( 278964 ) 2025/03/30 06:25:58 1 00 国産の輸送機「C-1」が退役し、その設計には失敗があったことが明らかになった。 |
( 278966 ) 2025/03/30 06:25:58 0 00 退役した国産ジェット輸送機「C-1」(写真・航空自衛隊ホームページ)
航空自衛隊のC-1輸送機が退役した。国産のジェット輸送機であり、首都圏上空を含めて日本各地を50年ほど飛び続けたことから国民の馴染みも深い飛行機である。
ただ、このC-1は失敗作であった。最大搭載量は少なく、最大飛行距離も短いうえ、価格だけは高い問題を抱えていた。そのため引き渡しから7年で製造は打ち切られている。
なぜC-1は失敗作と言えるのか。それは不純な性能設定の結果である。「国内開発をする」という、その結論に合わせて要求性能を逆算したものだった。
■傑作機からはほど遠い
とくに傑作機であるアメリカ製C-130輸送機の排除を目的に、輸送機としては不自然な仕様で開発を進めた。実用性を欠く飛行機となったのはそのためである。
これは現用のC-2輸送機も同様である。国産開発の結論に合わせてアメリカ製C-17輸送機を排除できるように要求性能を設定した。その結果、やはり能力不足かつ高価格な輸送機となってしまった。
言い換えれば、C-1は傑作機だったのだろうか。それはない。傑作からはほど遠い飛行機である。
一方で、欠陥機というわけでもない。飛行機としての出来そのものは悪くはないからだ。空中での機動性も良好であるし、極めて短い距離で離着陸できる特長もあった。飛行機そのものとしては同時期のアメリカ製輸送機にも劣るものではなかった。
機械的なトラブルもなかった。設計も製造法も手堅くまとめており強度不足のような欠陥はない。最近の国産機のように、一部の操作手順が通常の飛行機とは反対となる問題もない。エンジンも信頼性が高い海外製なので、エンストが多発する事態は起きなかった。
パイロットも歓迎していた。経験者の体験記事は操縦感覚や軽快さを評価している。おそらくは操縦していて楽しい飛行機だったのだろう。
ただし、輸送機としては失敗作だった。それは、航空輸送の能力からすると、いいところがまったくないためだ。
まず、輸送力そのものが低い。最大搭載量は8トンしかない。同世代機が15トン以上を搭載する中では際立つ低能力だ。貨物室の容積も半分程度でしかない。
次に、飛行距離も短い。額面上の最大輸送距離は2000キロメートル超と、同世代機の7割程度でしかない。実運用は安全確保が必要となるので、さらに短く1000キロメートル程度となってしまう。
これは東京から北海道の稚内、鹿児島までの片道距離でしかない。多少のリスクを許容しても、小笠原にある硫黄島までの片道1200キロメートルが限界であった。
■低性能・高価格、でも「国産」だから
それでいながら高価格である。後述するが、アメリカ製の4発輸送機が30億円の時代に、双発のC-1は40億円もした。各種の性能は半分以下だが価格は3割以上も高かった。
こういった問題を抱えてしまったため、導入は早い段階で中止となった。その契機は、1979年1月4日の『朝日新聞』記事である。海上自衛隊がアメリカ製のC-130輸送機を買う。戦時にはそれで宗谷海峡に機雷を敷設するとの内容だった。
この記事でC-1の失敗が明白となった。当時の防衛庁が推していたC-1について、海自が性能不足と高価格を理由に覆したのだ。
海自の判断は正しかった。実際に、よいところは1つもない。機雷搭載量はC-130の32個に対してC-1は8個しか積めない。飛行距離も大差がある。C-130なら出発地となる青森の海自八戸航空基地から宗谷海峡まで直接往復できるが、C-1は北海道の空自千歳基地で一度給油する必要があった。価格はC-130の30億円に対してC-1は40億円である。
そしてC-1は終わった。報道で問題点が明瞭に示され、そのうえで、上位互換かつ安価なC-130導入が決まったからである。C-1を追加製造する理屈は立たなくなった。
おそらくは当時の大蔵省主計局も関わっていたのだろう。今でもそうだが、主計局は防衛予算編成に際して文民統制機能を発揮できる唯一の組織である。C-1の不経済を問題とする立場であり、同時にC-130の導入に内諾を与えられる立場でもある。
この時のC-130が、今の空自のC-130Hである。海自輸送機のほうが高性能だと空自の面目は立たない。だから空自保有としたのである。
■性能設定が不純な動機から来ていた
なぜ、C-1は失敗作となったのだろうか。それは、国産開発のために、いびつな性能設定をした結果である。C-1では「国産する」という結論から逆算して要求性能を設定した。逆に言えば輸送機本来の性能や経済性を追求しなかった。そのため残念な出来となった。
国産開発には「海外製では対応できない」との理由が必要である。それがなければ「市場で海外機を買え」となるからである。開発費や開発期間は不要となり開発リスクも回避できる。
当時なら「アメリカ製のC-130輸送機では対応できない」という理屈だ。すでにC-130は傑作輸送機であり、西側空軍における第1選択肢であった。その“鉄板”輸送機をわざわざ選ばない理由が必要である。
加えて「ドイツ・フランス共同開発のC-160でも対応できない」理由も必要となった。C-130に及ばないまでも一定の評価を得ていた輸送機だからだ。
C-1開発はそこからの逆算である。「日本の環境ではC-130やC-160では不適当」。その理屈を作ることから始まっている。
そのために、自衛隊は何をやったか。第1に、政治状況を理由に最大飛行距離を短くした。C-1開発の物語では「長大な航続距離は『専守防衛に反する』との批判を浴びるため回避した」と言われる。これはウソだ。その本旨は、飛行距離が長いC-130とC-160の排除である。
何よりも、「長大な航続距離」が理由になるのは不自然だ。本来なら輸送機の飛行距離は長いほどよい。切り下げはありえない。また、輸送機は攻撃兵器ではない。旅客機改造の民間輸送機と本質的な差はない。
同時期に導入したF-4戦闘機導入と較べると、それは明白となる。F-4は素の状態でもC-1よりも遠くまで飛べた。戦闘状態での作戦半径も1.5倍であった。それにもかかわらず爆撃計算機と空中受油装置導入を外しただけで批判を乗り切り導入した。それからすればC-1の航続距離云々は屁理屈である。
第2に、搭載量も低めにした。C-1輸送機の最大搭載重量は、更新対象である旧式機C-46輸送機と、ほぼ同じにしている。「老朽更新なので同じ能力に合わせた」形ではあるが、やはり不自然である。これも海外製輸送機を買わないための努力である。
本来なら、これらの理由は可能な限りの向上を図る項目である。輸送機械の開発では搭載エンジンで実現できる最大重量や最大容積を追求する。トラックでも貨物列車でも、コンテナ船やタンカーでもそうしている。
■屁理屈だらけの性能設定
C-1開発では、それを意図的に怠った。最大輸送重量は8トンである。これはC-46の7トンとほぼ変わらない。ちなみにC-46はプロペラ機であり第2次世界大戦時に登場したものだ。
馬力と推力の差があるものの、エンジン末端段の力量からすればC-1は15倍のパワーがある。それにもかかわらず、搭載量は1割強しか増えていない。
3つ目は、極端な離着陸性能の追求である。C-1は滑走路が600メートル以上あれば飛ばせる。これは技術的には注目すべき性能だが、裏を返せば「海外製輸送機の導入を避けるため」の性能設定でもある。
すでに開発当時には海空自衛隊は2000メートル以上の滑走路長を確保していた。当時の主力であった海自P-2対潜哨戒機や空自F-104戦闘機を飛ばすためである。それなら600メートル級飛行場への対応は不要だ。それよりも飛行距離や搭載重量の拡大を図るべきである。
ただ、日本独自の事情を持ち出すには都合がよい。「日本の国土は狭隘である」「戦時に陸自や民間の小規模飛行場への離着陸能力が求められる」。そう説明すればC-130を排除できる。
屁理屈であることは、滑走路外での離着陸を求めないことからも補強される。戦時に狭小飛行場での運用が必要なら、道路や荒地からの離着陸も検討すべきである。だが、それは求めていない。その項目をいれると砂漠でも南極でも離着陸できるC-130に負けてしまう。
さらに4つ目として高速性能を加えてもよい。そのためにジェット機が必要と結論づければC-130やC-160といったプロペラ機は排除できる。
■なぜ空自は性能に無関心なのか
ただし、こちらは技術側の自己満足にも見える。防衛省の技術組織や、日本の航空機製造業は自分たちが作りたいものを作ろうとする「幼児性」があり、実用性よりも技術的高度性を追求する傾向もある。その傾向からすればさほどの思慮はない。「プロペラ機よりもエライから」ジェット機とした程度である。
なお、ジェット化で燃費も悪くなった。同じ速力ではプロペラ機の方が効率がよいからである。
そして、空自はこの性能設定を呑んだ。国産機開発を目的とした不自然な仕様設定を拒絶しなかった。むしろ開発や製造を推進した。それはなぜか。
まずは、航空機製造業への忖度である。空自は装備品導入では防衛産業の言うがままだ。陸海自衛隊のように「それでは使命は果たせない」と拒否することはない。
さらに航空輸送にも輸送機にも無関心である。本来なら航空輸送は重要任務となる。空軍の任務は制空、偵察、攻撃、空輸の4つ、英米仏の空軍はこれに核抑止を加えた5つである。航空輸送はそれまでの地位を占める任務なのだ。
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