( 281024 )  2025/04/07 05:46:58  
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森永卓郎氏は、投資への関心が高まっている中、新NISAについて「お金をドブに捨てるようなものだ」と批判している。

資産形成は必要ないとし、シンプルな生活で豊かに老後を過ごすことが可能であると述べている。

都市部と田舎の中間で暮らす人たちの方が幸せに見えると言い、投資で資産を失うリスクが高まっていると主張している。

投資は長期で持続することが難しく、株価の動向などを正確に判断するのは難しいため、貯蓄を選択する方がよいとしている。

(要約)

( 281026 )  2025/04/07 05:46:58  
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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/VTT Studio 

 

新NISAが始まって以降、投資への関心は高まっている。今年1月に原発不明ガンで亡くなった経済アナリストの森永卓郎さん(享年67)は「私から言えば、新NISAはお金をドブに捨てるようなものだ。老後の生活が不安だからと言って投資をするのは間違っている」という――。(第1回) 

 

 ※本稿は、森永卓郎『やりたいことは全部やりなさい 最後に後悔しない25のヒント』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。 

 

■「資産形成」しなくても豊かな老後は送れる 

 

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常識→資産形成をしなければ、老後は不安 

真実→投資は無用。シンプルな生活で豊かに暮らせる 

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 私も67歳になり、自分自身を含めて、年齢の近い知人はみんな年金受給生活になっています。彼らを見ていてつくづく思うのは、特に「資産形成」なんかしなくても、心身ともに豊かに老後を過ごすことは十分可能である、ということです。 

 

 私の周りの年金生活者たちは、大きく2つに分けられます。1つは都市部での生活にこだわり、年金受給年齢に達してからも働いている人たち。もう1つは、都市部での生活を捨て、都会と田舎の中間あたりでのんびり暮らしている人たちです。そしてどちらのほうが幸せそうかというと、圧倒的に後者なのです。 

 

 高齢になってもなお、都市部での生活を維持しようとしている人たちは、すごくつらそうです。会社を引退してからも働こうと思ったら、残されているのはブルシット・ジョブくらいしかありません。やりがいのかけらもなく、苦しいだけの「クソどうでもいい仕事」をして、何とか都市部の片隅で食いつないでいるというのが、彼らの多くが生きている現実です。キラキラした都会のよさを味わい続けるためには、収入がまったく足りないのです。 

 

■「トカイナカ」生活はメリットだらけ 

 

 一方、後者のグループはどうでしょう。都会と田舎の中間、私が名づけたところの「トカイナカ」は不動産が都会に比べ安価です。現役のうちに数百万ほど捻出して家を買っておけば、多少の維持費や固定資産税が生じるだけで、毎月の家賃はゼロです。 

 

 生活コストだって、言うまでもなく都市部より圧倒的に低い。これに加えて畑を耕し、太陽光発電を備えつければ、食費や電気代もかなり抑えられます。 

 

 そんななか、トカイナカで暮らしている彼らのような人たちは、晴耕雨読で趣味に興じながら、わずかな貯蓄と年金の範囲内で十分豊かに暮らしています。ある人は音楽が趣味で、ずっと挑戦してみたかったドラムセットを購入し、近所の同好の士たちとバンドを組んだそうです。確かにトカイナカなら、思い切りドラムを叩いても苦情は来ませんね。実は私も、最近、ギターを2本買いました。といっても高級なものではなく、どちらもフリマアプリで2000円程度でした。 

 

 さて、そんな両者の違いを踏まえて、改めて問いたいのは「資産形成は本当に必要か?」ということなのです。 

 

 

■投資で全資産をなくす危険が高まっている 

 

 資産形成は、ひと言で片付けられるほど簡単なことではありません。投資という危ない橋を渡って資金をすべて失う可能性もあります。新NISAなど長期積み立てを推奨する言説は嘘だらけですし、資本主義経済そのものが瓦解しようとしている今、投資による全資産損失の危険は、いまだかつてなく高くなっています。 

 

 今、そこまでのリスクを背負ってまで資産形成するのは、とうてい有効な生存戦略とは言えません。それに対して、お金が必要ではない暮らし方を確立していけば、そもそも資産形成など考える必要はないわけです。そんなことをせずとも豊かに暮らす道を探ったほうが、今の生活も将来の生活も幸せになるでしょう。 

 

 ギャンブルは長く続けるほどに損失が大きくなります。逆に、ビギナーズラックで大金を当てまくり、深追いせずにさっと手を引いた人は大きな儲けを手にします。このギャンブルの法則、実は投資も同じだと言ったら驚くでしょうか。 

 

 以前、2004年から2014年までの間、毎年1000ドルをアメリカのS&P500指数に投じた場合、短期投資と長期投資とでは、どちらのほうが利益・損失が大きくなるのかをシミュレーションしたことがあります。2014年は株価が暴落したことも付記しておきましょう。株価が暴落したときの損失率(損失額÷累積投資額=投資総額に占める損失額の割合)は、たしかに長期投資のほうが低くなりました。しかし損失「額」は、長期投資のほうがはるかに大きかったのです。 

 

■新NISAの謳い文句は嘘ばかりだ 

 

 この事実を知って、真っ先に疑いの目を向けるべきなのは、2014年からのNISAと2024年にスタートした新NISAです。「長期積み立て投資で将来の資産形成を」などと謳(うた)われていますが、今も見た通り、長期に投資を続けたほうが、たくさんのお金を失うことになる。新NISAの謳い文句は、私からすれば嘘なのです。 

 

 こういうことを言うと、決まって「それはバブルが崩壊したときに投資をやめると仮定しているからだ」と反論してくる人がいます。たしかにその通り。バブルが崩壊しても投資をやめなければ、ふたたびバブルが生じたときに株価が上がり、利益も上昇します。 

 

 ここで重要なポイントが示されていることに気づいたでしょうか。長期投資で利益が大きくなるのは、いったん何かのバブルが崩壊しても、「またバブルが発生すれば」という条件つきなのです。もしバブルが崩壊し、その後二度とバブルが発生しなければ、株価は暴落したまま地を這(は)い、ついには極限まで落ち込んでしまいます。その場合は、投資を続ければ続けるほど多くのお金を失うことになるわけです。 

 

 バブルの発生と崩壊は資本主義の性質ですから、二度とバブルが発生しないというのは、資本主義の終わりを意味します。そして私は、そう遠からぬタイミングに「その日」──最後のバブル崩壊と資本主義が終焉を迎える日が訪れると見ています。これが、「長期投資をしてもお金は増えない」と私が主張している根拠であり、今すぐ投資をやめることをすすめたい理由なのです。 

 

 

■お金をドブに捨てるようなものだ 

 

 新NISAが開始されて以来、すでに13兆円もの国民のお金が世界株や米国株に流れ込んでいますが、これはお金をドブに捨てるようなものです。バブル崩壊、株価暴落だけでも大きな損失になるというのに、今度は異常な円高も合わさって損失額は甚大になると予測できるからです。私の見立てでは、投資資産の価値が9割以上、毀損します。 

 

 今、世の中では円安の進展を憂える声ばかりなので、「円高」と聞いて不思議に思ったかもしれません。しかし今の円安が、とんでもない円高に転じる可能性は高いのです。まず、為替とは単に「通貨の交換比率」であることを頭に入れてください。投機により、一時的に大幅な為替変動が起こることはあるのですが、最終的には「購買力平価」に落ち着いていきます。購買力平価とは「一物一価」、つまり「同じものが同じ値段で買える」ということです。 

 

 問題はここからです。IMF(世界通貨基金)が出した2024年の世界経済見通しによると、円ドル為替の購買力平価は90.9円なのです。昨今の強い円安傾向を迷惑に思うあまり「1ドル=91円になる日が近い」と聞いて万歳したくなったかもしれませんが、それは大間違いです。 

 

 円高になると、海外で日本の製品が売れにくくなり、輸出企業の業績が下がります。当然、投資家はそれを予見しますから、輸出企業から資金を引き上げる。すると輸出企業の株価が下がります。 

 

■“一生懸命稼いだ金”を捨てるようなまねはやめて 

 

 為替で重要なのはバランスです。ほどほどの円安、ほどほどの円高が理想的であり、あまりにも円高に振れるのは、まったくいいことではありません。私は、購買力平価91円という域に達したら、日経平均株価は3000円にまで下がる可能性が高いと考えています。 

 

 そして二度と株価は上がらない。みなさんは、ここまで聞いてもまだ投資を続けたい、始めてみたいと思うでしょうか。今、投資はもっともリスクの高いギャンブルなのです。せっかく一生懸命働いたお金をみすみす捨てるようなまねは、くれぐれもやめて欲しいと思います。 

 

 今、投資をするのは大きなリスクとなる。私がみなさんに「投資はやめておきなさい」とお伝えしたい第1の理由はこれですが、実は、もう1つ理由があります。厄介なことに、投資は「始める」よりも「やめる」ほうがはるかに難しいのです。 

 

 少し想像してみてください。一生懸命働いて得てきたお金の一部を切り崩して、ある企業の株式を買ったとしましょう。日々、価格は変動します。すると下降傾向のときは「また上がるかもしれない。今、売ったら損になるから、まだ持っておこう」となり、上がっているときは「まだまだ上がるかもしれない。もっと利幅を広げるために、まだ持っておこう」となるのが人情です。 

 

 

■“バブルが弾けてすべてパア”になってもおかしくない 

 

 少しテクニカルな話をすると、株式の売りどきは「下がりきらず、上がりきらないタイミング」です。下がっているときは損切りの判断、上がっているときはあまり欲をかかず、深追いしない利益確定の判断が必要ということです。 

 

 しかし、未来のことは誰にもわかりません。実際、株式の売り買いのタイミングは投資の専門家でも判断が難しいところです。企業の動向や経済の動向を、ある程度の確度で見極めた上で判断せねばなりません。 

 

 私は投資の専門家ではありませんが、経済の専門家ではあります。それでも後でお話しするように、かつて大きく判断を誤り、多額の資金を失うという手痛い経験をしました。それが投資の素人ともなれば、言わずもがなでしょう。運任せでうまくいくことはあるかもしれませんが、狙ったタイミングで狙った利益を得るなんて的確な判断は、できなくて当然なのです。 

 

 かくして価格が下がっているときも上がっているときも売る判断を下せず、ずっと持ち続けることになってしまう。そうしているうちに、やがてバブルが弾け、すべてパアになってしまってもおかしくないというわけです。そんなリスクを抱え込むことを考えたら、誰だって「投資はやめておこう」と考え、より堅実な貯蓄を選びたくなるのではないでしょうか。それでいいのです。 

 

■貯蓄として残したほうがいい 

 

 ちなみに私は、2020年前後から少しずつ投資用の株式の処分を進め、ドル建て投資信託以外は、2023年にすべての処分を完了しました。さらに2023年末にがん宣告を受けてからは、残してあったドル建て投資信託も処分してしまいました。 

 

 それぞれに理由があります。2020年前後の株式処分は、現在のバブルは近々に崩壊すると予想していたからです。また、残してあったドル建て投資信託の処分は、私が死んだあとに遺族に迷惑をかけないためです。 

 

 実は故人の株式や投資信託には、まず、死亡日の相場で計算した評価額に相続税がかかります。その上、相続した株式の売却益にも課税されるため、事実上の二重課税になってしまうのです。しかも、相続人が株式を売却するのは容易ではありません。 

 

 金融資産というと「家族など大切な人への遺産」というイメージもあるでしょう。しかし実際には、相続税に売却益への課税、さらには手続き上の面倒と、現実的には相続人に二重三重の迷惑をかけることになってしまいます。ならば貯蓄として残したほうが、ずっと手続きはシンプルであり、なおかつ税額も抑えられるというわけです。 

 

 

 

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森永 卓郎(もりなが・たくろう) 

経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 

1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。 

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経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎 

 

 

 
 

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