( 292407 ) 2025/05/20 06:15:51 0 00 通勤時間帯、JR大阪駅前を行き交う人々。「静かな退職」が日本でも広まっている
職場で必要最低限の業務をこなし、出世は目指さない-。こうした働き方を指す「静かな退職」という言葉が注目を集めている。賃金の伸び悩みや夫婦共働きの増加などが背景にある。パナソニックホールディングス(HD)の楠見雄規社長が「人員は少し足りないというぐらいがちょうどいい」と発言するなど労働生産性の低さが問題視される一方、多様な働き方の選択肢として肯定的に捉える見方もある。
「静かな退職」という言葉は、米国人キャリアコーチのブライアン・クリーリー氏が2022年に交流サイト(SNS)で「仕事を辞めないが意欲は持たず、最低限の業務にしか携わらない働き方」として発信した。米国の調査会社ギャラップが22年~23年に160カ国以上の約12万人に行った調査では、労働者の約59%が静かな退職の状態にあるとする。具体的には、会議でまったく発言しない、残業を一切せず定時に帰る-などの勤務状況が想定される。
高度成長期に家庭を顧みずに長時間労働で会社に貢献する「企業戦士」「モーレツ社員」が当然視された日本でも、現在は「失われた30年」からの脱却のため、労働生産性の向上が急務だ。
日本生産性本部によると、23年の日本の1人当たり労働生産性(就業者1人当たり付加価値)は、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中32位で、先進7カ国(G7)で最低。どこまでが「静かな退職」と呼べるか不明な部分はあるが、従業員の生産性の低下は経営者にとって頭痛の種になっている。
パナソニックHDは今月9日、経営改革の一環としてグループ人員を1万人削減すると発表。楠見社長は記者会見でこう語り、人員の「余剰感」を強調した。
「人の数が仕事に対して少し余裕があるとなると生産性を高めるための創意工夫も起きない。人員は少し足りないというぐらいがちょうどよくって、その中で生産性を上げる努力をして人が成長する」
各種調査の結果を見ると、静かな退職は日本でも若者を中心に拡大。プライベートの充実、給料に見合った仕事を求める傾向がみられる。人事制度に詳しい大正大の海老原嗣生・招聘教授は「賃金を上げる代わりに長時間勤務で労働者を酷使する人事制度が持たなくなった」と指摘する。
国内では生産年齢人口(15~64歳)が1995年の8716万人をピークに減少を続け、2024年11月時点で7374万人。ところが、就業者数は年々増加傾向にあり、24年で6781万人と前年から34万人増え、比較可能な1953年以降で最多となった。
背景に女性の社会進出やシニア層の定年延長などがある。海老原氏は、夫婦共働き世帯では家事や育児の分担が進んだと指摘。家庭での時間を確保しながら働くために、一定の賃金で仕事量をセーブする静かな退職が選択肢として注目されているという。
さらに、現在の多くの企業では年功序列型で給与が増えていくが、役職定年や再雇用の時点で大きく落ち込む。このことがシニア層の意欲低下につながっている面があり、海老原氏は「長年培った経験を生かせる専門職などを中心に賃金カーブを平準化し、より長く安定した収入を得られる働き方も選べることが求められている」とする。
■20代で半数近くが「実践」 プライベート重視の傾向顕著
必要最低限の業務しかしない「静かな退職」。仕事より「自分の時間」を重視する傾向のある若年層を中心に関心が高まっている。静かな退職ではないもう一つの働き方として、従業員の「やる気」を引き出す独自の取り組みを始める企業もあるなど、静かな退職の波紋は広がっている。
就職活動の支援サービス事業などを行う「マイナビ」(東京)が昨年11月に実施した調査では、静かな退職を「やりがいやキャリアアップは求めずに、決められた仕事を淡々とこなす」と定義。20~50代の正社員3千人に実践しているかを聞いたところ「している」と回答した割合は44・5%となり、20代が46・7%と最多となった。
実践者のうち57・4%が静かな退職で「得られたものがある」と回答。具体例としては、最多が「休日や労働時間、自分の時間への満足感」(23・0%)、次いで「仕事量に対する給与額への満足感」(13・3%)となった。
一方、企業の働きがいについて研究する「GPTWJapan」(東京)が昨年12月、男女1万3824人を対象に実施した調査では「会社で長く働きたい」と思う一方、「仕事を達成する努力を惜しまない」ことに否定的な回答者を静かな退職の実践者と定義。その割合は2・8%にとどまったが同年1月比で0・4ポイント増えた。
経営層や部下を持つ管理職からは、静かな退職の実践者が周囲から期待されなくなったり、同僚が仕事量の偏りに不満を募らせたりするなどの影響を懸念する意見が上がった。同社の荒川陽子代表は「静かな働き方の実践者が増えることで職場の連帯感や生産性の低下を招き、特に中間管理職層の負担が増す要因となる」と警鐘を鳴らす。
従業員の生活や意識の変化を踏まえ、新しい工夫で働く意欲を醸成する企業もある。
半導体製造装置で世界トップシェアのディスコ(東京)には、上司が部下に業務を割り当てる代わりに業務を「入札」にかける仕組みがある。部下は提示された社内通貨「Will(ウィル)」の価格を見て、業務に応じるかどうかを判断。業務を完遂すれば報酬としてウィルを得られ、会社への貢献度が明確に示される。
ウィルが黒字になれば賞与に反映され収入が増える一方、完遂できなければウィルは得られないこともあり、上司に相談しながら業務を進めることになる。
また、例えば家事のために早く帰宅する必要がある従業員は、別の従業員にウィルを支払って業務を肩代わりしてもらうことができる。担当者は「ライフステージによってはプライベートを優先しなければならない時期があり、ウィルで働き方を選べる」と語る。(山本考志、桑島浩任)
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