( 293974 ) 2025/05/26 03:34:16 2 00 目の前を通り過ぎたのは、執行直前の死刑囚だった 元収容者が証言「俺らは何も知らんとメシ食ってる」京都新聞 5/25(日) 10:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e34de329598561019ff4724c74cfe448f60daa6e |
( 293975 ) 2025/05/26 03:34:16 1 00 大阪拘置所で5年半勾留された元収容者の男性が、確定死刑囚が執行される朝の様子を日記に記録し、その後死刑が執行されたことを知った。 | ( 293977 ) 2025/05/26 03:34:16 0 00 大阪拘置所での勾留中に元収容者の男性がつけていた日記。「今日の朝、何かあったんかな?」「刑務官にかこまれた奴が通り過ぎた」と記した。その後、死刑が執行されたと知った(画像の一部を加工しています)
確定死刑囚が収容されている大阪拘置所で2021年、執行当日の朝に連れ出される死刑囚の様子を目撃したという元収容者の男性が、このほど京都新聞社の取材に応じた。死刑囚と隣り合わせの房で生活した経験や、当日の緊迫した拘置所内の様子を証言した。
■周囲と異なる扱い、確定死刑囚と気付いた
大阪府の男性(36)。傷害致死罪などで起訴され、大阪拘置所に5年半勾留された。一貫して無罪を訴えて昨年夏に保釈が認められ、昨年11月、大阪高裁で逆転無罪が言い渡された(大阪高検が上告中)。
大阪拘置所では独房(単独室)に収容され続けた。他の収容者との会話は許されず、周囲に誰がいるかも知らされなかった。しかし長く過ごすうちに、血圧や体重の測定が頻繁にあるなど、異なる扱いを受けている人がおり、確定死刑囚だと気付いたという。
■黒い幕が張られ、刑務官は怒鳴った
男性の日記によると、異変が起きたのは21年12月21日。午前7時半に起床のチャイムが鳴ったが、毎朝の点呼が始まらずやけに静かだった。けげんに思っていると、いきなり廊下から階段につながるドアが開き、大勢の刑務官の靴音が所内に響いた。
扉の窓から廊下をのぞくと、三つの房で扉の窓に黒い幕が張られ、扉の前に刑務官が立った。いずれも確定死刑囚が収容されているとみられる房だ。男性の房は幕が張られなかったが「何もないから。着座位置に座れ」と刑務官に怒鳴られた。照明が薄暗くなり、幕を張られた房の収容者が興奮したのか、刑務官を呼ぶボタンを何度も押し、廊下で赤いランプがこうこうと光った。
廊下の奥から、黒いジャンパーに青いスリッパ姿の男性収容者が、7人ほどの刑務官に囲まれて歩いてきた。肩を小さく丸めながら通り過ぎる収容者と、「目が合ったような気がした。がっくりしているように見えた」
■「おそろしいとこや、ここは」
一団が階段の方に去った後、「配食準備」の声がかかり、朝食の用意が始まった。最初に異変を感じてから5分ほどの出来事だった。昼前には、確定死刑囚とみられる収容者の1人が「睡眠薬をくれ。あんなことがあったら眠れない」と訴える声が響いた。「あんなんするって聞かされてなかった。ごめんな」となだめる刑務官の声が聞こえてきた。
夕方、法務省が3人の死刑執行を発表したことを伝えるニュースがラジオで流れた。うち1人が、兵庫県加古川市の7人刺殺事件で死刑が確定し、大阪拘置所に収容されていた藤城康孝元死刑囚=執行当時(65)=だった。朝に目にした収容者と思われる名前を初めて知った。「おそろしいとこや、ここは。絞首されてる時に、俺らは何も知らんと、のんきにメシを食ってる」「通り過ぎる光景が忘れられへん」。男性は翌日の日記にこう記した。
男性は、死刑関連の問題に取り組む関西の弁護士が開催する勉強会でも証言している。死刑執行の当日告知を巡っては、大阪拘置所の確定死刑囚2人が、当日の告知では不服を申し立てることができず違憲だとして、国に損害賠償などを求めて提訴。大阪地裁は訴えを却下・棄却したが、二審の大阪高裁は3月、却下部分の審理を地裁に差し戻した。
■専門家「さよならも言えない、非人間的な扱い」
刑事施設での死の在り方を研究する龍谷大の古川原明子教授(刑法)は、男性の証言を「近年の執行に関する情報は少なく、貴重だ」と指摘する。「周囲の収容者が『さよなら』といった声をかけることさえできないとすれば、非人間的な扱いだ」と現行の運用を批判する。
死刑執行の時間は法務大臣の命令から5日以内とする刑事訴訟法の規定以外に定めはないが、国会答弁などによると、本人の心情の平穏を保つためとして当日の1〜2時間前に告知し、絞首刑を執行する。古川原教授によると、米国では州によって数日から数十日前に執行日が告知され、世間にも広く知らされる。本人に書面で手順などを説明し、自殺などを防ぐため監視体制が強化される。
古川原教授は「死刑囚は罪の責任を負う主体的な人間として扱うべきだ。事前告知か直前告知かを選べるようにした上で、死に向き合う機会を与えることが望ましい。適切に執行されるかどうか国民が監視することも必要だ」と話す。
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( 293976 ) 2025/05/26 03:34:16 1 00 このテキストのコメントをまとめると、以下の点が挙げられます。
- 死刑制度に賛成の意見と反対の意見があり、被害者や被害者家族の立場や感情を尊重すべきだという意見が多く見られる。 - 死刑囚に対する人権や処遇についての意見が分かれており、「人間的に扱うべきだ」とする声と「被害者の苦しみも考えるべきだ」とする声がある。 - 死刑執行に関しても、執行の時期や方法、執行までの期間などについて意見が分かれている。 - 刑務所内の環境や死刑囚の心情についても議論がされており、厳しい刑罰を必要とする立場と、人権を尊重すべきだという立場の対立が見られる。
(まとめ) | ( 293978 ) 2025/05/26 03:34:16 0 00 =+=+=+=+=
こうした内容はもっと多くの人に知られたり、義務教育で法律や死刑制度を考える場を作ってもいい。犯罪を犯す怖さを知らず、人を殺める結果何が待ち受けるのか。想像力不足のまま成長する者は一定数存在する。抑止のための教育でもあるが、人間の負の側面を早い段階で周知することも大切に思う。
▲121 ▼8
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昨日、ある殺人事件の記事を読んだ。 被害者の女性は生き埋めにされる前に犯人に「殺さないで。お願い」と命乞いをしたが、結局聞き入れられずに埋められて殺害されたという事件。
この事件の被害者は、家族や友人などに別れ告げることなど到底できなかった。 それどころか、自分の死すら覚悟をもって迎えられなかったはずだ。 被害者女性の絶望感と窒息死するまでの苦痛を想像するだに慄然とせざるを得ない。 さぞ怖ろしく無念だっただろう。
多くの殺人事件では、被害者は絶命するまでにさまざまなチャンスを理不尽に突然強奪され、無念さや絶望感を無慈悲に唐突に与えられる。
加害者の死刑囚に「死に向き合う機会を与えることが望ましい」という古川原教授には下記のように言いたい。
「死刑囚は、刑が確定してから執行されるまでの全ての時間を死に向き合うことに費やせるはず。毎日毎日、毎時間、毎秒毎秒。それで十分なのでは?」
▲27690 ▼491
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非人間的な扱いと言われても、なぜか心が動く事はなく同情の感情が湧かない。 それは他人を非人間的かつ自分勝手に扱った過去が有るからと思う。 亡くなされた人は家族に『さよなら』なんて言えなかっただろうし、犯人は非人間的過ぎるからとその時、情も掛けなかっただろう、自分勝手な理由で実行した。 その経緯があるから同情、出来ないんだと感じた。
▲11105 ▼112
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拘置所内で確定死刑囚は他との接触を極力避ける区画に置かれると思っていたが、未決拘置の人と同じフロアに収容されているとは。あと所内では死刑に関する報道は「死刑囚を刺激する」から見聞出来ないようになっていると思ったが所内で収容者が聞ける構内放送のラジオニュースで流されているというのも意外。死刑囚が取り乱したり暴れたりして刑務官と大立ち回りするようなことが起きたら、周囲の収容者は相当に動揺するのでは?
▲101 ▼9
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死にたかった人なんているわけがないのに…理不尽に殺された人の人権は軽んじて、死刑囚の人権を考えろと言う人の気が知れない。 罪が確定するまで長い時間がかかり、確定しても死刑までに長い時間があり、その間にたくさんの時間がある、殺された人にはその時間さえないし、夢や大切な人との別れさえ叶わない。 死刑囚になるとは、人として1番してはいけない事をしたからでは?
▲9285 ▼63
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死刑囚に人権なんてないとか、非人道的な扱いをしても良いなんて思わないけれど、被害者の命を理不尽に奪った者が死刑執行が当日告知だと不服を申し立てることができないとか、周りにさよならを言う暇もないから提訴だなどと…どの口が言っているのかと感じてしまう。 全ては法の定めの通りに執行を。 それ以上でも以下でもない。
それ以前に、法務大臣が法の定める期間を大きく超えて死刑執行を命令しないからこのようなことを言い出す死刑執行が出てくるのではと思ってしまう。
税金を無駄にすることなく速やかな執行を求めます。
▲1438 ▼15
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死刑って残酷なように思えますが、この死刑囚は7人も刺殺したんですよね。罪の重さを考えると同情はできないです。でも死刑を執行しなくてはいけない刑務官の重責は相当なものだと思います。
▲8422 ▼99
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何で死刑囚は お別れの時間も無いとか 死刑は酷い残酷と言われるんでしょうかね。死刑囚は殺人など重罪を犯した人達。被害者は家族に別れを告げる事も許されず ある日突然命を奪われた。これ程残酷な事は無い。世界は死刑廃止に動いてると言うが 日本は今のまま 死刑制度は存続した方がいい。更には 確定後6ヶ月以内に執行して欲しい。
▲5137 ▼60
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死刑は、重大な犯罪に対する報いです。それなのに、もし安楽死のように、何の苦痛もなく、命を終えることができるのであれば、それは刑としての役割を果たしていると言えるでしょうか。 被害者が受けた痛みや苦しみを考えれば、加害者が安らかに死を迎えることに、納得できる人は少ないはずです。 死刑には、罪に見合う厳しさが求められるべきであって、単なる生命の停止ではなく、応報としての側面があって然るべきだろうと思います。
▲4001 ▼56
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死刑囚がやったことに比べれば、そんなのなんてことないですよ。 この元収容者という人も、ごく一般人が大変な場に居合わせたような口ぶりで言っているけれども、この人はそこに収容されるだけのことをしたからそこにいたわけです。この人の陰でどれだけの人が泣いていることか。
少なくとも日本では事故など悪意のない行為をしたことで死刑になることはありません。 死刑囚に対して差別的な扱いはすべきではないし許されないけど、死刑判決が確定してから執行されるまでの死刑囚であるが故の苦痛は仕方ありません。
▲2669 ▼59
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亡くなられた被害者の心情とご遺族の心中を察すると、死刑囚にはそれ以上の時が死刑執行の直前にあって当然だと思います。死をもってしか償えないような残酷な行為を行っておきながら人権を持ち出すのは利己的で卑怯なことと思います。
▲1961 ▼19
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記事の内容から見れば、加害者擁護する記事としか見えないが、人権を無視され殺されていく被害者は報われず、何方に非があるかは明白なのに、新たな見解を認めさせるような記事には賛成できない。 死刑の執行が少なくなった現在において、死刑が必要な事は判るはずですが、現在の異常な犯行が増え続けている中に置いては、止むを得ないし異を唱えることではない。 むしろ刑罰は軽すぎると思う。
▲1353 ▼27
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目撃者はストレスを感じられて気の毒だと思う。だが死刑囚に命を奪われた被害者にも「さよなら」を言いたかった相手もいただろうし、それ以前に何で自分が被害者に!?と思っただろう。冤罪や情状酌量の余地がある場合以外は基本「目には目を」で良いと思う。人を傷つけたら自分にも同じ事が起こる。そうしないと被害者の痛みや恐怖は分からない。
▲1324 ▼23
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日本に於いて死刑判決を下される事は相当な犯罪行為を行ったという事なので、人道云々を語るなら本来なら速やかな刑の執行を行わなければいけないと思う。
刑の執行を遅らせ、受刑者を狂わせるくらい反省を促すというなら、人道には反するが分からないでも無い扱いだと思う。
▲1163 ▼16
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この文章のように死刑囚がどのように死刑執行の日を迎え、執行場所に連れて行かれるのかを公開して、一般人がそれを知る意味は、自分にとって殺したいほど嫌な奴がいても殺害したら、自分も死刑囚になって同じような目にあってしまうから殺すのは止めておこうと殺人に出ることを引き止める抑止力になることでしょう。
▲1034 ▼39
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殺された被害者やその家族、友人、知人の気持ちを考えたら、殺人犯の勝手な言い分のようにも聞こえます。罪をあがなうとはそう言う環境の中で反省することではないでしょうか。快適な生活環境下であれば反省するでしょうか? 人権派の弁護士等々の方々は、犯人の人権を問う前に無念に殺害された被害者と被害者を取り巻く人々の気持ちや人権を擁護すべきです。
▲816 ▼8
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全ては被害者の最後がどうだったのか、加害者にそれ以上に配慮をする必要などあるのでしょうか。亡くなった人には何も反論できないのです。加害者がその後にいくら本心であれ形だけであれ後悔しても被害者は帰ってこない。非情に突然殺された被害者にとっては加害者だけが生きてるからと人権がどうかと言わせる権利が本当にあるのでしょうか。
▲138 ▼4
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死刑囚とは、死をもって刑となすものであり、そうした意味で他の受刑者および未決収容者とは違っている。 死刑囚は刑務所には収容されない。それは懲役を言い渡され、一定期間役務を務める者とは全くの相違である。 刑が執行されるまで人権は尊重されているものではあるが、それは有期刑としての受刑者とほぼ同じであり、死刑囚は自分の刑の執行までの間、拘置支所において孤独な時間を過ごす。 しかし、それが死刑としての刑であり、罪の重さである。 拘置支所において死刑囚といわれる人との収容部屋が近かった自分の率直な感想である。
▲872 ▼74
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米国の例を挙げていますが、その結果米国では日本に比べて有意に凶悪犯罪が減ったり、被害者遺族の幸福度が上がったりしてるのでしょうか? 国が良くなるなら見直すのも良いけど、ただ加害者の権利のためと言われても、それなら被害者の権利を守ることをもっと真剣に考えてほしいというのが率直な感想です。
▲499 ▼8
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日本は判決から執行まで何年もの長い時間があります、その間にやれることは沢山あると思いますよ。懲役刑と違って仕事も免除されて税金できっちり食事もできますし遺書やお詫びなど諸々の準備もできますよね。ある日突然何もわからないままこの人の犠牲になった方の人権はどうするんですか。現行の法律の中での執行は仕方ないですね。
▲420 ▼7
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時間をかけ合法的な裁判が行われ、死刑の判決が出てもなかなか執行されない。現在、死刑囚が100人を超えているという。非道で、卑劣な殺害を犯した人物を拘置し続け、何故の裁判判決なのか疑問でしかない。被害者並びに関係者の無念さを考えると、正義はどこにあるのかと問いたい。仮に、私の家族が被害にあっても、犯罪者に手を下せない、だからこその司法であるはずではなかろうか。
▲290 ▼8
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「周囲の収容者が『さよなら』といった声をかけることさえできないとすれば、非人間的な扱いだ」
人さまの命を残酷に奪ったから死刑囚になったのであろう その被害者は大切な人に「さよなら」を言えたのか? 無惨な目にあわせたその加害者が最期の挨拶が出来ないことを「非人道的扱い」とは理解できかねる
▲803 ▼9
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死刑囚は基本、人を2人以上殺した人です。 人権主義者が死刑囚の人権がどうとか言ってますが、殺された人は突然殺されているのに死刑囚の人権とか何か言えるの?
冤罪の疑いがないのなら、法律通り死刑判決確定後6ヶ月以内に執行すればいいだけです。
毎日死刑執行でびくびくするような思いをさせなくてもいいので、よほど人権に配慮されてますよね?
▲436 ▼11
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判決を出すときに、執行の日時も決めて、伝えてやればよいのではないか。執行の日が迫ってくる恐怖で取り乱すか、心の準備をして、残された時間を有効に使うかは、人それぞれだろうけど、そもそも、そんなことまでいちいち考慮する必要があるんだろうか?判決が確定すれば後は粛々とことを進めればよいのでは。
▲226 ▼4
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死刑判決が出てから、十分に自分の死に向き合う時間が用意されているし、反省をする時間も用意されている。直前ではあるが、手紙などを残すこともでき、制限はあるが外部とのつながりも許されている。殺された人たちにはそんな時間はあったのだろうか。当然ない。突然死刑囚に殺されたりして、大事な人たちに別れを告げることも、死に向き合う時間はない。だから、日本は非常に人道的であると思う。むしろ海外では容疑者の時点で射殺されたりすることも、無実であろうが何の罪か明らかにされなかろうが収監されて死に追いやられることがある。文句があるならまずそういう国に言ってほしい。
▲191 ▼3
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いろんな意見があると思うが、これが非人道的か?と思った。死刑囚はそれなりの刑を犯したからこそ死刑判決を受けたのであって、日本で死刑になる罪は、当たり前だがどれも重犯罪だ。そんな犯罪を犯しているにも関わらず、前もって「あなたは◯日に刑が執行されます」なんて言う必要あるか?むしろ刑が執行されることが分かれば、自死する可能性が出てくる。個人的には、日本は刑が確定してから執行までの期間が長く、その間に心の準備が出来るだろと思う。
▲112 ▼2
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贖罪の期間
死刑判決が確定してから、執行されるまでは、自らの犯した罪を顧みて、被害者に心よりお詫びする時間であるはず。非人道的な扱い、と記事にはありますが、死刑囚が非人道的なことをしたので死刑判決が出たという事を忘れてはならないと思います。
世界的に死刑制度が廃止される流れが多いようですが、恐らく日本は相当の先まで死刑制度は残ると思います。
▲183 ▼6
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死刑囚がさよならも言えないから残酷なのか? 殺された被害者は、さよならを言えないばかりか、望んでもいないのに命を奪われ、こちらのほうが酷いと思わないのか? マスコミのニュースでは、加害者の写真よりも被害者の写真が使われることも多く、死後まで被害者に鞭を打つようなことまでしている。 弁護士も履き違えて加害者の人権を訴えるよりも、被害者の人権を真面目に考えてほしい。
▲220 ▼3
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私の意見は、死刑判決を言い渡された死刑囚は、それ相当の非人間的な殺人事件を犯した訳で、被害者は突然命を奪われた訳であり、死刑囚が刑を執行されて突然命を奪われても仕方のないことだと思います。極悪非道な犯罪を犯さなければ、死刑を受けることは無い訳です。犯罪を犯す人の特徴は、自己中心的で身勝手な考え方をする人だと思います。物事を客観的に考えて、人を思いやる気持ちのある人は、犯罪を犯すことは無いと思います。殺人事件を犯さなければ死刑になることはないし、普通の生活がおくれる訳です。
▲22 ▼1
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証言者には簡単に言葉にするにも恐ろしい体験と感情だったろうと思う。しかしそもそも死刑囚を最期まで人間的な扱いで遇し、その上で罪を償わせることが正しいのか。
法の下で自らの死を持って刑を受ける立場である。情状酌量の余地などなく確定した刑である。人間と見なさないとのレッテルを貼ることではないが、人間であるゆえに犯した罪は償ってもらわないといけない。
偏った人権尊重の見方は罪を償う意味を本質的に弱めさせてしまう気がしてならない。
▲49 ▼1
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人権、生きる権利を奪うに匹敵することをしたかどうかは判決に至るまでにじゅうぶん議論されるべきことであって、死刑が確定してから議論される話ではないと思う。問答無用で淡々と執行されたら良いと思う。
もし死の直前、謝罪とともに「罪など犯さなければ良かった、死にたくない」と苦しむ言葉が聞けたらまだ良いが、悟りの境地で自分語りや大事な人への謝辞などが始まったら被害者も浮かばれないと思う。
▲43 ▼0
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おっしゃる通りです。日本は死刑廃止論や、死刑がどんなに卑劣なものか、のような報道がされますが、それは加害者の味方に立ったようで違和感を覚えます。法治国家で議論を尽くしたあと死刑が決まった、その加害者に殺された被害者の人権はどうでしょうか!?加害者が犯した罪を無視して死刑が非人道的なことばかりを論じるのは、被害者及びその家族には気の毒に思います。死刑囚は罪を償うべきです。
▲43 ▼3
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死刑執行は6ヶ月以内に行なわなければならない。きちんと決まっている。法務大臣が死刑執行書にサインしないのがいけない。他人の生命を奪って、死刑判決がでた人に温情は必要無い。何故なら、殺害された人達は生命を奪われるまでに犯人が止める機会があったにも関わらず殺害されているから。加害者の事を考えるより、被害者遺族の意向に沿っていくべきだと思う。
▲8 ▼0
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死刑判決が確定した時点で、遅くとも1週間以内に刑の執行で良いと思う。
長く拘置すればするほど精神的な苦痛が増すとゴタクを並べる死刑囚が出てきて、人権侵害だと叫ぶ弁護士が現れる。
被害者のことを思えば死刑囚にどれほどの人権擁護を必要とするのか?このような記事が出るとまた死刑反対論者のコメントが入る。
被害者とその遺族の心情を考えてほしい。殺された被害者の命を返して欲しいと。
▲11 ▼2
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のどかな田園風景が広がる加古川市の住宅地に、かつてない衝撃が走った。同市西神吉町の藤城康孝死刑囚(61)が、隣の親族宅と工員宅に侵入して7人を殺害、1人に重傷を負わせ、自宅に火を放つという陰惨な事件が起きた。 寝静まった未明。神戸新聞は民家火災として取材を始めた。だが、時を追うごとに事態は深刻さを増し、付近で複数の人が刺されていることが判明した。逃走に使われた軽乗用車は、現場から約700メートル南の加古川バイパス橋脚に衝突、炎上。近くにいた警察官が藤城死刑囚の身柄を確保した。情報が目まぐるしく変化し、現場は混乱を極めた。
事件が起こったのは2004年8月。それから約17年も犯人は死刑にもされず生かしてしまったのだ。
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死刑反対派の言い分として冤罪の可能性があるというのがあるが、では冤罪でないことが本人の証言からも物的証拠からも疑いようのない事件はどうなんだろう。 たとえば京アニの青葉は死刑判決を受けたが、そういう明らかな犯罪者についてはどう考えているのだろうか。 個人的には、死刑の裁判はその多くが最高裁まで争われ、検察、裁判所、弁護士によって議論が尽くされたのだから、たとえ冤罪だとしてもそれは社会が負うべきコストとして粛々と速やかに執行していくべきだと思う。 間違っても法務大臣が「これは冤罪の可能性があるから執行はしない」と、個人の判断でするべきではない。それは国民の合意で成り立っている司法制度を軽視している態度ではないか。 死刑が確定したら自動的に1週間後に執行とし、法務大臣はこれに反対をする場合はしかるべき理由を申し立て、内閣の決議を得る等のように制度を改正する必要があると思う。
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「周囲の収容者が『さよなら』といった声をかけることさえできないとすれば、非人間的な扱いだ」 との「専門家」コメントが発表されていますが、むしろ周囲の収容者に声をかけることで収容者が動揺することもあり、これをもって「非人間的」というかは人々の価値観にもよるものであり、もう少し感情的ではない 理論的 法律的な議論が報道上でなされるべきでしょう。また死刑執行が決定されながらいつ執行されるかがわからないことについては非常に非人道的な側面が強く、この点がより問題とされるべきでしょう
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死刑容認に対する最近の警鐘は、国民に対して死刑で切り捨てるのではなく、どうすれば凶悪犯罪を減らせるか考えてほしいということではないかとも感じる。そう考えると、子供であれ大人であれイジメの経験のある人間が、世の中に対して貢献する強い意志やチャンスに恵まれれば良いが、程度の違いそあれ日常の中で悪影響を及ぼすことが多くあり、それを仕方がないと肯定しがちで犯罪の種を蒔いていることに気付く。死刑に対して肯定的な人たちは、自分も耐えがたい現実の中で我慢しているのにという理由で、一線を越えた者に厳しい態度をとって納得しているように感じるが、では、どうすれば犯罪の原因になりがちなイジメや我慢を普通に強いられる社会を変えて、犯罪を減らせるか(もちろん原因はそれらと関係のない場合があり、ゼロは難しいことは言うまでもないので、死刑廃止には反対だが)というのが自分を含め、日本の課題のように思える。
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まあ死刑囚の権利主張ばかりだとちょっとなぁとは思う。
ただ、死刑囚とはいえ事前に何かわかると本人の贖罪の心情にどう良い影響があるかは気になる。こと被害者や被害者家族に対して何かプラスの何かが残せるのか (その前に多大な時間があるはずってのは判るが、切迫つまるとでてくるものもあるはず) という視点もあるかなあとは思う。
あるいは変わらないかもしれない。 でもあの死刑囚は最後まで変わらなかったと社会が判ることもいいんじゃないかな。
あくまで死刑囚のためではなく、社会や被害者のために、極限の世界が死刑囚にいるのかもしれない。
▲10 ▼9
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非人間的な事をしたのはどちらですか?と言ってあげたい。殺された人だって周りの人にサヨナラなんて出来ないんですよ。 殺人する方は一つの命だけど、被害に遭った方は本人以外の残された人にも暗い影を落とす。 目には目を、歯にはを歯を!を本当ならして欲しいくらい。 傷みを伴って欲しいと思う。 何年も衣食住保障され、生きているだけ慈悲があると私は思う。 これだけ死刑は良くないと言いつつ、そのたぐいの犯罪は減らないのだから、現行、このままでいいと思う。 ただ、執行はもっと早めて欲しい。 税金で何年も延ばす意味が分からない。
▲10 ▼1
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龍谷大の古川原明子教授。 死刑が確定している死刑囚の多くは2人以上殺してるんですよ。何の罪も無い被害者は命乞いも受け入れられなかったり、殺されるのも突然だったりで、そもそもが心の準備以前に究極の人権侵害をされてるんですよ。 死刑囚に人間的な扱いを、なんて言えるのは、他人事だからだと思います。 何の罪も無い人が殺されるのを防ぐために、日本の刑罰はもっともっと厳しくするべきです。憲法改正の議論は9条だけでなく13条、25条、36条についても必要で、冤罪の可能性のない凶悪犯罪者は基本的人権の適用対象外として残虐な刑罰を与えるべきです。それが、真っ当に生きている人が理不尽な犯罪に遭わないための抑止につながるのです。
▲42 ▼2
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人間らしい? サヨナラを言うことも許されず? 被害者は、たいてい何も言うことも許されず、どんな処遇をうけるかもわからず、命を奪われています。 加害者は被害者に与えた理不尽と向き合い、懺悔するだけでなく、同じことを追体験する覚悟をすることです。そのための時間が執行されるまでの猶予された時間なのだと思います。 確定している罪状ならば、仕方ない処遇であり、当然と言わざるおえない。 その罪を犯すまでの過程はわかりません。でも、なんの咎もない被害者を葬るのを選択したのならば、加害者は責任を取るべきは当然でしょう。それでも覚悟したり向き合う時間があるだけ、被害者よりよほど恵まれていると思います。他人の罪ではありません。自分の罪です。償うのは当然です。
▲27 ▼0
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日本の死刑囚の大半は殺人を犯している。しかも一人や二人ではないはず。殺された人は自分が死ぬことを分かっていたのでしょうか?まさか自分が殺されるなどとは思わないである日突然死んだ人達ばかりでしょう。 それだけのことをやっておいてムシがよすぎると正直思ってしまった。あなたが死刑直前に受けたその苦しみが、亡くなった人の痛みだったと思いながら刑を受けてもらいたい。
▲1 ▼1
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無実の罪で収監され、さらに目の前で死刑囚が連れ出される場面を目撃したこの男性に対しては、深い同情を禁じ得ません。それ自体は人として自然な感情です。
一方で、無念にも命を奪われた被害者や、そのご遺族の心情に思いを致せば、「非人道的だ」「人権が侵害されている」といった抽象的な議論だけでは到底語り尽くせない現実があります。
たとえば、かつて死刑制度に反対していた岡村勲弁護士が、奥様を殺害されるという事件を経て、考えを変えたことがあります。こうした事例は、「加害者」「被害者」といった立場に立ったときの感じ方や価値観が、現実によって大きく揺らぐ可能性を示しています。
主義主張を述べることは自由ですが、その際には、実際に被害に遭われた方々やその関係者の立場や感情に十分配慮し、現実に即した議論がなされることを願います。
▲14 ▼0
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死刑執行日告知を事前にするか、当日まで秘匿するか…選択権は死刑囚に与えてもいいと思う。 事前告知で執行日前に自殺したことがあったので当日告知に統一したらしいが、死を見つめたい気持ちがある死刑囚には事前告知させたい。 死刑執行方法も絞首刑だけでなく、筋弛緩剤注射も本人が選べても良いと思う。
▲1 ▼27
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突然命を奪われた人ってのはさ、あんたら死刑囚と違って痛みに苦しんだ時間がとても長かったと思うよ。大切な人を残して亡くなることを悔やみながら。一人で。 死刑囚はいいよな。 執行まで何不自由ない最低限の暮らしができる。人権が守られてる。 突然、連れて行かれる恐怖と日々戦ってください。被害者遺族の感情はそんなものでは比べられないほどに辛く苦しい。 こんな手記を残せるなんて幸せだよ。
▲29 ▼1
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優先すべきは被害者の人権と、その家族の心情。 人間は殺されてしまったら被害者の人権なんてどうでも良いのだろうか?個人情報を連日テレビで繰り返し流され、誤った情報も訂正できない。 犯人の人権ばかり優先されるのは納得いかない。人を殺してみたかった、誰でもよかったと殺された人、何も関係ないのに殺された子供、陵辱の限りを尽くされて命乞いも無視されて殺された女性、せめて犯人には被害者が感じた恐怖や痛みを身を以て感じて欲しいと思うのは間違いなのだろうか?
▲19 ▼1
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執行が有るという恐怖こそ、犯罪への報い。 無期なら、まだ生きられる。その違いは、計り知れない。
社会との隔離目的か、命を持って償わせるのか、それもはっきりしない上に、取り調べ犯人捏造、なんていう事もあるものだから迷いも出る。
2時間前だろうと前日だろうと、待つ時間は、長い程苦痛が増すのみ。
確定してから5年以上とか、なんを躊躇しているのか。 裁判は、何だっのか。
社会復帰無しで、一生隔離でも要件は満たしていると思う。 絞首刑とか、密室で行われて、誰引き取りに来ない。
それならば、見えない場所で静かに生きていても良いと思う。 最低の食事と質素な生活。 人を殺してるのだから文句も言わないだろう。
一人の犯罪者でさえ、これだけの大問題を抱える。 しかし、ロシアのやって居る事、軍事力でウクライナの民間人に向けてミサイルを撃ち込んでいる。 もっと世界が騒ぐべき。矛盾が渦巻く。
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「死に向き合う機会を与えることが望ましい」か、
被害者たちはその多くが全く死の覚悟もさせてもらえず、大切な人との別れも出来ず、無念のまま、命を奪われた
死に向き合う為に、執行されるその日まで1日1時間1分、1秒と本来向き合った末の執行と、考える
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死刑囚になるまでには、基本的には、それに値することをしてるわけだけど、値することとは、最高刑を課すべき犯罪という話に過ぎない。最高刑が死刑だからそれを課されるが、死刑自体は残虐な刑罰だ。 死刑を決断する裁判官、執行を命令する大臣、死刑に物理的に関わる職員たちなど関係者も、国家に殺人を強要される形だ。 でも、犯罪者を殺害しても被害者は決して戻らない。犯罪者が被害者遺族の納得する形で謝罪していない段階なら、遺族もその機会を一生失う。死刑囚遺族は、犯罪者の家族という苦しみに加えて、家族を残虐に殺害された苦しみを「自業自得」と受け入れるしかない。 死刑は抑止力以外の何ものでもないが、真実味を持たせるため、ランダムに執行される。でも、死刑が廃止されたところで、凶悪犯が犯罪を躊躇しなくなるわけもないと思う。 死刑自体、疑問の余地が大きく、どう執行するかの話は死刑廃止の検討が一通り済んだ次の話だろう。
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刑法の大学教授「現行の死刑のやり方だと、周囲の受刑者が死刑囚に“さよなら”と声をかけることもできないとするなら非人間的な扱いだ」。殺された被害者は、家族や親しい人に別れの言葉をかけられることもなく突然殺されているのがほとんどじゃないの?日本の死刑囚は、刑が確定してから執行されるまで国民の血税で長い間生かされているだけでもありがたいのでは?死刑囚への配慮の必要性に疑問を感じる。
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そもそも死刑になる様な事をしている人に、同情の余地など無いと思う。
被害者は理不尽に、恐らくは命を奪われていると思うし、この記事の場合、7人もの命を奪っている。
個人的に思うのは、刑が確定してから執行までの期間が長すぎる、と言う事。死刑は廃止すべきでは無いと思うし、執行までの期間はもっと短くすべきであると思う。
▲13 ▼0
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死刑が残酷って、きっと絞首刑だからな気がするする。 刑務官が死刑執行するのが酷っていうのは、死刑執行まで看守していた分、情があるからだと思う。 仮にも今まで一度も看たこともない死刑囚の刑を執行するなら、心理的負担もかなり少ない気がする。 それでも「心理的負担が」というのなら、そもそも刑務官になったこと自体が間違いだと思う。
▲31 ▼6
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知り合いを飲酒パリピに轢き殺されました。 被害者は被告の勝手な論理で無惨に命を奪われたのにその被告に人権を考慮するなんて、不平等です。 残された人達の苦しみは関係ないのですか?
ちなみにそのパリピですが、轢き逃げしたのち自宅へ戻り彼女を逢瀬をした後に逮捕され、裁判では6年半の懲役判決でした。 情状酌量として以下の理由で 1:被告は反省しており、まだ25歳でこれからも長い人生が続きます。 2:被告の兄と彼女が責任を持って、今後の更生にあたります。また、彼女とは出所後に結婚して一生添い遂げるのでしっかりと更生して人生を歩んでください。 3:被告の任意保険によって遺族に多額の慰謝料が支払われます。 と、ふざけた内容でした。 何をしても被害者は2度と戻ってこない。その無念は想像に耐えがたいのです!
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以前BL刑務所に服役した事のある者に聞いたのだが、同房になった無期懲役囚が自身の犯罪について語った時の話。
未成年の少女を強姦した後、発覚を避ける為に海に遺棄したらしいのだが、その際「おいちゃん、誰にも言わんから助けて、殺さんで」と海面で命乞いをする少女の頭をオールで何度も殴打し殺害したという。 内容から察するに、恐らく被害者の少女とは顔見知りだったのではないか。
それをどこか楽しげに、持ちネタのように話したというから救えないと思ったが、再犯でそこまでの事をしても無期懲役で済んだのだから、遣る瀬無い。
どのような裁判だったのかは知らないが、死刑囚というのはそれ以上の非道を行っており、犯罪者が社会的弱者である事を踏まえても死刑制度自体はやむを得ない刑罰であると考える。
無論、運用には慎重を期すべきであり、社会も犯罪者への理解を深める必要があるが、残酷か否かの問題は共感を得難いだろう。
▲1 ▼0
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非人間的な事やった人だから非人間的扱いをされないんだろうね。その裏には何の罪もない日常を生きていた人が殺されたりしてる訳だから同情の予知はないよね。批判してる人は自分の親族が殺された犯人でもそう言えるか?背景を考えた方がいい。睡眠薬飲まなきゃ寝れない位なら最初からやらなきゃいいんじゃないかな。
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死刑判決自体はかなり慎重に出されていると思うし、執行は随分ともたついているように思える 検察や裁判官の能力には疑問も多いが、死刑制度自体は維持が必要だろう これを無くせば、自己救済として犯罪者本人や家族への報復が横行するようになる 日本人はまだまだ「仇討ち」を美談として好む傾向が強い
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この加古川の事件の被害者と友人だった方とお付き合いがありました 明日、彼女の葬儀があるけど行きたくないと泣いていました でも、これが最期のお別れだからちゃんと行ってさよならを言ってこないとだめだよと送り出したのを覚えてます せめて生きているうちにそれができればよかったのにそれさえ叶わなかった 犯人はこの方の、その他の大勢の友人知人の悲しみや悔しさは気にもしていないのでしょうね 自分だけ人間的な扱いをしてくれと言うのはおこがましいとは思わないのでしょうか ある番組でなぜこんな犯罪が起こったのか、事件の背景なるものを見ましたが同情はありませんでした 人の命を奪ったことをどう思っているのでしょうか、と言ってももう本人には問えませんが
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死刑囚に殺された被害者たちは誰にも別れも言えずこの世を去っています。今の日本は人ひとり殺めたくらいでは死刑になりません。 自分の行いを棚に上げて、自分の権利ばかり主張するのは間違いだと思う。 冤罪の疑いがないなら、法律通り刑が確定して半年以内に執行した方が良いと思う。
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日本のように犯罪者に対して甘い判決が下される国において死刑を言い渡されるって余程の事。さすがにこの死刑囚に同情はできないししなくていいと思う。 「おそろしいとこや、ここは。絞首されてる時に、俺らは何も知らんと、のんきにメシを食ってる」って、呑気にごはんが食べられるなんてありがたい世界です。ごはんも食べられず死んでいった被害者。補償もないだろうし二次被害を受けてるかもしれない被害者の家族たち。 ただ私も心があるので一つ言ってあげられるとすれば死刑執行は早い方がいいとは思う。
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処刑の判決を受けただけ、覚悟を決める時間を与えてもらってるんですよね。 死刑囚の多くが殺人犯ですよね。殺された方々は覚悟を決める理由も時間もなかったと思います。ただ、再審請求をしてる方への刑の執行は課題があると思います。
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目には目をよりはずっと軽い判決が下されるのが日本の司法の中で、死刑判決を受けるのはそれだけの罪を犯した人。人の人権は踏みにじっておいて、自分の人権だけを主張するのは虫が良すぎる。個人的には、死刑確定者がタダメシ食って生き延びている方がおかしい。確定したら即執行を望む。
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自分の記憶だと事前告知されると 自害する死刑囚がいて刑が執行できない の事があったと思います。
そして法律の決まり事で確定してから 執行するまでの期間の言及も記されて いたはず。 記事中の囚人がどれだけ生き延びていたか 不明ですが、被害者感情、遺族感情を 鑑みても某国のように速やかに執行するのが 当たり前に思いますが。
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被害者はどうなるの?突然命を奪われ、大切な人にさえ「さよなら」も言えず、まして何で命を奪われたのかもわからず… 死刑執行の当日に知らされるのは最後の思いやりでしょう。 もし、何日も前から告知されたら平常心でいられる死刑囚なんているのかな⁈ 何日も前に告知した方がより残酷だと思うが、自分が被害者遺族だったらそうして欲しいと思ってしまうと思う。
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死刑は確定してから半年以内に執行すると刑法にあるが法務大臣が承認をしないので長期間収監されてる。刑法に則り粛々と執行すればよい事だ。昔は自白一辺倒の取り調べで冤罪を生んできたが、昨今は物的証拠が確定証拠となり冤罪は殆どないだろう。死刑執行に対する消極的な対応だから、確定死刑囚が死刑執行の当日告知を巡って、当日の告知では不服を申し立てることができず違憲だとして国に損害賠償などを求めて提訴し地裁は棄却したが高裁は却下部分の審理を地裁に差し戻した事案がある。殺人事件を起こし被害者遺族の事など眼中になく自身の保身に走る確定死刑囚。刑法に則り半年以内に死刑執行を粛々と執行すれば、こんなことにもならないし、今回の記事のようなこともない。法務大任命時に死刑執行に対する考えを聞いて任命すべきだ。世の中には食事も回数少なくし他人に迷惑かけず犯罪も起こさず真面目に生きてる人が多くいる。死刑囚は3食付きだ。
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シェイクスピア作の戯曲『ハムレット』の一場面です: ハムレットの父は、叔父のクローディアスに殺害されたので、ハムレットは父の仇を討つチャンスを狙っていました。 ある夜、クローディアスは兄を殺した良心の呵責に苛まれ、一人 神に祈り赦しを乞うています。 クローディアスの部屋に忍び込んだハムレットは、絶好のチャンスと剣を取りますが、 「いや待て、父は不意に殺されたので罪の赦しを得ずに死に、その霊は天国に入れなかったかもしれない。 でも今、仇が神に祈っている時に討ったら、その霊は天国に行ってしまい、それでは仇討ちどころか、仇の救済になってしまうから本末転倒だ」と考えて、その時にクローディアスを討つのは思い止まります。
死刑執行も同じ。 犯罪被害者が何の心の準備もなく殺されてしまったのに、加害者の死刑執行に際し心の準備をする時間を与えては、刑罰にならないと思います。
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この龍谷大の教授とやらは、名前から察するに女性だと思われますが、では当然のこととして、自分の家族、結婚されてるなら旦那さん、子供がいるなら子供、その内の2人以上が、何の前触れもなく惨殺されたとしても、同じことが言える、ということですよね。 いやさすが大学の教授ともなると人間が出来てるというか寛大というか、素晴らしいですね。 私のような凡人には、一生かかっても到底辿り着けないような、悟りを開いた高い位置にいらっしゃるんですね。 これは嫌味でも皮肉でもなく、ほんとにすごいなと思います。 朝笑顔で送ってくれた妻や幼い子たちが、家に帰ると血まみれで亡くなっている。 ましてやそれが強姦目的や強盗目的であったとして、その罪を犯した犯人に対しても、人権があり、尊重されるべきだと声高らかに訴えると。 いやすごいですね。 どんな生い立ちを過ごすとそんな風になるんでしょうかね。
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他人の人権を無視して殺人を行った人間に人権を認める必要は無いでしょう。死刑囚が殺人を犯す時に、被害者の言葉を聞きいれたのか?そんな事はないでしょう。何故犯罪者にそんな慈悲を与えようとするのか、全く理解出来ない。犯罪者には厳しい対応を、被害者とその家族には最大限の暖かい対応を。
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死刑で気になるのは、冤罪のみ。 無実の人の死刑は、単なる殺人だから。 それだけは、絶対にあってはならない。
死刑囚が、自分に対する取り計らいを要求する事を聞いても、ああ、だから、死刑になるような事をしたのだなと思うだけ。 自分中心のその考え方が、殺人を起こしたのだと思う。 いくらでも自分の快適さを要求するだろう。
死刑囚は、自業自得であっても、ほとんどの被害者は、恐怖や痛みや苦しみを感じ絶望しながら殺されるような事をしたわけではないはず。
被害者らの持った恐怖を長時間たっぷり味わって、刑を執行されれば良いと思う。 自分のした事が返ってくれば良いと思う。
そして、それが、こうした事件の抑止力になっていけば良いと思う。
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死刑廃止を訴える人の気持ちが理解出来ない。被害者の方がよほど恐ろしい目に遭いながら人権への配慮などされず待ったなしで命を落とされている事をお忘れではないだろうか?それにより被害者のご遺族やお知り合いが生涯どんな気持ちを抱えて生きていかれるのか想像を絶するほど重くお辛いことと思う。人を故意に殺めた人に人権や精神面への配慮など全く必要ない。
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死刑囚に殺された被害者の中に、しっかりお別れを言いたい人全員に挨拶できた人が何人いるでしょうか。 基本的に2人以上殺さないと死刑判決が出ない日本ですが、情状酌量の余地がある場合2人以上殺しても死刑判決は受けない場合もあります。 つまり死刑囚に殺された被害者は、殺されて当たり前ではない人たちです。 そんな人たちの人権を奪った奴が人権を主張するのはどうなんでしょう。
今の死刑制度に意見している団体の中に、殺人被害者の関係者はどれだけいますか? 殺された被害者の方々が、加害者の人権を守ってあげてほしいと思っているとおもいますか?
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まあ死刑囚って事はそれ相当の事をした訳だし、ある日突然殺された人達は、家族や愛する人にサヨナラも言えずに命を奪われたと考えると、非人間的扱いをうけたとしても仕方ない、死刑囚は被害者家族の事を考えて日々反省し、直ぐに刑が執行されずに生かされてる意味を考えてほしい。
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被害者が受けた行為を考えるとこれは当たり前のことです。 加害者がこのことで苦しむことも刑の一部だと思う。 あと加害者に刑の執行日を事前に教えると少しでも楽に死にたい思いから 自分のタイミングで死を選ぼうとする人が増えて当事者以外の他の人にも迷惑をかけることになるので仕方がないと思います。
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現行法制度の中で死刑に値する罪を行ったのに、何を今さら言ってんの?って感じですよね。
まともに生きていたらそんな罪は犯さないと思います。それだけの事をしたのならきちんと償うべきです。
逆に死刑判決を受けて結審した段階で死刑執行されずに長年税金で飯を食ってる死刑囚がいる事の方が疑問です。 結審したら、即執行が基本だと思います。
今残っている死刑囚も早く法律にのっとって粛々と事を済ませてほしいと思います。
その方が世のため人のためです。
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非人間的な扱いだと現行の運用を批判する。
感情的に処罰するのは法治国家としてはあるまじき行為だが、非人間的な行為をしたものに対して人間的に振る舞えと言われて理解を示す人は少ないのでは?そのような扱われ方を含めて、自身の犯した罪と最後まで向き合うのが死刑囚としての責任であると思う。
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こういう記事を書くときは、記者はできるだけ公平な目で見ないと、ただの誘導記事になってしまう。 『さよなら』といった声をかけることさえできなかった事が、非人間的な扱いなのかどうかは、被害者が周囲から『さよなら』といった声をかけてもらえたのかどうかと比較して、相対的なものとして記事にする必要がある。
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『非人道的』だと思うなら、死刑囚は死刑判決を受けたのか。 死刑囚がやった事は『非人道的』ではなかったのか。 例えば、殺された人も『さよならも挨拶』も出来なかったと思う。 人はそれぞれ立場で意見を変えるから、何も解決しないと思ってしまう。 判決から執行までの時間は決めてもいいのではないかと思う。 長ければ長いほど税金もかかるのから。
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極めて残虐かつ私欲のために他人の命を奪って「情状酌量の余地なし」と判決されたのが死刑囚なわけで、むしろ毎日その恐怖に怯えながら朝を迎えろと思うし、それでもまだ足りないと思う。 「確定死刑囚とみられる収容者の1人が、あんなことがあったら眠れないから睡眠薬をくれと訴えていた」という記述があるけど、それも罰の1つにすぎないので甘んじて受け入れろと思う。 「さよならも言えない、非人間的な扱い」という専門家もいるらしいが、その死刑囚に命を奪われた人たちはもっと非人間的な扱うを受けたことを忘れてはいけない。
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死刑執行される囚人に関しての記事はあくまでも囚人寄りで死刑反対論者側寄りに偏っている。この囚人がいかに残酷な行為をしたかは全く論じられない。なんの落ち度もないのに囚人の身勝手な欲望のために命を絶たれた犠牲者やその関係者の心情を思えばそれぐらいの目にあっても至極当たり前のことに過ぎない。
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少し古い映画ですが、スーザン・サランドン主演のデッドマン・ウォーキングという映画が、死刑囚によりそうシスターの内容で、死刑囚よりの話かと思ったのですが、きちんと被害者側の家族にも目線を当ててとても深い内容の物でした。 一度、興味のある方は見ていただくとと思います。
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冤罪でなら怒りを通り越すが。 凶悪な事件を起こして権利の主張するのは身勝手としか思えない。 日本は仇討ちを認められていないが、刑の執行は、被害者家族が希望するならボタンを押せる法整備した方が良いと思う。
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死刑人は死刑確定から人権は既にないと思う。確定日から執行日までは罪を償う日時であって猶予時間ではない。死刑宣告を受けた許しざる犯罪者には執行日を知らせる必要性も無く死に怯えて日々送らせる事が被害者に対しての少なくてもの敬意である。
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死刑囚は今と同じ個室設備を備えたガス室に収監して、ある日ある時あるタイミングでスイッチONにしたんじゃ駄目なのでしょうか?タイミングはA Iによる法則性なく。昨日入った死刑囚が今日執行されることもあれば、50年かかっても執行されないのもいて。そんくらいラフでも良いのでは?いつ来るかわからない最期に震えて眠ればいい。
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>事前告知か直前告知かを選べるようにした上で
パチスロのボーナス告知じゃあるまいし、被害者を惨たらしい方法で殺害した故に死刑判決を受けた人間を主体的に扱わねばならないのか疑問です。
>死に向き合う機会を与えることが望ましい。
被害者にはそんな機会は無かったはずです。 死刑囚がいつ来るともわからないその機会ゆえに怯え、苦しむとしたら、それこそが当人が負うべき「責務」であると思えます。
>適切に執行されるかどうか国民が監視することも必要だ
常識的に見て、極刑の執行業務を不真面目にやる人がいるとは思えません。自身の精神にも強い負荷のかかるその職務と、その制度の持つ抑止力で(国民が)安全を得ている要素が間違いなくあるのですから、まず先に職務に就く人への敬意を絶対に忘れてはならないと思います。
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最近「死刑因の人権」がクローズアップされることが多くなってきたように思うが…
死刑執行部分だけをみれば、親類縁者、隣の房の人間への挨拶すら許されないのは非人間的行為のように見えるかもしれない
冤罪を除き、死刑因は相応の行為をした結果によって今があるのだから、直前告知でも仕方ないように思う アメリカでは1-2週間前の告知のようだが、それは国によって違ってくるのは当たり前 それを参考にできない
それよりも死刑因は死刑が刑罰であり、判決後は死刑に向けて身柄を拘束しているに過ぎない
死刑になるのが怖い、恐ろしいと思うのなら、そういう法律を適用されるような行為をしなければいい
やってしまい、事実を認め、裁判によって量刑が出た以上は、そのやり方に文句は言えないだろう
せいぜい、執行までの勾留に対する待遇改善ぐらいは言えるだろうが…
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死刑判決は相応の罪を犯したから受けたはず。 懲役労働が無く、自分が犯した罪と向き合う時間が何年も与えられた上、執行されるその日まで食事も与えられ、健康管理にも気を配られて、これ以上の人権保護は必要ないと思うが。 被害者および被害者遺族に対し心から詫び、死を以て贖うのは当たり前のこと。
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古川原教授は、ご自身が確定死刑囚の扱い等について言及する事によってご自身ら有識者の存在価値を知らしめる手段として投稿された様に思えます。
死刑が確定すると云う事はそれなりに法律の基準を超えてしまった罪人に与えられる訳で..非人道的だったり非情だったりその人格は破綻しており矯正不能との判断から下されるものと考えます。
人格破綻者の死刑囚には、全く予期せぬ状態のままある日突然、死刑を執行されるのは当然の理で有って一切の同情的な思考を持つ事は全く必要の無い事だと思ってます。
そしてまた、死刑制度については、仇討ち等の文化が色濃く残る国に於いては必要なのだと思います。
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日本社会は死刑制度を支持する声が強く、死刑囚に対する同情は少ない。これは実際の社会の風潮でありヤフコメあたりをみていても同様に感じる。個人的には悪いことにも思えないし、かといって死刑がすばらしいとも思わないが。こういう社会状況であるからこそ、あえて法学教授や弁護士は死刑囚の権利を擁護して、社会の在り方を訴える必要があるんだろう。国民の敵でも弁護士一人だけでも犯罪者の権利を守ってやるのは、決しておかしな話ではない。それが法治国家のあるべき姿であり、万が一我々が不幸にも冤罪の罪で牢屋にいれられてしまった場合、犯罪者に味方する弁護士の有難味が分かるだろう。
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殺された被害者は誰にも最後の挨拶出来てない事が殆どだと思う 日本って殺害された被害者より生き残ってる加害者を守る空気を非常に感じて苛っとする
この事と冤罪を織り交ぜて考える事なんて不毛だと先に言っておくけど
死刑囚は即日執行してる訳では無いので、猶予なんて与える必要はありません
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以前、鳩山邦夫が法務大臣の時に死刑囚の執行をベルトコンベア方式でやってはどうかと発言して野党や死刑制度反対派などから大批判された様な記憶があります(間違っていたらすみません) 日本という国に死刑制度があり尚且つ刑の確定から半年以内の速やかなる執行と法律が定めている以上、この鳩山発言は至極もっともであると思います。 近年は自身の在務期間に執行を命じない大臣も当たり前の様にいますが、法務大臣を任命した以上は覚悟を持ってやるべきですし、 それが出来ない別の哲学がある政治家は 法務大臣になる資格はないと思います。
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