( 291769 )  2025/05/17 07:22:08  
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亀田和毅は「亀田3兄弟」の唯一の現役プロボクサーで、苦難を乗り越えて世界チャンピオンになった。

兄弟と共に戦ってきたが、次の目標を見失い困難を乗り越えてきた。

結婚し、自らの夢に向かって再挑戦し、アメリカで戦うことになった。

2018年に世界タイトルを獲得し、家族の支えで次なる挑戦に向かっている。

自らの夢を追いかける彼は、2024年に世界王座への挑戦権を獲得し、再び世界チャンピオンを目指す。

井上尚弥との対戦を期待されており、再び世界王者として勝利することを目指している。

(要約)

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撮影:宗石佳子 

 

「亀田3兄弟」で唯一の現役プロボクサーである三男・亀田和毅は現在、33歳。父・史郎トレーナーに育てられ、長男・興毅、次男・大毅に続いて、22歳で世界チャンピオンになった。しかし、「3兄弟世界王者の夢をかなえた」和毅は次の目標を見失い、亀田家は騒動に巻き込まれて日本で戦えなくなった。多くの試練を乗り越え、約6年ぶりに世界タイトルに挑む彼に自身を支える家族について聞いた。(取材・文:元永知宏/撮影:宗石佳子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 

 

撮影:宗石佳子 

 

日本中を探しても、いや、世界に目を向けても、これほどバッシングを受けた家族はいないだろう。テレビカメラが「亀田3兄弟」に密着するようになって以降、称賛とともに聞くに堪えない罵声も浴びてきた。 

 

過剰なパフォーマンス、対戦相手への挑発、その戦い方に対して批判の声が上がった。当時、まだ10代だった三男・和毅の耳にも世間の声は届いていたはずだ。和毅はこう振り返る。 

 

「そりゃ、いろいろなことを言われましたよ。でも、親父は俺たち3人を世界王者にすると宣言して、みんなが信じてついていった。まわりの声は全然気になりませんでした。いいことも悪いこともあったけど、ずっと家族でおったしね」 

 

すべてをプラスに変えて前に進む──亀田家にはそんな信念があった。 

 

「だから、何を言われても『そんなん気にせんでええ、もっと言えよ』という感じ」と和毅は笑う。 

 

2006年8月に長男・興毅が世界チャンピオンになった。翌年、15歳の和毅は父から「メキシコに行け」という指令を受け、単身で武者修行へ旅立った。 

 

「困ったことは、言葉、食事、環境……全部ですよ。特に言葉と食事はキツかった。アレルギーもあって食べられんものも多かったし、スペイン語で何を言われてるかわからへんし、言いたいことも伝わらん」 

 

興毅に「お兄ちゃん、帰りたい」と電話やメールをする日々。現地のトレーナーや選手たちとどうにか意思疎通ができるようになるまでに2カ月かかった。 

 

「間違いなく、人生で一番、勉強した時期ですね。辞書で単語を調べてノートに書いて覚える。練習以外の時間はずっとそうしていましたよ。そのときのノートが家にあるけど、積み上げたら50センチくらいになるはず。宝物ということになるんかなあ。捨てようとは思わないですね」 

 

食事にも苦しめられた。 

 

「はじめの1カ月で5キロ痩せたんですよ。でも、ちゃんと食べないと練習ができない。だから、嫌いなものでも鼻をつまんで口に入れました。そのうち、何でも食べられるようになって、アレルギーも大丈夫になりました」 

 

 

撮影:宗石佳子 

 

少年にとってあまりにも厳しい体験。しかし、リング上はもっと過酷だった。 

 

「日本人だから、どこで試合をしてもブーイングばかり。誰やこいつはみたいな。自分のTシャツつくって観客に配っても、リングに投げ返されたり、ビールが飛んできたり。そんなことが普通に起こっていました」 

 

バッシングに耐性のある和毅であってもこたえたことだろう。 

 

「いや、そんなことはなかったですね。メキシコではそういうのが普通やから、どうってことない。勝てば認められるし」 

 

勝利を積み重ねることで、ファンも増えていった。それでも、頼りになるのは自分だけ。いつも支えてくれた父も兄も近くにはいない。 

 

「言葉を覚えて、自分で交渉して、『次の試合はここで』とか決めて。その日、試合会場に行って対戦相手が変わることもあった。計量に3、4キロも体重オーバーでやってくるやつもいた。そんなことばっかりで、自然にメンタルが強くなった」 

 

2008年11月にメキシコでプロデビューを飾った。 

 

「アマで30戦した翌年、1年間で12試合も戦いました。あの頃は毎日が必死やったんで、難しいことは考えてなかったですよ」 

 

異国での武者修行が続くなかで、のちに伴侶となる女性との出会いがあった。16歳のときだ。 

 

「アマチュアの一番大きな大会があって、女子の準決勝まで勝ち上がったのが彼女でした。15戦くらいしてるし、対戦相手がそのあとプロで世界チャンピオンになっています」 

 

日本から来た少年に対して、彼女は親切にしてくれたという。 

 

「こっちから声をかけたのが始まりですね。『メキシコは危ないから何かあったら連絡して』となって、現地の情報を教えてもらいました。結婚したのは2015年やけど、それまでもずっと一緒。亀田家に彼女が加わったという感じかな。ボクシングをよく知っていて、アドバイスもくれますし、心強かったですね」 

 

写真:日刊スポーツ/アフロ 

 

2010年2月に次男・大毅も世界のベルトを巻いた。次は三男の番だ。 

 

次男に遅れること3年半、2013年8月に和毅はWBO世界バンタム級チャンピオンになった。兄弟3人が世界王者のベルトを巻いたのは史上初のことだった。 

 

「お兄ちゃん(興毅)がはじめにチャンピオンになったとき、親父が教えたボクシングは世界で通用するんやと思った。次に大ちゃん(大毅)がベルトを取って、その次は俺ってなって『もっと頑張らなあかんな』という気持ちになりましたよ。親父はいつも『3人を世界チャンピオンにする』と言ってたからね」 

 

順調にステップアップしていたが、もちろん、プレッシャーも感じていた。 

 

「3人の中で一番センスがあるとか、一番強いとか言われてきたから。誰が見ても絶対に勝つ試合をしよう、そう考えて必死でやってましたね。『親父の夢のためにやらなあかん』というのが一番強かった」 

 

ところが、3兄弟による世界タイトル奪取によって、和毅の歯車が狂ってしまう。 

 

「世界チャンピオンになったときに、『次の目標は何なんやろう』と思ってね。8歳でボクシングを始めて、ずっと世界チャンピオンになることがゴールと考えてたから」 

 

父親のものではない、「自分の夢とは何か?」を問いかける日々が続いた。 

 

「もう一回、自分と向き合って、見つめ直して、引退までこうしようというのを決めて、もう一度やり直したんですよ」 

 

しかし、当時所属していた「亀田ジム」が日本ボクシングコミッションからの処分で活動停止となり、日本で戦う機会を奪われた。 

 

「やってもないことで訴えられ、ライセンスをはく奪されて日本で試合ができなかった。おかしな記事も書かれてイメージが悪くなる一方で……」 

 

和毅は戦う場所をアメリカに移した。このとき、武者修行時代に培っていたものが生きることになる。 

 

「もともとメキシコで戦ってたことがプラスになりましたね。向こうの大手のプロモーターと契約して、ラスベガスでも試合をしました」 

 

ライセンスを再取得して3年ぶりに日本のリングに復帰すると、2018年11月には2度目の世界タイトル(WBC世界スーパーバンタム級暫定王座)を獲得。2階級制覇を達成した。しかし、翌年7月にベルトを失った。 

 

 

撮影:宗石佳子 

 

2022年12月に自らがTMKジムのオーナーに就任。2024年8月には、前年に判定負けしたレラト・ドラミニを下してIBF世界フェザー級の1位になり、世界王座への挑戦権を獲得した。 

 

この試合のセコンドには父・史郎がついていた。 

 

「親父はすごいなと思いました。俺は、メキシコ人だけじゃなくて、世界のトップクラスのトレーナーに教えてもらったことがあるけど、親父に言われたことと一緒なんです。俺が経験を積んだことで、子どものときに理解できなかったことがすっと入ってくる」 

 

5月24日、アンジェロ・レオが持つIBF世界フェザー級王座に挑む。世界挑戦は約6年ぶりのことだ。レオは26戦25勝(12KO)1敗という戦績を誇る実力者だ。 

 

「レオは平均的にすべてが整っている選手です。スピードもパワーもスタミナもあるし、ガードが堅いし打たれ強い」 

 

挑戦者である以上、この試合に勝たない限り先がないことは本人がよくわかっている。 

 

「親父の夢はもうかなってるから。もう一度、世界チャンピオンになって、3階級、4階級制覇をすること──これは俺の夢やね。 

今は、できることを全力でやりたい。残りのボクシング人生に後悔を残さないように、いい試合をして自分が納得したい。ボクサーって、引退したあと、後悔したなとか、こういう試合したかったっていうのが多いんで、それは嫌なんですよ」 

 

ふたりの兄の背中を追いかけて格闘技を始めたのが4歳の頃。あれから30年が経とうとしている。 

 

「はじめは、やらされたボクシングやけど、一回も嫌いになったことはない。今も、やってて楽しい。もともと俺のライバルはふたりの兄ちゃん。同じ練習をさせられても、ふたり以上にもっとやってやろうと思ってきた」 

 

家族に支えられてここまで戦ってきたと和毅は強く思う。 

 

「亀田家をひと言で表すとしたら? そんなん無理やろ(笑)。昔から言われてることやけど、やっぱり絆かな。あとは親父の愛。 

自分には妻とふたりの子どもがいる。家族がおることは本当に大きい。大事なものやし、俺を支えてくれている。責任感も強くなったし、『子どものためにもっと頑張らんと』とも思う」 

 

 

撮影:宗石佳子 

 

3階級制覇の先には、世界スーパーバンタム級4団体統一王者・井上尚弥との対戦を期待するファンも多い。 

 

「今は階級が違うし、いつ向こうがフェザー級に上げてくるかはわからん。もし対戦が実現したら、世間の人は見たいと思うやろうね。そのためには次の試合で結果を出して、自分の評価を上げていかんと」 

 

井上尚弥、拓真というふたりの世界チャンピオンを育てた彼らの父、真吾トレーナーについてどう思うのか。 

 

「もちろん、すごいと思いますよ。ふたりも世界チャンピオンを育てたわけやから。うちの親父との共通点を探すとしたら? 子どもに対する愛情の深さ。そこは同じやないかな」 

 

もちろん、2歳下の尚弥への意識はある。 

 

「みんなが井上、井上と騒ぐけど、ボクシングといえば井上家じゃなくて、亀田家やろ。あの兄弟が街を歩いていても、みんなが気づくかどうかはわからんけど、俺たちと会った人は『ああ、ボクシングの亀田や』と言うやろ。絶対にそうなる」 

 

和毅には、尚弥との試合の前にやるべきことがある。 

それは再び世界チャンピオンになって、亀田家に8本目のベルトを持ち帰ることだ。 

 

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亀田和毅(かめだ・ともき) 

1991年7月12日生まれ、大阪府出身。2008年プロデビュー。2013年8月、WBO世界バンタム級王座獲得。長男・興毅、次男・大毅に続き、史上初の3兄弟世界王者となった。2018年11月にWBC世界スーパーバンタム級暫定王座を獲得して、2階級制覇達成。3階級制覇を目指し、5月24日にIBF世界フェザー級王者アンジェロ・レオに挑戦する。 

 

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」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。ひとり暮らしの単身世帯が過去最多となり、生涯未婚率も上昇するなか、家族のかたちは多様化しています。また、介護や育児、親子関係など、現代の家族が直面する問題も多岐にわたります。旧来の家族観が変化するなか、「家族」とは何なのか、どうあるべきなのか。さまざまなエピソードや課題をもとに、ユーザーと考えます。 

 

 

 
 

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