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財務省前で行われたデモでは、「103万円の壁」問題をきっかけに、「財務省解体」を訴える声が高まっている。

ジャーナリストの須田慎一郎氏は、財務省だけでなく、その中で意思決定をしている個々の人物に焦点を当てる必要があると指摘している。

政治的な攻防が激化する中、財務省が日本維新の会と綿密な交渉を行い、具体的な政策の実現に向けて動いている様子が浮き彫りになっている。

(要約)

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財務省前で行われた減税を求めるデモ=2025年3月14日午後、東京・霞が関 - 写真提供=共同通信社 

 

「103万円の壁」問題を発端に、「財務省解体」を訴えるデモが増加している。ジャーナリストの須田慎一郎さんは「批判の矛先は財務省に向けられているが、焦点が定まっていない印象がある。組織は人間の集合体であり、誰が意思決定をしたのかという個々人に注目すべきだ」という――。 

 

 ※本稿は、須田慎一郎氏のYouTubeチャンネル「撮って出しニュース」を再編集したものです。 

 

■テレビ・新聞も無視できなくなった「財務省解体デモ」 

 

 最近話題となっている、財務省解体デモ。回を重ねるごとに熱気が高まっており、参加者の数も着実に増加している。もはや新聞やテレビといったオールドメディアも無視できない存在へと変わりつつあると感じている。 

 

 現時点では、財務省という組織そのものに対して抗議や批判の声が上がっている状況だが、やや抽象的で焦点が定まっていない印象もある。財務省といっても、所詮は人間の集合体だ。つまり、組織というよりも、そこで意思決定をしている個々人に注目すべきではないか。私としては、もう少し具体的に「本丸」が誰なのかを明確にする必要があると考えている。 

 

 たとえば、日本の経済成長を阻害しているのは誰なのか。 

 

 あるいは、先の衆議院選挙で議席を4倍に増やした国民民主党が掲げた「手取りを増やす」政策。年収103万円の壁を引き上げたとされているが、実際には160万円という数値が示されているにすぎず、有権者が満足できる水準には至っていない。このような状況を背後で操作しているのは一体誰なのか。 

 

 本稿ではこの点について掘り下げていきたい。 

 

■「手取りを増やす政策」を阻んだ3人の財務官僚 

 

 私見ではあるが、今回の件で浮き彫りになってきたのは、国民民主党の玉木雄一郎代表に対して、財務省の一部官僚たちが特別な感情、ある種の敵対心を抱いているという点である。 

 

 具体的には、「玉木氏には負けたくない」「玉木氏の思うようには進めさせたくない」といった強い対抗意識を持つ官僚が存在していたことが、取材の結果として明らかになってきた。 

 

 そうした人物の名前として、まず1人目に挙げられるのが、主計局次長の吉野維一郎(よしの・いいちろう)氏である。吉野氏は財務省の「エース中のエース」と呼ばれ、将来の事務次官候補として有力視されている人物だ。 

 

 主計局は財務省の中枢を担う部署であり、その次長という役職にあることからも、組織内での影響力は非常に大きい。 

 

 2人目は、中島朗洋(なかじま・あきひろ)首相秘書官である。中島氏はかつて石破茂氏の周辺にもいた人物であり、官邸において政策の中枢に位置している。 

 

 3人目は、一松旬(ひとつまつ・じゅん)大臣官房審議官である。 

 

 ここで注目すべきは、吉野次長と中島秘書官の入省年次である。両人とも1993年に旧大蔵省へ入省しており、これは玉木氏と同じ年である。この同期という関係性からも、玉木氏に対して複雑な感情を抱いていることがうかがえるのではないかと考えている。 

 

 これら3名の名前は、今後の政治動向を読み解く上で念頭に置いておくべきである。 

 

■交渉相手にならなかった野党第1党の体たらく 

 

 ここで昨年来の国民民主党や積極財政派と、財務省や官邸との攻防について振り返りたい。 

 

 ご存じの通り、国民民主党は直近の衆議院選挙において「手取りを増やす」という政策を前面に掲げ、選挙公約の中で年収103万円の壁を178万円に引き上げる方針を打ち出した。その結果、党は大勝を収め、候補者のほとんどが当選し、議席数は4倍に増加した。 

 

 一方、与党は過半数割れの状態に陥り、予算案一つ通すにも野党の協力が必要となるなど、少数与党の立場に転落してしまった。 

 

 この選挙結果を受けて、政治的な攻防が本格的に始まった。 

 

 政府・与党にとって最大の使命は、2025年度予算を年度内に成立させることである。これは通常国会における最重要課題であり、実現のためには野党の協力が不可欠となる。 

 

 協力の選択肢としては、いくつかの可能性があった。国民民主党か、日本維新の会か、あるいは立憲民主党か、といった選択肢である。 

 

 特に国民民主党は、以前からガソリン税の増税凍結をめぐる交渉を重ねてきた経緯があり、自民・公明にとっては比較的交渉しやすいパートナーと位置づけられていた。 

 

 一方で、日本維新の会については、「与党寄りなのか野党寄りなのか分からない」という批判的な見方が根強い。自民・公明に対する批判的な立場を取りつつも、一定の政策協力をする姿勢を見せていることから、国民民主党に次ぐ交渉相手と見なされている。 

 

 立憲民主党に関しては、政策論争を主導する政党としての期待もあったが、先の衆議院選挙においてはその姿勢が見られなかった。野田佳彦代表が第一声の場に選んだのは、自民党の萩生田光一氏が立候補していた八王子であった。そして立憲民主党が候補として擁立したのは、有田芳生氏である。有田氏は、同党内でも特に自民党批判を強く展開していた人物であり、いわば「刺客」としての位置づけであった。 

 

 野田代表による応援演説は約19分に及んだが、その内容はすべて「政治とカネの問題」および「旧統一教会問題」に終始し、立憲民主党が政策面で何を主張しているのかは、まったく伝わらなかった。 

 

 このような経緯から、交渉相手として立憲民主党、あるいは野田代表を選ぶ可能性は著しく低下した。結果として、選挙後に最初に選ばれた交渉相手は国民民主党であった。 

 

 

■身動きが取れなかった石破首相 

 

 ただし、国民民主党が訴える「年収103万円の壁」を「178万円」まで引き上げるという政策は、総額約7兆6000億円の予算を必要とする。これは大規模な財政出動を意味する。 

 

 この点について、最も強く危機感を抱いていたのは、他ならぬ財務省である。財務省の動きは、まさにここから始まった。 

 

 石破茂首相に対しては、中島朗洋首相秘書が徹底的に密着していた。彼は「国民民主党の要求は絶対にのむべきではない」と繰り返し主張し、自民党が国民民主党に対して譲歩する条件を最小限に抑えるよう、常にブレーキをかけていた。 

 

 この点に関しては、宮沢洋一・自民党税制調査会会長とも連携しており、自民党税調と財務省による連携プレーによって、石破氏の主張は完全に封じ込まれていた。つまり、党からの牽制に加えて、官邸内でも中島首相秘書官による強い圧力が加わり、党内に確たる基盤を持たない石破氏は、彼らの意向に逆らうことができない状況に置かれていた。 

 

■側近の赤澤大臣も懐柔された 

 

 財務省の関与はそれにとどまらない。 

 

 石破氏にとって数少ない側近の一人である赤澤亮正・経済再生担当大臣は、財務副大臣の経験を持ち、財務省とのつながりが深い人物である。赤澤氏は、通常であれば内閣府に置かれる経済再生担当大臣の専任室を、官邸の隣接地に設置し、内閣府よりもむしろ官邸に長時間滞在していることで知られている。赤澤氏は、仲間が少ない石破氏にとっての精神的支柱のような存在であった。 

 

 そして、この赤澤氏に密接に付いていたのが、一松旬・大臣官房審議官である。一松氏は財務省からの出向者であり、吉野主計局次長の後輩(1995年入省)である。彼は財務副大臣時代から赤澤氏と関係があり、現在でも赤澤氏の「知恵袋」として行動している。取材の結果によれば、一松氏は赤澤氏に対して「国民民主党の要求を絶対に受け入れてはならない」「年収の壁引き上げについて譲歩してはならない」と繰り返し主張していた。 

 

 その主張は赤澤氏を通して石破氏へと伝わり、同様に中島朗洋・首相秘書官からも同様の圧力が加えられた結果、石破氏は完全に動きを封じられた状態となった。すなわち、石破氏は赤澤氏と中島氏という二重の圧力の中で、政権維持や新年度予算成立に向けて一切の自由な行動をとれない状況に陥っていたのである。 

 

 

■国民民主を怒らせて維新に接近 

 

 結果的に、こうした状況の中で、自民党政調会長である宮沢洋一氏が財務省と調整を行い、「年収の壁を103万円から123万円へ引き上げる」という第1回目の回答を示した。この回答は、国民民主党にとって到底受け入れ可能な内容ではなかった。 

 

 当然ながら、国民民主党はこの提案を拒否した。それこそが財務省にとって望ましい展開であった。財務省はその後どのように動いたのか。 

 

 予算を国会で成立させるために、財務省が次に接触を試みたのは日本維新の会であった。交渉にあたったのは、先に紹介した主計局の次長であり財務省の「エース中のエース」とも称される吉野維一郎氏である。吉野次長が接触した相手は、日本維新の会の前代表・馬場伸幸氏であった。現在、日本維新の会の代表は吉村洋文大阪府知事であるが、馬場氏はその前任であり、党内でも影響力のある人物である。 

 

 さらに吉野次長は、昨年11月まで国会対策委員長を務めていた遠藤敬(たかし)氏にも接触している。 

 

 この2人に共通しているのは、いずれも大阪を地盤とする「大阪維新の会」系の議員であるという点である。日本維新の会には、大阪系議員グループと、国会議員団を中心とした大阪系以外のグループという、2つの系統が存在している。 

 

 財務省が接近を試みたのは、影響力が大きいとされる大阪系議員グループだ。その理由は明白で、日本維新の会において地元・大阪を基盤とする議員が党内において強い影響力を持っているためである。 

 

 こうした背景から、吉野次長は馬場伸幸元代表および遠藤敬元国対委員長に対し、「日本維新の会の要求を財務省として受け入れるので、予算案に賛成してほしい」との交渉を持ちかけたのである。 

 

■維新は「高校無償化」と「社会保険料負担軽減」が2大公約 

 

 実を言えば、日本維新の会も一定の駆け引きを行っていた。 

 

 同党は当初から「高校の授業料無償化」を政策の優先事項として掲げており、それに加えて「社会保険料の削減」をセットで実現する方針を持っていた。私が直接話を聞いたところによれば、これらの方針は参議院議員の猪瀬直樹氏から明言されたものであり、同党の選挙公約にも盛り込まれていた。 

 

 つまり、日本維新の会が今通常国会で実現を目指している政策の柱は2つある。 

 

 一つは、高校教育の無償化をさらに拡充し、特に私立高校に通う家庭への補助金を増額するというものである。もう一つは、社会保険料の負担軽減であり、これは約4兆円規模の財政支出を伴う政策である。 

 

 この社会保険料削減案については、実現には現実的に大きな財政出動が必要であり、4兆円規模という数字が予算上の壁となっていた 

 

 一方で、自民・公明両党が日本維新の会に予算案への賛成を取り付けるために行った交渉では、維新側の要求である「高校授業料無償化」および「社会保険料の軽減」の双方に配慮する姿勢が見られた。 

 

 そのため、交渉は次の2つの体制に分かれて進められた。 

 

 一つは、高校教育無償化をどの水準まで引き上げるか、特に私学に通う生徒の保護者に対する補助金支給の額や仕組みをめぐる協議体である。もう一つは、社会保険料の負担軽減を具体化するための協議体であった。 

 

 この2つの協議体制が後々、政治的な駆け引きや調整において重要な意味を持つことになる。 

 

 

■動きを完全に読んでいた財務省 

 

 協議体を2つに分けるという戦略を指導したのも、財務省であった。 

 

 これは、先に述べた吉野・中島・一松ラインによるものであり、彼らがこの仕掛けを推進した。結果として起きたのは、吉野次長が日本維新の会の馬場伸幸氏および遠藤敬元国会対策委員長に接触し、「高校教育の無償化を実現するので、予算案に協力してほしい」と持ちかけたという展開である。あわせて、維新内の議員を取りまとめるよう求める要請もあった。 

 

 こうした中、遠藤氏が自ら手を挙げ、「自民・公明との交渉を自分に任せてほしい」と申し出た。本来、この交渉の中核を担うべきは、日本維新の会の共同代表であり国会議員団のトップである前原誠司氏であった。しかし、前原氏は日本維新の会に入党して間もないこともあり、党内基盤が非常に脆弱(ぜいじゃく)であった。 

 

 加えて、日本維新の会内には、国会議員のみならず府議会・市議会レベルの議員たちの間でも、「後から入党した人物がなぜ共同代表に就任するのか」という強い違和感が存在していた。この不満は、嫉妬や対抗意識とも言えるものであり、党内には前原氏に対する根強い反発があったことは間違いない。 

 

 そのため、前原氏が党内の意見をまとめようとしても、実質的に意思統一を図ることは困難であり、それは本人も理解していたと考えられる。その結果として、前原氏は遠藤敬氏に協力を求め、交渉の窓口を担わせたのである。 

 

 こうした動きを先回りして読み、遠藤氏に早期から接触していた財務省の動きには、一定の先見性があったと言える。遠藤氏は国会対策委員長としての経験も豊富であり、自民・公明両党との交渉を取りまとめるには適任と見なされていたのである。 

 

■「高校無償化」だけが決まった背景 

 

 もっと言えば、この遠藤隆氏と自民党の国対族のドンである森山裕幹事長との間には、非常に太いパイプが存在している。その関係性を踏まえた上で、遠藤氏は水面下で動き始めた。 

 

 繰り返しになるが、その背後には吉野次長がついており、ここで「分断」が行われた。何を分断したのかというと、「社会保険料の負担軽減」と「高校の授業料無償化」を切り離したのである。維新の会としては、何らかの実績を残す必要がある。両方を同時に進めていては、話が前に進まず、決着がつかないと判断された。 

 

 そこで、協議体そのものを変えるわけではないが、予算案通過後に社会保険料負担軽減については引き続き交渉を行う方針とし、まずは高校の授業料無償化を先行して実現し、その果実を得るという戦略が採られた。これが「分断」の実態である。 

 

 結果として、維新の会は、交渉体がすでにできていたにもかかわらず、社会保険料の負担軽減に関しては予算成立後に自公との交渉に委ねる形となった。このような展開を導いたのが吉野維一郎次長であり、その手腕はさすがである。 

 

 

 
 

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