( 282754 )  2025/04/14 03:29:24  
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選挙で少数与党となった公明党の斉藤鉄夫代表が、通常国会での動向や政策協議について語っている。

公明党は、高校無償化や選択的夫婦別姓制度の導入などの政策を目指しており、他党との協議が重要となっている。

公明党は自由に動ける役割を模索しており、政権再編や政界再編など未来が注目されている。

(要約)

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昨年11月、結党60年を迎えた公明党の斉藤鉄夫代表 

 

昨秋の衆院選で議席が過半数を割り込み、少数与党となった自公連立政権。石破茂首相は異例の状況で通常国会に臨んだが、過半数を得るために国民民主党や日本維新の会などの野党との駆け引きに揺さぶられている。そんな中、存在意義を問われているのが公明党だ。自民党とは20年以上にわたって連立政権を組んできたが、今回、少数与党となったことで、野党に政策決定の主導権を握られる局面にある。また、公明党自身、議席を減らすなど厳しい状況もある。公明党はどう動くのか。キーマンである斉藤鉄夫代表に話を聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・小川匡則/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 

 

「大臣より党代表のほうがはるかに忙しい」と語る斉藤氏 

 

「高校授業料の無償化の議論は、自民党と維新が協議を模索したところから始まっています。我が党も入って一生懸命(維新と)3党協議をしましたが、今まで我々が力を入れてきた教育無償化の土台があることが、国民の皆さまにあまり認識されていなかった。そこは正直に申し上げて忸怩(じくじ)たる思いです」 

 

こう苦い表情で語るのは公明党の斉藤鉄夫代表だ。苦い表情なのにはわけがある。 

 

1月24日に始まった通常国会で、新年度予算は修正協議を経て、3月31日、年度末ギリギリのタイミングで成立した。 

 

昨秋の衆院選後、自公は215議席となり(過半数は233)、予算成立には28議席の国民民主か38議席の維新の力を借りる必要が出た。当初、与党は「103万円の壁」の解消を掲げた国民民主と協議を進めたが、所得税の課税最低額を103万円から178万円に引き上げることを求めた国民民主の案には自民側は慎重だった。 

 

2024年12月11日、国民民主党と自民党、公明党によると3党協議(写真:毎日新聞社/アフロ) 

 

通常国会が始まると、自民は維新に接近。高校無償化を主張する維新の要望を与党がのむ形で合意し、維新は予算案に賛成に転じた。 

 

「自民党も当初はそうだったと思いますが、我が党は『103万円の壁』の問題で国民民主との間で合意を結ぶという戦略を立て、政策協議を一生懸命やりました。国民民主の方々も『公明党が汗をかいてくれた』と言ってくれたほどでした。最終的に『178万円』という主張を全面的に通すのは無理だというのは、向こうもわかっていました。だから、『ここまで努力してくれたからしょうがないな』というところまでもっていこうと本当に努力をしました。それが最終的に政府案となった160万円であり、1兆2千億円の減税です」 

 

だが、その協議の途中で自民は維新が主張する「高校授業料の実質無償化」を取り込む方針に転換。維新の協力を得て過半数を獲得、衆議院で予算案を通過させることに成功した。 

 

「我々はあくまでも国民民主と合意して、その中で公明党の存在感を出していくというのが基本戦略でした。だから、そちらで努力していきたかったんですが、自民党が変わっていきましたよね」 

 

結果、公明党は3党協議の中で存在感を発揮することができなかった。国民民主との協議をリードしていたにもかかわらず、自民からはしごを外されたうえ、公明党がかねて掲げていた高校無償化の旗印を維新と自民に奪われる形となった。そもそも維新には昨秋の衆院選で公明党が大阪で有していた4議席を全て奪われた因縁もある。こうしたことも相まって、斉藤氏は思い通りにいかなかった悔しさをにじませた。それが冒頭の発言だった。 

 

 

公明党はここへきて自民党との距離感にも変化が生まれているという。「これまで以上に自民党と激しくやり合うようになった」というのだ。 

 

「もちろん信頼関係があるのが大前提ですが、まとめていくためにはどうしても自民党の皆さんにも我が党の考え方を理解してもらい、議論をしなくてはいけない。以前の2党間では明らかに力関係が明確で、本当にこれだけは通したいという政策は命がけでやらないと実現しない。例えば消費税の軽減税率がそうでした。しかし、今回は野党にも議論に入ってもらい、我々が本来やりたかったことをできる可能性があります」 

 

公明党が実現したい政策の一つが選択的夫婦別姓制度の導入だ。旧姓が使えず困っている人がいるという点に加え、公明党は「人権、アイデンティティーの問題」として捉え、導入に積極的な姿勢を明確にしてきた。 

 

ただし、この件をめぐっては自民党内で強い反発の声が出ている。どうやって折り合いをつけていくつもりなのか。その点を問うと、斉藤氏は「そうなんですよね……。正直言って、いま困ってるんですよ」と再び苦悩の表情を浮かべる。 

 

「私は党の代表になったその日に、石破総理のところにご挨拶に行って、『二つのことをやりたい』と言いました。一つは核兵器禁止条約締約国会議に政府としてオブザーバー参加する。もう一つは選択的夫婦別姓制。二つとも石破さんが総理就任前から積極的な発言をされていた。ですので、これはチャンスだと思い、言いました。石破総理も前向きに受け止めてくれたと思います」 

 

少数野党となったことで他党間での協議が盛んになっている国会 

 

だが、その後の自民党内の議論では、旧姓の通称使用を拡大することで十分だという意見が強く出ている。 

 

「我々の主張は選択制ですが、旧姓の通称制度は選択制を認めないというものなので、それでは根本から相いれない。こういった意見が自民党の中には根強い。私は、同姓を選んだうえで旧姓を通称使用することもあっていいし、別姓を選ぶこともできるのがいいと思っているのですが……。先ほど困っていると申し上げたのはそういうことです」 

 

そもそも、少数与党になった最大の原因は、自民党の派閥による裏金問題に端を発した政治不信だ。その影響は連立与党を組む公明党にまで及び、党の代表に就任したばかりだった石井啓一氏も落選するなど選挙前から8議席も減らした。 

 

党代表の落選という危機に、後任の代表に選ばれたのが当選11回のベテラン、斉藤鉄夫氏だった。 

 

 

斉藤氏は異色の経歴を持つ。1952年、島根県で生まれ、東京工業大学に進学。大学院を修了後、ゼネコン大手の清水建設に入社。在職中に博士号を取得すると米国の名門プリンストン大学で3年間、研究員を務めてもいる。根っからの理系研究者だ。 

 

「当時は石油ショックで、ちょうど就職氷河期にぶつかった。清水建設になんとか拾ってもらいましたが、けっこう苦労しました。私は物理を専攻していましたが、周りは建築土木のエリートばかりで大変でした」 

 

斉藤氏は東工大で物理を専攻し、米留学もした理系出身 

 

入社後は建設現場で問題を探した。鉄筋と鉄筋の接合部が離れて建造物が崩壊するケースが多いことに注目し、鉄筋同士の接合部を検査する手法を開発する。博士論文のテーマになったその手法はJIS規格になり、今でも建設現場で使われているという。 

 

そんな研究職に就いていたが、周囲の要請もあって1993年に公明党から初出馬し、衆議院議員に転じた。出馬時の公明党は野党だったが、1999年小渕恵三内閣で自民、自由、公明での自自公連立政権が発足、以降与党になった。以後、斉藤氏は与党議員としてキャリアを積み、2008年に環境大臣、2021年に国土交通大臣など要職にも就いてきた。 

 

斉藤氏に託されたのは公明党の再建だ。公明党は近年、国政選挙における得票が激減している。2005年の衆院選で898万票の比例票があったのに対して、昨年の衆院選では596万票と約20年で300万票が減り、3分の2に減少した。その結果、昨秋の選挙前に32あった議席は24と大幅に減った。これには高齢化や次世代への継承など支持母体、創価学会の変化が大きく影響している。 

 

「今まで支援団体に頼りすぎたことは我々も反省しなくてはいけません。誰一人取り残さない、包摂的な社会を作っていくというのが我々のアイデンティティー。そこは大事にしながら、ウイングを広げるにはどうしたらいいか……」 

 

創価学会本部(東京) 

 

小選挙区制度において、公明党が難しい戦いを強いられているのも事実だ。 

 

「289ある選挙区のうち、公明党が出したのは11です。他の選挙区では基本的に公明党は自民党を支援しているんですから、289のうちの11ぐらいこっちに分けてくれてもいいじゃないかというのが我々の考えです。だけど自民党からすると、『なんであんな小さな政党に』となる。こうした意識のすれ違いがあり、本当に難しい問題だと思います」 

 

先ごろ石破首相が選挙制度を中選挙区制に戻す案に言及したが、斉藤氏もこの意見には同調する。 

 

「1990年代、選挙制度改革で当初、中選挙区制から小選挙区制になると二大政党制ができるという触れ込みでした。しかし、(比例代表制を残したことで)かえって多党化が進んだ。民意の集約をしにくいという弊害が出ています。もう一度選挙制度の議論をすべきです。中選挙区制というのは一つの選択肢だと思います」 

 

少数与党となったことで、衆議院で法案を可決するには野党の賛同を得ることが不可欠となった。斉藤氏は現在の少数与党が続くことへの懸念がある。 

 

「私がいま感じているのは、やっぱりこういう少数与党では国家としての統制が取れないということです。例えば財政規律。『今回はこの党のこの主張を入れる』と対応していくと、全体感のない政策になってしまいます。1年や2年はいいかもしれませんが、これがずっと続くと日本がいびつな国になってしまう気がします」 

 

 

鉄道好きで、時刻表から旅気分を夢想する「読み鉄」でもある 

 

その一方で、維新や国民民主と個別のテーマで3党合意を作るなど、いまの少数与党では「与党の中の小さなほうの党」として自由に動ける役割も斉藤氏は模索している。そのあり方を物理学出身者ならではの表現で語る。 

 

「例えば酸素分子は、酸素原子二つが一緒になって初めて分子となり酸素の性質を現しますが、二つの原子を結びつけているのは電子です。電子はあるときは向こう側の、あるときはこちらの原子核の周りを回る。これを『自由電子』と呼びます。そんな電子のように、小さい所帯である公明党は、各党間の協議では自由に動き回ることができる。そういう意味では新しい役割を見いだしたところもあります」 

 

少数与党が続くのか、政権交代が起こるのか、はたまた政界再編へと向かうのか。「自由電子」としての公明党の動きが注目されている。 

 

小川匡則(おがわ・まさのり) 

ジャーナリスト。1984年、東京都生まれ。講談社「週刊現代」記者。北海道大学農学部卒、同大学院農学院修了。政治、経済、社会問題などを中心に取材している。 

 

 

 
 

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