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NPO法人「公共の交通ラクダ(RACDA)」の総会が2025年3月22日に岡山で開催され、公共交通システムの改善を目指す活動を行ってきた。

議論の中で、整備新幹線に対する長年の批判が取り上げられ、かつての反対論と現実との乖離、新幹線の地域への影響、成功事例が検証された。

北陸新幹線の例を挙げながら、新幹線が地域発展にどう寄与するか、未来を予測する難しさを考える必要があることが指摘された。

(要約)

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北陸新幹線(画像:写真AC) 

 

 2025年3月22日、岡山市でNPO法人「公共の交通ラクダ(RACDA)」の総会が開かれた。RACDAは1995(平成7)年に設立。路面電車をはじめ、使いやすい公共交通システムの実現を目指し。行政や交通事業者へ提言を行ってきた。会員には全国の交通事業者、行政関係者、研究者が名を連ねる。 

 

 2024年11月には「都市交通決起集会」の開催にも協力。この集会には全国から関係者が集まり、議論を交える場となった。こうした取り組みを通じて、RACDAは公共交通や都市計画の情報交換において、重要な役割を果たす団体といえる。 

 

 今回の総会は、岡山市内を走る岡山電気軌道の岡山駅前延伸工事が実現したタイミングでの開催となった。後半の討議には、東京だけでなく北海道や熊本県から識者が参加。活発な議論が展開された。 

 

 討議のなかでは公共交通に関するさまざまな話題が取り上げられたが、筆者(昼間たかし、ルポライター)が特に興味を持ったのは、北陸新幹線の延伸に関する議論であった。そこでは、2000年頃には「無用の長物」「無駄な公共事業」といった批判が多く見られたというエピソードが紹介された。 

 

 四半世紀が経過したが、整備新幹線に対する批判は今も続く。敦賀以西の延伸ルートは決まらず、西九州新幹線の佐賀県ルートも合意に至っていない。四国新幹線は計画段階にとどまり、北海道新幹線は札幌延伸に向けて工事が進むものの、赤字運営がJR北海道の経営課題と結びつけられ、 

厳しい目が向けられている。 

 

 なぜ、地域の発展に寄与するはずの新幹線は批判され続けるのか。本稿では、かつての反対論が現実とどう乖離していたのかを検証し、整備新幹線の本質的な価値を再評価する。 

 

総会が開かれた岡山市の禁酒会館。1923(大正12)年に建てられた文化財でもある(画像:昼間たかし) 

 

 整備新幹線のなかでも、北陸新幹線は予想外に地域に劇的な変化をもたらした。構想から着工、開業に至るまで、数十年間、北陸新幹線は「巨額の税金を投じる無駄な公共事業」として批判されていた。こうした批判の背景には、当時の社会経済情勢が大きく影響していた。 

 

 ひとつは、巨額な投資に対する不安だ。1980年代は表面上の好景気があったが、その陰で国鉄の巨額債務問題が深刻化していた。このような状況では、新たな鉄道インフラ投資への否定的な意見が強まるのは自然な流れだった。例えば、1987(昭和62)年12月26日付の『産経新聞』朝刊社説は「新幹線着工は見合わせよ」と題し、次のように述べている。 

 

「新幹線の整備を求める地元の熱意はわからないではない。だが、こんな状況の下ではとても建設できるものではない。しかも新幹線を建設した場合は「並行在来線を廃止する」という条件がいまも生きている。同じルートを通る在来線をそのままにしていては、赤字は拡大し、どちらの経営も行き詰まることがはっきりしているためだ」 

 

要するに、新幹線建設は、新幹線自体の経営リスクに加え、並行在来線による二重の経営リスクを引き起こすという論理だ。 

 

 さらに、1980年代には鉄道が時代遅れの交通機関とされ、新幹線もいずれそうなるという見方もあった。例えば、1988(昭和63)年に『運輸と経済』48巻7号に掲載された日本経済新聞社金沢支局長(当時)岡田臣弘氏の論文「北陸新幹線は果たして夢を運ぶか」には、次のように記されている。 

 

「そもそも 21世紀に向けた交通手段として鉄道がふさわしいのか改めて検証する必要がある。かりに北陸新幹線を着工しても完成は今世紀末で、世は宇宙旅行の大衆化がタイムテーブルに乗るとき。地上では個別輸送手段としての自動車と並び、大量輸送のためのリニアモーターカーが走っているかもしれない。北陸新幹線は今日のSLと同様、「昔のロマン」をかきたてる動く博物館でしかなくなっていないとの保証がどこにあるだろう」 

 

現代の視点では、公共交通の持続可能性や環境価値への認識が欠落していることに驚かされる。しかし、当時はこれらの未来観が一定の影響力を持っていた。 

 

「鉄道時代遅れ論」は、東海道新幹線建設時にも存在したが、国鉄の債務問題が重なり、より有力な反対理由となった。 

 

 1990年代後半、橋本龍太郎内閣の財政構造改革が本格化すると、整備新幹線は「無駄な公共事業」としてさらに厳しい批判を受けるようになる。 

 

 

北陸新幹線(画像:写真AC) 

 

 逆風のなか、北陸新幹線や九州新幹線の整備は進んだが、批判は続いた。例えば、両新幹線がスーパー特急ではなくフル規格(標準軌)で建設されることが決まった際、『日本経済新聞』は2000(平成12)年12月13日付社説で「状況をわきまえぬ整備新幹線の暴走」と厳しく批判した。 

 

「今や破たんが明らかになったばらまき財政の亡霊がさまよっているようだ。政府・与党の整備新幹線検討委員会は北陸、九州両新幹線のほぼ全区間をフル規格で建設することを決めた。(中略)東海道新幹線並みのこの工法を採用すれば、スーパー特急などのやり方に比べ事業費は跳ね上がる。上越─糸魚川間など3区間の来年度着工に備え、運輸省は1500億円の予算を要求する。今年度に比べ4.3倍。公共事業費の見直しが議論される状況下で突出した伸びである」 

 

ここで重要なのは、整備新幹線が「無駄な公共事業」と見なされる風潮が、大都市圏に偏っていたことだ。 

 

 日本大学法学部新聞学研究所が発行する『ジャーナリズム&メディア』13号に掲載された大西正行氏の研究によると、当時の全国紙は、リベラル系・保守系問わず抑制的または慎重論を採る傾向があった。一方、地方紙は概ね「着工促進論」を展開していた。 

 

 この地域間の意識のギャップは、メディアだけではない。例えば、北陸新幹線の富山―金沢間の着工を報じた『朝日新聞』2005年6月2日付の記事では、旅行業界大手JTBの見解を次のように紹介している。 

 

「旅行業界最大手のJTBは「車窓を楽しむ旅と違い、新幹線では、一時的な効果はあっても、観光の起爆剤にはなりにくい」(広報室)とみる」 

 

驚くべきことに、旅行業界でも北陸新幹線が観光客増加を長期的に見込んでいなかった。後に明らかになる現実とのギャップは、当時の予測がいかに限定的だったかを物語っている。 

 

 結局、こうした批判や懐疑的見解はすべて的外れだった。批判を受けながらも、2015年3月、北陸新幹線は長野から金沢まで延伸開業を果たす。これにより、東京~金沢間の所要時間は3時間50分から2時間27分へと劇的に短縮された。 

 

 この時間短縮は劇的な効果を生んだ。日本政策投資銀行の調査によると、上越妙高~糸魚川間の利用者数は、開業前の2014(平成26)年に約314万人だったが、2015年には約926万人に急増した。開業後も、コロナ禍前までは800万人台で安定していた。 

 

 さらに注目すべきは、地域間の人の流れの変化だ。同調査によると、2014年と2017年を比較すると、富山県の首都圏との流動人口は240万人から328万人に、石川県は345万人から487万人に大幅に増加した。北陸新幹線は既存の需要を単に置き換えたわけではなく、新たな移動需要を生み出し、首都圏と北陸地方の結びつきを大きく変えた。 

 

 

総会が開かれた岡山市の禁酒会館。1923(大正12)年に建てられた文化財でもある(画像:昼間たかし) 

 

 巨額な費用が回収できないという予測は完全に覆された。さらに、北陸新幹線は停車駅のある都市の構造を変革するきっかけとなった。代表例が富山市である。 

 

 富山市は公共交通を重視し、2006(平成18)年には廃線寸前だったJR富山港線を次世代型路面電車(LRT)として「富山ライトレール」に再生した。2009年には市内電車の環状線化を実現。新幹線開業日からは富山駅高架下に市内電車の乗り入れも始まった。その結果、市内電車(富山地方鉄道)の利用者は2014年の約445万人から2015年には497万人へと増加した。 

 

 また、首都圏との一体化が進み、企業誘致も加速した。富山県では、YKK、日本カーバイド工業、東亞合成など複数の企業が東京一極集中から脱却し、本社機能や研究開発部門を移転させた。これも「東京から2時間30分圏内」という時間距離の短縮がもたらした効果だろう。金沢をはじめとする観光地は一過性のブームに終わることなく、現在も繁栄を続けている。 

 

 2024年3月の敦賀駅までの延伸開業でも、すでにプラスの効果が見られている。大阪までのルートが未定というネガティブな見方もあるが、JR西日本は北陸新幹線金沢開業10年目(2024年3月14日~25年3月13日)の利用者数が9年目と比べて24%増の990万人に達したと発表した。日本政策投資銀行の試算によると、福井県内での経済効果は、直接効果191億円、経済波及効果309億円とされており、北陸新幹線は観光・飲食業のみならず、新たなまちづくりの起爆剤として経済効果をもたらすと期待されている。 

 

北陸新幹線(画像:写真AC) 

 

 他の整備新幹線区間でも、同様の効果が確認されている。九州新幹線もその一例だ。 

 

 2005(平成17)年に実施された「九州新幹線開業影響調査」によれば、大規模企業の4割以上が新幹線開業によるプラスの影響を実感しており、マイナスと回答した企業はわずか5%に過ぎなかった。具体的な効果としては 

 

・出張コストの削減 

・広域的な人的交流活発化による顧客の増加 

・営業活動の範囲拡大 

 

など、経営における実質的なメリットが挙げられている。さらに、全線開通後の調査では、沿線市町村の人口増加も確認されている。新幹線によるストロー効果(大都市への一極集中)は注目されがちだが、実際には新幹線が双方向の経済活動を促進するネットワークを支えていることがわかる。 

 

 では、なぜ1980年代から1990年代には、このような成功を予想できず、悲観的な意見が多かったのか。最大の理由は未来予想の限界だ。かつての議論では、既存の在来線の移動需要が新幹線に置き換わるという前提があった。しかし、 

 

「地方都市が新幹線開通を契機に活性化する」 

 

という視点が欠けていた。富山市がコンパクトシティ戦略で再生し、金沢市が観光都市に発展するという予想はなかっただろう。高度成長期の中心であった太平洋ベルト地帯から外れた日本海沿岸地域の発展には疑念が強かった。 

 

「地方蔑視」 

 

の意識がその可能性を見逃させたのだ。結局、かつての整備新幹線に対する批判は、新幹線が地域をどう変化させるかを考慮せず、運賃で黒字になるかどうかだけに焦点を当てていたことに起因するといえる。 

 

 

北陸新幹線(画像:写真AC) 

 

 このことが示しているのは、ほとんどの未来予測があてにならないという事実だ。 

 

 現在、北海道新幹線の札幌延伸や四国新幹線、東九州新幹線の構想には、費用対効果が合わないとの懐疑的な意見が多い。確かに、今後も日本全体の人口減少が進み、経済が縮小していく予測が正しいのであれば、それは間違いない。しかし、現状の予測もあくまで予測に過ぎない。 

 

 多額の財政投資が必要な以上、計画には慎重さが求められる。それでも、成功するかどうかは、建設開始から開通までの間に、どのような地域の未来像を描けるかにかかっている。20年前、 

 

「高齢化社会で運転ができない人が増えるから公共交通を維持すべきだ」 

 

と主張しても、その時点で本当にそれが実現するとは信じている人は少なかったはずだ。結局、どのように未来を描き、新幹線を大都市圏とのつながりを基にして、100年先の都市計画を明確に打ち出すかが重要だ。 

 

 失敗の可能性があったとしても、建設しないよりは、着手する方が最適解ではないか。 

 

昼間たかし(ルポライター) 

 

 

 
 

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