( 294082 ) 2025/05/26 05:37:07 0 00 写真はイメージ(写真:gettyimages)
タクシーやハイヤーの運転に必要な「普通2種免許」が最短3日で取得できる──。警察庁が4月17日に明らかにした、受講すべき教習時限数を削減する道路交通法施行規則改正案。「タクシー運転手が不足している」ことへの対策として教習時限数を現行の40時限から29時限に減らし、取得までの最短教習日数は6日から3日に短縮されるというもので、5月17日まで行ったパブリックコメント(意見公募)の結果公表を経て、9月1日の施行をめざすという。人材確保のために免許取得のハードルを下げた形だが、一方で「命に関わることなのに」などと安全面について懸念の声もあがる。今回の改正案、私たち利用者はどう見るべきなのだろうか。
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「改正することに本当に意味があるのか、理解できないんです」
こう話すのは、互助交通有限会社・代表取締役社長の中澤睦雄さん(63)。昭和30(1955)年創業のタクシー会社として東京都内で80台のタクシーを走らせてきた同社。2021年にタクシー事業を終了したが、入社以来約30年にわたってタクシー業界に関わってきた中澤さんいわく、「次の活動を模索中ですが、ハートはタクシー業界に残したままです」。そんな中澤さんは、今回の改正案をどう見ているのか。
中澤さんがまず引っかかるのが、今回の改正の前提となっている「タクシー業界は人手不足」という点だ。国土交通省によると2022年度のタクシーの運転者数は24万1951人と、10年間で12万人余り減少しているのだという。たしかに地方都市を含めた国全体としてはタクシー運転手が充足しているとは言えないだろう。しかし、大都市圏の状況に目を向けてみると、また違った面が見えてくると、中澤さんは言う。
■「大都市では不足していない」
「地方での運転手不足は課題としてあるでしょう。ただ、東京など大都市において、『タクシーが不足している』とは言えないと思います」
中澤さんが着目するのは、タクシーの「実車率」。タクシーの走行距離の中で実際に客が乗っている距離の割合だ。東京ハイヤー・タクシー協会の事業報告によると、東京都の2023年度の実車率(年間平均)は23区と武蔵野市、三鷹市の「特別区・武三地区」で47.9%、「三多摩地区」では43.7%。同様に、大阪タクシー協会によると大阪府では47.5%(2022年)だ。
「これが何を意味するか。つまり、半分以上は空走してるんです。たとえばバブルの時代は実車率が50%台で『金曜の夜はタクシーがつかまらない』などの状況もありましたが、今はバランスが取れた状態。そんななかで無理にタクシーを増やす必要があるのかなと」
本気でタクシー運転手を増やそうとするなら、給与面も大事だ。しかし、そこも「裏目に出る」可能性があると、中澤さんは指摘する。
■「運転手の給料減ってしまう」
「お客さんの『総量』って、実はそんなに増えていないんです。インバウンドが増えても、彼らは輸送面には比較的お金をかけないので、一部の観光地を除けばタクシー需要増にさほどつながっていない。お客さんのパイが決まっているなかで仮に今以上にタクシーが動くようになると、1台あたりに乗せられるお客さんの数は減り、1台あたりの売り上げは落ちます。そうなると、基本給+歩合で働いている運転手さんの給料は減ってしまうんです」
運転手が増えて、タクシーの総量が増えることで運転手の給料は減る。それではますますなり手が減る負のスパイラルに陥りかねないと、中澤さんは言う。
「それなのに法制度を変えてまでタクシーの運転手を増やそうと。そんな必要があるかというと、私はないと思いますね」
都市部でタクシー運転手が増えることによる、思いがけない負の側面。一方で、高齢化が進み、バスや鉄道など公共交通機関の減便も進むなどの状況を抱える地方では、タクシー不足が改善されれば大きな恩恵があるだろう。ただ、そこで中澤さんが「そもそも根本的に間違っている」と言うのが、「免許の取得時間を短くしたら、『タクシーの運転手になってみよう』という人が本当に増えるのか」という点だ。
「タクシー会社の募集広告では多くの場合、『2種免許取得費用 当社全額負担』などと謳っています。もし免許取得のための日にちが短縮されたら、教習所に払うお金がその分減り、経費の面で会社はありがたいでしょう。でも、『3日ならラクそうだから私もタクシーの運転手になってみるか』なんて思う人が増えるかというと、まず間違いなく、増えません。なぜか。タクシー業界に人材が集まらない理由は、別のところにあるからです」
本当は、何がネックになっているか。中澤さんは「タクシーという産業が魅力あるものではなくなっている」ことがいちばんの問題だと指摘する。
「東京で代表的な大手タクシー会社でも、今年の新卒採用の数はピーク時に比べて半減しています。タクシーは事故に遭う可能性もあるので危険だとか、『大学を出てまでやる仕事じゃない』とか。給与の問題よりも、むしろ仕事自体に魅力を感じられないのが問題だと思います」
タクシー運転手という仕事の、魅力。中澤さんがこのところずっと気になっている言葉がある。タクシー運転手は「誰でもやれる仕事」というものだ。その言葉と、今回タクシーの免許を「3日でも取れる」に変えようという方針は、中澤さんの中でつながるのだと言う。
■負のスパイラルを懸念
「2種免許というのは、ある意味でタクシードライバーにとっての『勲章』だと私は思っています。一般のドライバー以上の運転の精度が求められ、そこをクリアしたうえで得たもの。それを『3日でも取れる』としてしまうと、『タクシー運転手なんて誰にでもできるんだよ』という方向のなか、勲章的なものの価値を下げることにつながると思います」
勲章の価値が下がれば、それを得たいという人は減り、ますますなり手がいなくなる。この点でもまた、「むしろ負のスパイラルに」という状況が生まれかねない。
「そしてそんな状況がこの先、どこにつながっていくか。『誰でもできる仕事なんだから』という流れで、昨年運用が始まった『日本版ライドシェア』(自家用車を利用して有料で乗客を運ぶサービス)を推進する動きとも、これは通底しているのではないか。考えすぎかもしれませんが、そういうふうにすら、思えてしまうんです」
では、多くの利用者がまず感じるであろう、「教習時間を減らして、安全面のリスクはないのか」という点はどうか。警察庁は今回、教習時間を減らした場合の影響を実験で調べたうえで安全上の問題はないとしているが、中澤さんは「懸念はもちろんある」と話す。
「1種免許で一定期間運転されていた方でも、2種免許を取るための教育をしっかりと受けることで、自分の運転の仕方の悪い点に気づき、安全について見つめ直すきっかけにもなる。教習時間が減れば教えてもらえることも減るので、技量面での懸念がないとは言えないでしょう。加えて大事なのが気持ちの部分です。勲章の話とも通じますが、『自分はしっかりとした教育を経たうえで2種免許を持っているんだ』という自負の部分。安全というものに対する気持ちの深さ。ここが実は大事なんです。『簡単に取れるよね』となれば『教習を受けても受けなくてもあんまり変わらないんじゃないか』という感覚も生まれ、安全面で当然、マイナスに働いてしまうと思います」
タクシーの仕事から離れても「ハートはタクシー業界に残してきた」中澤さん。「今もタクシーの現場で奮闘されている方々とは見解が異なるかもしれませんが」としつつ、こう心配する。
「地方都市でタクシーが不足している実態は否定できない。そこは大事な点。でもだからといって、安全性を無視したような施策で無理に運転手不足を補おうとすることには反対です。結局、タクシー業界にとっても、利用者にとってもプラスにはならないのでは。短期的な発想で目先の施策を行うのではなく、国にはタクシー業界の『産業としても魅力ある職場づくり』への手助けもしてもらえたら、と思います」
(AERA編集部 小長光哲郎)
小長光哲郎
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