( 288811 ) 2025/05/06 05:59:39 0 00 日本人の給料が上がらないのは「上昇志向」が足りないからか(イラスト/井川泰年)
2025年の春闘賃上げ率は昨年同様、高水準を維持した。一方、中小企業に目を向けると、大企業ほどのベースアップはまだ難しいという声も聞こえてくる。「大企業の収奪的なシステムに問題がある」との指摘もあるが、経営コンサルタントの大前研一氏は、それは「筋が違う」と断じる。いま給料が安いと嘆いている人に向けて、大前氏が提言する。
* * * このところ、日本人の給料が安いのは日本企業、とくに大企業の収奪的なシステムに問題があるとの言説が散見される。労働生産性は上がっているのに賃金は上がっていないという指摘である。
しかし、この議論は「木を見て森を見ず」だ。労働生産性は企業の従業員1人あたりの付加価値であり、国内で生み出されたモノやサービスの付加価値の総額がGDP(国内総生産)だが、日本の1人あたり名目GDP(USドル換算)は1990年代からほぼ横ばいだ。つまり、国民全体の労働生産性は上がっていないわけで、それゆえ賃金も上がらないのである。
実際、日本生産性本部によると、2023年の日本の時間当たり労働生産性は56.8ドル(5379円)でOECD(経済協力開発機構)加盟38か国中29位、1人あたり労働生産性は9万2663ドル(877万円)で同32位でしかない。労働生産性が低いままだから、G7(主要先進7か国)の名目賃金は日本の“1人負け”だ。1991~2020年の30年間に欧米6か国は2~3倍になっているのに、日本は1割ほどしか伸びていないのである。
たしかに、昨年度の「労働分配率(企業が生み出した付加価値に占める人件費の割合)」は大企業が34.7%、中小企業が66.2%だった。大企業は内部留保も莫大で賃上げ余力があるのに、それをAI(人工知能)やDX(デジタルトランスフォーメーション)などで活用して労働生産性を向上できていない経営陣の怠慢・無策は問題だろう。
だが、それをもって収奪的と批判し、賃上げして利益を吐き出せ、下請け・外注に還元せよなどと言うのは筋が違う。
2025年春闘の平均賃上げ率は5.46%で、1991年以来34年ぶりの高水準になったが、それは政府が企業に「賃上げしろ」と号令をかけたからである。しかし、政府が賃上げ圧力をかけるというのは全体主義社会だ。資本主義社会では、賃上げをするかどうかは各企業が自由に判断すればよいのである。
一方、従業員が給料に不満であれば、自分の能力を高く買ってくれる他の企業に転職すればよい。
たとえば、ファクトリー・オートメーション(FA)総合メーカーのキーエンスは業績も収益も伸び続け、平均年収は2067万円(平均年齢35.2歳/2024年3月期)。上場企業の中でもトップクラスの高給だ。他の国なら誰も彼もが、こぞってキーエンスに応募するだろう。
私はキーエンスが高業績・高収益を持続している理由を20年余り研究しているが、その結果わかったのは「当たり前のことを徹底している」ということだ。
たとえば、上司は個々の営業マンに明日はどの顧客を回るのかを聞き、そこで提案する内容を演習させる。そして当日帰社すると、顧客の反応について詳細な報告を受けて助言する。だからキーエンスは誰でも努力すれば売り上げが伸び、必然的に給料も高くなるのだ。
そこまで執念深い営業活動をしている会社を、私は寡聞にして知らない。なぜ他の企業はキーエンスに学ばないのか、なぜ今の会社の給料が安いと思っている人たちがキーエンスに転職しないのか、不思議である。
海外では高い給料を求めて転職するのが当たり前だ。ところが、日本人は飼い慣らされた犬のように今いる会社でじっとしている。
実は、日本ほど業種、業界、会社、地域による給与格差が大きい国はない。ならば自分のスキルを磨き、より給料が高い業種、業界、会社、地域に移っていくべきだろう。しかし、多くの人は現状に甘んじている。つまり、日本人の給料が上がらない理由は「上昇志向」が足りないからなのだ。
かつての日本人は違った。“坂の上の雲”を目指した明治維新前後、あるいは1950年代後半~1970年代前半の高度経済成長を牽引した人たちは非常に上昇志向が強かった。
たとえば、パナソニック創業者の松下幸之助さん、本田技研工業創業者の本田宗一郎さん、オムロン創業者の立石一真さん、ヤマハ第4代・6代社長でヤマハ発動機創業者の川上源一さん……彼らは大学を出ていなくても、英語ができなくても、狭い日本を飛び出して果敢に世界で勝負した。
ところが、今は「子供に将来就いてほしい職業」を親に聞くと、ビズヒッツの調査では1位が公務員、2位がエンジニア・プログラマー、3位がスポーツ選手、AZWAYの調査では1位が会社員、2位が公務員、3位が薬剤師だ。
一方、そんな親に育てられている小中高生の「憧れの人」は、第一生命の調査によれば1位が大谷翔平選手、2位がお父さん、3位がお母さんである。大谷選手はともかく、憧れの人が父親や母親というのは、あまりにも夢がない。親も子も自分の“分際”を決め、生活が安定してさえいれば御の字と考えているのだろう。
こうした日本人の国民性は「偏差値教育」の弊害にほかならない。一般的に偏差値の高い生徒が有名校に進学し、大手企業や役所に就職しているため、社会人になってから、ある種の“粘り”や“上昇意欲”が失われてしまうのである。
日本人は謙虚さが美徳とされるが、明治維新前後や戦後は従来の秩序が破壊され、それが国を動かす大きな力になった。現在の日本の閉塞的な状況を打ち破るためには、偏差値のような人為的なものを排除し、人間の能力(そして給料)は努力によって引き上げられるという社会通念の普及に力を入れるべきなのだ。
それは企業の努力でいくらでも可能である。私がマッキンゼーにいた頃は、入社後は毎年20%ずつクビにするという厳しい条件を提示し、それを受け入れた人だけ採用していた。つまり、入社5年後に生き残れる確率は20%だったのである。
ただし在職中は、クビになっても他社で活躍できるだけのトレーニングを徹底的に行なった。さらに、2~5年で辞める人には転職先探しのために4~10か月は従来通りの給料を払い、オフィスの机と椅子も名刺もそのまま使える仕組みにしていた。だから、マッキンゼー出身者は転職しても高給を得ているケースが多いのだ。
重ねて言うが、いま給料が安いと嘆いている日本人は、自社のシステムのせいにするのではなく、他社に高く買ってもらえるスキルを身につけ、自力で高い給料を掴み取る努力をすべきである。そういう意志を持たなければ、豊かな人生は決して手に入らないだろう。
【プロフィール】 大前研一(おおまえ・けんいち)/1943年生まれ。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長、本社ディレクター等を経て、1994年退社。ビジネス・ブレークスルー(BBT)を創業し、現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長などを務める。最新刊『日本の論点2025-26』(プレジデント社)、『新版 第4の波』(小学館新書)など著書多数。
※週刊ポスト2025年5月9・16日号
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