( 285983 ) 2025/04/25 07:51:07 2 00 「悪趣味すぎ」万博の“ぬいぐるみベンチ”展示にポケモンファン激怒、任天堂は「許諾したものではない」ピンズバNEWS 4/24(木) 6:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/bf09ee846771028576604a443fc8a1f9859d7515 |
( 285986 ) 2025/04/25 07:51:07 0 00 ※画像は大阪・関西万博公式サイトより
何かと話題になる大阪・関西万博だが、現在展示中の“ぬいぐるみベンチ”がSNSで炎上しているという。多数のぬいぐるみがギュウギュウに透明のビニールに詰め込まれ、一つの大きな”ベンチ“とされた状態に、《これは座れない》と悲痛な声が続出していて──。
「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに据えた今回の万博では、持続可能性をうたう取り組みの展示も多い中、今、X上で問題視されているのは、さまざまなレジャーサービスを手がける老舗・株式会社ワイドレジャーの体験ブース「遊んでい館?」に設置された“アップサイクル”なベンチだ。遊ばれなくなったぬいぐるみに新しい価値観をもたらすという。
「創業50年になるワイドレジャー社は、クレーンゲームやメダルゲームなどのアミューズメント事業を運営する企業です。万博では“遊びの可能性を楽しめるコンテンツ”として、高さ3mを超える『メガクレーン』や、スライムを作ったり投げたりできる『スライムファクトリー』など、大人も子どもも楽しめるエリアを用意。
出展においてはサステナブルを意識し、たとえば机の天板は古紙とプラスチックをリサイクルした素材、フローリング部分には同社の倉庫に長年眠っていたという九州産の銘木を使うなどしています。“ぬいぐるみベンチ”もその一環ですね」(旅行サイト編集者)
同社が《遊ばれなくなったぬいぐるみたちに、次の役割を与えたいという想いからつくられたアップサイクル家具です》と説明するそのベンチは、同社運営の室内型アミューズメントパーク『ASOBLE(アソブル)』ゆめが丘ソラトス店に置かれていたもの。
透明のパッケージの中に、さまざまなサイズのぬいぐるみが隙間なくぎゅうぎゅうに詰め込まれており、確かにすこし息苦しそうにも感じられなくもないが……。
あるXユーザーがこのベンチの写真とともに、
《万博に遊ばなくなったぬいでリサイクルして作りましたってベンチあったけど…デデンネさん…》
と、ポケットモンスターのキャラクターである「デデンネ」の姿もあることを泣き顔の顔文字付きで投稿すると、23日までに750万回を超える閲覧と反響を呼び、
《これは悲しい気持ちになっちゃいますね…みんなぎゅうぎゅう詰めで可哀想…》 《ぬいぐるみ供養にを神社でお金払ってやってもらってる自分は、これは座れない》 《可哀想すぎて心拍数上がるわ》 《これあまりにも悪趣味すぎません…? 自分の好きなキャラクターがこんな目に遭ってるの見たら泣いてしまいそう》
とポケモンファンの悲しみの声が殺到した。
ぬいぐるみの数々はいずれも顔が見えないように、“後ろ向き”で詰め込まれているものの、他にもXユーザーがキャラクターを“特定”する声が。
《ちょ!推しポケのハクリューぬいある!!?》 《ポチタとかジョージとかマイメロもいるな…》
などとキャラクターを見分けるネットユーザーが現れると、
《これって権利的にOKなの?》 《コレは任天堂怒っていいと思う 完全にブランドイメージに関わる案件でしょ》
という意見も。 確かにベンチ内のぬいぐるみには、「デデンネ」や「ハクリュー」といったポケモンのキャラクターが判別できる。
ちなみに『ポケモン』は万博のスペシャルサポーター。会場内にはスマートフォンのゲームアプリ『Pokemon GO』の新機能「GOスタンプラリー」として、スタンプを入手できる拠点が7か所あり、それぞれにピカチュウやカビゴンなど人気キャラクターの立体像が配置されており、多くの人が楽しんでいる様子がSNSでも確認できる。
当サイトでは、ポケモンを世に放った任天堂にこのベンチについての見解を聞いた。
自社キャラクターのぬいぐるみが多数の個体の一つとしてパッケージングされ、再活用されることをどう受け止めるかについて、任天堂の担当者は、
「お寄せいただきました内容を確認いたしましたが、万博での展示については当社が許諾したものではなく、コメントは差し控えさせていただきたく存じます」
と回答した。
ネットでは炎上してしまったが、現地では楽しんでいる人もいるのだろうか──。
ピンズバNEWS編集部
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( 285985 ) 2025/04/25 07:51:07 1 00 ぬいぐるみを再利用するという考え方は持続可能な視点からは意義のある取り組みであり、アップサイクルの一環としては評価できるでしょう。
一部のコメントでは、ぬいぐるみには魂が宿るとしたり、個人的な思い入れがあるものとして扱われていることが強調されています。
また、ぬいぐるみの再活用方法として、より適切な形で表現するべきだという声や、透明な箱に詰め込まれたぬいぐるみの姿が不快に感じるという感想も多く寄せられています。
まとめ | ( 285987 ) 2025/04/25 07:51:07 0 00 =+=+=+=+=
こんな潰すような詰め方せずに、透明の箱型のベンチの中に可愛くぬいぐるみが並んでるとかなら可愛いんじゃないかな。それでもぬいぐるみの上に座るようで気にはなる人はいるだろうけど…
遊ばれなくなったぬいぐるみたちに次の役割をというならもう少し愛を感じる使い方にしてあげて欲しいなと思ってしまいました。
▲21806 ▼1272
=+=+=+=+=
子どもが2歳の頃から大切にしているぬいぐるみが、現在、ぬいぐるみの病院に入院中です。そんな子どもは、このぬいぐるみベンチは「かわいそう」と言っています。けれど、ぬいぐるみを「物」と思っているタイプの人は、きっとそんな思いは抱かないんでしょうね。 どちらがどう、と言う訳では無いけど、任天堂には意向を聞いた方が良かったと思う。任天堂にとっては「物」じゃなくて、大切なキャラクターなんだから。
▲1631 ▼168
=+=+=+=+=
どんなベンチだろうと思い写真を見てびっくりしました。自分にはちょっと理解できないものでした。そして座れるものではないとも思いましたし、どこからこのアイディアが出てきて、やろうということになったのか…。 退職して家の中の片付けを始めた時にたくさんあったぬいぐるみはゴミとして捨てる事はできず、人形供養していただきました。決して安い費用ではありませんでしたがホッとしました。どうしても離れたくないものは少しだけ手元にあります。お別れするときはきちんと供養していただこうと思っています。
▲2788 ▼247
=+=+=+=+=
人形供養の現場に関わっています。 家族や故人が大切にしていたぬいぐるみも多数納められます。 ゴミとして出す事が憚られる国民性を考えれば、それをギュウギュウに椅子の形に詰めて尻の下に敷くというのは、批判が出ても仕方ないと思います。
▲12341 ▼878
=+=+=+=+=
ぬいぐるみ好きとしてはこれはダメだろうと思いますが、特に思い入れのない人にはありなんですかね。 であれば企画段階でぬいぐるみ好きの人のチェックは入らなかったか、意見など聞かれず展示したと言う事ですよね。 炎上するかしないかのリスク管理せずに展示するのは脇が甘いというか。 SNSでもぬいぐるみは大人気で特にポケモンにはそれぞれの種類にファンがついているので、扱いは慎重になされた方がよかった。
▲374 ▼35
=+=+=+=+=
そもそもぬいぐるみを尻に敷くというのはあまりにも酷いと思う。 不用とはいえ愛着を持って使うものであり、魂が宿るとも考える人もいるものである。
いくら要らなくなった物と言っても踏みつけたり尻に敷くなどするものではないと思う。 リサイクルするなら中を出して使うとか不透明な物に入れ中が分からないようにするとか(それでもちょっと…だが) 万博という世界中に発信する所でするものではないなと思う。
▲5293 ▼573
=+=+=+=+=
ベンチ型のふとん圧縮袋に入れただけ、これは安易すぎるし、見た目も美しいとはならない。 アップサイクルは再利用ではあるが、新たな価値やデザインを加えるものです。 手仕事の手間は感じられないかな。
▲4079 ▼181
=+=+=+=+=
たぶんこれを考えた人や企画を通した企業は使われなくなったぬいぐるみを単なる物として考えたんだろうな…。 たしかにぬいぐるみを単なる物として考えたらクッション性は高いからぎゅうぎゅうに詰めればふかふかのソファになるとは思うよ。ただぬいぐるみを単なる物として考えるのは安易すぎる考えだと思う。これを見たキャラクターのファンや子供達の気持ちも考えた方が良かったのではと思う。
▲3808 ▼261
=+=+=+=+=
透明にした意味はどこにあるんだろう。 既製品のぬいぐるみは、同じものが生産されていて、使われてるぬいぐるみ自体は『もういらない』とされた個体なのかもしれないけど、今大事にしているぬいぐるみと同デザインのものが、いらないからギュウギュウにして尻に敷け。って使われてたら、気分悪い。 うちの下の子供が大事にしているぬいぐるみと同デザインのぬいぐるみが中には入ってたら、泣いて『出して上げて!』って怒るだろうと想像できる。
▲2729 ▼178
=+=+=+=+=
昔、「ザベストテン」で五木ひろしさんが 1位になったお祝いに好きな富士山のセットに五木ひろしさんが五木さんへのリクエストハガキが貼られた階段で昇ると言う演出があったんですが、、五木さんが「リクエストハガキを靴では踏めない」と言って 靴脱いで靴下姿で上がって言った事が有ったのを 思い出しました
▲2237 ▼64
=+=+=+=+=
ぬいぐるみをかわいがっていた人たちは悲しい思いをするでしょう。そういう思いをわからずに、なんでもかんでもSDGsに関連づけようとする今回の大阪万博。 十津川村の廃校を利用したパビリオンにしてもそうだと思う。ある番組で、卒業生が語っていた。きれいにリノベーションされたが、これはぼくたちの通っていた学校じゃない、と。そこに通っていた人たちの思いは、その地にあってこそ生き続けるものだと思う。 ぬいぐるみにせよ、廃校にせよ、それらを使っていた人たちの思いを理解しようとせずに、単なるモノとしてしか見られないのは悲しいことだ。
▲2991 ▼357
=+=+=+=+=
アップサイクルという言葉だけを追いかけ、物への愛情や感謝みたいな感情の部分を見落としてしまったのかもしれません。 ポケモン等に興味の無い人からすればぬいぐるみをクッションの代わりにした位にしか思わないかもしれませんが、ポケモンやぬいぐるみに何かしらの感情を持つ人からすれば、居た堪れない状態でしかないと思います。 技術や発想はもちろん、今の時代は環境負荷を含めたコストも大事なのですが、最後にはやっぱり人の心が伴っているかが大事だと思います。 大げさだと思う方も大勢いるのかもしれませんが、個人としてはこういう感情を持っている人が居た事に対して良かったと思えました。
▲1189 ▼87
=+=+=+=+=
本来のぬいぐるみベンチっぽいものを見たけど、ちゃんと椅子(ソファ?)の形をした透明のケースに、ぬいぐるみを丁寧に詰めてしっかり顔が分かるように配置されてました。 これを真似したのかな?にしてはあまりにもぬいぐるみに対する愛がなさすぎかと思いますが・・
▲994 ▼47
=+=+=+=+=
ぬいぐるみ椅子の画像をみて驚きました。 ぬいぐるみには、心を癒す力があります。 ギュウギュウに詰められたぬいぐるみの中に、想い出のぬいぐるみや、今も大切に持っているぬいぐるみと同じものが見えたとしたら、どんな気持になるでしょうか。 ましてや、その上に座るなど無理に決まっています。 ぬいぐるみ椅子は、止めてほしいと思います。 どなたの発想か提案かは分かりませんが、万博にはそぐわないと思います。 今回の大阪関西万博は、全体的に人に優しくない設定が多すぎるように思います。
▲1278 ▼167
=+=+=+=+=
ポケモンがどこの会社のキャラクターで その会社がスポンサーになってることに 何の配慮もないのか? 大阪万博って、なんか配慮に欠けている人たちが作っている印象が強いな 今でも人気のポケモンの、こんな姿を見せられたら子どもがどう感じるのかな? もうちょっと配慮すべき部分ってあったんじゃないの? やり方が、ちょっと間違えていると思ってしまう
▲1217 ▼119
=+=+=+=+=
ぬいぐるみには不思議な力がありますからね。 あの立川談志さんがぬいぐるみを持っていたくらいですから。 長年一緒の時間を過ごしたぬいぐるみには、その共にした人を通して魂が宿っているような気がしますね。
▲808 ▼102
=+=+=+=+=
まるで、季節外れの寝具を圧縮袋で圧縮したみたいですね。 これならキャラクターぬいぐるみでなくても良いと思います。 普通に安全マットを置けばよい。いつまでも慣れないのは、万博のマスコットのミャクミャクです。奇怪なイメージです。 ミャクミャクを詰め込み圧縮したら、イメージ下がるでしょう。 ぬいぐるみは子供の友達だと思います。可愛く飾って欲しいです。
▲361 ▼29
=+=+=+=+=
ぬいぐるみ大好き勢です。 こんなの、私の想像したぬいぐるみベンチではない。ぬいぐるみたちにも、ぬいぐるみを提供してくださった会社にも大変失礼。 もっといいやり方があると思うので(固い透明のケースに入ってもらうとか)、そこを考えてほしいです。あんなぎゅうぎゅうのポケモンたちの上に座れるわけないでしょう…
▲725 ▼65
=+=+=+=+=
ぬいぐるみも布と綿なので、クッション性のあるベンチの素材に使うという考え方は、アップサイクルっていうコンセプトにはいいかなと思います が、ぎゅうぎゅうに詰められて変形してしまっているぬいぐるみの姿が見えるのは、最終的に不要な物として出されたとはいえ、持ち主が好きで手にしたりした物だと思うので、あんまりいい気持ちにならないような気がします。 透明じゃなくて、隠れててもいい良さそうだと思います。
▲91 ▼13
=+=+=+=+=
こんなに圧縮されて苦しそうなポケモン達…胸が痛いですねー。
良し悪しはともかく感性ってホント人それぞれだと思う。 これを作るのに携わった人達はたまたま物に対しての情を持ち合わせていなかったという事でしょうね。
たまにゴミ置き場でも大きなぬいぐるみがゴミ袋に詰め込まれて無惨な姿になってるのを見るし、そういう事なんだなと理解しています。
▲209 ▼30
=+=+=+=+=
ぬいぐるみには大人でも命を感じてしまいますよね。ただの物ではないことに価値があるのです。我が子もぬいぐるみが好きで、ポケモンの3000円や5000円のぬいぐるみ、買ったことあります。中には10000円もするものもありますね。親としては、「高い…」とため息混じりですが、子供がそのぬいぐるみを大切に、自分の相棒のように遊んでる、大切にしてる姿を見ると、「まぁ、高いけど買ってよかった…」と思うのです。命を感じて遊べるおもちゃがぬいぐるみなんですよね。 なので、息子にはこのベンチは見せられない。何なら処刑場、断末魔のようで恐怖を与えてしまわないかと心配ですし、ぬいぐるみって粗雑に扱っても良いんだと思わせたくはないです。 このベンチ、誰も止める人いなかったのかと驚きます。
▲234 ▼37
=+=+=+=+=
アップサイクルって多少無駄があっても物を再利用して創造性を刺激したりして凄く良い事なんだけど、デビルマンのジンメンをマイルドにしたみてえなオブジェクトお出しされたら普通に引くよね リサイクル品としては単純に無駄作業なのもね 正直、ぬいぐるという人の感情と密接な関係にある性質を考えると良いリサイクルって難しいし、今までありがとうとお炊き上げして別の環境に良い事に時間費やす方が良いんじゃないか
▲66 ▼8
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どんなのかと思ったらこれは…。。 うちはプライズ系はとれないものとして殆どやらないけども、子供が大量のぬいぐるみと一緒に寝て、一人遊びに付き合って貰ってる子だから、ちょっと遊びに行こうかーってこのベンチがあったら、可哀想だから出してあげて。家に連れて帰ってあげようってなりそうだ。。 もうちょっと綺麗な使い方というか、なんか無かったのだろうか。透明にする面は後ろだけとか横だけとかにして、座面は見えないようにするとか。 ぬいぐるみに愛着ある人が見たら衝撃的なのは間違いない。
▲329 ▼25
=+=+=+=+=
これはぬいを『ただの物』だと認識してる人ができる所業。 趣味や価値観は人それぞれだが、使わなくなったからってこんな姿を見て心を痛める人もいる事を知って、公共?の場では止めて欲しい。 人によっては、ぬいぐるみは友達だったり、勇気をもらえる精神安定剤がわりだったりするから…。 持ってるだけでテンションあがったりね。 小さい頃はぬいに囲まれて生活してた身としては、こんなギュウギュウ詰めにされるだけならまだしも、【このイスに座ってね!】は辛すぎる。 勿体なくて捨てるよりは団体に寄付とかした結果、この様な姿にされてしまったのかもしれないけれど、せめて他人の目に触れる場では止めて頂きたいです。
▲668 ▼96
=+=+=+=+=
元々販売されていたゆめが丘ソラトスって去年の7月にオープンしたばかりじゃないですか!? もう十数年以上経過してボロボロになった個体ならまだしも、全然きれいな子たちばっかりって…中古市場に放出すれば需要はありそうなのに。 時々サラブレッドコレクションなどのプライズぬいぐるみを取っている身としては、もったいないし…キャラクターを椅子代わりにするのは心理的にきついですね。
▲417 ▼66
=+=+=+=+=
我が子の大好きなキャラクターのぬいぐるみもある。子は万博に行ってみたいと言っていたけど、これを見たらどう思うか…。いつも一緒におでかけして毎晩一緒に寝るぐらい大切にしてるのに。どういうつもりでこんなベンチを作ったのか…ぬいぐるみを大切に想う気持ちも、誰かの気持ちを想像する力も、センスもない人が作ったとしか思えない。
▲578 ▼61
=+=+=+=+=
このベンチはあくまでも「捨てられて廃棄処分されるぬいぐるみの活用方法」の提案なので、ぬいぐるみを「物」として考えていると思います ぬいぐるみを「魂が宿る」と考える人は供養するはずなので「物」として扱う事に批判していると思います ただ廃棄処分されてしまうと焼却処分されて灰になってしまうので、今回の活用方法はアリではあると思います 制作方法、形状は検討してなるべく多くの人が受け入れる形にブラッシュアップ出来ればいいとか思います
▲13 ▼3
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人形ってなかなか捨てられない。愛着あるものもないものも。やっぱりそれは、人や動物を模した物だから。圧縮してベンチにしてケツで踏もうとは思わない。形あるままでなんて。 せめて、解体して生地として、中綿は中綿として新たに椅子やソファに作り替えるのがそれこそ再利用ではないだろうか。圧縮して、プラスチックみたいな箱に押し込んだベンチなんか、再利用でも、3Rでもないと思う。ゴミを山のように積んでブルーシートや土で被せて山です。自然が出来上がりましたみたいな感じ。
▲27 ▼7
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いろいろな感覚の方がいらっしゃるので、感覚についてはどれが正しい、どれが正しくないという明確な線引きは難しいとは思いますが、 私はこれに座りたいとは思わないですし、不快感を感じます。炎上しているということは、不快感を示す方が多かったのでしょうね。
写真を拝見したところどの写真でもぬいぐるみは後ろ向きになっているようで背中側しか見えておらず顔が見えていないようですが、作った側にも何かある程度後ろめたい感じがあったんですかね。それとも権利か何かの問題でしょうか。
一時的とはいえ再利用すると言う点については良いとは思うのですが、もう少し何か良い使い道はなかったのでしょうか。
▲130 ▼19
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公の場で様々なモノを「単なるモノ」として扱うこと自体が「八百万の神」をひとつの文化・伝統としてきた日本にはそぐわないように思います。
特にぬいぐるみや人形・フィギュアのような「キャラクター性」の強いものや個人的な「思い入れ」の強いものとなると、古くからある「人形供養」に代表されるように「特別なもの」として扱われることもありますから、今回のような扱い方をされると「大切なものを粗末・乱雑に扱われた」と感じて強い抵抗を覚える人も多いと思います。
また「版権もの」の扱いとして法的な問題の有無が気になります。まぁ、問題はないのでしょうが、「版権もの」とわかる状態のままであのような扱いをすることは権利を有する会社・個人、デザイナーに対する敬意のなさが表れているように思います。
残念ながら「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマに反すると捉えられても仕方がないのではないでしょうか?
▲65 ▼7
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ぬいぐるみを擬人化しているほど大切にしている人も多いと思います。 「かわいそう」と思わせるような状況の写真ですね。 まあ、革鞄とかが動物虐待とも言われる時代ですから、これくらいいいじゃなかという意見もあるでしょうが、子供心に違和感を覚えることもあるでしょう。 不要なぬいぐるみはクッションとして使えるという持続可能性を表したいのかもしれませんね。
▲16 ▼11
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画像を拝見しましたが、むごい状態ですね。 ぬいぐるみって気持ちを和らげてくれるもので、それをアップサイクルって言葉でただ詰め込んだだけでベンチとは貧祖なアイデアであり、会議の時にこれは駄目だろうとなる提案ですよ。
できの悪い大学生の悪のりで作った、捨てるときのゴミ袋にしか見えない。
そもそも愛がない扱いを感じるから不快なのだ。
もし愛あるデザインなら数体のぬいぐるみを余裕をもたせた状態で、すわる背中に並んでいてくれたり、肘掛け部分に手を添えてくれるようなものなら有りかもしれないが、このベンチ制作した者、展示を許可した関係者の神経は鈍感過ぎないかな?
▲97 ▼16
=+=+=+=+=
あまり座りたいと思えないベンチですね。 自分は割とドライな性格だけど、それでもぬいぐるみを普通に捨てるのは気が引ける。埃まみれになったり場所を取るので管理も意外に面倒。だからよほど気に入らないと買わない。 親戚の子がUFOキャッチャーが趣味でたくさん取ってくるけど、そんなにやらせてどうするのかと呆れている。こちらに子どもができて、よくそのぬいぐるみをプレゼントしてくるようになったので、もういらないと断ったばかり。 本当に大事にできるお気に入りの子を数体、長くそばに置いておいて、最後は寺で供養すれば良いかなと思っている。
▲31 ▼4
=+=+=+=+=
これはアップサイクルと言うのか? ぬいぐるみを活かして作り直すならまだしも、ただの中綿として使っている。 もし、中綿として使うのであれば、見えないようにして、説明文だけで良かったのでは? ポケモンファンの方も多いだろうし、ぎゅうぎゅう詰めにされて、踏まれるのは悲しくなると思う。
▲33 ▼4
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某マンガで『犬の形をした肉』という印象的なセリフがあったのを思い出したけど"詰め物をしたただの布"みたいな感覚を持ち合わせていないとこの発想には至らないかなあ。人によって程度の差はあったとして少なくとも何人かが関わってこれが実現したのは少し驚き。ぬいぐるみ達が辿ってきた道を想像させないような工夫は必要だと思う。
▲72 ▼9
=+=+=+=+=
この形でやるならせめてキャラクターじゃないぬいぐるみを使っていたらここまで可哀想とは言われなかっただろうに。 モンスターボールとかキノコとかパンとか。
リサイクルならぬいぐるみの綿を抜いてソファ作るのでも良いわけで。 環境に優しいとかモノを大切にとかいう視点なら、同じぬいぐるみをずっと持ってたり、クリーニングや修理に出して大事にしてる人の方がずっと大切にしてるよね。
▲87 ▼21
=+=+=+=+=
いらなくなったぬいぐるみの再利用としては新しい活躍の場なのかもしれないけど、個人的にはあまり好きではないな。 全部なのかわからないけど、ほとんどのぬいぐるみが顔が見えないように入れられているように感じる。作った人や考えた人も「さすがに顔の上には座れない」と思ったのでは? プラスチックなりなんなりで座れる形を作って、その中に綺麗に並べるとまではいかなくてもアイデンティティを無くさないようなぎゅうぎゅう感で敷き詰めるんだったら、まだ愛せるかもしれない。
▲15 ▼7
=+=+=+=+=
日本には物には神が宿るとして、人形供養や針供養する文化が古くから行事として有り、人形をビニール袋に入れて座る人は居ないと思います。ぬいぐるみも人形も違いは無いと思いますし、万博のキャッチフレーズの命輝くとは少し掛け離れて見えます。
▲147 ▼15
=+=+=+=+=
いつからこんな発想を許す国になってしまったのか。人形には魂が宿ると言われ、記事内コメントにもあるように神社、寺での供養が一般的だと思っていた。人形に限らず、八百万の神々は様々な物に宿るとも聞いている。「もったいない」の言葉も物へのリスペクトあっての文化だと思う。 余談だが、自分はこの記事を見て、トイストーリー3を中心とした幾つかの作品を思い出して悲しい気持ちになった。
▲0 ▼2
=+=+=+=+=
大量生産大量消費の世界のいく末と思います。 多くは焼却処分となるのでしょうが、リユースの一つの手段というか、提案なんでしょう。 しかしこの形は受け入れられない人が多いようですね。 今後は透けて見えない形にして、単なる緩衝材として製品を構成するようにして、抵抗感を無くすことも考えられますね。
ぬいぐるみに限った話ではなく、命の宿る生き物ですら大量に殺処分されるのが現実の日本。 安易に手に入れれば、手放すことも抵抗感がないのでしょうか。
余程思い入れがあるもの以外は、最初から手に入れない、安易に消費しないというのも、大切なことだと思います。
▲5 ▼6
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個人的には好きなセンスではありませんが、良くも悪くも大阪万博らしいセンスですね。斬新さや話題性を重視した結果、見た目や感情面での受け取り方が分かれる展示になったと感じます。遊ばれなくなったぬいぐるみをアップサイクルするという発想自体は面白いし、サステナブルな取り組みとしては評価できますが、「ぎゅうぎゅうに詰め込まれた」見た目がどうしても悲壮感を与えてしまうのは否めません。思い出や愛着のあるキャラクターたちが無造作に扱われているように見えることで、見る人の感情を逆なでしてしまったのだと思います。アイデアの方向性は良いだけに、もう少し見せ方を工夫してほしかったです。
▲12 ▼13
=+=+=+=+=
サステナブルの名のもとに、思い出が押し込められてしまった――そんな印象を受けた人は少なくないでしょう。
「ぬいぐるみに新たな価値を」とうたうワイドレジャー社の展示ですが、ビニール越しにぎゅうぎゅう詰めにされた姿は、どこか“処分寸前の倉庫”を連想させてしまいます。しかもその中には愛されキャラのポケモンまで。
創業50年の老舗企業が発信するには、あまりに想像力が足りない気がしました。持続可能性とは、素材だけでなく、感情にも配慮すること。アップサイクルが人の心を置き去りにしてしまっては本末転倒です。
廃棄を減らす取り組みこそ、ぬくもりを忘れない形で実現してほしい。モノの再利用ではなく、「記憶」の再活用こそが、次の時代のデザインではないでしょうか。
▲46 ▼9
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「ぬいぐるみベンチ」というワードを見て、透明の箱型ベンチにぬいぐるみを入れて飾ってあるのかな?というイメージだったのですが、どんなものか調べてびっくり。 流石にこれは引きました。柔らかそうで座り心地は悪くないかもですが、ちょっと可哀想すぎて座れないですね。再利用するならせめて綿だけとか、元がぬいぐるみだって分からないようにしてほしいかも。
▲35 ▼10
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リユースという概念においては悪くはないとは思う。 いちいち中身を取り出して詰め替えるよりも、そのまま包んでクッションにした方が簡単だしコストもかからない。
問題点は透明だった事。 万博側としたら「こういう方法で再利用しています」と伝える為に透明にしたのだろうけど、基本的には愛でる対象のぬいぐるみを、見た目が地獄のような状態にしてしまった。 しかも国民だけでなく世界規模で人気の作品のキャラクターをぎゅうぎゅう詰めにしてお尻の下に敷くという行為はファンからしたら許せないものかもしれない。
とは言え、個人的な見方でしかないけどミャクミャクという見た目のキャラクターを万博キャラクターとして登場させる運営チームだから感覚が一般的な人と少しずれてる可能性も否めないかもしれない。
▲1 ▼2
=+=+=+=+=
別に良いと思う。突っ込むとするとアイデアとして安直すぎる所と 中のぬいぐるみが特定されないように後ろ向きに詰め込まれている所。 自分らでやってんのに後ろめたさが見えてダサかった。 二次的に利用して作品を作るならそこに至るダイナミズムが必要だし失礼。 アップサイクルという観点からいえば生まれ変わる事が期待されるが 後ろ向きに詰め込むことによってキャラクターの情念のようなものがそこに残るとも捉えられる。
▲17 ▼18
=+=+=+=+=
写真見る前、なんとなくの想像でいっぱいのぬいぐるみの中に人が座って写真を撮るスポットなのかな〜なんて思ってたら全然想像と違った ほんとにぬいぐるみを押し付けた椅子だった
ご家庭でぬいぐるみを扱うのって飾るのが一番いいだろうけど、確かにプラスチックケースに仕舞うこともある。けどあくまで仕舞うだけで、見せびらかすような仕舞い方ではない。
これはもう見てもらう前提で作ってあるものだからタチが悪い……隙間なく入れ過ぎだし……… 椅子とかいう次元の話じゃなくて、そもそもこういう風にして展示するのがおかしすぎる
▲14 ▼3
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ぬいぐるみは「命が宿る」と言われるように、モノであってモノではないと捉える人が多いのも事実だと思います。 モノを捨てずにリサイクルすることは大切だと思いますが、取り扱いに気をつけなければと思います。
▲10 ▼5
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私はぬいぐるみに何も感じないのだが、子供達が一緒に寝たりあちこちに連れて行ったり、ご飯を食べさせたりお風呂に入れたり(洗濯)しているのを見ると、とてもこの子たちを簡単には捨てられないな。と感じます。 ましてや、顔を伏せられてもシルエットで何のキャラかわかるし、余計に座れない。
少し前に話題になったマックのハッピーセットのカービィのぬいぐるみを、今でも大切にし枕元に置いてあります。時々出かけてます。
あの時の話題性を考えれば、プラスチックのおもちゃと同類に考えてはいけないと思います。
▲60 ▼16
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ぬいぐるみってね、やっぱりただのモノより感情移入してしまうんですよ。 子供達にぬいぐるみのリサイクルなんて踏んづけても気にしないような価値観が育つ方が、結局ぬいぐるみテラピーの意識が無くなってよくないし。ぬいぐるみを大事にしているお子さんにはグロテスクにしか映りませんよね。
ただトイスペースに並べてあげるだけじゃダメだったんでしょうか? ただの布と綿だというなら、もっといくらでも違うモノがあったんじゃないかな。 ぬいぐるみ好きとしては、可哀想になってしまいました…
万博はトイレもそうだけど、こういうのが多いですね、あまり人の気持ちがわかってないというか… 時代なんでしょうかね。
▲27 ▼11
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アップサイクルの考えはいいと思う。 ただ今回のやり方は、どんな物にも魂が宿るって言う考え方を持つ日本人には受け入れられないやり方だったと思う。 せめて人形供養して形が残らない方法で、例えば木材チップとぬいぐるみ素材を圧縮した素材のベンチ作るとか、やり方は色々あったはずなのに、一番考えずに済む簡単な方法取ってしまった事。 これじゃ誰もリサイクルの考えに賛同しないよ。
▲8 ▼0
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初日に万博行ってこの椅子を実際に利用しました。
知られている通り初日は雨が酷く、風も強い日でした。 当該施設は限られた自由に入れる施設で、雨宿り場所になっていたこともあり、皆さん考える暇もなくといった形でこの椅子を利用していました。 正直利用直前にこの椅子がぬいぐるみで作られていることに気づいた時、炎上するだろうなぁとは感じていました。 私は自身の所有物でないぬいぐるみに感情移入できないし、椅子として置かれているのだしと思って使いました。 しかし、基本的にキャラクターの顔が見えない作りになっているとはいえ、子どもが来ることを考えると道徳的には良くない作品だと感じています。
他の方の言う通り、別にぬいぐるみでなくてもいいし、ぬいぐるみを使うにしても他の方法が考えられたと思います。 利点としては表面が布では無いので掃除がしやすいくらいのことだと思います。 座り心地はそんなに良くないです。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
正直これは価値感の問題だなという気もするので難しいですね。
まず思ったのはキレイなぬいぐるみだなと思いました。
自分が持ってたぬいぐるみは、汚れで黒くなっちゃって、色んな所が取れても、自分できったない裁縫して直してたから結構ボロボロだったな。(小学生の時に実家のワンコに綿にされるまでは持ってた)
そう考えると、量もあるしキレイだから家に飾ったりする用か集めるのが目的だったりするのかな。(いろんなところから持ち寄ったものだろうけど) そういう人は愛着あるのかは分からないし、今回のこれがどういう経緯で集められたのか分からないけど、処分に困ってって感じで提供したとかもあるんだろうから、捨てられるよりはマシとも思える。 ただ、1つ1つを大切にしてる人なら、悲しい気持ちにはなるだろうし、こうやって問題に上がるのも分かる。
▲11 ▼3
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なんだか、随所に見る感性を疑うような仕様は、これは日本人のセンスじゃないですよね。まる見えトイレの件と言い、巨石の屋根と言い、日本人ならそんなこと絶対しないんんじゃないか、というようなのが散見されます。維新主導ですし、こうした細部の仕事もかの国に回されているのでしょうか。
日本人なら、たとえ使い終わったぬいぐるみでも、そんな粗末には扱わない心があると思います。
▲694 ▼163
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他のキャラクターと混ぜこぜに詰め込まれたのでは、許諾すると安易には言えないでしょうね。 色合いを活かせたらとか思ったかもしれないけれど、キャラクターの色味って調合されたものなので後ろ向きでも逆さまでも見分けられそうですね。
私も母、オバ、自分の人形やもらいものを含めて人形供養に出しました。 昔、宜保愛子さんがテレビ番組で人形、ぬいぐるみを捨てるとき顔が分からないように紙で包んで捨てて下さいって言ってましたね。 和紙が無くても白い模造紙とかでも良いみたいでした。 ぬいぐるみは元々がフワフワの化繊綿だと思うので 圧縮しないことには椅子には相応しくないかもしれません。 人形の中に埋もれてみたとかYouTuberが好きそうですが一般人はサムネだけってわけじゃないし、足腰が弱い人もいる想定で圧縮加工してミャクミャク色の濃い色のカバーをかければ良かったと思います。
▲1 ▼3
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まさにいのちが輝いてますね。 現実の動物などを模した素朴なぬいぐるみなら、自体的に価値があってそれ相応の需要に基づいた作製、という神話に憩えました(それでも後々の処分に困るほど過剰だったに違いないけれど)。つまり一応は私たちがきちんと彼らを愛せることになっていました。 しかしキャラクターぬいぐるみ化の場合には、その実体化した存在がもたらす宣伝効果も期待されるために、ぬいぐるみそれ自体として愛される許容をはるかに超えてグロテスクに増殖しがちになり、アップサイクルなどと言い始め果てにぬいぐるみベンチへ行きつく地獄かと思います。 その瞬間、架空存在の精神性やそれらの加速度的に増殖するいのちの付与にまつわる深淵が突如として口を開いて、私たちを捉えてしまっていることに気づくのです。ぬいぐるみベンチは、本質への回帰や愛情に関する態度を決定せよと一刻の猶予も許さず過酷なまでに私たちを追求してくるのです。
▲7 ▼50
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犬や猫だって今や家族のように大事にする人が多い時代なのだから、思い入れのある人形がこんな扱いされて気持ち良い人なんていないと思う。これだと色と形で普通にキャラが分かってしまうし。。それならもっと、カビゴンとかハクリューとかを1人掛けソファもしくは繋げて2人掛けのソファに変えるとかの方が抱っこされているような気持ちになるし座りたくなるなぁ♪ 小さい人形は手すりや頭の部分にくくりつけたり 透明パイプとかに入れて囲まれているようにして造作すれば、SNS映えもするし、子供や外国人で喜ぶ人多いんじゃない?
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ぬいぐるみ大量にあるけど、捨てるのも忍びなくて段ボールにまとめて寄付したりしてます。まだ箱に詰め込んでるのもあるけど、さすがにこの状態で尻の下に敷くのは抵抗ある・・・。普通に並べてあげて欲しい。
▲45 ▼11
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ベンチ=お尻に敷くものなのが良くなかったのかな。 それに加えて元が判別できる状態のぎゅうぎゅう詰め。 再利用自体は良い考えだと思うけど、こんなゴミ処理施設みたいに嫌な圧縮のされ方してたらいい気分しない人も多いよね...
もう少し余裕のある詰め方で巨大ぬいぐるみ作るとか、使うものじゃなくて見るものにすれば良かったんじゃないかな。
▲68 ▼7
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まぁ、アップサイクルいうなら分解くらいしてデザインすればよかったんだろうけど、可哀想っていうのはまだこのわりと綺麗なぬいぐるみが棄てられてほとんどが燃えるゴミになってる状況じゃないだろうか。
プライズとか大量に作られたり、買われたりしては棄てられてく消耗品になってることをこのちょっとグロテスクな見た目で引いてる人は考えてるのかな。
これ現代アート作品でした~って言ったら見方変わると思う。
▲8 ▼11
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これに関してブースに説明書きがあるか知りませんが再利用すること自体はただ捨てられるよりずっと良いことだと思います。ただ見せ方に関しては様々な方面に配慮が必要になってくると思います。例えば中が見えない様な外装にするとかぬいぐるみを粉砕して原型が分からない様な状態にして中に詰めるとかしたうえで、『このベンチは・・・』みたいな説明書きがあれば炎上もしなかったのではないかと思います。 リサイクル品は見せ方が重要だとは思います。『コレがアレに!?』みたいな意外性を持たせたい場合も多いかと思うので、今回の様な見せ方になったのではないかと思います。しかし、アイディアが良くても配慮が足りないとアイディア自体が否定されてしまうので、見せ方には十分な配慮をしたうえで、世に送り出してもらえればと思います。 私もぬいぐるみ好きなので見たときは複雑な心境になりました。
▲6 ▼5
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僕は伝統文化に関わる仕事をしています。 人形供養の他にも針供養や扇子供養など、また大事に長く使われた物に魂が宿るなどありますね。 僕が扱う道具の中には、先代が戦時中に疎開先に運んで空襲による焼失を免れた道具が多々あります。 ヌイグルミではありませんが、座布団など表面の布がボロボロになったら、中綿を取り出して打直して新たな座布団に入れていました。でも、これは手間がかかります。 これらの手間代を費用を出せますか? 物を処分や再利用するにもお金が必要なのです。外国人は惜しみなくお金を出します。日本人は口先ばかり綺麗事ばかり並べて、手もお金も出さない人が増えましたね。 ヌイグルミが大事でしたら、ヌイグルミ供養や再利用の事業を立ち上げたら如何ですか? ぬいぐるみベンチ、良いと思いますよ。
▲15 ▼22
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我が国では、森羅万象に魂が宿るという考えがある。 だから、人形供養だったり針供養だったりそれ自体は「物」ではあるのだが畏敬の念と感謝の念を現す。 長年使った物を粗末にすると、付喪神に(笑)
付喪神(つくもがみ)とは、日本に伝わる民俗信仰で、古道具や器物に宿るとされる神霊や妖怪です。100年使い続けた道具には魂が宿り、人の心を惑わせるという考えがあります。
ぞんざいに扱うと罰が当たるとか、化けて出るとか 日本昔ばなしに沢山ありますよね(笑) これはこれで日本の文化ですから(笑)
▲45 ▼10
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前に少し炎上した、有名人の方が言うことを聞かない子供のゲーム機を壊したとの事で、賛否両論になった話題を思い出しました。
記事を見ただけだと、別にいいのでは?と思いましたが、皆さんのコメントを見ると考えさせられる部分もありました。
色々な考えや思想があることを許容できる社会になるといいですね。
▲7 ▼4
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これをアップサイクルという感覚がおかしいんじゃない。世の中にはぬいぐるみ、特に有名キャラクターの高価なものなど買えない子供たちもいるはず。多少汚れてるとか、ほつれてるものでも欲しい子どももいるのでは?そういった子供にわたったほうがよほどリサイクルとして有意義とおもう。使われないからぎゅうぎゅうに透明袋に詰め込んで、ハイ、ベンチです!なんて安易すぎる。子供たちに夢を与える企業と自称するなら、汚れを取ったり、修繕してほしい子どもに提供するぐらいの発想はなかったものかね?
▲24 ▼6
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うちはあんまり悲壮感は感じなくて、ポケモン好きな子が多かったんかなぁ。 というイメージだね。
これらを可哀想と思うほど、小さな頃からおもちゃを大事にしてる人はどれくらいいるのだろう?
子供の頃の移ろいやすさが描かれている、『トイストーリー』を見て、心打たれた人たちは今も物を大事にしてるのだろうか?
その場状況を見て可哀想と思う人たちは、その気持ちを糧にその後をどう過ごすのか見てみたい。 ただ言えるのはそのほとんどの人たちは、その場だけの感情のみだという行動しかしない。
▲48 ▼62
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これ、シートを一枚つけて、中は元ぬいぐるみです、って感じで説明をつけたらよかったんだろうな。でも、自分はこれ見てクレーム出すのはおかしいと思う。こんなにきれいなぬいぐるみが捨てられてるんだよ、だから自分の買ったぬいぐるみは大切にしようね、ってある意味ショック療法ではあるけど、薫陶をもらった気持ち。自分が死んだら当然ゴミにはなるんだろうけど、自分がかかわった物たちを大切にして無駄に買わないようにしたいなと思う。子どもは、新しいものを欲しがるけど、最後はこうなるんだよかわいそうでしょう、ずっと大事にできる?って考えてものを買うように伝えたいな
▲21 ▼16
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万博には色々なにかとマイナスイメージたがる気がします。私は普通に可愛いと思うし、映え!を狙ったかもしれませんが。2億円トイレとか石の休憩場所とか小学生無料招待の安全性とか言われてたけど、皆さん普通に休憩場所使用してたし21日なんて小学生から高校生までワンサカ来てて過去2番目の最高人数更新してましたよ。2億円トイレも全てのトイレを合わせての話で並ばないくらい凄い数のトイレありました。良いこともあるはずなのになぁ〜万国博覧会の意味!各国のパビリオンは凄いです!
▲9 ▼39
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ぬいぐるみ好きとしてこれは辛い。 まずぬいぐるみを踏みつける、潰すみたいな行為を好きな人は絶対やらない。 ソファにするにはそれなりにぎゅうぎゅうに詰め込んでると思いますが、 このぎゅうぎゅうな状態もかわいそう。
このぬいぐるみがどういう経緯でここにあるのかわかりませんが、 手放した人にとってはそれぞれ大切にしていた思い出があるのでは。
どうしても手放さないといけないものは、 下手な業者に渡らないようにきちんとお寺さんとかの人形供養に出そうと思う。
▲5 ▼7
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何年も倉庫に眠ってた木材とか使ってサスティナブル~とか謳ってるけど、仕入れ原価とかどういう扱いにしてるのかな?おそらく新品を新規発注するよりも高価な設定で国に買わせてたりしそう。 IR事業が決まるとここも参入してくるのでは?メダルゲームとかの日本式のゲーセン機器をカジノに置く話とか絶対あるでしょ。イオンともつながり強そうだし、イオン創業者一族の議員もいるし、いろいろつながってそうだなーと思うと、不祥事でてきてもあんまりびっくりさせられないね。。
▲21 ▼7
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これは酷い。ぬいぐるみの大切さや、大事に思っている人の気持ちが全く分かっていない。これを企画した人や承諾した人は、どういう性格の人なのか人間性を疑ってしまう。。万博が掲げるコンセプトの本質などにも反している気すらしてきますが。。 そもそもリサイクルという観点では0点でないでしょうか?木材などの廃材を割りばしにリサイクルさせる、こういうことであれば非常に理にかなっています。しかし、ぬいぐるみをこのような形でベンチにリサイクルすることに、意味があるのでしょうか?価値すら無くなった本当の意味でのゴミが、ベンチに生まれ変わるというのなら、ものすごく意味のあるものであると思うのですが。 ただただ、ぬいぐるみがかわいそうでしかないのですが。。
▲14 ▼13
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八百万の神と言いますか、物には魂が宿るから大切にの精神が日本人にはあるからなぁ。リサイクルと言えど、雑な詰め方をされているぬいぐるみを見て悲しい気持ちになる人は多そうですね。 ただのぬいぐるみと言えばそれまでですが、愛を感じない詰め込み方だよね。
飾り方次第で絶対可愛くなったろうに、勿体無い。
▲9 ▼1
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大量廃棄は知らないから批判しない、これは一応廃棄よりも良いと考える人もいるリサイクルだけど批判する、だとちょっと一方的な気もする。だけど、、、これはこっちまで息苦しくなる。リサイクルって、どうにかすればイイというものではなく、その先に便利さや喜びがないと持続可能じゃないね。
▲17 ▼3
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ぬいぐるみの可愛さをここ数十年味わっているから言うのですが、ぬいぐるみって癒しや遊び相手をしてくれるものであって、座る椅子では無いのです。子供にも悪影響です!!!速攻この圧縮したぬいぐるみの可哀想な姿を撤去してください。天井に吊るしたり、展示にしたり、リユースして販売とかしたりする方が、世の中の為でもあります。
▲9 ▼6
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昔子供がぬいぐるみを振り回していたので、そんな事したら可哀想でしょうと叱った事があります。家でお尻で踏んでいたらそれも注意すると思います。人それぞれ思いはあるでしょうがもう少し違う形でベンチにしてほしかったですね。少し慈しむ心がないなと思いました。
▲19 ▼5
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これは、「物には魂が宿る」という日本人の精神性から来る違和感、嫌悪感だろう。リサイクルという視点で考えならむしろ機械で裁断して元の形が分からないようにして、それをクッションやソファーにしたら良かっただろうが、万博的にはインパクトが欲しいという考え方、つまりバズりたい、目立ちたいといったところで、おそらくは他意は無いと思う。これを思いついた人は芸術家肌だと思う。凡人は得てして突飛なアイデアの芸術に対して違和感や嫌悪感を抱くものだよ。
▲0 ▼1
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ぬいぐるみに何の感情も持ってない人だっていますし、価値観の違いを非難するのは間違っているような気がします。
法律的には廃棄された時点でその人の所有権はなくなるので、この業者がぬいぐるみをどう使おうが問題ないはず。
あと嫌な人は座らなければいいだけなのに、ネットにさらしてわざわざ問題にすることもどうなのと思う。
▲14 ▼13
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付喪神や思いが籠って‥というのも有るが、人形は魂が無く彷徨う者には器が無いから、魂が欲しい物と器が欲しい物で引き寄せ合い・・・ってのも有る。 まして日本は神道というアニミズムが有り、野辺の石にも神宿るという感覚が染みついているから、こういうのを気にする人はとても多いと思う。
不特定多数が出入りする場所への子供用の丸見えトイレ設置しかり、物を大切にしない展示しかり、今回の万博は多くの日本人の感性からは、かなりズレている印象がある。
▲46 ▼7
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家族が業者に渡した時点で「何かに使ってもらえたら」と思ってるわけだし 外野がとやかく言う事でもない。
ただ使わなくなったぬいぐるみをどのように使うか伝えていたのなら。ですけど。 例えば「貧しい国の子たちにあげる」と言いながらこういう使い方したら 大切な思い出を譲ったつもりだった人も悲しいよね。
でもひとつ言っておきたい。 私は中年だが、子供の頃から捨てずにいたぬいぐるみを 今もかわいがるなんてことはしないのだが、でも捨てられない。 若い頃にUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみでさえも たいして思い出もなくても10年20年と持ったままにしていると、捨てられないんだよ。 つぶらな瞳で見つめられるとさ。
ぬいぐるみの供養した上で、綿として使うならアリ。そのままの形なら見せない配慮が必要。 地球環境に良いことしてます!とアピールしたい気持ちが強くて 人の心に無頓着過ぎましたね。
▲9 ▼4
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いろいろなセンスの無さを感じる。 ぬいぐるみをベンチ(人が座るもの)にしようとする発想。 するにしても、もっとぬいぐるみの良さ(愛らしさ、ふわふわ感など)を感じるような使い方・デザインではなく、ビニールに押し込むというもの。
採用までのプロセスで誰からも指摘が無かったのか実施まで進んだことには、組織機能的にも機械的で万博という性格・主旨への理解にも乏しいように思うし、時間やコストなどで無理な押し付けのような背景なども想像する。
しなくても良いことまで無理にすることで、余計な躓きばかりしている印象。 並ばないというのも不用意な誇張をしたがためにネガティブなものになったりなど。
センスが無いように感じる。
▲2 ▼0
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まぁ、リサイクル手法として賛同する意見もチラホラあるし、後ろ向きに詰めているところも批判の懸念に対する配慮をしているし、これは色々ちゃんと考えて挑戦したもので、その結果失敗してしまったといったところだろう。 結果的に失敗だったけど、その挑戦した姿勢については評価に値するかと。
▲2 ▼4
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大きめなぬいぐるみを枕や足置きにするのでわからないでもないが、見た目に驚く。 これがさ貧困の場所で寝床も不衛生で土埃上がるようなところに置いてあったら、まだ良いのでは? あとは災害で硬い床しかない、とか。 恵まれた環境で置いても、求められてはいないかな。それよりも世間では踏まれてギュウギュウにされて「可哀想」が勝ってしまうんだと思う。
▲2 ▼4
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ぬいぐるみのベンチですか
これに座りたい人がいるのでしょうか? この企画を考えた人は何を意図しているのか?
写真を見ると外側から見えているのはぬいぐるみの背中側 権利の問題の対策? 背中側が比較的平らだからか
子供が最初にもらったぬいぐるみは 触られる機会が多い分 ぼろぼろになりやすい でも持ち主の沢山の愛を受け止めた結果
ぬいぐるみの活かし方として 車の中や部屋の窓側で外に見せる人 ベッドの周りに置く人 それぞれに大事にしてます
うちでは 母が亡くなったあとも 母を見守ってくれたぬいぐるみたちは 母のためのコーナーのそばで ずっと大切にしてます
布団圧縮袋に入れて椅子にしてください 捨てるよりはいいですよ という提案??
気分のよいものではないです
▲45 ▼13
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再利用の趣旨と意味合いが違うよな。
使われなくなった、捨てられてしまったぬいぐるみ達をこんな形で再度表舞台に立ってもらいました。って、見た目もよく実用性もあって、その高い次元のバランスを求めてこその万博だと思うがな。
圧縮袋にギュウギュウ詰めしてベンチにしましたって。それって高い次元か?
再利用の意味合いをよく考えることだな
▲17 ▼4
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遊ばなくなった縫いぐるみの有効利用というが、それぞれのキャラクターの顔が表に出ないようにわざわざ背中向けで詰め込んでいるということは、顔が表に見える状態でソファにするのはあまりに痛々しく抵抗があると作った側も分かっていたのだ。それを裏向けに詰め込めば持続可能な廃物利用として通用すると考えた発想の貧しさに驚くし、よけいに寒々としたものを感じる。
▲3 ▼5
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「使われなくなった資材」と同等なのだろう。 良く言えば不要な物体の活用、直球で言えば廃棄されてもおかしくない利用済みの産業品を別の形状にして再利用するというそれはまさにエコである。 それで、当然違和感を覚える人もいるだろう。人形は神社や寺などで供養するという風習があるように、命あるものを模ったモノの扱いは特別である。対してこちらの社は物体にすぎぬという目線なのだろう。法的には法に違反せぬ限りで所有者がどう使おうが他人にどうこう言われる筋合いも無いわけだが。 言いたい事は唯一つだ、「それでいいの?」
▲5 ▼3
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アップサイクルという考え方は否定しませんが、ぬいぐるみやそのキャラクターが好きな人からしたら今回のはアップサイクルとは感じられなかったんでしょうね。姿をそのまま使用せずに全く別の形にアップサイクルすれば今回のような炎上にはつながらなかったのかもね。。。 使用されなくなったぬいぐるみを糸のレベルまで分解?もしくは溶液か何かで溶かして再び糸を生成したり・・・。技術的には可能なように感じるけど費用面や他に何かそこまでやれなかった理由があるのかな?
▲4 ▼3
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リサイクルは非常にお金と労力かかる。 だから一部の自治体は高火力でCO2の排出が少なくなる工夫をして、ビニール、ペットボトルも燃やす。その方が燃焼効果が高いし分別の手間も省ける。 ぬいぐるみも素材がまちまちだし、分別して洗浄、乾燥、繊維になるまで戻し再形成だと、一から作るのと変わらないかそれ以上になる。 だからと言ってぎゅうぎゅうに詰めて、しかも透明で囲ったベンチにするという発想。。。 人の形、動物や何かの形にしたものを押しつぶしたものに座る。 万博には似つかわしくない所業だと思います。
▲18 ▼6
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ぬいぐるみが潰されて可哀想だと取るか、ぬいぐるみでもなんでもいずれはリサイクルされて別製品に生まれ変わるんだよっていう教育要素として受け取るかは人それぞれだけど、キャラのファン達や子供たちにとっては教育要素として素直に受け取るには少しキツすぎたのではと思う。 ぬいぐるみを背に向ける配慮があるのはいいけど、もう少し例えば思い切って粉砕して綿にしてから詰めるとかしてすし詰め感を抑えられたりはしないのかな、と思う。
▲9 ▼5
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大阪万博行けないので、何とも言えない、良く解らないのですが、人により、考え方の相違によるモノとも感じられますね!使わなく利用されなく、遊ばなくなったぬいぐるみを又別の再利用の一環なら、どうでしょう?ゴミ処理場で、焼却処分されるよりは、又会場の来場のお客様に見てもらえらば、多くのぬいぐるみも、本望では?閉園後は、何方かもらって再利用して貰えればよろしいかと想いました、
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自宅に飾ってあるぬいぐるみに 何かの拍子にひじ鉄をくらわせてしまったとか、 床に落としてしまった等あった時は 反射的に「ごめんよー」って言ったり、 言葉は出さなくても申し訳ない気持ちになったりする。 ぎゅうぎゅうに詰め込んで、その上に座るなどとても考えられない。 ベンチにされてしまったぬいぐるみは今後どうなるのでしょうか。
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