( 291904 )  2025/05/18 05:04:09  
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日産が神奈川の追浜と湘南の2工場閉鎖へ…世界7工場削減計画、海外はメキシコや南アフリカなど

読売新聞オンライン 5/17(土) 5:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/e80939a9612c2a0eb12d1c4da0398222d32503c5

 

( 291905 )  2025/05/18 05:04:09  
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日産自動車は2027年度までに世界で7工場を削減する計画案を明らかにし、国内では追浜工場と湘南工場を閉鎖し、海外ではメキシコを含む5工場を対象にする。

かつては部品工場を含む5か所のみが閉鎖されたリバイバル・プランと比べ、今回は7か所の完成車工場に加え、部品工場の再編も検討されている。

経営再建が急務であり、過剰な生産設備により日産の経営が圧迫されている。

これにより、2万人の人員削減と中国を除くと完成車工場を17から10に集約する方針が打ち出されている。

(要約)

( 291907 )  2025/05/18 05:04:09  
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日産自動車本社の入るビル 

 

 経営再建中の日産自動車が2027年度までに世界で7工場を削減する計画案の全容がわかった。国内では主力の追浜(おっぱま)工場(神奈川県横須賀市)と子会社「日産車体」の湘南工場(同県平塚市)を閉鎖する方向で調整し、海外はメキシコなど4か国の5工場が対象となる。巨額赤字に陥っている日産は過去最大級の拠点再編に踏み切り、業績改善を急ぐ考えだ。 

 

 複数の関係者への取材でわかった。国内の主力工場が閉鎖となれば、01年の村山工場(東京都)以来。1933年の設立から守り続けた創業地・神奈川県の完成車工場を全て手放す方向で、抜本的な見直しとなる。 

 

 海外は南アフリカ、インド、アルゼンチンの工場での車両生産を終了し、メキシコは二つを閉鎖する案で検討を進める。 

 

 99年にカルロス・ゴーン元社長の主導で実施した大規模なリストラ策「リバイバル・プラン」では、閉鎖されたのは部品工場を含めて5か所だった。今回は七つの完成車工場に加え、部品工場の再編も検討する。 

 

 追浜工場は61年に操業を開始した。世界でいち早く電気自動車(EV)の量産を始めた日産を代表する生産拠点だ。生産能力は年24万台で、小型車「ノート」を生産している。24年10月末時点で約3900人が在籍する。 

 

 商用バンを製造する湘南工場の生産能力は年15万台で、約1200人が働く。国内の完成車工場はほかに栃木工場(栃木県)と福岡県に二つの計5工場がある。 

 

 日産は世界的な販売不振に陥り、過剰な生産設備が経営を圧迫している。国内では約120万台の生産能力に対し、24年度の生産は約64万台だった。調査会社マークラインズによると、24年の追浜、湘南工場の稼働率は4割前後で、7~8割とされる損益分岐点を大きく下回っていた。 

 

 日産は13日公表した25年3月期連結決算で、最終利益が6708億円の赤字に転落。27年度までに世界で2万人の人員削減を行うとともに、完成車工場は中国を除いて17から10に集約するリストラ方針を打ち出していた。 

 

 

( 291906 )  2025/05/18 05:04:09  
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このテキストは、日産自動車の追浜工場閉鎖に関する話題が中心で、経営危機や再建策、歴史や感慨、従業員や地域に与える影響などが取り上げられています。

一部では、経営陣の責任や車種の魅力不足、業界全体の課題に関する意見も述べられています。

感慨深い思いや未来への期待、改革の必要性に対する応援の声も含まれています。

(まとめ)

( 291908 )  2025/05/18 05:04:09  
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=+=+=+=+= 

 

モノとしての自動車の精度を保つことは当たり前だとして、営業・販売に対して顧客をどこまでも大切にするという基本姿勢が必要だ。モノ作りではあるが、そこにはビジョンとか夢も重要なファクターだと思う。スカイラインの「ケンメリ」のような、あ素敵!と思える車とイメージの伝達が、結果的に利益を生み出す。ソロバン弾いてるだけじゃ、車は売れないと思います。 

 

▲73 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

やはり地価の高い首都圏の工場でしたね。日産車体平塚工場は隣はかつて日産車体の1地区でしたが売却して九州に移転しています。その跡地には現在ららぽーと湘南平塚が建っています。その隣ですから再開発のニーズは高く売却の対象にはなりやすかったと思います。それに商用バンは生産が減っていましたから。追浜は東京湾を臨むとてもいい環境なので大規模な再開発には向いている場所です。売却益はかなりの額になるでしょう。地域に根づいて働いている従業員はかなり大変でしょうが日産という会社を選んだ段階でそれは覚悟すべきことだったと思います。私は日産の下請けだったのでよくわかります。 

 

▲12508 ▼993 

 

=+=+=+=+= 

 

凄くショックです。 

40年近く前、座間にあった工機工場(車を作るための機材開発工場)と、生産拠点の追浜工場を行き来していた時期がありました。 

すごく大変なプロジェクトでしたが、その後全工程の品質を認められて、品質に関する栄誉あるデミング賞事業所部門を追浜工場は受賞していました。 

その中の小さな一部門だったかもしれませんが、大変だったけれども充実した青春の一コマが切り取られた感じです。 

 

きっと多くの人達がそう思っているはず。 

閉鎖に関して、プレスの元になる圧型の精度を手で触って上げていた神の手を持つ人達や、そのお弟子さん達はどう思っているのでしょうか? 

 

▲74 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜はかつては日産の城下町だったけど、今は、横浜DeNAの練習施設があり、ベイスターズタウンと趣になっています。また、近隣には、名勝地の多い金沢八景、横浜シーパラダイスもある。まだまだ、日産や住友造船など大企業の工場に地元経済は依存しているところもあるようだけど、日産工場閉鎖を、新しい街づくりが進むきっかけになるといいですね。 

 

▲722 ▼178 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう最悪事態を避けるために、目玉として昨年末ホンダとの統合協議を始めたはずだった。 

当時、役員からは日産のプライドがどうだとか、ホンダに失礼なことを言われたとか、危機感がまったくない発言があったという。また今春には、日産労組は会社側と呑気にベア交渉をしていた。 

 

最悪の事態を回避できたホールドポイントは数年前からたくさんあったんだろうな。 

なるべくしてなったこの事態だわ。 

 

▲8214 ▼230 

 

=+=+=+=+= 

 

平塚の湘南工場はもともとADバンの生産を終了するという話もあって閉鎖は時間の問題と思っていましたが、追浜も閉鎖とは大きな決断ですね。追浜の敷地は国道延伸予定地になっていたこともあって、売却撤去後の工事が始まるかもしれず、いずれの場所も再開発が見込める場所ですので、賢明な選択なのかもしれません。ただ、ホンダの狭山工場の閉鎖のような同一県内の移転ではないので、下請け工場や関連工場にとっては厳しくなりますね…従業員も住まいが大変… 

追浜工場にあった海軍時代の大型格納庫が数年前に解体されてしまったそうで、もし閉鎖売却となるならもう少し残して公開して欲しかったと少し思います… 

 

▲752 ▼63 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は車がけっこう好きなんだけど、デザインが最近の車は目を惹かないのが多いね。 

昔のタテグロやらはアメ車をイメージさせるし、セドリックやグロリアは高級感もあり、 

ワゴンはサーファーなどに人気があったし、 

グロリアワゴンの木目とかもクラシックで良かったよね。あとはbe-1やラシーンなど個性的な車もあったし何でnoteとか個性の無い車を売り続けるんだろうなって思ったよ。 

それに比べてスズキはジムニーを角張った形にして、今流行りのカラーを取り入れるなどニーズに合わせて柔軟ですよね。 

でも追浜と平塚が無くなるのは残念です。 

再建を頑張って欲しいです。 

 

▲1296 ▼348 

 

=+=+=+=+= 

 

車を作って売ってなんぼの会社が主力工場を次々と手放すんですね。今のラインナップ数を見れば工場の稼働率は低過ぎて遊休ラインが多すぎなんですね。車の開発には時間がかかるし、時間をかけて作ってもそれがヒットするかもわからない。 

マツダ、スバルの規模になり下がるかもしれません。大衆向けではなく、どちかというとマニア向けの方向に向かうのかも。ですが未だに役員の数はトヨタよりも多く報酬はトヨタ並。ゴーンの文句ばっか言ってたけど、ゴーンが世界基準の報酬を設定してから、役員も長く恩恵を受けたでしょうから、そこにもメスを入れるべきなのでは。 

 

▲4998 ▼115 

 

=+=+=+=+= 

 

日本国内に限れば、これだけ車種を絞り、モデルチェンジをしなければ、生産設備が過剰になるのは明らかです。 

なぜ、日産は、車種を絞って、新車を出してこなかったのでしょうか。 

売れる車は、セレナとノートしか思い浮かびません。 

確かに、いたずらに車種展開しては、赤字のモデルを多く抱えることになり問題ですが、現在の日産は余りに売れる車がなさ過ぎです。 

これは、長年国内の販売担当であった星野元取締役の責任が重大だと思います。 

すでに退任していますが、星野元取締役は車の素人であるのに、ゴーンのお気に入りであったとのネット記事に接したことがあります。 

 

▲4885 ▼292 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場は私が小学生だった頃に、学校の社会科見学で行ったことがあります。また当時、うちの家族も日産車を乗っていたので、うちの車がここで作られているんだなぁと当時を思い出しました。とても思い出深い工場だっただけに、これはショックですね。 

 

▲3565 ▼188 

 

 

=+=+=+=+= 

 

地元の日産ディーラーの営業さんとは30年の付き合いがあり家族含めて数台の車を購入しているが、先月初めに突然の電話があり用件を聞いたら「知り合いの方に日産車を勧めてくれませんか?」とのお願いだった。。過去にそんなお願い電話が掛かってきたことは一度も無かったので相当経営が厳しいのか?と勘ぐってしまったが追浜が閉鎖になるとは本当に驚いた。 

神奈川県内に関連各社の従業員を含めると困る人は多いだろう。。 

しかしながら同業界のISUZU自動車は業績好調で人材募集も有るようなので経験値の高い方の転職チャンスは十分に有ると思う。日産も従業員さんも頑張って下さい。 

 

▲1913 ▼145 

 

=+=+=+=+= 

 

お膝元の神奈川県の工場が閉鎖とは電気自動車メインだし数年前までは想像出来ませんでした。日産の車持ってる仲間から昔は自慢されマニアックな話を沢山聞かされた思い出があります。最近は日産の車を乗ってる方から熱量が無い気がするので、日産の魅力ある車が少なくなってしまったのかなと感じてます。日産のカッコいい車作って欲しいです。 

 

▲963 ▼101 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も経営難による工場閉鎖を経験しましたが、 

 

本当にある日突然生活が一変するので、 

従業員は勿論、そのご家族もそれはそれは大変な事に 

なります。 

 

会社には最後まで責任を持ってサポートの方、 

取り組んで戴きたいなと思います。 

 

金銭的な事だけでは無く、メンタル面へのサポートも 

重要です。 

 

特にお子さんがいらっしゃるご家庭の中には 

多感な時期のお子さんや、土地柄的にも受験を考慮されて 

いらっしゃるご家庭も少なくないでしょうから、 

 

充分な配慮をお願いしたいですね・・。 

 

▲1513 ▼302 

 

=+=+=+=+= 

 

かつて実行した改革は、痛みを伴っても日産を再生させるためのものだった。今の日産は、当時よりもさらに厳しい状況にある。生産設備を持て余し、採算も取れないまま工場を維持するのは「情」ではなく「罪」だ。 

 

追浜や湘南は日産の歴史を支えてきた工場だが、歴史に縛られていては未来は作れない。むしろ、今こそ過去と決別し、競争力ある体制に再構築すべきだ。日産が再び世界に挑むには、この規模の改革が必要不可欠。 

 

だが一点忘れてはならないのは、「人」への配慮だ。工場を閉じるのは簡単だが、社員の未来をどう守るかが真の経営者の責任。数字の再建だけでなく、信頼の再建も必要だ。 

 

▲1381 ▼228 

 

=+=+=+=+= 

 

消費者が買いたいと思えるような新車を提言出来なかったのが、現状の大きな要因かと思います。それにしても、自らが創業して生まれ育った地域まで、手放さなければ行けない厳しい状況であるのは確かであり、リストラや工場の生産拠点を減らすのは、一時的な解決にはなるのかも知れません。しかし、長期で見れば結局の所は、魅力のある車の開発に着手出来るかであり、日産はその開発が経営面でもしっかり出来るよう、経営陣は後押しして行かなければ、生き残って行くのが難しいかと思います。 

 

▲487 ▼50 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場が閉鎖されることで、ますます三浦半島の地盤沈下が進むこととなりそう。 

これも時代の流れだとは思いますが、栃木工場と比べて、海に近く海外への輸出も楽に出来る追浜を手放さざるを得ない状況に、今の日産の問題が見える気がします。 

 

▲556 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

ひとつの時代が終わる。2015年頃までは追浜工場周辺はGTR天国になっていて、通勤時間帯ともなれば2~3km走るだけで、日産関係者が通勤に使ってるであろう個体を5台くらい見かけることも珍しくなかった。追浜や金沢区のアパートの駐車場を覗けばシルビアや180SXがたくさん停まってた。影響を受けて買った自分のZも平塚工場で製造された車だ。あの頃が本当に懐かしい。 

 

▲491 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

オレが好きだったグループCカーR90CPのPを意味するのが追浜。大森と共に日産モータースポーツの拠点として君臨した地から居なくなるとは……。となると、モータースポーツ活動はもう終わりにしないといけなくなる。さらにはFマリノスへの出資や復活したばかりの野球部にも波及するのは間違いない。日産が崖っぷちから落ちない事を祈りたいが難しいだろう。 

 

▲645 ▼71 

 

=+=+=+=+= 

 

生産能力の大きい工場を抱えていても、日産車が売れないから生産台数も減らさざるを得ないし、工場閉鎖もしょうがないことだとは思う。 

しかし、こんな日産の役員数はやたら多いし、報酬額もトヨタとそれほど変わらない。 

何度か経営陣が変わっても体質が変わらないのは、組織内の権力争いとそれにぶら下がる取り巻きが入れ替わるだけだからなのかと思える。 

規模は日産よりも小さくとも、創業者精神の残るスズキのような会社で働く方がやりがいがありそうに感じる。 

 

▲312 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

ゴーンもそうだったが、こういう大ナタは、しがらみの少ない、ダークホースと揶揄されるぐらいの人がトップにならないと出来ないことだ。力量を問う声もあるようだし、将来の結果はわからないが、現時点でのトップの選び方としては正しかったように思える。気がかりは前経営陣が仕込んだ拡大的な商品戦略。公表した直近の新車は出てくるだろうが、生産能力の見直しとともに、予定していたラインアップの見直しも出てくるだろう。日産らしさを見直して、面白いクルマを出してほしいと思う。 

関税に加え、EV停滞の余波は取り組みの遅れた国内メーカーに順に襲いかかる。トヨタ、ホンダ、各社投資や生産能力の見直しが始まっている。これも各社ちょっと遅かったのではないかと思うのだ。HVも爆速で中国勢が迫ってくる。この業界、受難の時代に入ったなと思う。 

 

▲939 ▼241 

 

 

=+=+=+=+= 

 

現場の従業員を10%カットしても人件費コストの削減は10%以下。給料の高いマネージメントをカット(人数も給与も福利厚生とか)しないと意味がない。その覚悟はあるのかな、気になる。 

JALを再建した稲盛さんの年収は確か1000万ちょいだったと思う。もちろん社有車などなし。マネージメントは年収1000万円プラス業績賞与でいいと思う。 

 

▲340 ▼39 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場は小学生の見学先の定番です。とても親切にしてくれて、学校行事の見学は無料でさせてくれるありがたい工場です。私自身も子供の頃見学に行きました。 

いろいろあってのこの結果ですが、現場はホスピタリティのある会社なので、体質改善して復活してくれるといいな。 

 

▲233 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

私は40年以上前に高卒後に 日産に就職して追浜工場に配属になりました。当時は人も沢山いて 凄く活気のある工場でしたね。日産の森崎寮でしたけど 仕事帰りは地獄の坂で 

大変だった事を鮮明に覚えてます。当時の同期はみんな辞めたりしたけど 1人だけは今でも連絡取り合ってます。5年ほど勤めましたけど ライン作業はキツかったです。あれから日産車だけを乗り継いで来てますけど 日産の衰退は辛いし 追浜工場の閉鎖を知って悲しくなりました。 

 

▲320 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

自分が若い頃に行くあてもなく期間工で働いたのが追浜工場。当時は駅から工場まで人が多く賑やかで楽しかった思い出があります。 

工場の方々にも色々と教わり面倒見も良く成長させていただきました。 

まだ閉鎖の期日まで日がありますが必ず寄らせてもらおうと思います。 

追浜工場、本当にありがとうございました。 

 

▲195 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

若い頃から車が好きで何台も買い替えてきました。当時は技術の日産、販売の 

トヨタといわれトップ争いをしていましたが、往時の面影はまったくなくなりました。まず魅力のある車種が全くありません。これでは現有の環境を維持していける筈もなく苦肉の整理をせざるをえないでしょう。 

しかしこのような状況は今に始まった訳ではなく、放置していた経営陣の責任はとても大きい。特に長年社長を続けていた内田氏は7億ともいわれる年俸を 

得ながら何をしていたのかと非難されても当然だと思う。このような経営陣の下で働いていた社員諸氏を気の毒に思う。 

 

▲194 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

先のホンダとの経営統合交渉に於いて、ホンダから提案されていた事を結局やる事になっているのではないですか?遅かれ早かれ必要な事であり結局は自ら始めている。ならばその先の救済案もホンダから提示されていたのだろうから、それに乗った方が良かったのではないのでしょうか?それとも銀行から何かしらの融資継続条件があったのでしょうか?ならば同じリストラならホンダと協業した方が従業員も安心できたのではないかと思います。「判断が遅い」という事は事態の悪化を招いてしまうのは明白だと思いますよ。 

 

▲255 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

間接部門の削減、リストラならば意義が良く理解できるが、メーカーの本業、要である工場自体を削減したり、もっと要の製造要員を削減することは、製造業であり続ける事自体を自ら否定し、衰退の方向に向かわせることでしかない。 

 

培った技術力は一朝一夕に獲得できるものではなく、失ったら簡単には回復できない。 

 

優秀な従業員から抜けていくだろうから、あっと言う間に抜け殻のような会社に落ち込んでいくだろう。財務改善の即効性だけに目を向けて、もっと大事で貴重な財産を自ら手放す方針は、少なくともメーカーには賢い選択肢ではない。 

 

この会社は一体どこに向かって行きたいのだろうか。 

 

▲291 ▼34 

 

=+=+=+=+= 

 

日産の生産工場の見直し、集約はサプライヤーには 

大打撃になります。おそらくはこれから先 日産からの 

発注する部品点数も減少し、サプライヤーの事業見直し 

そして中小零細企業(日産系)の受注、売上の数値は下がる。 

以前、ゴーンさんのときに痛い目に遭った 

中小零細企業(日産系)は同業他社に受注バランスの 

シフトを一部したとの事ですが、神奈川県内は昔からの 

日産圏の生産で持ちつ持たれつの中小零細企業が多いです。 

今回の記事の見通しではっきりとしたのは、 

「国内で作るものが確実に減る・無くなる」 

「部品の点数は減る・無くなる」 

「中小零細企業→サプライヤー事業見直しが早く進む」 

3年後2027年には、ほぼ国内の事業を整理する予定のため、 

生産受注の見通し、数値の動きが早くありそうです 

いつもより多めの受注数で推移して、目処が立ったらほぼゼロ。 

*日産系の購買、監査、品質に携わった経験より* 

 

▲349 ▼56 

 

=+=+=+=+= 

 

車の車種や売れ行きなどもあるのだろうか、ディーラーの雰囲気で本社の勢いや雰囲気を感じる時があります。 

日産のディーラー行くと営業する気あるの?という感じの営業マンに出くわします。本体の影響がそのまま反映してるのでしょうか? 

 

今回の追浜閉鎖は衝撃的でした。座間工場閉鎖以上くらいのインパクトではないでしょうか。 

 

利益の出る大型高級車のエルグランドの開発が進んでいるようですが、今後はプライドをかなぐり捨てて、e-POWERと相性が良さそうな小中型車に絞って商品ラインナップを多く展開するとか、大型車はトヨタからOEMするとかしないと立て直せないでは?と素人ながら思ってしまいます。 

 

キューブの復活や、今や高級車となったX-TRAILですが、初代は物価も違いますが、若者に手が出せる200万という挑戦的な価格で販売しました。こういったコンセプトのモデルを出して欲しいですね。 

 

▲103 ▼13 

 

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あの頃は、右も左も分からず、不安と希望が入り混じった気持ちで工場の門をくぐったのを覚えています。汗をかきながら仕事を覚え、先輩たちに叱られ、少しずつ「社会人」になっていった日々。 

あの工場は、私の社会人としての土台を築いてくれた場所でした。 

閉鎖の知らせを聞いたとき、胸にぽっかりと穴が空いたような気持ちになりました。 

あの場所での時間は、今でも私の中に生きていて、時折、機械の音や昼休みの食堂の風景がふと蘇ります。 

大学に入る前家を飛び出し、静岡吉原工場に季節従業員として6か月勤めた49年前の事でした。 

 

▲88 ▼32 

 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜に住んでいます、かつては510ブルーバード、サニーなどを生産していた由緒ある工場が閉鎖とは悲しすぎます、もっと歴史をたどれば戦中は今のテストコースには海軍の飛行場があり多くの試作機が飛んだ、日本初のロケット戦闘機「秋水」が初飛行したのも追浜だった。 

 

▲203 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場といえば日産自動車の代名詞的な存在だと思います。 

その工場の閉鎖を検討するにまで日産自動車の経営が悪化しているのかと思います。 

追浜工場周辺の飲食店などは日産社員やその取引先の人たちの利用で大半を占めているのでは? 

追浜工場閉鎖が現実的だとすると、日産自動車全体のイメージに与える影響も大きいかと思います。 

 

▲74 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

同社は過去にも追浜閉鎖の噂が飛び交い、結局村山工場が閉鎖になったかと思います。今回は主力の神奈川二工場の閉鎖検討ということで、歴史は繰り返していますね。 

二工場の従業員は、早めに他の工場への転勤に手を上げるか、転職活動を始めた方が良いと思います。何せ、二工場だけで5000人越えですからね。 

いくら人手不足とは言え、50歳以上の転職はとても厳しいのが現実です。 

しかし、会社の経営状態は、前回に比べると今回の方が状況は悪いというか最悪の状況だと思います。単独での再建は難しいと言えるでしょうね。 

 

▲64 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

日産関係者にとっては大変なことになったと思うかもしれませんが、今の経営状態を考えればこれくらいの大胆な改革は必要でしょう。ぜひ回復してほしいと願っています。 

車については消費者のニーズにもっと耳を傾け、車本来の”乗って楽しい、買ってよかった”と思うものを作ってほしいと思います。 

 

▲58 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

国内工場の閉鎖を聞いて、日産はますます日本人からは避けられるなと感じました。勢いのなくなってきたメーカーの車を積極的に選ぶのは、日産ファンだけになるような気がする。 

日産ならではの車も確かにあるけど、昔のような特色はなくなってきている。それでは、消費者は他のメーカーに目が行くだろう。日産ほどの歴史のあるメーカーが、復活するためにも、他社とは違う、車づくりをやってほしい。シルビア、フェアレディ、懐かしいです。今のフェアレディは高級になりすぎて手が出ない。昔のサイズで安く出せば売れる。 

 

▲201 ▼72 

 

=+=+=+=+= 

 

ホンダは国内2工場しかなく、鈴鹿は軽だから登録車は寄居1つだけ。コスト面の理由もあるが、国内需要のアコードやWR-Vも海外工場から輸入していて、見た目、国内製造力は足りないように思える。また、寄居は内陸部で災害には強いが輸出には向かない。 

経営統合協議の頃、日産工場でのホンダ車の製造とかテーマに上がったのだろうか。今も業務提携の話は続いているらしいが、両社での国内生産の調整やそれに伴う両社のサプライヤーへの配慮とか検討されないのか。それとも、「ホンダのクルマなんか作ってられっか」とプライドが発動したのか。 

 

▲218 ▼58 

 

=+=+=+=+= 

 

たらればになるが、EVに傾倒していったあたりからICEのモデルチェンジが疎かになり始めて、ネームバリューのある車種を時代の求めに昇華させる事を忘れてしまった。 

いつも責任の所在が不明確で、新型車のマーケティングや開発を任された責任者・若手、出てきた大学は立派だが販社向けプレゼンは後付けのコンセプトばかりの衣増しで中身は薄く、屋台骨が崩れ落ちかけるような販売不振に陥っても、しれっと主担だのをしていた。 

K12マーチで初めて取り入れたカーウイングスも定着出来ず20年余りで宝の持ち腐れと化し、M11リバティはCMの渡部篤郎とRIKACOのその後のように無かった事にされた。 

それは経営陣の社風としても同様で、問題が発生しても次代へ繰り越す事なかれ主義は今日まで変わる事も無く、リーマンで打撃を受けた各社の中で、今でも経営が傾いている日産規模のメーカーは他に見当たらないのが、事の重大さを表している。 

 

▲55 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

湘南工場閉鎖ということは、日産工機とかも移転していく方向なのかな。工機くらいは残るのかな。 

昔いた時は、セレナばっかり作ってたけど、セレナが九州に移転するって時に、帰ったからそこからどうなったか知らないけど、気づいたら第一地区にららぽーとが立ってたり、あと10年経ったら、町の変貌がすごそう。 

 

▲81 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

今後は日産に限らず少子化や国際情勢悪化、海外資本や買収といった様々な問題により日本の基幹産業の他業種がこういった危機にさらされると思う。 

 

昭和世代の自分としては銀行が破綻や合併、統合と言った事も想像すら出来なかったし年功序列といった言葉も時代にそぐわない現代社会。 

 

話を元に戻せば自動車メーカーに関して言えば排ガス認証取得の為の下らないアイドリングストップやCPUをふんだんに使用した結果、しょーもないエラー多発に挙句の果てにエンジン始動不能やサービスキャンペーンやリコール届出合戦といった自動車の瑕疵が多い様に思える。 

 

各自動車メーカー、他業種も今一度モノづくりの原点、メイドインジャパンを再確認してもらいたいと思う。 

 

▲68 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

日産が世界で7工場を削減し、神奈川県の追浜・湘南工場も閉鎖の方向で調整中というニュースは、日本の自動車産業の転換点を象徴する出来事だと感じる。 

特に追浜工場は日産のEVの先駆けでもあり、歴史ある拠点を手放す決断は苦渋の選択だろう。 

その背景には、販売不振や過剰生産設備による業績悪化があり、カルロス・ゴーン氏による「リバイバル・プラン」以降の経営が十分に継承・発展できなかった責任も問われるべきだ。 

確かにゴーン氏は当時の日産を救ったが、彼の退任後は方向性を見失い、グローバル競争やEV化の波に後れを取った印象が否めない。 

今回の大規模リストラは、もはや単なる再建ではなく、企業としての生き残りをかけた再出発。 

従業員や地域経済への影響にも真摯に向き合いながら、再び世界に誇れる日産へと進化してほしいと強く願う。 

 

▲7 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

国内工場で閉鎖は追浜、湘南工場ですか。 国内5か所の内で地価の高い場所ですな。売れば結構な金額になり赤字の穴埋めに役立つしね。 

 

ホンダに吸収されていた方が良かったのではないか? どっちみち、リストラしても同じ様な経営方針では、また赤字が出て来るでしょう。 

まずは売れる車を作る事です。 

 

▲97 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

大規模な雇用が失われる事態は本当に悲しい。 

殆どの従業員は転勤や転職となる訳で、その家族も引越しや、進学への影響も懸念される。 

流行りの(というか流行らせようとしてる?)転職エージェントを使うことが良いか分からないが、それぞれの事情に応じた最良の道を探し当てて欲しい。 

優秀な人材もいるでしょうから、同業で救う神も出てくると思います。 

地方ではなく神奈川県と言うことで、首都圏で次を見つけやすいのは、不幸中の幸いかもしれません。 

  

日産程の大きな企業でもあることで、それより小さな会社は、ちょっとした事業変化で同じ事が起こる。 

パナソニックも大規模人員削減してましたし、今の日本は縮小傾向が目立ってきてます。 

我々も明日は我が身と考えておきましょう。 

 

▲73 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

日産自動車追浜工場を閉鎖するとは、どれ程同社が追い詰められているのか、それを如実に表していますし、また閉鎖を決めた事で不退転の意思を国内外に強く示した、恐らくそういう事でしょう。 

 

聖域なき改革を本気でやるという事であり、同様の姿勢は関連会社・取引企業にも、一切の妥協や甘えを認めない、そういう姿勢を示したものと思います。 

 

日産自動車追浜工場には個人的な思い出があります。1990年代の終わりに視察に訪れ、当時そこでGTRのエンジンをキューポラで焼いている人を見学させて頂きました。特注部品だったのかも知れないのですが、砂型鋳物鋳造エンジンを見たのは、後にも先にも追浜工場が最後でした。 

 

その後、カルロス・ゴーン改革が起きたのは周知の通りです。あの名門追浜工場が閉鎖される事には、ある種の寂しさを感じずにはいられません。これまでの経営陣には本当に猛省を促したいですし、本気で立ち直って欲しいです。 

 

▲43 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

日産は経営陣が弱いと感じます。追浜工場では夜勤で働いた事がありますが、優秀な技術者と優しい作業員がいました。では経営陣の行動や営業姿勢をどうしても責めたくなりますね。その昔から日産のバス、トラック、重機は世界トップクラスだったと記憶してます。真っ先に経営幹部と営業部門の見直しが必要でしょう。 

 

▲58 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

日産車は昔からD21テラノやY61サファリやZ32フェアレディーやアベニルーやプリメーラワゴンなど 

大の日産ファンであります。頑張ってもらいたい 

新社長になって 国内にウケる車を出して欲しい。 

ブルーバードやセドリック グロリア また マーチ 

シルビアやレパード など魅惑ある車種がいっぱい有る日産だから 先進技術を取り入れた昔の名車で復活を願います。 

 

▲37 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

苅田工場を抱える福岡県民としては正直ホッとした部分もありますが、やはり衝撃的なニュースです。平塚や横須賀をはじめとした神奈川県の地域経済に与える影響を考えると、本当に残念です。いつの日か日産が復活し、再び神奈川の地域経済に貢献する日が来ることを心から祈っています。 

 

▲12 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

湘南工場は15年くらい前に九州に移転すると 

日産九州で働いている友人が言っていて 

結局は平塚、追浜と仕事がやりきれないからと 

ある程度戻す方針で今に至ります。 

 

そのうち土地を三分の一程売却 

そこにららぽーと湘南、済生会病院移転 

その他、縦入り住宅、マンションができた 

 

今後日産平塚の跡地に参入するのがコストコ 

サッカースタジアムの再建案が浮上しています。 

2年前から広い土地を探しているので 

恐らくどちらかが建設するのが濃厚かと思います。 

 

▲51 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

日産の凋落原因は誰も知る電気自動車に傾注しすぎたこと。トヨタは充電設備のインフラ整備に時間がかかることを見越してEV車にはそれほど力を注がなかった。その反面、ハイブリッド路線を信じて推進してきたことが功を奏した結果となった。然し乍ら、トヨタもBYDがすぐ後ろまで迫ってきていることをひしひしと感じているだろうから戦略の練り直しも必要と考えているだろう。 

 

▲368 ▼130 

 

=+=+=+=+= 

 

工場を閉鎖しその土地を売却、人員整理してのコストダウンは確かに一時的には利益を得れますが、将来的には減収になるわけですから、企業としてはどんどん小さくなるでしょうね。 

ここに至る前にすべきことをしなかった近年の経営陣の責任はとてつもなく大きい。 

下請企業の倒産が増えないことを祈るのみ。 

 

▲68 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場は戦時中海軍航空隊の飛行場があり、零戦開発、練習をした地。戦後にその広い土地を日産が手に入れ、海に面して外部から見えないテストコースなどを有し、多くの車を生産してきた日産の本拠地だった。 

 

日産関連は工場はもちろん社宅なども京浜急行周辺に広がり、神奈川の産業を支えた。 

 

その追浜工場を手放すというのはかなりな決断だと思う。 

 

自分の父も最初に買った車から長年日産の車を乗り続けていた。家族旅行の楽しい思い出もたくさんある日産車は横浜市民としての誇りでもあったのだろう。最後の霊柩車も日産車をお願いした。 

 

日産が立ち直り、再び良い車を作り続けてくれるように願う。 

 

▲18 ▼4 

 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜の跡地は 

どうせならテーマパークとかなんか大きいことやって欲しいですね 

首都圏であれだけまとまった大きな土地は珍しいし 

景色もいいし 

京急が通ってるので輸送力も高い 

 

小さく分割したら不便なだけの街なので 

そのままの大きさを活かした何かを期待したいです 

 

▲112 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

現在、日産の人気車種は注文しても納車まで1年ほどかかる 

工場閉鎖するくらいならその工場を使ってもっと早く消費者に製品提供出来るようにしたほうが販売台数も増えるし販売利益も増えるんじゃないの  

今みたいにチマチマ生産していたら 

せっかく日産車を買おうと思ってても他社へ流れてしまう 

合理化も結構だがもっともっと消費者との距離を縮める努力もして欲しい 

 

▲121 ▼59 

 

=+=+=+=+= 

 

従業員、設備をコストとしか見ていないから、基本的に生産ラインのレベルが落ちています。 

もちろんデザインも含めて開発費用も抑えちゃってるから、日産独自の味わいも無い特徴の無いな車ばかり 

今、どんな時代なのか?燃費も大切かもしれないけど、SNSで拡散したくなるような映えるデザインがあれば 

購買意欲が高まると考えます。 

 

▲40 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

数十年前ですが、日産のディーラー整備士でした。当時からメーカーは売れる車を造りませんでした。世間でハイブリッドが流行ってるのに一向に造る気配ないし、デザインもダサい(最近は少し良くなりましたが)。経営層の問題もありますが、まずは世間が欲しがってる車とはなんなのかを考えた方が宜しいのでは? 

e-POWERもハイブリッドですが、走行軸がモーターだけなのはどうなのかなと… 

 

▲26 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場は現在は稼働率で5割を下回る状況です。かつて追浜工場で生産していたリーフは栃木工場に移管されるので、アリアを生産する栃木工場をEV生産の拠点として集約する方向に進めるのでしょう。湘南工場ではADの生産終了により稼働率は1割を下回りましたが、バネットの生産を移管するのか、それとも生産終了するのかは微妙です。閉鎖されない九州と栃木の工場も実は稼働率が高いわけではなく、これらの工場に閉鎖される工場の生産を移管してなんとか集約したいのでしょう。かつて主力工場であった工場すら稼働率が低すぎる、それほど生産能力が余りすぎているということです。 

 

▲24 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

工場閉鎖は仕方ない。 

トヨタも工場閉鎖をしている。 

従業員の雇用を守ることと生産性が低い工場を閉鎖することは全体を守るためには仕方ない。しかし日産は全体的に問題があり閉鎖の判断が遅れた。 

色々問題があるにも関わらずつまらないプライドだけを持ち続けている。売却により一時凌ぎは出来ても顧客が買いたいと思う車を作れるかどうか疑問だ。人員整理、工場閉鎖で従業員のモチベーション低下すれば復活は難しくなる。金にならないプライドを捨ててやり直す覚悟が経営陣も全従業員にも必要だ。 

 

▲12 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工事が無くなるとはとても寂しい気持ちです。80年代はブルーバードを生産し日産の顔とも言える主力工場でした。テストコースもあり、開発の大森、実験の追浜と言うほど特別な存在でした。今後は新たな日産として新しい施設を建設するのでしょうか。 

 

▲11 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

デザインは勿論の事だと思うが、個人的には日産のハイブリッドとトヨタのハイブリッドの技術力の差が販売台数に現れた結果だと感じます。 

そしてお互いのライバル車種でもトヨタに完敗してしまった。 

1番の原因は政府の政策ミスでバブル後に国民を貧しくさせた結果が内需を崩壊させ若者に限らず車離れに繋がっていった事だと思う。 

このままだと軽自動車も買えない日が訪れるかも知れない。 

 

▲13 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

これからの車作りは世界新興企業を相手に勝ち抜いていかなければならないし、車だけでなく交通公共から見た街づくりに参画するくらいの力も持つ必要がある。車作りも常に先見の目を持ち技術開発しなければ、海外企業に市場を奪われる、サバイバルだ。あらゆる面で競争力を持たなければ勝ち抜けない世界となった。ただの乗り物を作るだけでは差別化はできなくなった。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

損益分岐点の見通しが甘かった。世間が感じているよりも事態は深刻。数字で見ると、2月時点では現状分岐点が年間310万台という話だったが、決算では330万台で赤字だった。だから今の本当の損益分岐は350〜400万台にある。売れる車種がなくてイメージダウンも考えると次の決算では年間300万台は割り込むだろう。2月ニュースでは250万台に損益分岐が来るように会社を縮小するということだが、350万台→250万台に損益分岐を見直すとなると、かなり大規模なリストラが必要で、今ニュースになっている分でもまだ足りない印象がある。 

 

▲17 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

高く売れる土地に工場が有るだけで、再建計画が進みます。それだけでも良かったのでは? 

売れる車を作るのは、設計屋さんの責任じゃ無く、現場営業マンの声とアイデアが知恵として現場に反映されている事が大事だと考えます。 

 

▲11 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

特段の車好きじゃなくても、神奈川県民でもあるので日産=追浜工場っていうイメージは大きかった。 

それを閉めるというのだからどれだけ崖っぷちなのか改めて感じるね。 

大丈夫なのかな?と心配になる。 

各工場の従業員の方々の行く末も気になるけど、それぞれの所在地の税収も大きく減るというのも各所に影響が及びそうだよね。 

 

▲31 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

大学卒業し結婚しまもなく最初の車は、スカイラインGTS 。その後、セリカ、プレリュード、180SX 、シルビア、マークX で国産を卒業した。亡き親父からポルシェを譲り受け、かれこれ8年。乗った国産車で一番個性的だったのは、VTEC のプレリュード。シャーシは古いそうだが、180SX 、シルビアは楽しい車だったな。最初お世話になった担当の和田さん、私の異動した他県まで交渉に脚を運んでくれ、価格交渉でいつも泣いてくれた。3台とも『X 氏の値引き』に投稿しないで下さいねが口癖だった...。元気にしているかな?プリンスの和田さん。辞めているかもしれないけれど、お元気で! 

 

▲10 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

やはり考えてしまうのは従業員の今後です。工場の製造業務は会社独自のラインに合わせて働いているだけなのでスキルとはなりませんし、生産管理業務も会社の仕事の回し方に沿っているだけなのでこれまたスキルとは言えないかなと。業務の中で語学力や公的な資格を取得していれば少しは良いですよね。今後転職活動となるのなら早めに職務経歴書を作成して自分のスキルの棚卸しを早めに行うべきかと思います。 

 

▲15 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

栃木民としては栃木工場存続は取り敢えずは一安心です。 

技能検定で何度か行った事あるし閉鎖となった場合は恐らく退職者の受け皿になっていたのでトランプ関税でガッツリ業績予想下方修正したうちの会社的にも良かったと思う。 

個人的にも初めての車がスカイラインなので日産ブランドは残って欲しい。 

 

▲6 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

日本は戦後の復興から高度経済成長を駆け上り一時は世界のトップに躍り出た 

ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるほどの国になった。然しこの国は1段目・2段目ロケットまでは順調に飛行を続けたが、3段目のロケット点火に失敗しそのあとの推進力を失ってしまった。 

この間政治や金融政策の失敗が数々あった事も災いして高度成長の後のバブル崩壊、失った30年と日本は「鳴かず飛ばず」でまるで漂流船の如く彷徨い続けている。高度成長までのモノづくりの時代が終焉を迎え、新たに人類が求めるモノ、目指すモノへの挑戦が続いている。 

高度成長期を牽引して来た家電業界などの製造業はモノ離れの影響で軒並み不況に陥ってきており、変わって近年はゲーム・SNS等の人との繋がりを求める製品やサービスへとシフトしてきている。この中でまた日本を牽引する様なロケットとなる企業が早く出てきてほしい。 

 

▲178 ▼43 

 

=+=+=+=+= 

 

工場はどの業界も売れている時期は生産量も多くなり効率よく回すことができるが、売上不振は生産量減に直結するので固定費が重くのしかかる。 

自社工場で生産すればコストダウンになるが、目の前の赤字を消すとなると経営からすると当然そこに目がいく。 

現状の工場をどこかの企業が買い取ってくれれば雇用の確保もでき一番なのだが 

 

▲24 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

日産といえば横浜と横須賀。 

その日産がスポンサーしている 

Jリーグのマリノスのホームスタジアムと 

練習場も横浜と横須賀。 

Jリーグも現在最下位とドン底で 

このままだとJ2に初陥落になります。 

横浜の本社、追浜や久里浜周辺は 

マリノスタウン(マリノス通り)と 

マリノスカラーにも染まっており 

地域の方も尽力されてる中での 

このニュースは複雑だと思います。 

もちろん主力である自動車製造や 

販売に頑張ってもらいたいですが 

人員削減や閉鎖となるとJリーグにも 

影響が出そうで非常に心配です。 

他チームサポではありますが 

なんとか乗り越えて欲しいです。 

 

▲412 ▼154 

 

=+=+=+=+= 

 

閉鎖する工場は、追浜と湘南に決まりましたか。 

追浜は工業団地ではあるが、商業地区に隣接してるし、湘南は周囲が商業地区だったと思う。 

跡地利用で土地が売りやすい立地ではあるが、昭和初期の工場には何が埋まっているかもわからないため、土の改良にも費用がかかりそうだ。 

閉鎖した村山工場も座間工場も、住宅地や商業地としては活用されていないみたいだし。 

土地を売って経営再建の助けになるといいですが、ただの固定費削減だけに終わりそう。 

 

▲9 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

前の社長が何もやらなかったので被害を大きくしてしまったということだと思う。改めて、会社のトップの重要性を痛感している。現在の社長を筆頭にした役員の企画力と実行力に期待し、二度と同じ過ちを繰り返さない会社を構築しなおしてもらうことを期待します。 

 

▲38 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

やはり日車湘南と追浜閉鎖か.... 

特に日車は1地区の九州移転の時に何人もの知り合いが九州に転籍するか辞めるかの判断を迫られている事を知っていたので、今回の湘南閉鎖は、勤めている方々の気持ちを考えると辛いです。 

 

追浜は最近衝突実験施設が稼働始めたばかりなので、グランドライブ含めて開発研究部隊は残るのかな? 

 

どちらにせよこうゆう結果を招いた経営陣の責任はしっかりと取って貰わないと、追浜や日車の従業員の方々は納得出来ないと思います。 

 

▲40 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

これでホンダとの協議を再開できるということなんだろうな。特に追浜は生産工場だけでなく開発の拠点でもあっただけにここを閉鎖する事は象徴的な出来事。私が勤める会社も追浜にあり、毎日追浜駅から日産に通う従業員の行列を見てきたから感慨深い。 

 

▲36 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

前年と販売台数自体はそれほど大きく変わっていない。大きく減損損益を計上したのだから今期にしっかりと膿を出して車両価格を適正価格でしっかりとし魅力ある車づくりをして販売台数を上げていく。来季は必ず回復した発表ができると信じています。 

 

▲22 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は5年前まで金沢区に在る会社に勤めてましたが 

日産の追浜工場に1か月位(研修、教育)で通ったことが有りますし 

湘南工場(同県平塚市)へは工場が夏休みの時に3日間アルバイトで 

設備の整備メンテナンスで行った事が有りました 

この記事を読んで思い出して懐かしく思いました 

何方の地域では大変大きな出来事ですね 

自分は日産の自動車は所有した事がありませんが 

会社で(40年位前)箱スカのハ-ドトップを乗っていた人が 

居ました、とても状態が良くカッコイイと良く見てました 

日産の復活を 

 

▲11 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場、あの広大なテストコースも無くなるのかな。 

2010年頃リーフの試乗会が開かれ、私も参加した。無音で高速までスムースにスビードが上がるのを体験し、すぐに予約。翌2011年2月に納車となった。その直後、東日本大震災が起きて、私はガソリンスタンドでクルマが長蛇の列を作っているのを尻目に自宅給電をしていたのを今は、懐かしく思い出す。懐かしい追浜工場が無くなると地域経済にも大きな影響が出ることが懸念される。 

 

▲88 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

完成車生産はあらかた九州や栃木に移管してしまっている現状で、敢えて追浜にノートとリーフだけ残しておくのは非効率だろう。輸出入と研究開発の拠点としては残しても、工場部分だけでもかなりの面積であり、この部分を売却すれば宅地等の需要は高いだろうから、かなりのキャッシュが手に入ることと思われる。 

 

▲54 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

完成車工場としての追浜閉鎖はインパクト大きいけど、日産創業の地であり、現在はエンジン工場として稼働している横浜工場はどうなるんだろ? 

完成車工場がいわき、栃木、九州と分散している現状、横浜でエンジンを作る理由が薄くなるように思う。日本有数な京浜工業地帯に位置する結構な敷地面積の工場だからね。 

 

▲19 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

湘南工場が閉鎖になるかもと予想してましたが、発表をきいて切ない気持ちです。 

昔仕事で出入りしていて、周りにはたくさんの下請け企業がありそちらとも関わりがあったので、みんなどうなるんだろうと考えてしまいます。 

昔は人気があり私の父も義理の父もずっと日産車に乗っています。 

でも同年代ではあまり見かけないですね。 

あの人気を取り戻して欲しかったです…。 

 

▲16 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私は2輪も4輪もやる方ですが、70年代旧車では車は日産、バイクはカワサキと言うファンはとても多い。 

カワサキは現在ブランド確立をして新車販売もとても好調に見えます。 

古いブランドをずっと大切にしてることが躍進の特筆すべきポイントかと。日産もカワサキに見習うことが多いのでは? 

 

▲34 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

ここまで来たら、この事態を招いた経営陣もケジメをつけないといけないな。 

 

神奈川は日産の本社もある、いわば総本山だ。 

そこにテコ入れしなければならないんだから。 

 

ただ、大企業のトップとして、日本経済を支える自動車産業の一翼を担う企業として、 

従業員の雇用は護ってあげてほしいですね。 

 

▲128 ▼19 

 

 

=+=+=+=+= 

 

工場閉鎖、メーカー社員削減だけの問題じゃない。 

100%子会社の販売会社を中心に、営業拠点も整理されるだろう。 

首都圏、特に都内に於いては、換金しやすい立地の販売店舗も多々 

あるから、先の販社再編時に残し、狭い範囲に複数ある営業拠点は、 

整理廃止されるだろう。 

その子会社にいる社員を含めたら、どれくらいの人に類が及ぶのか、 

取引のある関連各社を含め、関係者は気が気じゃないだろう。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

1971年に小学校の社会科見学で追浜工場に行きました。操業開始から10年程度で工場も古びておらず、説明に立った広報担当の社員の顔にも「自分達が日本を発展させているんだ」という自信が漲っていました。当時日本の自動車生産台数は西独と競っている段階で、米国のはるか後塵を拝していましたが、「いつか追い越す」という気概が小学生だった私達にも伝わってきました。 

「完成車検査で不合格になった車はどうなるのですか」との級友の質問に対して「操業開始以来1台も不合格はないので考えていません」と誇らしく回答した社員の態度が今でも印象的だし、当時の日本を象徴する風景です。あれから半世紀以上経ってこんなニュースに接したことに寂しさと情けなさを感じます。 

追浜工場は海軍横須賀航空隊基地の跡地であり、構内にある夏島は伊藤博文が憲法草案を起草した地です。外国資本に売り飛ばして更地にされないように政府が介入すべきです。 

 

▲65 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

栄枯盛衰著しいね 

大学生の時に親戚のおじさんからもらったK'sを壊れるまで乗ってたな 

もらった時の状態がそれだったからルーフレールも取り外せなくて 

「お前スキーやらないんだから外せよw」とかいつも笑われてたけど 

手放すときまでずっと外せなかったね 

速くてかっこいいし今でもあの車に乗れたことはいい思い出です。 

 

▲11 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ここまで業績が低迷すると、内田氏含めた元社長ら取締役に対して株主代表訴訟が提起されても不思議ではない。億円報酬に見合わなかったのだから当然とも言える。日産はゴーンの遺産として、目先の利益確保に必死となり新車や魅力的な車種を出すことで日産ブランドのファンを取り戻す、増やすことができなかった。ファンを取り戻す旗を振らなかった内田氏は巨大メーカーの社長として進むべき方向に行けず巨額の赤字転落へと転落した結果責任を追及されてもやむを得ない。そしてまた、スピノーザ氏という外人社長によるリストラに頼る。メーカーは夢のある車やモビリティを構想して作って売る。古典的だがそこに日産も戻らないとさらにファンが減る。 

 

▲89 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

少子高齢化で成長が見込めないから、お膝元とはいえ国内の主力工場を優先的に閉鎖するのはやむを得ないことかな 

残る九州の方はコストも安いですからね 

日本製鉄君津地区への影響も気になります 

東京湾を挟んで大量に鋼板を供給しているはずですので 

こっちも減産になっちゃうのかな 

 

▲62 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

過去に元夫がリストラになったことがあります。それが直接の原因で離婚したわけではありませんが、確実に遠因にはなっています。 

今、閉鎖予定の工場に勤めている従業員さん達のご家族はどれだけ不安か手に取るようにわかります。 

工場の近辺に家を買った方もいるでしょう。 

お子さんが居る方も沢山いるでしょう。 

この先のことを考えると居ても立ってもいられないと思います。 

スカイラインはじめ、名車を産み出してきた日産がこんな風になってしまうなんて車好きではない私でも寂しさを感じます。 

 

▲21 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人気車種をどんどん生産終了させ、 

売れる車を作ろうとせず、 

売るための努力もせず、 

経営陣が自身の保身しか考えられなかった結果でしょう。 

最近のCMから見てもそのへんが感じられる。 

ネットニュースでは、エルグランドやエクストレイルがどうのこうの言ってますが、その程度では焼け石に水じゃない? 

大規模人員削減、工場売却して一時的に赤字減らせても、その先持ち直せます?また右下がりになる様な気がしますけど。 

 

▲26 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

ホンダの提案を受け入れていたら社員は、近隣のホンダの工場でも受け入れ可能だったわけで、いかに日産の経営者が自分の事しか考えていないかわかりますね。ゴーン氏の時はお金はルノーが出したので工場閉鎖後に新しいことが出来ましたが、今は、工場閉鎖しただけで、新しいことをするお金がありません。工場閉鎖することにより日産のキャッシュの減りが一時的に少なくなるだけで、キャッシュショートまでの期間が1.5年→2.0年程度になっただけでしょうね。売れる車を出すといっても直ぐには無理なんだから、誰かに助けてもらわないとお金が回らなくなる。 

 

▲18 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

日産が振るわないのは、何か心淋しい。むかし若かりし頃、サーフィンラインのブルーメタリック2ドアハードトップスカイライン乗ってた時代を懐かしく思う。平成生まれの息子は、教えた訳でもなく、32のGTーR、シルビア タイプR 

を今でも乗っている。32Rはノーマルだが、タイプRは自分でチューニングして400馬力オーバーまで馬力アップ、ドリフトカーに仕上げている。もう一度むかしの魅力ある車作りに再起して蘇る事を願わんばかりである。 

 

▲21 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場も閉鎖、ここ昔来た時工場内からは見えないけどサーキットみたいな施設があってレーシングチームのトランスポートもいろいろ来ていたということはレース活動も縮小するのかな、自分は日産とホンダの部品生産数がへっているのがずいぶん前からわかっていた(この当時車両生産台数は増えていると表向きには言っていた)これで帳尻があっていたのに確信が持てた 

 

▲5 ▼0 

 

 

 
 

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