( 290742 ) 2025/05/13 07:30:50 2 00 コアラ1100匹を射殺 山火事で「安楽死」、手法に批判も オーストラリア南東部時事通信 5/12(月) 6:40 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/ece3185a3982ebcb56549cc53f094c8fed438018 |
( 290745 ) 2025/05/13 07:30:50 0 00 オーストラリア東部ブリスベン中心部近くで木に登るコアラの親子=2024年12月(AFP時事)
【シドニー時事】オーストラリア南東部のビクトリア州当局は3~4月に、山火事で生存が難しくなった野生のコアラ約1100匹をヘリコプターから射殺した。
不要な苦痛を和らげるための「安楽死」だと主張している。これに対し、動物保護団体などは「残酷な手法」と批判し、適切だったかどうか調査を求めている。
同州のブジビム国立公園では3月上旬に山火事が起き、約2200ヘクタールが焼失。被災域の多くのコアラがやけどを負ったり、餌のユーカリ不足で飢えたりした。州当局は「生存の可能性は低く、苦痛を和らげる安楽死が必要だ」と判断し、4月下旬まで射殺を続けた。ヘリの使用は「山が険しく、徒歩移動が難しかったため」と説明している。
一方、複数の動物保護団体は「残忍な方法で、決定過程が不透明」として第三者委員会による調査を要求。これに名を連ねた団体「動物のための人道世界」は「射殺の規模や正当性に深刻な懸念がある」と指摘する。また、動物保護活動家のクレア・スミス氏は民放9ニュースで「ヘリからコアラの状態を正確に見極められるのか」と疑問を呈し、「二度と繰り返してはならない」と訴えた。
同州当局によると、州内のコアラ生息数は約46万匹と推定されている。同州では絶滅危惧種に指定されていないが、この数十年間に森林伐採が進み、生育環境が厳しくなったと専門家らは指摘している。
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( 290746 ) 2025/05/13 07:30:50 0 00 =+=+=+=+=
野生の動物なら野生らしく自然に任せて個々のコアラ達に任せていいじゃないかと思います。それまでコアラも辛いかもしれないですが現状受け止めて日々覚悟すると思います。 大量の飢え死状態なるかもですが、中には奇跡起こすコアラ達もいる。火事の被害あったコアラ達は射殺されるまで必死にできる限り生きていた。
コアラではないですが、外に逃げたコザクラインコも台風被害、野生の鳥に襲われて足など骨折で身体がボロボロな状態の瀕死を一ヶ月。骨折部分をテーピングしてかすかな流動食状態で少しずつ回復傾向で3ヶ月。あれから5年経ちましたが、今は元気いっぱいです。
▲1618 ▼116
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クジラが1頭殺されただけで、あれだけ他国に対して「野蛮」だって抗議していたよね。 そんな人たちがコアラ1100匹の命をまるで物のように処分できるのが信じられない。 オーストラリアの人たちの考える動物ごとの命の価値の違いがどこにあるのかはちょっと理解できないな。だけど、これだけ批判されているんだから、自分たちのダブルスタンダードのおかしさや、他人の価値観を良く考えもせず「野蛮」と決めつけることのほうが野蛮であることに気付いて欲しいとは思う。
▲43241 ▼1718
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不健康な個体を放置すると、そこから疫病が蔓延するというのが本当のところなのではないでしょうか。 疫病が発生するたびに家禽や家畜を大量処分している日本から非難する話でもないように思います。
ただその方法を含めて決定プロセスが明確に説明できていないのは問題で、様々な方面から対策が求められそうです。
▲117 ▼194
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コアラたちは野生の生き物だから、どうすればよかったのだろう? 火の中水の中、て日本にはそんな言葉があるけれど、誰がが助けに行って被害があれば、ソレはもっと非難されるだろうし。 同じ命ではあるけれど、自然の中と人工的な環境で生きていくのとは又隔たりがあるのは当たり前だろうし。 自然を勝ち抜いてきた個体たちだから、強いものはもしかして生き残ったかもしれないが、みるに堪えないというのもまた人の気持ちだろう。 何が正解かわからないが、指針は必要だろうな。とくに自然火災が起こる可能性が高い地域はなおさらだ。
▲31 ▼6
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火傷で苦しんで死ぬのも、飢えて死ぬのも野生なので仕方ない事。 自然相手なので、それをどうする事も出来なかった事(救援出来なかった事)は責められる事ではない。 射殺というのは「じわじわ死んでいくよりも…」という判断なのでしょうが、じわじわ死んでいくのが今回の自然の摂理なのだとしたら、そうするべき。 じわじわ…が可哀想というのは理解出来るが、人間が野生の動物世界に手を加えるべきではない。 放っておくべきだったでしょう。
野生であれば火事もあるし天敵もいる。 射殺よりもっと残酷で痛ましい死に方もあるでしょうが、それは仕方のない事。
▲246 ▼15
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安楽死は字の如く安らかに楽に死ぬ? 銃撃で遠くから撃たれて安楽死など出来るわけないね。 中には即死ではなく何時間も苦しんで死んだコアラも居たはず。 この射殺と言う方法を提案し、決定し、実行した人達が動物愛護の精神を疑ってしまう。 そもそも森林火災の原因はコアラにある訳ではない。 全てが人類の責任だ。 全く横暴な行いだと思う。
▲15207 ▼665
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最近の人は、「しょうがない」と文章でよく書きますが、違和感があります。 「しょうがない」は本来、口語的で感情を含んだ表現です。文章で頻繁に使われると、軽すぎたり投げやりに見えたりして、場面によっては違和感を覚えるのが自然です。特に論理的・客観的な文脈では、不釣り合いに感じられることがあります。 他にもあると思いますが、現代の教育では、口語と文語の厳密な区別はあまり重視されていないようです。特にインターネットやSNSの普及以降、「書き言葉=会話に近い表現」になりつつあり、文章でも話し言葉の感覚が自然と使われる傾向があります。作文指導も形式より「伝わること」を重視する流れが強く、文体の切り替えや場面に応じた言葉遣いの訓練が不足しているようです。
▲4 ▼57
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野生動物なので死んでしまうのは仕方ないにしても、それをヘリコプターから射殺する必要性があったとは思えません。干ばつなどの天災による動物の大量死はたまにありますが、わざわざ安楽死した事例がどれほどあったでしょう。 最初に報じられてから結構な時間が経ってますが、何でこんな手法が承認されたのか未だに不透明なまま。予算が付いた経緯といい、お題目以外の目的が他にありそうな気がしてきます。
▲12589 ▼728
=+=+=+=+=
もう火事で助けられないと言う理由で、一斉に機銃掃射のような感じでコアラに向かって撃ったのでしょうか?
まぁ、助からない可能性が高いとは言え、わざわざ一斉機銃掃射のようなことをする必要がわからないし、意味もわかりません。
苦痛が続かないようにって言う意味になるのかとは思いますけども、それにしてもやらなくて、助かる命もひょっとしたらあったのかもしれません。
残念ですね。オーストラリアは動物保護に関してはもっと先進的な国だと思っていました。他国の捕鯨にわいわい言う前に、もう少し考えたほうがいいんじゃないかと思います。
▲5960 ▼198
=+=+=+=+=
鬼畜の所業だと思います。 最低です。
人間に置き換えても、 家周辺が家事になった難民を上空から撃ち殺すことは、しないはず。
なぜコアラだと許されたのか、 全くもって理解できません。
自然界のものは自然においておく、 人間とは比べ物にならない生命力、生き抜く力を彼らは持っていると思います。
命を、人の身勝手さで故意に終わらせるのはおかしいと思います。
▲5935 ▼355
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職場でこのニュース読んで泣いてしまった。以前のニュースで山火事で救助されたコアラが差し出されたペットボトルの水をまるで人間のように両手でペットボトルをつかみ飲んでいる姿を思い出しました。自然災害で死んでしまうのは、可哀想だけどなにもヘリコプターまで飛ばして撃ち殺すことはない。自力で逃げて助かるコアラもいたかも知れない。
▲3586 ▼231
=+=+=+=+=
自然動物をわざわざ撃ち殺す必要はあるのだろうか? 焼け死ぬのは苦痛がそれなりにあり、かわいそうだと思う。 射殺とあるが一発だけで、苦痛は生じないのだろうか? そんなに射撃が上手いのか、いろいろとわからないニュースだなぁ。
▲2861 ▼106
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基本的に動物愛護については思うところもありますが、今回のやり方はあまりに残忍だなと感じました。山火事の為とはいえ、何の罪もないコアラたちを人間の都合で撃っていくやり方が果たして「安楽死」と言えるのか。おそらく撃たれて苦しみながら亡くなったコアラだっているはずです。 命の重みは同じはず。オーストラリアは以前から極端な思考のある国だとは感じてましたが、それがより確信に変わりました。
▲1830 ▼73
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ユーカリは山火事に遭って高温に晒されることで繁殖する植物で、それを食物にするコアラがユーカリ葉が無くなって餓死するのは自然の流れ。人間目線でかわいそうとかおこがましいな。 飢餓を耐え抜くのがわずかな個体でも、それらが子孫を残すことで飢餓に強い性質のコアラの多様性が生まれ、進化もして行くわけで。
▲1100 ▼34
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山火事が原因の火傷やユーカリ不足で死んでいくのと、人為的にヘリから射殺されるのとでは同じ死でもその意味合いが全然違います。 もし私がコアラさんだったら、人間に射殺されるなんて絶対に嫌です。 自然災害の山火事が原因で死ぬのならまだ諦めがつきます。 人間の勝手な判断で望んでもいない「安楽死」を強いられたコアラさんたちのご冥福をお祈りいたします。
▲925 ▼75
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オーストラリアは幾つもの生物種を人間の活動で絶滅させてきた歴史があり、それを反省して生物保護に熱心なお国柄でもあります。
特にコアラはオーストラリア固有の有袋類動物の代表的な存在であり、長年保護活動が続けられてきましたが、保護が手厚すぎたために個体数が管理しきれないほど増加し、ユーカリの葉を食べ尽くした群れが集団ごと餓死するなど保護のあり方が議論されてきました。
近年オーストラリアでは大規模な山火事が相次ぎ、コアラの生息地である森が大量に焼失するなど再び絶滅が危惧されるようになり、その流れで起きた今回の銃による大量安楽死措置は大きな非難を浴びました。
また、コアラ保護は農業利権を厳しく制限するものでもあるためしばしば政局化し、時の政権に影響を与え続けてきました。前回総選挙では山火事が大量のコアラの命を奪ったことが与党批判に繋がり、政権交代の決め手になったとも言われています。
▲388 ▼18
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銃で撃たれる事が安楽死とは言えない 即死するとは限らない 逆に苦しみ抜く事になるかも知れないのです。 それに1100匹の内、うまく生き延びる事が出来たコアラもいたかも知れません あまり知られていないがコアラは緊急時には素早い動きをします
銃で撃たれるより煙を吸って意識を失い死んだ方が安楽死だと言う方もおられます いずれにせよコアラが苦しまない様にとの思いで銃で撃ったのだろうが、余計な事だったのかも知れません。 自然に摂理に任せた方が良いと思います。 洞穴を見つけて生き延びる場合もあるのですから
▲462 ▼29
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以前にも大規模な火災で動物が被害にあった事例がありました。その際に動物保護団体は指針を示しておくべきだったかと思います。 政府としては火災の中保護に行くことは困難で、そのまま焼けるのを待つか今回のようにするかの選択になるのはしょうがないように思います。 次こそは今回のような悲しい結末にならず適切に行動できるよう、動物保護団体には政府へ指針を示しておいて欲しいと思います。
▲1035 ▼296
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つい先週、新婚旅行でケアンズに行きコアラを抱っこさせてもらった。非常に愛くるしく、こんな生き物が野生にいるなんて、心癒される光景なんだろうと思っていた。 その時、野生の個体数も減っているから将来的に抱っこできなくなるかもしれないと聞いたが、この件でさらに拍車がかかったのではないか。 心を痛めるニュースです。
▲434 ▼33
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コアラの頭を一撃で撃ち抜くことが出来たなら目的は達成と言っていいかもな。 ヘリから木の上にいるコアラの頭を1100回分、必中で撃ち抜くことなんて不可能だと思うけどね。 オーストラリア当局にはそんな不可能を可能にする射撃の達人がいるんだね!すごいね!
▲846 ▼84
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鳥インフルエンザが判明し、ある厩舎や小屋で飼育していた鶏らを処分せねばならないというとき、 その担当者のほとんどがその後体調不良を訴えたということでした。 本件でも精神的ダメージがかなり強い出来事であろうと思えます。 処分方法について批判はあるのは当然ですが、それはそれとして。 不本意な殺処分をせねばならなかった担当者のみなさんの精神的ケアは充分に施すべきだと思います。
▲268 ▼68
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なんでこんなことしたんだろうね。 データは無いけど、普通に考えたら自然要因などで不遇な最期を迎える動物が圧倒的多数だと思う。 火に巻かれて長く苦しんで可哀想と言う気持ち自体は否定するものでもないけど、わざわざ手間を掛けて射殺しに行くなら、その労力を生き延びる可能性がある動物の保護に向かわせたほうが良いんじゃないかな。
▲209 ▼9
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荒っぽいやり方です。 被災したり、餓えたりの困難はあるとしても、山火事と射撃のダブルパンチで… 僅かであっても生き延びるチャンスを得たかもしれない個体も、殲滅作戦ですね。 「安楽死」という言葉は使わないでほしいです。 コアラたちも、山火事の中、懸命に生き延びようとしていたと思います。そんな中、上空から、「自分たちを的にして狙ってくる殺戮者」……動物愛護とか、コアラの保護とか、そんな言葉は使わないでほしいです。 何とか山火事から逃げようとしているところを…一縷の望みに賭けるのは、人間も動物も生き物として同じだと思います。 言葉は話せなくとも、無念さは分かります。
▲50 ▼4
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普段、あまりコメントを書くことはあまりしないのですが、このニュースをを見て、やるせない気持ちで、今このコメントを書いてます。 必死で生きようと逃げている命を、助からないからって、何故コアラ達は人間に撃ち殺されなければならないのでしょうか? もし、これが人間だったら、もう助けられないと思ったら、可哀想だから殺しますか? この行為は安楽死なんかじゃない 最後まで諦めずに生き延びる事を祈り励ますことはできたと思います。 もしかしたら生き延びたかもしれない命をあえて葬り去る必要は無かった。
▲193 ▼10
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安楽死を選択せざるを得ない気持ちも理解できるが、動物保護団体がコアラを救助救済するトリアージ期間を設定する必要があるのではないだろうか。どちらも動物を思う優しさが根底にあれば、歩み寄りで助けることも我慢することもできるだろう。何より、山火事を発生させないことと初期消火に迅速かつ全力を尽くすことが重要である。爆風で一時的に真空状態を作り火勢を抑えて冷却する方法も検討検証して貰いたい。
▲22 ▼19
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コアラの数はここ20年間で3割減少してると言われています。今回の山火事によって重度の火傷などで生存する確率が低い、生存環境が破壊されたと事が理由みたいですねが、オスとメスが軽傷同士だった場合、子孫は残す事は出来たのではないでしょうか?ヘリから射撃したみたいですが、中には元気なコアラも居たかもしれませんよね。色々と考えさせられる出来事です。
▲28 ▼1
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日本で多発した山火事と違い、海外では干ばつで自然発生する場合もあるようだから、その火事で動物が死に至ってしまうのは自然の摂理として致し方ないと思う。それを安楽死という人間の勝手な解釈で行うのは不適切だと思う。もしかしたら生き残れた個体がいたかもしれないのに、その命を人間の考えで奪ってしまうのは、人間が神様にでもなったつもりなのだろうか。だったら他の動物も安楽死にするのか?山火事で逃げ場を失った人間も、同じように安楽死という手段をとるのか。正直、もう少し考えたうえでとるべき行動だったとしか思えない。
▲3 ▼0
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生き残る見込みのない個体を、上空のヘリからどうやって判別するのでしょうか? 射殺されなければ死なずに済んだコアラもいたかもしれません。
山火事に巻かれて苦しみながら死んでいくコアラは可哀想ですが、 あえて射殺などせずに、自然に任せて見守るべきだと思います。
▲132 ▼6
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オーストラリアで山火事が多く発生する原因は、コアラの主食でもあるユーカリの木です。 アルコールが多く含まれ、燃えやすい為です。
豪で長く生活をしてきましたが、このことは国内でも大きな問題として騒がれております。 他国の食文化である捕鯨に関しては大きく取り上げ騒ぎますが、自国のこの行動は愚行以外の何物でもありません。
2019-2020年の大規模山火事の際には、それこそ多くの固有の動植物が被害に遭いましたが、その際は可能な限り救出をした形でした。
仮に救命の可能性が無いとしても、火災の原因が自然なものであるならば、その自然の摂理に任せるべきであり、安楽死の為の射殺などあってはならない行動です。 動物の命を物としてしか見ていない証拠であり、決して許されるものではありません。
それが火傷を負った人間にでも同じことをされますか? 大好きな第二の故郷のこの行動には大きくショックを受けました。
▲65 ▼10
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今回の決断は、2019年の山火事での経験からだと思うが胸が痛い。前回は多くのコアラや野生動物が助けられたが、火傷が酷く結局苦しみながら死んでいった動物があまりに多かった。射殺しなければならなかった人達も楽しんでやったわけではないはずだから国は彼らのケアもしてほしい。
▲20 ▼6
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個人的には複雑な思いである。自然災害により致命的な火傷を負い、治療できずに苦しんで死ぬ。ユーカリの本数が少なくなり飢えて死ぬ。殺さずともいずれ死ぬが苦しんで死ぬ。それが自然と言えば自然。しかし、欧米の人には、無用の苦しみより一瞬の死を、と考える。それはペットに対しても同じ考えを持つ。どちらが良いのか、親しみのある動物だけになかなか判断がつかない。
この価値観の違いは衝撃的だが、過去に「高齢者は集団自決を」の話しが出た時に、ネットでは同意を示す発言も多く炎上した。考えれば今回のコアラと根本的に何が違うのか。コアラは自然災害が元で、高齢者は加齢が元で、それぞれが生命的に労苦を感じる。コアラはダメで人間は良し、なのか。
▲6 ▼1
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自分以外の命に対する捉え方には各人ごとに、各ケースごとに違いができるのでしょう
例えば飼っている猫と知らない人が飼っている猫、集団でいる地域猫とか 例えばその人の家族や友人、近所の人、知らない人、学校や職場の人たち、自分の街に住む人たち
捻くれた考え方ですが、明らかに自分の命が狙われているわけではない人でも、ふとしたきっかけで集団の中で命が危ぶまれることがないとも言えないのでは…社会の何を信じることができるのか
帯状疱疹ウイルス感染が頭によぎりました
▲2 ▼4
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山で生きるコアラにとっては不足の事態である山火事で命を落とすことになったり苦痛を感じても、それは自然の摂理であると思う。 安楽死させるにしてもヘリから撃ったのならろくに状態確認もしなかった可能性が高いし、もしかたら運良く生き残る個体もいたのでは。 そういった可能性を考慮して、射殺に予算を出すのではなくその後の保護に当てることはできなかったんだろうか。 今回の件、可哀想だとかいうよりも命を救うことに万策を尽くす前に機械的に人間が撃ったというのが問題だと思う。
▲4 ▼0
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非常に痛ましい事件です。自然の摂理に従う現象であれば理解できます。しかし、人が介入するのであれば、せめて火事の延焼を止めるとか、コアラを救い出すとか、違った対応方法もあったと思います。朝から心が苦しくなります。2度とこのような判断をしてほしくない。
▲76 ▼7
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コアラって本来食べれるようなものではないユーカリの消化作業にリソース取られて動きめちゃくちゃ緩慢だって言うもんね… 火の周りから逃げられる訳がない 山火事になった時点でコアラにとってはもう死が待ってるようなもの 山火事の原因は自然発生的なものだろうか 日本でも野焼きやゴミ焼きなどから山火事になった話も多かった 本当に火の元には気をつけて頂きたい
▲2 ▼0
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コアラって動物に対するオーストラリア人の感覚ってどんなものなんだろう。日本ではもちろん野生にいるものではないし、動物園で人気のある愛らしく珍しい生き物、っていう感覚が一般的だと思う。いくら大規模な山火事があっても、生き残る可能性もある場面で、機銃掃射してその集団を全滅に追いやっても別にまあ仕方ないだろ、とか、他にもいっぱいいるし、まあ仕方ない、程度のものなのか? 動物保護団体とかじゃなくて、一般の市民の反応が知りたい。
▲24 ▼0
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銃に馴染んでいる社会でなければそもそもこういうことをしようという発想はないだろう。近年オーストラリアでは銃規制が行われているというが、日本などに比べたらまだまだ銃は身近な存在だ。 銃社会肯定派は、悪いのは銃ではなくそれを使う人間だと言うが、銃が人を唆すということもある。当たり前のことだが、持っていなければ射殺はできないのだから。
▲12 ▼1
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対象地域はコアラの生息密度が高く、いずれ食糧不足や水不足で死ぬことが確定していているんだから、火傷などで弱った個体を安楽死されるのは動物愛護の観点からは正しいと言える。 ただ、その権限が人間にあるの?と問われると、そこには大きな疑問がある。
さらに言うと、鯨も増えているんだから同じ理屈で頭数調整していいんじゃないの?どこが違うの?って疑問も湧いてくる。 鯨に関しては、サーファーなどを小型鯨類と見間違えてサメに襲われる被害も出ているとの報道もある。
ダブルスタンダードで、自己中心的で利己的な行動に思える。
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オーストラリアで動物保護に携わられている方のXでのポストによると、 ・広大なエリアのコアラを迅速に処置する必要があった ・100%ではないが、双眼鏡などにより各コアラの状態を専門家が見極めたうえで、射撃を要請した ・処置に携わった多くは普段からコアラの保護・保全を行っている専門家。最善だったと考えている という内容だったと記憶しています。 もっとも、これも書き込み内容を裏付けを取ったわけではないですが。 だからこそ、報道が取り上げるならこのような処置に至った背景をしっかりと取材してもらいたいです。 報道大手には、それだけの組織力と行動力があると思っていますので。
▲57 ▼27
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山火事で死ぬなら仕方ないけど無理やり射殺する必要はないのでは?焼け死ぬかもしれないし怪我ややけどを負いながら生き残るかもしれない。それは自然の摂理だろう…助けられないとしても見殺しとは言えないからそれなら普通は批判はされない。動物愛護団体は助けなかったと批判するとしても射殺よりは批判はしないだろう…
山火事になったら毎回野生動物を殺す訳でもないのに何故コアラがその対象になるのか理解できない。本当に安楽な死に方なのか分からない。
▲29 ▼0
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山火事を生き抜いたものの身体中の火傷で食べ物のユーカリも自分で取りに行けないまま、傷も癒えないまま大火傷を抱えて絶命するまでの長い時間放置されるのもなかなかの苦痛だと思います。 いわゆる孤独死みたいなもんですね。そりゃ防げるものなら防ぎたいし助けてやりたいですよね。しかし現実は皆さんやっぱり自分の生活でやっとですからね。生命は皆生まれたらいつか死にます。野生動物というのはそもそも厳しい世界ですからね。 そもそもオーストラリアの自然災害に対して野生のコアラというのは基本ユーカリしか食べないし自分で逃げたりもできない全く適応できていない生物なんでしょうね。
▲7 ▼17
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あまり例のない案件で、良いとか悪いとか簡単に言えることではないと思う。 単純に「苦しむのが可哀想だから安楽死」というのは何かこの話の状況下での理由としてどうもそぐわないように思う。 エキスパートが「ペットの安楽死」という言葉を出しているが、野生のコアラと「ペット」はまったく違った存在だ。 「可哀想」という感情は不自然なものではないが、野生動物を「安楽死」させる義務は行政にはないだろう。 もちろん「安楽死」といって普通に我々が考える手段に「銃殺」は含まれないが、これはアメリカやオーストラリアのような広大かつ、ときに凶暴な自然を相手に暮らしている人々の感覚をわれわれが知らないだけかもしれない。 「安楽死」という概念自体が人間にしかないものであるから、これを動物に適用することの是非もまたどう判断して良いか基準に乏しい。 短絡的に「自分の気持ち」で賛成したり非難したりすることは避けたい。
▲0 ▼3
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少なくなったユーカリの木で生存可能な規模まで生息数を減らす必要があり、それを食糧難による餓死で調整するか、人為的駆除で調整するかの二者択一だ。餓死を選択すると1100匹以上の頭数が飢えに苦しんだ末に、やせ衰えて死んでいくか、生き残るかになる。やせ衰えたコアラの映像が出回ったらそれはそれで大変なバッシングになるだろう。 当局には丁寧な説明が求められるな
▲3 ▼1
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銃での射殺はかわいそう。炎の中で焼け苦しんで死ぬのもかわいそう。意思決定の場にいなかった私にはどちらが正しいか分かりませんが、のちの批判を避けるためには火事だから仕方ないということで何もしない方(焼け死ぬ)を選ぶかもしれません。そうなると、火だるまになって苦しんでいるコアラを競って撮影しようとするメディアが出るでしょうね。リーダーが意思決定に時間がかかり、迷う理由の多くはその決定への賛成より、どれだけ批判が来るかを考えるからだと聞いたことがあります。
▲14 ▼0
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もしこれが猿だとして、食べる物も住処もなくなったとしたら人里に降りてくるしかなくなる。
それは困ると思う。
コアラがユーカリしか食べないなら餓死するだろうが、ほかの物は全く食べないのだろうか?
保護してどうにか出来る規模でも無いと思うし、どうしたらよかったのだろう。
毒を混ぜた餌を撒いてまわるのも残忍だし、どうしたらいいのだろう。
山火事を防ぐしかないよ。
▲0 ▼1
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確かオーストラリアの観光用のコアラは1日数時間の観光客への抱っこ業務をやったら次の日はお休みさせるくらいの国だし(これは昨年テレビで見た)、以前の山火事の時に助け出されるコアラがたくさんいたからまさかこんな手段に出るとは思わなかった。山火事は人間が関わらなくてもどうしても起こることだから、それに巻き込まれて命を落としてしまうコアラもたくさんいるだろうけど、射殺されたコアラの中には火傷も負わず生き延びていた個体がいたかもしれないのに。山火事の鎮静には全力を尽くしても今回コアラの命まで手を出す必要はなかったよ。
▲33 ▼4
=+=+=+=+=
「命そのものに価値がある」という宗教的な立場に立つか、「苦痛や恐怖から逃れることや幸福を感じることに価値がある。命そのものは問題ではない。」と考えるかで若干スタンスに違いが出そう。
日本人は前者の立場が圧倒的に多そう。
どちらにしても、射殺が本当に安楽死と言えるのか、火あぶりよりはマシなのか、そもそもそれ程の数のコアラが死ぬ蓋然性があったのか、人間が余計なコストを払ってまで自然に干渉すべきなのかといった現象は必要だろうな。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
オーストラリアの山火事はユーカリが原因だったりもするんだよね。 ユーカリは言うまでもなくコアラの唯一の食糧ではあるがユーカリの葉は発火を引き起こす成分を放出し、それが原因で山火事になる。 この発火現象はユーカリの種を繁栄させる方法でもあるので人が関与する前から繰り替えしてたことで、今回の発火がユーカリが原因か不明ではあるものの、わざわざ安楽死を選択する必要があったのか疑問ではあるね。
▲35 ▼5
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餓死は衰弱死なので死に方としてはラクな方。銃殺は「ヘリからの高度で撃つ」んじゃ、心臓や脳を射抜けているワケがなく… 重症を負って死まで何時間〜何日も痛く苦しい思いをするのが目に見えるんですがね? さらには死に損ねて、傷害を負ったまま年単位で苦しい生活を送る個体も出るのでは?
全くの自然状態であっても北米やオーストラリアは山火事が起こるところであり、植物もそのことを見込んだ生態になっています。その植物に頼って生きる動物の増減も自然の流れなのであり、人手での調節なぞ不遜なことです。日本人にくらべたら、ハッキリした宗教信心を持っている方が多いと思うのですが、神の手に任せる発想は無いんですかね?
▲33 ▼5
=+=+=+=+=
10年くらい前だったか、山火事から火傷して助け出されたコアラ、普段水飲まないで食物から水分取るそうだけど、何だか喉乾いてそうな仕草。救助隊員がペットボトルの水差し出したら、瓶手にとってゴクゴク、という写真が配信されたことがあった。 でもこのコアラ、後日安楽死、、、合掌 火傷は手当てできる程度だけど、コアラには一種の性病というような病気があり、これ見つかると安楽死、、、 このニュース覚えてるので、コアラを火事の苦痛から、、、だけでない事情があるはず。
人間も同じことやってる。ソ連のアフガニスタン侵攻中、ソ連兵がアフガニスタン民兵の捕虜になると救出部隊差し向け、捕虜諸共殲滅、、、捕虜はとんでもない方法でじっくりなぶり殺しにされるから、救出不可能だと「苦痛からの救出」をやった、、、 日本陸軍の戦陣訓、えらく評判悪いけど、日清戦争以来の日本兵捕虜の受けた扱いを思えば、、、
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
絶滅危惧種なのに生息可能域現象で安楽死させるのは明らかに選択がおかしい。 積極的に絶滅させようとしているとしか思えない。
射殺するよりも動物園への譲渡を検討したらいいのに。 ちょうどパンダの居なくなった和歌山のアドベンチャーワールドもあるし 観光の目玉にもなりそうだし喜びそう。
▲4 ▼1
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山火事後に安楽死と言う名の射殺をするの理解に苦しむな。充分なユーカリがなくて餓死する個体がいてもそれは自然の摂理で仕方ないと思うが、わざわざ撃ち殺す必要はないかと。餓死の方が苦しい時間が長いかもしれないけど、より強い個体が生き残るわけで。 まだ森林保全のため〜とかいう名目ならそうなのかもと思えたかもしれない
▲3 ▼0
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火傷をしたとは言っても程度は様々。瀕死のものも、治癒可能なものも、入り交じっていたはず。距離があって揺れる上空のヘリから、それを視認だけで確実にトリアージできたとは考えにくい。 エサになる木が焼けたため飢餓に陥る危険性が高いと言うが、生き延びるものがゼロとは決めつけられない。 人間の尊大さを見せつけられたような気持ちになったし、捕鯨への反応との矛盾を感じざるを得ない。
▲3 ▼0
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積極的な保護に賛成している人が多いが、、 それで我々にも危害が加わるようになったら、どう思うのだろうか、、、 いま、騒いでいるクマだって個体数が減れば保護保護って騒ぐけど、それで増えすぎてさらに危害を加えるようになって殺される人が増えたら、、、 ある程度の保護は必要だと思うが、積極的な保護には反対です
▲4 ▼0
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昔オーストラリアの観光地ではない州にいた時に、友人の家の庭にコアラいました。 日本でいう住宅街の木が多い庭がある家でした。 私は海辺に住んでいましたが、近所のバス停の2本だけ生えている木にコアラいたという話も聞きました。 コアラって意外とこんなところまで移動するんだ…と驚いて印象的でした。 専門家が判断したのだとは思いますが、いざとなったら移動したコアラも数頭くらいいなかったのかなたとか考えてしまいます。
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全くもって「余計なお世話」だ。火事が自然発火によるものか人間のミスによるものかは知らないが、どちらにしても、太古より山火事の脅威にさらされてコアラは生存してきたのであり、現在においてもその渦中に曝された野生動物達は、生き延びるものなら生き延びるし、そうでないなら命を落とす。それだけのことである。 絶滅危惧種を保護しようという人間の理性・知性はいったん良しとするにしても、人間に許されるのは、「自らの生存を脅かすもの」を排除したり、「食料にするため狩猟・採取」をすることだけである。しかも、最低限の範囲内に収めるよう努めなくてはならない。飼育・養殖したり、農産物を育てたりするのも同様だ。 もちろん綺麗ごとだけでは済まされないが、綺麗ごとを大前提・大原則とした上で、「富を得るため」「文化の繁栄のため」にどこまで許されるのかを常に考えていく必要がある。野生動物の安楽死など余計なお世話でしかない。
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よく指摘して下さいました。 結局、人は自分の価値判断以外のものは受け付けないのですね。 それを壊すのが多様性(ダイバーシティー)の考え方だと思います。 鯨にしろ、コアラにしろ、人がその命を奪うことは同じです。 鯨は批判するのに、コアラは仕方ない、では済まされません。 この点を理解することが大切だと思います。
▲15 ▼2
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行動を起こして批判されることは当然です。 山火事でコアラが苦しんでいても。その現場は見えてないので。行動された方は批判を受けることを承知で行動されたと感じました。 答えがでません。それよりも山火事の予防策を考えたいと感じました。
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一神教文化圏の発想という感じ。人間は獣ではなく神の眷属という独特の感覚。 山火事は自然災害だし食糧難による自然淘汰も然り。
いっそ毛皮が欲しいとか肉が食えるといった「獣たる人間も自然の一部」的な行動であればまだ理解できるが、神様を気取った人間って本件に限らず神を理由に戦争起こしたり一般人を火炙りにしたりと本当に行動が読めない。
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このニュースに怒っている日本人は多いと思います。もちろん、安楽死という名目でコアラを射殺した手法に対する怒りもありますが、それに加え、もう何十年も官民挙げて日本の捕鯨を攻撃してきたのは一体どこの国なのかと思いたくもなります。かつてオーストラリア大陸に数十万頭いたとされるコアラは近年、4,5万頭にまで激減し、30年後には絶滅するかもしれないと危惧されているそうです。日本の捕鯨を攻撃する暇があれば、そのエネルギーをコアラ保護にもっと回していただきたいものですね。
▲39 ▼2
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苦痛を和らげるとはとても耳障りのいい言葉だが、自然で生きる動物達...大自然の中では山火事も自然と起こることだ。それにより生きるのが難しくなったコアラが芯で逝くのもまた自然。 それに人間が無駄に苦痛を与えない為と射殺するなど傲慢にも程が有る。 まぁ大きな枠で考えれば、理性を持ち、あらゆる思考を持った人間達も自然から生まれた生き物だからこうなる事もまた自然なのかもしれないけどね。
▲19 ▼2
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自然災害による被害への対応として、「安楽死」という手段を選んだこと自体が問題というよりも、その方法と透明性に大きな疑問が残ります。
確かに、深刻なやけどや飢餓で苦しむ動物に対し、人道的措置として安楽死を行うことは理論的には理解できます。しかし、それが「空からの射殺」でなければならなかったのか?本当にそれが苦痛を軽減する最善策だったのか?という点について、明確な説明や検証が欠かせません。
また、飢えているだけのコアラまでも一括して「生存可能性が低い」と判断し、救済の可能性を模索せずに殺処分していたとすれば、これは人道的措置ではなく怠慢と言わざるを得ません。
動物の命を守るべき立場の行政機関が、透明性を欠いたまま大量殺処分を行うという行為は、国際的にも倫理的に強く問われるべき問題です。第三者による調査を通じて、今後同じ過ちが繰り返されないよう制度や判断プロセスの見直しが必要だと思います。
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残酷なようだけど、そのコアラたちが他の場所へ行き、そこで更に生存競争問題が起きて、より多くの被害が出かねない。 コアラよりもヒエラルキー上位の私たちは、その自然のバランスを保ってあげるのも義務のうち。
銃を使うやり方に関しては、正しいのか分からないけど、少なくとも毒殺にしてしまうと、他の動物のために全ての個体を回収焼却しなければならず、大地に還元できないよな…とは思う。
▲0 ▼4
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SNSで現地の獣医さんのポストを見ました。
状況を見て助けられる個体は全て助けていたという話をされていました。
この方法を「安楽死」と呼ぶことに疑問はありますし納得はできませんが この方法しかなかったという結論は仕方がないかなと感じさせる内容でした。
燃えたエリアが都内の〇区(失念しました)と同じような広さであること 人が歩いていくには困難な場所であること そもそもの人員確保など 色々問題があってきちんと話し合っての決定のはずで 望んでこうしている人はいない苦渋の決断だったこと
このあたりもきちんと報道してあげてほしいなと思います。
▲26 ▼12
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もちろんこの国全体の総意では無いにしろオーストラリアと言えばクジラの一件を思い出してしまいます。 食べる為の捕鯨をアレだけ批判しておきながらなんと云う、、、 それと放っておいてもコアラは死んだかも?しれません。 完全に死んでしまうまえなら、その後死んだとしてもその前はまだ「かも?」なのです!その中で生き残った個体が居たかも?しれません。歴史の生物の中には危機的な状況だからこそ仕組みや食べるものや或いは交配、突然変異、元からの特殊体質、或いはそれ以外で生き残ってきた者たちもいるのです、私は進化ってそういうものなのでは、と思います。勿論確率は低いでしょう不確定要素の一つに過ぎません! ただ今回射殺という行動によりコアラのその「かも?」の可能性を奪ったのは「かも?」では無く奪ったのだと私は考えます。
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現場の判断にはそれなりの理由があったのだろうとは思う。火傷で苦しみながら死ぬコアラを見ることのない我々が、現地の人の判断それ自体を非難したくない。捕鯨に関する言説とのギャップなどは、射殺の是非とはまた違う論点ですよね。そういうのは言ってもいいと思うけど… コアラが可哀想かどうかとは違う話で、射殺した後、大量の鉛玉を放置してその後の自然環境に影響がないのか心配です。そういう環境負荷も考慮に入れてやっているのか、コアラ可哀想だけでやっているのか、後者だったら嫌だなぁ。 世界中で山火事が深刻ですね。日本でも起きている。なんとか防げないものなのか。生息環境の破壊は1番の脅威。気候変動によるものだけなのか?ゴミ焼却等での火の取り扱いの問題で起きているのなら、防ぐこともできそうなものなのに…
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頭数排除だとしても理解に苦しむ
農作物や民家に侵入の日本の猿の1000倍になるとしたら迷惑度は、被害を受けてる人からすれば大変なことなのでしょうが
日本もまだ平和だから猟友会や捕獲オリ設置がまだできる範囲なのでしょうが。 日本も熊、鹿、猿、外来種をどう処分するか何も事件が起きてない時にガイドラインを作るしかない、1〜10数なら今まで通りで良いと思うが、急に増えすぎた動物をただ可哀想だけで、批判するのもナンセンスだと思います。 貧乏自治体だったら政府が動かないといけないが日本も自治体任せなので、 銃で大量に殺すはないと思いますが、それに近い決断を下さないといけなくなる前に、話し合いをルールを決めるべきだと思う。
▲9 ▼8
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オーストラリアのコアラやブラジルのジャガーが殺されているのは、日本にも大いに関係のある畜産や畜産飼料、製紙のためです。元々あったユーカリや森林を伐採し、製紙のためのユーカリに住んでいたコアラが火災のためわずかしかないユーカリ林に引っ越してきて絶滅を防ぐために殺されたもの。恐ろしいことです。またラッコが死んでいる高病原性鳥インフルエンザは畜産から生まれた者です。批判している人は動物性のものを止めること。そしてデジタル化を進めていきましょう。
▲6 ▼12
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「安楽死」なんて、あくまでも人間が人間の死に対する一つの考え方であって、それを他の動物にまで当てはめること自体がナンセンス。じゃあ、例えば、野生のライオンがガゼルなんかを食するために襲おうとしてしているのを見て、可哀そうだからと言ってわざわざガゼルを助けるのか?そして、その行為が正しいのか?今回の場合も、自然災害としての判断で可哀そうだがそのままの状態にしておくのが正解。場合によっては、その状況下でも逃げ延びる可能性だってあるわけだし。なんでもかんでも人間基準で物事を判断してはダメだよ。
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射殺っていうのはちょっと驚きでもあるが、致し方がなかったのかなとも思う。安楽死というものを経験したペット愛好家も沢山いらっしゃるだろう。それらの安楽死と同列とも言えないかも知れないが、他の選択肢を考えれば過酷な環境から解き放つというならそれもありなのかも知れないなと思う。難しい判断だと思う。
▲5 ▼38
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つまり射殺は「安楽死」であり「人道」に基づく行為だが、それが「残虐」であると批難を受けているわけだ。 火に焼かれている野生動物を目の当たりにすれば普通の人なら辛い。 西欧流のやり方は「楽にしてやる」という手法が非常に一般的に用いられる。 しかし、射撃する人間はどんな気持ちなんだろうかと思う。 自分はそうした人の価値観を動物に過度に押し付けたりヒトに置き換えて感情移入すべきでは無いと思う。 自然界には「死」は当たり前に存在するし、他の動物を倒して生きる事も普通だ。 どの動物は知的だから残酷とかそうした思い入れで行動するのは得てして偽善につながる。 人間としてやるべきは山林火災を消す事であり火事を極力起こさない事である筈だと思う。
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日本では住宅街に迷い込んだツキノワグマ1頭駆除するのでも大変なのに、この記事を読んだだけではオーストラリアでは山火事とはいえ無抵抗なコアラを簡単に空から機銃掃射で銃殺出来てしまうと思ってしまう。 オーストラリアの州政府が銃殺によるコアラ安楽死を選択したのは苦渋の選択の上の判断だったのかもっと丁寧な説明が必要ですね。
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大変難しい問題だと思います。 貴方なら究極の選択として焼かれて死ぬor銃殺どちらを選びますか? 映画『祈りの幕が下りる時』では松嶋菜々子の父が焼身自殺だけは絶対に嫌だと言っておりました。 だいたいコアラを思わない人間が人員を雇いヘリを飛ばし弾薬を消費して何の得があるんでしょうか? サラブレッドの予後不良の殺処分は馬が眠れず苦しみ続けそれでも助けられない為行われています。 これも批判する人もいます。 その動物に近しい関係者の苦渋の選択なんじゃないでしょうか!?
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なんで今回問題視して騒ぐのか理解できない。オーストラリアでは個体調整や山火事のたびに、野生動物の計画殺害・削減は、これまでに何度も行われ何十万頭どころじゃない数が殺されてきた。そしてそれは一定の成果を上げているとの科学的な評価があるから、続けられている。
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街中に現れ危害を加える熊の駆除1頭でも批判が殺到する日本ではまず考えられない話ですよね。 ただ、オーストラリア政府が常日頃からコアラをどれ程大切にしこれまで共存してきたのかはオーストラリアの方たちで無いと分からない部分もあるのだと思います。きっと、家族も同然であるコアラがじわじわと苦しんで死んでいくことにどうしても耐えられなかったのだと思います。 それは人間の安楽死にも繋がる部分があるのかも知れません。 千匹超射殺とだけ聞くと、なんて残酷な人たちなんだと思うかも知れませんが、当然苦しみ悩み泣きながら射殺をしたのだと思います。今後深刻なトラウマにもなるかもしれません。
馬も骨折すると安楽死させると聞きます。 今回数が多かったから衝撃を与えましたが、これがコアラ数匹~ならばニュースになったのでしょうか。 安易に他国が批判は出来ないと思います。
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コワラにすれば可哀想だけど 毎日苦しいやけどや骨折や動けなくて他の生き物に殺されて食われるなら 安楽死も仕方ない 救われて生きていけるならと思うが毎日痛い思いで先がないなら仕方ない 可哀想だと思うけど 自分の犬ならどうすかと考えるが苦しむ姿を見続けるのは可哀想すぎる 仕方ない処置だと理解したい
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2017.11.26National Geographicの記事より引用 >年間140万頭、豪のカンガルー猟は是か非か >オーストラリアで増えているカンガルー、高級サッカーシューズや食用に >駆除の割当数は年間780万頭 >オーストラリアの環境エネルギー省によると、2016年に割り当てられた >駆除数は約780万頭だったが、実際に駆除されたのは150万頭にも >満たなかった。カンガルー猟をめぐる最も大きな問題となっているのは、 >人間が個体数管理をすべきかどうか、もしするのなら、現行のやり方が >持続可能であるかという点だ。
日本のIWC脱退以前からカンガルーも。 しかも持続可能性は考えずにとりあえず駆除しまくっているようです。 こういう二枚舌が許されるのでしょうか?倫理性など皆無ですね。 呆れてしまう。
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山火事で火傷を負ったコアラたちを懸命に助けようとする活動も、テレビで観たことがあります。 おなじオーストラリアの人でも、立場や信念によって、判断や行動が大きく分かれる。 なので、一概にオーストラリアを批判するのは違うと思います。
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なんとも胸が痛むニュースだね…。確かに、生き残っても餌がないとか、重度のやけどで苦しむだけなら「安楽死」という選択も理解はできる。でも、ヘリコプターからの射殺って、本当にそれが一番の方法だったのか?って疑問が残るよ。山が険しくて近づけないっていうけど、それならそれで別の支援策や救済の道はなかったのか、もっと議論されるべきだと思う。
現地の保護団体が不信感を持つのも当然だよ。透明性がないままに1100匹も命を奪われたとなれば、どうしても「本当にそれでよかったのか」と思ってしまう。しかも、上空からコアラの健康状態なんて正確に判断できるのか?っていう素朴な疑問にも答えてない。
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環境保護団体や動物愛護団体は胡散臭いので嫌いだけど、これは流石に徹底的に州を攻めて欲しい。
コアラを人間に置き換えれば分かるだろう。 例えば飛行機が落ちると分かった時点で、自決する人間はいない。コアラだって死ぬかもしれないが生き延びる可能性や知恵があるかもしれない。
今ちょうどサピエンス全史を読んでいるが、人間も地球上の動物の一種と言うのを何度も再認識させられる。どうやら言語を話すのは人間だけではなくアリですら言語に近いコミュニケーションを取れるらしい。
山火事の様な異常事態が起きた時のコアラの行動サンプルなんて殆ど取れてないと思うが、ひょっとしたら彼らにも何か特殊な対処法があったかもしれない。
勝手に同情して、勝手に殺して、神にでもなったつもりかと思ってしまう。
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少し前にあったアメリカの山火事とかでも、同様の動物への射殺(安楽死目的)あっのたのかな?
ヘリからの射殺であのような小さい小動物の即死を確認できるのかね? 頭数からしたら恐らくはマシンガンで撃ちまくったのかな?
カンガルー、コアラなどは豪州固有の動物。 絶滅危惧種なのかは知らないが、扱いがあまりにも酷いな。
聞いてみたいね。 クジラとコアラ、カンガルーの違いを。
我々日本人からすれば、ワニを殺す事すら何か違う気がする。 しかもワニジャーキーとかの土産まである。
日本も言われっぱなしではなく、こういう時こそ声を上げて批判するべき。
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倫理観以外でも好ましくない。 オーストラリアの山火事もしくは焼畑(欧米論理ではなく土着の文化としての)は、樹木などによって固定されていたミネラルを再び循環サイクルに乗せる役割がある。焼畑を止めさせたら土地が枯れ、再開したら回復したという話を聞いたこともある。 この射殺という手段は、勿論銃弾を使う。しかも最低1100個使う。そうなるとそれらのミネラルがサイクルに入り込んでくる、もしくはそこに銃弾があるということだけでも生態系に影響を及ぼす。 土地のサイクルは人が農業に近ければ近いほど意識されるが、豪州は「資源を売った方がはるかに稼げる」ということが常識化されているためか、人の論理を優先して今回の措置を行っている。 このことは別に豪州だけでなく、日本も含む他国も同様だろう。まぁ、人同士の愚かさで違いで死に導くよりは、自然が盛り返してその脅威で死ぬ方がマシなのかもしれないけど。
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欧米は射殺は苦しまない死だと考えています。この価値観を変えるのは容易ではありません。射殺されるのはまだマシくらいの考えなのです。動物愛護運動はイギリスの民主化と同時に始まっているそうです。 最近は個人的に動物文学に興味があります。動物に対する慈悲の心を持つことは、他者に対する思いやりの気持ちを育むそうです。 ムツゴロウさんもさかなクンも極端な愛護を唱えません。文化的な営みで動物を食べて愛でて共に生きています。 肉食と同類で殺し合うことは同じではありません。一方で、命の選別をすることは同類ですら、必要か不要かを分けてしまいます。 ゴンドウクジラは仲間を見捨てることができません。みんなで仲間を助けようとしてみんなで死んでしまいます。それは愚かなことではなく、ゴンドウクジラの文化的な習性なのです。 トロッコ問題で人間の本質など分かりません。 共に生きる道を模索しないのは、文化の後退だと思います。
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こうした事柄に、反対する人たちがいる。だがその主張は、「苦しみに耐えろ」「火傷の痛みにも、水不足にも、飢えにも耐えろ」と言っているのと変わらない、極めてひどいものだ。
オーストラリアの人々も、やむを得ず選択した行動だったはずだ。命を救おうと最善を尽くし、それでもどうにもならなかった末に、最後の決断を下したのだ。だからこそ、地獄のような苦しみを延々と味わうよりも、銃であろうが少しでも穏やかに旅立てる道を選んだのだと思う。
安楽死に反対する人々は、動物に対しても、人間に対しても「自然に反する」と言って妨害する。しかしその姿勢こそが、多くの苦しみを生み出している。苦しむ者の声に耳を塞ぎ、道徳や理屈で押さえ込もうとする態度こそありえない
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1000匹ものコアラを生かすだけのユーカリをどうやって調達するのか? 飼育するにしてもどこで? 一度飼育下におかれたコアラは野生に戻れるのか? 生かすには問題が多すぎる。 飢え死によりはせめて即死させ、他の地域にいるコアラが巻き添えになることのないように、という理論は十分理解できる。
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要は動物愛護なんて人間のその時の感情でやるエゴそのもの。そんな事無いと思われる人が多いでしょうが、今回コアラに限らずカンガルーは固有種で知られてますがオーストラリアでは害獣です。オーストラリア人の倍を超える5000万頭超で増やさないため毎年150万を駆除やレジャー狩りをしてます。増やさないため生態系維持の理由があり肉を食べ革製品とかでオーストラリアの産業になってますから
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州当局の判断は苦渋だったと思うが、射殺行為の経緯をもっと説明する必要があるでしょうね。 助けたコアラは何頭いたとか助けに参加した人の中にボランティアが何人にいたとか、もっと詳細に。 ヤミクモのような感じで射殺していたのなら、動物保護で有名な国オーストラリアの国民から批判がなかったのでしょうか?1ヶ月の及ぶ射殺行為なのに。日本人が捕鯨した事を野蛮って言うよりは更に野蛮と感じないのでしょうか? コアラたちはおそらく何も悪いことをしてないのに・・・。日本人は食べる事を目的に捕鯨を行ってるのにどっちが野蛮なのか・・・。 こういった射殺の判断の前に全世界に山火事の窮状を発信して、全世界から人が集まり一頭でも多くにコアラが助け出すことが出来たかもしれません。手を尽くしての判断なら致し方ないのですが、1ヶ月間に渡っての射殺行為は何とも言えない悲しい気持ちになります。
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焼死は物凄く苦しんで凄惨な死と聞いた事ある。だから日本も放火は重罪なのかもだけど、 勝手に殺すのは違うと思う、数打ちゃ当たるの下手な鉄砲箇所で、長く死に切れなかったコアラもいると思う。我々人間で言うなら、ベトナム戦争で森に特化した現地民のゲリラ戦に、空から枯葉剤撒くようなものかなと。
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他所の国のことだし死生観も動物への扱いも異なるから難しいテーマですね
おそらく複合的な理由で障害や病気感染やなんらかのリスクの回避や生態系の維持のために間引くようなことはなくはない話です
それを空から銃撃してそれを安楽死というかも疑問ではあるが わざわざ降りていって一体ずつ苦しまない薬や屠殺用の器具を使うのは現実的ではない
数も多すぎて一体ずつ向き合うのもできないのであればヘリから銃撃であったも一部を救うためには必要な処置だったのだろう
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20世紀の初めカナダで大きな山火事があり、山の鉱山で働いていた人達が近くの湖の中に逃げて水に浸かってたら、森の中から熊や狼や狐や兎が次々に逃げて来て皆水に浸かった。不思議なことに熊も狼も他の動物を襲わず、翌日鎮火したら次々バラバラに又森へ帰って行った。これはホントの話しで当時子どもだった少年が成人して絵本に書いた。日本語訳もある。オーストラリアの森の中にも湖か川はあるだろう。コアラをそこに誘導させるような処置は取れなかったものか?
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