されるときもあるし、規模がデカすぎて簡単に大量売却はできないと思うが、いずれにせよ素晴らしい運用結果である。
合理的に考えるならば、このGPIFに積み上げられた基金のほんの一部を取り崩し、現役世代の年金保険料を減らすことに活用することもできるだろう。むしろ、これだけの成果を国民生活のために還元しないほうがもったいない。仮に25年度から毎年5兆円取り崩して現役世代の年金保険料引き下げに活用したところで、それがもともとの計画を変更することにはならないはずだ。
おそらく官僚はこのアイデアに対して「財源が足りない! 浅い考えだ!」という趣旨の反対論を並べ立てるだろう。しかし、そのときには国民はこういうべきだ。年金制度を作ったあなた方の先輩もそんな高尚なことは考えていませんでしたよ、と。
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2025年1月31日号)の一部を再編集したものです。
---------- 渡瀬 裕哉(わたせ・ゆうや) 早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員 パシフィック・アライアンス総研所長。1981年東京都生まれ。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。機関投資家・ヘッジファンド等のプロフェッショナルな投資家向けの米国政治の講師として活躍。創業メンバーとして立ち上げたIT企業が一部上場企業にM&Aされてグループ会社取締役として従事。著書に『メディアが絶対に知らない2020年の米国と日本』(PHP新書)、『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図』(すばる舎)などがある。 ----------
早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員 渡瀬 裕哉
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