( 293725 )  2025/05/25 03:58:52  
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30年近く郵便配達員として働いていた男性が、過酷な労働環境に追い込まれて自宅で亡くなった。

異動後の新しい郵便局での仕事に適応できず、配達業務に追われる日々を送り、食事も摂れないほど忙しかった。

その結果、過労死してしまった。

家族は遺族補償を求めるが、日本郵便は具体的な説明を避けている。

同様の労働環境下での突然死や過労死が全国の郵便局で相次いでおり、労働者や家族らが問題提起している。

(要約)

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撮影/野村昌二 

 

 30年近く、「街の郵便屋さん」として働いていた男性を追い詰めたのは、過酷な労働環境だった。 

 

 昨年7月20日、東京都武蔵野市にある武蔵野郵便局に勤務していた、飯島淳(じゅん)さんが自宅で亡くなった。享年48。死因は虚血性心疾患だった。 

 

「淳は、郵便局に殺されたと思います」 

 

 淳さんの80代の母親は、絞り出すように語る。 

 

 淳さんは1996年に郵便局に就職すると、東京都府中市にある武蔵府中郵便局の郵便物を集荷・配達する集配課に配属された。地域に根ざした仕事にやりがいを感じ、同僚にも恵まれ、仕事に誇りを持って働いた。ところが、2023年10月、武蔵野郵便局に異動になると、状況は一変した。郵便局では、職員は職場の異動を前提としている。淳さんは武蔵府中郵便局で働き続けたかったが、これ以上、年をとってからの異動はつらいとの思いで、47歳で武蔵野郵便局への異動に応じた。 

 

 郵便物を配達するには、その地域の地理や顧客情報を覚えなければいけない。しかし、同郵便局はエリアが広く、異動してきたばかりの淳さんにとって短期間での把握は困難だった。完全に覚えきる前に担当エリアは拡大していった。十分な協力体制がない中、淳さんは配達に追われた。 

 

■「眠れない」 

 

 仕事に忙殺され、満足に昼休みも取れなかった。母親が「せめて、おにぎりぐらい食べたら」と気遣うと、「忙しくて、おにぎりすら食べられない」と答えたという。精神的にも肉体的にも追い詰められ「眠れない」「武蔵野はクソだよ」と両親によくこぼした。24年4月になると友人に「10キロ痩せた」と話していたという。 

 

 7月8日の朝には、バイクの始業点検中に狭心症の発作を起こしたが、少し横になっただけで配達に出たという。この頃、真っ白な顔の淳さんを同僚が見ている。それからしばらく経った20日夜、淳さんは亡くなった。 

 

 発見されたのは、亡くなって2日後の朝。出勤しないことを不審に思った局の職員が警察に連絡し、知らせを受けた70代の父親がマンションに駆けつけると、淳さんは布団の上でスマートフォンを握りしめたまま亡くなっていた。部屋のエアコンはつけっぱなしだった。武蔵野郵便局に異動して、わずか10カ月弱だった。解剖に当たった医師は、「胃の中に固形物がまったくなかった」と説明したという。 

 

「食事すら満足に取れず、つらかったろうって思います。そういう厳しい仕事を息子がしていたのだと、もっと早く思いやってあげられたら……」(母親) 

 

■何があったのか 

 

 両親は淳さんの死は過重労働による過労死だと考え、母親が「全国一般三多摩労働組合」に加入し、日本郵便に団体交渉を申し入れたが拒まれ、現在は訴訟に向けて動いている。 

 

 父親は強い口調で訴える。 

 

「郵便局は何があったのかを包み隠さず、事実を明らかにし、同じ悲劇が二度と起こらないようにしてほしい」 

 

 全国の郵便局を運営する日本郵便はAERA編集部の取材に、淳さんが亡くなった原因の認識について、「関係者のプライバシーに係ることなので、回答は差し控えさせていただきます」と詳細な説明はなかった。また、遺族への対応については「引き続き、ご遺族からの情報開示、調査への協力等のご要望に対しては誠意をもって対応させていただきます」と回答した。 

 

 全国の郵便局で、過労死を含む現職死や自死が相次いでいる。 

 

 郵便局で働く労働者やその遺族らでつくる「郵便局過労死家族とその仲間たち(郵便局員過労死家族会)」の調査では、01年から24年の24年間で、全国の郵便局における突然死・自死は、把握できただけで25件に上った。 

 

「氷山の一角だと考えています」 

 

 こう指摘するのは、家族会事務局長で、郵政産業労働者ユニオン元中央執行委員の倉林浩さん(69)だ。 

 

 

 郵便局では、局員が突然死したり自死したりした場合、徹底したかん口令が敷かれるという。遺族が声を上げなければ、実態は外部に伝わらないことが多いため、実際の数字はもっと多い可能性が高いと話す。 

 

 倉林さんによれば、郵便局で局員の自死が増えたのは1990年代に入ってから。かつては、どの郵便局にも同じ局に長年勤務し地域のことを隅々まで把握している「地域密着型」の局員がいた。しかし、90年代後半から「人事交流」という名の下、本人の意に反した配置転換が行われるようになったという。 

 

「新しい職場に適応できず、自死する局員が出てきました」(倉林さん) 

 

■郵政民営化 

 

 もともと郵便局は、国の行政機関である郵政省が、郵便、郵便貯金、簡易生命保険の3事業を管轄していた。それを効率的に運営する目的で、2003年に日本郵政公社という特殊法人が設立され、3事業一体の運営となった。しかし、「民間にできることは民間で」との主張を掲げた小泉純一郎首相(当時)氏は、郵政民営化を「改革の本丸」に掲げ、05年10月に郵政民営化法を成立させた。こうして07年に、日本郵政グループ5社(日本郵政、郵便事業、郵便局、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)が発足した。すると、それと歩調を合わせるように各地で突然死や自死が相次ぐようになったと倉林さんは言う。 

 

「大きなきっかけとなったのが、03年から一部の郵便局で導入が始まった『トヨタ生産方式』です。民間経営のノウハウを取り入れ、全ての作業から『無理・無駄・むら』を排除するシステムで、徹底した時間管理が行われ、職場のプレッシャーは一気に増しました」 

 

 かつては椅子に座って行われていた郵便物の仕分け作業も、「座って作業するのは無駄」として「立ち作業」に変更されたという。 

 

「そして、『お立ち台』と呼ばれる『台』が、一部の郵便局にできました。配達ミスや配達中に事故を起こした職員はお立ち台に立たされ、数百人の同僚の前で、報告や反省、謝罪をさせられるようになったのです。こうして、自己責任を追及する職場風土が形成され、追い詰められた局員が自死する事態が発生していきました」  

 

■「自爆営業」 

 

 厳しいノルマも、郵便局員を苦しめてきた。郵便局に勤務していた夫の小林孝司さんを、過労自死で亡くした明美さん(57)は、こう訴える。 

 

「年賀状離れが進み、年賀状の販売数が減少しているにもかかわらず、上司から『売ってこい』と強く促され、売れ残った分は自分で買い取らされていました」 

 

 孝司さんは1982年から24年間、さいたま市内の岩槻郵便局の集配課で正社員として勤務していた。しかし、2006年に、さいたま新都心郵便局に異動になると、仕事が一気に増加した。同局は民営化の「モデル局」という位置づけから、経営効率が求められた。 

 

 さらに孝司さんを苦しめたのが、はがきや物販などの販売ノルマだった。特に重視されたのが年賀はがきで、毎年一人7千~8千枚の販売ノルマが課せられ、達成できなければ上司から厳しく叱責された。孝司さんが亡くなった年のノルマは、一人9千枚だったという。孝司さんも大量の年賀はがきを自腹で購入した。自腹を切って売り上げを伸ばすこの行為は「自爆営業」と呼ばれた。死後、自宅から数百枚の年賀はがきが見つかった。 

 

 孝司さんがお立ち台に上がったことはなかったというが、配達ミスなどをした局員はお立ち台に立たされた。台に上がった局員の中には、途中で泣き出したり、立った翌日に頭を丸めて出勤したりする職員もいたという。 

 

「お立ち台は、パワハラの象徴だったと思います」(明美さん) 

 

 08年、孝司さんはうつ病を発症。計3回にわたり病気休暇を取得した。3度目の復職から約半年後の10年12月、同局の4階の窓から飛び降りて自ら命を絶った。享年51。さいたま新都心郵便局に異動して、4年後だった。まだ小学生の幼い3人の子どもを残して、この世を去った。 

 

 

 明美さんは13年、会社が異動などの対策を取らなかったことは安全配慮義務違反に当たるなどとして、さいたま地裁に提訴。16年に日本郵便が解決金を支払うなど和解に至った。その後、労災も認められ、会社側は明美さんへ謝罪し「二度とこのようなことは起こらないようにする」と約束したという。 

  

 

 いま郵便局では、お立ち台も自爆営業も基本的にはなくなっている。しかし、その後も在職中の死亡が相次いでいる。 

 

 先の倉林さんは、「郵便局に残るゆがんだ企業風土が問題」と指摘する。 

 

「官僚時代の上意下達の硬直した体制を変えられず、そこに過度な競争を強いるあやまった民間意識が注ぎ込まれました。それがいまだに改善されていません」 

 

■深夜勤務は拘束時間が長い 

 

 さらに、非正規社員の増加も突然死との関連が指摘される。 

 

 07年の郵政民営化以降、郵便局は収益性を重視し人件費を抑えるため、非正規社員の活用が進んだ。23年度、日本郵政グループ4社の社員総数は約37万人で、このうち非正規社員は約45%の約16万人を占める。 

 

 非正規社員は正社員と比べ給与が低い。そこで、郵便局では賃金の深夜割増がつく深夜勤務に就くケースが多い。だが深夜勤務は拘束時間が長く、健康への影響が懸念されている。 

 

 家族会によれば、昨年は1年だけで全国で5件の死亡事例が確認されている。そのうち3件は、東京都江東区の新東京郵便局での深夜勤の非正規社員だった。亡くなった局員は勤務年数10~20年で、特に持病はなかったという。 

 

「深夜営業以外にも、郵便局は非正規の労働者に支えられています。しかしそのため、かつてのように労働者が団結したり助け合ったりする職場の絆が崩れ、つらくても声を上げることもできなくなっています」(倉林さん) 

 

 前出の小林明美さんは、家族会の共同代表も務めている。明美さんは言う。 

 

「正社員でも非正規社員でも、一人ひとりの職員が声を上げられ、働きやすい職場環境にすることが重要です。相談できないから、苦しい状況でも無理をして働き続ける人がいると思います。郵便局は職員一人ひとりを大切にし、現場の声に耳を傾けるべきです」 

 

 郵便局で続く突然死や、過労死。日本郵便に求められるのは、職場のあり方そのものを見直す真の改革だ。 

 

(編集部・野村昌二) 

 

野村昌二 

 

 

 
 

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