( 278429 )  2025/03/28 06:01:33  
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昨夏のコメ不足と価格高騰について、農林水産省は政府備蓄米の放出を決定し、その背景にある問題点を示唆している。

農水省は供給不足ではないが流通が滞っていると説明しており、大手集荷団体に米が集まっておらず在庫が分散していることが原因として示されている。

しかし、価格上昇や販売量の増加、コスト増加など複数の要因から考えると、この説明が不十分であると指摘されている。

さらに、長年にわたる減反政策や国産米の輸出支援不足など政策的失敗が指摘され、農政の抜本的な転換が求められている。

(要約)

( 278431 )  2025/03/28 06:01:33  
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(c) Adobe Stock 

 

「令和のコメ騒動」とも言われた、昨夏のコメ不足と価格高騰。それを受けて、農林水産省は政府備蓄米の放出を決めた。政府は「新米が出てくれば価格は落ち着く」などと説明するが、経済誌プレジデントの元編集長で作家の小倉健一氏は「コメ不足騒動は一過性の問題ではない」と語る。その背景にある問題点とはーー。 

 

 農林水産省は、2024年産米の価格高騰について「供給が不足しているわけではないが、通常の流通ルートに米が集まっておらず、流通が滞っている」との見解を示している。具体的には、大手集荷団体(全農系・全集連系)への集荷量が減少し、生産者や小規模な集荷業者が在庫を保有し、さらには積み増していることで、在庫が分散し、実際の供給に時間を要しているとの認識である。 

 

 まるで、自分たちや自分たちの影響下にない組織が流通を担っていないために価格が高騰しているとでも言いたげな説明である。あたかも「転売ヤー」や、行政の目が届かない主体の責任にしておけば、自分たちは責任の追及を免れることができると考えているかのようである。しかし、この見解には複数の点で疑問が残る。以下、公的な統計や信頼性の高い資料に基づき、客観的に検証・評価していく。農林水産省農産局が2025年3月に発表した『米政策の推進状況について』には、次のような記述がある。 

 

―― 

 

『米の円滑な流通の確保のための対応』 

 

生産量は前年産よりも多い一方で、集荷の大宗を担う全農系・全集連系に米が集まっていない(対前年▲21万トン〈12月末時点〉)ことから、生産者や小規模な集荷業者が在庫を保有・積増ししていると推察。在庫が分散していることで、円滑な供給に滞りが生じている状況。 

 

全体として供給に不足が生じているものではないものの、通常の供給ルートではない流通が増えたことで供給が滞っている可能性が高い。このため、昨年の品薄のようなことが起きないよう、政府備蓄米の集荷業者向け買戻し条件付き売渡しを実施。 

 

―― 

 

※筆者注:「大宗」とは「大部分」「主な部分」「中心となるもの」といった意味を持つ漢語である。現代の一般的な文章としては不親切な表現であり、「中心的な担い手」や「主な集荷先」など平易な言葉に置き換えるべきである。従来から使われてきたからという理由だけで今回も使用するその姿勢には、農政当局の前例踏襲主義と硬直的な行政体質が透けて見える。 

 

 

 この記述が意味するところはこうである。「米は十分に生産されているが、大手の集荷団体(全農や全集連など)に集まっていない。そのため、生産者や小規模な集荷業者が在庫を抱え、結果として在庫が市場のあちこちに分散している。供給そのものに不足はないが、通常のルートを通らない流通が増えたことで、円滑な供給に支障が生じている」という状況説明である。 

 

 しかし、こうした農林水産省の説明には、少なくとも4つの問題点がある。 

 

 まず第1に、米価がここまで高騰しているにもかかわらず、「単に流通がうまくいっていないだけ」という説明は明らかに不十分である。農水省の資料によれば、令和6年産米の平均価格は60キロあたり24,383円であり、前年より9,068円も高く、上昇率は59%に達している。さらに、2025年2月の平均価格は26,485円で、前年同月比で73%もの上昇となっている。これほどの価格上昇を「流通がやや滞っているだけ」とするのは、原因を過小評価しているとしか言いようがない。 

 

 第2に、「大手の集荷団体に米が集まっていないために流通が滞っている」という説明に対し、それを否定するようなデータも存在する。たしかに、生産者から集荷業者への集荷量は前年を下回っていたが、その集荷業者がスーパーや小売店に販売した数量は、前年より66,000トンも増加していた。つまり、販売側の流通はむしろ活発化していたのであり、「流通の滞りが価格高騰の主因である」という説明とは矛盾している。 

 

 第3に、米の生産コスト自体が上昇しているという事実がある。たとえば、令和2年(2020年)と比べて、光熱費は約130%、肥料代は約137%にまで増加しており、3〜4割のコスト増となっている。農業者は従来以上に高いコストをかけて米を生産しており、結果として販売価格が上がるのは当然の帰結である。 

 

 第4に、流通にかかる諸費用の上昇も無視できない。たとえば、倉庫での保管料、輸送費、品質検査費、広告宣伝費、販売手数料などを合算すると、60キロあたり約2,000円、すなわち全体の約10%が流通コストとして上乗せされている。加えて、人件費や燃料費(特にガソリン価格)も上昇しているため、物流コスト全体が増加しているのは避けられない現実である。 

 

 

 以上の観点からすれば、「米は足りているが流れが悪くなっているだけ」という農水省の説明には重大な問題がある。価格高騰の原因は、在庫の分散という単一の要素に還元できるものではない。肥料・燃料などの生産コストの上昇、既存の集荷・販売の仕組みの陳腐化、さらには物流コストの増大など、複数の要因が複雑に絡んでいる。農水省の説明は、それら構造的な問題に目を向けず、表層的な現象だけを捉えているように見える。 

 

 こうした原因分析が甘いということは、政府が現在進めている「備蓄米の売渡し」も、本質的な解決策になっていないということを意味している。 

 

 政府は、1970年から約半世紀にわたって「減反政策(生産調整)」を続けてきた。これは、「米を作らなければ補助金を出す」という仕組みであり、長年にわたり農業の健全な発展を阻害してきた。具体的には、農家の意欲が低下し、水田の自由な活用が制限され、日本の農業の競争力が弱体化した。補助金依存の体質が常態化し、結果として農業の担い手の高齢化も加速した。 

 

 農林水産省自身も、2014年度『食料・農業・農村白書』の中で「生産調整の継続は、需要に応じた生産や販売への関心を低下させ、農業の構造改革を妨げてきた側面がある」と記しており、政策の失敗を渋々ながら認めている。 

 

 2018年に生産調整制度は形式上廃止されたが、現在も「水田活用の直接支払交付金」などを通じて、作付けや品目の選択を政府が実質的に誘導している。このような状況で「減反はすでに終わった」と主張するのは、実態を無視した責任逃れに等しい。言い換えれば、二枚舌である。 

 

 さらに深刻なのは、政府が長年にわたり国産米の輸出支援に消極的だった点である。2000年代の日本のコメ輸出量は年間5,000トン未満にとどまっていた。日本産の米は海外で高品質なブランドとして評価されているにもかかわらず、販路の開拓や制度的支援はほとんど進まなかった。農林水産省が策定した『コメの基本方針』(令和4年)でも「近年ようやく輸出が増え始めた」と記されており、過去の対応の遅れを事実上認めている。政府は2030年までに米の輸出を35万トンに拡大する方針を掲げているが、ミニマムアクセス米の輸入枠約77万トンには遠く及ばない。 

 

 

 この結果、日本のコメは本来持っていた国際的な競争力を生かす機会を逃し、国内の農家は「作らなければお金が出る」という、歪んだ制度の中に長期間放置されてきた。令和6年産米の価格高騰に対しても、政府は「備蓄米の一時放出」など短期的な対応に終始しており、根本的な農政の見直しは遅れたままである。 

 

 消費者が高すぎる米価に苦しんでいる現状を直視すれば、今こそ農政の抜本的な転換が求められている。平時には生産を拡大して米をはじめとする農産物を輸出し、有事には輸出向けの供給を国内に切り替える――そうした柔軟かつ安定的な戦略が必要である。一部に噴出する農家への直接支払制度(ベーシックインカム)は、諸外国で採用されている実績があるものの、非効率性が格段に増すことも判明している。かつて石破茂首相もこの制度を支持していたので注意が必要であろう。石破首相は、野党の提案には増税を示唆してくさすものの、自分のやることにはとことん甘いところがある。 

 

 農林水産省と自民党は、備蓄米の放出によって「対策を講じている」という印象を演出しつつ、自らが長年にわたって犯してきた政策的失敗の責任から逃れるために、二枚舌・三枚舌で問題の本質を曖昧にしようとしている。こうした姿勢は、国民の信頼を損ねるばかりである。 

 

小倉健一 

 

 

 
 

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