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2024年1月18日、米ワシントンの連邦議会で、日本の戸籍制度による問題が報じられた。

海外で仕事する日本人女性が旧姓での仕事活動に支障をきたす例や、ビジネス特化型SNS「リンクトイン」の本人確認における問題が指摘された。

日本の夫婦同姓制度により、海外での活動が困難さを増しており、別姓制度の導入を求める声が高まっている。

(要約)

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米ワシントンの連邦議会議事堂=2024年1月18日 

 

 「日本の制度が早く変わることを祈っているよ」―。2024年2月、アメリカ議会取材に必要な記者証を旧姓で申請したところ、パスポートに記載された名前(戸籍姓)でしか認められないとして却下された。日本の戸籍制度について説明し、記者としてのキャリアでは一貫して旧姓を使ってきたと訴えたが、議会職員にかけられたのが冒頭の言葉だ。 

 

ビジネス特化型SNS「リンクトイン」にあるニュージーランドのアーダン元首相のページ。名前の横には本人確認マーク「✓」が付いている。 

 

 1996年に法相の諮問機関・法制審議会が選択的夫婦別姓の導入を答申してから約30年。別姓を求める声は海外出張や海外赴任した日本人の間でも広がる。仕事で使う旧姓と戸籍姓が異なり、トラブルに遭うケースが後を絶たないためだ。性別や婚姻状況にかかわらず全ての人が自由に世界で活躍するため、そろそろ決着をつけるべきではないだろうか。(共同通信ワシントン支局=比嘉杏里) 

▽本人確認できません―ビジネス業界で信頼性が低下する 

 

 世界最大級のビジネス特化型SNS「リンクトイン」。アメリカをはじめ世界中で10億人以上が自身のプロフィルや実績を登録し、人脈づくりや情報交換、転職活動に利用している。ワシントンのシンクタンクに在籍する日本人女性はある日、リンクトインが推奨する方法では、自身の「本人確認」をできないことに気がついた。本人確認には政府が発行する身分証明書(ID)が必要で、海外では旧姓によるID取得が非常に難しいためだ。女性は仕事では旧姓を使用しているが、アメリカで就労に必要な社会保障番号(SSN)や代表的なIDである運転免許証は戸籍姓でしかつくれない。 

 

旧姓併記したパスポートのイメージ(外務省ホームページより) 

 

 リンクトインでは本人確認を済ませると「確認バッジ」と呼ばれる印が付く。印がない個人の掲載情報は、当然のことながら信頼度が下がる。 

 

 女性は「海外では旧姓は単なるニックネーム扱いだ」と指摘する。ビジネス関係者や政府関係者、研究者らが集まる大規模イベントでは政府発行のIDを見せないと会場に入れないと事前説明があり、万が一入場できないリスクを恐れ、もやもやする気持ちを抱えながら戸籍姓で参加登録した。「仕事を続ける限り、ずっとこの問題がまとわりつくんでしょうか。女性だけではなく、妻の姓に変えた男性も困っているはずです」 

▽詐欺を疑われ銀行口座が停止寸前 

 

 海外での仕事で旧姓を使う人の苦労話は枚挙にいとまがない。旧姓では仕事を続けられないのではないかとの不安や、虚偽の申請をした訳でもないのに不審な目で見られる屈辱を表現するのは難しい。 

 

 筆者は2023年8月、ワシントンに赴任した。渡米の際、パスポートを旧姓併記に変更。Iビザと呼ばれるジャーナリスト用のビザにも「Also Known As(~としても知られる)」とただし書きを付けて旧姓を入れてもらった。それでも一歩海外に出ると「旧姓」には法的効力がないと何度も思い知らされた。 

 

 

女性差別撤廃委員会の日本審査があるジュネーブの国連欧州本部=2024年10月15日、スイス・ジュネーブ 

 

 生活を脅かすトラブルも経験した。旧姓宛てに振り出された給与小切手を銀行口座に入金した際、翌日「詐欺の疑いがあるため口座を停止する」と通告された。口座は戸籍姓でしかつくれない。旧姓が併記されたパスポートやビザは提出済みだったが、小切手の宛先と口座の持ち主が同一人物だと認識されなかった。口座が停止されれば現金を引き出せないし、給料日直後に設定したクレジットカードの支払いもできない。カードを止められたら食料品も買えなくなる。 

 

 この時は銀行側が、小切手の発行者(勤務先)に正当性を確認。私からは提出済みのパスポートに旧姓が併記されているので見てほしいと何度も主張し、半日かけて納得してもらった。その後、勤務先には小切手の宛名を戸籍姓にするよう頼んだ。仕事をしている自分の名前ではなく、夫の姓に対して給与が出される違和感は拭いがたい。 

 

 法務省によると、夫婦同姓を義務付ける国は「把握する限り日本だけ」。内閣府の統計では、2023年に婚姻届を提出した夫婦のうち94・5%が夫の姓を選択している。グローバル化が進んだ現在、ビジネスも研究もジャーナリズムも国内で完結できる業界は少ないだろう。日本人だけが特殊な不都合を抱え、国際社会の舞台で戦っていけるのだろうか。 

 

選択的夫婦別姓制度の早期実現を求める提言書を上川陽子外相(左)に提出した経団連ダイバーシティ推進委員会の魚谷雅彦委員長=2024年6月28日(肩書きは当時) 

 

▽明治に始まった夫婦同姓、現行民法でも法律婚を選べば夫婦どちらかが改姓することに 

 

 そもそもなぜ日本は夫婦同姓なのか。明治時代、「平民」と呼ばれた一般国民が姓を名乗ることを認められ、当初は夫婦別姓からスタートしたが、1898年施行の民法が夫婦は「家」の姓を名乗ると定めた。戦後に家制度は廃止されたが、民法は現在も婚姻時に夫か妻の姓を称するよう規定。法律婚を選んだカップルはどちらかが姓の変更を迫られる。 

 

 高度経済成長期を経て女性の社会進出とともに権利意識が高まると、姓の変更による「仕事上の支障」「アイデンティティーの喪失」が指摘されるようになり、1996年の法制審の答申につながった。 

 

 だが自民党保守派の反発で法案提出は見送りに。法制審の答申後も法整備が実現しないのは極めてまれだという。国連の女性差別撤廃委員会は2024年10月、日本政府に4度目となる制度導入を勧告した。 

▽「自分を証明するものが世界に通用しないトラブル」 

 

 

経団連の提言案をまとめた大山みこソーシャル・コミュニケーション本部副本部長 

 

 先述したように、海外で最も重要な身分証明書になるパスポートは現在、旧姓併記が可能だ。アルファベットで書かれた戸籍姓の横のカッコ内に記載される。「Former surname(以前の姓)」との説明書きも付く。ところがパスポートのICチップには戸籍姓しか登録されておらず、併記した旧姓は海外では正式な名前だとは認識されない。あくまで「例外的な措置」(外務省)であり、航空券やホテルの予約にも旧姓は使えない。 

 

 2024年6月、経団連は女性活躍が進展するなかで、旧姓の通称使用だけでは解消できない課題が増え、特に海外ではトラブルが顕在化し「企業にとってもビジネス上のリスクとなり得る」とし、選択的夫婦別姓制度の早期実現を求める提言を発表。大きな話題になった。 

 

 提言案をまとめた経団連ソーシャル・コミュニケーション本部副本部長の大山みこさんは「自分を証明するものが世界に通用しないというトラブルが、旧姓で仕事をする人の足かせになっている」と表現する。 

 

選択的夫婦別姓制度の早期実現を目指し、国会前で集会をする女性団体のメンバーら=4月23日 

 

 例を挙げてもらった。「海外では公的機関や民間企業の施設に入るため、ID提示を求められることが増えています」。海外のビジネスパートナーや顧客、取材相手と旧姓でやりとりしている場合、相手といざ対面を果たす前の入館の時点で「アポイントメントの名前とIDの名前が違う」と言われる可能性がある。建物の警備員に対し日本の夫婦同姓制度を一から説明する必要が出てくる。「ロスタイムが発生することで、上司や同僚を待たせたり、大切な商談の機会を失うかもしれないという不安もあり、無視できないビジネス上のリスクになっています」 

 

 国際機関ではさらに厳格な身分証明が求められ、戸籍名しか使用できないケースもあるという。研究者も同様だ。「結婚して姓が変われば築き上げた実績がリセットされる『キャリアの分断』に直面する。日本を代表して世界で活躍する人のキャリア分断は由々しき問題です」 

 

▽「虎に翼」が後押しした夫婦別姓への理解 

 

 

民法改正案を衆院に提出後、記者団の取材に応じる立憲民主党の辻元清美代表代行(中央)=4月30日 

 

 外務省は今年初旬に実施した政党ヒアリングで、旧姓併記のパスポートを巡り、2021年4月以降に入国管理でトラブルがあったという報告は上がってきていないと説明した。だが大山さんはこの認識に疑問を呈する。「旧姓で仕事をする女性たちがさまざまな場面で必死に説明しトラブルを乗り越えた後、いちいち領事館に駆け込んだり通報したりするでしょうか」。女性たち、妻の姓に変えた男性たちは、これまで時間と労力をかけて自力でこうした問題を解決してきた。だが今後も当事者の自助努力に任せるだけでいいのだろうか。 

 

 大山さんによると、夫婦別姓の議論の盛り上がりを後押ししたのは2024年4~9月に放送されたNHKの連続テレビ小説「虎に翼」だった。ドラマの一場面で選択的夫婦別姓が取り上げられ、主人公の寅子が別姓反対の人に問いかける。「息子さんが結婚して妻の氏を名乗ることにされたら、息子さんの先生への愛情は消えるのですか?」 

 

夫婦別姓問題について話し合った法制審議会民法部会=1994年7月12日、東京・霞が関の法曹会館 

 

 男性経営者が「虎に翼」について家族と話すことで、結婚時に姓を変えた配偶者が葛藤を抱えていたと初めて知る、ということもあった。大山さんは強調する。「人権や人口減少、国際競争力の視点からも、日本の企業がサステナブルに成長するためにも、多様な〝人財〟が活躍する社会基盤を整える必要があります」。こうした認識は日本企業でも急速に広がりつつあるという。 

 

 今年4月、立憲民主党は選択的夫婦別姓導入に向けた民法改正案を衆院に提出した。自民党は独自法案の今国会提出を見送り、野党も対応が一致しないため、今国会成立は厳しいとの見方がある。 

 

 この原稿を書きながら1996年に法制審の答申を記事にした記者の気持ちを想像した。約30年後の2025年、アメリカの片隅で後輩記者がこんな記事を書いているとは思わなかっただろう。さらに30年後、誰かが同じような記事を書くことになりませんように。日本国内外で、多くの人が一日も早い選択的夫婦別姓制度の実現を願っている。 

 

 × × × 

 

 比嘉杏里(ひが・あんり) 2005年入社。名古屋編集部、政治部、那覇支局などを経て23年8月からワシントン特派員。どんな食事環境でも生きていけるが、故郷沖縄のクーブイリチー(昆布炒め)だけは恋しい。 

 

 

 
 

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